たくさんの応援 ありがとうございました
皆さんこんにちは本田マリンですえすでに 今日の発表でご存知の方もいらっしゃるか もしれませんが今シーズンを持ちまして 競技の場から離れることを決断しましたえ まずはこれまでたくさんの方に応援して いただけたこと本当に本当にありがとう ございまし たそして今年でスケートを習い始めてから 21年になるんですけれどもこんなにも 長い間頑張り続けさせてくださいてえ私の スケートに携わってくださった皆さん本当 に感謝していますありがとうござい ますえ今まで現役中はインタビューなどで 質問していただいたことについてしか自分 のスケートへの思いだったりえ気持ちだっ たり感謝の気持ちなどをお伝えすることが できなかったので今日は少しそういった話 をさせてくださいえ1つだけ図々しいお 願い事かもしれないんですが感謝の気持ち やこんなこともあったんだよみたいなお話 をを自分で皆さんにお伝えしたいなって いう思いの動画なのでえ内容の一部 切り抜きみたいな感じの記事はえご遠慮 いただけると嬉しいですさあどこから 話そうかなっていう感じなんですけどえ カメラに向かってこうやって1人で話すの は初めてなのでなぜかすごくワクワクして いますえまずスケートを始めたきっかけは 2歳の時にお兄ちゃんが先に習い始めてい たのをきっかけに始めましたえここまでは 皆さん知ってくださってるお話かもしれ ないんですけど今日はどんどん色んなお話 をしたいなと思っていますまあ2歳なので 初めてのスケートが楽しかったみたいな 記憶はま覚えているはずも なくうんかっこよく言ったら物心ついた時 にはスケートは自分の一部みたいな感じな んですけど全然格好悪く言ったらなんか スケートの初めての思いみたいなのは寒い 先生怖いみたいな感じでしたとにかく 小さい時お兄ちゃんが大好きでお兄ちゃん の上手に滑れてるお兄ちゃんのお城をつい ていく追いかけていくみたいな感じでやっ てましたスケート以外にもホッケーと ピアノ水泳 うお勉強系を2つと1日でやめたテニスと みたいな感じでもう鬼のように習い事をさ せてもらっててその中の1つがスケートっ て感じだったんですねねこれは余談かも しれないんですけど私が小さいからっって いうのもあっていろんな習い事を父親が 一緒に始めてくれてスケートも同じ先生 だったしホッケーも同じチームに入って たりとか水泳とかもあのちっちゃい子が 習ってる横で大人の方が泳いでおられる
じゃないですかその中にいたのがパパって 感じでしたえそんな感じで習いいっぱいさ せてもらってたんですけど2歳の時から 全部お兄ちゃんと同じ習い事に同じ時間に 通っていて今考えても本当に当時が一番 ハードスケジュールだったなっていう感じ ですえ2歳の時はま全然覚えてはいないん ですけどあの幼稚園がまだ始まってない じゃないですかだから時間に余裕があ るっちゃ余裕があるんですでも3歳から 幼稚園が始まってもうふ気みのスケ ルって感じになってでうちの本題は朝5時 に頭がさえてるうちにアイスで頭分を取り ながらみんなで勉強するっていうちょっと 意味のわからないシステムが採用されてた んですねだから朝5時からホッケとが すごく夜遅かったので夜遅くまでえぐい スケジュールでしたけど小学校とか スケートとかで何やっても最初っから うまくできるみたいに言われてたのはマジ でそれのおかげだなって思うんですだから 両親には小さい時からいろんなことを習わ せてもらっててそういう部分にもすごく 感謝していますありがとうでスケートの話 に戻りますそんな感じでたくさんの習い事 のうちの1つがスケートっていう感じで別 に特別スケートが好きみたいな思いは なかったと思うんですでも何をきっかけに スケートだけが特別なものになったかって 言うとスケートって年中練習できるリン クっていうのが少なくて夏の間は大体の 場所がプール変わっちゃうんですねなので スケートを始めて半年ぐらい経った頃に そのスケートがなくなるっていう期間が 少しあったんですでもうそれはそれは すっごい嬉しくてなんか習い事の中でも スケートっていうのが結構大半を占めてた ので時間ができて昼寝とかもできるしもう フィーバーだったのを覚えてますでも父親 もスケート一緒に習ってたからその半年も 練習ができない期間があるっていうのに 多分下手になるみたいみたな感じで焦った んですよね知らんけどで気づいたら奈良の リンクまで家から往復で4時間以上ぐらい かかるリンクまで練習に行くっていう日々 が始まりましたえそりゃ小さいながらに そのそれだけの時間をかけて練習に行っ たら何かこう毎日頑張ってその日その日で 爪跡を残さないとって思っててで私はその 負けす嫌いみたいなタイプではなかだたん ですけどスケートに限らずお兄ちゃんに だけは追いつきたいお兄ちゃんよりすご いって言われたいみたいなのがずっとあっ てお兄ちゃんと3つ離れてて小さい頃の3 つって結構大きいじゃないですかで男の子
だしだからそこに追いつきたくて必死に 頑張っていってたらもうみるみる多分上手 になっていっててえ他の習い事とスケート が何が違ったかって言ったらやっぱその 移動時間っていう感じですあとは初めての 試合に出るってなた時にパパがあの衣装に キラキラをいっぱいつけてくれたんです けどそれがすごい嬉しくてすごい可愛くて でそれ来た時にもう自分が1番可愛いって 感じで思えたんですでなんでそんな風に 思ってたかって言うとその当時お兄ちゃん にとって1人だけの妹だったわけじゃない ですかでみゆがそのぐらいの時に生まれて で妹になってくれてま元々マリンマリン マリン可愛いマリン可愛いみたいな お兄ちゃんがミみってなっちゃってでそれ がすごい寂しくてだから衣装を来た時に なんか自分に自信を持てるっていうかそう いう感覚えもしかしたらそのキラキラし てる服を着てる自分っていうのが良かっ たっていうのもあるんかなって感じですで そこから小学校2年生の時までスケートと 他の習い事と学校とみたいな生活を続けて ましたえ2年生の7歳の時に父親にもっと 練習をたくさんできる名門のチームにあの 映らないかっていう話をされて私はその 絶対嫌だっていう感じでめっちゃ泣いて なんか当時のその先生もめちゃくちゃ 大好きだったしお友達とかもたくさんでき てたのでその人たちと離れ離れにな るっていうのがすごく嫌で絶対嫌だって ずっと泣き続けてたのを覚えててでもその あのお兄ちゃんは行くって答えたみたいで 2ヶ月くらいですかねお兄ちゃんと私と 違うチームで違うリンクで練習をするって いうのがありましたえその頃はみゆもその 習い事軍団に加入してスケートをやってた ので私とみゆは今まで通りでお兄ちゃん だけメモみたいな感じでえみゆは芸能の 仕事もその頃からやっていたので芸能の 仕事と習いこととっていう感じでにも本当 によくこなしていたなって思いますで2 ヶ月ぐらい経った時にその名門コーチの 生徒さんのお母様がその別々に頑張ってる 太地の妹を同じチームに入れてあげてって お願いしてくださったみたいでもう1回 そのどうするって父親に聞かれた タイミングがあってえそん時お兄ちゃんと 離れて練習するのも嫌だし寂しいし両親も 別々のリンクに送り迎えせるから大変じゃ ないですですがえ何よりそのお兄ちゃんの あの成長具合がどうなってるかっていうの を全く2ヶ月見れなかったのでその怖くて 怖くてで名門行くスケート頑張るみたいな ことを当時の私が言ってくれたんですで
そこからもうスケートスケートって感じで スケートリンクに近い学校に転校して他の 習い事もやめてスケートと学校みたいな今 の感じの生活がスタートしましたでもう その名門がめっちゃくちゃ厳しくて毎日 泣いてたしでもお兄ちゃんに勝ちたいって 置いていかれるっていう一心でもう必死に 頑張って当時その小学校の全国大会がある んですけどそこに2回目に出た時に多分今 でも破られてない歴代最高の特典で私が 優勝したんですでも全然嬉しくなくてその お兄ちゃんがえ1つ上のクラスで自分より も高い点数を出してたんですねだからうん 頑張らないとってもうそこからもっと 頑張ってスケートに限らずその トレーニングとか他のことでもお兄ちゃん に勝ちたいっていうので頑張っててでその ノービスっていうクラスの選ばれた子だけ が行ける全国有望新人発掘合宿っていうの が4回あるんですけどお兄ちゃんのラスト の年と私の最初の年がギリギリかぶった ことがあってでその中にスケートだけじゃ なくて5分間層っていうのがあるあるん ですねでスケートは全然追いつけなかった からその5分間走だけは絶対に勝ちたいと 思ってスケートの練習の間間に3ヶ月前 ぐらいからもう走り込みを1人でして勝て たんです私が歴代最高の5分感想の記録で 僅差でお兄ちゃんが2位だったって聞いて もうめっちゃくちゃ嬉しかったですこの前 その合宿のその時の5分間層の記録がまだ 今も破られてないっていうのを 連盟の方に聞いてびっくりしました スケートもそのまま2人とも1つ上の クラスのジュニアに上がってえ国際大会と かにも派遣されたり教科選手にもなれたり えそういうことに誰が1番びっくりしてた かって本当に父親であ父親はその名門に 私たちが映った時に父親は名門には入れず 引退を余儀なくされてしまいますましたえ お疲れ様でした こでそのままジュニアの世界ジュニアで 優勝することができてでもお兄ちゃんは ジュニアの時怪我をしちゃってたりとかお 受験とかがあったので休んでたんですねで だから1人だったんですよでお兄ちゃんが そのこのままもしスケートしないなら私も やめようかなとも思ってましたでもそれ までどんな試合も応援してくれてた兄が その世界ジュニアだけは悔しくて見て なかったっていうのを母親に聞いてああ お兄ちゃんスケートまだやってくれるん だっていうのをすごい嬉しく思ってたのを 覚えてますえその世界ジュニア優勝した時 から帰国して空港の乗り換えのところで
テレビがあったんですねでそこでテレビ見 てたらあの速報みたいなあのニュースの ところの上のところにホンダマリンが帰国 っってなっててえ自分みたいな自分が こんなところに帰ってきただけで出てくる ようになんのみたいな感じでそん時に 初めてもしかしたらスケートで自分って やばいことなってるんかもしれんって思い 始めてその時はすごい嬉しかったんです けどまそこからなんか何をするにもこう カメラが一緒に来るようになったりとか うんちょっとしたことでもニュースになっ たりとかま嬉しいこともたくさんあったん ですけどなんか逆にその学校にランドスル 忘れたりとかあの音楽の授業にレコーダー 忘れたりとかしてても何のニュースにもな 誰にも知られなかったわけじゃないですか でもそれがあのスケートの試合で衣装忘れ たりとかしたら大ニュスになるようになっ てインタビューとかでもどんなことを話し たらその怒られないかなとかどんなことを 話したら面白いって言ってもらえるかなと かばっかり考えてまでもなんだかんだで スケルトは たくさん頑張れてたと思いますで次の年の 世界ジュニアもめちゃくちゃ緊張したん ですけどま上手にできて2位で周りから見 たらうん明るくて才能がある子で今よりも もっとこう順風マンパに見えてたかもしれ ないんですけど本当にこう中身はすごく 辛くてでその次の年が自分のスケートの中 では一番辛かったなって思う年なんです けどそのジュニアの次のシニアに上がる ことができて同じようにこうカメラが いっぱいの生活っていう感じでますごく 明るくてイイな本玉にって感じだったん ですけど中身はもう本当にボロボロって 感じでうんその年のことはあんまり覚えて ないくらい毎日辛くて何に対してこう辛 いっていうのは特にわからななく毎日泣い てたっていう感じでしたでシニアに上がっ て初めての国際大会は優勝できたんです けどその後の大きな大事な大会の1つで 最初のジャンプで失敗しちゃってでその後 も良くなくてえコーチにその試合の インタビューでマリンはきっちりした練習 が苦手その最初のジャンプで今日みたいに 失敗した時は練習でも気持ちが保ててな いっていうそのすぐ近くで聞いていたので 今でも覚えてるんですけど本当に何の悪意 もない愛のあるご指導っていう感じで思っ てるんですけどでもニュースでは練習が嫌 いってでまそしたらその知らない人たち から練習しない遊んでばっかりいるから だっていう感じで今でさえ知らない人たち
に何をこう好きかって言われてもいいって 思えるんですけどでもその頃の私は本当に いっぱいいっぱいていう感じでうん傷つく 言葉っていうものしか頭に入ってこない ようなフィルターみたいなのがかかって いる状態で次の日も試合なのに自分から こう傷つく言葉みたいなのを探し求めては 泣いてご飯も何も食べずによなよな悲しい 言葉を見つけて本当にがむしゃらに いっぱいいっぱいな感情でやってたから こそこう自分の中で何かが切れた っていう感覚で次の日も試合だし気持ちを 切り替えないといけないしっていうので その10歳ぐらいの時にスケートは16歳 でやめようっていうのを自分の中で絶対に 16歳でやめようっていうのを決めていて だからそれまではもう必死に頑張ろうって 思って切り替えて次の日のフリーはうん ミスなく演技ができてちょっと嬉しかった のを覚えてますその年の全日本選手権が 終わってて初めて自分の意思でスケートを 休んだというかやめようと思ったに近いか もしれないんですけど休んだんですねもう 16になったしやめてやろうってもう スケートなんて大嫌いだっっていう感情で 休みましたでもいざ休んでみるとこう スケートをしないっていうのが自分の中で すごく罪悪感っていう感じで4日しか休め なかったんですよでで年末には練習を再開 してでも何の感情もないというかその何の 目標もない練習みたいなただ内容をこなし ているっていう感じの練習を3ヶ月ぐらい していてで周りの先生方とか家族とかに 海外に練習に行くことを進めてもらいまし たで元々私1人で行く予定だったんです けどお兄ちゃんもアメリカで練習したいっ て言ってくれて一緒に行くことになりまし た今思うと本当にその練習したいって思っ て来てくれたっていうのもあると思います けどなんか私のことを心配してくれてた 部分っていうのもやっぱりあったのかなっ ていう風に思うのでお兄ちゃんには本当に たくさん感謝しています感謝していますで アメリカに行くとその誰も自分のことを 知らない空間っていうのがすごく心地よく てただスケートにこう没頭できる時間って いうのが幸せで少しずつスケートが好きな ものになっていきましたでそこから アメリカで頑張っていくうちにお兄ちゃん が今の私と同じ大学4年生の引退のする年 になってえ最高の笑顔でなんかすっきりし たやり切ったような表情で最後の試合を 終えているのを見てえ自分もここまで絶対 やりきりたいしスケートが好きな自分の まま終わりたいっていう目標ができて毎年
全日本選手権に執事をするっていう目標を 立ててそれが達成できて今に至りますえ ここまで頑張ってこれたからこそこんなに もたくさんの方が自分のことを応援して くださってるんだっていうことにも気付け ましたし人前に出ることとかカメラの前が 怖かった時期もあったんですけどでも 乗り越えさせてくださったからこそそこに 気づくことができましたしえどんな時も いい時も悪い時もえ寄り添ってくださった 先生がや家族えお友達スポンさんの皆様も そして皆さんもえもう一度えスケートを 好きにさせてくださってこんな風に自分の スケートについて皆さんにお話ししたいっ て思えるような気持ちにさせてくれて私の スケートが好きだって日々伝えてくださる 皆さんも本当に本当にありがとうござい ますえ21年もの長い間スケートを続けて これたからこそえ頑張ってこれたからこそ こんなにもいろんな葛藤にも出会えたこと かなと思いますし今後どんな困難があって も今の私なら乗り越えていけると思います え2歳の時にスケートに出会えたこと そしてここまで頑張ってこれた自分にも ありがとうっていう風に思いますしえ 何よりも応援してくださった皆さん本当に ありがとうございましたえこれからも 大好きなスケートを例え表に出たくなった 時が来たとしてもも私はどこかでえ楽しん でスケートを滑っていることかなと思い ますえそして私のスケートを楽しみに待っ てくださってる皆様に元気な楽しい最高な スケートをお届けしたいなと思っています えまだまだ話したいこととか皆さんに伝え たい思いとかたくさんあるんですけどこの 動画で私のありがとうっていう気持ちが 少しでも皆さんに伝わっていたら嬉しいな と思いますし応援してくれてるみんなの 幸せの中にこれからも少しでも私がいたら とっても嬉しいです最後にこの新しい チャンネルは私の個人チャンネルなんです けどスケートとか日常とかいろんなことを 不定期にえお届けしていくチャンネルに なると思うので是非チェックしてみて くださいじゃあえ最後まで見てくださって ありがとうございましたまた ね
皆様、こんばんは。
本田真凜です。
