江戸時代のそば屋の意外な歴史~~赤穂浪士の時代にそば屋はない!~江戸に流行したある病気と蕎麦人気の因果関係
江戸の町の人たちは、とても蕎麦が好きで、当時のそば屋の数は、現在の東京都にあるそば屋よりも多かったと言われています。
実は、江戸の人たちに蕎麦が愛された理由には、ある病気が関係しているという説があります。
また、江戸時代の蕎麦といえば、赤穂浪士の討入り蕎麦が有名です。
しかし、赤穂浪士の討入りが行われた元禄15年には、江戸の町にそば屋というものがなかったのです。
彼らは、いったいどこで何を食べたのでしょうか?
8 Comments
蕎麦が好きなんですが、江戸時代の蕎麦が食べてみたいなあ。今と違って全て国産のそば粉ですもんねw
よなき蕎麦と聞いたのですが。
すばらしい。面白かった。脚気対策は納得感が大きいな。
ホテルに泊まった時に夜泣きそばのサービスがありました(ラーメンでしたが)夜泣きそばと言う名前は現代に名付けられた名前でしょうか?🍜
慳貪の例えは大変分かりやすかったです。
>安くて速い代わりに、愛想のあるサービスはしない。
今の日本に、最も必要とされるものと思えます。低料金でも、過剰な要求をしがちな日本の商業環境。それが昂じて、ギスギスしがちな社会。低給与の働き手に優しい、要らざる労作の省略。それが妥当と感じるからです。
>重い蕎麦屋台を、担いで移動。
前近代人が体力があったというより、現代人の体力がなくなった。そう言った方が、当たっているように思えます。
多くの作業が自動化、機械化した第2次世界大戦後。「使わない能力は衰退」。それを、実感させます。
>忠臣蔵に、その時代にないはずの本格的ソバ屋が出てくる。
演出上のウソ、あるある。そのように、感じます。来客に、30秒くらいで茶を出すTVの時代劇(ガス、電気、魔法瓶の無い時代には不可能)。1873年製の銃を、それ以前の時代に出す西部劇。画面映え優先で、時代考証度外視。そういう類のご愛敬と、感じました。