【千葉ジェッツの英雄】日本バスケの歴日とか色々聞いてみた#bリーグ #クーズ男 #bジョの彩香 #千葉ジェッツ #小野龍猛#京都ハンナリーズ
で、中になって、で、そっからなんかすごく急に強くなってあれよ、あれよってうちに全国大会も出ましたね。 え、すご。 ま、優勝とかしたんすけど、天皇杯も優勝して、そのリーグも優勝して、ま、もちろんコートに出れなくて でも、ま、悔しいというか、なんで出れないんだろうなみたいな。 美女のや川ポッドキャスト本日のゲストは小野龍モ選手に来ております。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 はい。結構ね、B リーグの前からいらっしゃいますし、結構いろんな経験、深いお話ちだなと思って今回はお呼びしていますので、最近のね、 B リーグを知ってる方でも、あ、昔ってこうだったんだみたいな、今こんなに人気だけど、まだ当時はね、今ほどではないとこもあったと思うので、その辺りとかを是非お聞きできればなと思います。 はい、わかりました。 はい、じゃあちょっと、彩佳さん開幕の一言。 ええ、 そんな、 え、ど、どういう、え、 そんな 編集で切るから一言し 行きましょう。行きましょう。 でも、え、楽しみです。 はい、よろしくお願いします。では参ります。 ではまず小野選手のキャリアから聞いていこうかなと思います。 はい。 えっと、バスケ始めたのはいつ頃になりますかね? 11すね。11。 うん。 うん。だから僕もそうなんですけど、八村とかと同じですね。小学校ミニバスやってないみたいな。 そう、そう。僕はずっとサッカーやってましたね。 ああ、そうなんすね。 はい。サッカー選手になりたくて はいはいはい。 で、幼稚の頃から小 6までずっとサッカーやってて へえ。 で、兄が、え、バスケットやってたので、 で、なんかその中学に行くタイミングでじゃあなんか俺もバスケットやろうかなっていう風になったわけ。うん。 うん。うん。うん。うん。 だからサッカーのその当時入ってた地元のクラブ入ってたんですけど、その時のコーチにも止められましたね。せっかくこんなやってて、ま、結構うまかったんで うん。うん。うん。うん。 もったいないみたいな。で、中学からバスケット始めました。 なるほど。もう当時から結構体の方は大きかったですか? いや、全、あ、でも中 1の時に163c ぐらい あ、まあまあまあ後ろの方すよね。並ぶと。 でもま、僕より全然かいやつましたし。 うん。うん。うん。うん。 じゃ、別になんかすごい大きいから誘われたってみたいなパターンじゃないってことですよね。 もう全然兄がやってたからだ友達もやってたし うんうんうん。じゃあ俺もやろうかなっていう感じで始めました。 なるほどなるほど。えっとで中学校は立教中学校 はい。これ埼玉の中学校なんですけど。 そうですね。ニー座 僕その小学校が立教の小学校なんで ええ なんそのまま上がってくみたいな感じなんですけど うんうんうん。エスカレーターで はい。 でもその時は立教から池袋中学と新座中学にれたんす。 [音楽] うん。ふんふんふんふん。 本来は立教小学校行って立教池袋中学校行ってで新座高校行って大学なんです。 うん。うん。うん。うん。うん。 で、僕の時に新座中学と池袋高校ができてこう横にこう斜めにで最後また出会うみたいな。 その新座中学の一期生なんですね。ここ。 ええ。あ、そうなんですね。はいはいはい。 それで1 年生しかいないし、ま、あと上は高校生の先輩たしそんな感じですよね。最初は中 1からバスケ てことは先輩 いないんすよ。 ああ、そうすよね。 高校のま、先輩つうのかな。もうお兄さんたちしかいなかったんで。 うん。うん。うん。うん。うん。 だから中学校本当に1 年生だけだったんで先輩っていうのはなしないっすね。 ええ。これそ珍しい経験ですね。大体そこ上下関係を学ぶ的な。 で、みんな結構高校生だからお兄ちゃん的なもうなんか友達なんですね、みんな。 うん。うん。うん。うん。うん。 だから全然なんか敬語とかもないし。 うん。 兄もいたんで、その時に高校に うん。うん。うん。うん。 ま、兄のみんな知り合いとかだったんで、もう本当にうん。なんか上下関係っていうのはなかったですね。 [音楽] あ、もうじゃ、ちゃんとなんか、ま、スムーズに可愛がってもらったみたいな。 あ、そう、そうです。そうです。そうです。 はいはいはいはい。でも、ま、試合出る時は中学生だけなんで、ま、なんか 1 年生さすがにちょっと厳しかったですよね。 いや、もう全然そうすね。 全然勝てなくて。 うん。うん。うん。 でも結構練習相手が高校生がくれるので。 あ、はいはいはいはいはい。強度は高い。 全然もう中学1年生の時はも全然ダメで うん。うん。うん。ま、もちろん2 年生になってもやっぱね、そんなうまくいかずにで、中 3 になって、え、ま、うちの顧モの先生が結構埼玉で偉い先生でそれでなんかいろんな強い競合中学となんか練習試合を結構やってて、で、そっからなんかすごく急に強くなってあれよ、あれよとうちに全国大会も出ました。 え、すっご3年生でいいなり そうそうなんだからあれはなぜ出れたのか今でも謎なんですけど。 す、すごいスラムダンクですね。赤字 3年生でいいなり全国みたいな。 いや、本当し。 全中出ちゃって、ま、もちろん強くて、あの、全国で勝てなかったんですけど うん。 ま、でも関東でもベスト4入ったんで すごい。 そこは中学の1 番の思い出はそこですよね。 うん。うん。うん。ま、元々高校生とやってたって強度も高かったとかもあるですよね。 うん。そうすね。なんか色々な他の高校のなんか練習事合とかやらしてくれてたんで うん。 おっしゃる通りその強度は強かったかもしれない。 うん。うん。うん。うん。なるほど。ありがとうございます。 じゃ、結構中学校は特殊な環境で過ごして、ただ高校は国学院山は、 ま、スポーツ名門校でかつ、ま、分部領の高校ですよね。 その、ま、全部兄が関わってんですけど、その時に兄が中央大学と、で、その中央大学の監督がその中さの僕を見て中央大学入りたいならその山に行ったらなんか、ま、その取りやすいとかリクルートしやすいから行くならそこかな、そこ行けばみたいなこと言われてでも別にそんなま、前中出たすけどそこまでそんなバス熱いやそこまでしてっていうんだったんです僕は当時 [音楽] はいはいはいはい でもま親がせっかくそう言ってくれるならま行けばみたいな山行ってやってみればう うん。うん。うん。 ていう話で行ったんですけど、ま、もちろん高一行って、ま、やっぱ、そこで上下関係を知るというか うん。うん。うん。うん。 もうね、いきなり敬語やっぱ敬語ですし うん。うん。うん。 そっから本当にはそういう上下関係を知りました。山行ってから。 あ、そうですよね。え、そっちはスポーツ推薦ですか?受験。 あ、もスポーツ推薦で行ってはい。ま、いろんなスポーツ水薦のやつが同じ組なので。 うん。うん。うん。うん。うん。うん。 津山って男女別学なんです。 [音楽] 男子と女子党みたいな。 はい。はい。はい。はい。 立教にいたんで僕ずっと男子なんですよ。だから あ、なほぼほぼみたいな感じですね。 あ、もうだから何も違和感なく普通 行けました。 なるほど。ありがとうございます。ちなみに今って結構体もう 2mないぐらいじゃないですか?1967 くらいの身長だと思うんですけど。体っていつ頃から大きくなり始めました? え、中2の164で中1に入って中2で 185ぐらいになったんですよ。 ああ、もうそこでだ。うん。すごい成長痛そうだな。 で、そっから中で 190ぐらいになって うん。うん。うん。 で、高校生で94とか90うん。うん。 そっからそんなこんな感じですね。うん。いや、小野選手ってもうシューターじゃないですか? ま、そうっすね。 でも結構そこのタイミングでその 190 とかあればインサイドをやらされそうなイメージもあるんですけど、そういうことはあんまなかったですか? いや、めちゃめちゃインサイドやってました。もうあのポストプレイが得意なのではい。うん。うん。うん。もう 高校の時にずっとこうポストプレイばっかやってました。 うん。うん。うん。うん。 で、高校ではどういったキャリアというか、ま、結果残したみたいなのを聞きたいです。 高校は、ま、もちろん全国には高校 1 年生から一応ベンチには入って、ま、全国大会インター杯とか、え、ウィンダーカップも出てるので うん。うん。うん。 ま、別に全然あのダベージタイムというか最後の最後に、ま、勝ってて出るみたいな。まだ 1年生だった。ま、そんな感、1 年生の時はそんな感じでしたね。ま、一応ベンチ入りはしてたけど、ま、最後の最後にちょっと出る、たまに出るみたいな。 うん。うん。うん。うん。だから1 年生の時は本当上下関係を初めて知り、ま、色々こう、ま、辛くはないですけど、ま、新たなこう世界に入ったっていう感じ。 うん。うん。うん。うん。うん。 大人の時に、ま、なかなかこう新戦とかで、ま、なかなかうまくいかなくて、ま、それでもなんかこの関東の演でばんか、ま、うまい選手というか、ま、有望な選手が集まるみたいな、ま、代表のセレクションみたいなのがあるんですけど、 ま、そこに呼んでもらって、で、そっから高の最後のその代表候補まで残ってアンダー 18 の、ま、入れなかったんですけど、ま、そこが僕のこう天気というか、なんかそこですごく刺激やっぱ全国のうまい人たちからの刺激もらっ かって感じしましたね。 で、降参最終学年と、 ま、公認の時に、ま、全部もちろんインター杯は出れなかったんですけど、え、国体で優勝して全国優勝して で、 ウンターでベスト8 入って、で、ま、高さも順頭すよね。もうずっと代表のそのセレクションも呼んでもらってたし、ま、インター入ってで、また国体も 2 連覇して、で、ウインターカップもベスト 8入ってっていう感じですね。 うん。うん。 じゃ、結構高校生の頃は純風満パンって言っちゃっていいんですかね?エリートバスケキャリア。 ま、そうっすね。ま、そうかもしれないね。 うん。うん。うん。うん。そこら辺で代表経験とかってどんな感じでした? は、もうアンダー18 は入ってましたけど、その僕の年に大会がなかったので、 ま、別にそういうただ表入ったっていうだけというか、高校の時はそんな感じですね。 [音楽] うん。うん。うん。うん。うん。うん。ありがとうございます。 で、そこから、ま、お兄さんも多分所属されていたですかね、あの、中央大学 はいはいはい に入学されるというところで、こちらもま、あの、有名なところで言うと竹内兄弟が多分 4年生の時いらっしゃいました。4 年生僕が1年生の時にその世代が 4年生ですね。 ですよね。ですよね。兄弟ですね。 実際どうでした?関わりとかありました? ありがたいことにその交参が終わってすぐにその大学生の代表のキャンプに呼んでもらって大学 1 年の時からそういうのに選んでもらって結構国際レスタンス試合とか代表入れてもらってなので関わりもそっからよくずっと仲良くて [音楽] で大学2年生の時に彼らがま社会人 1年目すよね うんうんうんの 時にあのユリバーシアードにも選んでもらって大学生の うんうんうんうんうで、ベスト4 入ってそこで うん。うん。 ていうのはありましたね。 なるほど。ありがとうございます。いや、そうですよね。名門中の名門大学でそこでのじゃあキャリアもお聞かせください。 大は本当はそんな行きたくなくて。 あ、そうなんすね。そう。 その時2部で ああ、そうなん。はい。ええ。はいはいはい。 そうなんすよ。で、ま、要は中央大学に入りたいなら山行けっていうのをずっと言われてたから うん。うん。うん。 その監督はもう僕が絶対に入ると思ってたんですよね。 うん。うん。うん。 でも僕はその、ま、どんどん活躍しちゃって、他の大学もいっぱい来たんで うん。うん。うん。 ま、なんなだったら強いチーム行きたいってなるじゃないですか。 はい。 ま、でもその約束があるしていのを親に言われ、 もうなくなく行ったんですよね。 うん。うん。ちょ、気持ちも変わっちゃってたと。 そうなんですよ。 うん。 まあ、でも、ま、入ったらもうなんです、もう 2部から1 部に上げればいいかっていうマインドにはなってたんですけど。 うん。うん。うん。 まあ、でも最初はそんな感じでしたね。 で、1 年生から、ま、試合出してもらって、ま、ずっとスタメンで、で、 2部で得点を取って、 1年生の時、 うん。 で、2年生の時に、え、 2部から昇格して 1部に上がったんですよ。 うん。うん。じゃ、次の年に、僕は3 年生の年に1部になって うん。うん。うん。うん。 でも3 年生の時は僕その前十字切っちゃって あら。あ、そうなんですね。 はい。で、1 年間何もやってなくてうん。うん。 で、4 年生で、ま、また復帰して終わりって感じですね。インカレムベスト 8行って終わりてかね。 はい。 じゃあ、もう入学投初描いていたマインドは、ま、一応怪我とかも経験されましたけど、実現には至った。ま、 そうね。はい。 はい。はい。素晴らしいですね。ここまで何も挫折がない。 そうすね。うん。 あ、ところあったと思いますけどね。 ま、怪我も別になんかまあしょうがないっていう感じだった。そんな うん。うん。 ま、メンタル的にも何もやられず うん。うん。うん。うん。 ましたと。 ありがとうございます。 はい。で、ま、そんな感じで大学生活 終えまして、で、次のキャリアがもうプロっというかトヨタ自アルバル当 そうね。JBLかな? JBLの放題はい。 で、ま、その時に契約社員か本社員って言って、ま、 うん、うん、うん、うん。 普通にトヨタの社員で働きながらやるのか、ま、契約社員ってそのもうバスケだけやる。 うん。ああ、なん、契約社員って形だったんですね、当時。 はい。 で、ま、契約社員でも月に 1 回その、ま、部に一応配属してる形になるので うん。うん。月に1 回その会社の皆さんとこうコミュニケーション取ってたりするっていうのはしてましたね。 うん。うん。うん。うん。うん。うん。 それはなんかどういった経緯っていうか、ま、アルバルク以外もあったと思うんですけど、なんでそこのアルバルクにしたのかっていう。 まあ、やっぱ、ま、地元も東京ですし うん。うん。うん。 ま、やっぱこうブランドにね、 やっぱトヨタ自動車っていうのに聞かれてうんうん。うん。そうですよね。 行きましたね。そこは決めました。 うん。結構もうそれはもう何個、何チームからかオファー上がって選べる立場みたいな感じだった。 そうですね。まあ、え、2、3 チームから、ま、声かけていただいてのはい。 1つね。 うん。うん。うん。うん。うん。ありがとうございます。 で、そう、ちょっと今僕もスタッツの方をね、昔の確認しながら見てるんですけど、結構こっからプロキャリアが相当長いんで、あの、 1 シーズンことに深りしすぎると終わんないんでポンポンポンポン行ったいんですけど、ま、まずこのトヨタ全体のキャリアは どうでした? は、正直 うん。 え、全く出てません。 あの、1年目も2年目3 年目もなんか出れずにあの本当に、ま、優勝とかしたんすけど、天皇杯も優勝して、そのリーグも優勝して、ま、その優勝した場にはいたんですけど、ま、もちろんコートに出て、出れなくて でも、ま、悔しいというか、なんで出れないんだろうなみたいな、その自分には自信があったし、なんで出れねえんだろうな。別に練習中もそんな悪くもないし うんうんうん。 ていうのがすごくありましたね。 そこでのキャリアってなんかこう多分自分の上にいい選手がいたとかぶち当たったなんか原因とかま今なんで出れないんだろうっていうマインドだったと思うんですけど今を振り返えるとなんかこういう選手いたなとかあります? Gチーム内 までも竹内幸介もいるし うんうんうんうん あとはその前高橋前池とか うんうんうんうんうん 結構タレントはいっぱいいるんすよ裕介とか小中た うん など伊藤大使 おすごいすごいすごいすごいその時代のも そうなんすよ。松井十郎。 もうすごい。KJさんも KJもたしでジェフギブスもいるし。 あ、すっげえな。今のオールスターベテランオールスター組めました。 いや、そうなんすよ。 はい。 ま、そういうメンバーたちばっかだったので、ま、もちろんね、選手とは暑いし、それでも、ま、出れる自信も、試合に出れる自信もあったし [音楽] うん。うん。うん。 なんかそういう意味ではそのブレズにはやってましたね。あの、ま、試合に出てないけどこのメンタルはブレズにやってました。 [音楽] うん。うん。うん。うん。うん。 なるほど。ありがとうございます。 で、次アルバルクの次が結構長く在籍することになるチバジェッツですよね。 そうですね。チバジッツは長くましたね。結果的には 7 年ぐらいですよね。8年ぐらい。 7年。7 年いましたね。ま、でも本当にジェッツに行って自分の人生が変わったと思ってるんで うん。うん。うん。うん。うん。 ま、すごく自分でもいい決断をしたなっていう。 遺跡の時、そのアルバルコをやめる遺跡しようって決めて、ま、何個かお話だいた中でジェッツが 1番最初に来たので、その当時でも BJからそのNBLに上がる うん。うん。うん。 唯一そのジェッツがBJを抜けたんすよ。 BJリーグでNBL に上がるっていうタイミングで声かけていただいてじゃ行こうってなりましたね。 うん。うん。うん。うん。1 番の、ま、その入って転換期だったと思うんすけど、この年のこの出来事、ま、出来事じゃなくですけど、こうシーズン通してこれが自分の中でのバスケキャリアの天気だみたってのありました。 でも本当に言いましたけど、そのジェッツ入ったのが 4連勝ぐらい、いきなり最初 4連勝ぐらいして うん。うん。うん。 で、そこで多分その 4 試合ぐらいでそういうタ分の点数取って積む。 うん。うん。ええ。はい。はい。はい。 そんぐらいの勢いだったんで。 はい。はい。 だからもうそこでも逆に言うとやっぱこう自分を証明できたっていうのがあったので うんうんうん ま逆にそこが天気かないその 4試合が なるほど。じゃあもう結構全盛紀って言っちゃっていいんですかね、その時代が。 うん。そうですね。まあ20 うん。そんな感じですかね。ま、全盛紀。 うん。ありがとうございます。あ、ちょっと勉強不足が申し訳ないですけど、ジ代は優勝してましたっけ? 一応天杯は3連覇3 連覇お はい。Bリーグになって3連覇してで2 年目と3年目で決勝は行ったんすけど、 2年連続で。 うん。うん。 ま、負けちゃってアルバル B リーグのチャンピオンにはなったことないですね。 うん。うん。うん。うん。うん。ちょっとこれ本当にお聞きしたかったのが、ま、僕もちょっと日本バスケの歴史を調べたことがあって、この 2010 年代中盤って日本バスケが最も明した時期だと思ってるんですよね。 うん。うん。うん。 そこをど真ん中経験されてるの小野さんだと思うんですよ。 そうですね。あの国際大会出れないとか。 そうです。そうです。そうです。で、B リーグができる始めのタイミングの時で、ちょうどそれがジェッツにいる時期なんですよね。 はい。そうですね。はい。 結構いる側の人間としては影響とかありました? いや、それがそんななかったんすよね。 ええ。あ、スムーズだったんすね。 うん。意外とその、ま、その連盟同士がな、なんかちゃんとうまくやんないと国際大会に出れませんみたいながありましたけど、なんかそれでもやっぱ、ま、自分たちはね、やらなきゃいけないし うん。うん。うん。 ま、だから別にそこでなんか混乱っていうのはあんま、ま、やってる僕は全然なかったです。 うん。あ、じゃあまあ上の人たちがなんかやってんなみたいな。 そう、そう、そう、そう。 でも、まあ、代表経験もまある小野選手からすると、ま、自分がもしかしたら代表選ばれたいって思いがあった時に出れないのみたくなるじゃわけじゃないですか。 そうですね。 そん時の感情とかって覚えてます?え、な んだろう。 でもその時にちょうどなんかその国際大会云々の時に一応いたのかな?いたかいたと思うんすよね。 201 そうすよね。なんかちょに選ばれてますよね。 はい。でもそんな実は うん。うん。 そこまで最初入った時はそんな影響はなかったすけどあるかもしんないし、ま、やらなきゃいけないし、画宿はね、絶対あるし。 うん。うん。うん。うん。 まあ、なのでそこまでそのちゃんとやってくれよぐらいな感じで、ま、代表普通に合宿やってましたね。 うん。まあまあまあまあまあ、本当選手たちはそういう形だったみたいな。 うん。うん。なんかそこまで、ま、もちろん上の人たちのそのすごい大変さはあって、ま、選手はやっぱうん。切り替えてやるしかないというか、ま、本当確実決まったわけじゃなかったし、出れないって準備はしなきゃいけないと思っ [音楽] うん。うん。うん。うん。 なんでずっと準備はし続けてましたね。 ありがとうございます。 はい。 いや、結構貴重なお話ですからね、これ。 本当時のこと話して話してる人がいないんだと思った。いぶないすか? うん。じゃああと聞きたいのがえっとま、ジェッツも今でこそ超人気球団じゃないですか?なんかちょっと野球の巨人見たくなりつつあるみたいなとこもあってよね。 [音楽] 当時のジェッツって、ま、戸橋選手が美張ってたレベルみたいなも聞いたことがあって おお。はいはいはい。 この野選手はだってもう13 年からもうそれ前にいるじゃないですか、都さに。 そうですね。勇気が入る 2年前にましたね。ですよね。当時って B リーグになる前どういう状態だったんですか? いや、それこそ僕が1年目そのNBA のジェッツ入った時も、ま、毎週、毎週でもないけどビラ配りしてましたし ああ、うん。そうですよね。 ま、もちろんその最初はトヨタから入って練習がね、あったところから、ま、いろんなとこきする練習になったので うん。うん。うん。 あの、すごくそこは大変でしたし うん。うん。うん。 ま、練習終わって、ま、イベントが午前中あって、その間に練習して、で、その後また夜駅で配りっていうのをすごいやってましたね。 すごいな。もう今考えられんないですからね。 B1の選手だったら。 確かに考えられない。 もうだ、手待ちとかが来て。そうすね。も本当にあの、その、それこそ最初 20連敗したり へえ。 もう本当にお客さんも 1000人、1000人ぐらいですかね。 うん。うん。うん。うん。うん。 なんかほぼ関係者じゃねえかみたいな。 そう、そう、そう。で、なんかスタンディングエリアそのジェッツのなんかゴール下ぐらい立って応援できるエリアがあってジその当時うんうん。 ま、そこでコアのファンの人たちが、ま、応援してるっていう状況でしたね。 うん。うん。うん。うん。まあ、今はもうジェッツ所属ではないですけど、こう、今ラアリーナできて、 ま、見られたことあります?ラでプレイしたことあります? やりました。やりました。 やりました。やりました。京都で。うん。 いや、もうなんかごめんなさい。すごい抽象的に聞くんですけど。 ど、どういう気持ちっていうかなんかそのそれを経験してるからこうそのララって考え深すぎやしないかと思って [音楽] いやだからもう僕そのもちろんこうどんどん大きくなってったんですよ。 ジェッツ自体も うん。うん。うん。 ま、それってなんていうか、やっぱ天皇杯優勝してから多分増えたんですよね。 うん。うん。うん。うん。 すごいま、もちろんあのいい選手も入ってきてで、その選手たちも美配りしながらその仕とされながら うん。うん。 練習や受け取ってもらえない時いっぱいいますからね。 うん。ま、でもそれを頑張ってこうどんどんどんどんね、あの強くなってて天皇杯優勝してめちゃくちゃお客さんが増えてのが僕はジッツの天気だと思ってるんで うんうんうんうんうん やっぱ優勝したらなんかこうとお客さんの入りもすよく多くなったなっていうのは印象でそっからまもちろんそっからずっとこう強くま競合になって ま親会社も変わったりしてまそっから本当にジャイアンツみたいな感じにな ね、なっちゃって うん。 で、ラアリーナね、できて、練習もできて うん。 ま、本当でかくなったなって思すごいですよね。そこのも編成を全て経験してますからね。 [笑い] なんかだからあんまなんか今の、ま、ジェット自体は好きですけど、ま、昔みたいに、ま、地域球団じゃなくなったのが僕悲しいすよね。 ああ、なるほど。ありがとうございます。じゃ、ちょっとジェッツの話は一旦ここで切らせていただいて。 えっと、ま、コロナ禍っていうか、ま、 2020年 新種に移籍しますよね。 うん。はい。 これはなんかこう、ま、7 年くらい在籍者を離れようと思った理由とかってあります? は、ま、やっぱ自分のこうキャリアの中で、ま、浮き沈みもありますし、一旦この場所を変えてみようっていうのもありましたし うん。うん。うん。 ま、その時にちょうどこのと契約が切れたのでじゃあ移籍しますということで、ま、 B2 で優勝したのかな、その時に新州がで、そっから B1 に上がった年で、ま、その経験とか逆になんかその自分がジェッツから、あ、アルバルフからジッツに入るように似てるな、そのやりがいを感じたので。 うん。うん。うん。うん。 ま、じゃあそのちょっと新州に行って、ま、コーチのバスケットもきっちりしてるし、 [音楽] ま、ちょっと面白そうだなと。 と思ってでじゃ新手に行こうってなりました。 うん。うん。うん。うん。うん。で、ま、新手は結局 1年だけなるわけ。1 年だったさ。もうちょっと長野が合わなかった。ちょ、それ長野って言っていいんすか?そ、大丈夫ですか? [笑い] いや、長野というか、ま、やっぱこうな、何つったらいいのかな? シティボーイだった。 ま、そうなんすけどずっと東京生まれで めちゃくちゃね、中のめちゃくちゃこの自然が溢れて うん。まあ、うん。 いいとこなんすけど、めちゃくちゃ綺麗だし、俺の裸には合わなかったっすね。 うん。うん。うん。うん。うん。うん。うん。 ていう感じすね。中の。 ま、あとはなんかそのバスケットもなんか、ま、コーチとのこうまく うん。うん。うん。 あれもなく、ま、別に仲が悪くなったとかじゃないですけど、バスケットがちょっと、ま、自分のスタイルに合ってないかなっていうのを感じしまったので大籍しますってなりましたね。 でも全然プレータイムは少なくなったね。 こっから、ま、全然少なくないすね。 うん。うん。うん。うん。で、富山に次のシーズン移籍するっていう。これはまたなぜ選んだっていうか。 [音楽] これは単純に、ま、知ってる選手が行くってなって うん。うん。うん。 仲のいい選手が行くで、中のいい選手もいたので、ま、じゃあなんか楽しくやりたいなと思って逆に うん。うん。うん。ま、もう、もうベテランというか、ま、 30代も入ってるシームみたいな。 を所属してるチームに支たら楽しいじゃんっていう感じで仲いい人とま、またバスケやりたいなっていう感じで富山行きましょうね。 うん。うん。うん。うん。うん。ま、でもちょっとあのごめんなさい。失礼な話。あの、長野とあんま都会指数で言うと変わらない。 うん。そうなんすよ。 だけど富山ってめちゃくちゃ住みやすくて ああ、富山あったんすね。 うん。で、正味全然なんかご飯も 美味しいですよね。 海の立ち うん。 もやっぱ美味しいですし。 なんかそういった部分では、まあ、富山まだいいなっていう、ま、雪がすごくて うん。うん。うん。 それだけはちょっと、ま、やっぱやっぱシティボーイからしたらそんなないんじゃないか ですよね。 雪なんだ。 いや、ま、長野から変わらずの雪ですよね。 そう、そう。長野はね、長野の方が寒いんすよ。長野凍るんすよね。やっぱあの、 あの、道とかがそれの恐怖ありましたけど。 うん。うん。 富山はただただこう練習に向かう時にこう雪を下ろすのがあ あ、車とかね。うん。 うん。大変だなっていうのはあります。 はい。僕も札幌出身なんで非常にお気持ちわかります。はい。雪国の辛さはでここの富山 3シーズンぐらい3 年はい。3年いました。 はい。はい。はい。で、ここでも結構ね、こうベテランとして出場機会を得まして どうでした?この3年は。 は、え、ま、うーん、 1 年目はその格とかなかったので、入ったとしては、ま、全然こう、うん、うまくあのバランスを取りながらやってて、で、 2 年目にこうやっぱこうまく勝てなくて、ま、ヘッドコーチの交代とか うん。うん。うん。 あって、ま、最後の最後にしっかりと勝てて、ま、残留できたんですけど、で、 3 年目の最後は、ま、その時も、ま、なかなかこうまくね、 あの、ま、バランスを取りながらやってたんですけどうく。 行かず2 部に攻学してしまったって感じですね。 うん。うん。うん。うん。 別に富山のそのスケ、ま、もちろんそのビツに落ちてしまったことはあの残念なんですけど、ま、でも 3 年間通して、ま、自分らしさがこう出て出た時間も多かったので、ま、良かったなと思います。して、 これも結構ちょっとぶっ込んで聞きたいんですけど、今回初めて高格を直に経験した選手お話聞いてて、小野選手に うん。うん。うん。 その時の空気感ってどんな感じでした?ま、いいものでは絶対ないと思うんですけど。 ま、本当に勝てなくて うん。うん。 でもすぐ試合はやってくるし うん。うん。うん。 ま、何をこうね、やっぱその高学でやっぱ 1 つになるっていうか、ま、外人選手含めてコミュニケーションだったり、若手選手含めやっぱメンタルの持ってき方の重要さだったり、ま、若手選手は正直勝ってないからやっぱね、へこむんですよ。ま、 [音楽] はい。 逆に僕からしたもへこんでる暇ない。 うん。うん。うん。 試合があるし勝たなきゃいけないし。 うん。うん。うん。 でも外人選手もなかなかこうまくコミュニケーション、ま、取れれる人は取れるし、ま、なかなかうまくこの外人選手もうんてなってたので、ま、なんかそのバラバラになってた感はありましたね。 [音楽] うん。うん。うん。うん。うん。 で、落ちてしまった原因が、ま、なんとなくやっぱチームは 1 つになれなかったっていうのはあります。 ま、やっぱりこう通してこう広角戦というかなんかまシーズン通してのこうグダグダ感の連鎖というか がまもう満してたみたいなイメージ いや、そうですね。もう不の連鎖で終わっちゃったって感じですね。のまま終わってしまったみたいな。 うん。なるほど。で、ま、そこら辺をこう 2024 年まで経験されて、で、昨シーズンは B1京都ハンナリーズ。 はい。はい。 はい。こちらはどうでしたか?ま、選んだ理由とかも合わせてうん。 ま、選んだ理由はその時の GM と、ま、一緒にトヨタでやってたので渡辺なので、それで誘っていただいて、ま、ちょうどそのベテラン僕と同級生のベテランも来るってベテラン選手の仲いい選手も来る で、またなんか、ま、またあなたのチャレンジじゃないですけど、なんか街的にも引かれてうん。うん。うん。うん。うん。 いや、なんか京都って1 回住んでみたいな。 ま、もちろんでも知ってましたし、ま、ず戦ってる相手なので、 ま、どういう選手がいるかも知ってるし、ま、逆にその、ま、毎回こう新しい気持ちてかそういうチャレンジで言ってるので僕は うん。うん。うん。 なのですごくこうワクワクしながらはい。来ましたね、京都。 なるほど。なるほどなるほど。で、ま、京都の方だと、まあ、今年に関してちょっと失礼な話とそこまでこう競豪ではなかった。うん。あ、 まあ、でも一応そのと先シーズンは一応 33位かな。西区3位だったので うん。うん。 まあ、いい大きくこう薬心はその去年は良かったかなとは思いましたけど、まあまあなかなかね、やっぱ目標としては CSだったので うん。うん。うん。うん。 ま、そこに届かなかったのは悔しいですけど、ま、でもこう徐々に徐々にこういいとこも悪いとこも出てきたシーズンだったので、ま、うまくこう噛み合えばもうちょっとうまくいけたかなっていうのがあったんですけど うん。うん。うん。 ま、なかなかこう、序盤で噛みえず、ま、最後の最後でこうどんどんどんどん良くなってたかな感はありました。 うんうんうんうんうん。ま、僕も、まあ、言うて昨シーズンから Bリーグ見始めてるんですよ。ずっと NBA 応援してて。で、ま、結構昨シーズン選手も勉強したんですけど、ま、やっぱ京都と岡田選手まして。 うん。そうですね。 ま、ラキから島根ですけど、 岡田選手とかま、どうでしたって言ったらですけど、ま、得典王をですよね。日本人なのかも結構得点な上でうん。 うん。 ま、スキルはね、ありますし、もうバスケ大好きだし うん。うん。 ずっとこう自主連もね、ずっとやってるタイプなのでうん。 ま、もちろんこうスペシャルな選手ではありますね。ま、本当美術面に関しては何も問題ないんじゃないかなとは思います。 うん。うん。うん。うん。うん。うん。ありがとうございます。 はい。 で、来野選手自身も京都継続 はい。継続です。 はい。 で、えっと、ま、来シーズンに意込みって言うとちょっと、ま、みんなね、頑張ろうって感じであるんですけど、なんか来期に向けて成し遂けたいこととかやってみたいことありますか?え、まあ、まあ、もちろんもうこう優勝ねしたいので [音楽] [音楽] B リーグでそこに向けてあの、ま、チームもそうですけどフロントスタッフもやっぱ京都今一眼で戦おうっていうのをスローガンにしてやってるので、ま、本当一眼となってあの [音楽] B リーグ制覇ま、まだ成し遂げてないし、チーム的にも自 自分的にも個人的にも、ま、成し遂げてないので、もうそこだけにこう集中して、ま、そこだけ見つめてこの [音楽] 1年間こう戦いたいなと思います。 ありがとうございます。 というわけで長いてか僕もだいぶ 100均ながらはしってったっていう。 いや、だいぶはったすよね。いや、俺も全然これでもずっと買ってた長いから。 いや、すいません。本ん当すいません。 いや、全然全然いいす。全然全然い。 いや、あの、でも次の回の質問でもっと深掘りはしていくんで。 あ、はい。わかりました。 はい。 え、うちの姫から何か質問があるそうなので、 え、 いや、あの、この動画の締めちょうだい [笑い] 急に、 え、もう全然あのバスケそんな真面目な質問じゃないんですけど、いいですか?聞いてみたかった。 いいですか? その大選手やっぱベテランでろんな地域行かれてるじゃないですか。遺跡で。 え、なんか遺跡の中でそのさっきま、ちょっと地域とかの合わない、合う、合わないとか大変なこととか逆に楽しいこととかご家族いらっしゃるじゃないですか。はい。はい。はい。なんかいますか? はい。えっとね、家族に関しては、まあ、一緒に絶対行くからなんかそこでも見ちゃうじゃないですか。やっぱちょっと家族と会う土地どこがいいのかなみたいな。 どこか行きたくないみたいな。やっぱそこもこう家族と相談しながら結構途中選んでたんで。 うん。うん。うん。 ま、もちろん最終決定は僕なんですけど、ま、変な話、よりこう、東京に近い方が 2人とも地元東京なので うん。うん。うん。 こうさっと東京に行けるとこ。 アクセスのいい、 アクセスのいいとこみたい、そういうのはありますよね。なんか逆に遠すぎるとちょっと大変じゃないですか?沖縄とか、ま、変なね、札幌もそうだし、 毎回こう飛行機使わなきゃいけないし うん。うん。ていうのはありましたね。でも行く土地、行く土地もちろんさっきも合わな、合う、合わなありましたね。楽しい分はたくさんあるし。 ま、美味しいご飯もいっぱいね、あるし。ま、今の京都なんてもう特にこう観光地じゃないですか? うん。うん。うん。 だからなんか去年とかその寺とか行こうっていう話してたんすけど うん。うん。 でも観光客多すぎて行かないって。 うん。ま、そうっすよね。日本人観光する場所じゃないですからね。あそこで いや、なんか観光自分が旅行で行くならあ、じゃあ詰めてあ、行きたいなって思うけどやっぱ住んでたら全然行かないね。 うん。もう不思議な不思議なもんで ありがとうございます。 ありがとうございます。じゃあというわけで、え、一旦ですね、あのこの動画は全編なんですけども、小野選手のキャリアを振り返らせていただきました。で、こう編でもっとプライベートなこととか B リーガーとしての裏側を聞ければなと思ってます。 はい。 はい。一旦全編こちらで終わりたいと思います。選手ありがとうございました。 ありがとうございました。 はい。続きもご覧ください。 [音楽]

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京都ハンナリーズの人だ
今でも応援してる
千葉ジェッツブースターで、千葉ジェッツ見始めた時に、ジェッツに✈︎いたので他行っても頑張ってほしい⛹️♀️🏀