
2025.12.10
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ミモレは今年で10周年。誕生当時からともに歩んできた方も多いのではないでしょうか。その間に、環境も体調もホルモンバランスもメンタルもさまざまな変化を迎え、その変化の振り幅は今までの人生で最大レベルと感じている方も多いように思います。まさに人生における“嵐”期と呼んでも過言ではないこの年代を軽やかに過ごすためのコツや心構えを、人生の“先輩”たちにインタビュー。
今回は、ヘアメイクアップアーティストとして、長年第一線で活躍し、メイクで人々を美しく輝かせてきただけではなく、“メイクに対する興味や関心を高めた”キーパーソンでもある藤原美智子さんにインタビュー。64歳でヘアメイクを引退し、今はビューティ・ライフスタイルデザイナーとして輝き続ける藤原さんの40代、50代はどうだったのか、振り返っていただきました。

藤原美智子さん
多くの雑誌や広告撮影などでヘアメイクとして活躍。透明感あふれるメイクを得意とし、誰もがそのエッセンスを取り入れられるようにと誌面などを通して、テクニックを惜しみなく伝授し、メイクの楽しさを広めた功績者。2022年、64歳の時に、42年間続けたヘアメイクの仕事を引退し、現在は、女性のライフスタイル全般を提案するビューティ・ライフスタイルデザイナーに。ライフスタイルから美しさをもたらすブランド『MICHIKO.LIFE』のプロデュースも手掛け、著書も多数。最新作は、彼女が実際に日々実践していることをまとめた『何歳からでも輝ける秘訣』(主婦の友社)。
更年期の中の結婚、ハーフマラソンへの挑戦…“動く”ことの大切さ
20代後半から、ヘアメイクアップ界で頭角を表し、そこから常に第一線で活躍。実際、藤原さんにとっての40代、50代はどうだったのでしょうか?
藤原美智子さん(以下、藤原):今振り返ると、40代は、人生における“開花”時期だったなという気がします。体力も気力も充実していて仕事に対して振り切れていた、まさに人生の“ピーク”でしたね。そんなライフスタイルの大きな変化を迎えたのが、50歳の手前。毎年、大晦日は除夜の鐘を聞きながら“来年をどんな1年にしようかな”と考えるのですが、48歳の大晦日に思ったのは、「そろそろ日々の生活を楽しんでもいいかな」ということ。そして、そのためには「結婚するといいのかも」「一緒に生活を楽しめる相手がいいな」と思ったのです。そうして翌年、友人の紹介で出会ったのが、今の夫。正直、ときめくタイプではなかったのですが(笑)、ちょうど当時流行っていた恋愛指南本『THE RULES』に 「とりあえず、誘われたらご飯へ」と言ったような内容が書いてあって。それに影響されたのもあって、お付き合いを始めたら自分の理想のタイプであることがわかり、それで結婚に至りました。そのおかげもあって、50代は充実したものとなりましたね。
50代のスタートを幸せなライフスタイルの変化で迎える一方で、やはりカラダにはいろいろな変化を感じていたとも。
藤原:ちょうど更年期に入り、ホットフラッシュに悩まされていましたね。突然、力が抜けて立っていられなくなり、救急車で運ばれたことも。精密検査を受けて、特に異常はなくホルモンの影響であろう、と。友人を自宅に呼んでパーティをして、後片付けもこなすことができ、今から思えば50代は若かったと思います。でも若いけれど、40代とは明らかに違うんですよね。体力的にも衰えるし、シワやシミ、白髪も目立ってくる。でも、そこで、どう思うかだと思うんです。「もう歳だわ」と諦めちゃうのか。「シワ、シミを改善するいいコスメはないかしら?」と解決策を探すのか。今はネット検索やSNSの情報でいくらでも解決策をキャッチできる時代。「シワには首や肩のコリをほぐすことも大事なのね」「白髪隠しのカラーマスカラがあるのね」など調べたらいくらでも対策は見つけられる。だから、嘆いてばかりでは勿体無い。正直にいうと、60代はもっときますよ(苦笑)。だから、どう捉えるかが大事。ポジティブに捉えられるかどうかで60〜70代になったときには太平洋を隔てるぐらいの差が生まれるのではないかしら。だからこそ50代を、どう過ごすかが大事なんです。そんな中、私にとってラッキーだったのはマラソンに出合えたことでした。

実は藤原さん、もともととても体が硬く、そこにヘアメイクという仕事柄、長時間、ねじった姿勢でいることなども加わり、ゆがんでこわばり、さまざまな体調不良を感じていたそうです。そこで42歳のときに始めたのがストレッチ。1ミリ、1センチと徐々に可動域が広がり、柔軟性があり、心まで解放されていくのが気持ちよくて続けていたのだとか。
藤原:ちょうど50歳を迎える頃、ある出版社から「ニューヨークシティ・ハーフマラソンに挑戦して、書籍をつくりませんか」というオファーをいただいたんです。ストレッチを続けてきたこともあって体に確かな変化を感じていたので、そろそろ“次の段階へ”と思っていたのもあり、お引き受けしたんです。とはいえ、最初は電柱と電柱の間、1間隔を走るのがやっと。50メートルも走ることができなかったのですが、毎日、毎日走っていたらどんどん距離がのび、半年後には無事、ハーフマラソンを完走しました。そんな中、気づけばホットフラッシュがなくなっていたんです。ストレッチを通しても感じていましたが、体を動かすことは、体にもいいけど、精神的にもいいというのを実感しました。
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