昨年九州場所を最後に引退した元小結・阿武咲(おうのしょう)こと、打越奎也(うてつふみや)さん(29歳)。激動の相撲人生を振り返るとともに、新たに踏み出した第二の人生に密着した。【NumberWebインタビュー全3回の2回目/第1回、第3回も公開中】
相撲どころの青森県で生まれ育った。幼い頃から周りの同級生に比べるとひと回りもふた回りも体が大きく、どこにいても目立つ少年。当時から運動神経も抜群で、毎日のように野山を駆け回る、いわば野生児だった。
「一人で山登りしたり、川に釣りにいったり、銛を持ってシュノーケリングに行ったり、家の中でじっとしているタイプではなかったですね。当時、犬を飼っていたんですが、よく自転車で連れ回していました」
そんな打越少年が人生が“相棒”と出会ったのは5歳の頃だ。
小学時代は全日本小学生相撲大会で優勝し、中学時代には2年連続で全国都道府県中学生相撲選手権大会の無差別級で優勝するなど、早くからその実力を発揮していた。
学校の先生や父親にもよく叱られたわんぱくな少年だったが、それでも、相撲の稽古だけは欠かさなかった。友だちと遊んでいても、一度その場を抜け、稽古が終わったらまた合流する。人としての道を踏み外さなかったのは相撲があったからかもしれない。
だが意外にも、この時は“プロ”になることは頭になかった。
「中学を卒業するときは、大相撲の世界では到底かなわないだろうと冷静だったんです。高校で結果を出したときに、ようやく行くなら今だなと思ったくらいで。高校を中退して大相撲へチャレンジすることを決めたときはリスクは考えなかったですね。“やって見なきゃわかんないでしょ”という気持ちというか、5年ぐらいやってダメならそのときにまた考えようとも思っていました。そこで自分の可能性や限界もある程度分かってくるだろうから、と」