全日本女子プロレスのレスラーとしてハリウッド映画に出演、「ダイナマイト・ギャルズ」でも活躍したジャンボ堀さん(63歳)。ヌード写真集出版、過激ファンとの一触即発……激動の全女時代や、引退後の今について聞いた。《NumberWebインタビュー全4回の最終回/第1回、第2回、第3回も公開中》
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ハリウッド映画の「初」に続いて、1985年12月には女子プロレスラー初の寿引退。当時、全日本女子プロレス興業(以下、全女)には酒、たばこ、男性との交際を禁ずる「3禁」があったが、真正面から破った。引退後は力士と結婚、離婚、がんにり患、選手復帰後は初のおばあちゃん女子プロレスラーになるなど、とかく波乱万丈。その第二の人生に迫った。
――全女の試合中継がゴールデンタイムにレギュラー放映されていた1985年に引退されましたね。
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堀 23歳でした。新シーズンのポスターをつくる前の夏あたりに、「実は……」と会社に言って、引退はその年の12月ですね。翌年(86年)の1月にはもう、夫婦で(東京都)亀戸の駅近くで居酒屋をすることが決まってたんですけど、つきあってたときはお互いが現役で地方巡業も多くて、会うことがほとんどなかったんですね。結婚して初めて一緒に生活したら、息苦しくなっちゃって……。
――女性だけのグループ行動から、1人の男性と生活と職場をともにする変容ですからね。
堀 2人の娘に恵まれて、子育てがひと段落したころに外に出たいなって思いはじめて、上の子が小学生、下の子の送り迎えがなくなったころに、パン屋さんで働きはじめたんですよ。それまではプロレスと(経営する)店しか知らなくて、バイトもしたことがないから、初めて普通の世間を知ったときには楽しくて。
プロレス引退→生命保険の外交員に転身
――何歳ぐらいですか?
堀 30歳ぐらいかな。でも、古傷の腰痛が出てきちゃったので、辞めざるを得なくなった。そしたら、店に来てたお客さんで、日本生命の外交員の女性から、「あなた向いてるから、どう?」って誘ってもらって、研修期間で勉強して、地区をまわるようになったんです。やっていくうちに、「最近結婚した娘さんがいてね」とか、「あそこのご家庭にお子さんが産まれたんだって」ってどんどん紹介してもらえて、仕事にやりがいを感じていった。
――イキイキとしていく妻を見たご主人は、どうなんでしょう。
堀 もともと人づきあいが下手で、寡黙で、知ってる人としか話せないんですね。保険で知りあった人が店に来てくれるようになって、知人ばっかりになっちゃうと、それが嫌みたいで、「うちじゃなくてほかへ行ってくれ」って言っちゃうの。
――店の売り上げにつながるのに?
堀 そうですよ。あのころはまだ、女子プロレスラーが引退後に店をはじめることがなかったので、記者の人、後輩やファンのたまり場になって、にぎやかにやれてたんですけど、「帰れ」って言っちゃう。そしたら、みんなも最初に少しだけ顔を出して、「じゃあ、次(の店に)行こう」ってなっていって、その息苦しかったときに外の世界を見て、お金を稼ぐことが楽しくなっていった。