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【50】行ったつもり!沖縄観光(南部戦跡編 おきなわワールド・平和祈念公園・ひめゆりの塔)】



【50】行ったつもり!沖縄観光(南部戦跡編 おきなわワールド・平和祈念公園・ひめゆりの塔)】

YouTube作品の第50作品目として、「行ったつもり!沖縄観光」の後半をお届けします。
後半は沖縄観光で一番知ってていただきたい、南部戦跡巡り。

ぜひ皆様の感想や平和への願い・想いをコメントにてお寄せください。
ご覧になられた方もオンラインではなく現地で実際の空気を感じに来てほしいと思っています。

※2021年10月22日(金)よりAコースの運行が再開されています!(詳細は公式サイトまで)
ぜひご予約、ご乗車のほどよろしくお願いします。

行ったつもりの前半はこちら

ダイジェスト版はこちら(最後にかわいいNG集あり💕)

関連動画、定期観光Bコース(NGシーンあり)

※2021年2月に撮影された動画です。

0:54 おきなわワールド到着
1:12 おきなわワールドMAP紹介
3:38 車内案内
14:34 平和祈念公園到着
14:52 平和の火
17:20 平和の礎
19:48 ギーザバンタ
22:47 ひめゆりの塔到着
23:20 ひめゆりの塔
30:36 伊原第三外科壕
31:36 車内案内
34:53 島唄
35:45 あいさつ
37:21 安里屋ユンタ

那覇バス公式web
https://nahabus.com

公式Twitter

BGM・効果音
DOVA-SYNDROME
https://dova-s.jp

MusMus
https://musmus.main.jp

効果音ラボ
https://soundeffect-lab.info

45 Comments

  1. こんにちは静岡県在主の人です友人とは沖縄ではありませんが石垣島には一度旅行に行きました4泊5日で行って参りました旅行会社は阪急交通社似て行って参りました飛行機は富士山静岡空港から→那覇空港 那覇空港→石垣空港長時間長旅でしたお土産も沢山買ってきました石垣牛も食べたよ静岡県在主だと2度と行く事出来ない

  2. 私の母親もうるま市出身で動画見せたら、喜んでました😊ありがとうございます。楽しい動画見れて😢東京羽田空港から那覇空港に帰って来たら乗りたいですね。

  3. こんにちは静岡県在主の人です石垣牛も美味しかったですがソーキそばも食べたよ石垣島でグラスボートの体験も行いました水牛車も乗りました静岡県では味わえない良い思い出になりました

  4. 素晴らしい動画です。
    とても説明がリアルで亡くなられた方々に想いを馳せると涙を禁じ得ない。
    多大な犠牲を払った沖縄戦を知らない世代にも是非とも視聴して欲しいと思う。
    ひめゆり学徒隊の方々を始め多大な犠牲の上に今の平和が成り立っていることを忘れてはならない。
    平成は尊い。

  5. 沖縄の観光地は、とても素敵で美しいです。
    日本国で唯一の激戦で、お話を聞くと悲しいことが とても多い事です、戦争は二度としてはいけないと思います。

    現在、ロシア侵攻でウクライナの方々の悲しい悔しい思いを心より思います。

  6. 한국에는 전부 관광버스가 대기업 통근버스역할을 합니다 나중에 한국버스타보세요

  7. 沖縄全戦没者の御霊とひめゆり学徒の御霊、沖縄戦に関わった全学徒の御霊の安らかなる眠りと冥福を祈る。
    二度と悲劇の二の舞を招かないことが御霊への安堵する朗報になるであろう!

  8. 素晴らしいガイド。そらでこれだけ流暢に感情的になるでもなく淡々と、かといって戦争の悲惨さを十分に伝える胸打つ説明が続けられるのは、単なる例文の暗記ではなく歴史をきちんと学び理解し自分のものにしておられるからだと思います。声もよく通りクリアな発声で耳の悪くなった年寄りにもすごく聴き取りやすい。みなさん評されているようにまさにプロ中のプロ、三線も唄もお上手だし那覇バスだけにとどまらずまさに島人の宝、いや日本の宝ですね。恐れ入りました。ガイド乗車されているバスにぜひ乗ってみたいです。

  9. 最近月桃の花という唄を知りました。非常に感慨深いものがあります。お若いバスガイドさんの堂々とした語りに感銘しました。戦争や歴史について沢山学ばれたと思います。時代の流れで過去の出来事が風化しつつあるなか、この動画を見て改めて考えさせられました。これからも益々の沖縄の平和と発展を祈ります。

  10. 【沖縄戦の事実とはこうです】  
         ⇩
      大本営 作戦参謀
      【杉田一次】大佐
    戦後に大佐は証言をしています
      大佐本人の音声テープ 
    (話の内容そのまま書いています)
    沖縄戦は勝つ事ではなく
       戦闘の長期化が目的

    沖縄戦では当初から
    アメリカ軍に勝つ事をあきらめ
    沖縄は時間の問題であると
    いうような考えだった。
    沖縄で一つゲンコツと言うか
    アメリカ軍にドカっと与えれば
    それを一つチャンスにして
    交渉を有利にもっていきたい
    ただ時間がどれだけ持つかぐらい
    の、やっぱりなんだな 
         ⇩
      日本軍高級参謀
    司令部作戦立案【八原博道】大佐
      大佐本人の音声テープ
    (話の内容そのまま書いています)

    沖縄戦は本土決戦までの時間稼ぎ
    僕はとにかくしつこい方だから
    さらに後方の南部地域を利用して
    逐次抵抗していって
    まだまだ敵さんを手こずらせる
    主義なんですね【戦略持久】
        ⇩
    1945年5月22日
    司令官、牛島満中将が
    八原博道大佐の戦略持久作戦を
    採用し南部撤退を決断した。
        ⇩
    端の南部地域に追い込まれ
    避難していた多くの沖縄住民は
    日本軍の南部撤退により
    米軍の攻撃、戦闘に巻き込まれ
    海岸沿いで手榴弾などを使用し
    集団自決や、我が子をを抱えて
    崖から飛び降りました。
    沖縄戦での戦死者数の約半数もが
    その南部地域で亡くなりました。 

     1945年6月23日
    沖縄戦での組織的戦闘は終了する

    沖縄住民を守る、ではなく
    戦闘に住民を巻き込みながら
    投降も認めずに長期化を狙い
    本土決戦の時間稼ぎをした。 
    その日本軍の南部撤退案に
    気づいた島田知事は
    軍が沖縄住民と行動を共にすると
    住民が米軍の攻撃に巻き込まれ
    危険に晒されると
    当時は【日本軍の命令は絶対】で
    したが島田知事は司令官に 
    軍は住民と行動しないようにと
    直談判して住民を救おうとした。
    また端の本島南部まで日本軍も
    米軍に追い込まれた中で、
    日本軍司令官は自決前に
    最後まで戦えと命令を残した為に
    小規模でゲリラ的な戦闘が続き
    沖縄での地上戦が長期化をし
    洞窟などで日本兵といた住民もが
    一緒に米軍に攻撃をされました。 

    また沖縄は、沖縄住民は
    戦前や戦中そして復帰をした 
    時代にまでも本土の方々に
    沖縄はよく戦ったと
    言ってくれると思っていましたが
    まだ差別をされる時代で
    本土で沖縄出身者は
    朝鮮、琉球お断りと露骨に
    張り紙をされたり
    住まいも契約して貰えず、
    銀行からは起業の為の
    融資も受けられなかった時代です
    そのことに抗議をしたのが
    国会爆竹事件の原因です。

    現在は活躍されて急病人の
    搬送などにもご尽力して下さり 
    大変言いにくいのですが、
    米軍統治下を経て沖縄が復帰をし
    初めて自衛隊が沖縄に来た時には
    住民に隠れるように密かに
    来沖されていました。
    本土でも自衛隊が来沖することを
    沖縄に漏れないように前日まで
    内密にしています。
    それが【沖縄戦の出来事】です。

    降伏後、米軍占領下の沖縄は
    ○し合いをした現地で
    敵の米兵、アメリカ人に睨まれて
    一家の大黒柱は多くが戦死し
    焼け野原で食べ物もなく
    畑の多くが米軍基地にされ、
    その苦難な環境の中で
    沖縄を支え復興させたのは
    国ではなく、女性の方達でした
    その復興の象徴は
    国際通り、農連市場です
    (奇跡の一マイルと呼ばれてます1600m又はその周辺) 

    また沖縄では
    サンフランシスコ講和条約で 
    【本土は主権を回復したが】
    戦った沖縄が切り離された日を
    屈辱の日と呼んでいます。
    【奄美群島、小笠原諸島では
    どう話されているのかは
     認識していません。】

     戦後、沖縄の男女比率
    男性約30% 女性約70%

    大佐本人の音声テープ元
    NHKBS1スペシャル
    【沖縄戦出口なき戦場】より

  11. 沖縄旅行中に観光先を探していてこちらの動画を見つけました。
    少しだけ見るつもりが戦争に関する説明の辺りからどんどん引き込まれ結局最後まで。終わった頃には感動の涙が。
    素晴らしい動画をありがとうございます。そしてこれからもレベルの高い日本の観光産業を支えて頂ければと思います。

  12. コロナ過で旅行難しいなか、定期コースのガイド動画最高でした🚌あっこさんのガイドも最高🎙
    また沖縄行きたくなりました✈️

  13. 感動しました。中北部バージョンもアップしていただきたいです。いつか乗車したいです。

  14. 令和4年5月14日、ツアーに参加させて頂きました。tour終了間際、bus guideさんの平和を願うmessageに共感して涙したのを記憶しております。ツアー参加中は、guideさんの貴重なお話にfullに耳を傾けられる状態ではなかったので、改めて目を閉じて聞かせて頂きました。鬼畜米英、初耳でしたがとてもimpactのある四字熟語だと感じました。また訪れられる状況になりましたら、前回coverできなかったareaも体験したいと思っております。有難うございました。ごきげんよう。auf Wiedersehen:)

  15. 次回、沖縄に行く時はこちらのバスツアーを利用したいですね。
    無駄がないコース設定と的確なガイドさんの説明。最高です。

  16. 沖縄のおじさんだけど観ていて涙が出そうになりました❗乗ってみたいなー

  17. あっこちゃんのお話を聞くたびに、沖縄をもっと知り、勉強をしないと気づかされます。一言では上手く想いを伝えられませんが、何度も拝聴し、ぜひこの地で手をあわせたいと思います。

  18. バスガイドのあさとあこさん、これほどまでも優秀なバスガイドさんのバスに【乗ったつもり】を深夜に経験させて戴き感激しました。それは20代の8年間、都内の旅行会社に勤務した経験からお話しします。今から41年前、添乗員として会社が募集したツアー「沖縄・石垣3泊4日の旅」で沖縄を訪れました。本島観光では沖縄バス株式会社にお世話になりました。動画で定期観光Aコースを視聴させて戴き、遥か栃木から【行ったつもり】を堪能しました。当時、首里城はまだ復元されてなく数年後、NHKで歌手の沢田研二さんが国王を演じた大河ドラマがあり、復元された首里城で撮影されたと記憶しています。だから『守礼の門』の見学をしただけでした。その『首里城』は度重なる焼失をしたが、来年の復元が待ち遠しいですね。南部戦跡観光では『ひめゆり平和祈念資料館』もなく、『ひめゆりの塔』と沖縄陸軍陸軍第三外科壕跡を見学しました。糸満市の摩文仁の丘への行った記憶もありません。ですから、あこさんの動画を拝見して沖縄の変化に戸惑うばかりです。もしこの定期観光バスに乗っていたなら車窓からの眺めに釘つけされるでしょう。あの時のバスガイドさんとの想い出はないが、もしタイムスリップできるなら、あこさんの素晴らしい案内で添乗できたら感動したでしょうね。8年間、旅行会社に勤務して全国を巡り、何日もドライバーさんとバスガイドさんと行動を共にすると親しくなり添乗から帰っても文通を続けたガイドさんが数名いました。昔の私なら、ガイドさんのあこさにすぐにアタックするほどです。当時、インターネットも携帯電話もない時代は手紙のやり取りをしたことも懐かしい若かりし頃の想い出です。いつの日か沖縄へ再び、行きたいですね。次回は映画『島守の塔』と『栃木の塔』に関することを書き込みます。これまでに51件のコメントを読み、あこにさんは愛されているガイドさんと感じました。益々のご健勝とご活躍を栃木から祈念いたします。

  19. あっこさんの説明に出てくる沖縄戦に関係する話です。令和4年は沖縄の本土復帰50年、そしてNHKでは朝の連続ドラマ『ちむどんどん』が放送されています。そして映画では『島守の塔』が8月5日から主人公に縁のある栃木県、兵庫県、映画の舞台になった沖縄県で先行上映され、栃木県ではロングヒットして現在も上映されています。他の都道府県でも順次上映されています。この映画の撮影が栃木県で開始した矢先に新型コロナ感染症が蔓延して撮影が中止されて映画の完成が延びてしまいました。私は栃木県内での撮影にエキストラとして望んだが撮影が中止となり断念しました。しかし映画への思いが強く映画のサポーターとして協力しています。この映画の製作委員会が発行した、シナリオ小冊子を映画館で購入しましたので一人でも多くの国民に映画を観て戴きたく次に紹介します。

  20. プロローグ

    第二次世界大戦では、日本における最大の地上戦「沖縄戦」をはじめ、長崎、広島での原爆投下、東京や各地方においての空爆で300万人以上もの尊い命を失いました。
    長期の地上戦が決行された激戦地の摩文仁の丘。ここには軍事召集で沖縄及び南方で亡くなった方の慰霊碑が建っています。この場所は、「命どぅ宝」(命こそ宝)と訴え消息を絶った。当時の沖縄県知事・島田叡(兵庫県出身)と沖縄県警察部長・荒井退造(栃木県出身)の終焉の地でもあります。
    摩文仁の丘の中央には、沖縄県職員の戦没者を慰霊する『島守の塔』があり、その奥には島田と荒井の連盟の「終焉の地」の碑があります。『島守の塔』の隣には、栃木県の慰霊の塔『栃木の塔』、その背中合わせに兵庫県の慰霊の塔『のじぎくの塔』が建っています。この沖縄で生涯を閉じた島田と荒井が、「生きることの大切さ」を後世に伝えてほしいと言わんばかりに、偶然にも3県の慰霊塔が寄り添って建つ配置になっています。
    沖縄戦では、家族や友人、そして官僚7や学徒兵などそれぞれの立場で、見えない「苦悩と葛藤」のドラマが多くあったことでしょう。映画『島守の塔』は、第二次世界大戦末期の地上戦が決行された沖縄を舞台に、必死に県民の疎開と食料確保に尽力した戦場の知事と警察部長、そして2人から命の重みを受け継いだ沖縄県民のそれぞれの『苦悩と葛藤』を描いた作品です。

    ストーリー

    沖縄戦末期、本土より派遣された2人の内務官僚がいた。
    1人は学生野球の名プレーヤーとしてならし、戦中最後の沖縄県知事として赴任した島田 叡。
    島田は、度重なる軍の要請を受け内務官僚としての職務を全うしようとする。しかし、戦火が激しくなるにつれ、島田は「県政のトップとして軍の倫理を優先し、住民保護とは相反する戦意高楊へと向かわせることこそが自らの使命である

  21. 今年は沖縄が本土に復帰して50年の節目の年となりました。NHKテレビの朝ドラマでは『ちむどんどん」が放送されています。そして映画『島守の塔』が8月より荒井退造警察部長の出身地である栃木県・島田叡知事の出身の兵庫県そして映画の舞台地である沖縄県で先行上映されて他の都道府県では順次、上映されます。映画の内容は先に書いています。沖縄の全てのバスガイドさんにお願いです。終戦間際、戦火に翻弄されながらも多く県民を助けた二人の偉大な功績をこの映画で学び、語り継いで下さい。

  22. こんな可愛い😍美人😍なガンドさんが案内してもらえるなら❤沖縄バス・琉球バス🚌乗りた〜い❤

  23. 何か、山都・内地の
    山都泣いちゃの乗務員
    BusGredeguさんは、
    解らないけど沖縄県の
    BusGredeguさんは
    当時の婦警官か
    新幹線の乗務員CAの
    御姿に似て非ます。

  24. 森山尚子より
    素直な愛相相手の挨拶を
    込めてざわわざわわざわわ
    広い拾い上げる
    砂糖きび畑は・・・

  25. 動画に感動、動画作成Upに感謝申し上げます。県外、県内の県人も必見すべき。学校教育にも活用してほしいです。アメブロに貴Chを広めたいと思います。

  26. 実に素晴らしい。「沖縄の宝」とも言えるバスガイドさんだ。ただ、戦前、沖縄各地に「日本軍の慰安所」があり、「年端もいかない朝鮮人の日本軍『慰安婦』の方々」が連れてこられ、日本軍兵士との「性行為を強制された」ことを忘れてはならない。この点については沖縄県のHPにも、「沖縄戦」の記述とともに記載されている。そして、このような悲惨な沖縄戦が起こった原因は、結局、帝国日本の侵略であったことを忘れてはならない。

  27. 令和5年1月13日から同じコースをレンタカーで巡りました。このバスツアー品質なら、参加したかった。素晴らしいバスガイドですね。

  28. 第二次世界大戦は間違いですね。正しくは大東和戦争と言いますよ。是非この機会に正しい歴史を学んで下さい

  29. 見て解る戦争の虐殺が無ければ本当に平和と言えるでしょうか?日本に平和などありません。
    平和記念公園は奴隷宣言公園と言っても良いです
    現実を見れない人たちには何を言ってるか理解出来ないです

  30. 行ったつもり、、、ではなく、今年2月に那覇バスのAコースに参加しました。
    すごく楽しかったです。

  31. 先日、沖縄旅行に行きました。レンタカーで色々と廻ったけど、表面的な観光に終わってしまった感じがします。
    分かりやすい解説をしてもらえる観光バスも良いと思いました。

  32. 素晴らしい内容で、見ていて涙が流れました。
    そして昨日まで、このコースを4日間かけて実際に自転車で走り、昨日飛行機で帰って来ました。
    この動画のおかげで、とても充実した旅となり、沖縄の歴史を深く理解することが出来ました。
    ありがとうございました。

  33. 懐かしいですね。沖縄バスの観光バスツアーでよく南部戦跡めぐりアウトレットコースに参加していました。沖縄では多くの人々が亡くなって戦跡を見て全てが僕にわかり地元の兵庫県に帰りました。      これを見ると今ではウクライナ🇺🇦のあんな地獄化になってしまった都市がどうしても少しこの戦跡と通じてちょっと考えられない考えですよね。

  34. 一度は行ってみたいと思いながら、霊媒体質のため怖くて行くことが出来ません。実際どうなのでしょう?
    祖父母、母は東京で大空襲に遭いその後も市ヶ谷プリズン跡近くはとても重い気持ちになりこんな私でも訪れますか?

  35. 首里城が焼ける1週間前に同じツアーに参加しました。当日は担当ガイドさんが急遽、別の方が来ることになり、遅れての出発。
    かなり年配の金城さんという方でしたが、ひめゆりの塔を過ぎて歌を歌った時に何度も涙ぐみ歌えず…
    すごく感動したのを覚えています。
    金城さんは今も現役で働いていらっしゃるのか気になります。

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