イエス伝24 マルコ伝による第十三章 最後の預言
一 神殿の崩壊
論戦の一日は終わって宮を出で給うたが、弟子らはイエス様の花々しき勝利に魅せられ、イスラエルの復興の近きを思うて心のこうようを禁じえず、そびえ立つ神殿の威容もひときわ荘厳に仰がれました。この宮こそ、国民復興の象徴である。そう思って、彼らの一人は感に堪えざるもののごとく、
先生! ごらんなさい。これらの石、これらの建造物、なんと盛んなものではありませぬか。(一三の一)
と、申し上げた。この神殿はヘロデ大王の建築したもので、長さ十二メートル半、高さ四メートル、幅六メートルの巨石や、長さ二十二メートル半、高さ二メートル半、幅三メートルの大石が用いられ、堂々たる規模でありました。
二 荒すにくむべき者
イエスは語を次いで言われた。
「国民上下の不信仰と罪とは、やがて国家の滅亡を招くであろう。『荒すにくむべき者』が立つべからざる所に立つのを見たら、それが滅亡の合図だ。その時ユダヤにいる者どもは山地に、のがれよ。屋上に出ている者は内に下らず、街路に通ずる階段で即刻外に逃げよ。外に出ている者は、家の物を取り出そうとして内に入るな。畑に働いている者は上衣を取りに帰るな。皆その場から、着のみ着のまま大急ぎで避難しろ。その日には、みごもりたる女と、乳をのまする女とは、わざわいなるかな。このことの冬起こらぬように祈れ。もしくも厳冬の候に起これば、人々の苦痛と惨状とはいっそう烈しいであろう。その日は『なやみの日』だ。天地|かいびゃく以来、空前絶後の患難だろう。神がその日数を少なくし給わなければ一人も助かる者はないだろう。しかし神はその選び給いし選民のために、その日を少なくし給うであろう。この混乱の時にあたり、人心の動揺に乗じて『見よ、キリストはここにあり』『見よ、かしこにあり』との風説が飛び、多くの偽キリスト、偽預言者が起こり、しるしと奇蹟とを行なって人々を惑わし、なしうべくば、真の選民たる汝らをも惑わそうとするだろう。汝らは心せよ。その時になって惑わされないように、あらかじめこれらのことを皆汝らに話しておく」(一三の一四—二三)。
三 無花果の樹よりの譬
キリストの再臨はいつ起こるか、その兆は何であるか、と汝らは気にかける。目を放って自然を見よ。そこに生えている、いちじくのき、その枝にはすでに春が漂うているではないか。昔の詩人も美しく歌っている、
見よ、冬すでに過ぎ、雨もやみてはや去りぬ。もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時すでに至り、やまばとの声われらの地にきこゆ。無花果樹はその青きみを、赤らめ、ぶどうの樹は、花さきてそのかぐわしき香気をはなつ。わがともよ、わが美しき者よ、起ちて出できたれ。(雅歌二の一一—一三)
自然は、てらわず、無理がない。自然はあせらず、おそれない。枝が柔らかくなって葉が芽ぐめば、夏の近きことを知るではないか。エレミヤは、はたんきょうの枝が花をつけたのを見て、エホバの目覚めを知った。そのように、汝らは無花果の枝の柔らかいのを見て、救いの近きを知るべきだ。汝らに与えられる「しるし」は、無花果の樹以外にはない[(マタイ一六の一—四参照)。
