Search for:
Idol アイドル

【心肺停止からの蘇生】悲劇の数々。再発させてはいけない危険なアクシデントが起きた試合とは。#プロレス #猪木  #長州力 #タイガーマスク



【心肺停止からの蘇生】悲劇の数々。再発させてはいけない危険なアクシデントが起きた試合とは。#プロレス #猪木  #長州力 #タイガーマスク

悲劇の数々再発させてはいけない危険な アクシデントが起きた試合と はこのチャンネルは毎週土曜午前10時に 公開チャンネル登録高評価よろしくお願い し ます2023年の1月1日プロレスリング ノアの大会アマプレゼンツノアthe ニューイ2023が日本武道館で開催され た その第5試合の8人タッグマッチで船木 正克中島克彦ソ真大原はめ組と対戦する 藤田和幸剣道家臣野沢論外組はもう1人が Xというシークレットになっていたそして 当日Xの正体が明かされたリングに現れた のはなんと石川県の馳知事プロレスの大会 に原職の知事が戦するのはもちろん前代未 である白のショートタツで登場した馳は 日焼けしてビルドアップされた肉体を披露 試合では大原にジャイアントスイング20 回転を見舞いし舟木を裏で投げるなど絶 好調中島と舟木の強烈な蹴りにも耐えのき 最後は大原をノーザンライト スープレックスでフォールして勝利を飾っ た休暇中の参戦だったとはいえのプロレス 参戦に県民から賛否両論が巻き起こった1 月4日の年頭記者会見で馳は私自身の健康 と日時の許す限りの範囲内でリングに 上がっております私は死ぬまでプロ レスラーですと生涯現役を宣言しただが2 月24日の石川県議会代表質問で再び知事 のプロレス参戦が議題に上がったある権は に関わる重大なことが起きる可能性は否定 できずそうなれば牽制の停滞を招くことは 必死だと訴えた馳はご指摘を真摯に 受け止め適切に対処してまりますとノベル にとまったが剣技の発言は決して過度な 心配ではない馳は新日本プロレスの選手 時代試合中に心配停止状態に陥り精子の境 を彷徨った経験があるの だ事件が起きたのは1990年6月12日 まだ新日本の若手だった馳と五藤達ととの シングルマッチでのことだっ た試合中五頭のバックドロップに馳は左肩 で受け身を取ろうとしたところがあまりに も技の仕掛けが早かったため受け身を取り そねん米神からリングに落下してしまった 意識がが朦朧としたまま試合を終えた馳 だったがシャワーを浴びて20分後 セコンドにつこうと控室から足を踏み出し た瞬間目の前がぐるぐる回って混沌した 全身の痙攣から硬直が始まり出勤しながら 口から泡を吹いたという当時新日本 プロレスのリングドクターを務めていた ふたしが駆けつけた時にはすでに心配停止 状態でが完全に開いていたけしも内心もう

助からないと思っていたほどの危機的な 状態だったという不けしの人口呼吸とその 場に偶然わせた警察官の心臓マッサージで 1分後になんとか蘇生したが馳はその間に 幽体離脱して倒れている自身の姿を見る などいわゆる臨体験をしていたと いう幸馳は実に意識を取り戻したさらに数 日後のレトゲ検査では自己直後に移ってい た脳内出血の影が消えていたその後も脅威 的な回復力を見せた馳はわずか1週間の 入院と2ヶ月間の試合欠場を経てリングに 復帰した馳の場合は直後の適切な処置に よって文字通り士に一生を得たわけだが その後はリング上での死亡事故が起きて しまう1990年代以降は試合の過激化に 伴い受け身の失敗ダメージの蓄積などに よる事故が目立つようになっ た日本のプロレス市場で初となる試合中の 事故によるレスラーの死去が起きたのは 1997年8月15日のことである女子 プロレス団体JWPのプラム子が島市での で崎からライガーボムを受け意識不明の 渋滞に陥った病院に緊急搬送されて回答 手術を受けたが翌日王座省及び急性後幕化 結手によって帰らぬ人となったその3年後 の2000年4月14日新日本プロレス 気仙沼市総合体育館大会で開催された ヤングライオン杯初戦の試合中柴田克よの フライングエルボで頭部を強打した福田正 が試合終了後に意識不明の重体に陥った 病院に緊急入院した福田は懸命の治療の買 なく5日後に救世後幕化結手で死亡した この時のレフェリーのほ吉は後にこう語っ ている俺のさばいた試合で亡くなってる わけだからねそれはもうショックだった 柴田がコーナーに詰めてエルボをやる時 目測を誤って危険な箇所に当たっちゃった んだよね元々福田は脳の怪我をやってる けど因果関係は分から ない福田の場合は半年前から4ヶ月間後幕 化結手で試合を欠場しておりその好意症も あったのではと言われているほはさらに 継承を 鳴らすそもそもコーナーに詰めてのエルボ 自体が危ないだからその後もコーナーに 詰めてのエルボをやる選手にはすごく怒っ たんだよコーナーに詰めてのエルボは プロレスの試合でよく目にする光景だ しかしプロの目は違うこういう意見を選手 の安全のために生かして欲しいもので あるプラムマリ子福田正と20代レスラー のリング家が続きプロレス界全体で安全理 への危意識が高まっていった矢先2009 年にさらなる悲劇が起きたプロレスリング ノアの社長であり看板レスラーの三沢光春

の死で ある2009年6月13日広島県立総合 体育館での試合中に斎藤秋のバック ドロップを受けて心配停止状態となった 三沢は病院に緊急搬送されたがその日の夜 に死亡したこの試合で注目すべき2つの 証言が ある1つ目は放送局に保存されているこの 試合のノーカット動画を見た関係者の話で ある斎藤明年が三沢を肩車してバイソン スミスがコーナートップからアイアン クローを見舞い豪快にマットに叩きつけ られたミサはフラフラでしたその後斎藤が コーナーにミサを置い詰め走り込んでの 強烈な膝蹴りそして最後のバックドロップ に至ったわけですそういった投げ技を受け た後普通は仰向けになるところを三沢は 投げられた時のまま動けなかったん ですそしてもう1つは党の斎藤明年の コメントで あるバックドロップで投げる時ミサさんの 体がいつもより重かっ た重く感じるということはミサの体から力 が抜けていたということだその前までの 攻防でミサは反失心状態になっており 受け身を取れる状態ではなかったと考え られるミサの受けたバックドロップは プロレスの中では特別危険な技ではない 長年の頭部へのダメージの蓄積が大きかっ たのではないかと言われて いるこの事故を受けて前田はこうコメント して いるプロレスではセールって言うんだけど 演技のフラフラと本当に聞いているのと ちゃんと見てれば分かるはずなんだけど あれは防げる事故だった よこのように命に関わるような重大な事故 はともかくプロレスや格闘技では試合中の 骨折は割と日常半時のアクシデントである あのジャイアントババが骨折したのは 1990年11月30日の全日本プロレス 帯広大会でのことだっ たババはアンドレザジャイアントと組んで ファンクスとのタッグマッチに望ん だ相手を場外戦に誘う独特のロープワーク を駆使するドリーファンクジュニア それに応じた馬場だったが両者がもれあっ て場外に転落してしまった場外には落下の 衝撃を緩和するが敷いてあるがこの時は マットとマットとのつなぎ目に隙間があり ババー風にもそこに落下して腰を強だした 馬場はそのまま動けなくなり試合はリング に戻ろうとしたドリーをアンドレが静止し て両者リング アウト馬場はそのまま救急車で病院に搬送

されたが聴診ゆに救急車の後部ドアが 閉まらず元夫人が病院到着までドアを内側 に引っ張っていたというレトゲの結果は左 大体部 骨折馬場はそのまま帯広市内の病院に入院 したが元子夫人が東京の主人に連絡しすぐ に東京の病院へ定員させるため12月3日 に大移動が決行された病院から救急車で 帯広空港へ行き特殊なリフトで非常口から 機内へ内では前後の席を50席ほど潰した という羽田空港にも救急車が待機していて 同様の方法で飛行機から下ろされそのまま 都内の病院に搬送されて入院ジャイアント ババらしい大掛かりな移動だっ たまたこの試合でババと大巨人タッグを 組んでいたアンドレも試合中に足を骨折し たことがある1981年4月13日WWF に参戦していたキラーカーンとのシングル マッチでカーンがコーナー最上団からの2 ドロップを繰り出した時のことで あるカーンがコーナーから規制を発して 飛び降りようとしたその瞬間起き上がろう としたアンドレがバランスを崩し思わぬ 方向にその巨体を向けたすでにコーナー から飛んでいたカーンはそれでもなんとか 起動を変えようと試みたが膝がアンドレの 足首に当たってしまったのだと いう実はこの顛末には裏話がある試合中に アンドレが自身の過失で足を痛めてしまい それに気づいたカーンが起点を効かせて トップロープからニードロップを見舞う ふりをして自分が骨折させたことにしたと いうので あるカーンがアンドレの入院先へ見舞に 出向いて謝罪するとアンドレは大声で笑っ て許しただけでなく2人の間に婚を残そう と提案したというそうすれば君との試合は 盛り上がること間違いなしだという アンドレの言葉通りこのアングルはカーン の株を急上昇させまた琢にメイン イベンターへ昇格させる言動力となったの だもちろん危険な大技は怪我の確率も 上がってしまう本本プロレスの山川竜二は 2001年3月18日の博多スターレン 大会で外国人レスラーのワイフビーター から場外でネックハンギングボムを受けて 頭蓋骨を骨折したワイフビーターが エプロンから場外へ技を仕掛けようとした 際に目測を誤りその結果山川はフロアに 後頭部を強打してしまったの だ意識不明の渋滞にまで落ちった山川だっ たが両用期間を経て同年12月2日の横浜 アリーナ大会で復帰しただが事故の行為症 による左半神麻痺と追板ヘルニアの併発で 以前のような試合はできなくなってい

た相手の技で首が折れたのは女子プロレス の北斗アであるまだ本名の宇久で戦ってい た1987年4月3WA世界タッグ戦に おいて小倉弓の雪崩れ式ツームストン パイルドライバーを受けて頸椎を骨折した のだ実はこの試合には伏線があった元々 スター高補正として育てられていた北斗は 先輩から嫉妬される存在だった風当たりの 強さに耐えられなくなった北斗はブル中野 と合宿所から集団脱走したが連れ戻され その制裁マッチとしてこの試合が組まれた と言われて いる頸椎を骨折したのは3本勝負の2本目 だったが信じられないことにそこで試合は 終わらずそのまま3本目が始まり北斗は 重傷を追ったまま戦い続けたのだっ た一方で全く危険ではない単なる張り手で 顎を骨折した例もある2013年8月の 棚橋浩対五藤博樹の一戦である棚橋は危険 な技を繰り出すタイプではなくだからこそ 意外に感じられた事故であった後頭による と張り手の後棚橋を焦点で持ち上げてそれ を切り返されそうになった時顎が急に バキバキとなったと いうその直前に棚橋の強烈な張り手を 食らって日が入っていたところに自分で歯 を食いしって顎に力がかかった瞬間に折れ たのではないかと後藤は推察して いるプロ野球選手が最も怪我をする場所は 歯である打席でバットを振る時に必ず奥歯 を噛みしめるためすぐに歯がボロボロに なるというコンタクトスポーツである プロレスであればなおさら だろうプロレスラと格闘家が戦ういわゆる 医闘技戦も非常に危険性が高い1992年 の藤原吉明ど中屋にいる戦線は元々藤原が 勝つ予定で組まれた試合だった試合ルール もグラウンド技ザフリー顔面パンチなし 肘打ち禁止という藤原に有利なものだった ところがニール戦が軽いジャブ程度のロー キックから続けて倍以上の速さでロー キックを叩き込むと藤原は膝から崩れ落ち 早もダウン立ち上がり体勢を整えるが次に 放ったニールセンのハイキックが見事に 眉間にヒットコーナーに叩きつけられる ように崩れ落ちた藤原の額からは噴水の ように血が出始めたそしてリングドクター のチェック後藤原の慶王負けが凍る開始 からわずか67秒の決着に観客からは不満 の声が上がったがリングアのマイクでで 静まり返っ た眉間陥没骨折の疑いがあり試合続行不 可能と判断しまし た一種閣闘技戦ならではの危なさが はっきり出た試合であっ

た藤原の場合とは逆のパターンもある 2001年7月20日新日本プロレスの 札幌ドム大会で長田裕二とプライド グランプリ2000の王者マーク コールマンが闘技戦を行った長田は破れは したもののピンポイントで得意のロー キックを多発試合後コールマンは本当に 動けなくなり9日後に予定されていた プライドの大会メインのアントニオ踊り子 のゲラ線を欠場することになったこのよう にプロレスはアクシデントと隣り合わせだ がプロレスラーの怪我は周囲が想像する ほど多くないと語るのは前出したリング ドクターの不消しで ある鍛えているというのもあるけれど ダメージをうまく逃す技術ですねプロ レスラーは受け身を徹底的にやるから プロレスではレスラー同士が互いに相手の 技を受けるのが暗黙の了解となっているだ が全ての技をまともに受け止めていては体 が持たないので選手はダメージを逃す技術 を徹底的に磨くのだしかし受け身だけで 攻撃に対応できるわけではないそのため レスラーは過酷なトレーニングを重ね相手 の攻撃に耐えられるだけの肉体作りに 励む不けしによると期待上げたプロ レスラーの肉体は医学的な変化も遂げると いう筋肉の中にある酵素や骨の代謝が活発 で回復力もすごいんです一般で全地2ヶ月 という怪我ならプロレスラーはその半分の 1ヶ月足らずで治ってしまいます からプロレスでトップになる選手は怪我が 少ないと言われる猪木も非常に体が 柔らかく猫のような受け身を取れるので 肉体的なダメージが少なかったと不氏は 語るやっぱり過酷な練習を積むというのも あるけれど一流の選手にはまれついた肉体 とセンスというものがあります ねプロレスの技がどんどん高度になる一方 で受け身の技術も飛躍的に向上している 同じように肉体を酷使する格闘技と プロレスとの違いそして波のレスラーと 一流レスラーの違いはこのセンスに現れる のかもしれ ないご視聴ありがとうございましたこの チャンネルは毎週土曜午前10時に公開 チャンネル登録高評価よろしくお願いし ます

↓応援頂けるスポンサー様 お問い合わせはコチラから
toshihanai1971@gmail.com

事件が起きたのは1990年6月12日、まだ新日本の若手だった馳と後藤達俊とのシングルマッチでのことだった。

試合中、後藤のバックドロップに、馳は左肩で受け身を取ろうとした。ところが、あまりにも技の仕掛けが速かったため、受け身を取り損ねて左のこめかみからリングに落下してしまった。

意識がもうろうとしたまま試合を終えた馳だったが、シャワーを浴びて20分後、セコンドにつこうと控室から足を踏み出した瞬間、目の前がグルグル回って昏倒した。

全身のけいれんから硬直が始まり、失禁しながら口から泡を吹いたという。当時、新日本プロレスのリングドクターを務めていた富家孝氏が駆けつけた時にはすでに心肺停止状態で、瞳孔が完全に開いていた。富家氏も内心「もう助からない」と思っていたほどの危機的な状態だったという。

富家氏の人工呼吸と、その場に偶然居合わせた警察官の心臓マッサージで、1分後になんとか蘇生したが、馳はその間に幽体離脱して倒れている自身の姿を見るなど、いわゆる臨死体験をしていたという。

幸い、馳は翌日に意識を取り戻した。さらに数日後のレントゲン検査では、事故直後に写っていた脳内出血の影が消えていた。その後も驚異的な回復力をみせた馳は、わずか1週間の入院と2カ月間の試合欠場を経てリングに復帰した。

馳の場合は、直後の適切な処置によって文字通りに九死に一生を得たわけだが、その後はリング上での死亡事故が起きてしまう。1990年代以降は、試合の過激化にともない、「受け身の失敗」「ダメージの蓄積」などによる事故が目立つようになった。

#プロレス #猪木  #長州力 #タイガーマスク

31 Comments

  1. 馳浩は後藤達俊に投げられ◯に損なったけど、今は知事として石川県の復興に手腕を奮って貰いたいですね

  2. プラム麻里子さんの件は最後のタッグマッチのみが影響与えたんじゃなくて、その前から頭痛がひどく、以前から硬膜下血腫がおきていたんじゃないかとい話もあるよね。カルロス天野さんのブログでカルロス天野さん本人が書いてた。

  3. 柴田が試合させてくれない新日からAEWに移ってブライアンと凄くいい試合したのを見ると、正しい選択をしたと思う新日に対してジレンマもある

  4. 私は思います。相手を怪我させてそれを武勇伝にしてさ。それを売りにするのってさ、プロレスの世界だけかかかなななかわわわ、ぽぎゃう

  5. 全日本の四天王プロレスは今だと再現不可能な命を削った危険なプロレスだから歴史遺産になると思う。受け身の取れない頭部を目がけての垂直落下系のオンパレードで放送禁止レベル。

  6. 知事がプロレスに出て馬鹿か。政治を甘くみるな。政治家こんな奴ばかり。

  7. 馬場さんやアンドレやカーンのエピソードを聞いてると昔のレスラーは豪快そうに見えて思ったより冷静でまずい場合の対処方法に長けてたのだなと思う。
    試合に夢中になったり予想外のダメージなど痛みを受け熱くなってやり返すなど冷静さを失うと事故率も高くなるので、一番近くにいるレフェリーは冷静に試合を運んでほしいものだ。

  8. 2023年1月2日で良かったよな
    2024年1月2日なんて1兆パーセントプロレスの試合に出れないだろうからな

  9. 何度も繰り返されてますよね~
    コンディションの悪い人が試合して取り返しのつかないことになってますね

  10. 馳はスタイナースクリュードライバーの時もあったしなあ。子供心ながら絶句してヤバいものを見た感があった

  11. 長谷は受け身が上手いからギリギリのところで助かったのだと思う。三沢も受け身は上手いはずだが、やはり体調がかなり悪かったのだと思う。隊長がよければ死ぬこともなかったのではないか。

  12. 馳の事故試合を私は会場で見ていた。試合そのものは特におかしなところもなく終わり、取組はその後も順調に進行していったが、メインの長州ー浜口戦は事前に散々煽った割に数分であっけなく終わり、セミまでが超豪華カードの素晴らしい試合ばかりだったこともあって、ちょっと中途半端な形で興行がハネてしまったな、という印象だった。何か拍子抜けしたモヤッと顔で、多くの観客がゆるゆるぞろぞろと福岡国際センターを後にしていたのを覚えている。
    馳が生死の境にある中で、長州の精神状態が浜口との試合どころではなかったことを知ったのは翌々日くらいだったと思う。

  13. 三沢さんの場合、人気レスラーゆえに休むことができないプラス激務な社長業があって休まる暇がなかったからね…。
    しばらく社長業だけに専念ができれば結果は変わっていたかもしれない。
    頭蓋骨骨折と言えば、確かサスケ選手もしていましたが、リングに上がっているのは凄いことだと思う反面、日本のプロレス界もそろそろWWEみたいに本当に命の危険を脅かす恐れのある技は制限をかけるべきと思います。
    女子なんて下手すると小中学生の子が上がっていたりもする(危険な技は使っていないでしょうけど)し、
    もうこれ以上、不幸なことが起きないように何らかの対策を打たないとダメじゃないかな。
    フットスタンプを必殺技に使っている選手がいるけど、1・2度程度ならいいけど、何度何度も続けざまにやっているのを見た時は目を覆いたくなったし、これ下手すると内臓が破裂するんじゃないの?と思いましたよ。

  14. 後藤はコレから殺人バックドロップと言われたはず
    後藤は天山の首を損傷させたから、牛殺しと言われた

  15. 1990年最強タッグの馬場負傷の裏に、こんな大変な救急搬送や入院にまつわるエピソードがあったのは知りませんでした。

    あの時は馬場・アンドレ組が意外なほどの無敗の快進撃で「このまま行けば優勝してしまうのでは?」と思わせる展開でしたが、「いくらプロレスでも、全盛をとっくに過ぎた2人が並み居る若いスターチームを差し置いてそうなる結末は、ストーリーとして如何なものか・・・?」と危惧していたところ、あの゙事故゙があり、結局ゴディ・ウイリアムス組が優勝。

    「な~るほど、考えたな(笑)」と妙に感心したものですが、ガチな大怪我だったのですね。

    馬場さん、今更ながらすみませんという気持ちです。
    当時52歳。
    SWSへ多くの選手が流出する中、衰えた身体で無理を押して試合に出てくれていたのだ・・・。

  16. こういうのがあっても過激なプロレス技を良しとして、「四天王プロレス最高!」とか言ってんだよな。
    何万人が楽しんだとしても、一人の命が無くなったら意味がないんだよ、って思う。
    脈略もない試合運びで、大技ばかり飛び交うサーカスを応援し続けたプロレスファン、反省してください。

  17. 後藤達俊のバックドロップで馳浩が心肺停止になった事件は新日本プロレスじゃなかったっけ?

  18. 前田はセールだアングルだの言ってプロレスにマウント取ってるのかもしれないけど自分から見たら永田の言っていたあいつは格闘家としてもプロレスラーとしても全部中途半端と言うのが一番しっくりくる。
    あいつのやってた格闘技はプロレスだろ?

  19. 女子プロレスが最近危険な技、場外での乱闘などマズい気がする。あと、俺はデスマッチ否定派だから、あれも無くした方がいいと思う。
    馳さんの事故はよく覚えてる。
    選手が互いをリスペクトしてても起きてしまうんだよね。

    高山選手の事故、三沢選手の不幸と時折起きるが、エンタメなんだからやり過ぎたらいけない。
    視聴出来なくなることがない様に。
    いくら鍛えても無理は無理。

  20. 蝶野正洋がAED普及に力を入れているのは、馳が心肺停止になったのをきっかけにAEDが必要と感じたとコメントしていた。

  21. 90年以降も練習生の死亡事故が増えたような気がする
    ただ単に団体が増えたってこともあるだろうが・・・・・・

  22. バックドロップはプロレス技の中でも奥深い技。元祖テーズへそ投げ〜足抱え〜横抱え捻り〜ブリッジしないウィリアムスのテーズ型垂直落下式。投げかた、落とし方によって危険だが、馳知事は、受けの取り方誤ったアクシデント。もっと危険なプロレス技、幾つも有る。

Write A Comment