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【野球ファン必見】日本ハムファイターズ、失敗に学ぶ強さの秘密【睡眠】



【野球ファン必見】日本ハムファイターズ、失敗に学ぶ強さの秘密【睡眠】

こんにちは霊夢です魔理沙だぜ今回は新3 大ファイターズの失敗格差トレードを紹介 するぜこの失敗格差トレード企画も今回で 等々6回目ねちょうど折り返してとこ かしら3台にまとめるほどでもない球団も あるので全球団分やれるか分からないが 好評な限り続けていきたいぜ格差トレード が生じてない目利きのうまい球団がどこな のか逆に気になるわね今回は純粋に遺跡後 の利得の差に着目して片方が戦力的に 大きく得したトレードを紹介するぞどうせ 話が長くなるんだから早く本編に行っ ちゃいましょうよ新3大ファイターズの 失敗格差トレード1つ目は1971年の 東映フライヤーズ江本武典投手佐野義行 内野と南海ホークス高橋浩内野のトレード だ絵本投資ってベンチがほやから野球が でけへんでお馴染みのエモやんのことそう だそのエモやんのことだぜ現役時代は何か と首脳なと衝突してるってイメージだけど この時も何か球団と揉めてたのいやこの時 はプロ2年目の無名投手で球団に何か物 言える立場の投手じゃなかったんだてか 東映フライヤーズって球団にいたのねああ 今回はファイターズ変と台したが今の日本 ハムファイターズの全身に当たる球団も 対象としてるぜ話を戻そう江本投手は 1970年にドラフト街で東映に入団 ドラフト街ってことはアマチュア時代は 無名の投手だったのいやそうでもないぜ実 は高校時代は西鉄ライオンズから4巡目 指名を受けてたんだが大学進学を希望して 入団拒否高校卒業後も法制大学熊組と アマチュア野球のエリート街道を進んで たりと潜在能力自体は高かった投手だった んだ今ならドラフト開始名下育成ドラフト にかかるかどうかのギリギリラインの投手 だったのねああただ当時は今ほどネットが 発達してないので全国的には無名の投手 プロ1年目の1971年は主に救援として 26試合に登板したが防御率5.04で0 勝4敗とと振るわず旧会関係者の中でも この段階で獲投手に注目してる人は ほとんどいなかったであろう状況だったん だ24歳で目立った成績も残してない無名 投手そんな投手がどうしてトレードされた の実はこのトレードは南海の野村勝也選手 県人監督が希望したものなんだのむさんは 絵本党首のポテンシャルを見抜いてたって ことねああ県人監督だったのむさんは シーズン中に江本投手と対戦した際あの腕 のしりは正しじゃないあれは大化けするか もしれんと江本投手のリーチの長さに注目 してたそうなんだ阪神のじりトレード編で も金本監督が桑原投手との対戦経験から 一軍に抜擢したって話もあったけどやはり 代打者ってかなり投手を見る目もあるのね いろんな投手と対戦してるから感覚が養わ れていくんだろうな江本投手に目をつけた のむさんだが当時無名の絵本投手を いきなり欲しいと言っても東映に警戒さ れると考えて最初は当時の東映のエース 高橋直樹投手を要求相手が要求を 突っぱねるごとに少しずつ希望選手の ランクを下げていってそれなら仕方がない ならば確かヒョロヒョロとしたやがいた だろう名前は何だったかと絵本投手の名前 を具体的に出すことすらせずに逆に東映 サイドから本投手を打身させることに成功 したそうなんだなんて狡猾なの栄養マンが 憧れる集団の手口だけどなかなかそう うまくはいかないのよね恋愛でも我慢でき ずに先に行為がばれて相手に有意に立たれ るってことはあるからなじゃあこのの メインとなったのは高橋選手と佐野選手 だったってことなのああ両選手とも江本 投手以上にすでに実績があったからな東映 が獲得した高橋選手はこの年オールスター に選出された遊撃手でまだ26歳とこれ から油が乗っていく年齢の選手だったんだ そんな選手をトレードで獲得できるなら 東映がこの遺跡話に乗ってきたのも頷ける わああ高橋選手は東映遺跡後 ユーティリティプレイヤーとしてチームに 貢献1974年には史上発の1試合でで全 ポジションを守ったことでも話題になった んだ今なら試合を舐めてるのかとか炎上し そうだけどそういうことが許された時代の 良さもあるわね高橋選手は75年には規定 打席に到達して本類打122本を放つなど して貢献したがレギュラーとして活躍した のはこの年のみそれなりに貢献はあった けど有力なバックアッパーとしての息は出 なかったって感じねああ佐野選手が何回 遺跡後に高橋選手と同等の成績を残してる ことを考えるとこの2人での利得はトトン これから説明するであろう江本投手の活躍 を含めると東映側が大きく損失を出した トレードになったってことねそういうこと だぜ江本投手はのむさんにじっくり育て られて少しずつ成績を伸ばしていったの いや遺跡1年目にいきなり27.1回を 投げて防御率3.03で16勝を上げてる ぜえ無名選手がasqの活躍をしてるじゃ ない一体何がそんなに絵本投手を変えたの よのむさんの見立て通り元々能力が高かっ たのもあるだろうがのむさんの モチベーション管理術がこう想したとも 言われてるぜモチベーション管理術遺跡後 すぐに監督室に呼んだのむさんはわしは ずっとお前のこと見とったんやお前の ボールならわしが受ければ軽く重賞俳句で 背番号16エース番号屋と期待の現れを 言葉と態度で示したんだ遺跡直後にそんな こと言われたら選手は燃えないわけないわ ね言葉だけでなくエースクラスが背せ番号 も提示してくれるなんて選手明利に尽きる でしょうし獲は当時を振り返って東映では 背番号49番でしたから電気が走りました 人間って一言で変わるんですよとコメント してるぜ人は誰かに期待されると思いがけ ない力を発揮することもあるからねよ 1973年は開幕投手を任されて12勝を 上げてチームの前期優勝とプレイオフ突破 に貢献しチームを日本シリーズに導いてる んだ2年目でもエースを任された上にその 期待にも見事答えたのねああ7475年も たけた勝利を上げる活躍で入団54年連続 で200イニングをクリアと安定感抜群の 貢献ホークス編でも紹介した野村県人監督 の愛人現場介入騒動の影響でのむさんと 対立し75年オフにトレードで放出される ことになるが遺跡4年間で52勝を上げる 活躍で南海側に大きな実りをもたらしたん だ近年のプロ野球だと楽天の乗々投手 レベルの選手をトレードで獲得した上に 対立してた球団に放出なんてかなり衝撃的 な話よねこの時代のプロ野球選手は今より も人間臭さが色濃く出てて今の視点で見る と色々と基礎天外なことも多いからな そんな選手たちをコントロールするなんて 今以上に監督の器のでかさが求められそう よねああのむさんはこの笑元投資と江夏 豊か門田博光のみ選手を南回監督時代の3 悪人と称してるんだが自己主張と個性が 強い主力選手を経験したことで山崎たし なんてあの未人に比べたら不運くらいの レベルと述べてるくらいだからなそれ くらい経験豊富でどんと構えてくれる上司 の元で仕事がしたいものね新3大 ファイターズの失敗格差トレード2つ目は 1975年の日本ハムファイターズ大杉 カツオ内野とヤクルト織田よひ内野内田 純三外野種のトレードだもうこの頃には 東映じゃなくて日本ハムに親会社が変わっ てたのね霊夢さすがだなそこにちゃんと 着目してくれるなんてえただ球団名が 変わってて面白いなって思ってただけなん だけど実はこのトレードが理した背景には 親会社が変わったことが強く影響してるん だどういうことこの時期のファイターズは 球団経営がゴタゴタしててまず1973年 に東映フライヤーズを日択ホームが買収し てチーム名が日択ホームフライヤーズに 変更されたんだファンの方には申し訳ない けど日達時代なんてのがあったのね霊夢が 知らないのもそのはずでこの日達時代は わずか1年で終了えたったの1年ああ 1973年11月19日に日たホームが 球団の経営権を日本ハムへ売却ここで今の 日本ハムファイターズが誕生したんだ わずか2年連続で球団が売却買収される なんてファンや選手は気がきじゃなかった でしょうね今日は鋭いな実際この後ファン の心をズタズタにする主力大放出劇が行わ れるんだあれ今日って21世紀の ファイターズ主力放出士だったかしら ファイターズファンの神経を魚でするのは やめておこうかただ実際の内部事情は 分からないが球団の体質とか文化ってのは この辺りから変わってないのかもなどうし てこの当時の日本ハムは主力を大量放出し たのまず日本ハム体制になった1年目の シーズン成績は前後期ともに再開の借金 26で総合再開と低迷主力選手の張本イ 大下強し白人転選手らは年齢が30代に 達してたこともあって球団は若返りと東映 カラーの払拭を測ったとされてるんだ球団 を1から構築するためにドラスティックな 血の入れ替えが行われたのねああ実際この 75年に大下選手が広島白選手は太平洋 クラブライオンズ現在の西武へとトレード チームの看板打者だった張本選手も翌76 年に巨人へトレードで放出されてるんだ 2021年の日本ハムで言うと西川は中田 太田大使が放出されてその翌年に近藤賢介 までもが放出されたみたいなことなのね 途中まで支実ってのが恐ろしいところだが 大体そんな感じだな前置きが長くなったが こうした事情もて東映の予番打者だった 大杉選手はトレードされることになったん だ大杉選手といえば月に向かって打てでお なじみの選手よねああ霊夢はそういう コネタはちょいちょい知ってるな大杉選手 はこの時期のパリーグを代表する スラッガーで1970年には44本類だ 129打点で2間王に輝くと71年には 41本類だ72年には101打点で それぞれ2度目のタイトルを獲得在籍10 年間で287本類だ819打点を記録した ほどの選手だったんだ今でいう西武の山川 穂高巨人の岡本和選手みたいな9回トップ クラスの強打者だったのねああただ遺跡 前年の1974年は22本類打でOPSも 715と振るわず年齢はすでに299歳 当時は今ほど選手寿命が長くなったことも あってすでに衰えが始まった選手という見 方も強かったんだチームの低迷親会社の 変更自身の衰え傾向放出されるのも致し方 ないではあったのねそうなんだ実際 ヤクルト遺跡1年目は13本塁打でOPS 660に得選して峠は過ぎた選手かと思わ れたんだ普通に考えれば4年連続で成績を 落としたベテラン選手はもう厳しいと思っ ちゃうわよねああ打が大杉選手は31歳と なった1976年に再びダボが爆発打率3 割で29本塁打をマークすると翌77年は 5年ぶりの3割30本百打点を記録78年 はは惜しくも97打点止まりだったが3割 30本を記録してヤクルトの球団創設以来 初のリーグ優勝に貢献したんだ待って待っ て30代半ばになってから第2の全盛紀が 訪れてるじゃないチーム史上初の日本 シリーズでもシリーズ記録の4本類打を 放つ活躍でチームを日本一に導いて シリーズMVPまで獲得したんだ個人も チームも低迷してた日本ハム時代から一転 して高成に名を残す救世手になったのね その後も活躍し続け大杉選手は1981年 に史上14人目の2000本安打を放って 明宮回入り1983年には上発の両リーグ 千本安打を達成しおしまれつつ引退 2022年5月時点でNPB歴代9位の 通算486本塁打を記録するなど記憶にも 記録にも残るレジェンド選手になったんだ そういえば移籍した選手はどうだったの この中では小田選手が一定の成果を果たし てて遺跡1年目に打率3割で16本塁打を マーク普通に見れば成功トレードだけど 同じポジションの大杉選手と比べると 見劣りするわねああしかも遺跡1年目が 日本ハム時代のキャリア杯となり在籍年数 わずか3年で何回にトレードされてるぜ 確かホークスシジ編でも登場してて後の 代打柏原順一とトレードされたのよね小田 選手のその後は過去動画を見てもらうとし てもう1人の内田純三選手は2年連続で 100試合に出場したが成績はリーグ平均 以下のレベル1977年にはトレードで 広島に移籍したため在籍年数はわずか2年 に終わってるぞトレードのチップとして 機能したことを考慮しないなら日本ハム側 の利得はかなり短期的なものに終わったの ね大杉選手が9年間で199本類だ688 打点の活躍を見せたことを考えると総合的 な利得の差はかなり大きなものになって しまったんだ田内田両選手が悪かったと いうよりは純粋に大杉選手がすごすぎた トレードだったのね新3大ファイターズの 失敗格差トレード三つ目は1991年島田 尚弥投手と太陽石川正投手のトレードだ 一気に時代が平成に飛んだわねそれでも 30年以上前の話だけどもう少しすると 平成も古く感じられるようになっていくん だろうなそんなアサーの日合みたいな話は 置いといてトレードについて話して ちょうだいよ島田投手は上層学院時代の 1987年に夏の甲子園で準優勝を果たし た選手で余談だが現在は母校の上層学院で 監督を務められてるぜ2021年の選抜で 式を取ったことも話題になってたわよね ああ島田投手は87年にドラフト街で日本 ハに入団したんだがトレードされるまでに 1軍で目立った実績はなしプロ4年目の 91年には2軍で連勝重敗の成績に終わり 1軍未登板など順調とは言えないキャリア を歩んでたんだかつて甲子園を沸かせた準 優勝投手がプロで戦ってのはよくある話よ ねそうした中で天気となったのがこの91 年のトレードだったんだ環境の変化で才能 が開化したのね遺跡1年目から先発と救援 でスポット的に起用されながら徐々に登板 機会を増やすと94年には主に救援で50 試合に登板しながら116.2回を投げて チーム最多対の急勝をマークしたんだほぼ 先発9の貢献をしてるじゃない素晴らしい わ翌95年は全試合救援登板で2年連続 チーム最多賞の重賞をマク97年には事故 最多の60試合登板で初の最優秀中継投手 のタイトルを獲得しチームの急エンジに 欠かせない存在となっていったんだこう いうきつい役割でコンスタントに成果を 残す選手がいるチームって強いのよねレム の言う通りこの頃からベイスターズは チーム力がアップしていってて94年の 再開から452ときて98年には38年 ぶりのリーグ優勝を果たしたんだ島田投手 の入団以降着実にチームが強くなってるの ねこの優勝した98年も島田投手は54 試合に登板して防御率2.36の高成績で リーグ優勝に貢献99年にはオールスター に選出されるなど2000年に対談する まで安定した活躍をし続けたんだ私は てっきり現DNAのエスコバー投手が3人 目に入ってくると思ったけど単年でも通算 でも2022年時点では島田投手の方が 貢献度は上ね俺も正直エスコバー投手の方 がイメージ強かったが島田選手の活躍 っぷりを見て驚愕させられたぜそういえば 日本ハムが獲得した石川マサ投手はどう だったの石川投手はロテ代の1984年に 15勝を上げて最高勝率のタイトルを獲得 した投手で太陽ホエールズ時代の88年に も44試合に9円登板して防御率2.74 を記録するなどかなり実績があった投手 だったんだ潜在能力未数で実績に乏しい 若手投資と実績十分だけど故障で成績を 下げてた中堅のトレードだったのねそう いうことだぜ復活を期待された石川投手 だったが移籍1年目は8登板2年目は15 登板のみに終わり現役引退に終わったんだ この話とは真でオリックス編で紹介した ベテランの谷選手が復活するパターンも あるからトレードドって分からないものね 全てのトレードには大きな利得差が出て しまうリスクをはんでるわけだがその リスクを恐れてばかりでは大きな成果は得 られないからな補強手段が限られてる NPBではもっとトレードが活用される ようになるのを願ってるぜという わけ今回は平成日本ハム失敗ドラフトしを 紹介するぜ球団別企画も等々大8段ね おかげ様で企画が好評なもんでここまで 続けさせてもらってるぜまこの動画を作っ てる段階ではまだ59段目しか投稿して ないから再生回数に限りが出てるかもしれ ないけどねおいおい冒頭から嫌なこと言う なよ不安になるだろ平成日本ハム失敗 ドラフトし1つ目は1990年だこの頃の ファイターズは強かったの1981年に リーグ優勝して依頼9年間優勝からは 遠ざかっていてその間Bクラス5回とと チーム状態が良かったとは言えないなこの 1990年もリーグ4位に終わっており これで3年連続のBクラスとなってるな ドラフト戦略で失敗が続き暗黒時代が訪れ てもおかしくない状況だったのね当時の チーム状況を振り返っていこうチーム失点 数542はリーグ2と高成績信用も26歳 の西崎幸弘22歳のさ光次郎が規定投球 回数をクリアこの年は主に救援で起用され た25歳の武田和弘は軽%に10.2% BB%5.2と高成績この武田投手は前年 の1989年には先発で規定投球回数も 達成したことを考えれば翌年以降の先発で の活躍も期待できる投手だ働き盛りの20 代半ばの投手が複数人いたのねさらに後の エースとなる20歳の岩本勤も保有できて おり投手人の見通しは明るい状況だったと 言えるだろう主人の補強優先度はそこまで 高くなさそうね一方の野主人は特定点数 570でリーグ5リーグ平均得点610に も達していないな当時はパリーグで最も 得点が入りにくかった東京ドームを本拠地 にしていたことを考慮しても得点力に課題 があったと見るべきだろう今の時代の感覚 で見ると東京ドームが広い球場ってのが ピンとこない人もいるでしょうけど当時 ドーム球場は珍しかったもんねまた野手は 編成状況にも問題がありこの年中軸を売っ たブリはウインタース大島安のりはいずれ も30歳以上の選手ベテランと外国人に 長打力の供給をかなり依存する編成だった のね大島選手に至っては40歳になって おり翌年の活躍すら見込みづらい状況だっ たんだおまけに保守の田村藤尾も31歳と なっており主力選手で数年後も活躍でき そうなのは23歳の田中幸夫選手くらい だったんだ原油戦力と将来性のどちらも かなりまずいチーム状況ねこのことから この年の日本ハムのドラフトは野手の逸材 を獲得すべきだったと考えるべきだろうな ポジション同行というよりはとにかく中教 期的に活躍できる主力や候補が必要な状況 ねこの状況でチームは1度目の1位入札で 89団が競合することになったアジア大学 の湖池秀を指名したんだロッテ入団拒否士 で紹介した湖池投手ね野手の優先度が非常 に高かった状況で小池投手を指名したのは どうなのまこの辺の判断は意見が分かれる ところだが個人的には賛成だなというのも 近年の日本ハムのドラフト戦略でも証明さ れてるようにドラフトでその年の最大の 目玉選手を獲得できれば多球団にかなり 大きな差をつけられるからな多少補強 ポイントに合ってなくてもそれを補って あまりあるほどの補強効果があるもんね 平成中日成功ドラフトしでも紹介したが 例えポジションが重複してもコンバート すればいいからな先発ローテガ56人 きっちりSQ投手で埋まってる球団なんて ないしね残念ながら小池投手の抽選を外し た後はプリンスホテルの住吉吉典選手を ハズれ1位で獲得この住吉選手はこの年 行われたアマチュア世界選手権で全日本の 予番打者を任された選手だったんだ ベテランに長打力供給を依存する状況だっ ただけに補強ポイントにあったタイプの 選手を獲得できたのねフロントも当時の 状況を適切に把握してたようでこの年指名 した6選手中3位の小島義博投手を除くご 名が野手かなり野手にリソースをさえてる じゃない戦略に関してはかなり正しかった と見るべきだろうただ期待された1位の 住吉選手はプロ通算わずか30試合に出場 しただけで1995年に自由契約になった んだえたったの4年で戦力外になっちゃっ てるじゃないの2で指名した石本つ選手は プロ入り後に外野種に転校し瞬息を武器に 一軍でコンスタントに出場機会を得たが レギュラー定着はならずプロ入子1度も 規定打席到達は愚か100試合以上の出場 はなく2005年に現役を引退してるぞ 全く戦力になってないわけじゃないけど 指名順位を考えるとかなり物足りない キャリアになったわね3位以下で指名した 選手の中からも1軍でシーズン通して出場 機会を得た選手は出ておらずこのドラフト で後の主力選手を獲得することはでき なかったんだ適切な指名戦略ができたとし ても必ずチーム強化につがるわけではない というのがドラフトの難しいところよね ゆえに補強ポイント度ししてでもその年の 目玉選手に競合覚悟で特攻するのも1つの 戦略というわけだな1つのドラフトにプロ 入りゴ活躍する選手が何人もいるわけでは ないしね平成日本ハム失敗ドラフトし2つ 目は1995年だこの年の日本ハムは首と 22ゲーム差の4位特質点差-26は リーグ超の値で戦力的にも厳しい1年だっ たと言わざるを得ないなまだ浮上の きっかけをつめてない状況だったのね チーム失点数503はリーグ4位でリーグ 平均失点数496を考えれば旧大点と見て いいだろうただこの年規定投球回数に到達 したグロス西崎高野広文は3名とも30代 の投手だそう何年も活躍を見込めない状況 だったのね24歳の岩本を保有できてたと はいえ将来的な見通しは決して明るいとは 言えない状況だな将来先発を任せられそう なエース候補が必要な状況ね野手の方も 得点数477はリーグ超でリーグ平均得点 496を下回っており球大点は与えられ ない結果だな野手もまた投資と同様に原油 戦力に課題があったのね構成を見ると26 歳の片岡淳28歳の田中幸夫がいたものの チーム最た本類打を記録したブリト重Cは それぞれ3230歳の高齢外国人選手 ファームの有望株といえば20歳の金子誠 選手しかいなかった状況を考えれば将来的 な見通しも決して明るくない状況だな90 年のドラフト以降もヤシュの整備はあまり 進んでなかったのねこの状況では投資かや かというよりは将来の主力を担える スケールの大きい選手の獲得が必要だった と見るべきだろうこの状況でチームは逆 指名制度を使って明治大学の中村豊外野主 早稲田大学の新井信明保守をドラフト12 で獲得したんだアマチュア屈の野手を2人 も上位指名なんて悪くない指名だったん じゃないチーム状況を考えれば保守に上位 枠のリソースをさえたことも含めて適切な 指名と評価していいだろう3から5位は 高卒社会人投手を指名しており全体的には 若有望株選手を抑えるドラフトとなったん だ高卒社会人ってことはプロ1年目は大学 4年生の台に当たるわけだから結構 ポテンシャル型の選手もいるもんね選手の 属性という点では適切な指名戦略だった ように思えるなただ先に言っておくとこの 年指名された選手の中から規定打席 もしくは規定投球回数に達した選手は不在 肝心の見極めの部分でうまくいかなかった のね1位で指名された中村豊か選手は打撃 面で結果を残すことができず日本ハムでは 7年間で通算690打席を与えられたに とまり2002年オフにトレード移籍2の 新井選手もまた打撃に課題があった選手で プロ通算わずか81試合の出場で2003 年に現役を引退したんだ期待の上位や主に 名がほとんど戦力にならなかったのね3位 の沼田ひし4位の黒木純司5位の平松正司 投手はそれぞれの頭文字を取ってNHK トオと命名されたんだ時代を感じる ネーミングセンスねこの中では黒投手が4 年連続で30試合以上に登板するなど一定 の活躍を見せたが以降は登板機械が激減 限定的活非常に短期間の貢献にとまって しまったんだNHKをぶっ壊すいきなり 突っ込みに困る冗談はやめてくれないか他 方面からお叱りを受けてしまうだろNHK をぶっ壊すネタをぶっ壊されちゃったわ6 位の美田拓や7位の中西幸仁の両選手は 一軍出場することなくチームを対談この ドラフトはほとんど実りをもたらさない ものになってしまったんだどんなに指名 選手の属性は適切でも結局選手の ポテンシャルの見極めがうまくいかないと もももないわねそう考えるとスカウトの 責任は重大だし敏腕スカウトこそ高い年方 を支払うべきなのかもなスカウティング システム含めて資金をかけるべき時効な ことは間違いないだろうな平成日本ハム 失敗ドラフトし3つ目は1997年だ なかなかチーム強化戦略がうまくいかない 時期が続いてたのね90年代の日本ハムが なかなか競争力を高められなかった理由が だんだん分かってきたわなかなかこの時期 は戦力の積み上げができてないからなこの 年の日本ハムは借金8を抱えて首と14 ゲーム差の4位失点数得点数は共にリーグ 5で特失点差も-28と戦力的には厳しい 状況だと言わざるを得ないなまだまだ課題 が多かったのねただ編成的には前の2つの 年よりもかなり改善はされてたんだぜあら そうなの失点数も得点数もリーグ5だから 問題は山積なのかと思ったわ投手人は 100イニング以上を記録した投手全員が 20代と非常に若い顔ぶれ岩本関根弘之 今関マサは27歳で時期エース候補の金村 悟はこの時まだ23歳無効数年は先発人が 一定の貢献をし続けられそうな人王ねCて 言えばリーグを代表するレベルの突出した 先発がいないのでそんな投手が1人でも 加わればかなり強力な先発ローテを形成 できるだろうな大卒とか社会人の速戦力 投手を加えられたら面白そうな投手人ね 打線の方も中心打者の片岡が28歳この年 本類打王を獲得したウィルソンはまだ27 歳その他にも22歳の金子26歳の井達也 27歳の上田吉野もいたためヤシもまたに 3年ほどの戦力見通しは決して悪くなかっ たんだセンターラインと長打力の供給と いう野手の編成の根幹部分が割としっかり してたのね特に片岡選手は過小評価され がちな選手だが2023年で言うとサード を守れる吉田正孝みたいな気象価値の高い 選手だからなリーグ最強野手の1人を保有 できてたのねあれそういえば小笠原選手が 活躍するのはもう少しあとなんだっけ 小笠原選手が初めて規定打席に到達するの は1999年だからこの年の2年後になる なってことはすでに日本ハムには在籍して たのよねそうだなこの時点で小笠原選手の 2軍成績が公開されてないのではっきりし たことは言えないが後の協力打線の石は かなり出来上がりつつあったんだドラフト 次第では近将来に優勝争いもできそうな 人形だったんじゃない短期的な成功を 目指すか中長期的な反映を目指すかは フロントの意思次第だがどちらにせよこの 年のドラフトは例年以上に重要だったと 考えるべきだろうなゆえにフロントの腕の 見所じゃないそんな中で迎えたこの年の ドラフトで日本ハムは逆指名制度を利用し て近畿大学の清水明夫投手を1位で獲得し たんだこの清水投手は大学4年生の時には 全日本大学選試験神宮大会優勝を含む アマチュア互間を達成個人でも関西学生 リーグ通算でMVP1回最優秀投手2回 通算防御率1.14の高成績を残し ドラフト前には69団が交渉したほどの 逸材だったんだえ何々リーグを代表する だけのポテンシャルを持った速戦力候補の 投手なんて当時のチーム状況にぴったり じゃないそれだけにこの清水投手を逆指名 で獲得することにこぎつけられたのは編成 の大勝利と言えるなドラフト時点では ぼそっと悲しいこと言わないでよ即戦力を 期待された清水投手だったが入団後2年間 は左肩や肘の故障の影響でほとんど登板 機会は与えられずプロ3年目に1軍で6勝 をマークしたものの投球回数115回13 で防御率4.0と質問量も貢献度はいまい だったんだ入団投手の期待値を考えれば物 足りない成績ねちなみに1998年 2000年の日本ハムはリーグ最高の特 失点差を記録しながら優勝を逃してるんだ ピタゴラス勝率の観点で言えば優勝しても おかしくない戦力を持ってたのねちょっと もったいないわねシトのゲーム差も98年 が3.52000年が4.5ゲーム差と 僅差だからなどうしてそんな話を急に 持ち出すのよ実はこの両年の日本ハムは 得点数リーグナンバーワンと打線が大活躍 ビッグバン打線がもいを振ってたもんね 野手が活躍する一方でチーム失点数は両年 ともリーグ3位決して弱点とまでは言え ないけど主人がもう少し頑張っていればと 思わざるを得ないわねもし仮りに清水投手 が期待通りの活躍をできていれば違った 未来があったかもな当然清水投手だけの 責任ではないけどもし即戦力の活躍ができ てれば優勝してたかもしれないわね結局 日本ハムではプロ3年目が成績のピークで その後は救援に転校2007年のシーズン 途中にはトレードでオリックスに移籍して おりその貢献はかなり限定的なものに 終わったんだ怪我って怖いわね2では高校 生内野の織田智之選手を獲得将来の戦力も 確保しようとしたのね即戦力性の高い先発 と将来の主力候補野手を上位で獲得した 戦略自体は適切だっただろうなただこの 小田選手もまた入団時にフロントが 思い描いていたようなキャリアは歩めず 2004年に258打席に立って打率3割 2部2輪8本類だOPS07と才能の返 sinceを見せたがこの成績がキャリア 牌打撃のポテンシャル自体は高かったん でしょうけどトータルの活度合はかなり 低かったのねましかもこの時期はいわゆる 飛ぶボールの時代だからな統一級時代に 成績が飛躍してた投手みたいなものだった わけね3位の原田健二投手は2000年に 左のワンポイント投手として58試合に 登板したものの2001年には戦力外で 対談4位の飯山裕二5位の古木ゆはプロ 野球ファンならご存知の方も多いだろうが 内野のバプレイヤーとして多くの出場機会 を得た選手だなやならどこでも守れる ユーティリティプレイヤーだったもんね こうした選手の必要性を否定するつもりは もちろんないが両選手とも年間200打席 以上にたった経験はゼ両選手とも打撃に 課題を残すタイプだったもんねドラフトの 成果をシビアに判断するならば決して実り が多かったとは言えないキャリアになった な6位の膝と正義選手は1度も1軍で出場 機会を得ることなく現役を引退全体的には あまり戦力を強化できないドラフトに 終わったのね平成日本ハム失敗ドラフトし 4つ目は2001年だ結構平成の前半は ドラフトで苦労してたのね年度によっては 素晴らしい年もあるだけにほとんど戦力に ならなかった年が短期的に複数回あるのは もったいなかったなちなみにこの前年の 2000年は失敗ドラフトにカウントし なかったがかなり失敗に近い成果しか得 られてないな先ほどの95年から2001 年の7年間で実に4年も成果に乏しい年が あったのはきついわね話を2001年の 振り返りに戻していこうこの年は借金31 を起してしまい首204.5ゲーム差の 再開982000年と優勝争いをした チームがここまで壊滅的なシーズンを送っ たなんて何事よ端的に言えばタイトルを 取れるべき時に取れない間にチームの ピークが過ぎ去ってしまったということだ な主力選手たちが高霊化しちゃったのね まずは投手陣から見ていこうこの年起した 失点数713はリーグ超この時期は東京 ドームがリーグで最も得点が入りやすい 球場となっていたがにしても感化できない 失点数の多さとなっていたかつてリーグで 最も得点が入りづらい環境だったのにマラ の状況ってどういうこと約10年の間に 球団の本拠地が福岡ドーム大阪ドーム千葉 マリンスタジアムグリーンスタジアム神戸 と変わっていったからな回収前の福岡 ドームなんて近年の名古屋ドーム張りに 本類だが出にくい球場だったもんね当主人 の編成を見てみると長年貢献してきた岩本 下柳強し関根が成績を大きくダウンこの3 投手はいずれも年齢が30代に突入して おりいつまでも頼っていられない状況に なってたんだ当主人の層がかなり薄くなり つつあったのね一応エースの金村はまだ 25歳と若く99年にドラフト1位で獲得 した20歳の正大月を保有していたため 壊滅的な状況ではなかったが原油戦力も 将来性のどちらも決していい状況とは言え ないな先発候補の補強が必要な状況だった のね投手以上に大きな問題を抱えていたの が野主人だそれまでチームの最大の ストロングポイントだったがこの年は得点 力593でリーグごいリーグで最も得点が 入りやすい環境でその攻撃力はかなり まずい状況よねしかもこの年主力として 多くの出場機会を得た片岡オバ道井達也 野口俊博田中幸夫は全員30代数年後も 活躍が見込める主力選手は28歳の小笠原 26歳の金子誠選手くらいだったんだ ピークが過さろうとしてたって意味がよく 分かったわしかも90年代の日本ハムの 中心的存在だったか片岡選手がこの年FA 県を取得ドラフト後にはなるがこの年の 12月21日に阪神への移籍が決まったん だまさに1つのサイクルの終焉を象徴する ような出来事ねただ全てが悲観的な状況 だったわけではない実はこの前のドラフト で96年に高橋慎二98年に森本ひ99年 に田中賢介と有望株を何名か獲得できてた んだ北海道移転後の最初の黄金時代の メンバーたちじゃないこうした状況を考 えるとこの年のドラフトでは次世代の サイクル構築と割り切って将来の主力候補 獲得を目指すべきだろうな1度や2度の ドラフトでこの壊滅的な状況を改善できる わけではないからねこの状況で迎えた ドラフトで日本ハムは自由獲得枠で稲田 大学の江尻慎太郎投手を獲得したんだまあ 投手も先発の 子不語5歳の投手だったんだえ悪いけど 当時のチーム状況に適切な選手だったよう には思えないわ実は元々日本ハムは高校生 ナンバーワ投手の寺原はと投手の1位指名 を検討してたんだ選手の属性という意味で はテハ投手の方がマッチしてるじゃない 寺原投手はこの年のドラフトで4球団が 競合指名するほどの逸材で確かに入札の リスクはあったでもその入札リスクを追っ てでも将来の有望株が欲しい状況だった じゃないのよ実は当時の記事によると三沢 取締り役編成部長は次のように語ってるん だ今期は低迷し来年はどうしても優勝し なければならない寺原君は体力面などから 23年先に期待していた将来性よりも今回 は即戦力で行くことになったああなるほど 短期的に状況を改善しようとしちゃったの ね記事をよく見るとドラフトの方針を 決める首脳会議に当時の大島泰典監督も 出席してるんだ監督が出席するのは普通 じゃないもちろん現場の移行を組むのは 大切なことだがどうしても監督は自分の 在任期間中の成績向上を優先するため編成 の観点で言うと非常に短期的な戦略思考に なりやすいんだ自分の在任期間中の成績は 下げてもいいから将来のチームの反映を 望む監督なんて少ないもんねこれは あくまで監督に求められた役割の違いに すぎないが当時の日本ハムは今のような GM制度を設けてなかったのでチーム編成 における監督の移行が反映されやすかった んだろうな登場人物の誰1人悪くないけど 編成の観点で考えると適切ではなかったわ ねエジ投手はプロ3年目から1軍で コンスタントに登板機会を得るものの先発 で結果を残せず2007年からは救援に 転校救援転校以降も主力級の活躍をしたと は言いがく2010年のシーズン中に トレードで横浜に移籍したんだ補強 ポイントとのずれを感じさせないほどの 活躍にはならなかったのね実は日本ハムは 2巡目でも大卒社会人の山口孝介投手を明 してるんだ上位のリソースをドラフトでは 恒例の部類に入る投手に使ってしまったの ね正直戦略としてはかなり不適切だっった と言わざるを得ないなしかも山口投手は プロ通算わずか16試合の登板で2004 年には早々にチームを対談してるんだ短期 的な利得も得られなかったのね4巡名以降 の指名では5名の選手を獲得しているが その後選手の日本ハムでの合計通算試合 出場数は22試合ほとんど試合に出られて ないじゃないの戦略面と選手の ポテンシャルの見極めの両方を総合的に 評価した時に平成の日本ハムではワースト のドラフトとなってしまったんだ後に編成 力のすさで黄金時代を築いたチームとは 思えない結果ねこうしたドラフトでの反省 を踏まえてか2002年以降の日本ハムは ドラフトで次々に成果を出すようになって いくんだやっと北国の春が見え出すわけね 2003年に糸井吉を2004年に ダルビッシュ遊2005年に洋チソ山友 武田正2006年に吉川光2007年に 中田宮西直樹など毎年のようにドラフトで 後の主力選手たちを獲得していくことに なるんだ今振り返ってみてもとんでもない 面々ねチームも2004年に北海道に移転 して2005年からは高田しが球団初の GMに就任するなど改革が進んでた時期だ な日本ハムが休会を接見していく石は 2000年代半ば頃から気付けあげられて たわけ ね今回は日本ハム教皇指名入団拒否士を 紹介するぜ日本ハムって良くも悪くも ドラフトを賑わせる球団のイメージがある わ結果的に入団にこぎつけたものの当初 高卒でのメジャー挑戦を表明してた大谷 翔平選手を指名した時もかなり話題になっ たからな実は紐解いていくと過去にも昭和 の時代にも教皇指名をして入団拒否された 事例があるんだてっきり北海道移転後の チーム方針なのかと思ってたけど昔から 強行指名する文化があったのね個別に紹介 していくにあたって今回の対象について 触れておくぞ今回は明確な入団希望条件が あった選手を対象にしてるぜチームとか 指名順位とかってことそうだなドラフト前 の時点でこの条件でなければ入団しません と宣言してた選手を指名したケースを強行 指名とさせてもらう昔のプロ野球だと進学 とか社会人行を目的にした入団拒否率 高かったりするもんねそういうことだでは 早速紹介していこう日本ハム教皇指名入団 拒否士1人目は1976年のの黒田シジだ 約半世紀前の出来事ねこの年のアマチュア 野球といえば東海大学相模高校の原達典 選手が大人気でその進路にも大きな注目が 集まってたんだ何せ高校野球の全試合完全 生中継のきっかけを作ったほどの超人気 選手だったもんねただこの原選手に関して は父親の原光さんが東海大学への進学を 早くから表明しており全球団が指名を回避 したんだ当時は今以上に教行指名する文化 があってな名回避されるってよっぽど東海 大学が硬いと見られてたのねもし原親子を 敵に回したら東海大系列の全ての学校と 絶縁状態になりかねないからなそんな中で この年進路が注目されていた高校生投手が 2人いたんだ1人は改正高校の境経一もう 1人は今回紹介する相徳高校の黒田慎二 投手だどうしてその2人は注目を集めてた の2人は投資としての実力はもちろんの こと甘いマスクで女性ファンから人気を 集めておりこの年の甲子園のアイドル的な 存在だったんだ顔も良くて甲子園にも出場 してドラフト上位候補そりゃ各級団が人気 もみで獲得したくなるわよね特に黒田投手 は実力面でもかなり期待されてたんだ そんなにすごい投手だったの黒田投手は3 年春の選抜で全国制覇を達成この時の相徳 高校は黒田投手の他にもタレント揃いで 山崎裕三大竹敦小川達明とこの年の ドラフト会議で指名されることになる選手 が4名もいたんだ1チームに4名もいた なんて優勝しない方がおかしいくらいの 面々じゃない夏の県予選準決勝では名門 広島商量相手にノーヒットノラを達成し 春夏連続で甲子園に出場ちなみに広島商業 は1973年の甲子園優勝チームで黒田 投手はその広勝を対戦してみたいという 理由で相徳に進学したそうだそれで実際に 倒しちゃうんだからもう漫画みたいな世界 ね春夏連覇を目指した夏の甲子園では3回 戦で堺経投手要する改正高校に破れて しまったが世代最強投手の1人との呼び声 も高かったんだ春夏連覇をかけた試合で イケメンのドラフト有力候補同士が ぶつかったなんて当時はとんでもない大 フィーバーだったでしょうねオールド野球 ファンにとっては広島の黒田といえばもし かしたらこの黒田シジ投手を想像する人も 多いかもしれないな進路が注目された黒田 投手は地元の広島カープ入団を希望カープ も黒田投手の一位指名を予定しており両者 は総子相愛の関係だたんだ21世紀の野球 会だと工業高校の中村翔生選手の時と状況 が似てるわねただこの年のドラフトは シーズン回から指名するウェイバー方式 だったためカープより先に入札できた日本 ハムが黒田投手を強行指名したんだまそれ だけの注目選手だったなら他の球団だって 欲しくなるわよねそして皮肉なことに広島 は黒田投手のチームメイトである山崎選手 を1位指名したんだPL学園の桑田清原 みたいな事件がこの年のドラフトでは怒っ てたのねその時とは違って密約疑惑もなく 単なる制度上の問題だっただけに黒田投手 もやせなかっただろうなドラフト後日ハム への入団を拒否する以降の黒田投手に対し て周囲はプロ入りを進める声もあったそう だ周りがガチガチに囲い込んでるのかと 思ったけど結構柔軟な考えだったのねただ どうしても広島でプレイしたかった黒田 投手は日本ハム入りを拒否して社会人の 日本交換福山に入社ただそこで機関士全速 を患い結局1年で代謝することになるんだ 甲子園で活躍してからわずか1年でそんな 苦境に立たされてたのねその後はブランク を経てリッカーに入社すると社会人野球で 活躍ただそこでもリッカーの経営不審など もあったため救済処置のような形で 1982年のオフにドラフト街でヤクルト に入団したんだなかなか波乱万丈な野球 人生ねちなみに甲子園で好勝負をした酒一 投手は1976年にドラフト1位で ヤクルトに断してたため2人は6年越しの チームメイトとなったんだまるで運命に 導かれるように2人は一緒になったのね ヤクルト入団後の黒田投手は1年目こそ 主に中継で32試合に登板するなど戦力に なったがオフに右肘を故障その影響で翌年 以降は登板数が激減し1987年には現役 を引退されたんだ高校時代の活躍を考える とプロでは寂しいキャリアになってしまっ たのね目線が黒田投資中心になってしまっ たが日本ハム視点で話すとファイターズは この年黒田投手を含む6名の選手を指名し たが4名の選手に入団拒否されてしまった んだ2人しか入団してないじゃないの2で 指名した藤沢君投手はプロ野球市場最多の 4回入団拒否して5回指名された選手なん だがちょちょ待ってよ何よその移植の経歴 は藤沢投手のキャリア紹介だけで1本の 動画を作れるくらいなんだが今回は割愛さ せてもらおう気になって夜しか眠れないわ この190776年のドラフトは藤沢選手 にとって2年ぶり4回目の指名だったんだ が甲子園出場歴みたいな言い方しないで2 指名は藤沢選手にとって過去最高の順位 だったんだ指名拒否しつつ着実に力を 伸ばしていってたのね藤沢選手も一旦は 入団を受諾していたが交渉の途中で日本 ハム川からまさかの契約金値下げを提案さ れたんだゼガ日でも入団して欲しくて契約 金をアップすることはあっても下げる なんて聞いたことがないわこれには藤沢 党首も誠意がないと反発し社会人屈しの サワの入団は幻に終わったんだ何やってる のよ藤沢投手は翌76年に中日から ドラフト1位指名を受けて入団1年目には 13勝リーグ4位の防御率2.82位勝率 7割に輪で最高勝率のタイトルも獲得し 新人王にも選ばれたんだとんでもない速戦 力投手じゃないの2年目以降は故障で成績 を下げたもののドラフト5回指名の実力は 本物だっただけに契約交渉で土のはかなり もったいなかったななかなかじり度の高い ドラフトになってしまったのね日本ハム 教皇指名入団拒否し2人目は1980年の 高山行雄ださっきの黒田投手を指名した ドラフトから4年後にまた拒否られてるの ねこの時期は公然とした囲い込みが問題し され始めてたからなそんなに入団拒否が 多かったの当時の時代背景も含めて紹介し ていこうまずこの年の日本ハムは最初の1 位入札で長目玉だった東海大の腹立のりを 指名ただこの原選手の抽選を外してしまい 2度目の1位入札で秋田商業の高山行を 投手を指名したんだ高山投手は注目されて た選手だったの秋田商業では甲子園23回 出場優勝こそできなかったものの3年の夏 の甲子園では最速149kmを記録し大会 屈しの速急波投資として注目を集めたんだ その時代の高校生の149kmって めちゃくちゃ早いんじゃないのプロでも 150kmを投げる投手が少なかった時代 だからな現代の感覚だと160km近い 速急を投げる投手が現れたみたいなものか もねただ高山投手はドラフト前から西武 入りを熱望し西武以外から指名された場合 はプリンスホテルに進むことを明言してた んだそんなにホテルマンになりたかったの 実は高山投手は高校3年生の時に右足の 故障を抱えており進路に悩んでたそうなん だ体が出来上がってない状態でプロに入っ て散々な結果に終わるパターンもあるもん ねそんな時当時西武でで監督を務めていた 根元陸押しに相談したところプリンス ホテルに入社して手術とリハビリを行う ことを進められたそうだしかも何年でも 待つという誘い文句つきで高い契約金と 会社員という安定を保ちながらリハビリに 専念できるなんて高山投手にとって最高の 環境じゃないそうした背景もあって高山 投手はドラフト時点で西武以外なら プリンスホテル入社を公言してたんだ そんなこと許されるの実はプリンスホテル は西武と同一資本の公式野球部であり西武 入りを希望する選手が指名を拒否して一旦 プリンスホテルに入社ドラフト海禁まで プリンスホテルで過ごすという実質西武の ファーム化が問題しされてたんだなかなか 堂々たる囲い込みね実際この80年に入団 拒否をした選手が3名いたんだがその3名 は後に全員プリンスホテルに入社してるん ださすが当時の西武帝国はやることが えげつないわね実際かなり金にものを言わ せてたそうでプリンスホテル入社にあたっ てプロ野球チーム以上の支度金を用意して たそうだFAもない時代ってことを考えれ ばなるべく金払いのいい球団に入った方が いいからそれだけ潤沢な資金を用意してた 西武グループに囲われる方が選手としては 恩恵が大きいもんねこの80年はドラフト の目玉だったプリンスホテルの石毛広道が 西武ならプロ入りを名言半球が強行指名 するも抽選の結果西武が石毛の交渉権を 獲得したんだ半球としては黙って見てる わけにはいかないもんね半球はその後 ハズれ1位で真勝学園の川村かを指名しが 西武行きを希望して阪急入団を拒否して プリンスホテル入社したんだ1度ならず 2度までも西武にしてやられたのねそして 今回紹介した高山投手もまた西武医療を 希望しプリンスホテルに入社日本ハムも 抵抗を試みて高山投手と交渉したそうだが 日本ハムとの交渉が行われた翌日には プリンスホテルの総子配人が高山投手の 実家を尋ね翌日には同者への入社を発表し たそうだ抵抗虚しくあっという間に入団 拒否されてるじゃないこのプリンスホテル 総司杯人幅ひがなかなかの強腕の持ち主で 幅を効かせてそうだな強力な資本とこ政治 力を使ってアマチュアの有望株選手を乱 comeしてたのねその後川村投手は83 年ドラフト4位高山投手は84年に3位で 西武に入団してるぜ全て西武の思惑通り じゃないのこれには日本ハムと半球が合道 で本当にその選手が欲しいのならドラフト 前に入社を内定できたはずそれをドラフト 後にプロとアの秩序を守ってほしいと パリーグ会長へ訴えるなど大問題になった んだ戦力が一局集中しちゃう抜け穴だらけ で何のためのドラフトなんだって感じだ もんねこの年ロテに1位指名された横浜 高校の愛光たし選手も西武以外なら拒否し てプリンス入りを誘われてたそうだが先に 川村と高山選手の入社が決まっており高校 生3人をしかもドラ1を取るのはまずいと いうことでロテ入りしたそうだ日本ハム 教皇指名入団拒否3人目は2006年の 長野久義だ長野選手の話はかなり有名な話 だもんねロッテ入団拒否士でも紹介したの で手近に話せてもらうぜ長野選手は日本 大学時代に大学生屈しの講座者として知ら れた選手で4年時となった2006年には 2期連続で主打者を獲得これは東都大学 リーグ市場11年ぶりの快挙で秋野リーグ 戦では満票でベスト9に選出されたんだ この活躍が評価された長の選手は日米大学 野球戦試験IBFインターコンチネンタル カップ2006年アジア大会など様々な 国際試合で日本代表にも選ばれたんだ大学 生外野種の中では頭1つ抜けた存在だった のねその長の選手を日本ハムが代車 ドラフトの4巡目で指名この年は高校生と 大学社会人を分けて指名する分離ドラフト 時代だったが代謝ドラフトで指名された 外野種の中ではロッテ3巡目の神戸巧に つぐ2番目に指名されてるな外野種の中で は上位クラスの評価だったのねただ長野 選手は大学時代から巨人入りを熱望してい たため日本ハムの入団を拒否2年後の巨人 入りを目指して本田技研工業へ入社したん だまたしても教皇指名失敗しちゃったのね 実はこのドラフトの前年日本ハムはソフト バンク入りを熱望していた洋チソ高校生 ドラフト1巡目で指名要選手の兄である やんやしのソフトバンク入りが決定的な 状況でかつ祖国の英雄である王監督に憧れ ていたよう選手は日本ハムが交渉権 を獲得した時点ではかなり同様を隠せ なかったんだそこまでガチガチな状況だと 交渉はかなり難行しそうよねただ日本ハム は要選手に北海道を案内するなどの 熱烈な入団交渉を行い見事入団にこぎつけ たんだなるほどそこで口説き落とせた経緯 が長野選手への強行指名につがったのね 言い方悪いが分離ドラフトでの4巡目指名 というのは普通のドラフトなら5から6位 程度の回指名に相当するものだダメで元々 ていう思いもあったのかもね本田入社後の 長野選手が巨人入りするまでの経緯は過去 動画乗って入団拒否死を見ていただけると 幸いだぜご視聴よろしくお願いします日本 ハム教皇指名入団拒否士4人目は2011 年の菅野友行だこれまたかなり話題を さらった入団拒否士よねおそらく21世紀 の教皇指名の中では最も有名な話の1つだ な腹一族の壮大なストーリー完結編って 感じだもんね先ほど紹介した1980年に 原達典選手を指名して抽選を外した日本 ハムがその追いである菅野投手の指名権を 巨人と争った末に獲得というのは ストーリーがあって面白いな当時の状況を 振り返っていこう東海大学時代の菅野友之 投手は首都大学リーグ通算で37勝4敗 防御率0.57で2度のMVPと6度の最 優秀投手賞を獲得したんだリーグ内では 頭抜けた選手だったのね菅野投手は全国 レベルでも頭1つ抜けた存在で在学に3度 出場した大学選手権でも10試合に登板し て50回3/3を投げて52脱三振防御率 053と驚異的なスタッツを残してるんだ 全国レベルでも全く相手を寄せつけてない じゃない高校時代は腹立つ乗りの多いと いうことで注目を集めていたが大学4年時 には超目玉選手の菅野友行として脚光を 浴びるようになったわけだ話題先行型の 選手ではなくなってたのねこのアマチュア ナンバーワ投手に対して叔父の原達典が 監督を務める巨人が早々に1位指名を名言 実は前年のドラフトでもアナンバーワンと の呼び声もあった中央大学の沢村ひかが ドラフト前から巨人以外なら入団拒否をに 負わせており打球団は指名を躊躇したんだ 巨人人気が落ちたと言われてもなお長の 選手のように打球団からの指名を拒否して までジャイアンツ入りする選手もいるもん ねそのため菅野投手もまた巨人への石は 硬いと見て菅野投手は単独指名される だろうというのが大方の予想だったんだ そんな中で日本ハムが教皇指名をしたわけ ね日本ハムが菅の投手を指名した瞬間の 会場は巨人ファンの悲鳴と多久団ファンの 驚きの声で大盛り上がり巨人は長年人気 球団だったからその分アチも多いもんね しかし日本ハムもなかなか思い切ったこと したわねこの時期の日本ハムはドラフト 戦略で黄金時代を築いており糸井義男 ダルビッシュ遊吉川光夫中田翔など後の 主力選手を次々に獲得してたんだそうした 成功体験の背景にはその年アマチュア ナンバーワプレイヤーを1位で指名すると いうチーム戦略も大きいんだぜ多少補強 ポイントとずれててもリーグの数正を 変えるほどのポテンシャルの高い選手を 獲得するって方針だもんねおそらくそうし た哲学のも菅野投手指名に踏み切ったわけ だな実際この2011年に指名された選手 の中でプロ入りゴに最も実績を残してるの は菅野投手だからな入団拒否のリスクを 承知の上でそれでも名を指名する価値が あると判断したのねご存知の通り巨人とに 日本ハムによる2球団の抽選の末に日本 ハムが菅野投手の交渉権を獲得日本ハムが 事前に菅野サイドに対して指名をしないと 通達しており指名挨拶もなかったとして原 監督の父でもある原三串が怒りを荒にする など菅の再度は難色を示したんだドラフト 戦略上の都合とはいえ嘘をついてしまった のは相手に与える印象は良くないわね結局 ドラフトから約1ヶ月後の11月21日に 菅野投手は日本ハム入団拒否の移行を表明 巨人入りを希望した要因としてやはり原 監督と共にプレイしたいというのが 大きかったそうだプロで憧れのおじさんと 同じチームでプレイする機会なんてない もんね通常大学生が指名拒否をして再び プロ入りを目指す場合社会人に進んで2年 後のドラフトを目指すのが一般的だが菅野 投手は東海大の卒業延期制度を利用し大学 に残り1年の浪人生活を選択したんだその 間実践経験がないことなどもあって貴重な 1年を無駄にするんじゃないかって会議的 な声もあったもんね1年後の2012年の ドラフトでは巨人から単独1位指名を受け て晴れて巨人入りが決定さすがに今回 ばかりは日本ハムも自長セザを得なかった のねそれもあるだろうがひょっとしたら この年1位で指名した大谷翔平選手の方が 菅野投手より上という判断もあったかもな 菅野投手以上の逸材なんて数年に1度だ けどまさか翌年にそれ以上の怪物が出て くるなんて余談だが2011年の日本ハム のドラフトはなかなか神がていて2位で 2022年の首打者松本号4位で最高出塁 率2回ベスト9を3回受賞した近藤賢介6 位で原エースの噂は直行を指名してるんだ 菅野投手抜きでもとんでもない当たり ドラフトじゃない菅野大谷のダブエースが 見られた可能性があるなんて胸厚すぎるわ この時期の日本ハムのスカウティングの 優秀さを物語るドラフトでもあったんだ 日本ハム教皇指名入団拒否し5人目は 2016年の山口裕次郎だちなみにこのの 山口投手が入団拒否をしていこう育成指名 を除くと入団拒否した選手はいないんだ 年々指名拒否する選手も減ってきてるし ひょっとしたら最後の指名拒否選手になる かもしれないのね今はかなり事前交渉も するし昔みたいな無茶な指名は減ってきた からなちなみに指名選手の入団拒否が 起こったのは先ほど紹介した菅野投手が 拒否して以来5年ぶりのことだったそうだ この時期は良くも悪くもよく日本ハムが ドラフトで話題の中心になってたイメージ だわさて山口投手の指名拒否について経緯 を振り返っていこう山口投手は理性者高校 時代の3年夏に甲子園出場後にヤクルトに ドラフト1位で入団することとなる同級生 の寺島なき投手との2枚看板で全国的に 注目を集めた投手だったんだ同じ年にプロ から指名される投手を2人も用してた なんてさすが競合秘め大阪って感じね山口 投手はドラフト前に調査書を提出した11 球団に対し4位以下の指名であれば社会人 野球へ進む方針を伝達してたんだが ドラフトでは日本ハムが6意で指名したん だ後からやっぱり社会人に行きますでは なく事前に条件を出してたのに日本ハムが 指名しちゃったのね実はドラフト前日に 複数の球団が4位以下での指名が可能か どうかを最終確認してたそうだ本人の石を 確認してたのねただその中に日本ハムの 名前はなく事前連絡のない教皇指名だった ことに理性者側は不審感を荒にしたんだ ちなみに理性者の岡田監督はドラフト義前 に山口投手本人に今だったら修正ができる と確認したそうだが本人は当初の予定通り 4位下なら社会人に進む石は変わらなかっ たそうだその話を聞くと直前の石確認もせ ずに教行指名した日本ハムは単に情報不足 だった気がするわねドラフト翌日に日本 ハム大ぶスカウトディレクター木田GM 補佐芝草スカウトが教行指名の経緯を説明 しに同行を訪問ただ山口投資本人は同席し なかったそうだ交渉のテーブルにすらが ついてくれなかったのね岡田監督も指名を 回避した球団もあるだけに信用問題になる と日本ハム入団を拒否する姿勢を見せたん だ直前で最終確認してきた球団に対して 申し訳が立たないもんね結局山口投手は 日本ハムの入団を拒否してjr東日本に 就職し野球部に入部ルーキーイヤーから 登板機会を与えられたものの社会人では 大きく成長することができず2022年に 現役を引退してるな指名から6年後って ことは24歳の年よね本来ならバリバリで やっててもおかしくない年齢で引退せざる を得なかったってことはある意味当時の 選択は正しかったのかもね高卒投手の4人 に1人は1軍出場機会もないまま引退する くらいプロはシビアな世界だからな開指名 選手ともなると34年で戦力外なんてこと もざにあるからそういった意味では懸命な 判断だったとも言えるんじゃない普通に 就活してたらjr東日本なんてなかなか 入れるもんじゃないしな仮に社会人で できれば数年後にドラフト上位でプロ入り できるしだめなら大企業で働き続けられる しで高卒選手が開始名を拒否するのは 決して悪い選択ではないように感じてきた わ当時は理性者や山口投手に対して批判 する声もあったが極めて冷静な判断だった と言えるなというわけで今回は日本ハム 教皇指名入団拒否士を紹介していったぜ よかったらチャンネル登録や高評価をして いただけると動画制作の励みになるので よろしくお願いしますだぜそれとサンクス でもご支援いただけると書籍購入などに 役立てますので大変助かりますそれではご 視聴ありがとうございまし た今回は新3大球団と球場の対立士を紹介 するぜえ球場と球団って対立するのそうな んだ実はプロ野球チームの多くは自分たち で球場を持っているわけではないんだ そしてそれゆえに多くのトラブルが起こっ ている今回はそのあたりの事情も含めて 確認するぜお願いするわ新参大団と球場の 対立し1つ目は北海道日本ハム ファイターズと札幌ドームの対立だこれは 聞いたことがある話だわ新球場を作るん だっけそうだ日本ハムは2023年 シーズンはエスコンフィールド北海道で プレイすることが決まっているあれは揉め た結果の新球場ということなのね今回は そこに向かうまでの経緯を説明するぜ札幌 ドームが誕生したのは2001年そもそも このドームは2002年に行われる サッカー日韓ワールドカップ誘致のために 作られた日韓ワールドカップは各地に たくさん箱物を作ったものねそうだしかし 日韓ワールドカップの後サッカーだけで 施設の運営を維持できるはずがない実は 札幌ドームは北海道にプロ野球チームを 誘致することも前提に作られたんだ サッカーと違って野球なら毎日工業が できるものねそんな時東京をホームタウン としながら観客席で艦取りがなくチームが あった日本ハムファイターズだ同じ東京 ドームを本拠地とする巨人とは運営の差 だったもんね日本ハムは巨人ヤクルトと 球団がひしめく東京で人気を得られず本拠 地点を模索してたんだ当時は日本ハムだけ でなくパリーグ自体に人気がなかったもの ねそこで名乗りをあげたのが北海道だ日本 ハムは2004年にフランチャイズを 北海道に移転チーム名を北海道日本ハム ファイターズと改めホーム球場を札幌 ドームに移すことになったんだその後日本 ハムは急に強くなったイメージだわその 通りこの後日本ハムは地域密着に成功し 人気級団に成長新庄選手やダルビッシュ 選手大谷選手といったスーパースターを 生み出す競合球団に生まれ変わったんだ 地域密着がうまくいって全てがうまく回り 始めたのねそんな順風満パンに見える日本 ハムだが実は長年お金の面で問題を抱えて いたんだえだって地域密着でお客さんも たくさん入って人気球団になったんだよね それは事実だただそれと儲かっていたかは また別の話なんだどういうことこれを説明 するには球場の運営がどのように行われて いるかを理解する必要がある札幌ドームを 始め日本の球場の多くは第3セクターと 呼ばれる事業隊によって運営が行われて いる第3セクター何それSF用語第3 セクターとは本来は国や地方公共団体が 行う事業を民間と力を合わせて行うことだ 例えば札幌ドームの場合札幌市と札幌の 複数の有力企業が共同出資した株式会社 札幌ドームという企業が運営を行っている 随分直球な名前ね首都企業が一緒に運営を 行っていると考えてもらえればいい球場は てっきり球団が運営しているものと思って いたわ勘違いしがちなんだが球場と球団は 別物だ日本ハムは株式会社札幌ドームに1 試合ごとの使用料を払い考量を行っている わけだ年間契約とかでもなく1試合での 契約なんだねそしてその使用量が巨額だっ たんだまず前提としてプロ野球チームの 年間収入は100億円ほどと言われている さすがにすごい額ねその中でも日本ハムの 年収入は120億円ほど比較的儲かって いる球団だ地元密着の人気球団だもんね その代わりに支出も当然大きい特に大きい のが選手の年方だ現在のプロ野球では1 球団の年方総額は25億円ほどが目安と なっているこれが12球団あるんだもんね プロ野球選手って夢があるな普通の球団 ならばこの選手年方が最も大きな支出と なるんだが日本ハムの場合これとは別に 27億円近くの支出があったんだえ1 チームの総年方分に相当する額じゃない実 は急場使用量がそれだけかかってしまっ てるんだえさすがに高額すぎないどう計算 したらそんな数字になるのよ説明するぞ まず日本ハムが札幌ドームに支払っていた 使用量は1試合あたり800万円だこれは 高いのかな異次元な世界すぎて相場がよく わからないよ単純に主催試合が年間80 試合ほどあるから掛け合わせると6億 4000万円だな27億円に全然といて ないじゃないああこれに加え観客2万人を 超えた試合は入場者1人当たり 40000円が追加徴収されるチケット台 が2000円くらいだから結構大きい割合 ねさらに札幌ドームは野球だけに使われる 施設ではないサッカーやラグビー音楽 イベントも行われたりするもんね試合を 行うための設備つまり人口芝を敷いたり トレーニング機器の搬入撤去などにかかる 人件費もその全てを球団が負担することに なっていたうわそれは厳しいわね私も球場 に行った時もっと飲み食いしてお金を使っ てあげればよかったわいやそれも意味は ないぞえどうして売店の売上は球団では なく球場に入るそして球場内の広告収入も ほとんど球団に入ることはなく逆に日本 ハムは球団の広告量を急場に払う側になっ ていたんだえさすがにそれはおかしすぎで はこういった契約を奴隷契約と呼ぶ人も いるなそんな契約を結ばなければよかった のに日本ハム球団としては他に用の集客が できる施設がなかったこともあり札幌 ドームを選ばざるを得ない状況が続いてい たんだ足元を見られていたのねこうした 多額の急場使用量は日本ハムの球団運営を 苦しめていくでも日本ハムは北海道に点後 競合球団になったわよねああただ本当を 言えばもっと強豪であり続けてもおかしく なかったんだ1番分かりやすい例が優勝後 の順位だ日本ハムは近年では2012年と 2016年に優勝しているがその翌年は それぞれ会5イト会に低迷している本当だ でもどういう関係があるのチームは優勝 するとそのオフに選手の年方を大幅にあげ ざるを得ないしかし高い球場使用量により 日本ハムは高いチーム年方を維持し続ける ことができないんだ年方の高頭に耐え切れ ず優勝翌シーズンには主力選手を放出せ ざるを得なくなるそれで順位が安定しない 球団になってたのねそうだ2012年の オフにはチーム最高の選手であった糸井 吉男選手2016年優勝の年にはその年の オールスターにも出場していた谷本啓介 選手を無償で放出した無償球団に何の得が あるの得はないその選手の年方を支払わず に住むというだけだ球団経営がそこまで 追い詰められていたのねちなみに日本ハム は昨年も西川治樹選手太田大選手秋吉両 選手といった高年方の主力選手をノン テンダーFAとしているノテだ何それ オブラートに包んでいるだけで戦力外通告 首となんら変わりはないまた年方の天井に ぶち当たったのね主力選手なのにもったい ないああただこうした問題が起こるのは そもそも多額の急場使用量を徴収される ためで球団としても全てが望んだものでは ないんだ球団としても本意ではない戦力 流出があったわけねそこで日本ハムは自分 たちで新球場を作ることを検討し始めたん だ1度自分たちの球場を作れば球場使用量 を払わなくてもいいものねそれで建設され たのがエスコンフィールド北海道という わけねそうだ新旧場の建設について札幌 ドームも初めははったりだろうと高をくっ ていたんだが結果は札幌ドームから見ると 最悪なものとなってしまった札幌ドームは これからどうしていくの札幌ドームの収入 の多くは急場使用により賄われていたこれ から経営はかなり苦しくなるだろうなでも 自業自得かもしれないわね一方で日本ハム はこの新旧場建設により長期的なチーム 強化の可能性が見えてきたこれまでチーム は急場使用量に予算が圧迫され選年方を 高いレベルで維持できなかった新旧上運営 がうまくいくようならこの総年方の天井も 外されることになる前みたいに工学年方 選手を放出しなくても良くなるのねそうだ これまで日本ハムというと数年に1度強い チームを作るという球団だったがこれから はソフトバンクのように長期的に上位に とまり続ける球団になる可能性を秘めて いるおそう聞くと新球場のインパクトが すごいわね安くて若い選手で勝つスタイル だけでなく自チームのFA選手の引き止め 工学FA選手の獲得なども視野に入って くるかもしれないなこれから先の日本ハム が楽しみになってきたわ新3大球団と球場 の対立し2つ目はベイスターズと横浜 スタジアムの対立だこれはいつ頃の話なの 日本ハムの新旧場建設が決まったのが 2018年これはそれより少し前のことだ と思ってもらえればいいベイスターズと いえば弱小球団というイメージだわその イメージは間違っていない2002年から 2012年の11年間で9シーズンが再開 想像を超える弱さだったわ実はこうした 弱い状態が続いたことには球場の問題が 多いに関係しているえそうなのいい選手が いないだけかと思っていたわそのいい選手 がいないのはなぜかという根本に関わって くる問題だな説明するぞまずここでも重要 となってくるのが第3セクターの存在だ 死都民間企業が共同で経営するやつだっけ そうださっきは札幌ドームがその例だった が今回は横浜スタジアムが第3セクターと して登場するもう嫌な予感がしてきたわ その予感は正解だ日本ハム同様横浜も奴隷 契約に苦しめられることになる今回は どんな契約だったのまず球場が行うのは スタジアムの管理保全なるほどその代わり に球団は入場量収入の25%を球場へ 支払うさらには球場内の広告収入や売店で の飲食グッズの販売収入の全てを急場に 取られていた横浜もまた奴隷だったんじゃ ない段からすれば使用量ばかり高く入場量 も129段1高いのにサービスの質も悪い 球場からすれば客が入らないチームに本拠 地とされてもメリットがないというルーズ ルーズの関係になっていたんだルーズ ルーズウンウンの反対だね当時筆頭株主 だったTBSも儲からない事業であること を認識してか経営のやる気も失ってて ベイスターズは年間で30億円近い赤字を 垂れ流していたともされるんだ明るい未来 が全く見えないわねこのようにやる気の ない経営状態がチームにも伝わり結果とし て万年再開の状態が続いていたわけだ確か にフロントはやる気ないけど現場だけは やる気あるとか想像しづらいもんねそんな 苦境に陥っていた2011年ある企業が ベイスターズを買収するDNAだおついに 救世手の登場ねベイスターズはチーム名を 横浜DNAベイスターズに変更初めに試み たのが横浜スタジアムとの契約の見直し だった早速いいところに目をつけたわねで も見直しは難しいじゃそれまで球団と球場 は1年ごとの契約を結んでいたんだ実は これは球場にとっても安心できる状態では ない毎年どの程度の収入になるか見えない わけだからな球場にとってもリスクよね 球団はこの状況を見抜き7年間の長期契約 を提案その代わりに急場に支払っていた 25%の入場量収入を13に下げることに 成功したお半分しか支払わなくて済むね さらに球団に収入が入る広告枠も新しく 設置さらに赤字が解消されそうねこの契約 により球団と球場の新たな パートナーシップが生まれ球場の設備は 劇的に改善していく具体的にはスコア ボードコンコースロッカールームの回収 大型グッズショップの新設ナイター照明の LDかガイアフェンス上部に広告スペース にもなるリボンビジョンの設置すごい しかもこうした回収については急場が負担 したとされているルーズルーズだった数年 前からは考えられないねああ歴史に残る 歩みよりと言っていいだろうこうした設備 回収を始め経営の改善により2015年に は会場以来最多の満員御礼を記録チケット を買いたくても買えない人気球団に変貌し たんだ確かにこの辺りからベイスターズ ファンが増えてきた印象だわしかしなお 問題は残っていたこれほど人気球団となり 観客が増えても以前として赤字は残ってい たんだえ満員御礼ばかりでも赤字って無理 ゲすぎないああこれはもう球団と球場で 収益を分配する構造に限界が来たと言わ ざるを得ないどうするのよDNA球団が 球場を買収したんだ新しく球場建てる なんて費用が馬鹿にならないからそれも また懸命な判断かもね札幌移転してまだ そこまで期間が経ってない日本ハムと比べ て横浜の場合はハマスタに愛着がある ベイスターズファンも多かったでしょうし この買収によりこれまで支払っていた1% の入場量を支払わなくて済んだり広告や 販売収入がそのまま球団に入るようになっ たんだそうなると運営側も画然やる気が出 てくるわよねDNAがユニークで魅力的な イベント開催するようになったのも急場 買収が関係してたってわけねさらにチーム の遠征中やオフにはコンサートなどの イベントで利益を出すことも可能になる そんな色々とうまく話が進むものなのああ 当時球場と球団の間にはすでにかなりいい 関係が作られていたその上数年で人気球団 に変貌させたDNAを横浜市や地元企業が 評価していたんだろうでも買収にはお金が かかるよねもちろんだ横浜スタジアムの 買収には最大で9800円がかかり回収 するには15年かかるとも言われている 2030年前後って考えるとまだまだもう 少し先の話って感じねそれでも先が見え なかったこれまでを考えると大きな進展だ 買収してから収益構造が大きく変わること になるベイスターズはここ数年上位に入る ことが多くなってきたくらいに思っていた けれどこの話を聞くと本当に強くなるのは これからかもしれないわねああそうだろう な先ほどの日本ハムと比較すると今への 球場を手に入れたという結果は共通して いるただその過程で第3セクターと決別し たのが日本ハム有効的な歩み寄りを見せた のがDNAだったというわけださっきの 日本ハムの話を聞いた後だと球団と球場 どちらかはバッドエンドを迎えるものと 思っていたからハッピーエンドに終わって よかったわああそれもDNAの起業努力 特に交渉力故の結果だろうな新3大球団と 球場の対立士3つ目は大阪近鉄 バファローズと大阪ドームの対立だ近鉄 ってなくなった球団だよね確か2000年 代半ばだったっけああ近鉄は2004年 限りで消滅したもしかしてこの消滅って そうだ順々に説明していこうまたしても 重要となるのは第3セクターの存在だ出た 今回は大阪ドームがそうなのかなそうだ 大阪ドームが会場したのは1997年この 頃は日本各地でドーム球場が乱立していた 1988年に東京ドームが完成すると93 年には福岡ドーム97年には名古屋ドーム と大阪ドーム99年には西武ドームそして 2001年には札幌ドームが誕生している ドームの建設はブームだったんだそういえ ば最近ドームって新しくはできていないわ ねそうだそして当時は物珍しかったため ドーム球場での試合に多くの観客が集った また運転中止にならないことも球団として はメリットとして考えたかもしれない天気 が悪いと試合が行われたとしてもお客さん はし試合が中止されたとしても球場 スタッフの費用とか払い戻し対応とかで 人件費がかむもんねこうしたブームに 乗っかり近鉄も97年に本拠地を藤井寺 球場から大阪ドームに移転するしかしこれ が悲劇の始まりだったブームに後追いする とろなことがないもんね近鉄が大阪ドーム を会場した初年度はドームの珍しさも合っ て客足が好調だったもののチームの低迷に 合わせて観客も減少加えてここでドーム 使用量の高さ問題が顕在してくる今度は何 億取られていたの近鉄が大阪ドームに 支払っていた金額は年間10億円当時の オリックスが本拠YahooBB スタジアムに払っていた金額が 6000万円だったためあまりにも高 すぎるという声が出ていたようだむしろ今 まで高い例ばかり聞いていたから YahooBBスタジアムの安さに驚いた わそしてこうした使用量は本来であれば 払う必要がなかったものなんだどういう こと移転前に本拠地としていた藤井寺球場 だがこれは元々近鉄グループのものだった んだつまり本来であれば払う必要のなかっ た10億円が新たに発生した上ドーム 目当てで来ていた客も来なくなるダブル パンチとなったんだうわとんでもない地獄 じゃないこうして近鉄は赤字がどんどん 膨らむ構造を作ってしまったんだ同じ関西 には人気球団の半身もいるし大変よね実は 昔のプロ野球において球団の赤字は 当たり前のことだった球団は企業の広告刀 であってそれ自体で黒字が出るようなもの とは考えられていなかったんだ夕雅時代ね しかし時代が進むに連れ球団経営の意識も 変化し近鉄もこの赤字解消に取り組むこと になる何をしたの球団命名権の売却だ命名 権ってどういうこと大阪近鉄バファローズ であれば大阪近鉄に当たる部分を年間 36億円で売ろうとしたんだえ近鉄が チーム名から消えてしまうのしかしこれは 打球団の反対により消滅したよかったでも これで赤字で首が回らなくなるね近鉄 グループとしては何としても球団を 切り離したい年間で50億円の赤字を 垂れ流す事業を放置しておく方が不健全だ からな確かに普通の企業で考えるとありえ ないことだよねそこで近鉄はヤなく 2004年の夏にオリックスブルー ウェイブと球団合併することを決める 懐かしい球団再編問題よねこの辺は別の 企画に詳しく解説するとして今回は近鉄と 球場の問題にフォーカスして話していくぞ 近鉄とオリックスが合併してしまうとプロ 野球は11球団になる通になっちゃうね これに加えさらなる合併話も出てきたため オーナーの間では8球段から10球団で1 リーグ制とする案が出てきたんだそれも それで面白そうだけどただこれで困るのが 選手だ選手は球団が減少するとその分 働き口がなくなってしまう確かに首になる 人が大量に出てくるよね1球団の支配化 登録枠が70人って決まってる以上プロ 野球選手の絶対数も減っちゃうだろうし それを避けるため当時の選手会がにリーグ 性を維持するために行ったのがストライキ だったんだなるほどそれで球断数を維持 するために東北楽天ゴールデンイーグルス が生まれたわけねそうだ世間を賑わした 休会再編問題だが実はこの問題の発端には 球場と球団の対立構造があったんだ急場 使用量の高さが球団売却そしてストライキ にまで繋がったのねああさっきの ベイスターズはハッピーエンドだったが こちらはバッドエンドになってしまったな

▶︎チャプターリスト(目次)
00:00    1.東映・日本ハムファイターズが大損しくじり格差トレード3選
16:20    2.平成の日本ハム大失敗ドラフトの歴史
38:19    3.日本ハムファイターズが強行指名するも入団拒否した選手たち
1:00:29   4.球団と球場が大揉めして球団経営を苦しめた事例3選
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■ドラフト関連動画
・【編成崩壊】一度のシーズンオフで大量に主力を流出してしまった球団3選【プロ野球】
→https://youtu.be/IRk4tkbRz0I

・【衝撃】新・3大即戦力外ドラフト!優勝から数年でチームに暗黒時代をもたらした悲劇【プロ野球】
→https://youtu.be/vclUp_jzYa8

・【元祖・即戦力外】平成の中日ドラゴンズ大失敗ドラフトの歴史【プロ野球】
→https://youtu.be/PIwzk8JlALk

・【地獄の元凶】平成の阪神タイガース大失敗ドラフトの歴史【プロ野球】
→https://youtu.be/cJNXzxCSofY

・【年間927失点の史上最悪投壊】平成のオリックス(ブルーウェーブ含む)大失敗ドラフトの歴史【プロ野球】
→https://youtu.be/y9QvN_e21xE

・【1年間ほぼ未登板の投手をドラ1】平成の横浜ベイスターズ大失敗ドラフトの歴史【プロ野球】
→https://youtu.be/fA0SEjejCDY

・【消えた逸材】一軍出場0で退団・引退してしまった巨人のドラフト1位たち【プロ野球】
→https://youtu.be/NKfBJV_jNBw

・【強行指名】オリックスがドラフトで入団拒否されてしまい大騒動になった指名3選【プロ野球】
→https://youtu.be/rOhobUcduQo

・【最も入れたくない球団】ロッテがドラフトで入団拒否されてしまい大きな話題になった失敗指名3選【プロ野球】
→https://youtu.be/zcPQ1X5qLSs

良かったら画面右下の高評価と
チャンネル登録お願いします→https://bit.ly/3LInzcK

■野球観戦サービスリンク
・DAZN
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■格差トレードシリーズ動画
・【衝撃】阪神タイガーズだけが一方的に大損してしまったしくじり格差トレード3選【プロ野球】
→https://youtu.be/NnyAwDFWMc4

・【再覚醒】オリックスだけが一方的に大損してしまったしくじり格差トレード3選【プロ野球】
→https://youtu.be/L8O7cY_IVSw

・【前代未聞の移籍拒否】ホークスだけが一方的に大損してしまったしくじり格差トレード3選【プロ野球】
→https://youtu.be/9StXVIYvnbo

・【横浜を出る喜び】ベイスターズだけが一方的に大損してしまったしくじり格差トレード3選【プロ野球】
→https://youtu.be/PEd7ygENN9k

■過去動画
・【不死鳥】西武を戦力外になった後に他球団で大活躍した選手3選【プロ野球】
→https://youtu.be/ONDeywSyT8g

・【悲惨】あまりにも弱過ぎてシーズン途中で解任された監督3選【プロ野球】
→https://youtu.be/blh4LbVZGR4

8 Comments

  1. まとめ動画お疲れ様です(⁠^⁠^⁠)b
    新庄監督も数々のトレード慣行してるし連続最下位も経験したけど今年は躍進してるし頑張ってこのまま突っ走って欲しいですね(⁠^⁠^⁠)b

  2. 今回は日本ハムの失敗特集お疲れ様です!
    ノーテンダーやドラフトなど色々経験し、今年は勝負の1年ながら今のところいい戦いが出来てるので終盤までしっかり優勝争いして欲しいです!(二軍は現在首位!)

  3. 内田順三さんは広島、巨人の打撃コーチとしてからのが有名ですね

  4. 今年57歳になるプロ野球ファンですが、まさかまさかのエモやんが南海の生え抜き選手では無かったと言う事に、今更ながらメッチャ驚いています😂😂
    しかも、故・野村克也さんの引きで出世階段を駆け上っていかれてたとは……野村克也さんの凄さを改めて感じいりました。動画のアップ、本当に有り難うございましたm(_ _)m

  5. ノーテンダーではなく、自由契約か戦力外にしておけば、こんな紛らわしい事にはならなかったと思います

  6. 菅野はまぁ本人より原貢が強硬だったからな、山口は本人の決めたことだし指名拒否は筋が通ってるよなのに無責任な外野は文句しか言わんね

  7. ポジションニーズを問わずその年の目玉選手を指名するのは、それがダルビッシュや大谷のような選手であれば効果は大きいですが、1軍のレギュラーとしては厳しい選手だと他球団に優位性を持てないばかりか弱点を補強できないという残念な結果になります。
    ちなみに、アメリカのNFLでポジションを問わず最善の選手を指名するbest player availableに適したチームは、弱点がないチームまたは全ポジションいまいちなチームと言われています。

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