【廃村】平家の落人「松前コタロウ」が隠れ住んだ地 愛媛県松山市付近の豪族【日ノ浦集落】
はい皆さんこんにちは神々旅行機ことと
三月です今日は山口県岩国本郷町西黒沢に
ある日浦集落に向かっており
ますこの集落にはかつて兵家のお中度で
ある正小太郎という人物が隠れすんだと
伝わっており
ますこの西黒沢の地名の合いは
[音楽]
膨張事上身によると大子は新山深きところ
で下地と申すところ
に上文太陽というものがまかりおりここ
かしこ
切り開きやや各々開きたて川縁など
掘り出しおよそ45年の間も中や水濡れ
おり
ここを黒カーとも押していたがその後おい
た畑ひきたて村の挿を倉沢というように
なったと記載されてい
ますこの日浦集落
にアクセスできる道は2つありまし
て1つはこの道ともう1つは本郷町の方
から
下が1集落終えて日浦に到着する道があり
ますこの道はかなり真しな方になります
それではGoogleRSで日浦集落の
場所を見ていきましょう
[音楽]
まここも
だいぶ道が荒れてます
けどまだこっちの方が随分と増し
[音楽]
[拍手]
[音楽]
ですはいここが落です
ねこの辺に車を止め
て集落を見ていき
ましょう
まあ家があるのは奥なので降りて見ていき
ましょうはいここが裏集落です
ねそれでは進んでいき
ますはいこの集落にはかつて西機長広瀬
高校に通っていた正洋子さんという方が
住んでおり広瀬高校は昭和45年1年生を
対象にチリーの課題として自分の育った
地域の地区の伝説や生活建築の歴史と将来
等について調べることを求めていました
そん時に書かれた正洋子さんの日浦
レポートを参考に集落を巡っていきたいと
思い
ます
はいこの集落には原平活線に破れた兵家の
お中度正小太郎が格すんだと伝わってい
ますこの正木小太郎は愛媛県の松山市正町
周辺の豪族で2人の弟がいまし
たそのうち1人は西に進んで西木町の秋間
へもう1人はさらに西
の西木町大野へ行ったそう
ですですので日浦と明間と大野には正と
いう苗字が多いようです
またブラク名日浦という名前についてです
がこれには2つの説があり
ます1つは日浦というのは日がよく当たる
という意味で日のよく当たるこの地に日浦
と名付けようといったものがいて日浦に
なったが長い年の間になって日の裏になっ
たそしてもう1つ
は木がある突然倒れたのでブラの人が行っ
てみると木の裏がこのブラの方向に当たっ
ていたのでそれ以降木裏と呼ぶようになり
なって現在のヒウになったというもの
ですま
[音楽]
この日浦という地名を自分でも調べてみた
んですけど四国には日浦の地名が30か所
以上あり日浦という地名がつく場所にはに
関する伝説が多く残されているようでした
兵器石という本には日浦という名は兵器の
お中度が落ち合うために作った場所の名前
と推測されていますまた日浦は三門のす
ところという意味だそう
です
はいではねまずはこの下
に進んでいきます
この下に進んでいくと墓地
と体力が残っており
ますこの下には水田
があります昔は綺麗な道があったみたい
ですけど現在
はもううしい
てどこが道なのか分からなくなってます
降りてみたんですけど水はコンコンと流れ
ており
ますそしてこの集落
の昭和45年の時の個数と人口は4個14
人
ですま昔の写真を見て
もま4個ぐらいかなっていう感じでした
そこを左に曲がる
とまうの墓地
があり
ます結構ハもしていて道が分かりづらいん
ですがこちを左に進んでいきます
もうねここにいくつかの墓地が見受け
られるんです
けど見えないかなま墓地があるんです
けど
結構半もして
て分からなくなってますねここもね正宇の
墓地になりますでこの下を少し進んでいく
とまかなり古いで
あろうま先祖
玉ま兵家のおの墓かは分かりませんけど
かなり古いものの墓地が並んでおり
ますはいそで戻ってまっすぐ進んでいき
ますではこの下に進んでいき
[音楽]
ますまこの左側に見える場所は全部水冷後
ですね
この辺にはまだ桜
が付いているようです
ねそしてこの下には水線らしきものがあり
ます
ここ
にま家があったみたいですねもう熊沢
であまり見えません
がま4個のうちの1つがここみたいです
ねはいまこのような感じ
で崩れており
ますそしてこの
に進んでいき
ますまここから左を向く
と建物が見えます
ねここから進んでいきます
立派な花が付いています
ねこの辺はね多少なりとも綺麗にしている
感じ
が見受けられます
ね全体的には雰囲気はこんな感じです
内側に
は水が溜めてあり
ます上から引っ張っているようです
ねはい上にもねなんからしくものが見える
んです
けど全体的な雰囲気はこんな感じです
下
がこっちに進んでいき
ますここから
ま全体が見えます
ねあこんな感じになっ
てもう天井部分部分は崩れてます
ねこっちは結構
新しく見えます
けどこの先行ってもほとんど
何もないの
[音楽]
でお地蔵さんだけちょっと見に行きます
ハオから少し上がったところにお地蔵さん
があります手を合わせ
て
1度戻りたいと思い
ますはい上部に戻ってきました今度はこの
廃がある上側に進んで行きたいと思い
ますここから登っていき
ますまこの上に行く
とかつては4件ぐらい建物があったみたい
ですこの辺から進んでいき
ますここから
ちょっと失礼させていただき
ますまもうここ
もハオとなってます
ねいこの上に上がっていきます
[音楽]
ここからは石垣が見えてきます
ね押していった方がいいかなどちらにして
もほとんどが石垣なの
でまこの上部
に建物が残っております
この辺に意向が残ってます
ねまここは別れ道があります
がえっと
ねまずはこっち側に進んでいき
ますまどっちに進んでも同じなんですけど
ここ
にかつて建物があったみたいです
ね随分と河が散乱し
てる
よいしょ道やしき道があります
ねでここに
基礎土台があり
ますバイクもあるようです
バイクの方はね映していこうと思い
ますこんな感じのバイクですねスーパー
カブ
ですここに
[音楽]
は浴ですかねここ
はと水のに見えますが五衛門風呂ですね
ここここから排水していくんでしょう
ねここにね建物があったみたい
です
はい向こうまでね多分4件ぐらいあったの
でこの辺いくつかあったんだと思い
ますちょっと降り
ます今度はこっちに進んでいき
ましょうま先ほどのねここ
がくかやかなおそらく
こっち側にも河がいくつも積み重なって
あります
ねま先日ここ調査に来た時
に業者の方が伐採してたので木の方が
嫌え
て開けてますねこの辺全体
がこの上に上がっていくと墓地があり
ますこれです
ねしかし破壊石はありません
ねということでもう1度最初のハオあたり
のところに戻っていき
ますか後の分岐点まで戻ってきました今度
は右側に進んでいき
ますこっちです
ねまこの辺にも何かの意向らしい着物が
あります
ねでこの辺はまこけしてる
石垣まこまこの上だったんでしょう
ねカクがあったの
はで最後
に平気馬と墓地を見ていきたいと思います
この先に進んでいく
と平気馬と墓地がありますあこの左側
も建物が立ってた跡がありますこの下に
土台というか石垣がありますの
でそしてここには
小屋と水らしき場所
です
ね右側には小屋があり
ますまここにも1個あったんでしょうね
自分も確認できます
ね
でこの上ですね箱があるの
ちょっと
ねどこかにあるはずなんだ
[音楽]
けどはい
墓地を見つけまし
たおそらく下にあった家の墓地ではないと
かと思い
ますまここは昭和10年等のはい墓ですね
じゃ最後に平気箱を見ていきたいと思い
ます
[音楽]
はいこれが平気馬になり
ますかつて正一族は平の清森が通りの時代
から活躍していたと言われてい
ますまこの
集落は正木洋子さんは30年後に
[音楽]
は配送となると予想していたようです
そしてまこの集落
はま誰もいなくなってこの兵馬も埋もれて
いつか忘れてしまわれるんじゃないかと
思いますま考えさせられるものがあります
ねはいこれ
が将一族
のお墓になり
ますそれでは最後に手を合わせて
神社の方に向かいたいと思います
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はいここが自主神社になり
ますこの自主神社の期限についてです
が日浦
の正こさんに関係がありますブラクから2
勝深に通じる京道という場所で帰る途中に
3式の不思議な金曜に輝く蝶を見つけこう
言ったそうですせあるものなら多元に入っ
てくれ持って帰って所の樹脂として崇める
からすると不なことに蝶々がヒラヒラと
飛んできて多元に入りましたそして帰り
ながらたがどんどん重くなることに気づき
に入って多元を開くと腸は光る金の五兵に
変わっていたそうです約束通り神社を立て
てとの自主として崇めまったようですはい
それでは神社を見ていき
ましょうこれですね
大底は将という文字
がありますね一部上村という文字も見え
ますが
はいという感じです
ねま上はねこんな感じになって
ますはいということで裏集落でし
たこれで終了したいと思いますご視聴
ありがとうございました失礼いたし
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ます
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OG
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OG
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あ
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あ
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山口県岩国市本郷町西黒沢にある日ノ浦集落
愛媛県松山市付近の豪族「松前コタロウ」が平家の落人となり、隠れ住んだと伝わる集落。
この集落に住んでいた「松前 葉子」さんの高校生のときの
レポートを参考に集落を巡ってきました。
時期ということあって、車から降りたら(神社の近く)2匹の黄色のチョウチョが飛んでいました。
思わず「!!!」となってしまいました。
西黒沢の開墾者「右衛門太夫」
右衛門太夫は始め下河内(下垣内)本拠を構え、召し使っていた下人などの労働力を注入し、まずはその辺にくわを入れた。開墾を終えて、次に雨土地、中倉、日ノ浦、木屋の順に開墾を進めた。
撮影日:2024年4月18日
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00:00 日ノ浦に向かう
00:26 西黒沢地名の由来
01:49 地図
02:56 日ノ浦集落
07:08 松前家の墓地
09:12 松前家1
13:35 松前家2
15:10 松前家3
18:37 上村家
19:50 上村家の墓地
20:32 平家墓
22:24 地主神社
24:41 山紫水明の郷 西黒沢の足跡
