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0053 赤江達也『「紙上の教会」と日本近代』(その1)



0053 赤江達也『「紙上の教会」と日本近代』(その1)

[音楽] 第53回配信を始めますタイトルは赤江立 や史上の教会と日本近代その1 ですえっとですね赤江達也市のこの本の 名前は あえ全え少し前にですねえ [音楽] え紹介あ紹介と言いますか本のタイトル だけえちょっと引用したことがあるかと 思いますが え無 教会主義のですね無教会派 のキリスト教についての本なんです ねそれで私はですね え キリスト教が日本においてあんまり広まら なかった あ原因のですねかなり大きな部分は無き 会派に着せられるんではないかと思って おりまして えま正直 あまり無き会派に対してですね私は行為的 に考えてはいないんですねただあの日本の キリスト教っていうものを考える場合に無 教が会派が極めて面白い存在であることは 確かでそしてですねあの無教会派を分析 することにより逆 に無教 会派と正反対の方向に進んだらですね日本 のキリスト 教というのはもう少し広がりを持つのでは ないか といやば無教会派を他山の意思としてええ キリスト教の新たな展開を考えることは できるんじゃないかというのがですね私の 現在の立場でしてまそういういさか シニカルな立場からまシニカルというか あの無教会派にが素晴らしいとですね賛美 する立場ではなくう教会 の欠点をですね え率直に認めた上で えその無教会派の経験というのを今後の キリスト教の展望に活かせるのではないか という風にま私は考えているわけなのでえ えそういうそういった関心からですねこの 赤江達也氏の本にはあ大変な興味を抱き まし たまず赤江達市です が現在はあ関西学院大学の社会学部の教授 ですね えこの史上の教会と日本県日本近代の時点 ではあ台湾のですね え 大学 におられてですねえその後日本に戻って来

られて ええ現在は関西学院大学教師ということ です ねそしてですでまずこの本 うんざっ内容を見ておきますと [音楽] お えとちょっと字が小さいですか [音楽] ね え岩波書店 のま宣伝文句と言いますか内容紹介による と明治以降日本のキリスト教新都数は人口 の1%前後にとまるがその中で内村関蔵に 始まる無教会派は独自の存在感を持つ教会 組織制度を持たず雑誌書籍等の市場の教会 を媒介としながらそれが天皇星マルクス 主義戦後啓蒙社会科学の導入といった日本 近代の重要課題との関係で果たして役割を 明らかにした労作ということ でまこれだけだとなんだかよく分かりませ んけれども著者からのメッセージの方に より親切な紹介がありますね信仰の内面性 信行の社会 性宗教とは信仰とは何か例えば純粋さや深 さといった言葉が信仰を形容するに ふさわしいするのにふさわしいと考え られる時そこには信仰の内面性を中核と する宗教理解が存在しています戦後日本に はこうした宗教理解が広く見られますそれ ゆにプロテスタンティズム中でも内村関蔵 に始まる無教会が注目されてきました無 教会は教会組織制度持たない純粋なだと 考えられたわけですそれに対して本書では 雑誌や書物を媒介とする市場の教会という 内村の構想に注目しました柳原田尾南原茂 大塚といった無教開発知識人は市場の教会 という書物と読者のネットワークに支え られていたのですただ無教会運動において 現実化されていくこの史上の教会という 思想はこれまでほとんど注目されてきます でしたこの事実は信仰の内面性を中核と する宗教理解理念がルしていく過程でえ 信仰の社会性が体系的に見落とされてきた ことと対応しています現在でも信仰の内面 性や宗教の公共性が盛に語られるのに対し て信仰の社会性という事件が論じられる ことはあまりありませんなぜ信仰の社会性 が語られにくいのかそれはどのように語り うるのか本書は無教会キリスト教の歴史 社会学なのですが同時に信仰の社会性 に照準する宗教社会学としても読んで いただけたいただけたらと願ってい ますということで え宗教ですね

え まその典型をキリスト教だと考えると宗教 とはビリーフであるとでえ何かを信ずる ことであるからそうすると純粋さや深さと いった言葉が重視されてくる とで えそしてそこには信仰の内面性を中核する 宗教理解が存在してるわけですねま信仰の 内面性を中核としてしたらですねえ普通の その浸透とかはあ外れてしまいます宗教で はないということになってしまいますしえ 仏教もですね葬式仏教的なものはあ宗教 じゃないんだというような話にもなって しまいますよねだら あの宗教の 定義宗教をどのように理解するかによって え様々な あうん ビリーフ中心の もの プラクティスだけのものといった非常に 幅広い幅広いですね宗教の中からあ特定の ものが選別されていく ということにになるわけですねそして キリスト教っていうのはまさにその純粋さ 深さを要求される程度がですねえ仏教とか あ浸透なんかに比べると非常 に強いまそういう社会的な要請があるし 一般人はそんな風に考えているしえ信者も ですねえ自らの純粋さや深さを誇るような 形 で えでまあのそういうプライドを持っている というような あことだことなんですけれど もま あそうした宗教理解をしている限りはもう これ以上キリスト教は広がる可能性はない だろうなということをえ私は考えている わけで えまそういったま あの私の特別な関心からですね えこの本を少し読んでいきたいと思うん ですがただですね あのちょっとですね あの決して優しい本ではないのでえ いきなりその内容に踏み込んでいくという よりはあ 少しですねあの優しく説明した文章がです ねえネットにありましたのでえそちらを先 に紹介していこうと思いますえっとこれ あのこの書籍で検索え書籍名で検索したら 出てきたんですけれど もクリスチャントデのですねえ15年11 月以降の

え記事で えども実ると いう記者が書かれて いるいる記事ですが あこれ3回シリーズでえ3回目に赤達也氏 へのインタビューがあるんですねま一番 そこが面白いですけれど もえ順番を追ってですね まず1の方からちょっと見ていきたいと 思いますこれも字が小さいですかね [音楽] うんま全部は読めませんが少しだけ え読んでみると内村肝臓というと明治の無 教会の総者健康な進行者にして思想化と いうイメージがあ強いのではないだろう か史上の教会と日本近代無教会キリスト教 の歴史社会学はあ歴史社会学の視点から メディアとナショナリズムという切り口で 内村と無教会のりえ捉え直しを図っている そこから見えてくるのは内村もゆを持った 1人の人間であったこと そして こなんか邪魔なんですけどねこのポップ アップ が外したいんだけどまいい かえ内村もゆらぎを持った1人の人間で あったことそしてえ雑誌メディアを活用し た伝動方法の新しさで あるインターネットの登場とともに メディアやコミュニケーションのあり方が 激変する現代におけるキリスト教伝動を 考える時内村がやったことの中には様々な ヒントがあるように思わ れるということでですね え雑誌メディアの活用っていうのがま内村 の非常に新しいところなわけです ねえもうちょっと読んでいきます戦前を 振り返る時内村や柳原田尾は進行ゆえに 日本を批判し得たと語られがちだしかし 著者の赤達也氏台湾国立高尾第一鍵大学女 教師は彼らの国家批判ばかりに注目される ばかりが注目されることでえ彼らが同時に 強い愛国心の持ち主であったという事実が 見落とされているのではないかと指摘する 日本人であることとクリスチャンである ことを彼らがどうを調整していたのかを 考えることで宗教と近代日本について語り なすことができるのではないかそれが本性 を貫いている問いかけだ ということでですねえま不形事件 え内村の不計事件 の 分析ま従来はこれがですね [音楽] え

信念を持った行動のように語られることが 多かったわけですけれども実際にはそうで はなくてです ね内村には相当なたいがあったということ を赤は強調されるわけですねそして その赤石はこのたこすが内村の中にある 信仰と愛国心の間の地連なのではないかゆ ない信仰により拒否とらることは内村の真 を見してるのでないかと指摘するとま そしてですね えっと内村はこの事件で非常にですねえ 批判世間から批判されるとともにですねえ 教会から も教会というかまあのプロテスタントの ですね人たちからもですねちょっとあの 批判されたりしてえ えで教会という制度に対する疑問をですね 相当強く抱くようになるわけですねで無 教会という言葉を1893年に最初に始め 最初に使い始めるわけですが えこの時点ではあんまり積極的な意意味 合いを与えてないんですね要は無教会とな たり人の手にて作られるし教会今は有する はなし と世を慰める賛美の声なし世のために祝福 を祈る牧師なし とでえ無教会って言葉を積極的に使うよう になったのはもうちょっと後でえその間に はあヨ長方の英分断 出となったりですね聖書の研究を観光した というようなあの経験があるわけです ねで この聖書の研究はの読者は各地で雑誌や 聖書共に読書会を作りそれが聖書研究会や 集会につながっていたとまた内村は読者の 当初重視無教会という当初雑誌を試みて いる え 赤石によれば内村は読者共同体の中から 各地に集会が生み出されていくような 仕組みを作りそれを市場の教会と呼んだ とまあの若の言われるように市場の業界 っていう表現だとま内村自身が使ってる 表現でもありますがま拡張が 高い感じがしますけれど もこれたらペーパーチャーチですかねそう するとなんかペーパーカンパニーなんかと 同じで少し安っぽいというかいしい感じが してこないでもないです ねまそれとも かくその内村が作り上げた市場の教会はえ 様々な理由から教会に行くことはできない 弱者のための構想であと指摘する と聖書の研究や無教会は教会を持たない 地方の孤独な信者を結びつけるメディアで

あったえそして1917年の事例を見ると 読者の投稿は農家17%消化14公人4% 教師15%夫人6.7軍人2.2管理 5.2にとと読書層は広いと内村にとって 各地に散らばる多様な読者の共同性は教会 ではないが史上の教会と呼び得るもので あった と市場の教会は心霊上の養育員か個人の ようなもの だ散乱せる多くの孤独な独立信者たち とで内村は雑誌メディアで聖書研究の場を 作り出すことで大学にも教科にも属さない 在野の研究者伝動者になったと赤石は 言うということでです ねま赤石は あ非常にその史上の教会をですね高く評価 する立場からこういう風に言われている わけですけれど も各地に散らばる多様な読者の共同性と 言ってもです ねその関係というのはあ特定 の物理的な存在である教会の信者がですね え その特定の教に集まる信者の共同性なんか と比べるとまはるかに気迫なものですよ [音楽] ねそしてですね あの現実の教会を作ればもちろんその管理 費建設費用だけじゃなくてえそこにでえ僕 え働く人たちま 牧師だとかですねえさんなんかの生活費 もかかりますから非常に多額の費をかかる わけですけれどもあこの内村が作っ た市場の教会っていうのはそういう費用が 全然かからないですよね必要なのは印刷費 だけ えということでですね実はあのこの市場の 教会はですね村にとってはものすごく 儲かる経済システムでもあったわけですね え現実の警戒建物の存在する教会と違って え費用がかからない とそして4000人も読者を抱えていれば ですね え1人1人の拠出する金額は金証であろう とも集まれば相当の金額になるわけであっ て内村は結構あの経済的に豊かな生活して いたんですよ ねあんまり共通されることがないです けれども実はこの市場の教会システムは ですね非常に合理的な資金集めのシステム でもあったわけです ねまその辺り私はちょっと え皮肉な見方をしているわけ ですまそれともそして えかこ2の方に移る

とこちらは柳原田尾内村の弟子 の東京帝国大学教授の 柳原たの話になりまし て赤石は元々柳原の研究 から入っていったそうですねどっかで そんなこと書いてありました がで柳原もその戦治架において え国家に抵抗した人として非常に高く評価 されているわけですけれどもただですね 柳原もそのナショナリスト的な側面が かなり強かったんでですよ ね柳原の思想においてキリスト教と ナショナリズムそして天皇への尊敬が並存 しているという指摘はあ日本近代日本の キリスト教を考える上で避て通れない問題 を含んでいると言える だろうあのキリスト教っていうのはあ世界 宗教であってえ インターナショナル存在であるのが当然な わけですけれども内村や柳原においては あキリスト教的ナショナリズムと いうえ方向に進んでいくわけですねまそれ はあの当時としては内村が柳が活躍した 時点では あもちろん の大変な意味があったわけですけれども それを現在の目から見直してみると やっぱり色々ちょっと無理があるんじゃ ないかなっていう感じはするわけですねま それはまた後で ちょっと述べたいと思いますでここで ちょっと興味深いのはなぜ無教会は戦後 学問宗教会を超えた維新をえたのか とで南原しと柳原 南原も内村関の弟子ですがこの2人が続け て東京大学の早朝となってえ無教会は学問 宗教会を超えた維新を持ったとその理由と して赤石は4つの点を上げる1大正産に 組み込まれた日本キリスト教会とは対象的 に戦争反対の準教者と見なされたことに彼 らはキリスト者である同時に天皇を尊敬 する国であった こと3特定の宗教団体や教派に属してい ないため大学知識人として学問的な立場を 中立的に代表してるように見えたこと4 同じ理由から特定の教派ではなくキリスト 教の精神を代表する存在に見えたこと と無教会であるが故にキリスト教精神を 語っても特定の宗教団体に関わるものでは なく憲法の新教の自由や 公共共の教育の中立性の原則を守りながら 発信する発言することはできた ということです ねそしてま私も結構権威に弱い人間なので 昔は南原しとかですね柳原ですねえと尊敬

していてえい人だなと思ってたんです けれど も実際にですねその2人の文章やあその 周辺の人の南原茂柳原田尾に向けられた ですねえ出演などを調べていくとですねま 色々疑問を抱くようになって2015年ま 今から あ9年ぐらい前にですねその辺りのことを ちょっと色々ブログに書いたことがあり [音楽] ますで無教会の雑誌っていうのは戦後24 年間に94士が発行されてえ論争が活発に 行われてえ無教会が聖書学を牽引する時代 がついたがえ1960年70年代に柳原や 塚本トラジが亡くなるところから無教会派 知識の存在在材にすれ真との高齢が化が 生じ始めるとこの塚本トラジっていうのも 人も非常に優秀な人で え内村が あ自分の後継者として え育てていたようなところがあったんです が結局は内村を継ぐことなく通貨もは独自 の活動を始めることになるわけですねえ そういった具合にあの無教会っていうのは 結局あの え組織としての連続性っていうものはあ 原理的に いま無理と言いますか え やっぱり制度ではなく組織でもないという ことですから結局特定の優れた個人の周り に集団が作られて でその集団の中で雑誌を回し読み雑誌を 読んでですねいろんな意見を交換する けれどもその特定の優れた個人が死んで しまえばそれで終わるというようないわば ま あくと言っては失礼ですけれど も歌方のですね吐ない存在にどうしても なりがちな仕組みですよ ねさて3の方に移ってですねこれはあの赤 市に対するインタビューなんです ねこれ赤石この方です [音楽] ねで2015年 に10月17日に明で講演会 がなされたそうあったそうですがこの公演 のために赤石は台湾から日本に来てですね え日本に来たということなのでその機会に インタビューがなされているわけです ねでちょっと読んでみる と出版されて反応はいかがですかえ社会学 宗教学歴史学相師などいろんな分野の方々 から反響をいただいていますキリスト教師 だけでなく近代仏教研究でも参照して

いただくことがあり嬉しく思っています と時々無教会の中心は雑誌ではなく あくまでも集会であるというコメントを いただくことがあります確かに現在の教会 にはエクレシア教会を集会と翻訳するよう な集会こそが進行継承の場であるという ような考え方がありますそれに対して本書 では集会と雑誌双方の役割に注目しながら 集会中心の考え方が戦後に強まることを 指摘しています とでえなぜこのテーマで本を書こうと思わ れたのです かで私は岡山県の出身で福井派のキリスト 教という家庭環境で育ちまし た 子供の頃から家庭や教会で語られることと 学校や新聞などで語られることが違うなと 感じていました例えば教会で学ぶ創造論と 学校で学ぶ進化論の違いなどですまたあ 岡山は地都市ですからあキリスト教会と いうのは地域社会の中でどこか質なところ があると同時に様々な社会活動を通じて 地域に指してるところもあります私は キリスト教と日本近代社会について究して きたわけですがその根底には子供の頃に 感じたその感覚があるのかもしれないと思 いいます とそしてえその後筑波大学の収支で柳原 田尾の信仰と学問と政治について学ぶ中で 無教会運動に興味を持ちましたそしてそれ を生み出した内肝臓とはどんな人物か不 事件とは何かを考えるようになりました その中で内村柳原を南原しる大塚久という 無教開発式事の警と彼らを支える読者の 広がりが見えてきまし たということでえそなとその ナショナリズムの問題です [音楽] ねこれまでの研究では内村の不形事件や 柳原事件などについて彼らの国家批判の 側面が強調されてきましたでも彼らの所作 を読むと天皇への尊敬愛国心や ナショナリズムがはっきりと感じられます それを無視して彼らを角に英雄化して しまうとかって彼らの国家批判の意義も 理解しにくくなってしまいますということ で柳原事件のことを少し述べられています [音楽] ね そしてメディア論としての無教会ですね無 教会とは何かということを考えた時それは まず雑誌の名前だったわけ です1893年の著書えキリスト信徒の 慰めでは無教会は教会から捨てられたと いう否定的な意味合いで使われていました

でも1901年には自分の雑誌の名前とし てポジティブな意味合いで使われますその 雑誌無教会の最初の説で無教会に教会の ないももの教会という定義が与えられます そして無教会が共有の交通機関と呼ばれ さらに市場の教会と言い換えられるのです この市場の教会っという表現は あ内村関三自身の表現ですねただあんまり ですねえ内村はこの表現をですね え好んで使ったわけでもなくですね だんだんあの使わなくなってしまうよう です ねでえ無教会第2世代の指導者たちは読者 から書き手に変わっていったつまり雑誌は 読者を訓練し書てとへ変えていく場でも あったということです ねま当時当初というのは当然あったわけ です [音楽] ね まこの後は [拍手] あいかにも新聞え記者らしい質問とそれに 対する対応です [音楽] ねえっと内村は与情報で働いていたけれど もいわゆる新聞記者ではなく英分団を担当 する論説委員だった とまそうは言っても その世長方でですね内村はやっぱり いろんな新聞記者を個性溢れる新聞記者を 眺めですねまた有能ま有能には間違い なかったヨ長方のえ経営者もじっと観察し ていてですね やっぱりどうやったら あ経済的にですね安定した あ あ収益を確保できるかっていうのを相当 熱心にま見てたんじゃないかなと思うん ですよねそしてあの内村が あ見出した あ経済システム が市場の教会なわけです [音楽] ね [音楽] え失礼 まということで えこの3回のシリーズを読むとですね え赤市の問題式というのは大体確認できる のではないかと思い ますということで今回は あちょっと短いですけれども 以上としたいと思い ます

赤江達也(1973生、関西学院大学教授)
http://researchers.kwansei.ac.jp/view?l=ja&u=200000872&sm=name&sl=ja&sp=1

『「紙上の教会」と日本近代――無教会キリスト教の歴史社会学』(岩波書店、2013)

明治以降,日本のキリスト教信徒数は人口の一%前後にとどまるが,その中で内村鑑三に始まる無教会派は独自の存在感をもつ.教会・組織・制度をもたず,雑誌・書籍等の「紙上の教会」を媒介としながら,それが天皇制,マルクス主義,戦後啓蒙,社会科学の導入といった日本近代の重要課題との関係で果たした役割を明らかにした労作.

■著者からのメッセージ
信仰の内面性,信仰の社会性
 宗教とは,信仰となにか.たとえば,「純粋さ」や「深さ」といった言葉が「信仰」を形容するのにふさわしいと考えられるとき,そこには「信仰の内面性」を中核とする宗教理解が存在しています.
 戦後日本には,こうした宗教理解が広く見られます.それゆえにプロテスタンティズム,なかでも内村鑑三に始まる無教会が注目されてきました.無教会は,教会・組織・制度をもたない「純粋な信仰」だと考えられたわけです.
 それに対して,本書では,雑誌や書物を媒介とする「紙上の教会」という内村の構想に注目しました.矢内原忠雄,南原繁,大塚久雄といった無教会派知識人は,「紙上の教会」という書物と読者のネットワークに支えられていたのです.
 ただ,無教会運動において現実化されていくこの「紙上の教会」という思想は,これまでほとんど注目されてきませんでした.この事実は,「信仰の内面性」を中核とする「宗教」理念が流布していく過程で,「信仰の社会性」が体系的に見落とされてきたことと対応しています.
 現在でも「信仰の内面性」や「宗教の公共性」が盛んに語られるのに対して,「信仰の社会性」という次元が論じられることはあまりありません.なぜ「信仰の社会性」は語られにくいのか.それはどのように語りうるのか.
 本書は,無教会キリスト教の歴史社会学なのですが,同時に「信仰の社会性」に照準する宗教社会学としても読んでいただけたらと願っています.

https://www.iwanami.co.jp/book/b261295.html

『「紙上の教会」と日本近代』(1)メディアとナショナリズムから捉え直した内村鑑三と無教会
https://www.christiantoday.co.jp/articles/17574/20151110/akaetatsuya-1.htm
『「紙上の教会」と日本近代』(2)矢内原忠雄の信仰とナショナリズム 現代に託された内村鑑三の遺言
https://www.christiantoday.co.jp/articles/17575/20151110/akaetatsuya-2.htm
『「紙上の教会」と日本近代』(3)大学と教会から離れ、オルタナティブなメディアを作った内村鑑三
https://www.christiantoday.co.jp/articles/17576/20151110/akaetatsuya-3.htm

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