【北海道名物に新説浮上!!】室蘭やきとりは、なぜ豚肉なのか?地元の歴史を深堀したら新たな見解が!タマネギと洋がらしにも秘密があった!・・・もんすけ調査隊(今日ドキッ!2025年5月2日放送)
地元の歴史を調べたところ、新たな説が浮上しました。調射隊。 [音楽] 頑張るぞ。頑張るぞ。頑張るぞ。 頑張るぞ。 27 日ムロラン市内の25 店舗が参加するムロラン焼き鳥の会が発足した。焼き鳥なのに豚肉と玉ねぎを串焼きにし甘辛いれと辛しで食べる。 [音楽] それがラン鳥だ。 [音楽] 面白さはあの焼き鳥だけど豚っていうところなので、 その豚肉の焼き鳥ですってことをどんどん発信していきたいと。 [音楽] さらに致名度を上げ文化庁の100 年フードへの登録を目指す。それにしてもやはり気になる。 [音楽] メロラン焼き鳥は焼き鳥なのになぜ豚肉なのか調べてください。 早速調査員はムロランに飛んだ。 ありました。ありました。ムロラン焼き鳥を発見しました。 尋ねたのは尿35 年の死イス伊勢。ムロランでは焼き鳥を注文すると豚肉が出てくるのが地元の常識。伊広ではカタロースを使用しているという。 [音楽] ではなぜ豚肉なのか。 日中戦争の頃に軍人の方の靴を作るのに豚の皮を使って靴を作ったんですけども、豚のお肉が安く手に入るってことで居酒屋で提供を始めて食べたのがルーツって言われてます。 1937 年に日中戦争が始まった。日本政府は軍用の靴を作るため豚の飼育を推奨。 鶏肉よりも安く豚肉を入手できたムロラン では焼き鳥が鶏肉から豚肉に変わったと いう説が一般的だ。 頃がいくつか疑問点があるというアラの統計上ですね、戦事中にが急激に増えたという事実はないので [音楽] 統計データを紐解くと戦前から先中にかけ豚の飼育数に大きな変化はないという [音楽] [音楽] 用の数とかいろんな漁業の数とか聞かれるために見たりをしてはいたんですけどもあまり変化はないと さらに調査を進めると思いがけない事実が安村いないからぶたな。 [音楽] そう証言するのはム室ラン最古子の焼き鳥店鳥吉の小笠原さん。偽の創業は 1933年と日中戦争以前である。 その頃はどういったものを売られてたんですか?この通りさ、もうこの通り。高鳥吹いてるぐらい。 うちのが豚ですよ。肉は食べれないからやっぱりボですね。おそらくおしさと思います。だって鳥がないんだ。 創業当初から豚肉や豚を焼き鳥として提供していたと話す。当時値段が手頃な豚をほとんどの客が食べていたという。 [音楽] つまり戦争中に鶏肉から豚肉に変わったわけではないようだ。ランは洋場がたくさんあって手に入りやすかったっていうわけではない。あ、 [音楽] そういうわけではないですね。 昭和初期鳥吉の仕入れ先は帯広や同北のなろ周辺だった。豚肉を入手するには遠方まで足を運ばなければならず大変だったという。 [音楽] しかしロラン焼き鳥が豚肉である疑問は まだ残っている。江戸末きぐらいから牛と か豚とか馬とかを焼いたものを焼き鳥と 言ったんです。なぜかと言うと鶏肉は当時 高かったもんですからどちらかという と庶民には手が届かなかったんですね 。 大中所長は焼き鳥を研究して25 年になる人物だ。 立料時代に勝負店の辺りがですね、食べたらあかんですよ。 焼き鳥の歴史は縄文時代まで遡る。海塚から鳥の骨が出動しているのだ。 [音楽] ただア鳥時代に天務天王が肉食を禁止した が、人々は隠れて野鳥や鶏を食べており、 江戸時代の料理書には焼き鳥という記載 も明治時代になり、ようやく肉食の禁止例 は解かれたものの、鶏肉は庶民の手に届か ない貴重で高価な食材だったのだ 。そのため東京では牛や豚のを串焼きにし 、焼き鳥として売っていたのだ 。ところがそれがポピュラーになるのは 大正時代のまま関東大 震災その東京のえっとで食べた焼き鳥地方 に持って帰って広がるということはあった ようですね。 署長によると関東大震災後食料事情が悪化 。食材としての肉が注目され豚の焼き鳥が 人気になったのだ 。それが全国に広まり北海道にも伝わった のではという 。そして1960年代に入り、食肉用の ブロイラーが登場すると鶏肉が安価になり 、全国の焼き鳥は本来の鶏肉に戻っていっ たのだ 。そうした中、鉄鉱の町ム室ロランでは スタミナがつく豚肉が愛され 続け豚の焼き鳥として寝付いたのではない かと土田中所長は考えている。 にしいものがあればそれは自然にところに広がっていきますんで。 [音楽] では玉ねぎと辛しはどうなのか。 [音楽] うちも温した当時はずっと長年買ってました。初めから長根ところが札幌の方かな。あの辺で玉ねぎを作り始めてから安いでしょ。 玉ねぎので玉ねりかと では辛しは [音楽] お出屋さん来てますね。お出屋さんは夏は焼き鳥と焼き鳥やってて冬になおで作るんですよ。そこで両方出してるもんだからおでんのタレはある彼食べてみた。美味しいからそっちのに変わったですね。 ムロラン焼き鳥は明治時代から続く歌肉焼き鳥の文化を受け継ぎ独自の発展を遂げた唯一無の焼き鳥なのかもしれない。 [音楽] では調査結果です。 室ラン焼き鳥が豚肉なのは明治時代の鶏肉が貴重だった時代から続く豚焼き鳥の食文化が寝づいたからかもしれない。 田村さん 調べてみると日本の歴史で言うとやっぱ一般的には庶民は豚を食べてた文化があったんだってこということですね。そしてなんか鳥への憧れもすごく違ったような感じですよね。焼き鳥というもう料理名 うん。うん。 その食材が今回豚ですよみたいな感じですよね。え、私もね、昔あのちょっと厚めの 豚肉を焼いて 食べるのを理的って呼んでったんですけど、 あれはだからの豚だった。 わけですね。焼き鳥のじゃないじゃないからなんかそういうような感じで料理名みたいな感じでなんか捉えてたのかもしれないですね。うん。うん。 で、実は豚の焼き鳥は他の地域にも残っていまして、例えば山形県ですと佐江ですね。 だったり、あと埼玉県の東山、 そして福岡県の博多などにもあるということなんです。 うん。 で、私たに馴染み深いのがこちら函館の焼き鳥。これも豚肉ですよね。はい。で、どさんによりますと、これらは関東大震災の後全国に豚の焼き鳥が広がった時の名残りではないかということでした。 だからムロライン焼き鳥に、ま、明治時代から続くそういう深い歴史があるかもしれないということでしたけども、竹さんはどう見ました? え、なんか私ずっと北海道育ちなので焼き鳥って言ってこう豚が出てきてもあんまりなんかこう違和違和感なすんなり受け入れてた感じするんですけれどもラン焼き鳥って本当にやっぱりこの甘いタレとこの辛しの組み合わせがすっごく美味しくてやっぱりあのねあの鉄鉱で労働して疲れた方たちをこの美味しさで癒してたんだな すごい浮かぶなと思って今見てたんですけれども、あと玉ねぎなのもね、ちょっと豚の油がまたさっぱりしてうん。 よりこう 進んじゃうね。あの、実際ね、皆さんも食べたことありますけども、あの、お店に出てきた時にこう山盛でさらにもね、あの、何人も前て乗っけてくれるじゃないですか。最初これ食べれるかなと思うけど、意外とね、けちゃうんですよね。本と止まらないわけですけども。 はい。 んんこう消えつつある状況で例えばラもそういうなんかかこたら資料とか 何か、 え、文献があるわけでもないのでやっぱりしっかりとその北海道のね化を残してくってことも大事なのかなとも今回ね感じますね。 門介調査隊では視聴者の皆さんの疑問や地域の問題について調査していきますので是非投稿をお寄せください。 暮らしの中で感じた疑問や悩みはもす調査 体まで。チャンネル登録もよろしくね。
世永聖奈(HBCアナウンサー)
地元の歴史を調べたところ、新たな説が浮上しました。
室蘭やきとりの会
「がんばるぞ!がんばるぞ!!」
先月27日、室蘭市内の25店舗が参加する
『室蘭やきとりの会』が発足した。
“やきとり”なのに、豚肉とタマネギを串焼きにし、
甘辛いタレと、洋がらしで食べる、それが室蘭やきとりだ。
室蘭やきとりの会 中村卓也 幹事長
「面白さは”焼き鳥だけど豚”というところなので『豚肉の焼き鳥です』ということをどんどん発信していきたい」
さらに知名度を上げ、文化庁の100年フードへの登録を目指す。
それにしても、やはり気になる・・・。
依頼人(ラベンダーさん・20代・札幌)
「室蘭やきとりは、やきとりなのに、なぜ豚肉なのか調べてください」
さっそく調査員は室蘭に飛んだ。
調査員
「ありました!ありました!室蘭やきとりを発見しました!」
訪ねたのは創業35年の老舗、伊勢広。
室蘭では”やきとり”を注文すると、豚肉が出てくるのが、地元の常識。
伊勢広では、肩ロースを使用しているという。
では、なぜ豚肉なのか?
やきとり伊勢広 3代目 中村卓也さん
「日中戦争の頃に、軍人の靴を作るのに、豚の皮を使っていたが、その時に工場で働く人たちが、豚の肉が安く手に入るということで、居酒屋で提供を始めたのがルーツと言われている」
1937(昭和12)年)に日中戦争が始まった。
日本政府は、軍用の靴を作るため、豚の飼育を推奨。
鶏肉よりも安く、豚肉を入手できた室蘭では、
”やきとり”が鶏肉から豚肉に変わったという説が一般的だ。
ところが、いくつか疑問点があるという。
室蘭市教育委員会 谷中聖治 学芸員
「室蘭の統計上、養豚が、戦時中に急激に増えたという事実はないので」
統計データを紐解くと、戦前から戦中にかけ、
豚の飼育数に大きな変化はないという。
室蘭市教育委員会 谷中聖治 学芸員
「養豚の数とか漁業の数とか聞かれるたびに見ていたが、あまり変化はない」
さらに調査を進めると、思いがけない事実が。
鳥よし 2代目 小笠原光好さん
「室蘭にほとんど豚なんかいなかったから」
そう証言するのは、室蘭最古のやきとり店「鳥よし」の小笠原さん。
店の創業は、1933年と、日中戦争以前である。
調査員
「開業時は、どんな物を販売していた?」
鳥よし 2代目 小笠原光好さん
「鳥よしは初めから豚ですよ。精肉は高くて食べられないから、主にモツですね。おそらく帯広の豚だと思います。だって鶏がいないんだもん」
創業当初から、豚肉や豚モツを”やきとり”として提供していたと話す。
当時、値段が手ごろな”豚モツ”を、ほとんどの客が食べていたという。
つまり、戦争中に、鶏肉から豚肉に変わったわけでないようだ。
調査員
「室蘭には多くの養豚場があり手に入りやすかったわけではない?」
鳥よし 2代目 小笠原光好さん
「そういうわけではない」
昭和初期、鳥よしの仕入れ先は、帯広や、道北の名寄周辺だった。
豚肉を入手するには、
遠方まで足を運ばなければならず、大変だったという。
しかし“室蘭やきとり”が、豚肉である疑問は、まだ残っている…
やきとり文化研究所 土井中 照 所長
「江戸末期くらいから牛とか豚とか馬とかを焼いた物を”やきとり”と言った。なぜかと言うと、鶏肉は当時高かったので、庶民には手が届かなかった」
土井中 所長は、やきとりを研究して25年になる人物だ。
やきとり文化研究所 土井中 照 所長
「飛鳥時代に、聖武天皇らが『肉を食べたらいけない』という命令を出した」
やきとりの歴史は、縄文時代まで遡る。
貝塚から、鳥の骨が出土しているのだ。
ただ、飛鳥時代に、天武天皇らが肉食を禁止したが、
人々は、隠れて野鳥や鶏を食べており、
江戸時代の料理書には”やきとり”という記載も。
明治時代になり、ようやく肉食の禁止令は解かれたものの、
鶏肉は、庶民の手に届かない、貴重で、高価な食材だったのだ。
そのため東京では、牛や豚のモツを串焼きにし、
“やきとり”として売っていたのだ。
やきとり文化研究所 土井中 照 所長
「それが人気になるのが、大正時代の関東大震災。東京で食べた”やきとり”を地方に持って帰って広がるということがあった」
土井中所長によると、関東大震災後、食糧事情が悪化。
食材としての肉が注目され、“豚モツのやきとり”が人気になったのだ。
それが全国に広まり、北海道にも伝わったのでは…という。
そして1960(昭和35)年代に入り、食肉用のブロイラーが登場すると、
鶏肉が安価になり、全国の”やきとり”は、
本来の鶏肉に戻っていったのだ。
そうした中、鉄鋼の町・室蘭では、
スタミナがつく豚肉が愛され続け、
“豚のやきとり”として根付いたのではないかと、
土井中所長は考えている。
やきとり文化研究所 土井中 照 所長
「美味しいものがあれば、自然と色んなところに広がっていく」
では、タマネギと洋がらしはどうなのか?
鳥よし 2代目 小笠原光好さん
「鳥よしもオープンした当時は、ずっと長ネギを使っていた。ところが札幌でタマネギを作り始めて、安いでしょ、タマネギの方が。で、1950年ごろにタマネギに切り替わった」
では、洋がらしは?
鳥よし 2代目 小笠原光好さん
「おでん屋を知ってますね?おでん屋は夏は”やきとり”屋をやっていて、冬になるとおでんを作る。そこで両方出しているので、おでんのカラシに付けて食べてみたら美味しかったので、1950(昭和25)年ごろから変わった」
“室蘭やきとり”は、明治時代から続く
”豚肉やきとり”の文化を受け継ぎ、独自の発展を遂げた、
唯一無二の”やきとり”なのかもしれない。
調査依頼はこちら↓
http://lin.ee/pYvxEEm
https://www.hbc.co.jp/news/chousatai/
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3 Comments
室蘭の焼き鳥?は実家の函館に帰る道中に食べる事がありますが、美味しいですよね。(・ัω・ั)
白鳥大橋を眺めながら休憩中に食べるのが我が家の定番です😊
焼き鳥といえば道央の美唄市も有名ですよね😊
埼玉の東松山は洋からしじゃなくて辛子味噌つけるんだけど、あれはあれでうまい。
あちらさんは食肉処理場があったから比較的安く手に入った豚のカシラ肉での焼き鳥になったっていってるね。
アレルゲン表示の問題で食品衛生法だったり、名前と中身が違うということで景品表示法に違反してるって行政に怒られたりして😅