兒玉遥さん ⒸKyosuke Azuma
アイドルグループ・HKT48の1期生として活躍し、「はるっぴ」の愛称でファンに親しまれた兒玉遥。だが、2017年に躁うつ病を発症して休業。その後、闘病生活は2年以上に及んだ。「絶望の底でも、もう一度、光を選ぶことができる」──。いま、うつを卒業し、芸能界復帰を果たした兒島が当時のつらかった日々を振り返る。
(*)本稿は『1割の不死蝶 うつを卒業した元アイドルの730日』(兒玉遥著、KADOKAWA)の一部を抜粋・再編集したものです。
自分の感情がコントロールできない
はじめまして、兒玉遥と申します。博多を拠点とするHKT48というアイドルグループの1期生として15歳から7年間所属、22歳でグループを卒業して現在は俳優のお仕事をさせていただいています。
私は20歳の頃に双極性障害と診断されました。これはいわゆる「躁うつ病」と呼ばれている病気です。この病気を患ったことで活動が思うようにできず、21歳からの2年間、お休みをいただいていました。
うつの症状がひどい時期は、不安、不眠、過食、さらに頭が混乱し話のつじつまが合わなくなったり、ひとりで話し続けたりする「せん妄」も出て、半年ほどはベッドから起き上がれないような生活でした。
家族ともまともに会話ができず、お風呂にも入らず、ただただいなくなってしまいたいと思い続ける。ここまでの症状になると完全回復はかなり難しく、お医者さんには以前のように元気になれる可能性は1割程度、とまで言われていました。
けれど28歳の今、私はこうしてみなさんとお話しできています。お仕事をしたり、友達と会ったり、生きていて楽しいと思えるようになり、心から笑うこともできます。一般的には「治癒した」そういえる状態にまで、戻ってくることができました。
自分で自分の感情がコントロールできなくなったのは、HKT48のメンバーとしてデビューしてから4、5年ほど経った頃からだったと思います。
最初は、朝起きてライブやイベント会場に向かおうとすると身体が重い、ということから始まりました。疲れが溜まっているのかな? 少し休めば大丈夫かな? と思いつつ、身体の重さとともに、日に日に不安感が強くなっていきます。
この「不安感」とは具体的には「自分は怠けているのではないか」とか「自分はHKT48のメンバーに相応しくないのではないか」というもの。とにかく内向きな考え方しかできず、自分に自信を持てない状態がずっと続いていたのです。
けれど朝どんなに不安でも「仕事に行かない」という選択肢は私のなかにはなかったし、きっと働いている人なら誰でもそうだと思います。とにかく仕事場に向かえばなんとかなるはず、そう言い聞かせて毎朝、福岡市の自宅や、東京のビジネスホテルを出ていたのを覚えています。
一方で、アイドルとしていざステージに立てば、日常ではけっして味わうことのできない恍惚感があって、握手会では多くの人に応援してもらえて、「もっとアイドル活動を頑張りたい」「歌って踊るのって楽しい」とも思っていたのです。
日々感じる不安感は、自分がまだまだだから。もっと努力して自信をつけて「本当のアイドル」になれたなら、きっと消えるものなんだ、そういうふうに考えて自分を納得させていました。
けれど、さすがに苦しいなと感じはじめたのは、眠れなくなってからです。