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高橋仁 のライブ配信



高橋仁 のライブ配信

たV
[音楽]
T
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H
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T
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I
[音楽]
えそれではあ4月の第4生の礼拝喜びと
感謝と真心を持って死を賛美つつ礼拝の時
を始めて参りたいと思いますえどうぞ皆様
お渡しくださいましてえ新成家の99番え
新成果の99番を賛美してで礼拝を始めて
参りたいと思い
ます99番
[音楽]
まの中


あげ
たの見
に君ととなりて

うい
くる
なみ
潰さに
なしこの

みよシ
する暇も
うち
忘れ


られ
し人を
尋ねと
[拍手]
なき
のと
隣りで

砕き
しこの

みよ
全てのもの

[音楽]

しのな


向いられ

十字の上

上げれ
つつ敵を
許しこの人

よこの
[拍手]

をこの人
にぞ御世
なき

われた
ねこの
[拍手]

よこの


とり
たう
生ける

なるあめん
[音楽]
どうぞご着席
くださいえそれでは今長も私たちの進行
告白として秘心情を告白して参りたいと
思いますえ秘心情は神聖から826ページ
の上のところにありますのでどうぞご覧
くださいそれでは皆様と共にえ進行告白を
していきたいと思いますそれではは
信我は天地の作り前脳の父なる神を信我は
その1人後我らの主イエスキリストを信主
は精霊によりて宿り乙女マリアより生まれ
ポンテピラトのもに苦しみを受け十字に
つけられ死にて村でに下り3日目にのう
よりり天にり脳の父なる神の右にざり賢
よりきりて生けるものと死にたるものと
さきた我は精霊を信聖なる行動の教会生徒
の交わり罪の許し体の蘇りえの命を信
あンえ続いてその下にありますの主の祈り
を皆様と共に祈りを捧げていきたいと思い
ますえそれでは主の祈り天に増します我ら
の父を願わくは皆を崇めさせたま国を来ら
せた前見の天になるごとく地にもなさせた
前我らの日王の糧を今日も与えた前我らに
罪を犯すものを我らが許すごとく我らの罪
をも許したま我らを試みに合わせず悪より
救い出したま国と力と栄えとは限りなく
何時のものなればなり
メンえ続いて読をしていきたいと思います
読文新世か59番をお開きくださいえ新
成果のページ数で参りますとえ876
ページのところにあたり
ますえ新世官のページ数できます876
ページえそれではいつものようにえ司会社
が上の段のを細い文字のところを拝読
いたしますので回収の皆様はえ下の段の
文字のところを読みくださいますようお
願いいたしますまたオンラインで繋がって
いる方は司会者が青い文字を読みますので
オンラインの方は赤い文字のところをお
読みくださいそして読が終わりましたら
今日の礼拝が祝福されますように泉先生に
一言お祈りをしていただきたいと思います
のでよろしくお願いいたし
ますえそれでは読文新成果59番ヨハネの
第1の手紙第4章愛する者たちを私たちは
に愛し合おうではないか愛は神から出た
ものなのである全て愛するものは神から
生まれたものであって神を知っている愛さ
ないものは神を知らない神は愛である神は
その人を上にわし彼によって私たちを
生きるようにしてくださったそれによって
私たちに対する神の愛が明らかにされたの
である私たちが神を愛したのではなく神が
私たちを愛してくださって私たち
ののいとしてをおわしになったここ
に愛する者たちよ神がこのように私たちを
愛してくださったのであるから私たちもに
愛し神を見たもはまだ1人もいないもし
私たちがいにしなら神は私たちのうちに
いま神の愛が私たちのうちにされるので
ある神が見たを私たちに賜ったことによっ
て私たちが神に神が私たちにことを知る
もし人がイエスを神のこと告白すれば神は
その人のうにしその人はのにあるは私たち
に対して持っておられる愛を知りかつ信じ
ている神は愛である愛のうには神にも彼に
ます私たちもこの世にあって彼のように
生きるのでさきの日に確信を持って立つ
ことができる愛には恐れがない完全な愛
は恐れにはこらしめが伴いかつ恐れるもに
はが全されていないからである私たちが
愛し合うのは神がまず私たちを愛して
くださである神を愛していると言いながら
兄弟を憎むものは偽りもである元に見て
いる兄弟を愛さないものは目に見えない神
を愛することはできない神を愛するものは
兄弟をも愛すべきであるこのれを私たちは
神からさって
あめん愛する天のお父様皆はめて心から
感謝をいたしますこの朝愛する兄弟姉妹と
共にあなたの見舞に集いまたオンラインで
繋がってあなたを礼拝するこの時を与えて
くださり心から感謝をいたしますどうぞ
この礼拝の時をえあなたが共にいて
くださり初めから終わりまで豊かに祝福し
導いてくださいますようにお願いをいたし
ます今日も立てられている恩器をあなたが
精霊で満たし通りを聞くだとしてどうぞ
尊徳あ用いてくださいますようにお願いを
いたしますえ御言葉を聞く私たちどうぞ心
を開いてあなたからの見声を聞きあなたの
見を教えていただいてどうぞこの1週間も
あなたの
胸のうを歩んでことができますようにえ
どうぞ1人1人導いてくださいますように
お願いをいたします全国で持たれている
礼拝の1つ1つを豊かに祝福してください
え今も山の中にある方やえ悲しみや苦しみ
の中にある方また世界の中でも戦争の中に
いる方や大きな災害で苦しんでいる方々
などどうぞあなたが
癒し強め守ってくださいますようにお願い
をいたしますえこのからの礼拝の時全てを
みてに追いねし主エス様の皆によってお
祈りをいたします
メンあうございますえそれでは今月の賛美
ということでですねえ小さ群れよという
賛美をですねげ下げていきたいと思います
えクリアブックの中にあります何番なる
だろう23番3333番33番え小さ胸よ
という3を捧げていきたいと思い
[音楽]
ます1つぶの向
とり

立ちあなたの
涙あなたの
緑ここに身を結ば

永遠の
御言葉
を変わらない
心実も
[音楽]
伝えるために主の
力をえてくだ
なさいここ
につとも
ぶれよ
心1にり
捧げ
捧げ
よみに
きれ
てこの町に主の

[音楽]
このの平和

届けるためにちみ恵を見して
くださいここに
すもれ

心1つに
りい
感謝
捧げ賛美
捧げ横のに道
れてここ


れよ心
1つ
にい
感謝
捧げ賛
さげ
みに

[音楽]
てえそれでは今日の書のをてきたと思い
ますえ新書ヨハネによる福書21章え15

からえすいませんミスっぷりです25節
までええ新役聖書ヨハネによる福音書21
章え15節から25節までですねすいませ
んえ公約の聖書で参りますと後ろの方の
聖書新役聖書でえ178ページのところに
当たり
ますえ新薬聖書ヨハネによる福音書21章
15節から25節
までえそれでは司会者が拝読をさせて
いただきたいと思いますえ新役聖書ヨハネ
による福音書え第21章15節から彼らが
をせるとイエスはシモンペトロに言われた
ヨハネの子シモンよあなたはこの人この人
たちが愛する以上に私を愛するかペテロは
言った主よそうです私があなたを愛する
ことはあなたがご存知ですイエスは彼にわ
の子羊を養いなさいと言われたまたもう
1度彼に言われたヨハネの子シモよ私を
愛するか彼はイエスに言った主よそうです
私があなたを愛することはあなたがご存知
ですイエスは彼に言われた私の羊を買い
なさいイエスは3度目に言われたヨハネの
子シモよ私を愛するかペテロは私を愛する
かとイエスが3度も言われたので心を痛め
てイエスに言った主よあなたは全てご存知
です私があなたを愛していることはお
分かりになっていますイエスは彼に言われ
た私の羊を養いなさいよくよくあなたに
言っておくあなたが若かった時には自分で
帯を閉めて思いのまま歩き回っていた
しかし年を取ってからは自分の手を伸ばす
ことになろうそして他の人があなたに帯を
結びつけ行きたくないところへ連れて行く
であろうこれはペテロがどんな死に方で神
の栄光を表すかを示すために話になったの
であるこう話してから私に従ってきなさい
と言われたペトロは振り返るとイエスの
愛しておられた弟子がついてくるのを見た
この弟子はあの夕食の時イエスの胸近くに
寄りかかって主あなたを裏切るものは誰な
のですかと尋ねた人であるペトロはこの
弟子を見てイエスに言った主あの人はどう
なのですか
イエスは彼に言われたたえ私の来る時まで
彼が生き残っていることを私が望んだとし
てもあなたには何の関わりがあるあるか
あなたは私に従ってきなさいこういうわけ
でこの弟子が弟子は死ぬことがないという
噂が兄弟たちの間に広まったしかしイエス
は彼が死ぬことはないと言われたのでは
なくただたえ私の来る時まで彼が生き残っ
ていることを私が望んだとしてもあなたに
は何の関わりがあるかと言われただけで
あるこれらのことについて証しをしまた
これらのことを書いたのはこの弟子である
そして彼の証が真実であることを私たちは
知っているイエスのなさったことはこの他
にもまだ数多くあるもしいちいち書き
つつけるならば世界もそのの書かれた文章
も押えきれないであろうと思うえ一言お
祈りを捧げさせていただいて今日の
メッセージの箇所を取り付きさせて
いただきたいと願っていますお祈りを
いたします恵み深い天の父なる神様あなた
の皆を心から賛美いたしますすしもあなた
の恵みと哀れみとに伝えられ守られ導かれ
たことを覚えてありがとうございますまた
心緑の眩しい清々しい時を私に備えて
くださりたくさんの花や木々のえ緑を見せ
ていただき私たちの心を本当に癒してえ
支えてくださっていることをも覚えて
ありがとうございますまたこの週の初め
全ての技をおいてまず神様の見舞に出て1
週間のスタートを切れる幸い特権恵み導き
を心から本当にありがとうございます
どうぞ心からなる祈りとまたびとどうぞ
捧げイエス様のばれる礼拝をこの時みんな
で持っていくことができますようにどうぞ
お導きください今日もあなたの見を見を
知りたく今あなたの見前に出ております
しべをお語りくださいとあなたの見前に出
たあの少年サムエルのごとく心を減りくっ
てあなたの見舞に出ることができますよう
にどうぞ導きください自分でも気がついて
いないおり高ぶりが私たちのうちにあり
ましたなそのり高ぶりを知りどうぞあなた
ご真をどうぞ見上げていくことができる
ようにこの時を祝福してくださいまた日常
の脱に追われ思いわいでえ心が本当にその
ことでいっぱいになってあなたが見えなく
なっているものがありましたならばどうぞ
その思いわらいの一切を今あなさ舞に追い
してお任せしてあなたご自身を見上げる
ことができますようにどうぞ導きください
天の窓を開きアフレばかりの恵みと祝と
どうぞ1人を1人の上に届けてください
ますように語られた聖書の言葉信仰を持っ
て握りしめて歩むものに与えられている
明る知りの歩み言葉の力を経験しながら
喜びのうち賛美のう平安のうち見舞に進ん
でことができますようにどうぞお導き
くださいまた全国で持たれているイエスは
と告白するところの教会の礼拝の上に神様
の豊かな恵と祝福とが削がれてきますよう
に待ち望みつつ主イエスキリストの皆に
よってお祈りを捧げますあめん
今日はこのヨハネによる福音書のですねえ
21章のところからお話をさせていただき
たいと思いますで先日ニュースを聞いてみ
ますとですねあのJRのあのニュースが
ありましてですねええカスタマー
ハラスメントの対応っていうのでですね
インターネットのニュースを見ていたら
あのさなことでですねあのえ車掌さんや
あの駅員の人をこう侮辱してですね土とか
いうそういうお客が多くなってきて
るっていうことが書いてありましたけれど
もそれに対してあのJRはですねあの対応
しないという対応をしたっていうことが
書いてあってですね
え本当にこうえ凄んだあの時代になってき
てんだなていうことを本当に思うんですね
なんと人はこう許せないのかなこう
いろんな人にこのぶつかってえ土さしろと
かですねこ謝れとかですね色々こう威圧を
かけてこう行く人たちがなんと多いのかな
と思う時にですねもうJRのの職員はです
ねもうもう
えお手あげでですねもう対応しない既然と
した対応で対応するってこなんですけれど
ももうあのえまともにそういう対応をし
ないという対応するっていうことが
インターネットで書かれて本当にれんだ
時代の中に私たちはいるのだなということ
を本当に思います許すっていうことが
どんなにえできなくなってきているそう
いう時代になってきてるのかなっていう
ことを思わされるわけでありますけれども
で今日ヨハネの福音書を読みましたけれど
もこのヨハネの福音書を読んでいくとです
ねなんかあの皆さん1回読んだ時はですね
こう20章で終わっていいんじゃない
かってこう思った方はおられないであり
ましょうかねえなぜこの21章があったん
だろうか何かあのある意味でなんかこう
こうえ違和感を覚えるというかですねそう
いうことを思った人がおられるのではない
のかなっていうことを思うんですねえ何か
あこの福音書としてえこの20章でこう
閉じられて何かこう21章が違う部分で
こう描かれているようなあそういう違和感
を感じられるようなことがあるのではない
のかなということを思うわけであります
けれどもしかしヨハネはこのことは今後の
教会のためにえなくてはならないこととし
て実際あったことしてですねこの21章を
1番最後にえこう持っていったわけであり
ますけれどもそれは復活のイエス様が
エルサレムではなくガリレアでも弟子たち
の間に現れてくださり励ましてくださった
えそのことを是非教会の人々にも知って
ほしいとヨハネが考えたからであります
そのイエス様は食事の後ペテロに向かって
私の羊を買いなさいと教会の群れを
え託されたわけでありますその次第を
伝えるのがヨハネのこの21章そして21
章の中でも後半部分でありますなぜその
ことが最後に書かれたのかこれからの教会
の教会が歩みを進めていく中でですね教会
としての存在の本質に関わるような大切な
ことを示すためであったろうなっていう
ことを思うわけなんですで今日はこの箇所
を通してですね教会としての存在の本質に
ついて私たちを見つめていきたいなって
いうことを願っていますで3つのポイント
に分けながらですね今日のお話をさせて
いただきたいなていうことを願っています
けれどもで第1のポイントはですねさきの
上になされる許しということですそして2
つ目に見ていきたいのは許しの上になされ
た従順ということですそして最後に見て
いきたいのは許しの上に立てられた教会と
いうことでですね今日はえ許し合える共同
体っていうことでですねお話をさせて
いただきたいなということを願っています
で復活されたイエス様はガリラヤで弟子
たちに現れて共に食事をされましたで食事
の後でイエス様はペトロに問うわけであり
ますあなたは私を愛するのかここで愛する
のかという言葉はですねアガパオで用い
られていますえという同士刑えがあります
けれどもギリシャ語の愛にはアガペと
フィリオがありますけれどもアガペとは神
が人を愛する時に用いられる絶対的なそう
いうパーフェクトなそういう愛を示すこと
でありますそれに比べてフィリオはですね
人間関係の相対的な愛を示すそういう言葉
でありますイエス様はペトロに私があなた
を愛したようにあなたも私を愛するのかと
聞かれているわけでありますそれに対して
ペテロは私があなたを愛してることは
あなたがご存知ですと答えますここで
ペテロはあフィリオという言葉で愛すると
言っているんですねえフィリオの同志形
ですえ私は人間の限界内でしかあなたを
愛することはできませんというペテロの
切実な答えであったわけでありますイエス
はイエス様は最後の晩餐の時に弟子たちに
言われました私はこれから十字架につく
あなた方は私の行くところについて行く
ことはできないえその言葉に対してペトロ
は答えます主をなぜついていけないのです
かあなたのためなら私は命を捨てる覚悟
ですえそのペトロに対してイエス様は言わ
れました鶏が泣くまでにあなたは3度私の
ことを知らないと言うであろうイエスの
イエス様の言葉の通りにですねペトロは
自分がえ捉えられそうになった時にですね
3度イエス様を否認してしまうわけであり
ますこのイエス様の裏切った出来事は
ペテロの心の中に重い在籍として残ったに
違いありません人間の限界を知ったペトロ
はどんなことがあってもあなたを愛します
と答えることができなくなってしまいまし
たですからアガパオと言われているえ
パーフェクトの愛をイエス様がの愛を
言った時にですね私はフィリオとしか
答えることはできないとえペテロは答えた
わけであります2度目にイエス様は問われ
ました私を愛しているのか依然として
えアガパオとして愛するのかとイエス様は
答えるわけでありますけれども問うわけで
ありますけれどもそのイエス様にペテロは
フィリオとしてしか愛することはできませ
んと答えますそして3度目にイエス様はあ
尋ねられます私を愛するのかえここでは
愛するは
あアガパオからフリオに変えられています
あなたのできる範囲で愛すればよいと
イエス様が譲歩されたわけでありますこの
イエス様の優しさにペテロは崩れ落ちます
主あなたは何もかもご存知です私はあなた
を愛してることはあなたがご存知ですえ私

弱さの故にあなたを裏切ったことをあなた
はご存知ですというような思いでですね
ペテロは罪を認めて告白していったの
だろうなていうことを思うんですね3度
イエス様は私を愛しているかとペテロに
対して問われましたペテロは悲しくなり
また情けな情けなくなりましたイエス様は
私の言うことを信じてくださらないのか
その苦しみの悲しみの中でペテロは告白し
ます私はあなたを裏切りました大祭祀の
屋敷で怖くなってあなたを3度も知れない
と言ってしまいましたそのペトロにイエス
様は私を愛するのかと3度迫られたわけで
ありますでここである意味で神様イエス様
のですねさきというかですねそこに
ジャッジが加わるわけでありますそのさき
がペテロの罪の告白とつながりまた
悔い改めとなって導かれていったことも
事実だと思うんですね罪は罪としてさかね
なければなりませんそのさきの上にこそ
許しがあるわけであります罪を罪として
認めるそこに初めて許しが成立していく
わけでありますですからイエス様はペトロ
に言われます私の羊を買い
なさい私たち人間は挫折を通して神様に
出会います挫折し罪を告白しまた悔い改め
たものが初めて神の委託に答えることが
できるわけであり
ます皆さんもどうだったでしょうかえ皆
さんが今教会にいるのは奇跡中の奇跡なん
じゃないでしょうかね私も神様を信じてる
人なんかあの1番この世の中の人間の弱い
人種だと私は思っていました神様を信じ
てる人なんか大綺麗だし神様も嫌いだし
そういうものでありましたしかしいろんな
人生の中で荒波の中でえ自分も信じること
ができない自分は本当に弱い影だらけの
存在だ滅ぼされても仕方のないようなそう
いう存在だと思って初めて神様と心から
叫ぶような思いでですね神様あなたがいる
なら私に表してくださいあなたを見せて
ください知ることができるようにして
くださいとえ初めてえ18歳の春にですね
私は言うことがあできましたけれども
私たちは本当に人間の弱さの究極の中で
私たちは神様を見ることができるのでは
ないのかなっていうことを思うんですね
自分は神様はいらない自分の力で自分の
人生をやっていくことができるって高ぶっ
てえ歩んでいってもですね
神様を見ることはできない神様を知ること
ができない救われることができない帰って
その高ぶった思いは周りの人々を傷つけ
たり不幸せにしてしまうようなことになり
かねないわけであります神様は私たちに
様々な人生の挫折を通して神様に出会える
ように導いてくださっいますそして挫折し
罪を告白し悔い改めたものだけががえ神様
を見上げることができそして神様の委託に
こえることができますですからイエス様は
あ悔い改めたペテロにご自身の群れ大切な
大切なこれからの教会を委託されたわけで
ありますここに牧者の要件があります
え牧主の支出って何だろう
か勉強ができるとか人望に暑いとか
何かすごい能力や賜物があるから士に
なれるのかその群れを養えるのかそうでは
ないと思うんですねえ自分の弱さを知り
自分の弱さをを許された体験を持つもの
だけ
が牧者としてまた人を導く導き手として
私たちは立たされていくのではないのか
なっていうことを思うんですね自分の弱さ
を知るゆに他者の弱さを責めず許されたゆ
に他者を許すことができるそれは本当に
素晴らしいことだなっていうことを思うん
ですねあの強がりなペテロは今いない人を
しけて自分はあの人がつまづいても私は
つまづかないとかですね何かさばいていた
高ぶっていたペテロの姿肩に力が入って
いるペテロの姿はそこにはない
イエス様に触れられてイエス様からの本当
の許しをいたい
て自分の挫折を通して罪を告白し悔い改め
たがゆえに神様の本当の恵みを頂いてえ
許されたものとしてのペテロがそこに佇ん
でいたわけでありますそしてそのペテロに
教会を委託されたわけでありますでペトロ
に教会を委託された後イエス様はこう言わ
れましたあなたは若い時自分で帯を閉め
行きたくないところに行っていたしかし年
を取ると両手を伸ばし他の人に帯を占め
られて行きたくないところにあなたは連れ
て行かれるであろうとペテロに言うわけで
あります他の人に帯を占められっていう
ことは逮捕され両手を伸ばしてていうこと
は十字彼は実際逆さ十字で準するわけで
ありますけれどもえペテロがどんな様で教
するかをイエス様が予言されているわけで
ありますペテロは30年後の紀元63年え
ローマ皇帝ネオのキリスト教迫害の時に
捉えられ十字架で殺されたと伝えられてい
ますそれを暗示するのがえペテロがどの
ような死に方で神の栄光を
表すようになるかを示そうとイエス様は
こう答えたのであると19節に書かれてい
ますしかしペトロにはまだ人間としての
迷いがありましただから彼は聞きますここ
にいるヨハネはどうなのですかと言うわけ
でありますヨハネも中教するのかどうか
ペテロは聞いていますしかしイエス様は
言われますヨハネの育成はあなたには関係
ないあなたは私に従ってきなさいイエス様
の弟子になるとはイエス様に従うことで
あります従う時ペテロのように教の道を
歩む人もあるかもしれません他の人は別な
道を歩むこともあると思いますヨハネは
その後エフェソに行きそこで天児を全頭し
て死んだと言われています自然死を迎えた
と言われていますそのヨハネの弟子の1人
が死から聞いたことを福音書にまとめたえ
それがああヨハネの福音書だとも言われて
いますえこれらのことをついて証ししそれ
を書いたのはこの弟子である私たち私たち
は彼の証が真実であることを知っている
イエスから愛されたでしゼタの子ヨハネが
イエス様のお思い出を語りその後私たちが
まとめたヨハネえ
のヨハネがですね
このえ福音書をですねまとめていてヨハネ
の福音書がああ書かれてあの私たちは見て
いるわけでありますけどもあなたは私に
従ってきなさいある人はキリストのために
死を通して神様の栄光を表し別の人は
キリストの証しをするえ福音書を書くこと
で神様の技を担った人はそれぞれの賜物と
使命が与えられそれぞれの場で神様の栄光
を表して
いく友達のないものと共にえ一生過ごすて
こともすごいことだと思いますし
また色んな障害や病と戦いの中にいる方々
の傍に立ってえ共に過ごすことも
素晴らしいことだと思います気づいている
人苦しんでいることえ社会では日の目に
当たらないようなそういう方々と共に歩む
えことも本当に素晴らしいことであります
けれども人はそれぞれイエス様によって
導かされているそういうポジション
ポジションがあるえ神様に導かれたならば
そこで従い通すことが大切なんですね
私たちは人が気になりますあの人はこんな
技をしてるあの人はこんな物を持ってる
あの人は歌がうまいとかですねあの人は
個人伝動する賜物を持ってるいろんな賜物
やいろんなことがあるわけですけれども
しかし私たちはあの人にはなれないですよ
この人にはなれません私たち自身で神様に
示されたことをしていけばいいわけであり
ますずっと私たち例えば祈る賜物があっ
たらその祈りをしていきたらいいと思い
ますし捧げる賜物があったら捧げたら
いい人のためにですね尽くすそういう賜物
があったらそういうことをしていったら
いいと思いますけれど
も私たちはですねあの人がこの気になって
この人が気になって自分を見失わないよう
に気をつけなければならないなっていう
ことを思うんですねイエス様は私に従って
きなさいあの人はいいんだよこの人はいい
んだよあなたが私があなたに示したその
ポジションで精一杯生きていくことが
素晴らしいことだよとイエス様は私たちに
言ってくださるんですね私たちの人生は
あっという間についてきてしまいます比較
対象やいろんなことにうさをしてですね心
をかき乱されてですね自分を見失って自分
の一生は何なったんだろうかって終わる
ことがないように神様は私にこんなことを
託してくださったこのことのために一生
エネルギーをついやしてこのことのために
主のために働いていこうという謙虚な思い
を持って私たちもですねえイエス様は
あなたは私に従ってきなさい周りの人は
いいあな私が導かれたそのポジションで
その場で従い通していくことが大切なんだ
とイエス様は私たちに言われるわけであり
ますまたあ旧約聖書のエゼキエル書の18
章の30節から31節にですねこういう
言葉があるんですねひか結構なんです
けれどもそれゆイスラエルの家を私はお前
たち1人1人をその道に従ってさくと主
なる神は言われる悔い改めてお前たちの
全ての背きから立ち返り罪がお前たちを
つまづかせないようにせよお前たちが犯し
たあらゆる背きを投げ捨てて新しい心と
新しい霊を作り出せイスラエルの家をどう
してお前たちは死んで良いであろうかと
書かれていますケルは保修のバビロンに
立てられた予言者でありますけれども
イスラエルは紀元587年にバビロニア
帝国に国を滅ぼされて民は保守捕虜として
ですねえバビロンに連れて行かれましたえ
それから数十年経った時保守の民の中に
ですね主のさきは不幸だなぜえふの罪を
我々に追わせるのかという不満があ出てき
ましたえバビロンで生まれた新しい世代は
自分たちは罪を犯していないのに今までえ
補修でいることに不満を持っていたわけで
ありますえそれに対してエゼキエル予言者
は言いますイスラエルの家よ私をお前たち
1人1人をその道に従ってさくと主なる神
は言われる親の罪を子に負うことはない親
が罪を犯したからお前たちが今この
バビロンにいるのではないお前たちの罪が
この苦難をもたらしていることを認め
させよとエゼキエルは迫ります自分たちが
受けている苦難の責任は自分たちより前の
世代が罪を犯したためだ自分たちは何も
悪いことしていないと考える時に私たちは
責任を他に他者に天下してきてしまいます
私は悪悪いのではないそればかりを主張
する時そこに悔い改めは日また許しも生じ
ません同時に私たちは不運の中にあると
いう悲観主義を生み出して生み出して
しまいます自分は悪くないなぜ自分私は
苦しみを受けなければならないのかという
時そこからは良いものは何も生まれてこ
ないわけでありますこの苦しみや死が与え
られたその意味を求めていく時にえ救いが
開かれてきますエゼキエルは主の言葉を
伝えますお前たちは主の道は正しくないと
いう聞けイスラエルの家よ私の道は正しく
ないのか正しくないのはお前たちの道では
ないのかとエゼキエルは言うわけであり
ますあなたが罪を犯したのだあなたがそれ
を認める時あなたは許されていくしかし罪
を認めない限り許しはないエゼキエルは
続きます悔い改めてお前たちの全てのき
から立ち返り罪がお前たちをつまづかせ
ないようにせよお前たちが犯したあらゆる
背きを投げ捨てて新しい心と新しいレトを
作り出せと自分の罪を認めよその時に許し
が来るその時初めて保修の長めから解放さ
れる悲観し無力になって死ぬなと
エゼキエルは励ましているわけであり
ますイエス様はあなたは私を愛するのかと
問われていますイエス様は挫折したものを
捨てられないモむしろですね挫折によって
自分の無力を知ったものにこそ神の技を
痛くされる方でありますその許しと委託
から悔い改めが生じその悔い改めが切感
在籍観からの立ち直りをもたらしていき
ますペテロも私の羊を買いなさいという
言葉より
も言葉により許され従いなさいという言葉
により新しい役目を担って彼は立ち上がっ
ていきました全ての人は罪人でありその中
に弱さとおかさを持ち合わせています自分
がそういう存在であることを知って泣き
それでも神は需要してくださることを知っ
て人は新しく生きるものとなっていくので
ありますキリストの愛はもう一度やり直す
ことを認めるそういう大きな大きな無限な
愛であります教会はそのような失敗者が
集まるような賭や愚かさやそういうものが
の集まるそのいう場所でもあります許され
た罪人の集まりであります教会は罪の許し
と委託の上に立たされているそういう
ところであります許されたのだから許し
なさいえこの
許しのない
え許しが乏しくなってきているこの社会の
中にあって私たちは許し合える共同体を
形成することが急務であります教会は許し
の共同体であります私も月曜日からですね
金曜日社会に出ていますけれども本当に
いろんな人の上げ足を取るものやですね
いろんな言葉を言うものやあさくもや
いろんなものがありますけれどもしかし
日曜日こうして教会に来てですねほっと
するのはですねみんなあ教会に集まってる
人はですね許し合ってるんですよ祈り合っ
てるんですよ伝え合って励まし合ってるん
ですよですから私は本当にこうえ日曜日
教会に来てですねああ本当に何とも言え
ない幸せや平安を感じることができるなっ
ていうことはですねここが許しがみって
いるからですイエス様の十字架をから
流れ出てくる神様の許しその許しがこだま
してこの教会が許し合える教体共同体とし
て作られているから
ですイエス様は立派な強い人を招いて
用いるのではありませんこのように弱い
小さなごく普通の取るに足りないものを主
はあえて召して大いなる働きを任せて
くださるわけであります弱さのうちにこそ
主の強さが主の力がですね働くわけであり
ますある牧師がですねこう言ってたことを
お思い出すんですけれどもその牧師はです
ねあの若いながらですねえ教会を大きく
しようそして多くの人に転動しようそして
教会活動もたくさんするぞ
いっぱいこう情熱を燃やしてですね若い時
その牧主はしたっていうんですねこのこと
もしようあのこともしよう何かもう主の力
というよりもですね自分の力や自分の
頑張りでですねそう教会をなんとかこう
盛り上げてですねやろうやろうとしたん
ですけれどもうまく回らなかったっていう
んですね本当にうまくいかなかったと言う
んですねこんなに頑張ってんのにこんなに
やってるのにせが出ない成果が出ない
ばかりかですねえ教会の関係も何か色々
ギシし合ってですねもうどうしようもなく
なってきている何度も失敗し挫折する中で
ですねその僕先生はですね主によってあの
変えられていったっていうんですね自分は
教会を変えようと思ったあの信徒を
変えようと思ったそして大きな教会となり
たいと思った多くの人々に伝動したいと
そう思っ
たなん教会をなんとか良くしたいとその
思いは良かったわけですけどもその力の
より所は自分の力や自分の頑張りに
結びついていたことを知ったわけであり
ますそしてえ取り扱われるのは教会のあの
人でも教会全体でもじゃなくて自分だっ
たって彼はですね本当に取り扱われたって
いうんですね取り扱われるべきものはあの
人やこの人ではなく自分だ自分が変わら
なければ教会は変わらないそして自分が
変わらなければあの人と私との関係も
変わらないそう感じたというんですねその
牧主は自分の弱さ挫折を繰り返しながら
ですね本当にあの人でもないこの人でも
ない自分が主に取り扱われて変える変え
られることによって教会は変えられていく
ものなんだと気づいたっていうんですね
そして自分が変わっていった時にですね
教会は動いていったっていうんですね若い
ながら自分はこれをやりたいこういう
ビジョンがあるがあれもやるこれもやる
あの人も変えたい教会はこういう活動して
盛り上げたいとこう願っていたわけであり
ますけれども空回りでですね帰ってギシし
てどうしもなかったそういう教会がその
牧師が主の取り扱いを受けた途端にですね
教会の雰囲気がガラっと変えられていった
というんですねそしてあれだけ情熱を持っ
てあれだけ力をがやってやっ何も結果が出
なかったのにです
ねあらえる部分に少しずつ主の技がえ住む
ようになったというんですね自分自身が
取り扱われることを通して不思議に教会も
少しずつ豊かにされていった様をその牧主
は感じたというんですね牧主に限らずです
ね全てのキリスト書はそれぞれ神様の豊か
な取り扱いを受けてその取り扱いの中でえ
様々な失敗や挫折を通して取り扱って
いただいてそして主に許していただいた
そういう経験を深く深くえ経験していく時
にですね主は自分の弱さを知っているもの
にですね大切な責務を働きを明かせるわけ
なんですねえ世間も知らない自分も知ら
ない神様も何も分からないものがですねえ
ことをなそうと言ってもことをなすこと
できないんですねしかし自分の弱さを知り
自分が本当に駆だらけで主の助けが必要で
なければならないそういう自分愛なんて
しっぽもないイエス様から愛を注いで
もらえなければ自分も周りの人も愛すこと
のできない本当に弱い存在だと分る時に
です
ねイエス様はそのようなものに主の尊い技
をですねてくださるそういうお方であり
ます神様は愚かさと弱さの中にあるそう
いう私たちを豊かに受け止めてくださるお
方でありますそして受け止めて許して
くださるばかり
か本来なら託されるはずのないような神様
の技神様の使命を私たちに託される使命を
ですねえ託してください
そういうお方なんですね
私たちこんなにも許されているこんなにも
愛されているこんなにも神様から受け入れ
られているそのことを本当に覚えながら
ですねこの愛と許しが本当にこのこだま
人々の心を本当に癒し潤しえそして
包み込んでいくことのできるようなそう
いう愛の共同体として許しの共同体として
これからも進んでいくことができるように
どうぞえ祈りつつそれぞれがですね神様の
取り扱いを受けていくものでありたいなて
いうことを思います御言葉を読んでお祈り
をお捧げさせていただきたいと思い
ます
えヨハネのこう指紋あなたはこの人たちが
愛する以上に私を愛するのかペトロは主を
そうです私があなたを愛することはあなた
がご存知ですイエスは彼に私の子羊をやし
なさ養いなさいと言われたまたもう一度彼
に言われたヨハネの子シモよ私を愛するの
かえ彼はイエスに言った主よそうです私が
あなたを愛することはあなたがご存知です
イエスは彼に言われた私の羊をかし買い
なさいイエスは3度目に言われたヨハネの
子シモよ
私を愛するのかペテロは私を愛するのかと
イエスが3度も言われたので心を痛めて
イエスに言った主よあなたは全てご存知
です私があなたを愛していることはお
分かりになっていますイエスは彼に言われ
た私の羊を養い
なさいよくよくあなたに言っておくあなた
が若かった時には自分で帯を閉め思いの
ままに歩き回っていたしかし年を取っては
自分の手を伸ばすことになろうそして他の
人があなたに帯を結びつけて行きたくない
ところへ連れて行くであろうこれはペテロ
がどんな死に方で神の栄光を表す表すかを
示すためにお話になったのであるこう話し
たから私に従ってきなさいと言われたお
祈りを下げさせていただきたいと思います
お祈りいたします恵み深い天の父なる神様
はあなたの皆を心から賛美いたしますこの
世の中を見ると力があるもの声が大きい
ものがなんと幅を聞かせてそうでないもの
が社会の片に追いやられてしまうことが
多くありますしかし教会は自分の弱さや
愚かさや罪に泣き神に許されたものたちの
群れであります神はそんな人間の弱さを
知った者たちをあえて選んで神の技のため
に用いてくださっていることをから感謝を
いたしますこの社会で責め立てられて
追い込まれて行き場を失って苦しみと
悲しみの中に苛まれている人たちをどうぞ
私たちのこの教会が温かく迎え癒しまた神
様の許しの宣言を伝える教会としてこの
私たちの教会がこれからも用いられていく
ことができるようにどうぞ導いてください
ますようよろしくお願いを申し上げます主
イエスキリストの皆によってお祈りを捧げ
ます
メンえそれではメッセージに応答しつつ
賛美を捧げながら献金の時を持っていき
たいと思いますえ新生化の266番え新生
化の266番を賛美しながら献金の時を
持っていきたいと思い
ます献金のご用1番が終わりましたら枚に
していただきたいと思いますのでよろしく
お願いいたします
[音楽]
住とがも許さ
れ神の心となり
[音楽]
たる我がた

喜び
比べるもの
だしひも
す明し

よすがを
褒め

はえ
なり

と主に
またし
たい
安き

天の
歌声
くる心地
[音楽]

す明し

よすがも
褒め
見い
はえ
なり
見いと
[音楽]
とせられ

我がさ
なれ感謝
なきは
なく賛
なき
よしひす

すら主を
褒め

はえ
なり
見い
はす
とあめ
[音楽]
前の感謝をえ杉見姉妹に元気の感謝を石井
姉妹にしていただきたいと思いますえオン
ラインでも繋がってますのでマイクでお
願いし
ますハレルヤ愛する天のお父様皆を心から
褒めたえます本当に主がこの美しい身業を
私たちに見せてくださる季節を迎え日々を
過ごしております感謝しますどうぞ本当に
今日も主の御言葉をいただきました他の
ものではなく自分自身が本当に主に従うの
かと主に問われていますどうぞ主よあなた
に従いますどうぞあなたの力を得てまた
日々主を見上げ歩んでいくものとさせて
ください
よによろしくお願いいしますまだまだ
いろんな災害の中で苦しみ悩んで悲しみの
中にある方々また世界を見渡すと本当に
戦火の中にあって苦しんでいる人々が
たくさんおられますその中にも主の身業が
ありまた助けをいただきまた本当に平和が
戻ってことができるように願っています
からよろしくお願いをいたします感謝をし
てでイエス様のお名前を通してお祈りを
いたします
メン愛する天のお父様毎日お守りいただき
ありがとうございますそしてたくさんのお
恵みをありがとうございます今日も礼拝の
時を与えてくださり感謝いたし
ます毎日の生活の中で見に従うことができ
ますように努力いたします
世界中で病気や怪我で苦しんでいる方が
おりましたら早く元気な体になることが
できますように導いてくださいみんなが
元気で平和でいることができますようにお
守り
ください今いたしました献金を用のために
お使いください愛するイエス様の皆によっ
て感謝してお祈りいたします
メンお祈りありがとうございまし
たえそれでは皆さんお立くださいましてえ
新成果54番主の祈りそして続いて小英
新世か63番を賛美してその後頭を下げて
いきたいと思い
ます天にい
ますバ
がちよ
皆を
たえ
ます


このに
きらせた

事の

与え我らの罪を許し
た心み合わせ
ず悪くより救い
大事
無の
力高えは
えるに
あり
あめ

から世は
心地に
主にめん
[拍手]
[音楽]
[音楽]
しこみた





たえせ

さえある
[音楽]
[音楽]
青木恋いば主イエスキリストの恵父なる神
のご愛精霊の親し恩交わりが回収一同と
よよ限りなくあらんことアーメン
[音楽]
どうぞごご着席ください
えそれで集合の種族と王国のラをどうぞ
ご覧くださいえ先週は3人にお誕生日を
向かってすごいですねじゃああのえっと
22日月曜日がよしき君ですね
え23日があそうちゃんだね
え昨があのよし君だねはいじゃあえっと
よしき君そちゃんよ君じゃあハピーバス
でーございましょう
[音楽]
ハッピーバースデー
トユ
ハッピバースデーハッピバースデー
よくちゃん
[音楽]
ハーバーはいおめでとうございます様の福
祈りますい1年もね素晴らしい年となり
ますようにお祈りしてますおめでとう
ござい
ますはいえっと先週ですけれどもえ茨城の
曲総会があのZOOMで行われました私と
かが水戸教会の代表としてあのあの出席さ
せていただきましたけれどもえ新年度の
あの新しい年度のですね計画とあの
話し合う時を持つことができましたお祈り
ありがとうございましたえあと今日あの居
台に
え入学して来られたいえ初めて教会に来て
くださったえっとご紹介ご自分でして
いただけたらお名前とえ適当ではいじゃ
立ってすいませ

[拍手]
はいないので色聞いてください茨のねあの
言ってくださればなできると思けどねはい
感いたします
はいえっとあと前田さんが家の都合であと
よこさんもあの別家差別家じゃないあえ
同窓会同窓会とあと誰だっけあクスさんは
あれかな法事かな法人のということであの
教会学校には出てましたはいということで
全3人お休みの連をいだいていますはい
じゃあ大丈夫かなじゃこれを持ってやとし
たいと思いますどうもありがとうござい
まし
たあ

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