Kati Chitrakorn , Jacopo Prisco, CNN
(CNN) イタリアのファッションデザイナー、ジョルジオ・アルマーニ氏が死去した。91歳だった。アルマーニ・グループが4日に発表した。
アルマーニ氏は何十年にもわたる活躍を通じ、イタリア伝統の美学を服飾の中で育んだ功績で高く評価されている。米ハリウッドのレッドカーペットを華やかな舞台に変ぼうさせたのも同氏だった。
アルマーニ・グループは、「従業員や関係者に尊敬され、称賛されていた『イル・シニョール・アルマーニ』が、愛する人たちに囲まれて安らかに亡くなった」と発表し、創業者のアルマーニ氏を「不朽の原動力」とたたえた。
「この会社で私たちは常に、家族の一員のように感じてきた」。同社は家族と従業員を代表して発表した声明の中でそう述べている。「今日、私たちは、深い悲しみとともに、この家族を築き、先見性と情熱と献身をもって育ててくれた人物の残した空白を感じている。しかし、常にアルマーニ氏とともに働いてきた従業員と家族が、彼の築き上げたものを守り、彼の記憶と敬意、責任、そして愛情の中で会社を前進させることこそが、まさに彼の精神だ」
2025年6月、アルマーニ氏はミラノ・メンズ・ファッションウィークで行われたアルマーニのショーに姿を見せなかった。同氏が自身のショーを欠席するのは初めてだった。当時同社はアルマーニ氏について「自宅で療養中」と発表していたが、詳しい健康状態については明らかにしていなかった。

1980年の秋冬コレクションに向け、最終調整をするアルマーニ氏/Michel Maurou/WWD/Getty Images
現在の高級ブランド業界は、ヴィトンの親会社LVMHやグッチの親会社ケリングといったコングロマリットが独占する状況にある。そうした中でアルマーニ氏は、自身の会社の唯一の株主であり続けた数少ないデザイナーの一人だった。ブルームバーグ・インテリジェンスによると、アルマーニの事業価値は推定80億~100億ユーロ(約1兆3800億円~1兆7000億円)。現時点で誰もが認めるアルマーニビジネスの後継者はいない。
今月開かれるミラノ・ファッションウィークでは、アルマーニ創業50周年を記念して、ブレラ美術館の展示会(同美術館初のファッションに照準を絞った展示会)発表や、パラッツォ・ブレラを舞台とするファッションショーなどのイベントが計画されている。
アルマーニ氏は8月、英紙フィナンシャル・タイムズのライフスタイル誌HTSIの表紙を飾り、ファッション業界への変わらない情熱と、自らがクリエーティブディレクションを統括している自身の会社についてこう語っていた。「ワーカホリックという言葉を使うべきかどうかは分からないが、懸命に働くことは間違いなく成功にとって不可欠だ」「仕事に費やす時間があまりに多く、友人や家族と過ごす十分な時間がなかったことは、人生で唯一後悔している」
1934年、北イタリアのピアチェンツァに生まれたアルマーニ氏は、57年までプロとしてファッションに関心を持つことはなかった。しかし医学を学び、兵役を経て、同年、ミラノの老舗百貨店ラ・リナシェンテでウィンドウ装飾の職に就く。これが、イタリアのファッション中心地ミラノとの生涯にわたる関係の始まりだった。
64年、ラ・リナシェンテのバイヤーになっていたアルマーニ氏にデザイナーのニノ・セルッティ氏がチャンスを与え、メンズウェアのデザインを任せた。ここでアルマーニ氏は初めて、アンストラクチャードジャケット(従来のような裏地や硬いパッドを取り除いて着る人の体形を引き立てるスーツジャケット)のことを知った。同氏は後にその形を完成させ、これで有名になる。
生涯のパートナーとなる建築家のセルジオ・ガレオッティ氏と出会ったのも、セルッティ氏の下で働いていた時だった。ガレオッティ氏はアルマーニ氏に起業を促し、ふたりは75年、ジョルジオ・アルマーニのブランドを創設する。
ふたりの初のメンズウェアコレクションは米国で成功を収めた。76年には高級百貨店のバーニーズ・ニューヨークが取り扱うようになり、米国でアルマーニを紹介するテレビCMまで制作した(バーニーズは経営破綻して2020年に2月に閉店)。アルマーニが続いて打ち出したウィメンズウェアコレクションは、中性的なイメージを展開した(後にアルマーニ氏は「男性のイメージを柔らかくして女性のイメージを硬くしたのは私が初めて」と語っている)。
1980年、アルマーニのジャケットがハリウッドで注目を浴びた。リチャード・ギアが映画『アメリカン・ジゴロ』で着て有名になったアルマーニのスーツはステータスシンボルになった。間もなくレッドカーペットでスターたちがまとい始めた衣装もアルマーニの宣伝になった。アーノルド・シュワルツェネッガー、ソフィア・ローレン、ジョディ・フォスター、ショーン・コネリー、ティナ・ターナーなど、大物セレブがそろってアルマーニのスーツ姿で写真に収まった。これが80年代イタリアのファッション界のもうひとりの大物、ジャンニ・ヴェルサーチ氏とのし烈な競争に発展。ヴェルサーチの華やかなスタイルは、控えめでシンプルなアルマーニのスタイルとは対照的だった。
85年、ガレオッティ氏がエイズのために亡くなり、アルマーニ氏は同社唯一の株主になった。ガレオッティ氏との関係について2000年、アルマーニ氏は米誌バニティ・フェアにこう語っている。「愛という言葉ではあまりに小さすぎる。人生と世界に向き合う偉大な共謀関係だった」
アルマーニは販売拡大を狙って人気デュフュージョンラインの「エンポリオ・アルマーニ」を立ち上げ、「アルマーニ・ジーンズ」や「アルマーニ・エクスチェンジ」、さらにはホームインテリアブランド「アルマーニ/カーザ」などのスピンオフも成功させた。11年には、ミラノ中心部の1ブロックを全て使った巨大なアルマーニの複合施設が開業。チョコレート、フラワー、ジュエリー、コスメなどアルマーニブランドの多様な商品の販売に加え、ナイトクラブや高級ホテルも併設されている(この1年前にはアラブ首長国連邦ドバイにある世界最高層ビル「ブルジュ・ハリファ」にアルマーニホテルがオープンしている)。
長年のスポーツファンでもあったアルマーニ氏は、08年にイタリアのバスケットボールの強豪チーム、オリンピア・ミラノを買収。その後、ACミランのストライカーだったウクライナ出身のサッカー選手、アンドリー・シェフチェンコ選手の背番号をモチーフとするスポーツアパレルブランド「EA7」を立ち上げた。アルマーニ氏がデザインした12年ロンドンオリンピック、16年リオデジャネイロオリンピック、20年東京オリンピックのイタリア代表チームのユニフォームは、このブランドの美学を受け継いでいる。
アルマーニ氏は今もファッション界に影響を与え続ける。時代を超越する精巧な仕立ては、ビンテージのアルマーニデザインを求める中古市場の活況につながった。職場でもその先でも女性たちに力強く洗練された選択肢を与えたパンツスーツは、今でもスターたちに愛されている。25年のウィンブルドン選手権を観戦したケイト・ブランシェットは、シルクのアルマーニ製ツーピーススーツをまとっていた。
アルマーニ氏はイタリアで最高の栄誉の一つとされる21年の共和国功労勲章や、米ファッションデザイナー協議会の生涯功労賞を受章するなど、数々の受賞歴をもつ。02年には国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使に任命されていた。
