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【ゆっくり解説】雪はとにかく強かった!グループA開幕トップリーダーファミリア323 4WDについて解説



【ゆっくり解説】雪はとにかく強かった!グループA開幕トップリーダーファミリア323 4WDについて解説

皆さんこんにちはゆっくりの霊夢です こんにちはゆっくりの魔理沙だぜ最近の 松田はモーター賞からの流れで次世代 ロータリースポーツへの期待が高まって いるぜロータリーエンジンは松田の新年と も言われていてRXAと依頼えたところで のMX30で発電用ではあるけど ロータリー復活だものねシでのスポーツ カー知てだから車好きなら誰でも胸当に なるわよでもまだまだ寒さが続く中この 季節で松田の車で思い出すとしたら私の 場合はロータリーでなくて松田3234w dねファミリアだよなグループAで活躍し た国産ターボ4wdの先駆けか以前も テーマにしてたよな確かに雪のイメージが 強いぜなんでかなそれは弱小のチーム松田 でもWRCグループA以降でいきなり グループBチャンピオンチームから移籍し たドライバーの活躍でウィンターラリーの 連覇があったから大昔すぎて記憶も曖昧だ ぜまその辺のおさいも含めて今回は雪と いえば松田ってところを解説するわCAR COMIC1980年代後半突如ラリー会 に出現して輝きを放った松田3234wd 誰もがいきなりと驚いたがなんでマツダが 4wdマシンを出したんだそうねラリーの ワークス活動でもWRCはRX7の グループBだったしその後高層が頓挫して しまったグループSもロータリーだった ものねスバルや三菱トヨタがそれぞれの 要素であるフルタイム4wdターボツイン カムエンジンの開発が盛んだったのにのせ の車がなかった時代その全てを市販者で 搭載しパッケージした車がなかったのに いきなりフルコンプリートだもんなそうね WRCではツインカムターボ4wdって出 まくってたけど市販者ではなかなか出 なかったわよねでも知られてないけど実は ファミリア4wd開発にはちゃんと伏線が あっての開発だったのよこの当時でも マツダはロータリーエンジンが目立ちすぎ でそれ以外の技術に脚光がなかなか当たら ない感じだったぜマダが最初に4wdを 開発したきっかけはより多様な運転環境に 対応しドライバーが思い通りにするため だったのよまさかの4wdでも陣馬一体か そしてマダの4wd開発の歴史は長く 1984年に3代目ボゴのパートタイム4 wdから始まり続く プロシードオザリア wdなのファミリアの当時のターゲット層 は若者シビックやカローラなど人気の スポーツハッチバックがついで登場する中 スポーツエンジン24wdの組み合わせは モータースポーツ以前に当時流行りだった

スキーを楽しむ人たちにもすごく人気が あったわその辺りは狙いだった話は聞か ないけどbfm型ファミリアはスキー行く のに使われてた印象も確かに強いぜそんな 松田3234WDBFMR型ファミリアは ラリーを意識せず開発されたのよあれほど ラリーに使われたのに意識してないのには 驚いたぜ三菱が常用者で4wdを開発する 時にはラリーを意識した宣伝やったり販売 と同時に競技部品をリリースするとか野心 的に4wdの開発していたぜそうその辺り 松田は欲がなかったわねファミリアは昔 からラリーの現場から目をつけられて使わ れてきた経緯があるわファミリア4wd 登場前のマツダのモータースポーツ活動の 流れだな松田は元々はロータリーで 頑張ろうという会社だったのは有名よね あのファミリアでさもロータリーモデルが あってレースで活躍していたくらいだから なマツダ自体業界再編の波を独自の ロータリーエンジン技術で生き残ろうとし た自動車メーカーなのは有名だぜマツダは ハイガス規制で落ち込むロータリー エンジン車それに続くファミリアの空前の ヒットカローラより売れて完全復活を 成し遂げるのカローラより売れ るってすごくねそれがきっかけでマツダは ロータリーとレシプロエンジン車両方の ラインナップ制作を行うこととなるわ そんな中で松田はこの頃モータースポーツ を宣伝にに使っていてアメリカのイサとか 頑張っていたけど欧州も何かやるかって 言った時F1はお金かかるから耐久レース からラリー買って選択しになったんだって いやいや今ではラリーも相当お金かかるぞ しかしこの当時日本では松田ワマンの印象 がすげえあるぜそう日本側はルマン推し だったけど海外営業はWRC押しでなんと か参戦までこぎつけたわやっぱり欧州の人 ラリーが本当好きなんだぜそして海外営業 の参戦の目論みとしてはラリー用のパーツ 開発してラリーで一旗上げれば車も売れる しスポーツパーツも売れるってことだった わラリーで活躍しての宣伝効果による ブランドイメージ向上による確と実践から のフィードバックで開発したスポーツ パーツ販売で受けしようとしたわけかそう 日本の松田より当時は海外反射の方が野心 的にWRC使って本気で車を売り込もうと もんでいたようねその活動はグループB 時代にも継続してRX7がグループBで 頑張っている時代でも松田は出たばっかり のファミリア3234wdをグループAの ホモロゲーションを取得してラリーに参戦 させるのグループB前世の時代のグループ

Aは本当目立たなかったよなそうね グループBとグループAはほぼ同時に登場 しているけど発足当時の1982年では 規定生産台数が多すぎて参戦するメーカー は規定台数が少なくラリーに特化した市販 者でもWRCではトップカテゴリーの グループB車両の方ばかり開発していたわ 熱時代だぜマツダはRX7だけでなく 1985年にファミリアをグループAに 投入することになるのまファミリアみたい にメーカーの販売主力者種ならグループA のホモロゲーションは楽勝ってことも幸運 だったぜさすがにグループBに比べたら インパクトの薄いグループA3戦には当初 インパクトが感じられなかったけど天気が 訪れたのがグループB廃止となった 1986年例の大事項きっかけに翌年は グループAをトップカテゴリーとする発表 だぜWRC参戦メーカーは継続参戦化撤退 か判断を迫られるそんな中唯一グループA でターボ4wdのマダ3234wdを用意 できてた松田トップメーカーが慌てて ラリー用グループA車両の準備と ホモロゲーションモデル取得に焦る中 すでに数シーズン実践投入している ファミリアは愛せずトップチーム候補に 踊り出てしまったのよまさかの大注目 チームになったぜ排気量的には小さめの 1600ccだけどコンパクトな車体と 松田陣馬一体の4wdバージョンの松田 3234wdどこのチームもより市販者に 近いベース車両からグループAのラリー カーの制作に苦戦する中すでに実践投入 住野松田3234wdはその完成度から 必然的に注目を集めたわ課題はたくさん あったが実践経験ってのはこの場合特に 重視されたぜそんなグループA時代の チーム松田にとてつもないサプライズが 起こるのそれは大物ドライバーの加入よ今 サロネンの松田加入か相当話題になった らしいぜサロネンは1986年にプジから 松田に移籍したのだけど経歴は語数で遺跡 と当時でもWRCトップクラスの ドライバーだったわ詳しい経歴知らない けどそんなにか彼のキャリアは1974年 のセコラリーから始まり日産からワークス デビューを果たした日本メーカーに縁が あるドライバー1984年の1連の高成績 がジャントッドの目に止まり1985年に プジに移籍グループBマッタ田中のプジ ってことはバタネントはチームメイトって ことかこの年サロネンは4イベントに連続 で勝利し当時の記録を打ち立て2の スティグブンクビスト52ポイントの差を つけて世界チャンピオンになったわ日本

メーカーに縁があるからってWRCの トップドライバーは絶対に勝てない車の チームには移籍しないよなありバネが言っ てたぜでもサロネンが松田に移籍した理由 については分からないけど実践投入してい た松田の情報を分析して1986年時点で 次年度のグループA元年のトップチーム 後報松田と予想したのだと思うわ排気量は 1600ccと小さいファミリアでも正気 が十分見出せての遺跡ってわけかそして グループAをトップカテゴリーとする 1987年WRCが開幕サロ年の読みとり 第1戦から速さを見せるの相手は95白へ のランチアHFデルタとアウディだよな そうグループBでVV言わしていた メーカーその余韻から無理やりグループA を仕立てるも本調子ではなくファミリアは 開幕第1戦から速さを見せ松田3234w dは1次トップに立つ活躍でも初戦は 落としてしまうんだよなそう実践経験が あってもまだまだ熟成中のファミリア 323にはいくつか問題があったわ ミッションの耐久性とターボだろそう初戦 はターボトラブルでリタやラリー5の確認 ではミッションも限界ギリギリだった らしいわこの当時まだXトラックの ミッションは使ってなく自社性だったんだ よなそうそんな状況でもチーム松田は第2 戦スウェディッシュラリーで早くも総合 優勝をその後も1987年と1989年の スウェディッシュラリーと1989年の ニュージーランドラリーで総合優勝を 果たしたわ おそらく雪だと社格と軽さハンドリングの 良さが際立っての勝利なんだろうなそれに ミッションオイルの上昇も抑えられて ライフが伸ばせたってこともあった でしょうね雪イベントの勝率が良くて ファミリアは雪の印象が強いんだなしかも サロネンだけが早かったわけではなくて 当時脅威の新人と注目されていた富ま記念 も6位に入賞するなど多くの有名選手が bfm型松田323ファミリアで活躍した わなるほど見慣れたbfm型松田323 ファミリアのの写真にはそんなドラマも あったんだな1600ccの4wdターボ といえば今ではGRヤリスを連想するが その元祖ってわけだったんだな当時 ファミリアは排気量が小さくて勝てなく なったなんて言われていたけど現代の 1600ccのラリーカーを見ると技術的 に伸び代はまだまだあったってことね今の 松田はラリーからエド追いけどまた復活し てくれると嬉しいわね本日は以上です最後 までご視聴ありがとうございましたよかっ

たらチャンネル登録をお願いします それでは [音楽] また

グループA時代突入しファミリアでトップチームになったマツダ、大物ドライバー加入のサプライズで更に盛り上がる

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24 Comments

  1. 欲しかったなぁ、免許取った頃スキーに行くのが流行ってたから特に。ワンダーやFX、スタタボ皆んな乗ってた。ファミリア4WD乗ってたヤツ居なかったから余計に買いたかったが、貧乏学生で中古の型遅れカローラやった。

  2. 就職して初めて買った自分のクルマがこのファミリア4WDターボ(BFMR)でした。中古で40万円。キビキビ走って楽しいクルマでした✨

  3. ここでネタにするまでもないから省いたのだろうけど、後年1.8Lのモデルも走ってたがろくに活躍もできず、チームに在籍してたハンヌ・ミッコラみたいなビッグネームも殆ど飼い殺し状態でしたな😢

  4. ランサー全盛期以後の人間だから、BFMRといえばロードスターをB6ターボ化させるために新品パーツが買われていったイメージしかない。

  5. よく言えば雪道に強かった。 実際はパワーが無さすぎて雪道以外ではデルタと勝負にならなかったと言う事です。 ランチア以外のメーカーが参戦する様になってからは、いつ撤退したかも判らない位に地味な存在でした。

  6. 00年代初頭までマツダの4気筒エンジンはメディアやジャーナリストから酷評されていた。
    スポーツモデルでは特に。
    NA ロードスターも。
    DOHC化されても気持ち良く回らないなど回転フィールについては特にダメ出しされていた。

    そんな世間では酷評され走り屋はロータリーに飛び付くので見向きもされない状態。
    それでもパッケージング自体は悪くないはずなので毎年改良続けていればランチアとトヨタに続くグループを形成出来た可能性はある。
    惜しい存在。

  7. 当時の全日本ダートトライアルで速かったのを覚えています。あとカルタスGT-Iも速かったなー

  8. マツダはファミリア4WDターボにモータースポーツモデルという考えがなかったのか、国内ラリーや全日本ダートラに参戦していたカスタマーからスポーツパーツのリクエストが来てモータースポーツ部門が開発に取りかかる有り様だったとか。
    WRC撤退後、MRTAのエンジニアだった関田克己氏は全日本ダートラに参戦するファミリアユーザーをバックアップし、94~95年に連続してチャンピオンを獲得できた成果はせめてもの救いだったと思う。

  9. GT-X乗ってました
    市販車もミッションがグニャグニャだったけど、ビスカスの可変4WDのハンドリングは良かったな

  10. 過去にGT(BFMR)を所有していました。
    細かいコーナーではプッシュアンダーが強くて曲がらない車だった記憶があります。
    ただ、この車はセンターデフがオープンデフだった様でグラベルでステアリングをいっぱいに切った状態のままアクセルを急に開けると後輪に全ての駆動力が配分されてしまいフルタイム4WDからパートタイムFR状態に変化してました。

  11. GT-Rといえば日産が有名だけど、セリカにもあったしこのファミリアにもGT-Rがあった
    フルタイム4WDインタークーラーターボ
    ほしかったなあ

  12. ファミリアGT-Rみたいな車はもう出で来ないヤリス?今の技術は凄いと思うけどアレ乗ったら感動する三菱のコルト並み

  13. サロネンってバタネンよりも早くて運転がうまいと思うんだけど、

    (カンクネンもうまい)

    何で有名で無いの??

  14. シェル・ヒョンデ、トヨタしかトップワークスがいないですしね、今のWRC。
    資金源で大変な時代によくシェル・ヒョンデはトヨタの大資本かつトップのレースに入れる気合いに戦ってると思います。
    金がキツすぎ…いくらヨーロッパテクノロジーとヒョンデの金と言っても、トヨタに太刀打ちは…

  15. 昔のマツダの「スポーツカーにとっての豪華要素を無理矢理大衆車や高級セダンにぶちこむ」ってのめっちゃ好き

  16. この型のライトバン四駆が社用車にありましたがエンジン以外の足回りはGT-Xとほぼ同じ四独、四輪ディスク、センターデフロック付きで冬は最強でした。

  17. BFMRファミリアはダートラで人気ありましたねー。センターデフがロック出来るんだけど、サイドターン時にボタンでフリーにする為走行中に押して、クラッチ切ったと同時に切替わるのですが、本来は停車時に切り替える設計思想だった為、結構壊れてました。そう言うのがあってスバルのDCデフが誕生したかも知れませんね

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