【BS11】偉人・敗北からの教訓「第49回 シリーズ秀吉③ 九州攻めと島津義久」2024年6月15日放送分見逃し配信
[音楽] 偶然の勝利はあれども敗北は全て 必然日本の歴史を彩った偉人たちはいかに して破れていったのかその裏にはどんな 原因と誤ちがあったの か今回はシリーズ秀吉に破れた武将たち第 3弾戦国の九州にを唱えた島久の敗北をき ます有な兄弟たちと共に波いる強敵を次々 と打ち破った上昇軍団島切っての名君 に九州統一を成し遂げる術はなかったの でしょう か破れし者たちの失敗から学ぶ人生 哲学偉人敗北からの教訓 [音楽] 歴史上の偉人たちが犯した失敗から私たち は何を学ぶのか偉人敗北からの教訓進行役 の中西百ですそして歴史作家の伊藤さん ですよろしくお願いしますよろしくお願い しますシリーズ秀吉に破れた武将たちと いうことで前回は長部本地の敗北を 取り上げましたけれどもはいやはりあの白 になってから天下統一を目指していた頃の 秀吉はもう誰にも止められないような うんうんありましたよねやっぱあの人誰で もですね勢いに乗った時期があるんですよ ねえ特にま秀吉の場合で言うと山崎の戦い から小田線までが最も勢いに乗った時期 じゃないかなと思うんですよね九州平線も え和秀吉の戦いの中で有数に近いほど干渉 な戦いだったと思うんですよねさあ今回は そんな秀吉も警戒したというこちら九州の 覇者島久の敗北に注目していきたいと思い ますもう言までもなく九州の超有名な島の ま投手だった人物ですけれどもあともう 少しで九州統一というところまで行った 人物ですよね非常にま島津といえば強いと いうイメージがすごくね大きく皆さん持っ てらっしゃると思うんですけど実はですね 島寿司は弱かったんです弱いというメジは 私全くなかったんですけど時差は違ったん ですかあの島寿司独特と言ってもいいと 思うんですけど五一家州といったま親類一 問ですよねそういった人たはえ地域ごとに 去している国州たちの勢力が強くそれだけ ではなくて実は島津4兄弟仲が悪い時期も あったんですよねあそうなんですねまこう いった脆弱な基盤があるにもかわらず勝負 どの戦って全部勝ってるんですよま確かに 戦で負けているイメージってほとんどない ですよねですよね島と言えばですね戦国 最強題名の1つということは認めてもいい と思うんですよえ確かにあの文六慶長の駅 なんかでもえ朝鮮半島のまサチンの戦い なんていうねとこでも非常に部類のえ強さ を発揮してますし旅重なる戦争によって ですね民軍からですねグイシーマンズって いうですね難しい言葉なんですけどえそう いったえ呼ばれ方をしてですね恐れられて たことも確かなんですよねあの鬼島みたい 言ますよねま今回はこうしたですね島のえ 強さとその裏腹な弱さえこの謎について ですね様々な角度から迫ってみたいと思い ますさ今回は天と秀吉に の敗北をきながら明日を生きるための教訓 を探していき ますまずは島久と豊秀義の関係を振り返り ますこちらをご覧 ください九州統一を目前にしながら豊秀吉 に破れた島義久は1533年鎌倉時代から 続くさの名門島に生まれます 父は姉君として知られる高久で武勇に優れ た次男義を含む4兄弟の長男でし た1554年吉は吉と共に大隅の黒人州と の戦いで人を果たすと12年後には家督を 継いで島16代投手となり祖代の願である 大の に乗り出し ます1572年弟の吉がヒが木バの戦いで すなどの戦術を駆使して勝利すると2年後 には大隅を閉その3年後にはヒがも制圧し て見事に3周統一を成し遂げまし [音楽] たさらにその目は九州全土に向けられます 1578年文豪拠点に九州北部6か国の 大使大友市と河の耳川で激突して圧勝し 壊滅的な打撃を与えまし た変わって肥前の竜高が勢力を伸ばすと末 の4イを派遣して沖の戦いへ突入し ますは をに誘い込みわずかな兵で大将高の首をつ 大金星をげますこうして九州最大勢力と なった島の前にちかったのが白秀吉 です秀吉は対立する島と大友市に戦を命じ ますしかしはその命令を無視し秀吉の大軍 を迎え な島4兄弟は初戦は前するも次々と 押し寄せる敵にべを失い ますそして吉久は発して秀吉に謝罪し全面 幸福を申し入れまし た吉久敗北の瞬間 です九州の覇者吉に勝利する筋はなかった のでしょう かはの戦いにおける敗北の原因に迫り ますさあここで島津義久と豊富秀吉2人の 関係を自系列で振り返っていきますはいま まずこの九州ですね戦国時代のまあの九州 三国市なんていう言葉も聞いたことがあり ますけれども本当に勢力争いが激しかった んですねうん島市はですね高城耳川の戦い で大友しで沖田の戦いで竜三樹を破って ですねま九州の派遣成立まも一歩っていう とこまで行ったんですねはいまその吉久の ま弟たちもすごく有名ですけれどもなんか みんな優秀な武将がね揃っていたんだなと いうのがうん特徴ですよねそうですねま あの吉久とま次男の吉ひって有名ですけど ま実は3難の都久と4男の家久も優秀な ことで有名だったんですよねこの都久は ですね祖父の正良からですね周囲の利害を 考えてえ地を巡らすことにかけては並ぶ ものなしというえほどですねえま地象だっ た逸物だったということなんですねま豊富 秀吉の九州信仰の檻もですね兄弟の中で 唯一え和木しようとこれとても叶わない から和木しようっていうことを唱えてたん ですねあそうだっですえそうなんです ところがですねあの配線がまあの立て続け にあってですね形成が不利になったらなっ たでですねやっぱ徹底光線叫び始めると いうですねすっかり筋の通った人間だった んですねあうんまたヨナの家久はですね 祖父のたから軍法先日に妙を得たりと表さ れたですねま典型的な軍人ですよねです から軍港にかけてはですね本当に義博と 並び勝されるぐらいのもの上げてましてね そうんえま沖手の戦いというのは非常にえ 兵力さんが竜造寺の方が有利にも関わらず ですねあの竜造寺高信という敵将の首を 取るというまこれも大変な武を上げてます しあの後その後にですね吉浩と共に文庫に 攻め入ってヘギガの戦いでえ大勝利収めて ますよねいや4兄弟強すぎですね本当強い ですよねここまでなんか優秀な人材が揃っ ている兄弟というのもなんか戦国時代で他 に見ないなと思うんです 見ね偉大なソフと父の教えのも個性豊かな 弟たちに支えられながら名門島の家事を 握った吉久はなぜ天下美と秀吉に狙われて しまったのでしょうかそこには吉久の誤算 がありましたこちらをご覧ください 島の本拠地鹿児島県鹿児島 市市内の一角に歴代の手が眠る場所があり ます島に安くなしと称されるほど優れた 人物を排出してきた島の中でも指折りの名 君と呼ばれるのが16代投手義久です 島は吉久の時代に最も領土を広げ九州統一 の目前まで迫りまし たしかしその異業を打ち砕いたのが天豊 秀吉 です秀吉の天下統一戦争の著者尾田さんは 当時の秀吉の戦略についてこう話します をだするような形でま秀吉がえ対当してき たわけですけど自分がね考えるま展開一等 を実現するためにはやっぱ自分の力強くし ていくしかないま四国をま抑えた後 いよいよ次は九州だというのがまおそらく 秀吉のま天下一等のまプログラムの中に 組み込んだと思い ます久は天下を狙う秀吉といずれ退治し なければはならない運命でし た屈の領土の島義久義の著者ニナさんに よると吉久には大きな使命があったと言い ます島っていうのはこの三州大使と呼ばれ ますけども3か国の守護式をずっと室町 時代から送電してきた家ですのでさ大隅ヒ が3か国を統一すると父あるいは祖父から 与えられた使命であった 3州を統一し島を守りにく吉久が生涯を かけて順じた使命でし た吉久が家督を継いだ頃の島はさ南部と 大隅の一部しか支配できていませんでし たそこからおよそ10年かけて念願の3周 統一を果たしたのです その手腕をニナさんはこう紐解きます意思 決定を自分がしないという課題だけ与える んですよねこれについて協議しなさいと 考えさせる家臣たちにで考えて出した結論 だからお前たち責任を終えよう と いうボトムアップ的なやり方1つの方向性 に持っていくというやり方にたけていたん だろうなと 島投手の使命を果たしたそう思った矢先に 新たな敵が現れまし た文語の大友総 です九州北部6か国の大使大友市は急成長 する島軍を野放にできないと考え5万近い 大軍を率いてヒガに進行しました 合戦の部隊は宮崎県の上町にある島軍の幼 高城 です吉久率島軍は友軍の前線部隊と退治し ますヒガは大友に支配される島の3州統一 を守るためには絶対に負けられない戦い でした 吉久は弟の吉博に島津の追と呼べるある 戦術を取らせ ますその作戦が勝利をもたらしたと話すの は強しの原さん ですその釣りのせという戦法を使って戦を する前の晩に近くのですねこうヤとか川と か600人ぐらいを隠していそう ですスは周囲に兵を忍ばせ前衛部隊が押さ れているふりをして敵を誘い出し追撃して きたところを挟み撃ちにする戦法 です本人で構える吉久が選挙を見つめる中 狂撃された大友軍は大混乱に陥りまし た戦闘の人たちは落としたけどもの中です からまた引き返そうとするんですねそし たら後ろからは逃げろ逃げろで前は溺れる 後ろは切りこされるで3000人ぐらい なんかなくなってしまっ溺れたり切られ たりで死んでしまっ た壊滅的な被害を受けた大軍は撤退し吉久 はヒガの領土を守りまし たこの勝利をですね吉久はいろんな大名に 所で伝えてですね九州における島という もののまか位置付けと言いますかそういっ たものを強くアピールをはしたんだと思い ますこの戦いで勢いづいた島軍は4難癒さ を廃し肥前の竜三寺主と島原半島の沖縄手 で2万5000対3000という圧倒的 戦力差を覆して敵の対処を打ち取る大金星 を上げました しかしこの海春劇に不安を抱いていたのは 吉久でしたその心情をニナさんはこう推察 し ます和木の中海妖星にもうすぐ乗るんです ねもうこれ以上の拡散は望まないと十分で はない状況でえ良しとするというのが父や 祖父の教えだということを口すっぱく言っ てるので勝ち続けるってことはありえない という認識が吉久側にあるんだろうと 思急激な領土拡大は自身を滅ぼす吉久の 脳裏にはそんな考えが浮かんでいたのかも しれませ ん三種をいかに安定的に支配するかという ことがその後の自分の使命だという風に 思って だろしかし吉久の思いとは裏腹に島軍は 海進撃を続け九州統一も目前に迫り ますそこに立ちはかったのが秀吉 です四国攻めの田中大友林の支援要に答え て出を約束し ますめを考えていた秀吉には渡りに船でし た秀吉の九州戦略の裏には信長の影響が あると言い ます秀吉があの前の神に任命されますねで 明智光秀がヒガの神秀吉をま地前の方から え九州に攻め込ませる明秀をヒガの方から 攻め込ませるま信長のの中には対島津との 戦いもじずという気持ちがあったでそれを ま秀吉はよく言われるようにま信長の やろうとしたことの後追いをしてますので おそらく信長が考えたま九州攻めという ものをま自分のまプログラムの中に入れた ということだと思い ます天下統一を目指す秀吉と九州統一目前 の 義久運命をかけた2人の駆け引きが始まる の ですま九州統一までもあともう少しという ところでしたけれどもヨ自身はいやもう 領土はもうこれぐらいでいいよとこれ以上 大きくなるとちょっと手に得ないというの をなんかこうどこかで予感していたような 感じがしますねまもしかしたら吉久自身が ですねま自分たちの基盤寄って立つ基盤の 脆弱さっていうのを意識してたのかもしれ ないですよねあそこに気づいていた可能性 は高いですよねうんそうですねえ豊臣政権 っていうのはま統一化されてるじゃない ですか全て末端までところが自分たちは 国人たちの名刺的な地位なんだていうこと 分かってたかもしんないですよねまそう いったね状況ですからあの吉久自身もです ねあのあまりこう戦線を拡大して欲を書か ないようにしようということをえま考えた んではないかなと思うんですよねうん しかも面白いのはですね色々ま作戦を 考える時にあの重要事項をですね霧島神社 でくじ引きを引いて決定したんですよね へえくじ引きそうなんえよさんみたいな なんか頭のいい人がそんななんかくじで 決めるっていうのはちょっと意外な感じ 意外ですけどそれは島の習わしだったよう でまそれで心療を得たとして家中の異を 封じていたというそれで大抵のことは重心 団子でねさっきも部位の中でありましたが 決定してたつまりま自分はあまり最終的な 決定っていうのは関わらず獣心たちに決め させたことをま受け入れてたというでほど のがない限りまプッシュバックしないわけ ですよねうんただま島軍というのは とにかく戦に強いということであの大友 だったり竜三自身の大軍をしかもすごく 少ない兵でま破るというね戦がいくつも VTRに出てきましたけれどもなぜこんな に戦に強かったと思いますかだまずこれ 考えられるのはまずさ兵というものを持っ て生まれた強さ狂人差ですよねこれまず 入れられると思うんですよね続いて やっぱり鉄砲装備率の高さこれ種川島にね 鉄砲が来たっていうぐらいでやっぱり装備 率高いですからこれも強さの2つ目だと 思うんですよねでま3つ目としてやはり あのま時定のですね吉平の実績とカリスマ 性ですよねやっぱそういったカリスマ的な 武将がいるとですね配下は信用してもつい てくんですようん勝ちさんにしてくれる だろうっていうことでそうですうんそして 4つ目これが大事なんですけどやはり不を しないで価値を確定させるここまででいい やというとこで価値を確定させるえさんの 政治力ですよねまただこの九州の頂点に 立った島ま特に吉久さにとってはこれは ちょっとここまで勝ってしまうというの 誤算だったのかなっていう気もしてきます ねえうんそうですねま吉久っていうのは 面白い人間でねま勝ちすぎるのを常に警戒 してたようなところがあるんですよねうん 高城耳川の戦いでもまオートモ勢を不せず ま沖手の戦いの後なんて敵の対象の竜三寺 高信を打ち取ってるにも関わらずそれ以上 竜を攻めてないんですよねで和木によって 3回させていく非常に慎重なおかつえま ここで価値を確定させるていうえそういっ たえ珍しいですね戦国大名だったんですよ ね強さが目立ってしまえばさらなる強敵に 目をつけられることもあり ますとはいえ周囲の盛り上がりに水を刺す こともできずいやはや苦しい限りですね あれよあれよという間に九州の覇者へと のし上がった島津軍団吉久はその勢いを 止められないまま天日と秀吉と退治する ことになりますいよいよ敗北への カウントダウンが始まり ます九州統一に大手をかけた吉久率島その 海進撃にマタをかけたのが秀吉でし た1585 にを果たした秀吉は大友市の求めに応じて 九州に戦命令を出し ますこれが秀吉が島に出した命令の所場 です白となった秀吉は直上すなわち天皇の 名で停戦を命じたの ですその前段には関東欧州に至るまで平和 になった九州だけ戦争が続いていると書か れてい ます小田さんはこの一分に秀吉の思惑が 現れていると言い ます家康との間で例の有名な小長の戦いが あってまそれはま極地線では秀吉負けてる んですよね九州以外は俺思いのままだって いうのはちょっとはったり聞かせてますね 吉は嘘ついてますあれはら に島津の圧倒的な強さは秀吉に焦りを もたらしたと言います島津1人がちになっ てきた島津が九州をもうほぼ制圧して しまってたら結局はもうそれを認めだるを 得 ない秀吉は島の勢いを抑えるために戦を 打ったの です一秀吉の命令をはう受た のさんはこう話し ます秀吉とは由来な人であると勝の出で あると明記してるのでそのような人物が そもそも白になったこと自体が信じられ ないというような認識なんですね家臣 たち名下の始末が奴の名に従うことは できるこれが家中の偽りなき心情でした しかし吉久は党首として秀吉との直接対決 だけは回避したいと考えていました無視し ていいという風に吉久自身は考えてないと しず単独で戦って勝てるとはとても吉久は 認識して ない吉久は弟吉を明大に据える領土の体を きます [音楽] 前のと島中に2つの式系統を持たせたの ですこの体勢にはどんな利点があったの でしょうか返事が届く前にもう状況は変化 して現場の指揮官は勝手に動いてしまって いてえ軍事的に失敗をやる現場とのそが なかなか埋めきれないということに気づい たんだろうといちいち鹿児島に伺いを立て ずにえ明の判断でえ迅速に対応できると いうのが メリット秀吉との争いは回避する大友軍と 突発的な争いを起こさせないための措置 でし たしかしこの体勢は裏目に出まし [音楽] た 1586年3月 が所の最を下します島津の領地は南九州の 3か国とし九州北部は大友市に譲渡すると いう案でし た秀吉には後の朝鮮出平に向け祝前を自ら の直轄誌にするという思惑もあったよう です現状を無視したこの案に島の家臣たち は激しく反発します しかし吉久の願いは秀吉との和木でし た秀吉の九州進行だけは避けたいとその前 の段階で和木したいっていうのが産の本音 だったんだろうなと考えますその段階から 徐々にその合議での重心たちの考えとよさ の考えの帰りが始まってしまうだよ ね吉久は反大友市で協力していたモ照本に 秀吉の最低について相談し ますしかしモはすでに秀吉の命令を 受け入れており吉久にも和木するよう進め てきまし たでその確認の死者が来る前に獣心たちは もう文語進行を決定してそれを吉久は覆せ なかったポットでの秀吉に頭下げる気は ないということで結局はその定戦命令を あるいはまその国分命令をま拒否する抵抗 してくるだろうなということを半分予想し ながらまそれでもうまくマコを収まれば それもよしと抵抗したら戦いにえ決する しかないまだからまあ2面作戦だったと私 思います 家中の意見が終われ領土の体制の欠点が 露呈したのですよさの考えと明大義博の 考えに祖語をきたしてえ吉久の違う判断を 現場でしてしまった時というのが非常に 混乱を生み出すでそれが実際に生じて しまったというところが不幸なところなん だろうなと 思そしていよいよ秀吉の九州攻めが始まり ます豊富軍は弟の秀永が日方面から秀吉 本体が後方面から合わせて20万を超える 圧倒的な兵力で進入し ますま20万の大軍を九州に送り込むこと ができたのはもう家康がまに頭下げてると いうま状況のもでま東の方は安全だという ねもう力いっぱいえ西の方に勢力を向ける ということができたのは家康を屈服させた 成果が大きいと思い ます豊軍の上陸を許した吉久は家臣たちに こう告げ ます九州北部を放棄しさガのに持て豊軍を 迎え3だけは絶対に守るという島投手とし ての決意 [音楽] です1587年4月南下する秀長軍が高城 を放する中吉久たちは坂に人を構えます [音楽] これまで圧倒的に不利な状況を何度も覆し てきた島軍は血のりを生かして野を計画し ますが豊方に多くの武将が願っていたため その情報は筒抜けでし [音楽] た豊富軍は島津軍の神軍ルートに堀を作り 待ち伏せをしていたのですさが攻めてきた 時にはもう豊富の人たちは鉄砲と刀でその 堀の中からまた間にもう300人ぐらいを 打ち取っ た作戦の失敗を悟った吉久はさへの対を 決断し [音楽] ます大の秀吉は西側のルートからがのいる さに迫ってきまし た鹿児島県さ 大子市内にある太平寺は秀吉が本人を構え た場所 です近くの仙台側から船で大量の物資を 運び50kmほど先の巨匠を攻める準備を 整えていたのです そこへ現れたのが吉久でし [音楽] たこの時の秀吉と吉久の姿が銅像で残され てい [音楽] ます丸越で偵察した姿の吉久が天と秀吉の 軍門に下り詫を 入れるこれぞ 敗北の瞬間 です太平寺には当時のよさの思いが 語り継がれていると言い ます勝ちも傷えカブも被らず刀も持たない とこういう黒染めの衣をまとって えこの秀吉の前でえひれ伏したと家臣たち の上に足すものとしてプライドというのは かなり大きくあっただろうえ悔しい気持ち をこうして押し殺していますというのも 秀吉にはちゃんと伝えたかったのではない かなとこれが始末の態度だっっていう示す 立派な潔い態度であった と秀吉は吉久の態度に敬意を払いさ大と ヒガの一部の所領をアドしました 出血して頭丸めて全日を食いてきたって いうのはちょっと秀吉にしてみれば想定外 だったかもしれませんがまこれもよしと あれだけの強い精鋭部隊の島を徹底的に 滅ぼすとなるともしかしたら自分たちの方 にも相当犠牲が出るこの後ね九州ほぼ接見 するというねこの力量だけは秀吉も認め ざるを得なかったいうことでしょうね [音楽] も覚悟した吉久の行動をニナさんはこう 評価し ます初めて自分の意で獣心たちに図ること なくとっとと幸福をするわけですよねそこ で初めてイニシアチブを発揮するわけです よね豊臣大名としての生き残りという非常 に法条とかがなしえなかったことをやれ たっていうのは大きいのかなとそれが なければその後の歴史もないわけです から九州の覇者という栄光の日々は終わり 存亡をかけた苦難の時代が始まるの [音楽] ですまここまで島ずのために頑張ってきた 吉久が初めて自分の意思で決めたことが この幸福だったというのがなんともこう 切ないなという気持ちになりますねまそう ですよね国にまたがった両国をえ当時して いくっていうことはですねま当時だけでは なくて守っていくこと自体が困難なんです よねですから両党の体制っていうのを吉 さん自ら引いてったわけなんですけど非常 に得意だと思うんですよねえ最高意思決定 者が並立してるとま当然意見の沿いが生じ た場合に問題が発生するということであの 両頭体制の弱さというのが現れてしまった と思うんですよねうんうん吉久自身は最初 にあの秀吉からこうもう停戦しなさいって 言われたにい本だったかりましたう和する はいそれが1番理想だったんでしょうあの ねそれは多分吉久そうしたかったんですよ ところもう抑えられないんですよね弟たち もあ色々家臣たちもこの九州閉廷の時圧倒 的な軍事力を秀吉が持ってるっていうのは 吉さも分かってたんで本来であれば作に ですね死者を送って和平の段取りを整える べきだったんですけどまそれもせずに 迎え入れてしまって戦わざを得なかっ たっていうのは吉久らしくない部分あるん ですけどまその反面やはりそれまでもそう いう状況かで勝ってきてるじゃないですか 次のね戦いでまあの4の癒しさがえま勝つ わけなんですけどこれでちょっと行けるか なっていう部分あったんですけどまこの時 にま次男の吉ひがですね苦戦を知られて しまったことでま徐々にこう弱気になっ てくんですよあ吉久自久自身がちょっと まずいかなっていうことで秀吉にま実は もう戦うつもりなかったんですよという 弁名書を送ってですね一気にこううん服に 動いてくんですねはいうんましかしですね まだ完全に負けてはないっていうことで 吉秀とかですね家久っての戦いを継続する こと希望してるんですねああまだ弟たち はえそうなんですよ非常に中途半端ですよ ねそうですね意見が一致してないですそう なんですよねでネジ坂の戦いで彼ら大きし てしまったわけですねそうすると今度吉 さんがまた主導権取り戻すという形で許し を超えたわけですよねうん吉としては ちょっとほっとしたかもしれないですねま それはあるんじゃないですかね下手に勝っ ちゃうとですね本当にあの全面戦争になっ た時にですねま快適っていうかま滅ぼされ てしまう可能性が高いわけですよ相手が 日吉ですからねまそういった意味ではま あのちょっと勝って手ごわいところ見せて でまちょっともう完全にえ不利な状況に なってからなんですけどえ幸福するという 形でまいい形でできたのかもしれないです よ ねどれだけ駒が優れていてもコントロール できなければ諸派の 剣ここぞという時にはしっかりと家事を 取らなくちゃいけません [音楽] ね豊富政権の圧倒的な実力に屈した島秀吉 は吉久の代わりに弟義浩を取り立て屈強な 島津軍団を政権内に取り込みました一方の 吉久は第2の人生をどんな思いで抜いたの でしょうかこちらご覧 ください秀吉に破れた吉久は残された領土 と家臣を守ることに尽力し ますたえ豊富秀吉の軍門に下って豊富大名 となったとしてもその立場島投手としての 立場を維持するということにま揺らぎが なかった獣心たち家臣たちの意見を 吸い上げてえ彼らの意を尊重して を存続させるとそういう流れそういった ものを守り続けようとしたっていうのが吉 の投手としての生き方だったんだろうと 思い ます鹿島県霧島市に吉久が万年を過ごした 城跡があり [音楽] ます久はこの地から朝鮮や関ヶ原などの の板を背負って戦う弟のをじていたこと でしょう関ヶ原で家康に破れた義のため 吉久は2年にも及ぶ交渉を行い軍大名の中 で唯一所領を安藤されまし た久は最後まで名門島を守りたの ですそして1611年79歳の生涯を閉じ た吉久はこんな歌を残してい ます世の中の米と水とを組みし尽くして後 は天 大空世の中のあらゆることを経験し尽くし てその後は切った のように思い残すことは [音楽] ないが命がけで守りいた島のプライド はその後も脈脈と受け継がれ明神の言動力 となっていくの ですあの吉久の歌にはもう本当に吉久の 人生そのものの思いが込められているなと でも最後こう住み切った青空のような 気持ちになって良かったなというのは感じ ましたうんまあ万感胸に迫るものがあり ますよねそうですねまあの吉久っていうの はま盛大病弱だったこともあってその晩年 はも追いと山井との戦いだったんですよ ああそうだったんですねえで70歳の時に はですね何ともおいるのは悔しいものだっ て所場に書いてるんですよねああでも正直 ですねその気持ちの表し方としてですよね ま秀吉はあの幸福した後の島付けの代表と してはその吉久ではなくて弟の義博はいま 明大として扱ったということですがこれ 何か理由はあったと思いますかうんうんえ 秀吉から見た時に吉博の方がですねはかに ぎしやすかったんではないかなって言われ てるんですよね吉久っていうのは理想を 掲げて麻心するリーダーではなくて あくまでリアリストなんですよでリアリス トっていうのはいつ裏切るか分からない 危うさをえ抱えてるわけですよねそういっ たことからするとやはり吉に気にの当然 ですよねうんそういう扱いの差を吉久は 内心どう思っていたと思いますか多分です ねそれでも島県が続けばいいやと思ってた と思うんですよね伊藤さんこの島の投手と しての吉どんなところ一番評価されますか はいここで歴史作家ならではの視点で歴史 の裏側を察する伊藤の ポイントあの某術渦巻くまこういった時代 の独立大名の投手としては非常に高く評価 できるま理想的かもしれないですよねま 状況変化に臨機王兵に対応してま頭を 下げるべきタイミングを一しないえそれに よって島付けを作ったということは言える と思うんですよねこういったえ非常に良さ ならではのえま優れた点はあるんですけど ただしですね全時代的な両国試合体制から 脱することはできずその体制のままえ両国 拡大を進めたというぱもあるわけですよね 人間って全て優秀全て成功ってわけでは なくてまこういった古い体制を抱えざら 負えなかったところに良さの辛さもあるし 完璧ではない人間の弱さっていうのも感じ られますよねですね うんこの後は伊藤が描くアナザー ストーリー実だけでは語れないもう1つの 物語伊藤さアナザースーリー [音楽] の軍に下った島が再び飛躍する道はあった のでしょう かま島がですねえまやはり強大な勢力で ある秀吉にですね圧迫されてえ九州での 勢力拡大っていうのは限界に達してしまっ たわけですねえまそれで島寿司っていうの はえ南九州に閉じ込められてしまったと いうな形になってしまうわけですけどま もし島がもっとですねえ拡大していきたい ということであればワンチャンスあるん ですねそれが文長の駅秀吉が死んだ後に 五大を中心としてえ文長の駅を収束させ ますよねそれを終わらせずさらにえ民軍と の戦いまでですねえどんどん進めていった 時に島は圧倒的な強さ誇ってますからま両 半島あたりまで攻めのりですね100万国 の半島を気付けたそういう可能性あると 思うんですよ ねさあ改めて吉久の失敗から私たちが学ぶ べき人生の教訓をお願いしますはい をしていくためには旧体制を進せねばなら ないということですよねえまあ島が古い 両国当事体制を温存しながらえ勝ち付け られたのはですねま度重なる幸運とですね ま強力な軍団ま兵隊がいたからなんですよ ねでまあの結果的にはそういった形で 島寿司は勝ち続けられしかも家を残すこと ができたんですけどえ現代企業でも組織を もう買えないで硬直化させた企業っていう のは必ず衰退してくんですやはりえ組織 っていうのはあの外部環境に対応して どんどん新しく変えてくこれが重要なん ですねそうしなければ新人代謝ができず 現代企業も衰退していくしかないわけです まそうしたことができなかった点でま 島寿司は更新的な大名となってえその結果 吉の前にくしたということが言えると思う んですよ ね死ののれを守るには過去の栄光に囚われ ず時代ごとに変化し続けること強さに村を 書いているとあっさり潰れてしまいます よこれぞ吉久の敗北からの教訓 ですま古い体勢を殺しして新しい体勢に 移行していくっていうのは言うのは簡単 ですけど実際にそれを実行するのって かなり難しいですよねいや難しいですよね 既存の権益とかありますよねですからその 古い体制というものは必ずそういったもの 伴ってますから新しいものにするという ことは誰かが損するわけですどうしたら 良かったんでしょうかまこういったものは ですねやはり説得しかないですよねま吉さ の交渉力を持ってすればそれもできなくは なかったかもしれないですよねうんうん ただもう本当に戦がね激しかったんで九州 地域はですねもう戦いながら考えるよく 走りながら考えるってこともあるんです けどそうせざら負えなかった部分ってある んですよねそうよさんの苦しい立場も ちょっと今日は感じるなんかそんな会でし たねうんそうですね藤さん今日も ありがとうございました 偉人敗北からの教訓それではまた次回お 会いしましょう [音楽]
3週連続で送るシリーズ秀吉に敗れた武将たち。第3回は、秀吉の九州攻めに屈した島津義久の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1533年、薩摩国に生まれた義久は24歳で家督を継ぐと、弟・義弘と共に先祖代々の悲願である薩摩・大隅・日向の三州統一を達成。九州全土の平定を目指し、動き出す。そして、北九州の大大名・大友宗麟に勝利し、目標達成まであと一歩と迫る。ところが、そこに豊臣秀吉が立ちはだかる。
秀吉は対立を続ける島津氏と大友氏に停戦を命じるが、義久は耳を貸さず、戦を続ける。すると、秀吉が大軍で九州への侵攻を開始。迎え撃つ義久は当初、善戦したものの、次々と押し寄せる敵になす術を失う。観念した義久は剃髪し、秀吉に降伏、臣従を申し入れた。九州の覇者・義久はなぜ、天下統一を目指し、邁進する秀吉に牙を剥いたのか?そして、善戦むなしく降伏せざるを得なかった理由とは?
秀吉に臣従した後、義久は敗戦をきっかけに台頭した反対勢力を抑えることに尽力し、豊臣政権を支えていく。関ヶ原の戦いでは西軍に与し、弟・義弘が武勇を示し、名を挙げる。そして、戦後、徳川家康を相手に粘り強く交渉をした結果、西軍大名として唯一、所領を安堵され、島津家は幕末まで栄え続ける。もし、秀吉の九州攻めが一年遅れていたら、その後、歴史はどんな展開を見せたのか?
(2024年6月15日放送の期間限定見逃し配信です。)
#BS11 #豊臣秀吉 #島津義久 #島津義弘 #九州攻め #室町時代 #安土桃山時代 #江戸時代 #平安時代 #明治時代 #戦国時代 #歴史 #日本史 #偉人 #伊東潤 #中西悠理
【出演】
解説:伊東潤(歴史作家)
進行:中西悠理(キャスター)
【配信期間】
2024年6月15日~7月8日まで
📌BS11の「歴史」関連動画をチェック!
【番組情報】
全国無料放送BS11「偉人・敗北からの教訓」
📺毎週土曜日 よる9時00分~9時55分放送
※4月から放送時間が変更になりました。
番組公式HP:https://www.bs11.jp/entertainment/ijin-haiboku-kyoukun/
<番組詳細>
「敗北」「失敗」から、偉人の人物像に迫る!
毎回、偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく新しい歴史バイオグラフィー。
【BS11+ 公式Instagram】
https://www.instagram.com/bs11plus
【BS11+ 公式X(旧Twitter)】
Tweets by bs11plus
