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5月2日、元早稲田大学総長、奥島孝康氏なくなる。85歳。12年間かけて毎年、革マル派に二億円に流れていたものを断ち切る。立憲民主党とJR労組。



5月2日、元早稲田大学総長、奥島孝康氏なくなる。85歳。12年間かけて毎年、革マル派に二億円に流れていたものを断ち切る。立憲民主党とJR労組。

はい皆さんこんばんは令和6年の5月2日 木曜日ですねえ今日はですね今6時え7位 ですかね7位ですけれども えちょっと私と繋がってる方から あメールがLINEが来ましてえそこで えこのことについてちょっと触れていき たいなと思いますえっとこの方は えうんま新潟で援をした方ですねま家庭 連合の方ですけどもえそれからあこの方は あ何と言ったらいいんですかMさんという 方なんですけどねえこの方は和田大学の 原理研究会出身でえまさに 奥奥島さんですかね奥島さんという奥島 総長が あま拠されたということですね今日この方 はえ奥島高安という方なんですけどえ年齢 は何歳でしたかね え年齢は [音楽] うん [音楽] え85歳ですかねうんとどうなんでしょう か奥島高安さんうん うんえこれは あも高校野球の会長もやっておられたって ことですけどえ早田役の早朝平成6年から 8年間 えそれから平成20年に荒野連高校野球の 会長にも就任されてるということでえま 85歳ですね85歳で亡くなられたという これ時間ぐらい前だと思うんですけどはい こういったお顔をされた方なんですけども はいで実はこの方についてえLINEが来 まして え まちょうどそのこの平成8 年うん要するに早田学原理研究会出身の方 なんですねでえ平成の初めまでとことは 1990 ですかねえ丸派が活動し法学部は確か民 でしたと私たち原見には反原理連絡協議会 があって伝動や 学内講義が暴力的に暴害してきました背後 のは当時の北朝鮮などは動いていたと理解 していますとで早稲田祭は丸の雑誌を入場 としてま取るというんですかねまという ことでこの奥島高安という方の経歴を見る とやっぱりそうなんですねはい えこのま要するにま私も一応早稲大学に 入学はしたんですけど卒業はしてませんえ 中川牧と一緒ですねえ中川春牧と一緒でえ 中川春牧もやっぱり20歳下なんですけど え原理原理開けとか言ってましたね原理を あ嫌だというなんかそういう黒ヘルをメッ とかぶってるとか言ってましたけどそう いうことでえま原理権をまいじめ るっていうんですかねでそういうことが あったんですけどもえこの方の経歴を見る とですねえ奥島高安ということですけども え愛媛県出身そして ええ法学部長ですね1994年から 2002年までま8年間ですねでこの中で えま何をしたかということずっと見ていく とですねえス炙りってことで要するに法学 部長在任事以前より全額で2年に1度き 試験にストライキが行われていたと いわゆる丸派によって行われてたという ことですねでま法学部はだったと思います けど早田学は角の拠点校となり年額約 2億円が大学から角に流れ反対の声が封殺 されてることに危感を覚えた奥島は法学部 長早朝して人気の人気中の計12年に渡り ま早朝は8年なんですけどまあ何かこう いう法学部長もやっとられたんですよねで 丸派をキャンパスから通用することに力し たとでこのまカマをキャンパスから 追い落とすことになったきっかけはですね え川口大三郎君事件というのがあってえ これが1972年の11月要早稲田大学の 校内においてかまれ反によって早稲田学 文学部第一文学部の学生川口大三君が臨地 されて殺されたということ要するにこれに よってですねすごいま私その時にいたん ですけどま大学がもうほとんどストライキ 状態でかまを追い出すということをやった んですけどもなかなかですねえ1年 ちょっとでえまた角がいろんな自治会とか あ文殿って言ってましたかね文化団体連合 会とこの執行部を握ってえ結果的にですね え自治会を握りそして早稲田大学の学 早稲田祭っていうね実行委員会を握ること によってま結果的に年間2億円の資金を ずっと大学がまあ獲得大学から提供されて たということですねまそういうことでえ カマのメンバーがこの活動家5人がこの いわゆる川口1972年の11月8日の カマの事件でえ追求されたんですけどま1 年1年半ぐらいでですねまた神丸派がま 要するに力を持つようになったということ ですね えまここでやっぱりこの 奥島という高安っという早朝の記録の中で ずっと見ていくとですねえ川口大座ブロ 事件が出てきてそしてえ早稲田原理研究会 っていうはやっぱりこの川口記念セミナー ハウスを作ったっていうことを出てますね うんまそういうようなことを出てます そしてえ和田大学は結局カマを温存する 姿勢を示したとま要するに全ての中核派で あるとかですねえ射制度解放派とかもう 全ての大4インターナショナルとかですね 全ての学生全学ま要するに和の押し寄せて 来たんですねそして一般学生も結局カマに よって殺されたということを分かってえ それで一般学生としてその何と言うんです かねえカマ派を球団するとまその時にえ 原理研究会っていうのはなんか誹謗力を 訴えてですねそういう運動をしてるという んですかねそしてまそういうなことでえ やってるという姿は知ってますということ なんですけどね誹謗力っていうことで 要するにこういうましかしこのカマホズね え要するにこの追い出すのにねなんとこの 12年かかったっていうことですねま 1990年代じゃないでしょうかねそれを やった方が奥島高安という方なんですええ まこの方が今日3時間か4時間前に 亡くなられたんだということでえ新潟で縁 をしたあMさんですねま名前言っていいの かなちょっとあれですけどもえ今原理研究 会にいたということでえまそういったこと でこの方がま請求されたということですま ですから今大学にはカマに自治会を握っ てる と要するに早の何ですかね自治回避っての 払うんですよそうするとその資金は大学が 預かってその自治会に払うしかし自治会は いわゆるかま派であったということです いわゆる逆に言うとよく言われる招待学士 だったんですねまそういうのに戦ってたの は原理研究会でありそれからあとですね日 学道って言うんですかねうんえ日本会議で 戦ってた方鈴木邦男さんですかね成長の家 の西学連という成長の家学生連合まそう いったところと原理研究会は仲良くしてた ということは知ってます まということですねはい今日そのことを ちょっとえ話して本当は日本共産党のこと をえ話す予定だったんですけど今日見て いただけたでしょうかそんなにまだ たくさんの方が見ていただいてないという ことなんですけどえ午前中にですねまず そのえ私のチャンネルでえ日本共産党初め として立憲民主党があ野党政権は取れる とい野党に国民がなりたいて野党の政権に なりたいっていうことを言ってるそれが 52なんですねまこれはですね立憲とどこ がじゃあ組むのかということなんですかま 先ほどですね立憲民主党の話あ囲ま話をし ましたけどなんと江野幸夫さんという方は かまはJR総連というところのま要するに JR東日本のロソ動力者ロソって運転する 人のねそこの 松崎という人物が角の副議長やってたん ですけどその人がJR総連の議長もやって えその人から政治資金をまもらってたと いうことが問題になってるわけですねで かまというのはま今も何千名といるという ことですねま要するに戦争を内乱に天下 せよというかま霊人主義ましかし角と中学 は微妙に違うんですけどね同じ革命的共産 主義者同盟なんですけどねまそれはそれと してはいまということで日本共産党はあ どうあるな立憲立憲共産党と言われますに 立憲民主党は共産党と共闘してま今回の 選挙を買ってるわけですねで共産党は出 ないしかし今の共産党はどうなってるかと いうことをま午前中話していただいて そして話しまして鈴木はさんという方が7 分間8間の動画ですけども日本共産党の 実態ってことについて赤旗を取ってる党員 の中で赤旗を取ってるのは読んで買ってる 人は2割しかいないこのままでは赤旗は 潰れると言ってるわけですねまそういった ことについてえ今日 えま明日はですねそういうことでその まあ和は集金平以下だと言ってるこの論文 の内容にについてま明日は話したいと思っ てますけどもまそれを是非午前中午後日本 出したあれを是非見ていただきたいと思い ますけどもまにしてもこういうね奥島高安 って方がものすごい危険なねま要するに 暴力的なそういう集団ですけどねそれと 戦ってまかまにお金は行かないようにした とやっぱ骨があった人なんですねまそう いう方がま今日亡くなったということ85 歳で亡くなられたということま要するに JRロソって言うんですかねま今もカマが かなりJRJR道路ですね東日本の労働の 執行部を握ってると思いますけどもこれと 戦ってきたのもやっぱりえ中園安浩氏だっ たしJRの民営化を通してですねえ葛西 典行って人が安倍晋三士と非常に親しかっ たからですねこういった人たちがま戦って たということを改めて えまこのご世を痛み心からお祈りしたいと 思いますはいどうもありがとうございまし た

奥島 孝康(おくしま たかやす、1939年4月16日 – 2024年5月1日[1])は、日本の法学者。専門は会社法。
愛媛県出身。大野實雄(早稲田大学名誉教授)門下[2]。
学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1976年)
(学位論文『現代会社法における支配と参加-現代フランス会社法研究』)[3]。
早稲田大学名誉教授。早稲田大学第14代総長(1994年11月 – 2002年11月)。
白鷗大学第5代学長(2013年4月 – 2021年3月)。
日本高等学校野球連盟第6代会長。元公益財団法人ボーイスカウト日本連盟理事長。元埼玉県公安委員会委員長。
大京社外取締役、日本インターネット新聞株式会社取締役、フジ・メディア・ホールディングス監査役、構造計画研究所監査役。公益財団法人朝鮮奨学会評議員。高知県宿毛市名誉市民[4]。
アナウンサーの下平さやかと菊間千乃はゼミ生(二人とも1995年卒)[5]。天理大学教授の奥島美夏は娘。
スト破り
法学部長在任時以前より全学で2年に一度期末試験ストライキが行われていた。法学部の多くの講義が前期試験を行わずに期末試験のみで評価を行っていたため、ストライキの年は年度内でなく4月に試験が行われていた(他学部は試験を実施せず、レポート提出に振り替えた)。奥島はストライキの年に当たる1993年度期末試験を年度内に強行してストライキの慣例を破った[11][17]。
対革マル派
早稲田大学が革マル派の拠点校となり、年額約2億円が大学から革マル派にながれ、反対の声が封殺されていることに危機感を抱いた奥島は、法学部長・総長としての任期中の計12年にわたり、革マル派をキャンパスから追放することに尽力した[11][18]。(詳細は「川口大三郎事件」を参照)

2 Comments

  1. 大学闘争を治めるのは命がけの大変なことでしょう日本を守られた功績は計り知れない御尽力の生涯に衷心よりご冥福をお祈りいたします

  2. 命懸けで左翼の活動家達から日本の国を守ってきた勝共連合の勇士達を、世間は全く知らずにいます。田村先生が伝えてくださったので私も今知ることができました。命懸けで左翼達と戦い、日本を赤化から守り続ける勝共連合の勇士達のことを日本中が知るようになれば共産党は日本から消えるしかないでしょう。田村先生いつも貴重な情報を伝えて下さり、ありがとうございます。

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