【映画「桐島です」解説!】桐島聡はなぜ爆弾犯になったのか?(北沢夏音「ピーナッツ・バターしか冷蔵庫にない 2」#2)
はい、では、えっと、ピーナッツバターしか冷蔵庫にナイ 2 はい。 の、えっと、動画版第 2 回というますか、ま、ちょっと自己紹介していただいてその続きで はい。 ただ夏が今ちょっとお話しされたい はい。映画があるということで、えっと、 7月に、えっと、 7月4 日に公開になった霧島ですっていう映画で、ま、タイトル自体にかかっこがついてるんです。 そうかついてるんですよね。 これはどういうまず映画なのかっていうのちょっとあの、説明 です。まずだからあの、その前に主人公の霧島サっていうのが、ま、どういう人なんかと うん。うん。 いうことを簡単に述べると はい。えっと、彼はあの 1954 年生まれて、えっと、広島県の福山市に 生まれて はい。 で、東京の明治学院大学に入学した時に うん。うん。 え、一の先輩から はい。うん。 あ、誘われてで、ま、山とか鎌坂とかのあの労務車運動 [音楽] の支援に関わるようになるんですね。 うん。 で、すごくあの影響を受けたのその先輩っていうのがウガ人久々さんっていう方で はい。で、その方 が、えっと、やっぱり同じ 先輩で、えっと、黒川吉義正さん ていう 人とお 東アジア 半日線 りっていう うん、 ま、グループ はい。をスタートするにあたってもう 1 人欲しいってなった時に宇人さんがあの霧島がすごく真面目で うん。 誠実な人間だから彼に声かけてみようって 仲間に入れた。で、その 3人でサりっていうのはうん。 始まったのね。で、 まあ、前提としてはあれですよね。霧島ですっていうのはその実在する霧島サという 方の はい。 えっと、 ま、生涯を追うという外というか、 え、爆弾闘争から 闘争して最後に、え、自分の身分を明かして うん。 明かした4 日後に、ま、ガでなくなっちゃうという ていうのがいいた、ま、フィクションの映画映画。 そうです。 事実に基づいた、え、フィクション激画であると [音楽] 高番名監督 はい。高番名監督ですね。 で、高盤名監督とこの脚本手がけた原明さんは うん。 その霧島ですの前作にあたる うん。 えっと、こうちょっと待ってください。ちょっと夜まで うん。うん。 バス停でか はい。 そうですね。夜までバス停で。 はい。これでもコンビを組んでて うん。 え、高橋監督はピンク映画出身なんだけども うん。 お初の劇営商業劇映画として、え、撮った、え、タトゥーアリ うん。 ていう映画でも、あの、実際に起きた、あ、ま、銀行 ああ、 合盗当犯 を主人公にした映画を撮ってたり、 あ、そうなんです。 あるいは連合積軍事件、あの、浅三層のね。 うん。はい。 え、あれをテーマにした光の雨っていう うん。 映画も撮ってたり うん。 で、ご本人もそのやっぱり学生運動に関わっていて はい。 で、結局その映画の世界に最終的にはだからあの進んだんだけども うん。 お、結構そのどう生きるべきかみたいなところで うん。 かなりあの闘争にも関わってた過去を持ってらして うん。 あれそのね、なんか予約までバステでも、ま、事実を元にして、ま、ちょっと描いた、あの、結構、ま、脚はされてはいるんですけど、ま、あの、 そうですね。 ホームレスの女性が、ま、バス停で殺されてしまった実験をモチーフにしていった。 東京旗のね、 タスで、 ま、結構社会的な問題を そうですね、あの、そういう映画ばっかりじゃないんだけども うん。 あの、そういうテーマを そのもろにその例えば政治色の強い映画にするんじゃなくて うん。 娯楽映画としてあの作るその主腕っていうのにたけた人なんだよね。 [音楽] うん。そうですね。霧島です画僕も見させていただいたんですけども、ま、その当時の話 を、ま、そんなに当時の時代背景とか知らなくても、ま、人間ドラマとして、あの、 劇映画としてすごい楽しめて見れるまに 人間ドラマが描かれてるっていう感じですよね。 す、すごくなんて言うのかな、やっぱりそのヒューマンタッチっていうのかな。作風がね、あのすごく尖った部分っていうの若い頃はたくさん出された映画もあるんだけど うん。 まあ、今その演熟の境地に達していて うん。 でもすごく水しい青春映画として見れるような 霧島ですって、あの、そういう映画にもなってるから うん。 あの、全然時代早きとか知らなくてもね。 うん。 あの、 1つの軍造劇みたいな うん。 あの、ものとして見ることができる映画になってるんだよね。 うん。そうですね。で、ま、ちょっとその分からなくても見れるけど はい。 分かるとよりが出るということでちょっと霧島サのことさんについてちょっと 説明というか、あの方、あの はい。まず1つもその 70 年代のめっていうのは子供も子供小学生だからさ うん。 あのそんなにその当事者たちの気持ちは分からないんだけども うん。 ただ時代の空気みたいなのはうん。 [音楽] 幼いながらも肌で感じたところもあるし はい。 ニュースでそれこそそのこの 1974年の8月30 日に起きた三菱行うん を本しゃびる爆破事件っていうのはね、ものすごい衝撃を伴ってあのニュースになったから うん。 そんな心に覚えてる。 覚えてるし うん。 麻三層事件はもちろんその 1972年だからその2年前か72 年。あ、 うん。あれはもうずっと実況中継れたっていう。 あ、ま、その映像はなんか僕も繰り返りみたいです。 そうであれはね、繰り返し繰り返しなんかえっと語り継がられてるしニュースでも あのしょっちゅ取り上げられてるから うん。うん。 ま、みんななんとなく知ったようなあの 気になってると思うけど、この爆破事件はさ、 そこまでみんなあんまりこう記憶に鮮明っていうほど繰り返しみてないと思うね。 うん。そうですね。映像に、ま、あれですもんね。その酸素映像にずっと残っててみたいなもありますよね。 そうでもあれは、ま、ちょっとその僕らの日常から確舌された うん。 山層の事件じゃない? そうですね。うん。 だけど三菱行爆発事件っていうのはさ、丸の内のさ、 東京の街だから そこで突然 起きた。しかもかなりあの爆発の威力が大きかったから うん。 結果的に死者8人 うん。 え、負傷者 300 人以上か うん。うん。 出すという戦のテロ事件の中でもかなりでかい被害を出したものだったんだよね。 で、それはあの東アジア半日部総戦狼って名乗る うん。 グループがま、実行したもので 霧島とは別のグループ ープなのよ。 うん。 で、彼らはというより、ま、そのリーダーの大同寺正っていう人がいて はい。 で、彼はあの北海道の出身でね うん。 で、幼い頃からあの近所にアイヌの人たち [音楽] うん。 の集落があって、で、子供心にもそのそう愛の人たちが非常にこう理不尽な差別受けたりっていうのをこう [音楽] うん。 身近に見ていて うん。 で、つしかやっぱりそのこう色々彼自身が学ぶ中で日本っていうのは戦後もね [音楽] はい。 その戦前の第日本帝国っていうのを うん。 全然そのなんていうかな、あの払拭できてないんじゃないかと。 うん。 特にそのアジアを侵略した うん。 ていうことをこうあんまり帰り見ていないと うん。 それはあれだよね。あの戦後随分立って例えばその首相談話とかがさ うん。 あの、ま、安倍晋三の頃とかからあの、反省っていう言葉をさ、 全然入れなくなったとかね。うん。 で、今回石橋が反省って言葉は久々に入れて、 それは画期的だったんだけど、 そうですね。 そういう風にこうなんていうかな、過去に自分たち要するに自分たちのこととして全然その うん。 あの受け止めてない。 要するに検証されてないわけよね。 うん。 で、そのまま要するに新しい世代とかにそれは自虐観だみたいなこと言って はい。 むしろこう拭い去ろうとしてる。 はい。 で、そういう辿どっていくとだから 70年代は うん。 あの、みんながみんなそう思っ今みたいにこう、あの、無意識にそういうなんて言うかな、えっと、歴史館を受け入れてるばかりじゃなくて、若者たちの間にもう [音楽] うん。 ま、日本だけじゃなくて結構世界の そういう革命運動と うん。うん。 強心するようなところが 60年代から70 年代にかけてはあったんだよね。 60年代後半というか、ま、69 年が結構、ま、イエイポックな年という うん。ま、東大争でね、安田行動が落場っていうのが象徴的な うん。 事件として言われるけども、 フランスの、ま、5月革命とか、5 月革命はある。 ロサンゼウスとかもあったり。 そう、そう。 その流れ、ま、なんかそこのそういう雰囲気がまだやっぱ 70年代前半 うん。あ、 中盤ぐらいまであの残っててみたい。 あった。70 年安保でもちろんその挫折感を味わって うん。うん。 で、なおかつ72 年の麻三事件が決定だとなって そういう若者たちの間でのそういうこう革命に対するう心配は急速に覚めたっていう風に言われてるんだけども [音楽] うん。なんかそのイメージは僕も結構あるですね。 うん。で、実際にあのそういう部分大きかったと思うのね。 うん。 いうのはやっぱりあの内場っていうのがさ、明るみになった時にうん。うん。 ものすごくみんな厳滅したわけよね。なんだ内部で殺し合いしてるばっかだったのかみたいなね。 [音楽] うん。 あの、がっかり感すごいあったと思うんだけど、 ただその前に うん。 まさにだからそういうみんながっかりして一旦覚めてしまったその闘争をやり直そうっていうような形でおそらく ああ 東アジア半日武総先が立ち上がったわけよね。 うん。 それで彼らはね、あの、やっぱり、ま、さっきも言いかけたけど、その大日本帝国時代の 反省っていうのなきでそのまんま経済発展に埋ね。 [音楽] うん。 アメリカの護のもおやっぱりアジアの人たち結局してるじゃないかと。 うん。 あの、それの責任を取らずして、えっと、今、あの、ちゃんとした未来作れないだろうっていうのが割と前提として考え方としてあって [音楽] はい。 ただやっぱり当時は世界中で枠弾闘訴ってのが行われていて はい。 で、ま、元をたどるとやっぱり当時の若者たちの一種ヒーローでもあったチェゲバ [音楽] うん。チェゲラゲバラっていうね。 うん。革命 あの人はま、だからキューバの人なでキューバ革命のまさにこう起こしたカストロと共に起こした人なんだけども う そこにま安住せずに うん。今度はボリビアで やっぱり解放運動 革命運動に携伝わって、ま、そこであの死を遂げるわけだけど うん。 あの彼がだから発信したのは第 2第3のベトナムを 自分たちの うん。 お場所で作れって呼びかけてたんだよね。 うん。で うん。 ちょっとベトナムを補足くするとそれと、ま、 60 年代のベトナム戦争が起こってて、ま、アメリカとベトナムの戦争で、ま、 [音楽] 北ベトナムのね、あの正確にと南ベトナムと北って当時て うん。占領されて そう。アメリカは南ベトナムをあの支援まえ支援してるんだけど実際はあの代理戦争みたいな感じで うん。 え、 共産主義。 そう。そう。 まさにソ連中国のあの共産権と、ま、アメリカを一応そのトップとする うん。 ま、西側諸国の間の冷戦っていうのがずっと続いててうん。 で、そういう中でベトナムが共産化されたら大変だっていうのがアメリカ側にあって、 で、わゆる北爆、 え、北ベトナも直接もう爆撃するってことやり始めて、 で、ま、ナパ弾とかカレア剤とかさ、 そういう、 ま、結構人権の、 そう、そういうの使ってまで、あの、勝とうとしたけど結局破れ去るわけよね。 うん。 それってすごいことだと思うんだけど。 うん。ま、下原はそういう、ま、 そう、そ、その、あの、そういう人たちのあるみこうな、あの、逃走、え、反資本主義とか 反帝国主義のお 1 つのこう象徴みたいになってたゲバラのメッセージを 日本でも受け取った。 で、彼らはだからそういう、え、そのうちの 1つがね、あの、この日本の 日本のテロ枠の時代 6ティズ、センティっていう あのガイドブックが出てるんだけど ガイドブック、 これね、すごくあの分かりやすいあのまとめあのが載ってて、あの、これおすすめなんだけど いつぐらい本なんですか? これはね、 2017年に出てます。 ああ、そう、そう。最近の方。 そうで、えっと、ま、川デボからで、新車から出てるんだけどね。 [音楽] うん。 で、この中で、えっと、ま、それこそ東アジア半日部総線とは何者なのかっていう賞があの、設けられてるんで、これ読んでもらうとね、 [音楽] 分かるんだけど。うん。 えっと、そのさっき言った狼のリーダーの大正 うん。 は、あの、ハラハ時計っていうね ああ、 地下出版物を はい。 あの、出すのよ。 はい。 それはね、 慈悲出版今で人みたい。 そう。で、当時で言うと地、地下出版って言われたんだけど。 地下出版。 うん。 うん。 ま、ま、人だよね。うん。 で、そこには何が書いてあったかって言うと、ま、ま、まずそういう自分たちのあの活動、ま、思想的な うん。 あの、背景っていうのまずあの書いてで、ま、闘争への参加を呼び、呼びかけるんだけども [音楽] はい。 え、爆弾の作り方っていうのね。 うん。も、あの、そこに記されていたから はい。 あ、非常にその、なんて言うのかな、それを読んでそのメッセージを受け取ると、え、個人でもう爆弾を作ろうと思ったら作れると うん。 いうぐらいのこう、え、すごいなんて言うのかな。だからあれだよね。 あの、革命キット、闘争キット、その 察し1冊で それができるみたいな。 うん。結構、ま、ハ時計は伝説的に 1 冊みたいになってるっていうのはなんかとことですよね。 [音楽] そう。 だって僕もだからそれこそこう小学生から中学生ぐらいにかけて読んだ漫画の中にもパロディで登場したりとか知ってたからそれぐらいポピュラーな ハラハラど時ど時計っていう名前がまたキャッチーじゃない。 うん。それを大同寺正さんが作った作った。あ、文章。 まさに文章も書いたし作ったんだよね。 あ。で、その呼びかけにこうするように 桐島 うん。あの霧島も参加していたサりとあとその前に第一地の牙っていう うん。うん。 グループ2人しかいないんだけどもね。 うん。 そのグループがまさにその逃走に参加して うん。 で、ま、それぞれ個別に爆弾闘訴もするんだけど うん。ただしその狼が、ま、やらかした 三菱の非常にそのうん、 一般の人たちも巻き添えにしちゃったっていうことに うん。 い、やっぱりそれはそれはダメだろうっていう意識が うん。 後から参加した大地の牙とサりにはあって うん。 うん。彼らは極力あのそういう一般の人たちを巻き添えにしないでだけれども 1 つのその世の中に対するメッセージとして うん。うん。 の爆弾闘争ってのを展開するんだけれども うん。 で、霧島が実際に自分であ、それでそのえっと爆弾を仕掛けた先ってのはあの基本的に全部大手でね、こんなね。 うん。 うん。ま、あの、鹿島建設だったり、あるいは狭組だったり、そういったところの、ま、本社ビルだったり、作業所だったり、 それはなんで大手ゼネコン、 それはね、だからゼネコンの人、ゼネコンそがえっと現代、現代の [音楽] うん。うん。 その第日本帝国の先兵と貸して ああ、 げ、アジアとかでね、あの、例えば安い賃 うん。で、 ま、働かせたりとか 例えばマレーシアとかでダム建設工事 とかをやってたんだけど、やっぱりそういうところで、 あの、非常にうん、環境破壊もだし、労働環境もある。 [音楽] とかさ。 うん。 だ、そういうことをちいち要するにみんな一般の人たちは知らないわけだから うん。 あ、そういうことやってるの反省しろっていうつもりでね。 ああ、 あの、大手全年コンに続きと爆弾仕掛けてったんだけども、 ま、映画の中でも描かれてましたけど、ま、従業員がちゃんと、ま、ないの、いない時だと思って仕掛けて、ま、でもちょっと、ま、被害出ちゃったりとかしちゃったりとする。 そう。だからまさに霧島サがね。 うん。 あの、自分でその散々下見に行って うん。 で、昼間よりもこの時間ならいないと思って うん。 で、仕掛けた爆弾がたまたまの お作業員の人を巻き込んじゃって、 ま、重症を忘せちゃったと いうことがあって、それを知った時に、ま、映画でもそういう場面あるけど、ものすごく霧島ショック受けるのね。 うん。うん。 で、実際の霧島もそのウガ人久一さんによればやっぱすごくあのショック受けててそれ以前とそれ以降ではこうたなんて言うのかな態度が変わっちゃったっていう風に うん 非常にその落ち込んで うん しまったっていうことは言ってたんだよね。 うん。で、その爆弾闘争は結局ね、あの 1975年 うん。 に一旦こうそのほとんどのメンバーが一斉逮捕されるっていう うん。 いうことで一旦あのピリオドが打たれちゃうわけよ。 うん。 で、宇人さんと霧島サだけがその時に捕まらなくて [音楽] うん。その2 人はだからこう、え、地下に先行して はい。 で、ま、それぞれ別々に別れてね。 うん。 あの、逃げるわけだけども、 人さんは捕まっちゃうんですよね。割と早めの。 そう、外人さんは捕まっちゃうんだよ。ところが霧島だけはようとして行けが知れない。 うん。 で、もちろん公案警察とかさ、 うん。 あの、必死で探してたはずなんだけど うん。うん。全く手がかりが うん。 なかったわけよね。 ずっとそれであれですよね。ま、これは映画のパンフレットなので、ま、映画のビジュアル俳優さん、マイクマさんですけど、ま、結構似てますよね。この マイクマさんがね、もう俺このスチール見た時にこの絵画傑作になるんじゃないかって思った。それぐらいこうなんて言うの?雰囲気を掴んじゃった。 ま、あれですよね。 この霧島さん、ま、この本人の写真が全国の、ま、あの警察の書とかに貼り貼られてるわけよ。だから俺もすごく覚えてるわけで 1 番なぜ覚えてるかって言うと、まさに若者、挑発の若者がさ うん。うん。 むしろ爽やかな笑顔見た感じで映ってるわけ。その周りにはもちろんみんな凶悪な。 うん。 あの人層をしたさ。 うん。あの、犯人たちが映ってる中で 結構いいですよね。 そ、そう。そこだけ空気ちょっと違うっていうね。 うん。 で、ま、僕もだからすごくそういう意味ではその顔っていうのは記憶に焼きついたんだけどそれがだから 49年経って2004年のあ、2024 年の去年か うん。うん。1 月に突然ね。 うん。 あの新聞報道で うん。え、内田浩っていう偽名で [音楽] うん。 入院していた うん。 鎌倉の病院で自分は実は霧島サというのが本名であると うん。 で、爆弾闘争での疑いで指名手配されていたと うん。 こう告白するわけよね。で、その告白 4日後に亡くなっちゃうのよ。 うん。 っていうのはもう入院した時にはもうすでに末ッキの胃でね。 うん。 ほとんどこうもう固形物見込めないような状態だったと。 うん。 で、1 番そのみんながその驚いたのはもちろんその [音楽] 49 年間逃げ続けてとう捕まらなかった。なぜだろうってことと うん。なぜ人生の1 番最後になって自分の本名を明かしたんだろうっていう うん。 これがま、謎のまま今に至るまで残ってるわけなんだけども うん。 で、ま、くかの説があって、それはだから自分がとうと逃げ落せたぞっていう勝利宣言だろうっていう風に ああ、 取る人もいれば うん。 ああ。いやいや、そういうことじゃないだろうと。 うん。 やっぱり霧島本人も言ったらしいけど、最後は人生の最後は本名の霧島サで終えたいっていう うん。うん。 じゃ、それはなぜそう思ったんだろうっていう時にやっぱりなんて言うのかな、あの、自分、自分という人間が生きた証の [音楽] うん。 偽名じゃないと。 うん。 それはそうだと思うんだよね。 うん。 例え指名手配されたということでも彼身がずっと逃げていたっていうのは うん。 そのだってもっと早く実施すればさ、少なくともウガ人さんは 18年の経営まっちゃ長いよね。 うん。 で、 そうのリーダーの黒川吉義松さんは無期町駅で今でも刑務所にいる。 うん。だけど霧島実際にはさ、 1番 うん。下っぱ ま、下っぱだし、 あの、全下もないのよ。 うん。 だからそういう意味では、ま、仮にウア人さんと同じ 18 年食らったとしてももっと早く世の中でね、あの うん。 そんな辛い要するに彼はだからずっと逃走してることによって、え、健康保険症も持ってないから 病院に行けないですよね。 うん。で、銀行講座も持てないから。 え、で、ずっとあの 40年以上あの神奈川県藤沢市のね うん。 あの公務店にあの雇ってもらって うん。 肉体労働にま、従事しったんだけど 住み込みみたいな。 そう。 住み込みのね、量に住んですごいあの古いアパートな、アパートみたいな量なんだけど うん。 給料は全部手当たし。 うん。 で、全然その医者に書かれないから最後にはもう歯もほとんど残ってなくて ああ、 ぐらいでもっと早くだからなんだろうな体調悪かったらさ、検査とか受けてさ うん。 ま、ガだって分かったらそんなもう末気になる前にさ。 うん。もしれないのにずっと我慢したわけよね。 で、なんでそこまでして逃げ続けたんだろうっていうのは 1 つ大きな謎としてあって、これはもう本人がそれを言わないままなくなっちゃってるから [音楽] うん。 真相にたどり着くってことはできないんだけども、 北座さん的には 僕的にはだからやっぱりなんて言うのかな、その彼身はあのを知る、えっと、内田浩っていう偽名として接していた うん。 あ、友人っていうのもわけで うん。 で、彼はあの藤沢市内のね、音楽の常連でもあって、彼はすごく音楽が好きだったみたいで [音楽] うん。うん。 ま、 映画でも、ま、音楽のとかありますけど。 そう、そう。60 年代の、ま、ロックだとか、あるいは、えっと、リズマンブルース、ブルースジャズとかそういう音楽が好きで自分でもそのギター引いたりね。 うん。うん。 あの、歌ったりみたいなことも知ったらしいんだよね。で、その友達は本当にこう一緒にだからレクリエーション活動とかもしたり うん。 え、ピクニック行ったりとかね。で、全然そのあのそんな爆弾犯なんて夢にも持ってなかったと。で、全然そういう風に見えないとすごい優しい人だったと。 はい。うん。 ただと証言者によっては時々その人種問題とかで突然ぶち切れることがあったとかね。 [音楽] うん。 あの、そういう証言とかもあったりするのよ。 なるほど。でもあれですよね。 なんかさ、このちょっと 1 つ前の動画で渋谷洋一さんの、ま、同じ霧島と同じイメージ学院内学通ってた話をさせていただきましたけど、まあなんか うん。 なんかすごい疑問に思、疑問というか、率直に思うのは うん。 なんか音楽とかで はい。 すごい うん。 その大学とかも青年時代から熱中してたらこっちには行ってなかったのかとかそういう そうそれはね あなんかもう 1つの人生というか 絶対あったと思うね。僕もそう思うんだよね。だから時代がもうちょっと下がってさ うん。 なせめて70年代の終わりとかね。 うん。あるいは僕が大学に入ったのは 83 年なんだけど、それぐらいまで行ったら本当に全くそういう ま、雰囲気が 闘争の空気ってのはキャンパスにはなくて、ま、一部例えば法制大学とかね。うんうん。うん。 え、神奈川大学とか はい。あ、 にはあったけど縦とかでね。 うん。 え、あるいは東京以外でもきっと京都大学とかあったと思うけど うん。 でも全然そういう空気なかったから だから本当にギリギリの世代でまあなんていうかそこに共鳴する部分がなんかちょっとあ、ま、いろんな偶然とかが重なっていうのもあると思うんですけど。 そう。だから運命のあだよね。 うん。 あと、ま、あの、やっぱ 1 つの時代の時代を背負っちゃったところがあると思うよね。 うん。 霧島さんってちなみにそうなんか、ま、指名手配の写真ですごい世に知られてると思うんですけどうん。 そのそういうわゆる左翼運動みたいなものをしている人たちにとって カリスマ的な存在で見られたりとかする。 いや、全くそういうことはなかったと思う。 ああ、なるほど。 だから大同寺正さんなんかはね。 うん。うん。 あの、ま、ご本人はむしろその俺が俺がってタイプで全然なくて うん。 だから学生運動とかでそ学連の委員長だったり有名な人たち何人もいるけど全然そういう柄じゃなかったみたいで、 ただあの、 ま、極中でずっと俳句を読んでね、で、その区の中で うん。あの、自分が、ま、その やらかしてしまった、その大勢の視聴者を 出したっていうことに対する食材の気持ち を、あの、繰り返し、その俳句に込めて たりし、あとその、え、70年代にその 日本軍とかがあ、起こした ハイジャック うん。 って配弱とかあと大使館選挙海外のね。 うん。 え、それであの長方期的にあの国外に うん。 し、ま、交されてした中にえっと狼と第一の牙のメンバーもいたんだけども [音楽] うん。 その時に大同寺さんっていうのは、あの、自分は行かないと うん。で、その代わり、ま、極中でその 自分、自分が死刑判決を受けたからっ ていうだけじゃなくて、死刑っていうのが 果たしてあの 、どういうこ、あの、よ、死刑っていう ことが、あの、日本でね、あの、ずっと 続くことによって、あの、全然その きちんとした、 え、なんて言うのかな、あの、事実関係とかさ、重ないまうん。 [音楽] あの、うやむやになってしまうってことも多いじゃないかと。 うん。 例えばその1 番俺は恒例だと思うのはオムだよね。オム事件でさ、松本と塩が結局 何も沸かさないまさ、死刑されちゃったじゃない。 うん。 それってどうなのって当時も思ったしね。 それ大同時さんは、ま、そういう、 ま、まあ、そういうことも含めて、あの、死刑廃止運動っていうのに、ま、もちろんあの、えっと、外の世界の人たちの支援を受けつだけど、 ま、そういうのをやってた。 そういう目も含めて、ま、ちょ、ま、ある意味カリスマ的なというか、ま、 カリスマではないけど1 つのだから、ま、こういう言い方すると 5回招くかもしれないけど、1つの両親 うん。うん。 要するに爆弾犯っていうのはやっぱ逆に権力の側からのキャンペーンであってそういうことで [音楽] 見えなくなってる部分 うん。 っていうのもいっぱいあるんじゃないかっていうのは僕も思うし。 ま、じゃあ霧島さんは、ま、ちょっと、ま、そういう、ま、大同寺さんとはちょっと違う感じの、なんていうか、ま、捕まってないだから、ま、捕まってないからこそ何もわからないしみたい。 わからない。 でも彼がだからその闘争の家庭でね、何を考えていたかっていうのはその、えっと、残された彼がずっと [音楽] 40年以上住んでた あの部屋に、え、メモの断片とかが 残ってたりして、 ちょっとそれをそろそろ時間もあれなので、そこをちょっと気になるところ読んで [音楽] 読んでい、ま、 そうだね。 その断片の中では例えば闇だ。闇が人間を想像するって書いてたりなく生きるとは悔いなく死ぬのと同じこと うん。っ って書いてあったり生は次第に人を詩人にしていく。 うん。 あ、詩人でポエットね。 うん。はい。 にしていくとか。 写真は一瞬で止まった永遠であるとかね。 うん。 これは自分のもしかしたら指名手配の写真をさしてる 自分としてのこうある種のこう思いかもしれないけど ああなるほど とかあのやっぱり暗闇みの中で考えないと仮面が消えてしまうとかね [音楽] うん だからやっぱり自分は内田浩という仮面をつけて生きているっていう自覚はもちろんあるわけよね。 うん。うん。だけどその 暗闇の中でじっといろんなことをこう試索 する考えるっていうことはずっと彼のその 逃走中彼 がずっと行ってたことなんかなっていう それはだからもしかしたら 後悔かもしれないしあるいはそのなん だろうな、それでも 自分を振い立たせる何かを確かめたくて うん。考えたのかもしんないし、そこは わかんないんだけど、あの、 やっぱり 爆弾っていうキャンペーンに対する 1つのそのいや、それはそう言われるよう な こともしたかもしれないが、でもも もちょっとあの違うんだよっていうさ うん。 同期の部分であったと思うんだよね。だけど彼はだからとうと実施するってことしなくて、ま、逃げ続けたっていうことはなんななんらかのやっぱり信念がないとできないことだよね。 [音楽] うん。 そのだって苦しいじゃない。その病院にも行けないしさ。 何度もで、えっと、多分 その自分がすごい慕ってたの先輩のウガ人 さんがさ、捕まったってことはもちろん 報道で知るわけだし、 ま、自分もちょっと もうこれ以上逃げてもしょうがないんじゃ ないか。俺1人だしみたいな。うん。ま、 あれですよね。 そういう過程が家庭というかそれをいうのは直接な保険では出てこないですけどそれが今回の霧島でスの映画で描かれていてなんかそういうものを うん 考えさせられる多分直接的には表現はされてないんですけど そういうのを考える結構 助けになるというか映画ではありますよね。 うん。それは間違いないし、あとやっぱり 彼が内田浩として働いたり、あの交を持っ ていた人たちがなんで彼と なんだろう彼が実はそういう霧島サトって いう別の人間だったって分かった後も ずっとこう彼のこと悪く思えないでいる 要するにその後いろんな取材が入ったんだ けど 一応に悪く言う人がいないっていう事実があって、じゃ、彼はその人間やっぱ人間身のある うん。 男だったんじゃないかと うん。 思われる。で、なおかつ僕自身のシンパシーとして、ま、同じような音楽好きだったっていうのは絶対的にある。 うん。 ま、それは例えばなんだろうな、川本三郎さんっていうさ、あの論 うん。 映画評論か、文芸評論家、あの方が、ま、若い頃にね、朝新聞にで記者やった時に うん。 やっぱりその学生運動のね、ま、当者でちょっとこう自衛感をさしちゃ、差し殺しちゃったっていう男をかまったっていう罪で、え、起訴されて結局会社首になっちゃうわけだけども、 その時の1つ うん。犯人に心を持ったのは CCR クリーデンスクリアウォーターリバイバルっていうね、あのロックロールのバンドが 60 年代にすごく人気になったバンドがあって、で、彼らの雨を見たいっていう、これはあの雨っていうのをベトナム戦争で米軍が使ったナパムバ が振り注ぐ光景をこうメタファーにした曲なんだけども それが好きだって言ったことになんか つい共感してしまったっていうエピソード があるんだけど はい。 ま、僕も例えば島サがジェームスブラウンが好き好きでそういうのこうよくえっとライブハウスとか行って踊ってたとかさ うん 聞くとあ、なんか自分とそんなに全然変わらないいじゃんって思ったりするし うん なおかつその1番最後にね もう何も食べられなくなってんのにどうしてもガリガリ君食べたいってい [音楽] 度もえたらしいのね。君であの、えっと、アイス氷うん。 アイスなんだけど。 これ俺も大好きでさ。 うん。 で、結局それすらあの食べられずになくなっちゃったらしいのね。 ああ。 それ聞いた時に結構こう思わずなんだろうじゃないけどさ、ガリガリ君やりたかったなみたいな元気にさせられちゃったわけよね。 [音楽] うん。うん。 まあ、なんかそうですね。爆弾犯っていう なんか うん。 それだけ聞くと結構凶悪などういう人間なのかみたいな。 みんなイメージする その像がね。 うん。 凶悪犯みたいに見えるけど、 ま、意外な、意外というか、ま、そういう一面じゃないのもちろん人間だし うん。 あるっていうか、ま、むしろそっちの方が うん。うん。一 方間違えばみんなそうなってたかもしれないみたいな時代背景もあったという。 そう、間違いなくそうでね。 あの、ま、その霧島デスの前作のこの高島監督と明さんの脚本の今が描いた夜明けまでバス停でも後半で うん。 あの、元爆弾のホームレスってのが登場するわけよ。 ああ。で、彼と その 彼、彼がその主人公のえっと夜明けまで バステで、ま、現実には殺されちゃったん だけども、えー、そうならなかったって いう1つのあの アナザーストーリーをその映画では展開し てるんだけどうん。 この元爆弾のホームレスと出会ったことによってどんどんまたあの違う展開になってくんだけどね。 うん。 ま、じゃあちょっとここら辺で 1回霧島ですについての お話はうん。 応援させていただければなと思います。ま、その爆弾そのえっと何でしたっけ?その定流の映画。 えっと、あ、ま、で、明まで和星でと、ま、霧島です。ま、同じ脚本家の方が 担当されて原明さん うん。 が、ま、ちょっと意外な本というか、ま、出されているっていうのをちょっと次の動画でお話しいただければと 思いますので、 霧島ですま、あの、公開中なので、え、あとなんだろう、単にあの 70年代のこう古とかではなくて うん。 あの、昭和、平成、令和っていうさ、 3 つのあの、 ま、時代を全部まいで、今僕らの周りで起こってるような、ま、事件とかあるいはこう世想をすごく反映してるんで うん。 かなり考えさせられる うん。 映画にもなってるかつ、 ま、 ま、シンプルに青春映画として、 ま、見れ普通に見ても普通に劇映画として うん。 あの、 かなり感動的な映画になってるので、 え、是非これ本当にあの、僕は筆見だと思います。 うん。 はい。じゃあ、ま、ちょっとその脚本的な部分についても次にお話しいただければと思います。 はい。はい。 はい。ありがとうございました。
『BARFOUT! 』創刊メンバーでもあるライター・編集者の北沢夏音。
そんな北沢氏が『Quick Japan』で2007年から2009年まで連載していたカルチャア・コラム「ピーナッツ・バターしか冷蔵庫にない」が、16年ぶりに動画版として復活!
#2では、2025年7月4日に公開された映画『「桐島です」』を徹底解説します。音楽好きの大学生だった桐島聡は、なぜ爆弾犯の道を選んだのか──。
映画『「桐島です」』は新宿武蔵野館ほか全国上映中 ※2025年8月30日時点
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■映画『「桐島です」』
出演:毎熊克哉、奥野瑛太、北香那、高橋惠子
監督:高橋伴明
脚本:梶原阿貴、高橋伴明 音楽:内田勘太郎 撮影監督:根岸憲一
配給:渋谷プロダクション
2025年/日本/カラー/アメリカンビスタ/5.1ch/日本語/105分
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