新生児集中治療室から在宅へ 孤立する親子が「これが息子の世界」と思えるまで

新生児集中治療室から在宅へ 孤立する親子が「これが息子の世界」と思えるまで



新生児集中治療室から在宅へ 孤立する親子が「これが息子の世界」と思えるまで

すごい ねお祭りだねちょっと写真1枚撮っ てびっくりしてるよ ねいてる何事 やろを迎えた村岡 さんのんとんはこのの たえ子式店に参加しまし たこんなにねいっぱい同級生がい るってなんか嬉しいねみんなそれぞれ みんないろんなことがあってきっとどのお 友達にも同じように喜んでるお父さん お母さんがい てで私も一緒にその仲間になれ て [音楽] 私たちが村岡さん一家と出会ったのは 2004年高度な医療を行うniccu 新治集中治療室でし た呼吸が弱かったゆきさんは生まれてすぐ NICUに運ばれ家に帰れない日々が続い ていまし た たなんか席が ひど全然食べれなかったあした方がいいか もしれない母親のゆみ さん里帰り出産で実家のある福岡に戻った まま家族と暮らしていた北海道に帰る目が 立たない状況でし た主人が北海道なんですよ北海道にいる からこのの子と3歳の子 と4人で北海道で住みたいなっていうの が前みたい [音楽] ねだから夫の学ぶさんは浦川町で小学校の 先生をしていまし た当時この町にはゆきさんを見ることが できる病院がありませんでし たを出て1人分の夕食を作る 毎日なんだこんなん言ったら怒られるかも しれん けど1年離れると慣れちゃうとかあるん ですよ ね慣れちゃったって思わない と逆に辛い [拍手] [音楽] し 感染防止のためniccuに入れるのは 両親 なゆみさんは当時3歳だった上の娘を母に 預け毎日1人でNICUに通っていまし たどうしても比べちゃうんですよね同じ ぐらいの子供9ヶ月ぐらいの子供が街を 歩いてるとく見ちゃうし あこんなこと思っちゃいけないけど本当

だったこうだったのかなとかもっと元気に 生まれてくれてたらこうだったのかなって 思うようなことはたくさんこう街に溢れ てるじゃないですかうんその時にNICU に戻った時 にちょっと悲しい気持ち は出てきますよ ね少し改させるよに入れ たゆ だてくるしてる恥ずかしい話ですね3歳の お姉ちゃん が勇気ゆき大好きだよてすっごいこうチと かしてすっごい可愛がるんですよそれを見 て初めてああ生まれてくれてよかったって 思うんですよお姉ちゃんがいなかったら そういう風には思えなかったかもしれない ですみんな で何が好きって聞いてあれから は歳になりまし [音楽] た夫の真さんはゆさんが3歳の時に転職し 福岡に戻りまし た教師とは違う仕事をしていましたが去年 から再び北九州市の小学校で教団に立って い ますそして弟が生まれました声高かった 11歳 の 面白いしめちゃめちゃ可愛い ですいつも3人こんな感こんな感じゆさん がずっとヘラヘラ笑っ てうん仲がいいです よいゆさんは1でNICをし自宅にりまし たとはいえ夜間は人口呼吸機を装着し胃に 穴を開けて1日に4回直接栄養を届けてい ます 人間の員など医療的なケアが欠かせませ ん睡眠不足のはずなのにゆみさんの表情は 穏やか です私が知らん顔しててもずっと1人で 遊んでるでしょうすごいなんか成長した なって思いますねうんつっきりなった からおはようござい ます日中ゆきさんが過ごすのは医療型 ショートステイ医療的ケアをしながら自宅 で生活する人を支える施設 ですこれなん だこの日は節分を前に鬼を制作しました まけるよそうそうそうそう思い出した こっちこっちそうそうそうあそうそう そうそううんそうそうそうそう オオッケーかっこ いいはい オぼちぼちご飯の用意しようか磨いて実は ゆさんは看護師の資格を生かし17年前に

ゆさんがこの施設で過ごすようになった時 からここで働いてい ます医療の進歩で人口呼吸機や医を使い ながら自宅で生活する人が増えこうした 施設のニーズは高まっていますこういう 数字とか見ててもちゃん今何に困ってるの かなっていうのはすぐ あの きつ助けてったにもう あのそれで気がつくんじゃ遅いんですよ ね今日はどんな調子今日はさんは とてもの田 さんさんの日中の居所を探してここを訪れ たさんに働くよう後したと言います 私とゆきはうつですって うつですって言うんですねあそうですかあ ゆみさんがあのまもちろん暗いんですけど 勇気もずっと泣いてるんですよね何が一番 彼女にとって必なのかなって思った時に やっぱり勇気のお母さんだけじゃなくって 村岡ゆさんよねっていう時間が1日の中で 少しでもあ っていうのがきっかけなん ですが誰かの役に立ててる喜び子供たち みんな可愛いですもんねみんな 可愛いそれではそれでは泣いてばかりいた ゆきさんも変わりまし たね初はずっとずっと泣きよったねね こんなに笑うと は喋るだけが本当お話できることだけが ですねコミュニケーションじゃないって いうのをですねすごくみんなが教えてくれ てうん情だったり口元ね目もすごくね 動かすしこうやって手てですねあの今して 欲しいことだっ たり求めてること教えてくれたりです [音楽] ね親族が集まった二十歳のお 祝いがいた がというに過てねね色々支えてもらい ながら本当にここまで来れて嬉しいなって いう風に思ってますおめでとうおめでお めでとう いつもありがとうござい [笑い] ます大好き 喉が怖いた よ暑かったし ねあ上手 によく頑張ったなと思って思いますね やっぱり気もですけど も弓とぶん で勇は勇気なんだ勇が楽しいければこれが 勇の世界なんだていう切り替えスイッチが 自分の中でどっかで入ればすごく楽しく

なってく愛され ながらを届けながら雪らしく 楽しく生きてくれたら嬉しいですよ ね

1月、全国各地で行われた成人式。この日を、「これまでよく生きてくれた」と特別な思いで迎えた家族がいる。障害のある息子と歩んだ20年は決して平坦な道のりではなかった。何が、悲しみの中にあった家族を笑顔に変えたのか。

◆紫色の特注の袴で「ド派手」成人式に参加
「ド派手」で知られる福岡県北九州市の成人式。1月7日式典会場には、村岡由美さん(50)と夫の学さん(50)の姿があった。二十歳を迎えた息子の友喜(ゆうき)さんと一緒に参加するためだ。由美さんはこの日のために、寝たままでも着せられる特注の袴をあつらえた。紫色。髪も今風にセットした。由美さん「北九州なんで。にぎやかに」と笑う。私たちが村岡さん一家に初めて会ったのは2004年。高度な医療を行うNICU新生児集中治療室の中。当時の由美さんに、今のようなはじけるような笑顔はほとんどなかった。

◆2004年 NICUに入院 家族は離れ離れに
友喜さん(20)の病名は多発奇形症候群。呼吸が弱く生まれてすぐに産業医科大学のNICU新生児集中治療室に入院。家に帰れない日々が続いていた。当時9か月だった友喜さんはとても苦しそうで、その様子を見守る母親の由美さん(当時30)もつらそうだった。由美さんは、里帰り出産のため夫と暮らしていた北海道から実家のある福岡に戻っていたものの、出産後も帰れない状況が続いていた。

村岡由美さん(当時30)
「夫が北海道にいるんですよ。この子と3歳の娘と4人で住みたい。前みたいに」

夫の学さんは、北海道浦河町で小学校の先生をしていた。当時この町には、友喜さんをみることができる病院はなく、家族が離れて暮らす状況がもう1年近く続いていた。一番最後に学校を出て1人分の夕食をつくる毎日だった学さん(当時31)

村岡学さん(当時31)
「こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないけど、1年離れると慣れちゃうところあるんですよね。慣れちゃったって思わないと、逆につらい」

「行っちゃ嫌だ」泣く姉の水葵ちゃん(当時3歳)

感染防止のためNICUには両親しか入れない。由美さんは、当時3歳だった上の娘を母に預け毎日1人でNICUに通っていた。

◆「どうしてもほかの子供と比べてしまう」
村岡由美さん(当時30)「どうしても比べちゃうんですよね。9か月ぐらいの子供がいると見ちゃうし。『本当だったらこうなのかな』とか。『もっと元気に生まれてくれたらこうだったのかな』とか。そう思うことが街にあふれているじゃないですか。そんな時にNICUに戻ると、悲しい気持ちはでてきますよね」
由美さんは、NICUでの友喜さんの様子を撮影した映像を実家で流していた。すると3歳のお姉ちゃんが、「ゆうきだ!ゆうきだ!」と画面をみて楽しそうに笑う。

村岡由美さん(当時30)
「はずかしい話、3歳のお姉ちゃんが、『ゆうき、大好きだよ』ってすごくかわいがる。その様子をみて、はじめて『ああ生まれてくれてよかった』って思うんです。お姉ちゃんがいなかったら、そんなふうに思えなかったかもしれない。北海道に帰れないでしょう。みんなばらばらになっているでしょう。自分からは、実はそんなには思えない」

◆あれから20年、家族は・・・
あれから20年。友喜さんは1歳でNICUを退院して福岡県北九州市で暮らしていた。自宅を訪れると、リビングに敷いたマットの上で、機嫌よくお気に入りのおもちゃで遊んでいた。母・由美さんと父・学さんも一緒だ。学さんは、友喜さんが3歳の時に転職して福岡に帰ってきた。そして去年から再び夢だった小学校の教壇に立っている。

村岡学さん(50)
「教師に戻るなら50歳になる前に、って決めていました」

3歳だった姉の水葵さんは大学生になった。そして弟の大生くん(11)も生まれ、家族5人になった。じゃれあい、冗談を言い合いながら、姉の水葵さんと弟の大生くんが、友喜さんの顔を拭いたり痰の吸引をしたり、3人姉弟は、とても仲が良い。夕食の準備をしながら、由美さんは3人を愛おしそうに見つめた。

村岡由美さん
「めちゃくちゃかわいいです。3人はいつもこんな感じ。友さんがずっとへらへら笑っている。仲がいいですよ」

◆自宅で行う医療的ケア
友喜さんは退院後、何度かの手術を経て、10歳で気管切開した。それまでは入退院を繰り返していたが、その後少しづつ安定した。日中は自発呼吸しているが、夜間は人工呼吸器を装着している。また、胃に穴をあけて(胃ろう)直接栄養を届けている。午前5時、午前11時、午後5時、午後11時の1日4回。1回に2時間程度かかるため、夜は由美さん、早朝は学さんが担当している。たんの吸引など医療的ケアが欠かせず、ゆっくり寝ることはできない。睡眠不足のはずなのに由美さんの表情は、穏やかだ。

村岡由美さん(50)
「こうして私が知らん顔しててもひとりで遊んでいるでしょう。成長したな、と思って。前はもうつきっきりだったから」

◆転機になった3つのこと
苦しみの中にあった由美さんに聞くと、転機が3回あったという。
ひとつは、気管切開をして友喜さんの体の調子が安定したこと。由美さんがつきっきりで介護する時間が少なくなった。そして弟が生まれたこと。姉や弟とのかかわりを通して友喜さんの成長が…

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