シンポジウム「〈日本〉史をひらく Opening up “Japanese” history」の動画1/2
えそれでは時間になりましたえ始めさせて いただきたいと思い ますえ本日はあの国際シンポジウム日本市 を開くにご参加いただきましてえ ありがとうございます えーちょうど今日はあったかくてですねえ 日も12月なのいいかなという風に思って おりますえ総勢あの100人ずつまえ 今日明日2日間になりますけれども100 人ずつぐらいの参加者ですねえ対面とそれ からまズームえ遠地遠隔地ということでえ 参加いただいておりますえ長丁番になり ますけどもどうぞよろしくお願いいたし ますえ私はあの和大学の川尻と申しますえ 今日明日司会を務めさせていただきます どうぞよろしくお願いいたしますえまず あの参加に先立ちましてあのオンラインの 方とあと対面の方にご注意事項を注意事項 をちょっと申し上げたいと思いますえまず あのZOOM参加の方でございます参加者 名は分かりやすい名称で明示をして くださいえそれから音声はミュート消音に してくださいえそれからあ当セミナーの 音声え画面を記録複製することはご遠慮 くださいえ講演映像の録画スクリーン ショットなどにある夜あの撮影もご遠慮 くださいえ音声やあ映像が見られる場合は 1度退出してから再度視聴をお願いいたし ますえそからこれはあの談者の方でござい ますがええ発表時間のですねえ5分前に なりましたら1例それから時間が参りまし たら2例という形でえ押させていただき ますので賃を押しますのでどうぞよろしく お願いいたしますそれから基本的にあの 質問はですね明日の討論の時にと考えて おりますがえZoomによる方も いらっしゃいますのでま恋愛的にあの質問 を受け付けておりますその場合にはあの チャットではなくてQ&A画面にあります がそちらでえ対応していただければという 風に思いますえそれから今後のためもあり まして今回の国際シンポジウムは6を録画 をさせていただきます えそれからまあの事前録画あるいはオン ラインでえ発表される場合もありますので その場合はあらかじめお知らせをいたし ますえということでございますそれからえ オンラインの方につきましてはチャットに ですねえ事前にお送りししてるかとは思う んですがチャットに資料のリンクをお送り しておりますのでそちらでもしあの手持ち にご準備のない方は開いていただければと いう風に思いますそれから会場に いらっしゃる方でございますがえイベント 中に会場のですね記録のためでございます
が写真を撮らせていただきますえこの写真 は後日え早稲田大学のホームページに公開 させていただきますのでご了承をお願い いたししますえそれからあZOOM ウェビナーのURLの拡散は固くお断り いたしますいう以上でございますえっと どうぞよろしくお願いいたし ますそれではあの次にあの開催趣旨につい てお話をさせていただきます 少々最初に私の方から本シンポジウムの 開催趣旨を述べさせていただきますえ アジア太平洋戦争後の日本においてま日本 に関するま歴史研究えそういったものはえ ナショナリズムを強化するために生み出さ れたま国士に対する反省のもでありました え日本市という名称に置き換えられたわけ でありますところがその日本市もまた国民 国家の補強材料として作られているという ことが1990年前後にですね明らかに なりえその克服が大きな課題となっていき ましたえこうした中日本レトに置かれた 日本レトの置かれ様々な自然環境に注目し つつ劣等の多様な業そして東西の祭などを 追求し日本やえ日本文化というアプリオリ な存在を相対化する研究が登場いたしまし たま主に安彦さん等々でございますえまた ま線でえ区画される国境や民族という概念 を超えて劣等の終焉に面として存在する マージナルな地域や人間集団を出研究など も現れたわけであります村井介さんどうで あますえしかしながらこうした日本を相対 化する作業が進んでもなお多くの日本市 研究者や日本文学研究者にとっての日本は 相変わらず歴史的空間的に揺るぎない現前 とした1つの単位あるいは解体することの できない1つのえ塊りとしてあるように 思われてなりません一方199990年 以降のバブル経済崩壊後失われた30年 そして新自由主義さらには歴史修正主義の 対当によって日本社会の輸送も大きく変化 してきたと言わざるを得ませんこの間え 日本経済日本社会の停滞は日本人の地震の 喪失を生み出したと言われその反動として 日本人のアイデンティティを強調する設を 強めてまいりましたま今や日本社会には 日本やえあるいは日本文化を賛美する言葉 が溢れ必然的に他国に 対するヘトやあ兵なども大きくえ見られる ようになっておりますいわば辺境な日本論 がはびこっているえという風に言うことが できるだろうこうし えこの傾向はおそらく え ネット社会の浸透あるいは拡大によって 今後もますますえ増大する可能性がある
わけでありましてま縮小するとはなかなか 考えにくいというような状況でございます まこうした混乱をすぐさま収束させるま 特攻薬というのは残念ながらえなかなか 見出せないというのがあ現状だろうと思い ますがそのま対抗する1つの手立てとして は日本及び日本文化を相対化させることが 有効であろうという風に考えますすなわち 開かれた日本そして開かれた日本文化を 共感するま鳥の目から見る上から見るいう ことでございますがその資格が欠かせない ということになろうかと思います以上の 問題関心をもに え今回のシンポジウムでは海外の研究者の 方を勝平しアジアあるいは日本所地域と いった広いそして時には専門的な視野をえ 組み合わせながら地名な存在としての 日本史研究にとついて検討しその使用を 目指したいという風に考えておりますなお 本シンポジウムのタイトルに山かこつきの 日本ねえ観光ではなく山かこつきの日本で ございますがその日本を用いたのは従来の いわゆる え日本観光ですがこっちはとはえ異なって 我々の目指す相対化された日本のことを 指しておりますその点をあらかじめごご 理解いただければと思い ます具体的にはえ丸1従来多く の日本試験究者が無自覚的にあるいは自明 なものとして使用を理解する日本や日本 文化について批判的にま検討する2これら の日本市研究や日本文化これからの日本究 や日本文化研究に望むことあるいはその 将来性などを海外研究者の視点を織り混ぜ ながら議論する3としまして地域の集合と してある劣等所社会について地域を考慮し たえ日本市研究の可能性ま当然対外交通 対外関係も含むでものでありますがそれに 注目した議論を行うなどなどでございます 以上のようなあシンポジウムに本 シンポジウムでは首都しと歴史学の視点 から今後の国際日本学のあり方を模索する ものでありますえ今までルル述べてきた わけでありますがこうした問題関心は本日 登壇いただくえ本学の田中匠さんそして 本学名誉教授の理想師さんとの日頃の議論 の中から生まれてきたものであることを ここではえ明確に申し上げておきたいと 思います なお本 今回のシンポジウムは早稲田大学Ssgu 国際日本学拠点が国際日本学として培って きました10年間の所活動の総括の場でも あります今後の国際日本学のあり方を模索 する上でも重要な会意であるという風に
位置づけることができるだろうと思います この点についてはシンポジウムの冒頭でえ お2人の方からえこれまでの活動の過去 ですねそれから来ということが語られる ことになるだろうという風に思い ます最後になりますがえご対応の中本 シンポジウムに参加するためにハバル フランスから来日されましたえフランス 社会科学高等研究員の業務彼先生 えコロンビア大学のマイケルコモ先生 そしてえ明日になりますがデイビッド ルーリー先生バーマン大学の成谷神奈川 先生北海道大学のえ島秀典先生ベトナム 国家大学のファムファレフイ先生本学文学 学術院の人の秀典先生河野君子先生田中 師匠先生川健二先生坪井秀先生政治経済 学術院の梅森直之先生え本学名誉教授の理 師先生には熱く御礼を申し上げたいと思い ますまたえ早稲大学sgu国際日本学拠点 及び早稲田大学文学学術院総合人文科学 研究センターさらには開催に協力をお しまれなかった早稲田大学富山事務 センターの皆様にも新人なるお礼を 申し上げます以上でございますえ繰り返し ますが2日間にわりますシンポジウムが これから始まるわけでありますがどうぞ よろしくお願いいたし ますそれではえ気づきましてですねねえ人 の秀典先生から えご報告をいただければという風に思い ますよろしくお願いいたし ますではあのえ先立ちました人野先生のご 紹介をさせていただきますえ人野先生はま 現時物語を中心とするえ古典文学を先行と されておりますえ次回え時期からのsgu のですね責任者としてこれからご活躍と いうことでございますそれではえよろしく お願いいたしますえ皆様こんにちは今ご 紹介いただきました早稲大学文学学術院の 人野と申しますどうぞよろしくお願い いたしますえ今あのご紹介の通りえこれ からえ10年間続きましたえsguの国際 日本学拠点のことについてえこれまでを 振り返りまたあのえ今後展望するととえ 特に私の方は教育面についてえお話をする ようにというようなあのえことになりまし たのでえ約20分弱ほどお付き合い いただければと思いますえこのえsguと 呼ばれるものはその文部科学省のえま大学 におけるその国際化推進というようなそう いう事業でありますけれどもえ今日の報告 の構成はご覧の通りですえまずはその国際 入学関係というのがこの文学学人でどの ように展開したか教育の方に話を絞ってえ まずあのざっ振り返りますえそしてえ特に
具体的には教育プログラムえコースである とかあそういったようなものを新たに作り ましたえそのようなことについてはかなり え具体的なところまでご案内ご紹介をし たいと思いますえままたさらに具体的には え特に大学院生のま国際的な展開をどう いう風に促していくかとまいうのが大きな 課題でありましたえそしてまたそういう 方々が将来国際的に研究者として活躍を するというまそういうようなことに向けて どのようなえことを行ってきたのかえ3番 目で特にその研究集会への参加を促したと いうようなことをお話しまた4番目につき ましてはえその大学院生のあるいは学部生 の方も含めてえ訪問教員あるいは海外の 研究者を招いて講演会であるとか研究集会 を開いてきたというまその辺についてのえ ご紹介をするつもりですさてそれではまず この1つ目なんですけれどもこの和田大学 の文学学術院における国際入学関係特に 教育の展開ということですがえこれ早稲田 の中にいるものはま文学学術院っていうと こういうところという風におよそこう イメージがあると思うんですけれどもえ もちろん今回たくさんの方ご参加でえこの 学術員というのはあの聞きなれないという 方も多いかと思いますので簡単にご案内 いたしますまあのファカルティに相当する のがこの文学学術員ですが具体的にはえ2 つの学部がありますえ文化構想学部と文学 部ですえこの2つの学部は2007年から えまスタートしていますもちろん長い歴史 がもっとあるのですけれどもそれまでの第 1文学部と第2文学部えこれをえ改めてで 進学部が作られたとえいうことであります であとは大学院文学研究化というのがあり ますえそしてさらに総合人文科学研究 センターというえま大学の中では不治 研究所という風に言いますけれどもこの 研究センターも含めてえつまりは2学部1 研究家1研究センターからなっているこれ が文学学術院でありますでこの ファカルティに所属する教員はあ人によっ ては例えばこちらの学部と大学院のみとか あるいは2つの学部のみあるいは2つの 学部と大学院という風にえ様々な担当の 仕方がありますけれどもえとにかくこの1 つの教員組織でえこれだけの組織に関わっ ていくというようなそういう単位であり ますさてえでえこの10年ほどを振り返る ということではありますが実はえ10年前 から突然始まったわけではありませんその 前に非常に重要なあその後の10年に続く ポイントがありましてえおよそ15年 ぐらい前から振り返る必要があると思い
ますえそれは15年前というと2008年 ということになりますがえご覧の通りえ コロンビア大学のえ東アジア言語文化研究 家と早稲田大学の我々のこの文学研究家と の間でえダブルディグリープログラムが 始まりましたえ始まりましたということは つまりこの3年ぐらい前から中等なえまた ハードな交渉があってえこういうことがま 成り立ってきたわけでありますでえ スライドの方で赤い星印にしましたがこれ はあの教育に大いに関わるということで 後ほどまえさらにえ詳細にご紹介したいと 思いますが今はまざっこの歴史を振り返る ということで先に進みますえ2008年 からこのダブルディグリープログラムが スタートしてえ双方のえ博士家庭ま先方 コロンビアではえCDコースということに なりますがその博士家庭の人たちがあえて 相手方のえ収支家庭に入学し収支学位を 取得するとえ両方の大学で人文系で博士 論文を提出するていうのは非常にハードで あってえこれが自然科学であればかなり よく聞く話なんですが大変に厳しいという ようなことを色々こう勘案して相手方の 収支合を売るというそういう仕組みを作っ たいうのがこのえプログラムの特徴であり ますけれどもまそうした動きとま並行する という風にも言えるタイミングでしょうか 2009年からま早稲田大学には重点領域 研究機構というのができまして特にこう 大学として力を入れたい分野にえまあの 予算を配分するとかいうようなそういう 仕組みができてきたんですけれどもこの 2009年からえ2014年の3月までえ ご覧の通りこの早稲大学の中に国際 日本文学文化研究所というものがあの設置 されましたえ中島邦彦所長の元でえ日本 文学えそして加えて実はあの美術市である とかフランス文学であるとかあるいはえ また日本市の先生方にも入っていただくと いうようなそういう組織でえま活動をした ということがありましたえその際に コロンビア大学であるとかあるいは フランスのイナルコなどのえま有力な機関 との研究所の交流というのがあの一層 深まったというそういう時期があったわけ ですさてでその次ですけれどもちょうど その今の重点領域のま研究所が終わると いうようなタイミングでえ文部科学省の スーパーグローバル大学創生支援事業略称 Sそのトップ型というのにま早稲大学のえ この国際日本学を含むえま構想が採択さ れるということになりましたでこの文学 学術院には国際に文学拠点えいうのがえ 作られますえトダえ拠点リーダーのもえ
まずは日本文学を中心にま新たなえ事業に 取り組むということでありますがえこの スーパーグローバル大学創え創生支援事業 というのはスタートした時点ではえ私自身 もま関与していましたけどもちょっとよく 分からないところが正直言ってありました がえ始まってしばらくしてからこの事業は 教育プログラムであるということがだいぶ 強調されましたつまりえ研究者がえ研究 集会を行って例えばそれを成果として論集 を出すとま大変立派なことではないかと 思っていたところそれだけではダメなんだ とにかく教育プログラムとしてえ国際的に 活躍できるような人を要請していそこに第 1の目的があるということが強調されまし てえまそのような方向で私たちの活動もえ 様々新たな工夫を考えたり調整をしたりと いうことをしていきましたえ実はまこれは あの偶然とてもいいかもしれませんが 2014年の時点でえ新たな動きがあり ましたえご覧の通りえこの早稲田大学のご 出身でもいらっしゃいます柳内正市からの え支援によりましてえカリフォルニア大学 ロサンゼルス高以下uclaと略しますが えそのuclaと早稲田大学によるえ共同 の研究教育プロジェクトえ柳内正し イニシアティブグローバルジャパン ヒューマニティプロジェクトというのが 発足いたしましたえま具体的な活動があの 進むのはこの2014年よりもう少し後に はなりますけれどもえま端的に言えばえ2 つのこの大学のやはりえphdコース あるいはこちらの博士家庭の方を中心に その大学院生を相互に派遣するえそのよう なリサーチフェローシッププログラムが 始まってまいりますまこれも赤い星自費を つけました後ほどあのご紹介をより具体的 にしたいと思いますさてええその翌年の 2015年ですけれども津田龍作記念国際 日本学研究所とえいう研究所を設置する ことになりましたこの角田龍作という方は えコロンビア大学でえ教えていらした方 例えばドナルド金先生などの先生にあたる 方でありますえこの早稲田大学のご出身で ありますがえ初代の理想師所長のもでこの 研究所がスタートしましたえそしてええ その少し後になりますが2017年え当然 この数年の間に準備期間があってのこと ですがえ早稲田大学の文化高層学部のえ 多元文化論というところの中にえこの学術 院では初めてま早稲田大学ではそれに 先立ってえ国際教養学部というのがもう できていましたけれどもえこの学人で 初めての英語学位プログラムがスタートし ますすなわちご覧の通りですね
Globalstudiesinjaap カルチャプラムえカルプと私たち略して おりますがこのプログラムが新設されまし たえさらに2018年にはえ大学院の方に も進コースを設置しましたえ様々提案が あってえ様々検討した結果え通常であれば 収支過程からスタートというのがあの一般 的だと思いますがえこのコースの場合は まずえ博士後期家庭の方を先行してえ スタートさせましてで2021年にはえ ちょうど先ほどのJカルプ学部の方の英語 学プログラムの出身者が大学院に進学 できるというようなそのタイミングに 合わせてえ収支家庭設置とこのような流れ になりましたさてえ先ほどの歴史の確認の 中で特に赤い星重種をつけたところ少し 詳しく述べてまいりますまずコロンビア 大学とのダブルディグリープログラムで ありますけれどもま先ほども簡単に申し ました通り双方の博士家庭のえ在籍者がえ 相手方の収支家庭に入学するでこれあの 正規の入学でありますので当然その単位を ま納めていく必要がありますえこれ様々 あの設計に苦労いたしましたえ基本的には 相手方に1年在籍するということでえ 例えば早稲田の大学院で言うと32隊員を 揃えるとこれ普通に考えると無理なんです けれども様々工夫をいたしまして当然その え会議隊などでもえ色々と議論をして もらった結果としてえなんとかそのような 形でのプログラムが出来上がりましたえ このプログラムの形成にあたっては何と 言ってもえスタート時点でのえ理尊師業務 主任えをはめとするえ役職の方々そして 何より国際部またこちらのその文学学自身 の事務の方々のえ大変なあのご尽力があっ てのことでありましたえさてでその コロンビア大学のえまphdコースの方々 はえそれまでも当然日本に留学して日本で 博士論文の準備をするとまあのより具体的 に進めるといようなことを繰り返しなさっ てきていましてこのWディグリー プログラムに入らずにえそういうことをま される方はあのこのプログラム開始後も いるんですけれどもやはりこの収支号を 売るための収支論文を書くということで 非常にその集中してえ日本でのえ研究活動 が展開できるというようにコロンビア側の 先生方からは大変高く評価をしていただき ましたまた早稲田の方の博士家庭の学生も えコロンビアの方に留学してその コロンビアのえ非常にたくさんいる優秀な 方々とのえ学術交流を深めまた日本では なかなか身につけにくい新たな研究方法 などを学ぶというなそういう機会を得てえ
また1年という風にまプログラムはなって いるけれどもえせっかくなのでさらに語学 力も高めるためにということで多くのえ ニューヨークに留学した方々は1年半場合 によったは2年えな留学をされてその後 活躍をされていますえ続いて2番目ですね この柳内イニシアティブによりますえ令 早稲田のリサーチフェローシップ プログラムですがえこちらの方は先ほどの えダブルディグリープログラムに比べます ともう少し規模の小さいえ3ヶ月間という のが1つの標準3ヶ月以上という風なこと でありましてえ要はえ相手方の方の大学院 の授業に参加してえそこで様々な知見を売 あるいはそのディスカッションをするとか えいうようなことでえこれまでいく人もの 方が相互に派遣されていますえ下手早稲田 の方でもUCLからの大学院生の受け入れ ということを積極的にしておりましてえ その相手方の事業に出るだけではなくて それぞれに様々な研究集会が開催されてき ましたのでまそういうところにも当然あの 参加してもらうということを重ねており ますえ続きまして学部のプログラムという ことになりますけれどもえ文化構想学部 多元文化論というところにえ比較的ま 小人数という風に言えますけれども国際 日本文化論プログラムJカルプというもの を作りました2017年度解説ですがこの プログラムの特色は1学年の定員がえ日本 学生15名これをJSと略しておりますが それから海外からのま学生OSこれを15 名でこのケ30名を4人の選任教員がえま ゼミなどを担当してああの基本的に英語の 授業でえ行っているプログラムですえなお JSつまり日本学生については英語で教え られる科目を88単以上習得するという そういうルールがありますがえそれ以外の 科目については英語以外でもかいう風にし てありますえそれからまたまどうしても あのJSの方々の中ではま例えばあの帰国 の方でえ英語が極めて達しな方もいればえ そこまでではないという方もいるわけです けどもえ半年早い4月に入学してもらって その4月からの半年間で英語を学ぶための えま準備教育のコースというものを設ける というようなそういう工夫をなさがなされ ていますさてえ4番目ですが大学院の方を ですね国際入学コース略称グローバルJと 呼んでおりますけどもえ収支家庭の方と 博士家庭の方とえまやはりあの収支家庭の 場合場合は必ずしも研究者になりたいと いう人ばかりではなくて様々な例えば国際 的な企業であるとかえ国際的な機関で日本 学の専門的な知識あるいは技術を生かす
そういうようなあの人材も要請していけれ ばというようなそのぐらいのえまあの過程 ということでありますえ一方博公費家庭の 方はえやはり研究者要請という風に目的は 特化されていると言って良いかと思います ええ収支家庭博士公家庭ともに非常に あの複数の教員のえ手厚い指導でえ要請を するというようなところに特色があるかと 思いますさて3番目ですが国際的な研究 集会の参加ということでこれはあの今ここ にお示しの通りえ関係の深い大学そして もちろんこの早稲田大学で国際研究集会 シンポジウムワークショップとを行いまた 近年はブリティッシュコロンビア大学北京 大学スタンフォード大学などともそういう 研究集会をラキでそこにその特に博士国家 店の学生などをえ短期で派遣するという ことを繰り返していますえちょっと駆け足 になりますが例えばえこれも10年間です からたくさんの数があるんですがこの 2023年度に限って今え主なものを紹介 しますとuclaで4月に開催されました シンポジウムへ陰性を派遣また陰性の ラウンドテーブルというのもありましたえ 8月にはスタンフォード大学とのですね このえ交流はえコロナのためにストップ 状態でが今年8月ようやく実現しまして 陰性え日本の方から早稲田の方から2名 派遣えまたついこの間ですが11月23日 24日にはえブリティッシュコロンビア 大学の方へえ陰生2名を派遣実は今年の3 月にも3名派遣しておりますえこのような ことが最近までありました一方訪問教員の 先生方あるいはさらにそれ以外の方々の 講演会等ももう頻繁に行っていると言って いいと思います現在ご覧の通りいちいち 読み上げられませんけれどもジョイント アポイントメントの先生方3名さらに訪問 教員の方々は5名いらっしゃいますまた かつてあのおコロンビア大学のえお2人の 先生も訪問教員でいらっしゃいましたえ こういった先生方の講演等ですねあるいは ワークショップ等全てあげることはとて できないというたくさんの数ですのでえ 今年のえ5月以降の主なものを拾っており ますえ田田洋子も訪問教員でいらっしゃい ますし次のクリスティナアフィン先生も 訪問教員えクリスティーナ先生ドラリビ 先生といずれも訪問教員のえ方々で いらっしゃいますがえまた政治リピッド 先生もそうですねで訪問教員の方を中心に あげましたが実はそれ以外の方にも次々お 越しいただきましてえ最近ではえ来電大学 のまヨーロッパの日本古典文学の代表的な 研究者といるイフス先生にもご講演を
いただきましたでこうしたあの交流の中で え明らかに見えてきたのはやはりこう日本 の中でえ研究しているだけではえ触れる ことのできない世界あるいは人えあるいは 資料いうようなものにえ接してえ研究者と してえ大いに成長するという過程を私もま 研究指導の担当の一員として間近で見て おりますえ本当にごく最近の話を1個だけ 紹介するとスタンフォード大学との交流が 始まりましてこの夏スタンフォードの方に ま出かけることになった陰性は スタンフォードの先生とも非常に親密に なりましたえ本当に昨日メールが届いて 驚いたんですがそのスタンフォードの先生 からえ谷崎純一郎の予約を研究してるその 陰性に対してえ今翻訳をしてるその人を 紹介するよということで今たまたま日本に いらしてるというその先生を早速紹介して くださいえ直接まお話をすることができた ということでその陰性の方は非常にあのま 幸せな思いをしたというようなそういう 報告が昨日えちょうど届いたばかりですま そんな風にしてあの再先端のあるいは今 まさに動いているえま文学研究の方のええ ま世界的な展開にこう時価に触れるという ようなことが他にも様々この10年の間に あっただろうという風に思いますえ今後も このような活動をま続けていきたいのです がまSGは今年度で終わりますので来年 からまた仕組みが変わりましてsgu5と いうことになりますけれどもえこれまでの 蓄積を生かしながらえさらに展開をして いきたいと思います実はその文学だけで なくて演劇えまた歴史えそしてえメディア というような分野あるいは日本の英文学と いうようなものもえま一緒に展開しながら やってきたんでありますけども時間の関係 がありましてその辺りはえご紹介が低出に なりましたがどうかご容赦くださいえ私 からの報告は以上といたしますご清聴 いただきましてどうもありがとうござい ますえ人野先生ありがとうございましたえ 続きましてえ河野君子先生から国際日本学 の10年え研究の過去現在未来ということ でご発表いただきたいという風に思います えジロ先生はあじごさえ河野先生は若比較 文学ということでえ研究されております どうぞよろしくお願いいたし ますはいえっと画面共有ちゃんとできて ますでしょうかえっとただいまご紹介 いただきました早稲田大学の河野君子です えっと私の方から今あのお話ありました ようにあの同じ国際日本学の年ですが えっと研究の方にあのスポット当ててと いうことになりますがあのかなり先ほどの
次野先生のお話ともかぶるあの情報もある んですけども一応観点としてはあの研究の 方からということであのお話をさせて いただきたいと思いますあの資料の方にも あのいくつかあの細かな字であげており ますがま画面の方あのご覧いただければと 思います えで以下このような流れであのお話をし たいと考えておりますがまあの10年と いうのは2014年からえ10年間にわっ て展開してきたsguスーパーグローバル 大学創生支援事業における国際日本学拠点 の活動を振り返るというものですがあの今 の次野先生のお話もそうであったように あの国際日本学拠点がスタートするまでの 前子もあの若干含めてですねえまず早稲田 大学の国際日本学のこれまでの歩みを簡単 にあの振り返っておきたいと思いますえ 早稲田大学はストーリー2125周年を 迎えた2007年以降え翌2008年から え早稲田ネクスト125としてえ早稲田 から早稲田へえグローバル化の推進と研究 体制の強化を大学の重点施策に掲げました そしてえその翌年の2009年から今も話 ありましたが大学が定めた重点領域研究と して世界と競争する新しい日本文学日本 文学研究がえあ文化研究がスタートしまし てえ日本文学日本文化研究の分野で将来に わって幅広く世界と繋がろうとする早稲田 大学の研究教育拠点としてえ中島国彦原 名誉教授を所長としてえ早稲田大学国際 日本文学文化研究所が設立されましたで 当時のホームページなんですけれどもで ここでは具的にはコロンビアプロジェクト イナルコプロジェクトアジアプロジェクト メディア書物注釈プロジェクト現代制度 都市プロジェクトの5つのプロジェクト チームが組まれましてえ文学学術員の教員 を軸に全額に組織を広げて文学を中心とし てえ人文学の様々な領域における日本学 日本研究のテーマをま伝統を踏まえずつ 新しい方法でえ使うということを目指して 5年計画で研究活動が展開されましたえ また2012年にはえこれも先ほどお話 ありましたが文学学術院に大学の不治 研究所として総合人文科学研究センターが 設置されましたえこれはえ文学学術員に おける専門分野の研究を拡充新たな社会 状況に対応する学術分野の喪失研究活動の 活性化と透明化研究結果の社会への還元を 目標として設立されたもので公成員は文学 学術員の全教員及びえ学術員以外の選任 教員助手及び小平研究員から構成される ものとされましたそしてえ翌2013年 からはえ2032年の大学創立150周年
に向け ワセダビジョン150がスタートしますえ これはえ世界に貢献する高い心ざしを持っ た学生世界の平和と人類の幸福の実現に 貢献する研究グローバルリーダーとして 社会を支える卒業生世界に信頼され常に 改革の精神を持って進化し続ける大学と いう4つのビジョンを掲げてま世界で輝く わせだちょっと恥ずかしい感じんですを 目指すものでえ大学のグローバル化国際化 を一層加速するものとなりましたそしてえ その翌年からスーパーグローバル大学創生 支援事業sguが採択されることになるの ですが同じ2014年には文学学術院に おいて今隣にいらっしゃいますリソ氏先生 が代表となってえ私立大学戦略的研究基盤 形成支援事業近代日本の人文学と東アジア 文化権東アジアにおける人文学の危機と 再生が採択されましたえこれは東アジアの 人文学をリードしてきた日本の人文学を 検証しこれからの時代にふさわしい新たな 人文学の総出を提唱することえすなわち 20世紀の人文学それからえ早稲田大学の 人文学のあり方を自己批判的に検証し東 アジアにおける現実的な課題と人文学の 役割を明確にした上でそれらの成果を東 アジア地域で培ってきた普遍的な英に 基づく新たな人文学のモデルに結実させる ことえまた海外霊験機関との共同研究総互 信頼の情勢若手研究者の育成国際連携拠点 の形成を目的として研究活動が展開され ましたえこのように大学また文学学術院に おける研究の国際化の動きが加速していく 中で2014年に早稲田大学は文部科学省 スーパーグローバル大学創生支援事業 トップ型に採択されましてえ学内の6拠点 現在7拠点となりましたがの1つとしてえ 国際日本学拠点がえ豊田博和教授を拠点 リーダーとして設置されることとなりまし たえ国際日本学拠点は日本の文学劇映像 メディアと歴史を中心とする人文科学の 国際的研究を推進することを目的としてえ 国内外でそれぞれ進められてきた日本の 文化歴史の研究を1つのネットワークとし て構築し海外の研究者と切磋琢磨しながら 互いに培ってきた知識と経験を世界に発信 し未来の日本の文化と歴史の研究を想像 するということを掲げて10年に渡り様々 な活動を展開してきましたで具体的な活動 についてはこの後述べていきたいと思い ますがsgu国際日本学拠点の活動は今 次野先生からご報告がありましたように 学生や陰性の教育をまずは主題主がとする ものということでしたが一方え研究活動の 面は2015年より早稲田大学総合人文
科学研究センターに設立された津田龍作 記念国際日本学研究所これが窓口となって え行ってきましたでこの角田龍作記念国際 日本学研究所はえ理想先生が所長として 立ち上げられえ理教授のご退職後は本年度 からは河野が所長を務めさせていただいて おりますがえ現在はえ文学学術員において えsgu国際日本学拠点に関わる教員や ジョイントアポイントメント教員を含む 26名の学内研究所員とえ国内外の消研究 員16名から構成されていてえ日本学に 関して海外の一級の研究者たちとの共同 研究を推進すること並びにえ国際的な レベルで通用する日本学研究の担い手を 要請することを目的としてえS国際日本学 拠点の様々な研究プログラムを実現してき ましたえそれでは続いてえこの国際日本学 拠点の10年の研究活動の概要をまとめ ながら振り返っみたいと思いますえまずは え国際日本学拠点のコアパートナーとして のコロンビア大学そしてuclaとの共同 え研究活動ですえコロンビア大学とは 2015年3月にえコロンビア大学で開催 した国際シンポジウム左側のこのニュー HORIZONinjapanies litarアcultstudiesこれ を皮切りにえ文化生産者としての作者とか えそれから左の方は東アジアとヨーロッパ のモサシップを最高するシンポジウムえ 2020年にはジャパニーズリテラリー アビアstudiesを巡る国際 シンポジウムえワークショップをえ春教授 鈴木富教授リビトルデ準教授をはめとする コロンビア大学の先生方との共同の元で 開催してきましたえまたコロナ後の 2022年そして来年1月にも両行の大学 院生の研究発表に対して教員がコメント するというえショップを開催する予定でま 大学院生やキャリア初期研究者の国際的な 学術交流と検査の場を設けてきましたえ またuclaとの共同はえマイケル エメリック教授島崎里子準教授また政治 リピッド教ラをはめとする先生方との共同 によってえまず2016年3月に アクティングWhiteアクティングアト と題するえ田田洋と松永美穂教授の コーディネートによる朗読パフォーマンス が良行の学生と共に行われてでこの時はま 並行して右側のザWORLDインプモン JAPANというえ学術シンポジウムも 開催されましたえその後もuclaでの 研究活動においては2017年のこの表現 の夕べインロスアンジェルスやえコダ博和 監督の映画イベントなどえ様々な パフォーマンスや舞台芸術と絡めて行わ
れるものも続きましたえまたえ2019年 にはえ国際シンポジウムthe ウイザスとか今年の4月には キャラクターズと題する国際シンポジウム などえ様々な新しく興味深いテーマのもに シンポジウムが開催されまたそれぞれの 活動においては大学院生の参加や発表交流 も合わせて行われてきましたえまたえ コロンビア大学や吉江以外にもあの訪問 教授として早稲田大学の国際日本学拠点に ご貢献をいいてきた先生方による講演会 なども数々行ってまいりましたえ例えばえ UBCのあの先ほどジノ先生ご紹介された のと微妙に多分ずれてきてると思うんです けどえっとクリスティーナラフィン氏に よる講演会自然文学気候変動とかあ同じ UBCのクリスティーナイシによる講演会 え植民地化される言語えまた スタンフォード大学のインドラリービ氏に よる講演会日本研究の過去現在そして未来 へやえuclaの政治リピト市による講演 会マイナー文学と世界文学などなどですが この訪問教授の先生方はここに示したもの の他にも毎年早稲田にお見えになるごとに え貴重なご講演やワークショップを開催し ていただいてきまし たまたえ早稲田のあの国際日本学拠点は 当初日本文学を中心としてスタートした ものですがえ日本学に関わる多分への領域 拡大を図りましてえ市学英文学舞台芸術 メディア関係と展開してきましたえ市学 関係では早稲田の日本市研究を紹介する ビデオコンテンツがえ井川健二教授田中 文男教授によって作成された他え例えば 中国連覇大学との共同研究が持続的に展開 していましてえ良行の大学院生も参加し たりコメントを行うワークショップえ文学 に見る港の歴史記憶やえ総代の仏教振興と 日中文化交流などが実施されましたまたえ メディア関係でもえ岡室美奈子教授 ドミニクチェーン教授によるビデオ コンテンツえ妖怪と不可市の存在を巡る論 が公開された他え英文学分野では シェクスピアを巡る翻訳や学生による講演 などえ活動がつで行われていますしえまた 舞台芸術館関係では演劇博物館とも共同し ての英語歌舞伎岩修理恋の引きの上演え これは講演や解説を伴って行われるなどえ 教育的効果とも絡めつつ国際的な研究活動 の発信が行われてきましたえまた先ほど 紹介した近代日本の人文学と東アジア文化 権をテーマとする基盤形成事業関係でもえ 国際シンポジウム人文学の危機とは何か またえワークショップ日本研究の国際化と は何かを東アジアから考えるなどえ人文学
のあり方を問うものまた国際化における 日本や東アジアのあり方を問うものなどま 根本的な問題意識に関わる活動や問い直し が繰り返して行われましたえまた朝海簡一 没後70年記念シンポジウムなどえ早稲田 ゆかりの国際日本学の開拓者を巡る研究 活動も展開していてこれはあの右側の 知らしはですねこれ1週間後来週の週末に もえ福島早稲田アメリカのイ大学を巡って え朝川間一の時代と学問と題する シンポジウムを開催する予定ですえその他 にも時間の関係で説明は省略せざる得ませ んが国際日本学拠点ではイナルコパリ大学 MIT北京大学南国大学校また学内では 国際文学館や人文権演劇博物館高等研究所 などなどえ各方面との共同でえ研究活動を 展開してきましたえそれではここからは 日本においてこの数年ですね急激に高まり を見せているこの国際日本学え国際日本 研究の同行について簡単ですが触れとおき たいと思いますえこの10年あまりの間に 日本各地の大学で国際日本学国際日本研究 を掲げる学部や大学院コース研究所が設立 されてきましたでそうした動向に対してま 日本における国際日本研究の先駆けとも 言うべき京都の国際日本文化研究センター が事務局となって国際日本研究 コンソーシアムが2017年に発足しまし たで現在この控訴の正解員は21期間巡回 員が1期間でえ現在さらに海外の多数の 大学や研究機関との連携が図られている ところですえなおえ国際日本文化研究 センターは1987年の説ですがその 1980年代の日本学の状況からいわゆる 国際日本学を掲げる期間が一気に増加して きたこの2010年代への動きについて 大阪大学の宇田昌也氏はえこの コンソーシアムが開催したなぜ国際日本 研究なのかと題するシンポジウムで以下の ように述べておられますえ80年代の日本 学は世界から向けられる関心に答える形で 形成された売り手市場の日本学であったえ 2010年代の国際日本学はグローバル化 を求められた日本の大学の人文系部局が 国際発信用のコンテンツとして無理やり ひねり出した買手市場の日本日本学である と言えるでまた同じシンポジウムにおいて 行われたえ国際日本研究を巡る定番におい てえ先ほどからお名前をあげさせて いただいてるえリソ師先生が登壇されまし てこのような発言をなさっていらっしゃい ますえ日本の現在の人文学は近代国民国家 形成紀に帝国主義的な発展を遂げた日本の 歴史的産物の一面を色帯びていてそのよう な学地を基盤に成立したのではないかだと
すれば歴史的な状況が激変した現在にこう いうことを惰性的に続けていて良いの だろうか日本の人文学の問題は東アジアの 人文学の問題でもありそれを変えるために は批判的に早稲田大学の人文学を近代日本 の人文学のあり方の一事例として検討し なければいけないのではないかすいません 大人にいらっしゃるのに長々とお話して しまいましたがえ現在の状況としては グローバル化による必要性に駆られて 無理やりひねり出されたのが国際日本学だ とそういう実態はあるでしょうえしかし ながら早稲田大学の国際日本学はえD先生 の発言のようにこれを日本及び東アジアの 人文学あるいは近代人文学全体のも題とし て捉え新たな人文学の喪失を目指して歩ん できたということまたえ拠点リーダーのト 博和教授のリーダーシップの元で北米を 中心とする世界トップレベルの大学との 連携を図りえ国際的な教育研究を実現 しようとしてきたということになるかと 思いますえそれでは最後に早稲田の国際 日本学国際日本学研究の各現在未来として sgu国際日本学拠点の研究の窓口としし ての役割を果たしてきた角田龍作記念国際 日本学研究所について触れて発表を終え たいと思いますえ角田竜作は東京専門学校 文学化においてアーサロイドツ地商用に 学び卒業後渡米え1929年全米初の日本 文化センターをコロンビア大学に発足させ 31年から62年までコロンビア大学の 教団に立ちました津田龍作はアメリカに おける日本研究の基盤を作り多くの更新を 立てた先生医でしたまたえ角田竜作の功績 はアメリカに日本学を根付かせるために 図書を収集して運びそれらが実際に生かさ れる場と仕組みを作り上げたことえ戦争を 挟む激動の時代にあっても誠実に研究と 教育の推進のために貢献したことなど多に 渡りますえ今その角田竜作が1938年に 残したこの言葉に注目したいと思います 米国の日本研究がだんだんと継続していっ てそうしてそこにまとまったものができて くると私どもが日本歴史として教えられた ところと全然とは言わないまでもよほど 違ったところのものができて出てくるので はないかと思うのであります心配というの かあるいは喜びというのかその点はよく 結果を見ないうちだから分からないけれど も新しいものが出てくるという感じはする え早稲田には角田龍作の他に途中でも触れ ましたようにイル大学で強弁を取った朝 嘉一といういわばえ国際日本学の道を初め に切り開いたと言える先達がいますえまた 津田竜作や朝川監とは逆に海外から日本に
渡ってきて早稲田に即席を残したゴルドン 夫人やチェナそンといった人物もいます そして早稲田には国際日本学の歩みと共に 残された様々な資料もありますえ今後は こうした国際日本学を巡る過去の自責や 資料を現在に引き出してえ再検証しつつ 未来へとつなげていくことができればとえ 次なるプロジェクトについても構想して いるところですまあの何分じゃあ何が できるかっていうことはあのあまり具体的 なところまでは今日言いを呼ぶことができ ませんけれどもえこれまであの理念ですと か一体何が必要かということを議論して まいりましたえ今後それらをいかにこう形 にしていくかあるいはまた周囲を巻き込み ながらでですね早稲からムーブメントを こういかに作っていくことができるかと 言ったようなことをま意識しながら 取り組んでいきたいと思っておりますえ私 からの今日の報告は以上でございます ありがとうございまし たあのナア先生はま旧世期を中心としまし た移民の問題をずっと考えてらっしゃい ましてえ本日はオンラインということです けれどもま問題関心に基づいてご発表をお 願いできればと思いますどうぞよろしくお 願いいたします 皆様ロスアンジレスからあのこちらの時間 のコメですがあのまどうぞよろしくお願い 申し上げますえっとそれでは本日は あのこの現代の課題古代の歴史古代日本に おけるレースエスニシティ移民っていう タイトルで報告させていただきます えっと はいあまず始めに 初めにですが本シンポジウムのテーマを 考えるにあたりロサンジェルスの大学院生 の時古代日本の移民と移住について調査を し始めた頃に読んだある本に書かれていた 以下の1冊を思い出しました関明の著書 下人古代の政治経済文化を語るいう本は その時からずっと私の心に残っています その中で関は前前中のナショナリズムを 支えてきた国士からの脱却を宣言しました でこのようなことを言いましたえっと我々 の祖先がキ下人を同化したっていうような 言い方がよく行われるけれどもそうでは なくて機械人は我々の祖先なのである彼ら のした仕事は日本人のためにした仕事では なくて日本人がしたことなのであるいう ように士がましたこの中であの正士は日本 関先生は日本人を意味する1つの考えを 壊し新たな提案をしています純粋純粋さや 優越性といった考えから全くかけ離れた 日本の祖先の新たな包括的な考えへと
向かっていたのです彼のこの考えは もちろん当時のあの読者に衝撃を 与えたと思いますがあ私は今でもなお大胆 で説得力のあるあのま発言だと思ってい ますで今日のナシナショナリズムとの復活 を考えればかこの赤地の発言は今でも貴重 な葉だと思えと言える でしょうしかし今一度からの発言を見直し てみるとあの史は機械人は私の祖先だと 言っているのでしょうかあの実は父は日本 人で日本国民ですがあのほとんどの人私の 顔を見て日本人だと思わないでしょうでし も多分そうだったと思いますが あの彼の発言の初めにある我々は誰でも 10%から20%はきじの地を引いてい るっていうならばちょっと馬鹿げた考えだ と思いますが私はそれで5%から10%は 機字の地を引いているのでしょうか もちろんツシはこのま遺伝学者でもなく またこれは 1956年に書かれたものですがこの発言 に立ち戻ったのは日本やま過去の日本や 日本人っていう概念を明確に打ち破ろうと 思ってもそこからあの逃げれる逃げること がいかに難しいかと教えてくれるから ですはいオ近年の研究者例えばもちろん 田中先生はあの初期の日本列島の人口に ついての考え方話し方書き方においてあの 重要な進歩を遂げていますがある意味では 私たちは関先生がちいたような罠にまだ はまっているのではないでしょうかでこの ポジの主催者の方々が指摘されているよう に現代の研究者がま我々日本人をという 言い方をもはやはっきりと述べていないと してもまだ自然あるいは必然的な単位とし て国家という考えから抜け出せてはいませ んで本日の報告ではあの正規転生の論述を 出発点としまず古代世界における エスニシティもしくは民族性だけでなく レイスあるいは人種やレイシズム人種差別 にも焦点の当て当てたあの最近の古典学 及び中性学を紹介しアジアと日本をこの 議論にどのように取り込もうとしてるかを 説明したいと思ってますこの新しい研究 方向は個人的に日本学の現代と自分のその 中の立場を考え直してることに根拠があり ありますここではアメリカのリベラル アーツカレジで日本の歴史とアジア学の 研究員及び教員としての経験を元に話を 進めていきたいと思いますでこの次の第2 部に日本学をよりグローバルもしくは オープンなものにすることを目的とした2 つのプロジェクトを紹介しそれらがもたす 機会と直面ずる課題問題について述べたい と思っております
結論を先に言いますと今までの限られた 日本を避けるためには幅広く新しい声を 意識的に日本学に取り入れない取り入れ なければなりませんまた 取り入れるだけではなくその新しい声に 日本を独自定義できる権限を耐えないと いけないと思っていますはいそれでは第1 部 え古代世界と日本におけるレースをS し日本学を元オープングローバルにする ためにはもちろんグローバルな歴史文化 研究の動向につなぐことは1つの大事な 手法ですでこれはある程度アメリカの リベラルアーツカレジで日本の歴史を研究 してるものとしては避けられないことです 古代日本の研究の価値関連性がまだ大学と 学会の同僚にあのいつも明らかになってま 明らかになっていない時はもありますので 常に自分の研究を新しい学会的な動向と 現代アメリカの問題につぐ必要があり ます例えばここ数年あのリーシズムとその はあとその影響がアメリカにいる研究者 もしくは学生もし社会に参加してるみ皆様 にとって非常に大事な問題となっています ジョージフロイド事件の講義と例えば ファクスニューズなどがあの批判的人類 理論あいわゆるcralRtheのような 学会的な概念に対する反動を起こすことに よってレイスレイシズムは誰でも考えない といけないことになりましたで特に私は南 あのサウスカロライナ州にあある大学で 務めているのであの常にこのことが話題に なってましたでまたこのような事件抗議 反動に取り込むことによって自分の日本学 の中の立場を考え直していますま簡単に 言えば私は非常にラキだったっていうのて いうことに気づきましたでそこから何を すればいいっていうのは考え考えてきまし た えっとこのような現代アメリカの問題は 一見するともちろん日本古代歴史と関係な なさそうだと思いますが現代の問題に対面 することによって古代歴史のより良い分析 が可能となっていくことあと思ってきまし た はいあの関先生の発言にちょっと戻ります とあのその読者に衝撃を与えた理由の1つ には関士が日本人とアジア人の地位が 混じっているつまり日本人はみんな根拠に であるとはっきり言ったことではない でしょうか関先生はレースもしくは人種と レイシズムもしくは人種差別っていう言葉 は使わなかったのですが地と比率の話を 見ると間違い なくあこれは19世紀のヨーロッパの考え
方に強い影響を受けたことがわかります これは科学的レイシズムと呼ばれている この考え方ではレイスとは遺伝つまり地に よる生まれあ地による生まれつきの身体の 特徴例えば肌の色が共通してる人間集団の ことですこの考え方は今の科学者から見る と完全に間違っていますレースは遺伝的 性別的な偏りを反映しないことはもう適切 になっていますが科学をレイシズムの根拠 にしようとしてることによって科学的 レイシズムと呼ばれるようになりました しかし間違っていってもこれは今でも影響 力のある考え方ではあります関先生は戦争 時代のナショナリズムと読者の日本人とし てのアイデンティティに異論を唱えようと しながらもまだまだこういうこういった 科学的レイシズムの影響を受けていたいう 風に思ってい ますであのとは言ってもレースもしくは 人中ではなくてエスニシティていう民族が あの赤戦以降の地下人トラジ研究では主要 な枠組となりました特に1990年代から エスニシティもしくは民族エスニック グループ民族手段が下人都人トラ系士族の 研究の基本的な概念となりましたで例えば エスニックグループの定義が日本の古代 社会に適合しない場合は例えば石神営先生 の議事民族集団のように概念が少し修正さ れましたがまそれにしてもエスニシティが 見でしたで田中先生も1997年の本で 先行研究をまとめ古代日本でも本当のエニ グループではなくて国家によるエスニック カテゴリーを考えないといけないと論じ ました えっと英語の研究もま完全に同じように エテ エグエグていうようなことがあの基本的な 概念になっていましたなっていますあ実は 私もあの博士論文では古代実量国家を分析 する あのえっと業で近代のレスエスニシティ国 にっていう概念に抵抗しないといけないと 書きましたそれを書いた時に古代ではこの 言葉を使わない方が良いと思い特定の古代 の世界資料社会に会う言葉が必要だったと 考えました古代の言葉を使えばいいという 風に思ってましたが最近の古典学と中世学 の研究者のアメリカのレース問題の過去の 生産に対する反応の影響で前の博士論文の 観点と考え方を変えてきましたでもちろん 現代的な定義を古代史に使うのは難しいの ですがえっと古代に合うレイスレイシズム の定義を考察することに意味と価値がある と思ってきますであの本当に短くあのこの 先行研究を紹介してみますとあの2018
年のこのジェラルディンハンシの本で TheinventOf は古代中世ヨーロッパに人種差別的な考え 方と行動が見出せると論じる あの本であの阪神によりますとレイスと いう言葉と科学的レイシズムという概念が まだ存在していない中世ヨーロッパの社会 にもレイスと呼ばれる行動がありましたと いう風にあのこの本に書きましたで似た ような研究を行っている学者として レベッカフトケネディ氏がこの10年 ぐらいレイスとレイシズムを古代アテナの メティックという身分0に適用するための 新しい定義を展開してきましたでケネディ 氏はその古典学中性学の研究でレースの 代わりにエスニシティを使う傾向があ傾向 を指摘しこの傾向を考えな必要があると 論じていますあでこの怪我はもちろん さっきのさっきに紹介した機科人都人研究 でも見られますあのケネディCの新しい 定義によって19世紀の科学的レイシズム を超えて古代中世の社会にレースと レイシズムが適切かどうかを改めて考察 することが可能となりましたで簡単にその 定義をちょっと紹介したいと思いますまず はレイスでこれは あの私が翻訳した定義になってなりますの でちょっと不安に思ってますが人間のこの レイスとは人間の違いを表す架空 あるいは可変性の記号表現に基づく民族的 偏見抑圧不平などを制度化する人口管理の 技術あるいは行義でこの記号表現は時代 場所によって変わるいうのはあつまり歴史 的え具発性具発性が見られますがあの レースは多くの場合生物学化された身分 ゼロであるという風に あのケネディCがあの書いてありますで レイシズムっていうのはイデオロギーで ある人間の総意は優劣を意味するていう 考えを導入する二重規範の監守 この二重規範が差別を強化し弾圧を生徒化 するいうような新しい 定義でこの定義はまケネディー氏は古代 ギリシャの学者ですのでそういう人によっ て展開されたあの定義になりますがそれに も関わらずどの時代でもどの場所でも役に 立つ定義ではないかと私は思っており ます何人かの研究者はこのアジアをこうし た議論に加えようと取り組んでいますその でとしてこの2人あの大とも大古代中世 中国の研究をしてるあの人たちなんですが デニソン大学のシャオユンニャンシーと ミルミドルビレッジヒロ はこの世界的議論にどのように貢献できる のかを明らかにしてい
ますで特にあのヤン先生のこの2019年 の本ではあのまこのタイトルの通り えっとエスニシティを使っていましたが その後の研究報告ではケネディー氏の 新しい定義を導いて中国の全金代を 考え直してるそうですでその中軸となって いる質問は古代中国にレイシズムあったの かっていう質問になりますがその報告の 段階ではまだ最終的な結論まで至ってい なかったそうですがえあと暫定的な答えで は制服王朝にはレイシズム つまり国家が法律政策によって作られた 民族手段の ヒエラルキがあったことを署名できる けれどもそれ以外の王朝にはレイシズムが なかったそうですケネディーシの定義に 合うレイシズムがなかったとしてもその 制服王朝ではない王朝では中国市場主義 チャイニーズ supremacyという概念があった ことを論じてい ますこのようにアジア中国独特の枠組を 明らかにしながらヤン先生はこの最近のの 古学者の議論とつぐことができていますで もう1つの概念はちょっと紹介したいん ですがヤ先生も同じ報告では批判的人種 理論cralRtheもしくはCRTと いう最近アメリカで非常に話題となって いる理論に影響を受けている ことを語りましたでCRTはアメリカの 197180年代に発信でない研究者に よって始まった学問でアメリカの公民権 運動の後でも人種的な不平などが続く理由 を尋ねていますでcrrtはレースという 概念が社会的に構築されたもので人種差別 が法制度に組み込まれており人種的マ マイノリティの活動領域を制限していると 論じていますえっと要するにレイスに 基づく不構成な法律がなくても大達の人 たちがレイシズムはレイシズムに反対して も公成な現状がまだあることを説明しよう としてい ますで最近私はこのケネディとヤンの研究 に刺激を受けて今でも今まで下人大人トラ 士の研究を考え直してその新しい定義と 概念を適用しようとしてますでもすでに前 の研究でいくつかの盲点に気づきました 例えば博士論文ではもちろん中国と韓国 から渡ってきた人たちのことに焦点を当て ましたが聞かっていう法律的な正論の中の エミシって言われる人たちの立場を十分に 考えていませんでした 例えばまたあの世前生に戻りますと彼の 研究を見直してもう1つ目に止まったのは 彼にとって中国人と韓国人は家人に含まれ
ていますがいわゆるMCは含まれていない ようだいう点です私の博文の研究をしてい た頃はこれは自然なことに思いました資料 や学問的地からエには本質的に何か違う ものがあり他の都人とは同じカテゴリーに は即属していないことを示唆してるよう でしたがえっとこれからの研究方向とと 言いますと あのもちろんその博士論文では量の主義と いう法律的なあの資料を使ってそのエミシ もとハヤトというと言われる人たちは化 できるかどうかという議論を述べています がそれだけではなく あのそれがちょっと足りないと今思ってき ましたこれからはCRTなどの枠に営業を 受けてMCなどの理療制度にマージナルな 人たちが他の機家人とどのように区別され てきたかについて ももっと深く調べないといけないと思って ますで例えばあの姿勢制度であのエミシの 立場はどうだったかで あの残念ながら今研究結果を発表できない ところでまだまだ前の研究を考え直してる 途中ですが あのそれにその結果についても是先生の ような大胆な発言ができると思っていませ ん例えば日本古来の天皇はレイシスだって いうようなあのことはも言うはずはあまり ないと思いますがこの新しいレース レイシズムの定義とCRTの見方を使い ながら日量的日量時代のあのより良い分析 ができるのではないかと思っていますあの 特に日本の古代国家にそのレシと言われる 法律はもうなかったと自信を持って言える と思いますがそれにしても差物的なあの 現象があったんじゃないかっていう風に 思ってますのでそれでちょっとCRTを 考えたいと思いますであの第1部の最後に ももうえうんもう1点ちょっとあの飲め たいと思いますそれはアメリカにあのいる 学者は最近のレース問題に古典学中性学の 概念を適用するだけではなく実践的な対策 も行いましたでそのとしてはこのRbef Rという組織が支えようとしてるのは古代 中世時代でレイスを研究することと古代 中世の文学歴史美術史宗教などの学問で 働いている白人ではない研究者の コミュニティを作ることですその人たちの 研究を支えることからこの2つの目的が あってこのように概念だけではなく実際に 今の学会にどのような人たちが優先されて いるのかと誰の話を聞いているのかを常に 考えないといけませんそれでもあのこの点 で告報告の第2部にあの入っていきたいと 思い
ますはいオ第2部はそのま難題ですかあの 本当にグルーブになるための実践的な ステップ えっとはいこの第2部ではあの簡単なこと をするのは実は難しいというアイデアに点 の当てて話したいと思います えっと例えば日本というあの概念からあの えっと抜け出し日本研究を本当に グローバル化するには積極的に新しい声を この分野に取り入れ様々な障害やその他の 起こり売る弊害から守るための仕組みを 作る必要がありますで今日は日本研究を さらにグローバルなものにする狙で2つの 異なるプロジェクトを紹介したいと思い ますどちらもこの支配問題に直面しており えこの分野をより包括的でよりグローバル なオパなものにすることを目指して目指し て行動を起こしていますああのあと特に 日本という私たちの概念のオブなものに するためにグローバルに対する考え方に 疑問をえ投げかけ続ける必要があ るっていうことを強調したいと思います 日本研究には日本もしくは北東アジア プラスアメリカあと西ヨーロッパつまり 西洋がグローバルだと考える強い傾向が ありますこれはもちろんアメリカの学者に とって本当にこういう傾向をいつも見て ますで今紹介するプロジェクトもまたこの グローバルの理解から始まりますがこれは 単なる出発点であり世界にはもっと多くの ものがあることを忘れてはならないと思っ ていますで実は日本学語は私が想像できた よりもう常にグローバルになって るっていうことに続きましたがこのはい 最初のプロジェクトはこのえっとpmjと いうプロジェクトなんですが全近代日本 研究pmjというリストサーブです えっとこれはえっと 1999年にあのマイケルワッソンていう あの明治大学員えあ明治学院大学 あのえ教授によってえっと設立された えっと前金代日本の研究する学者学生専門 家の世界的ネットワークであのその後8年 ぐらい横浜で運営されましたがえっと当初 は17人しか入っていなかったけどあその 時日本語と英語の2カ国語のフラーを目的 をしていましたで 2008年にシドニー大学のマッシュー サブロがGoogleグでのリストの移行 を管理し えっとそのリストの適正化や運営を 引き継ぎましたが えっとその後pmgsの会員数が1000 員を超えるようになると何を投稿するかは メンバーあの自身の判断に任せるという
初期の方針が崩れ始めましたで色々 恥ずかしくて否定的で あのあの適切なやり取りがかほくありあの 指導教官からしばしばメーリングリストに メールを 送る送るなと警告されていたあの若手研究 者たちはその分野の有力の先輩からの 厳しいコメントを恐れて質問を送ることは もうためらいましたで特に富会であの敵対 的なやり取りが2019年にこの輪であの 若手の学者クヤの学者あの夕食人集の学者 がリストの えっと上級会員から攻撃されましたでその 後大学院生が匿名の抗議文を提出しまし たそれで あのスタブロシの支援によりクリスチナ ラフィンとポーラカーティスの指摘のした 新たなリーダーシップが発足しました あの2019年の夏にはリストの会員をあ 体操にケートを実施し21人の関係者で 運営委員会を立ちあげてpngsの将来 将来と運営を模索しました意識的に様々な 地とレベルと世界各国からのメンバーを 集める動力がなされたまであのこういう グループになりましたでPアジアの アクセスの増加専門性を高めることそして 若手やその他の阻害された学者が恐れずに 議論に参加できることがこのグループの 主な目標でし たでこの委員会がステアリングクティあの 運営委員会がえ取ったいくつかの重要な 行動とは新たな利用規約を作成し違反チに は利用停止の可能性を含む厳しいえ措置を 応じましたでこれがその簡単なリストなん ですがえっとそれとまたpmjにpmjに 送られる全てのメッセージを読み承認し 利用あの規約と照らし合わせて評価する モデレーションチームも作られました メールをあのチェックしてる ティームで問題のあるメッセージやその 可能性のあるメッセージは4人のチームに よって議論され特にあの難しい決定はその 委員会のメンバーと共に共有されます チームはこの不適切なメッセージや間違っ たメッセージに対してはあのあるM Team@あのいうメールアドレスを使っ て対応し新メンバーはえっと個人への報復 を防いでいますあはいこれは非常に大事な ことでした あそのpmgs更新の結果と言いますと あのリストは成長を続けており現在では 40カ国にまたがる1500人以上の会員 がおり新しい体制と方針を導入して以来 何百人もあのの参加者もえ獲得できてます あと
20121年にリスト会員を造に気候に 関するフォローアップ調査を実施した ところリストへの満足度が78から91に 上昇したことが分かりましたでそれ良かっ たと思ってますがあのついねながら新規 会員若手研究者大学院生からの投稿が大幅 に増えよりオープンで生産的な議論が行わ れるようになっています えっとというとは言ってもしかしかまやる べきことはまだまだたくさんあります えっとこのリスト は初めた時に2科学をのリソース日本語と 英語として構想されていましたが時間の 経過ととにほぼ完全に英語のみになりまし たそれはどうにかしないといけないていう 風に思ってますまたヨーロッパの同僚は 出版物翻訳会議などの共有するようにあ なってますがえっと世界の他の地域からの 参加はま以前として非常に限られてますだ からそれもどうにかしないといけないん ですねはいでpmgsの更新から分かった 重要なポイントはこういう若手や社会から 阻害された研究者を保護するシステムを 構築することがよりオープンで包括的な 議論を生み出す限でしたあとバランスを 取るために会員あのこのモデレーション チームもしくはこの運営会員のメンバーを 積極的に採用しないといけないていうこと もありますしあの入っていない地理的な 領域専門分与に気づいた場合は彼らと連絡 を取り参加を依頼しないといけ ない そういうまちょっとベーシックなんです けど非常に大事なあの点ですがあの次に 紹介するプロジェクトはpmjのPMJS のあるべき姿についてこの委員会で 話し合った中で生まれましたでpmgsを このままリストサーブに限定することを 決定しましたが日本研究を世界の徴収に 公開するためにより後半で的な プロジェクトの必要性があを認識しました でちょっと見た目が変わりますがその プロジェクトはこういうあのジャパン パストアプレゼントというプロジェクトに なり ますでこのプロジェクトの12年にわたっ て開発が進められてきたディジタル リソースJAPANパンプントjppです あでその背景と構造について少しあの説明 し最後にちょっと開発中のプロジェクトの いくつかのところをあの紹介したいと思っ ていますえまずこの ミッションなんですがあのお読み いただけるようにじゃjppは分野時代国 を超えて日本人文
科学すいません日本人文科学の研究と教育 を推進し世界各地における関連情報を取り まあまとめるリポジトリー ですこの日本研究のオンラインあのハブを 開発する私たちの目標の収穫はより包括的 で多様な分野を追求するための教育とあ 小学金みたいなことのリソースの公平な アクセスを提供することです 日本研究における多様性法平性包括性の 問題はここ数年で多くの話題になっており アジア研究協会あの aas組織のような団体が黒人研究者への さらなる支援の要求に終えたり最近では Deiまアメリカの言葉なんですがに 対するあのNHパートナーえ 助成金及びアジア研究分野で十分な サービスを受けられ受けられていない人 たちのためのその他の取り組みを行うなど より国際的な協力を推進し日本研究におい てより多くの声を聞く機会を生み出す インフラを構築することが計画してい ますであのjppの設立は日本人文学え 日本人文 科学をあのグローバル化のための柳内 イニシアティブによって支援されています でこの柳内イニシアティブ先ほどちょっと 紹介されていますのであのこれこの説明を ちょっと省略しますが あのイニシアティブは田大学の方では マイケルエリエリフ先生とえっと 先生が共同ディレクターを務めucla側 ではマイケルエリクがディレクターとあを 務めていますでこの数年に渡りやない イニシアティブはあの数多くのイベントを 主催し様々な学芸プロジェクトや学者特に 日本研究の大学院生などを支援してきまし たのでgppはその日本の人文科学を世界 希望ででより包括的かつ公平なものにする というイニシアティブの目標に沿ったもの ですで jppはあのま皆様ご承知のように ほとんどの学術機関や研究機関は あのだ単独で何かを講演することには ちょっとしますがあの共済することは喜ん でおりますでそれと同様に各期間で プロジェクトを開するには様々な制約な え持続可能性に関する問題が伴いますで この分野でもでこの分野で最も劇的な仕事 をしてる人たちの多くは正規 あの保者でははなく彼らが移動するとあの 組織や集権のあるリソースとの関係から プロジェクトがと滞るリスクがありますで このためgppはこのようなあの公共 プロジェクトの多くが え存続できるような精度にあの自立的な場
を作ることを目指していますでこれまで uclaや早田大学だけでなく来年大学 イル大学オランダの あのアイオえっと手段などもあの提供した プロジェクトの開発してい ますはいえっとjppの目標は様々な研究 プロジェクト教育資料イベント交流の場 などを主催促進することによってリソース を元化しグローバルに提携し治安と アクセスを最も必要とする人々に再分配 する場を生み出すある州の遠心力を 生み出すことです現在多くのあの教育機関 が充実したえっと地域研究プログラムを 維持するのにあの 良しているためgppのような コミュニティのイニシアティブがこれまで 以上に えっと急務となってい ますでチムをちょっと簡単に 説明しますとあのまポーラーカーティスは jppのオペレーションリーダーであり あプロジェクトの主要な言動力ですあの 彼女は依頼を設定し私たち全員が仕事に 取り組み前進できるように全ての仕事に 対して高いあの基準を作成し維持します えっとまた現在 あのの諮問委員会の構築も進めていますが 多様な期間からグローバル思考の会員を 維持することも同様に意識してい ますで長期的なチームと短期的なチームは 両方ありますがこれらのチームは3人から 5人のメンバーで構成されあの自給ベース で給料が支払われます多くのディジタル プロジェクトとは対象的にgppの全ての コンテンツ性あコンテンツ制作者と管理者 にはその仕事に対して報酬が支払われます で各チームにはプロジェクトが円滑に進め られるためのチームコーディネーターが 任命されます またこれらの特定のチームの肩書きがある ということは大学院生やキャリアの浅い 研究者が履歴症に一貫したラベルをつけて この作業を完了できることも意味します これらのチームがどのようなものでどの ような成果を上げているかについても ちょっと後で説明しますあと組織と言い ますと あの様々なイベントプロジェクトリソース を調整するのは大きな仕事であることは 明らかだと思いますが従ってgppの インフラストラクチャーは3つのあの中核 的な時間単位を中心に構築されており時間 的カティて言われてますがそれぞれに独自 のプロジェクトマネージャーがいます えっと全員近代は私であの金星はあ来年
大学のアンジェリカコフそして金元代は メルボルン大学のヘナゴブが責任者として 務めています私たちはそれぞれ意図的に 歴史文学と文化人類学と宗教といった 異なる分野やあ分野の出身でありえっと 異なる大陸を書店としてい ます あとこれから企画されたリソースを ちょっと紹介したいと思いますが あのはいえっとまずはえっと このえジャパンデータベースなんですが これは英語と日本語だけではなくあらゆる 翻訳言語を含む翻訳の初期資料を 発見するための集中ツールとなることを 目指すえでちょっと時間があまりないので あのちょっと省略しますがこのジャパン データベースもありますし えっとこのチームは5人のチームであの 色々な質問を考えてくれて提案を作りまし たであとその次のリソースは世界の日本 研究者一覧っていうあの英語で言いますと JAPANSEARCHになりますがこれ はユーザー指導で検索可能な日本研究者の あのディレクトリーでより簡単に総合に つがることができるようにするだけでは なく専門知識を必要とする一般向けの仕事 で専門家よりをより簡単に見つけられる ようにすることを目標目的としています ユーザーは自分のプロフィールを作成し 検索可能なキーワードや専門分の分野に よって自分自身の識別し他のメディアなど にリンクもでき ます でこのプロジェクトもあの3人のチームに よって提案書を作成してもらったんですが えっとま簡単にちょっと そのどうなるかっていうのをあの見せよと 思ってますがこの風に色々 検索できて例えばプロフィールに入って みるとあのまこういうキーワードであと 特に大事だったのはプライバシーのために あのもちろん日本ではあのこういう自分の イメルアドレスを解するのはちょっと 難しいと思いますがあのjppのこの サイトは車内メッセージング プラットフォームが提供されますので あのそれが結構大事なポイントになると 思います最後にちょっと話したかったのは 日本学の会議と雑誌のリソースなんですが えっと えー はい最後にこれは2つのか追加リソースで 会議と雑誌あでこれらのリソースを作成 する目的は日本研究及び東アジアアジア 研究に関連する年時会議及び学術師に
関する基本的な情報を収集及び整理する ことですえ人文あ科学 分野全般にわる日本研究に関連する学会や 学術士に終点を当てています えっと はいこのプロジェクトでは提案所の作成 及び観念情報をあの集中するために2つの あの短期チームを採用しましたでこれらの チームははいなアさんもう少しちょっと 時間がもう押してますのであはいはいあ すいませんはいいオじゃあ2つのチームが あってあのいろんな国から来た人たちが そのチームに入ってそれは結構意識的に 左用あの募集の時にあのこのようにもう 特に日本アメリカヨーロッパ以外のところ からの人たちを探してますっていうような ことを見ましたのであのその結果としては あのじゃその雑誌チームは15カ国後に よる300冊以上の日本専門ジャーナルあ をデータビスに入れましたのでそれは ちょっと素晴らしいことだと思いましたで もあの日本だけではなか被ではなく東 アジアアジアアジアあの太陽にこういう8 国校による200冊に近い追加あの雑誌も ありましたで会議も結構 あの たくさんいろんな国にありましたので 素晴らしい結果だと思いましたはいでこれ はその日本の日本学の雑誌の言語とえっと 日本え学の会議を行っている国と地域です でこれは多分他のところにもありますが とりあえずこの最初の結果としてあの発表 したかったんです はいオ gppの話は 大体それでこれからあの多分1月にロンチ するサイトになりますのであのもし質問が ありましたら是非いつでもあのご連絡 くださいであの最後に日本のこの シンポジウムでこの最近の考えてる問題と あこのジェクトを紹介できて本当に ありがたく思っていますであの結論を 繰り返してこれは繰り返しになりますが今 までの限られた日本を避けるためにはこの 幅幅広く新しい声を意識的に日本学に 取り入れなければなりませんでまた 取り入れるだけではなくその新しい声に 日本を独自に定義できる権限を与えないと いけないと思っておりますはいそれでは あの以上ですご清聴ありがとうございます ありがとうございましたすいませんえそれ では次のご報告です え日本はいついかなる景気でえ日本になっ たのかということで利市さん本市先生にお 願いをいたしますま理市先生は皆さんご
存知だと思いますがえ東アジア市であり 古代朝鮮士のまあの非常にあの有名な研究 者ですえ準備ができましたらよろしくお 願いいたし ますご紹介いただいた理想師ですえこの場 にふさわしい報告者か心々ありませんが冒 にあのこの10年間の文学学術における 国際日本学に少なからず関わった責任も ありえ報告をお引き受けしましたえ事前に あのレジュメとしてペーパーを提出した ものが皆さんのお手元に配布されており ますが謝りが多いのでここから引用など なさらないようにお願いいたしますあの シンポジウム終了後に修正して改めて完成 原稿を作りたいと思っております え早速ですが え序文にですねあの今ご覧いいてるような 文章を掲げましたえっとこの度の シンポジウムの目的の1つにえ出所にあり ますようにえ従来多くの日本市研究者が無 自覚的にあるいは寿命なものとしてえ主用 理解する日本や日本文化について批判的に 再検討するということが掲げられており ますえ市学集を振り返りますと1990年 代以降にはあいわゆる国民国家論西川長尾 さんがあ主張された見解があその後国民 国家論という言い方で え支障されておりますけどもその定期に よって日本市日本文化のイデオロギー性が 掘り下げられました えで えそこで言われことは国民国家の原理と システムが崩壊し変容する中でえ国民国家 の形成過程で構築されたあ文化概念を使っ て世界を認識しようとすることはあ矛盾に 満ちた時代錯誤的行為であると厳しく批判 されえこれを景気にその克服があ目指され たと私はあ考えておりますえしかしながら 10年代以降の国際日本学研究を取り巻く 状況は事態を一変させたと私は見ており ますえ先ほど河野先生が引用されており ましたがあ非な表現を借りますと グローバル化を求められた日本の大学の 人文系え部局があ国際発信用のコンテンツ として無理やり ひねり出しえ出した市場の日本学は相手に 振り向いてもらうことから始めなければ ならないという状況に直面しえ日本や日本 文化は疑いのない致命な対象として想定さ れることに対する会議などひとまずえ脇に 置かれるようになったかのように私にはあ 見えます え でえまあのこのようなあ先ほど紹介したあ 1990年代の西川長尾さんとは別
な点から点 からえ日本人日本語日本文化という実定性 はいつどこで生成したのかあそもそも日本 人日本語日本文化が成するとというのは どういう事態を指すのかあ問う議論があり ましたえ酒直樹さんの議論ですでここで言 実定性というのはあ風港の概念を援用され て言われてることですけど学会という 小さなものから広く全ヨーロッパといった あ広範囲にわる集団の中でいわば常識とし て共有されあまりに当然しされているため に誰もあえて問としないにも関わらずそれ なしにはあ単に願意だけでなくえ論争や 対立さええ不可能になってしまうような設 における構成体え社会的合意や論争の現実 性はこうした実定性によってえもたらさ れるものとされておりますえこの度の シンポジウムにしするま有益な視点として え重視したいと思いますでこのような分に 対して若干の補足をしたいと思いますえ私 のこれからお話することについての論点を 明確にするためでありますで近代日本に 固有の文脈で生まれた日本市日本文化があ 国内の学会においてはその由来が忘れ去ら れ寿命のものとしてえ日々再生産されて おりますその一方で近代の特定の文脈で 算出された日本市日本文化が外に伝えられ それが国外において日本市日本文化として 自用され新たに国外における日本学として え展開されますえ先ほどのお話なんか まさにその通りだと思いますそのような 国内外の日本市日本文化が国際日本学と いう新しい潮流の中で国外の日本学で語ら れている日本市日本文化が日本国内の ドメスティックな日本市日本文化と接触 することによって日本国内において無意識 のうちに再生産されているドメスティック な研究が強化される確信される海外でも 言われてるじゃないかという形でえ確信さ れる会議の目が失われる可能性はない だろうかえ宇野氏が言うように日本市日本 文学を始め日本を研究対処とする日本の 人文学の各分野はドメスティックな学科に おいてそれぞれに確立されたディシプリン と学会組織を持っておりますえ正置な研究 方法それに基づく膨大な研究業績それを 踏まえた研究課題の設定の仕方や論文作成 の方法などが全て確立されておりその上に 高度な研究成果があ蓄積されているかの ように見えますえそれらの聖地な研究方法 とそれに基づく膨大な業績を規定している 日本市日本文学という研究対象の学文的な 大枠はどこに由来してるのかということを 考えてみる必要があるんではないかま私は あの日本市日本えまえ日本文化ですかね
これは極めて歴史的な産物だと思っており ますえ近代に作り出されたものだと思って おりますえ例えばあ国士がというえ最初の 日本で最初の通という言われ国士がえ この日本通はどういう景気を持って作られ たかと言えばですねえ1878年のパリ 万博博覧会の事務局の要請によってえこう いった日本通信が作られるあるいは日本で 最初の日本美術師なるものがですねえどう やってできたかというとやっぱり1900 年のパリバ博博覧会に向けてですね作られ た日本美術師フランス語の日本美術師があ 日本語でえま訳されると言いますかねえ そのようなあものであったえ近代日本が オーディエンスである立教諸国に説明する ために用いた日本市日本文化は西 ヨーロッパの歴史的な枠組の中で形成され た彼らの お価値観に合わせてですねえ日本市日本 文化というものがあ作られたと私は考えて おり ますでこういうそのこのような経緯を持っ て形成された日本市日本文化の実定性があ 当社されて再生産されているのが日本古代 子じゃないかっていうのは私の えまかなり え強い思い込み ですで え報告の趣旨ですがま私この中で私の与え られた報告の時間の中でえ全て説明しよう と思いませんが あ趣旨をご説明すれば内容について ペーパーで補っていただけると思うのでえ 詳しく説明しますがえ一見すると私の ペーパーの内容はこういうことです一見 すると単純な問のように見える日本国語の 成立日本という国語はまいつ成立したのか という検討するとしてもそこには資料自体 の分析にとまらない寿命のものとして使用 理解する日本や日本文化が介在するえ近代 に作られた構築されたあそういう思い込み がですねえどんなに古代の資料を見ても ですねえなかなかあこういうものを抜きに 語ることはできない介在されてしまうと いうことですでこうした日本国語と共にえ 天皇号の成立問題があると思いますまた それらと並んで重視されるのがいわゆる 力量性国家の成立問題ですえこの3者は分 の関係にあって日本の成立過程が論じられ てえ参りまし たでえこうした古代における日本国語成立 の問題は古代自体の問題というよりは むしろ近代における国民国家形成機のの 国地の構想に関わる問題と見なければなら ないのではないかと日本国語の成立やそれ
に深く関連付けられて議論されてきた実量 国家の成立問題を事例にそれが日本市日本 文化が成立する近代日本の文脈に密着して いた事実に留意することによって今一度 日本市日本文化を相対化してみたいという のが報告の趣旨でありますえ歴史論の中で 実証的に童貞し認識する作業に達携わった としてえもですね日本自身はあ実証に先行 してしまっている え実定性が投射されえ再生産され続けて いるにも関わらず実定性はすでにあった もの文献の中にあったものとして現れて しまうえ近代の全え 近代 の前提を過去に投射して成立する日本と いう循環があるんではないかで国際日本学 という研究環境はこのような構造から 抜け出されるだろうかえこういうような 器具を持っておりますま私があの今回の テーマである日本市を開くという主題に 関わる言及はですね今までえ95年から こういうような及をしてまいりましたので ま私の考えの背景にはこういうものがある ということを事前に申し上げておき ますでえまずこの日本国語の成立について え明確にえ主題として論じたものにえ吉 孝志さんの日本の誕生という著作があり ますでえこの著作は日本国語の成立とその 景気を主題にしながらあ最終章でえ 取り上げた取り上げられてるトピックは 日本市とは何かということを論じており ますえ結論は大和と訓読される日本は 何よりもまず天皇の大朝明であるとし ながらもその後にえ天皇を格闘する国政は なぜ変革されないままあ終わったのかを 問いそこには1945年の配線を含めて 外在的要因が大きく関与していたことを 警視てはならない述べてえおり ますでえ現行の日本市の教科書や解説に おいて日本の歴史に琉球とアヌの歴史を 加えて除していることに言及してですね 吉田さんはそれは1945年以後の日本の 歴史であって江戸時代の琉球の人々には 大和は別の世界としておりえ民族としての としての重要な要素である我々意識は基本 的にはなかったと断言しますその上で国民 国家の枠組で古代子論争をしてる 隣国の対立や葛藤歪みはあ対岸の問題では なく本質的に日本史にも存在してることを 論じえ現在の国民国家日本との関連でえ 日本を相対化することの困難さをこの著作 の課題としてえ結びとしておりますでえ私 の報告の次第である日本はいついかなる 景気で日本になったのかというシンプルと いう主題はあシンプルに日本国語の成立を
問題にしようとするにしてもですねえ吉田 孝氏の指摘にあるように大きな問題として は1945年以降のあるいは現在と無縁の 問題ではありえないということを問題意識 として持っております で日本国語の成立についてはあ天皇号の 成立と不可分のものとしてえ日本古代研究 において論じられてきましたえ例えば 先ほど紹介したあ吉田孝は天皇号の成立は あ天部の時代でありそのこの列島に新しい 王朝を開くとともにえ党の王朝に対抗した 独自の世界を作ろうとしたことに注目して おりますでその象徴としてえ中国の古典主 に基づく理想の教藤原教の造影最初の貨幣 本線の醸造中国法の刑事としての大砲実量 の思考を挙げておりますでそのような時代 に国語として日本が求められたのは日本 レトに太陽進行が広く分布していったこと を前提にえ天武次と天皇の時代は伊勢神宮 の地位が上昇しえ行為があ天の天の棺え 人丸の歌にあるえ日の巫女等に見るま日の イデオロギーが固probされた時代で あったことを強調しており ますでところがですねこのように え日本国語をイデオロギーやですね時代 背景を考えていたんですが日本を知る日本 という文字を記したま最古の同時代資料が あ2011年にえ発見されましたで早え このようなですねえ様々な研究がなされて おりまして え最初の3つ のま論文や報道はですねえ分ったのはあ ついにえこの母子は678年のものですが あ日本という国語は678年に遡るという ことでえ沸き立ったのですねえ [音楽] えこのような母子でありますで最初から7 行目ぐらいのところにですねえ線を引いた 左側をご覧いただきますと時に日本与勝と いう文字が見えますで えこの母子に見える主人公である大軍と いう人はどういう人かと言いますと660 年7月にくだが滅びた時にえの技術王と共 に不慮としてですねえ長安に拉致されて 連れて行かれたあ人物ですでその人物は え日本関係の資料にも出てまいりましてえ 664年5月にですねえ核無双という え党の死者と共にえ津の港にやってきてい たあるいはあ翌年にも尽しにえやってきて いたあるいはあ朝鮮側の資料には670年 にえ白木の都にやってきたわけですがま この時にま白木側にとどめ置かれた抑留さ れたまそういうことでえ出てくる人物で ありますえこの人物は672年にですねえ 解放されてえ長安に帰ったまこういう人物
の武があ見つかったわけですでその人物の 母子に記された日本とはあどういうものか と言いますとこのようにですねえもう幹部 のところは読みませんがあ時に日本の残党 は不正に依拠してえ中盤を逃れていたえ 風港の残党はあ登板を拠点にしてえその敵 を阻む様は天護であったあ云々とあって ですねえこのようなえ時代状況の中で え米軍があ党から派遣されたというえ資料 でありますでここで大事なのはですねこの 日本というのは先ほどご覧いただきました ように日本のことではなくてえこの中でえ 1つとして保有名刺は使われていないえ この中で風港とか日本とか登板とか不調と いうのは全て東方を意味する普通名詞です えそれぞれ東方を意味するえ普通名詞に 対してですね当てはめようと思うと実に 即してえ先ほどご説明したようにえ日本は くだら不は和え風俗はコク登板は白木えと いうことはあ文脈上誰にも理解できること であります え日本でも野さんえ中国士でも富伊さんえ 無視できないえ研究者ですでこういう研究 者がいくら力説してもですねあるいはあ ここにあるように朝鮮側の資料を見ても ですねえ その普通名刺にどの国が当てはまるかは 分かるにもかわらずですねえ日本国内でも 国外でもこの日本は日本であるということ を 言い続けるまこういうようなあ状況がある わけですがこの状況をどう見るのかやはり 日本に対する非常に強い実定性なくしては こういう現象はあ理解できないと思って おりますそれから重要なのはですねえ 先ほど吉田孝志さんの日本という国語が 選ばれたのはあ日の思想イデオロギーが あったからこの時代にえそのような イデオロギーが公用していたからあ日本と いう国名が選ばれたと言いますがこういう 説も成り立ちませんえ以前からあこさんが 言われていたようにえ日の思想などという ものは平安時代になってからだえこういう ことは以前から言われておりました え従ってえこの同時代資料によってえ今 まで吉田孝志さんが言われていたような ことはなり立たないということはあ寿命な 研究所確かなことだと考えられるんですが あそのようなことがなかなかあ共有でき ないという状況の中にですねえどういった 原因があるのかということを考えてみると ですねまあえて2つ上げるとすればあ 日本古代研究があ日本初期をいわば あ転化してですね日本古代子があ構築され てきたということがあるんではないかとえ
今1つは天皇号と日本国号との密接な関係 からあ天皇号の成立を7世紀初頭とする説 に組みする動かしがいま私から見るとこれ は進行じゃないかと思うようなあ信念への 行定えではないか と考えざれを得ませんで日本国語の成立 問題はま古代子の問題というよりはむしろ 近代における国民国家形成機の日本市研究 のま研究半径まパラダイムにあるという 言わざるを得ないと思いますでこういう風 に日本国後の成立問題やってみるとですね あの実定性の顕在化と言いますかまそう いうものが見えると思いますそれからあ もう1つはですですねえ実量国家あなる もの立礼性国家とかあ立礼国家あという 日本古代 のいわばあ研究の枠組でありますで 日本古代使はですねどのように考えられて きたかと言いますと おさ坂本太郎さんの考え方が1つの パラダイムになってるわけですががえ冒頭 に記しましたように日本古代使を立 more国家を中心に理解するという見方 考え方ですがあそれ以前はその準備過程 それ以後はあその変質崩壊過程として理解 するえ承徳大使の申請から大下の会心を経 て一病国家の成立を解きえ立国家の崩壊 過程を見ていくまこういう見方考 が日本古代における う見方考え方でありますでこういう考え方 は主義主張は別にして石田正さんのような あ丸議歴史学の立場からもそのまま継承さ れ石田さんは実量性国家という言葉を使っ てえまた自分の市長から日本古代国家の 形成過程を展開すると見ていくといううま 議論がなされておりますでいずれにしても 逮捕立量が701年の大砲日量が日本古代 国家の到達点と見なすことで一致しており ますえ力量性日量国家に類する用語はあ 最初は日本法制主の分野で用いられていた という点も興味深い事実でありますで そもそも立礼時代という表現はあ法制市の 滝川正治郎によってえ最初に用いられた ことに始まりますえこれは実量が国家の 基本法であった時代であるという今意味の 用語でありましたえその後坂本太郎市に よって立性という用語が確立しやがて立性 国家立上国家という用語に展開してきます で非常に注目すべきは滝川郎坂本太郎石本 いずれも大日本国憲法の時代に生まれ育ち えその後戦後の日本国憲法の制定が施行さ れ新しい日本が立ち上がっていく時代を 生きたがゆえに彼らは立礼を憲法にも近代 の憲法にも起すべき国家の基本法と捉えて いたのではないか
と吉田和彦氏は指摘しておりますで私は こうした吉田和彦氏の指摘は決してまれな あ唐突な思いつきではないと見ております え古代の大砲立量があ近代の大日本帝国 憲法のアナロジーであるという主張は複数 の論者が見てえ認めているところであり ます例えば私から見れば極めて保的なあ 学派にあると言いますかね え日本で名時代から行われてる研究にニト 立more比較研究というのがありますで このような研究グループの一員である大隅 さんもですね7世紀の東アジアにおいて なぜ日本のみが実量を体系的に刑事できた のかという吉田孝志の問いは明治以来の 比較法制士の給付を引くものであるがそれ は独自の実量を作った日本は朝鮮諸国より 偉いという認識を暗黙の前提としてる可能 性があるいわば大砲実量と大日本国憲法と のアジアナロジーでありそれはあ近代に 作られた歴史像であると指摘したあ理の 検討士と岩倉施設案とのアナロジーと パラレルな関係にあるまこういうような 指摘もあります えで興味深いことなんですが私が指摘き たいことはその今掲げている文章 は大津とさんがジュネーブのあスイスの ジュネーブ大学で抗議した抗議録の一部な んですがやはりこういうようなあ枠組に 沿ってスイスで抗議をするそうすると スイスではですねこれが公式な物の見方 考え方としてですねえ海外にルフされるで こういう考え方が考え方を需要したえ スイスの研究者とあった日本古代子研究者 はますます自分の見解に確信するという 構造は生まれないだろうかまこういうこと を私は考えるわけです国際日本学とはそう いうような循環が行える可能性がああると 思いますでえ最後にえ私はま誤りも立たす ついでにえ引いたのはえ会場にも いらっしゃる梅森直之さんが翻訳された ハリーハルトニアの近代によるえ彫刻と いう著作の中にあるえ柳田邦男に対するえ 柳田邦男の一国民族学とはどういうものか という 紹介をした文章でありますえ柳は早くから 1つの日本と彼が呼ぶところのものを継承 化する運動を行っていたそれは天皇と常民 よりなるものであり太古の時代から日常 生活の実践を通じて結びついたものであっ た柳田版の国民的語りが目指したものは 国家主導型の説明に対する補足に過ぎ なかったのでありそれはすでに天皇におい て焦点を結ぶものであった柳田は常民と 天皇を一致としてそれを太鼓の昔から存在 し都市の発展が日常生活の統一をりりし
つつある現代に至るまで途切れることなく 続いてきた日本という統一体を支える日本 の柱と見なした彼が試みたのはこの統一隊 を再構成するという仕事であった統一の 記憶は遺跡や人民の実践の継続を通じて 物語や信仰や人間品の中におかな光を放っ ているそれは現在において本物の場所を 本物の日本をそして日本人の意味を回復 するための地図を示すものと考えられた彼 の考えでは日本は常民と同様にどこにでも あると同時にどこにもないもので固定され て動くことのない場所に結びついてるま こういう え一国民族学の提唱者である柳田国男の 日本研究 をアメリカ人のハルトウニアンがこのよう にえ紹介してるわけでありますで私はこれ は高等向けなあアメリカ人の解釈という よりはあの先ほどのですね えここにある統一の記憶は遺跡や人民の 実践の継続を通じて物語や進行や民の中に ほかな光を放っているえこの言葉は非常に 重い言葉だと思っているのはえ今もですね え国立なら文化財研究所というところが 平常況を掘っておりますがこの お98年に奈良平常教典でえ出された図録 にはですねこんな文章が書いてあります なら平常教に都が置かれたのは世紀初めの 和道3年のことですえしかしそこに魅惑が あったのは70年ありでしたそれにも 関わらず21世紀を前にした本日まで約 1300年間日本人の心の故郷として行き 続けているのはなぜでしょうかまこういう ことがですね何の恥ずかしさもなく書いて あるこれ国立の研究所ですよあの民間研究 所ではないんですでこういうところでえ こう いう日本がですね振りまかれている日々え 振りまかれているでよく考えてみると平常 教の発掘ってのは1959年に始まったん ですが平常教の発掘っっていうのは一体 どういう経緯で行われたかと言いますとえ 日本の国士の海の親である黒克という人が ですね自分でお集めてきてですねもうお金 もない時代にえ1930年代もうほとんど 研究費など国から賄えない時代にえ財界に 働きかけてですねま一丁藤川を掘って みようと何の形も何もないところからです ね藤原教を掘り当てるまこういうことなく して平常教の発掘はなかったわけであり ますで私は最後に謝りをさなきいけないの は柳田の一国え民族学なるものがま一体 どういう景気でえこういったものを強い 意思を持って始められたのかってことに 関心を思ったんですが関東大震災があって
ですね柳田邦男はえ当時までジュネーブに 務めていたんですけどもえ国際連盟委任 統治委員会に務めていたんですがが関東大 震災の法を聞いてえ帰国しますで私の調査 不足でえ柳田はこういったあ外務省と深い 関係にある組織にいましたのでえまた二稲 の要請によってえ国際連盟事務時間の二 稲増の要請によってこの職につくのでえ こういった関東大震災 の中国人虐殺問題当時外務省でこれ 外交問題になっていたのででえあるいは あ柳田はあ内部に立つ前にですね人種差別 問題について非常に有利してますアイノ人 差別差別についてえ文書も書いて ますですからそういうことと関係があると 思ったんですがえ年配を詳しく調べてみ ますとそうではなくてですねえ私がそう いう思い込みを持ったのは え柳田邦男の南東論会場の道がえ第2世界 大戦後の沖縄占領に関わっていたという 研究があるのでまそういう国際的経義が あったと思ったんですがまむしろ年配を 詳しく見ますとそうではなくてですねえ 身内の問題であるとかですねえ後輩したえ 日本の状況をま11月に日本にえま1番 被害のなった横浜にですねえ上陸しま震災 の参上これ多分この年配は柳田国男の日期 から起こしたものだと思いますのでまあ私 のですね伊市でえ柳田国男の民族学の景気 については取り下げますけれどもまいずれ にしてもハルトニア氏の柳田市の民族学と はどういうものだものであるかということ は え日本なるものの実定性を相対化する時に え私がお話した古代市場の問題と共にです ね非常にテキストとして重要な意味を持っ ているんではないかということを持って ですねあの報告を得させていただきたいと 思いますご清聴ありがとうございまし たはいえりさんありがとうございまし た 日本人あの日本人民族のその成立について の構想がまま書かれてるわけですがまその 中でですねまずあのネンにい近代的 ネーションとしての統一の処刑をなす定住 領域言語民族文化心理の共通性というのは ポルクの長い歴史の中で形成されたもので あるとでフォルクというのは歴史的に形成 された社会的政治的文化的集団であると いう風に概念規定をされるわけですね そしてじゃあそれがいつ出来上がったの かっていうので古代にずっと遡って話がさ れるわけです日本ではですね1世紀までに 中国朝鮮とは区別されると明確に書いて あるですね中国朝鮮とは区別される一定の
定住領域で言語収束を共通する和人という フォルクが劣等主用部に形成されたまこの 和人という単語はこれは資料用資料から出 てくるいわゆる感情ご感情などの中国師匠 のに書かれてる和人というのをそのまま ですねえっと実体化して捉えてるわけです ねでえ日本におけるフォルク成立の特徴の 1つは中国という高度に発達した古代文明 が大陸に存在し日本がその周辺に若い未の フォルクとして成立してくるという事情で あるという風に言われてるわけ ですでまこういったあの石本さんのような 構想とはですね全く違う形で出てくるのが その先ほどナディアさんが紹介されてまた この1節も紹介されましたあの関明さんの 言葉です古代の科人は我々の祖先だったと いうこと日本の古代社会を形成したのは 主に彼ら科人の力だったということこの2 つの事実が特に本書ではっきりさせたかっ たことであるこれ端書きの冒頭なので本章 を開くとまず最初にこれが面に届くわけ ですねでこれがですね要するに色々とあの 皆さんがあのよく引用する文章でありまし てつい最近でもさっきもちょっと大さんの 話出てましたがつい最近も大さんがですね 大津とさんがこの言葉は今から60年以上 前とは思えない大変新鮮な考えであると 絶賛されており ますそれからこの著作種の中でですねあの えっとまあのこの解説を書いたのがあの 石田さんの著作ですねさっきのフォルクの やつを納めたこれが吉田孝志さんです実は で吉田孝志さんはえっとまこのえ関さんの 言葉さこの言葉を引きながらですね石田 さんのさっきのフォルクというものについ てのですね関係性について少し悩んだよう な書き方をされてるんですね石田は義姉 神殿などの中国精神に記された和を実態化 しすぎてるのじゃないかとで一方そのこの 関さのこの発言はララディカルな発言だと いうわけですねねと石田の構想がどのよう な関係に立つのか私はまだ十分な見通を 立てることができないとこのように言わ れるわけ ですでま そのま石本さん先ほどマルク主義的歴史学 のそのまある程度すごく実践されてきた その石田さんこういったものと関さの考え ですが実は関さはおそらくですねこういう ま理論的なその歴史学に対してえ批判的で なことをあえてやろうという側面があった と思いますあの関明さんの下人の端書き これ先ほど言ったように1956年に出版 されたものですがえまそのえっとま戦前の ことも批判しますが最近のという批判が
あるわけですねさらに最近では資料批判の 上に立って彼らの活動をできるだけ要する に科人の活動をできるだけ付けることを 省略し理論などによって直に古代社会の 形成を考えることが多くなった今日特に 下人の研究が必要だと考えまた本書に筆を 取る気になったのはそういう事情を痛感し てるからであるとこのように言われるわけ ですまこの理論などによって直にそれは 最近のっていうこれはいわゆるちょうど 50年代前半その出てきたその国民的歴史 学運動ま石本さんなんかも中心になって やっていたこれがちょうど50年代の半ば ぐらいにあの行き詰まりを見せる時期でも ありますまこういった状況をですね踏まえ ながらのものでもあると思いますが いわゆる当時のマルクス主義歴史学の一国 民族主義的発展論あるいは古代社会論への 批判を多分込めていたと思われますただ この 設には先ほどやはりナディアさんが言われ たようなあの問題があって関さんのこれも だけど結構絶賛される言葉なんですけども 研究上はですね祖先の数を計算してみれば よく分かることだが現在の我々の1人1人 は全て1000数百年前に生活していた 日本人のほとんど全部の地を10%20 受けてると考えなければならない我々の 祖先が下人を同化したというような言い方 がよく行るけれどもそうではなくて科人は 我々の祖先なであると彼らのした仕事は 日本人のためにした仕事ではなくて日本人 がしたことのであるとまこうも書かれます でその根拠になるのが例えば新鮮商事力と いう旧跡に余れたあの政治的に余れた師匠 なんですよねあのこういったものをま利用 されながらも言われるわけですしかしこれ は全然らしくないですよねそのま例えば その1893年の その田中基地のその内地雑論争というその えっと欧米列強に内地をあの解放するか どうかって議論があった時にいやあの解放 した方がいいっていう風に積極的に言って その反対派を攻撃した宅内地はそれを攻撃 する時にはこう言ったわけですね日本人民 といえでも決してドイツの人種ドイの決闘 によりなるものにあらずと古代にあれては 三観品のき主に当時三観もしくは品の分は 割にまさりこと著名なればその人民の移住 は我が黒人を利益したること知るべきなり しかして聞かして我が民となるに及んで なんぞ我が同法に異ならないよとまこう いったわけですがまよく知られてますよう にこういった議論は一方でその後にその 例えば日韓併合の時の日銭同祖論っていう
ものに展開していくということもま指摘さ れてるわけですよねあの木吉あるいはあの 和田の創設者にもなりますけども大現この 日韓併合の時のこの2つの文章はその時の のえっとコメントですねえそあのそれそれ をあの日韓平語はできるとなぜならば古代 にその経験があるんだいう話になってき ますそのまここでは日Grand基はです ね古来参観恵しよりきかしたるものまあの 先ほど言ったように木基あの先ほど神奈川 さんも問題されてましたがここでは木 Grandき恵も下と言ってますねいあの しるものその数花王子とでえこれらは孤 中量なる大和民族の一部となり他と区別 泣きもとなったとまあ大く茂信も同じよう にですねすでに我が王朝の頃よりして日本 人は聞かしてタ内の痕跡をとめる までになったんだとまこういう風に言う わけですからだからあの日韓併合はできる んだみたいな話にも展開していくまこう いった問題を抱えるような設でもあると いうことですそれからもう1つですね その下人の歴史あるいは人のま後にトラジ の下人の歴史って大体9世紀で終わるん ですよね教科書もでなぜかって問題なん ですがこれもま関明さんが明確に売ってる わけですその平安時代の前奈良時代の 終わり頃から始まるわけですけどもその 大陸あの機械人というのは大陸文化をま 持ってきた人だっていう話になるんですね でその大陸で形成された古代文化の成果 っていうのもうどんどん7時代の終わり ぐらいにはちゃんと取り入れてでえ制度 文物を取ることに急だった日本社会もどう やら1なくついてあはそれを十分消化する だけとなったんだということですでまこう やって平安時代の諸島旧席にかかる頃に なるといよいよここに下人の歴史の週末付 が到達するとまこの後もし下人がいっぱい 来たとしてもあまりもうその数字は変わら なかっただろうとまこういうわけですこれ は例えばちょっと前に書かれた井上三田 さんがですねちょうど時期近いわけま ちょっとあのなんでかこれ参考書みたいな 形で書かれた本なんですけどもこの中には ですねまもう我々がよくそのもう知ってる ような国府文化のかつての議論がそのまま 入ってくるわけですその大陸文明の消化の 徹底がまなされてきてでいうそのだから もう先の関さと非常にまシクするような 言葉が入ってきてそしてもうあとはその それをこ自分手で発言させるだけになって いったとまこうやって国風文化とわれる 日本の風度監修にねざした文化を生み出す 原因をなしたっていう風に言うわけですよ
ねつまり関さの地下人の歴史というのは まあある意味で言うと国府文化とかの議論 とまシクするような国風文化の前提にも なりうるものでありですから日本の古代 社会を形成したのは主に下人の力であると いう理屈にもなり得るわけでござい ますでじゃあキ科人という単語を批判して 生まれたトラ人というのはどうかと言い ますとまあの色々とまトラ人科人からトラ 人に切り替わるのはいろんなきっかけが あってま上田正さんの下人だけがきっかけ ではないんですけどもしかしま1つのあの 重要なあの言論になったことは確かであり ましてこの上田さんのあの1965年に出 た下人という本は科人と名を打ちながら科 ということを批判していきます中国の大化 村に基づく科に無無批判になってはなら ないありは実量体制の古代法的な機関観念 はまだ熟してない乞食や不には科というが 全く見えないと出てくるのは全部トラとか あトラという文字であるこれが科観念以前 の元々素朴な用事に用事であって日本初期 に出てくる科はあれはあのその後の人たち があの日本初期変3段階に作ったんだと こういう風な議論をされたんですねまこれ がですね用語としての化人を見なす問題 定期の重要なきっかけの1つになりました こうしてえっとトラ人になったんですが しかしですねトラ人というのはどういう風 に言うかというと上田さんは我が国土に 土着した外来の人々という風に概念規定し ますそして扱う時代は旧世紀までなんです ねですから結局ですね国民的関心に基づく 日本とか日本人研究としての下人研究の資 を継承したトラ人狼となっていくわけで ございますま私なんかその後に研究して ますが結局これを引き継いてしまうって いうことになっていったわけですねある 程度でその歴史用語としての下人トラジの 難しさってのは最近私ずっと言ってます けどもまあのある程度その上田さんの批判 は当たっていてあの日本初期のま古くから 下があるってのはあれは多分成り立たなく てですねえ日本初期の7世紀前半までの下 の記事は少なくてもですね原電では例えば 後頭ではまくとかやってくると言われてい たことあるいは漢字ではこれを渡来るとか 渡りくるという風に書いてただけのもの これを多分返者が機関の伝承に改変した だけだと思われますですから捉えは移動の 意味しか持たないあのあのしかも捉えって のはその例えばこ日本列島の内部で移動し ても捉え渡り来るなですねしこからあの えうを渡っても捉えたし顔を渡っても捉え なんですねあまそれだけじゃなくて例えば
あの中国証人のようにですねトラの総人 っていう風なのが出てきたりしますけども これなんかはやってきてそれで中国であ 日本で攻撃をした後帰りますこれもトライ です ねまですかまこういったことをしてあの 科人あるいはトラ人っていったものに対し てそれぞれに問題性を指摘しますがまこう いうことに対してはですねまそれはそうか もしれないがて言ってま大さんなんとから ま批判ももらいますが言葉の定義を超えて 著者ま関明さんこれは関明さんのことに ついてですが関が関明さんが言うように彼 らが我々の祖先であるということを意識 することが重要だっていう反論が返って くるわけなんですねでもその日本を開くと か日本酒を開くっていう時にこの我々って いうのが問題になるんだとまず思ってい まして我々は日本日本人にここの場合限定 されるわけでとことはこれ何の歴史なのか 誰の歴史なのか誰のための歴史なのかと いう問いかけをやったしは逆にしたくなっ てくるわけですでそれをどう開くかって いうのがむしろ問題なのではないかと思っ ている次第 ですということで私あのちょっとこっから あとは少し具体的なお話ですけども えま移動まトライする身体私はそのトライ というのは移動移住じゃなくて移動と見て ますけどもその移動する身体が持つ多元的 な書関係というものについてですね少し えっと簡単に私がまこれまで研究してきた ことをちょっと簡単にご紹介しながら ですそのトライしてくる渡ってくる人たち 移動する人たっていろんな関係を持って ですねあのいろんな関係を体の中に入れて もあのやってまいります例えばあの日本 初期の中にはよく私使いますけど帰国する 科人がいるってことですけども日本初期の 中には航空理想のエジがきかしてきたと すなわち馬宿の王子ま高大と書いてますが 馬宿の王子の先生としたということです けどもそれから20年後えエジは国に帰っ たとなってしまっていますこれあの木下は 後で付け替えたんで多分やってきたとしか なかったはずですがそしてその後のその後 ですね帰って帰った後馬宿の王子が死ん だら亡くなったらですねそれを聞いたエジ はですね私は国は馬のと違うけれどももう 心はすごく繋がってるという風に言うわけ ですねつまりこれは私は国は違うと言って いるわけですつまり馬宿のあエジの貴族は ク権なんですよねずクに帰属したまま多分 来てて帰ってるエジは航空領に帰属したま 和国で活躍して帰国したトライ層だと考え
た方がいいと思い ますでこういう風に考えてみると例えば 日本市の教科書今のあの現在使ってる日本 あの教科書ですね日本史の教科書山川の 教科書にはこういうのがトラ人の説明の中 にアカ文化ですがトラジは活躍あの活か 文化はトラ人の活躍待ってくだらやコク そして中国南朝時代の文化の影響を多く 受けと出てきますがここに中がついてます であの客中がついていてあの客中にこ書い てあるんですねくだのそ貫禄が歴法幸 のそうど長が祭式神罪の義法を伝えたと いうという風に片して書かれてていわゆる くだの貫禄がですねえこのアカ時代のトラ 人の代表として書かれるわけ ですしかしその例えば日本初期を見ますと えっと例えばくだの方士貫禄表を立てまり てで持って曰くというんで運ので我が君 日本天皇の建設を聞きたまいてとこう出て くるわけですがま日本天皇というのはあの まえ日本初期の住職だとしてもですねこの 表立てまったっていうこの文書の惹かれて いる我が君というこの文章 です貫禄はですね実は捉えしてから30年 経ってもくだらをを我が君と呼ぶわけで ございますがこの我が気という用法を日本 初期で他に探してみるとほぼこれは高施設 が本国の差して用いる言葉となってい ますこれが問題ですねでこういう風に ちょっと考えてみますとそもそも貫禄とは 何かっていうことが気になってくるわけで その例えばですね有名なその五郷博士など は交代であのやってきたってことはあり ますあのよく言われますがここでえま引い てるようにご博士の王龍機をですね孤あの ま長案に変えれたっていうとこですが孤と 書いてますがこれはくだらの簡易ですくだ のの簡易を持ったまま和のとこに来てる わけでこれはくだくだ王家に除してる所属 してるということになりますでそれだけで はないお坊さんもこれ交代してるんあまり 言われないんですがお坊さんも来て交代し てるんですよでこれは554年のことです で日本初期で言うその仏教公電は金明13 年552年でございますがもしかしたら この人たその時に来たかもしれませんが その前から来てるかもしれないわけですね あの大体そんなで移動しないのでおそらく 仏教公電以前からそうは来ていた可能性は 考えなければならないと思いますくだら からでこれも変えられてるわけですねでご 教くだらはご教博士でなだけでなく総も 交代で派遣しているとそして五教博士は くだの神を持ちくだに帰属してることは 明らかであるそしてえ貫禄はですね王を
あのくだらの王を我が君と呼んでいると いったこと こういったことを考えますとですね貫禄と いうのがいわゆる我が国に土着した云々と かって話じゃなくてくだら貴族のまま輪に 使えた30年経っても20年経ってエジは 帰国してますが30年経っても帰国して その後帰国したとは言えないのではあ 寄こしてないとは言えないのではないかと も思うわけですつまりこういうようなその トラジという風にぐられてる人たちの身体 を日本の中あるいは日本酒の中に分って その中に吸収していってそのま祖先とか そういったものにいくていうことが そもそも資料から見るとかなりなんてか私 的に読まれているっていう気がせざる得 ないわけなんです ね他の例をちょっとお話したいと思います もう1つですが えっともさらに古くなって今度は中国系の 人の移動の話ですけども4世紀の初島です ね左のま精神からえ精神あの 中国精神が とりあえず中国のかなり大半を支配して いくわけですがまその後え北の方が下北の 処族が氾濫しまして真がずっと南にえっと 追いやられまして下北はですね516とま 族に言われます分立攻防時代に突入いたし ましたこの中でえっと下国の相談や落 prob軍大保軍の滅亡によりまして中国 系の人々が東方へ中国の東方地域にま亡命 していくあるいは流れていくということが ございましたでえこれについてはですね あの武田幸夫さんがも指摘されてるように 東方に亡命した中国系の人々は真という ものに対しての怪奇思考真というものに 帰属してなので真というものに対する怪奇 思考が非常に強かったことを指摘されてい ますでこういった人々は日本列島にも流れ て特にワノにはいたことが確実で例えば5 世紀後半のあの熊本県の江船山古墳の立命 には作当者いたですが書者長案この右側の やつはあの東白がえっと展示今もあの展示 してるやつを写真撮ったやつですけどもと あのえ書者長案なりと書いてますねでこの 長安という人これは中国系のせを名乗って いますそれからもう1つ明らかに分かるの が宗女和国典ですけども425年にですね 和王の3が柴の争奪という人を層に派遣し て中国の層に派遣して国書表を立てまった とあるわけですでえこのシというのはこれ は肩書きですねあのま古代ではもうよく 知られてることですけどもワオの3がです ね層から安東将軍という称号をもらうわけ ですねその将軍号をもらったことを根拠に
あの中国の制度に基づいてえ将軍をもうと この俯瞰をけ俯瞰を受けるということで 長子芝とか守護とか高層とか参軍という 肩書きを持つ人たちを受けるのでそれを その肩書きをつけて中国系の人を和国に いる中国の人を層に派遣してま中国対中国 交渉させてあるいは国書を提出させている ということになりますで同じような累計は まあのくだでも見られることもよく指摘さ れてますまくだの俯瞰というのはこういう 風にま分かるわけですけども大半がですね 中国系の性を名乗っていますそしていずれ もですねえっと体中外交でまあの資料所は っていうかそういう資料で残ってくるから それは当然そうなるってこともあります けどもでもあの中国とので活躍してたり あるいは体中外交で出てきたりするって いうことなのでえ層に派遣されて和の国書 を法定した芝の争奪との共通性っていうの はまあるわけですねそこで私が前随分前に やった仕事ですけどもじゃあ国書の中に 何かそういう痕跡があるであろうかという ことでまあのこの時代の国書あの和国の ものとくだのものと2つ残ってますが和国 のものは除和国での中にえっと237文字 部のあの上表文というのがですね総の工程 に当てた470年のもの78年のものが ありますこれは部分的に省略されているん ですけれどもまあの237文字あるんです ねでえもう1つえっとおそのもう6年しか 差のないところでくだ王Kという人が北に 出した今度あの相と敵対している国技に 出した上表文がありますこれは539文字 えっと国書が収められてましてあのさっき のワブの上表分の倍以上文字数はあります でこれをまあのデータベースを使いまして えこのこの文字をこれは王様の外交文書と して工程に出すわけですけども初期感が 書いて素案を書いてこれを出してる でしょうからそのまネタと言いましょうか この悟とかあの軸っていうのはどういう 中国の古典に基づいた用事に基づいてこれ が書かれてるかっていうのをやあの調べて みたのがこれですでこの棒グラフですね青 青の防線はこれはあの議長に乗せ載って いる472年のくだ王の北芸の上表分です それから黄色はですねえっと和部のえっと そえの上表文でいずれもま基本的には青が 長いわけですねまあの上にある掃除と議長 はこれに載ってますのがあのあの引用 するってこはないんですが一応ま仮に置い てるとしてまそれ以外で見ていきますがえ 問題はですねだから青がどうしても長く なるのは文字数が倍上あるわけですからま 大体倍近くあれ倍以上伸びるのは当たり前
つまりヒット数をこれ棒グラフで表してる ヒット数なんですが見ていただきたいのは 青は青黄色は黄色で何を参照してるかと いうことなんですがま青にしろ黄色にしろ つまりくだにしろ分にしろ新庄三国士五 関定勘定式真珠差しでも1ここ来るわけ ですこういう頻度で来るつまり えっとこういうようなものをよく使うよう な形でえっとあのまなんていうかな外交 文章使ってる多分その作った外交文書書い た人は同じような勉強方法というか傾向 中国古典に対する知識を持ってると見られ ますでその中でも心情というのまこれ心情 はですね実際はあの東台のものしかないん ですけどもま原状があってそれをま作ら あのベースにされてるというますそれから あとま心情で使われてるものはですね大体 見乗りとかそういうとこで出てきてるよう なものが多いですねですからまあの寝台の ご用例を使ってるってことはこれ動かない わけで要するにやっぱりあの特に真って いうものを強く意識するような傾向が見 られるそれは先ほど言ったその武田幸夫 さんなんかが指摘してるようなその中国系 の知識人たち東方に移動した人たちがです ね新界機思考がが強いと言ったこととま 関連する可能性が高いつまりこういう人 たちのはそあのあの時に移動した人たちで あると思ったんですが問題は時期の問題な んですね実際出てくるのが4あの5世紀の 後半とかなってくるわけですで中国東方 社会で活躍した中国系知識人っていうのは 大体まあのまず下北の相談ってのが430 年代に一段落してましてで秘書でもですね あのま分かるのが430年代にまえっと 中国系知識層の流入が見られるんですが その後大規模にドドドドと来てるってのは あまり分からなくてまか全くないとは もちろんないんでしょうけども移動はし てると思いますがただやはりですね5世紀 後半以降の中国東方省国の中国系知識人 っていうのは全部を中国系生まれだとかっ ていう風に言えないんじゃないかと中国で 生まれてない可能性を考えなきゃいけない んじゃないかという風に考えるわけ ですそうするとですよ子孫は中国系の 先ほど言ったように完全に中国系の文化を まま例えば漢字文化なんかに示していくと いうことになると中国系の文化を継承し てる可能性が高いわけで発付きですがこれ は一体どういう風にしてやってるのだろう かという風に考えるわけですでその時にま 留意されるのが性の問題であります5世紀 の輪でですね確認できる性を持ってる人 ってのま我今は我々持ってますがその正
確認できるのは和王族と中国系の人さっき 見たさ長さと和さだけなんですよで和王族 の和という性は東アジアの関連に習って 中国と外交する時だけ便宜的に名乗ってる ものと見られますだから除ではですねあ 安東将軍和を和せとはっていうのを名乗り ますが鉄拳の中国内で流通するものになる と突然それは消えてしまいまして若たける 代用になっちゃうわですね性が消えると いうことで国内的にはいらないつまり5 世紀の和人社会は基本的に性を必要とし ない他の人たちも全部性はないですただ 唯一性が見えるのはさっきの長安さななん ですよつまり例えば作東者は板になって ますけども正もありませんしかし書者は 長安なんですねつまりこ日本日本じゃない 和の中では生はいらないんです よ名乗らないといけないってことはないの に名乗ってるってことになると若子におけ る中国系の性の名乗りというのは要するに 和人社会が規定したっていうよりは彼らの 独自の社会環境との関係で考えなきゃいけ ないということになるかと思いますその時 にま留意されるのがあの中国市の小方さん が言われたようなその中国の生というのは 新刊以降種族名ではなくて家の干渉である とか支配層は私的な家で成長し公的な地位 を得ていたというようなあいわば私的な家 で私的な家で育ってですねそして公的な 地位を得ていくま家庭教育ですよねそれが 行われていたっていうことですがま実際 心情なんかを見るとそういうのはいっぱい あってそのま細かく見る時間はないんです けどもそのま家柄あの家の伝統みたいな ものがせ性の継承と共に出てくるま生の 継承するということが家の文化を継承 するっていうこととま一体的に出てくる 表現されていくわけ ですまそれだけじゃなくて例えば文字文化 を持つような人たちについては書物を継承 するということがありまし たそのこの判定という人はですねもうあの その 書物をずっとその代々持っていてまあの 私的図書館になってその周りにも貸してる んですがまこの膨大なに継承されてる書物 が彼らのあの文人としてのですね え地位を家で継承されてるものが保って いるわけですだからあのま平安時代のその だ からせあの藤あの菅原みたいなですねあの 日本だとそういうのであの 菅関係みたいなものはそうなってくるわけ ですがまあの中国ではもう早くからこう いう状態ですで書物の継承によって家の
文化を継承するということ ですでさらにですねこの書物は戦乱移動し ますえ例えばですね伊というこれはあの 全身でですね あの出世した伊という人のお母さんこの人 はですね幼い頃におお母さんがなくあの お母さんが導師というのはお母さんが 亡くなったのでお父さんに育てられたとで お父さんは彼女に我が家は大々習慣を学び 伝えてきたこれは肝心の基本の教えとなる が私はこれを伝えるべき息子がいないだ からお前がこれを学んで高成に伝えなさい と言って週刊の読みと意味を伝えたこうし て低下相談の中もあ総司はですね週刊の 暗証をやめず三頭に追われた際もこれは あの家国の相談で党に追われた際もですね 父の与えた書物を背負い逃れたそして彼女 は息子にこれを教えて息子が出世したと いう話つまり家の文化ってのは本来ですね まずはおその総子のお父さんの言葉から 見るに同性の息子に伝えれるべきもので あると本来はと考えられてるわけですね しかしあまそれがいないのでこうなった わけですからもう1つは知識人はこの時 書物を抱えて相を逃れてるっていうことが あったということですねでこうやって家の 文化は何としても継承しようとしてると いうことがわかり ますでこういったものをですねま最近の そのえっと先ほどあの大軍防止で日本の 問題になりましたけどもまそれ以外にも このま中国で出動する中国系の高人とか高 下人母子の中には中国系を称する人々が おりますでこれはもちろんあのえっとその まま正しいとは言えませんけども例えば あのえっと臨母子とか理会母子えあるいは 出軍母か一族の母子まあの一族の場合は 特に早いもので参照しますけどもえっと 基本的にはですねその下北の相談で移動し てその先祖来のせをってるっていうな言い 方をするわけですね文化を継承してでこれ はあの例えば両党の利子が本当かどうか 分かりませんしえある程度熱動はされてる かもしれませんがでもとにかく問題はです ねコクやくらではこういったそのこのモデ ルっていう方これで語られるっていうこと があるということですくだ国立では5世紀 以前の中国系知識時の生徒その文化がこれ はあのもうその後もかなり長くですねある 程度質に継承されるような環境があったん じゃないかとまそれはですね例えばくだは ですねえっと大守合っていうの称号5世紀 とかあの与えるんですがそれは中国系だけ なんですよねつまりそういうようにパック してそれを維持しようていう発想が多分
あったんではないかと思うんですでこれが ですねあのまもちろん指標者上これが事実 かどうかって問題があるかもしれませんが 和国に対してみるとこういうこと自体が 起こらないわけですそもそも日本初期で こういうような累計あじゃない日本の中で はそれ和国の中で全起らずに例えば日本 初期ではですねえっと有益天皇は調和 対する文人文字岸者の武のすりの青と火雲 の民の使い墓を後に度々派遣したという 伝承がいっぱい出てまりますこれは おそらくですね天皇に禁じして中国南朝ま 5外交に関わった文字口者の伝承というの は先ほど見たような5世紀の中国系の トラジの伝承と見ていいと思いますが しかし無のすりとかひくの民の使いとかっ て言ったものはこれはこれは中国のせいで はないこれあの6世紀にトラ系技術者を 集めて編成した大和の綾というあのえっと トラ系士族のざっくり性の1つ ですで青とか墓とってのはまぽいわけです がその中国生あ中国ぽいといえばぽいま 分かりませんけどもまおそらくですね中国 生は6世紀成立の和の線に置き換えられて しまい中国風の生のみが伝わるというのが 和国の状況なわけですですから中国系の家 ってのはもう和国では絶対にあの維持は できてないわけでで王家が編成した族組織 に吸収されていくということになりますで なんでこんな差が生まれたかなんですが 分からないんですけどもおそらくくだらや コクやくだらとそれからはていうものの 中国との関係の差は影響してるのではない かつまり漢字文化に対する向き合い方に ですねやっぱ差があったということが6 世紀なんかやっぱ五教博士とかの問題が あって確かに和国の中では漢字文化が進化 したようにも見えますがしかしちょっと あのあの朝鮮半島なんかの状況とま照らし て考えるとやっぱうという気がいたし ますでえっとですねま そのこれえ例えば大和の路の伝承はどう なるかというとこれあのえっと食日本木の 坂上の借玉の上表分坂上市っていうあの聖 大将軍の有名なあの坂上市はですねこれ 大和の綾の出身ですけれどもこの山彼が 言ったその祖先伝承これを見るといっぱい そのある意味で言うとそのさっきの東方に 逃れて行った中国系のですね人々の伝承と おしものが入り込んでいるわけですねえ 中国を出て大砲軍に行きとかですねその後 あの私の住民は大砲にあるとその人民は 男女を問わずあの再現を持っていてくだ国 の中間地帯に住んでいると言ったりする わけ
ですしかし最後に大砲のたの男女はですね こういった人々は今我々現在の諸国にいる 怪しはの公だって言ってるように中国形式 地の伝承ってのは大和路全体の種族伝承に 公設されてしまっているわけですねつまり これはえっと先ほどのえっとなんだ中国で 出動 するう下人やコク人の母子とは全く 違う状況というあるを得ないわけ ですまこう見ますとですね東アジアにはを 影響する身体っていうのにはこれ同じよう にあの中国系ルーツは同じような方形で 言ったんでしょうけどもその後の移動した 地域によって変わっていくということが 起こるわけでその幹事文化を共通の基盤と しながらですね歴史上の社会的文化的地域 的な際この際は国民国家を見た時の際とは 別のその当時あった何らかの差が発露され てるわけでこれが一体何なのかっていう ことは つまり国民史的な枠組はを相対化した上で なお残るこういったものをどう考える かっていうことはこれはやはり重要な問題 になっていくだろうと思うわけです ね残り時間でちょっと簡単にもう1つ言い たいのはこれあのsguでよくあの報告し たかなり報告したのでことなんですけど あともう1つ私ずっと注目したさまっての よくやってたんですけどもそのさってこれ あの時代がずっと新しくなりますあの えっと9世紀あの13世紀とか14世紀の ま中世の石頭でありまして九州北西部南西 部に分布する石頭ですで50規定あります がこの分布ドットが落とされているように ほぼ九州の西方博多と長崎とそれから 鹿児島になるんですねで最近ですね一期堺 博物館であの1つ墓地から出てきてたん ですがまこれはあの例外的にポンと飛んだ んでこれはどうしてそこまであるのか ちょっと問題なんですがまこれを置くとし てもま基本的には九州に分布するでこのさ 島については中国人法さの売石と見られる 材が持ちられてると人法ですねというのが 指摘されていますそれからもう1つはさ党 には日本の他の石頭には見られない中国的 意象が認められることも言われていますま あのこれえっと写真でそれぞれ比較して見 ていただくと分かるようにまこういう非常 に似たような形になるわけです ねでおそらくですねこれは日本に来行した 中国江南商人とかかる石頭じゃないかって いうような見方は結構有力な見方になって いるわけですまあの分布とか業体もあの 江南に多いわけで えいうことです
ねただそのさ党の識と完全に一致する中国 石とは未だ見つかってないです私も探して ますけどなかなか見つからないみんな探し てますが見つからないで見つからないかも しら ないつまり中国様式を維持しながら日本で 変容してる可能性やっぱ考えざら終えない ですねだ意も中国産のものなんですが しかし えっともかしたら注文生産とかそういった ものかもしれないでさ党の名文というのは えっとこれあの昨年のSで私が報告したん ですけどものイベントで報告したんですが 名文の分析をしましてこれはどう見ても えっと中国のものだっていう話もあったん ですが全く日本中世の元文としか読めない ものでありまし たそれから殺党の分布はですねえっと博多 周辺背山地長崎鹿児島に集中していますで 以後日本の石とに直接的な影響を与えない 地域的な文部と地域的な文化系の中に とまってしまうわけです ねですから私は日本の自社とも密接な関係 を築いた日本を地拠点とする中国系証人の 進行まこれが日本の人たちとこう ハイブリッドで結び合いながら出来上がっ てるものではないかという風に考えてい ますま公務ますとですね中国の解消のト って言った場合は日中交流士ではなくて 地域間交流の中でこの中で行く我々って いうものの世界は日本人中国人とかじゃ なくてももっと地域的なしかし影響的な 広がりの中で存在してるようなあのこう なんかなその宗教的な我々感なんじゃない かとまこういう風に思うわけ ですでえっとちょっとあのまSの総括で ございますからまこういったこと気にし ながらですねえっとま先ほどあの古野先生 からも少しご紹介いただきましたけども 私たちのその歴史分野の方でではその民法 大学と連携しながらこういうことを意識し たワークショップをやってまいりましたえ やっぱりそのそれを国と国じゃなくて地域 地域間連携の中でどういう風に広がりが あるのかそれの中で日本っていうものを 相対化しながら捉えていくっていう方法は ないかという形でえ2019年にですね これ左の写真はえっと2019年の写真 忍法台で行った写真ですがまいろんなあの あのまヨーロッパの方々も来ていただき ましたけどもえこういうなイベントをやっ てま昨年までこれをやってきてますまここ にはかなり学生とかも加わっていただいて 積極的な発言もいただきましたまこういっ たあのまSGは今回このあのあの文科省の
ものとしては終わりますけどもま今後です ねもうこういったあのイベントあるいは こういった活動を通じてえまわの中でこう いった議論があの維持されるあるはして いきたいという風に思っております以上で 私の報告を終わりたいと思い ますはいえ田中さんありがとうございまし たそれでは本日最後になりますけれどもも えコロンビア大学のマイケルコモさんに ですねえ年と古代日本の2つのパンテオン というタイトルでご報告をお願いしたいと 思います えコモさんはあ全近代ま特に古代のま宗教 師を中心にまえまあのアメリカの大学で 活躍をされておりますどうぞよろしくお 願いいたし ますすごく緊張してます いいいいですかはいはいどうぞはいじゃあ コと申しますどうぞよろしくお願い 申し上げます あの始まる前にまずまずいパワーポイント を作ってどうもすいませんでした私は徹底 的に全近代の学者 ですそしてもう1つの謝りはあの英語でも 日本語でも私は非常にゆっくりと喋る人 ですそして田中先生の後で私 が講演することは非常に苦しいこと ですじゃああのま始めましょうこのあの この発表はあのまあの田中先生とあのナア 先生とはちょっと関係があってあのトラ人 人間を注意しなくてあのトラし たものあるいは技術をすればあのどういう ことをあの新しく日本の宗教かあるいは 日本のナショナリズムにはには何か新しい 観点ができるあでき上がるかどうか ちょっと あやってみたいと思いますじゃああの始め ましょう日本の宗教研究における ナショナリズムの問題は少年に渡る問題 です今日はその由来について簡単にお話 話してから私が日本の宗教市をより相対的 に理解する新しいを提案したいと思います どうぞよろしくお願いし ます私は日本古代日本の古代宗教の専門家 だからこの時代の宗教についてのみ話し ます天皇制度と日量効果がこの時期に成立 したからこの時代は日本のナショナリズム の重要な原点の1つだと言ってもいいと 思います最終的に私のこの時代の宗教に 対するアプローチは一般の人のアプローチ とはちょっと異なって皇室の儀式とか日本 国家の出来上がりとかに焦点を当てるので はなくむしろこの時期の物質文化に注意し たいと思います国外また国内のものと技術 の総合交流を注意すれば新しい日本宗教学
が自然に成り立つではないかと思うから ですまず日本の宗教市が日本と西洋でどの ように研究されてきたかについていくつか の観察から始めましょう1つの重要な ポイントは日本で宗教という概念の始まり が日本の大学制度の創設と同時に明治時代 にあったということですその時明治政府は 西洋のプロテスタント国の一般的な宗教官 を作用しましたこの関節では宗教は物質的 な世界より精神的なものに関係関係してい ますつまり宗教は信念と信仰に関するもの だという考えと考えられていました一方 魔術や名神は宗教に似て似ても物質世界を 変ることに焦点を当ててるためってると 考えられていましたそれで新党学と仏教学 の研究は急速に確立された学問となりまし たが音名土は名神として避難されああ弾圧 されましたさらに非常にに強い政治圧力に より仏教と信徒の学問は別々に発展しまし た日本明度はほぼ完全に無視されまし たもう1つおそらく最も重要なポイントは 宗教と信徒の理論が明治のナショナリズム の基礎であったということです日本は新国 つまり神の国で新党は国体つまり日本の 精神的中心変の陛下はその制度の頂点に あって日本の国民天皇そして神々はみんな この制度に統一されているいうという イデオロギーでし た今日の日本には日本の古代仏教浸透音名 堂また物質環境などを非常に詳細活優れて いる研究されてい ますしかし明治時代の影響が2つのところ にさらにあるという気がし ます1つ目はこれらの研究分野をもっと 統合するためにさらに多くの努力は必要だ と思います非常に多くの場合仏教学者は 僧侶が人員の中で何をしたかという問題に 焦点を当てます 同様に新都学者は通常神社や宮殿での侵食 や神技感の活動に焦点を当て ます明治時代から続く影響の2つ目の ところはこれらの宗教的実践が天皇や国家 とどのように関係するかに強く注意されて います古代の新党学にこの傾向が特に 立てると思います私の推測だけですが おそらく古代新党に関するの研究が80% 以上は神義官の活動式内者の祭祀あるいは 日本初期や工事機の神話に関するもので あると思い ますさてこういう問題を直すためにどうし ましょう私の研究は8席から9席の宗教 生活に焦点を当てていますが今日は10席 後半の口ずさみという文献あを読んでた時 読んでる時に浮かんできた謎から始めたい と思いますその非常に興味深い文献
は970年に皆本のためのりという知識者 によって変されましたためのりはこの7彼 の7歳の藤原少年の生徒への入門省として この作品を作りまし たためのりは条文で艇で成功するためにし ておくべきことを全て教えるつもりだった と書きましたテキストは医学建築音楽動物 などのカテゴリーを整えた子供の百貨時点 のように構成されてい ます私はこのティがテクストがいくつかの 理由で非常に重要だと思思います第1に 日本領域を例外としてこれはその時代の 唯一首都での日日常生活について話す傷物 である第2にそのテキストには専門的な 知識は全く含まれていませんそれで重石 後半の常識つまりコマンセンスは一体どう だったかということを知ることができ ますさて黒で重石の日本の常識にどのよう な宗教的環境があったでしょう か首都の日常生活でどのようなな習慣が 目立っていたでしょうかがどのような神を どういう風に崇拝したでしょうかどのよう な呪文を使用したしたのか平安の魅の物質 的環境と宗教活動にどういう関係があった でしょう かテキスト内で宗教活動への言及を探すと 作品全体の最大のセクションが仏教に 関するものだとすぐ分かります意外に2番 目に大きいセクションは音名堂ですさらに 重要なポイントは本文の他のセクションで も仏教と音名道の両方への言及が多く見 られ ますこれはなぜでしょうか薬を飲んで酔い 日とか建物の柱を中に入れて良い日などを 知るためには命の知識が必要だったから です同様にテキストには16呪いも見え ます外で歩いてる時と時に未で悪魔を 見かけ見かけたらどのような呪文を唱える べきかまたお風呂に入る時に金の音が 聞こえる聞こえたら何を歌えるべきかに ついても書かれています また口ずさめには奥の仏陀菩薩神々への 研究も見られます特に悪魔赤人星の神かの 神そしてよくの種類のから神への言及も見 られます従ってこのテキストは首都の日常 生活には住文崇拝活動そして様々な種類の 少量でで満たされていたという強い印象を 与え ますここで私の疑問というか謎とかが 浮かんで浮かび上がります口ずさみの 全部全部をとして日本初期や工機の神話に 登場する神々の研究は1つもありませ ん神社にや 神神についての言及もありませ ん1つもない
ゼロさらに日本領域を見ると 鬼愛人空雷人などの話が出ますが日本領域 にも日本初期や乞食のパンテオンの神々が ほとんど見つかり見つかります1つの例外 はあるかもしれませ んそれで私が聞きたいこ聞きたいことは 日本所期や工事期に登場するパンテオンが それほど重要なのだとしたらなぜ都の日常 生活を描いた最高の文献の中に言及されて いないのでしょう か逆にななぜ大陸の神々がこれらの同じの 中でそんなに目立っているでしょう かこれは口ずさみや日本領域の中の何かの 偏見を話ししているのでしょうかそれとは 私たち日本の宗教学者は研究の方向性を 最高する必要があるのでしょう かさてこういう質問の意識しながら古代の かとそれぞれ物質的変幻を考え ましょう日本レトににおける最初の首頭の 建設 は神が崇拝される物質的な条件にとって3 つの重要な変化をもらしたと思います1つ 目は神を祈る神社の物理的な性質の変化 でした7隻には神を祈る神社はほとんど 自然環境の中にある神聖な場所でした石に なると神を祈る神社は神が宿る建物の形を 取るようになっていきまし た2つ目の変化は日本レトの あ横断する交通システムの構築によって もらされましたこれらの道は人やもだけで なくレコも日本冷凍を往来しやすくしたと 思われていましたその交通システムが日本 の宗教の発展に大きい影響を与えました 道路道路は制の伝線を不足に年させ多くの 人多の人命を奪ったため道路や駅神や悪魔 への境物を差し上げる非常に重要な場所と なりまし た同時に人型住文木管牧者動機などの 新しい最新の道具が中部日本各地でよよに されるようになりましたこれらの 最後は鬼や駅神から神などの大陸の気心 あるいは神々を祈るために使われていまし た従って投川は新しい空間に新しい最後を 整えた新しいパンテオンの神々の崇拝を 刺激するのに役立ったよに見え ますさてもし人々が自宅や道路で新しい 神々を崇拝していたとしたら神社の神々は どうなったのでしょう かこれにより投資家の3番目の大きな変化 が起こりました7席にはほとんどの全ての 人々の崇拝活動は地元の地元の村の神社に ありました一般に的にに彼らが崇拝する 神々は戦神や村の神でし たしかし首頭の建設により数万人の人々が 地元の神社から遠く離れて暮らすことを
余儀なくされましたさらに重要なポイント は首都内に新しい神社を建設することが 禁止されましたその結果日本の歴史上 初めて何万人のものな何万人もの人々が神 を祈る神社の内地に住むことになりまし た私は最後の時間には新しく来た大陸の パンテと日本初期時期の神々との違いを いくつかを予約したいと思います非常に 簡単に説明すると次のようのようですその 1日本賞金の神々は神社に祈れていました 対象的に新しいパンテオンの神々は道路や 人々の家で崇拝されました その2日本初期の神々は神義官によって重 himself管理され神社の侵食によっ て崇拝されていました新しいパンテオンの 神々は庶民あるいは一般の人々が直接 近づくことができ頂点によって管理される ことはありませんでし たその3神社に宿る神々は決まってる場所 にあると考えられていまし た対象的に新しいパンテオンの神々は非常 に同期機動力がありまし たその4初期の首頭では神社が禁止されて いましたから京都には長底を拝む神々には 宿るところはなかった最初的に新しい パティアの神々は泥を取って都に簡単に 入ることができほとんど全てののの鳥で 見つけられる可能性がありまし たそして最後の45番目のポイントは日本 初期の神々は文字知らずでしたちゃんと小 学校に行かなかったん です一方新しいパンテオンの神闇は住文 木間木所同機人型ななどの新しい最後で 崇拝されましたこれらのし最後には文字が 利用利用されまし た最後にこの公園の冒頭で述べた述べた謎 に戻りたいと思いますなぜ口には神義官の 神々がほとんど言及されていないという ことが私は尋ねましたこれは口ずさみが 首都の日常生活の物質的な現実をよく反映 していたからではないかと思います首都の 他の外にある伝統的な神々の神社とは対処 的に秋冬の住民は大陸の パンティアツプ神と 毎日共に暮らしてまたその中を歩いてい まし た最後の最後にまたナショナリズムと日本 宗教学の話に戻りたいと思いますこの口を 読むと明治政府の日本は神の国だという 意見は100%間違ったとは思います ただその神々は大陸から来たということは 非常に皮肉です以上 ですはいえありがとうございましたえっと ちょうど時間がま少しちょっと早いんです けれども本日のところはまあのこの心でえ
まあの終わるということになりますえっと ちょっとだけ時間あるんですが何かご質問 会場の方もなんかありましたらいかが でしょうか今までの総合的なところで結構 なんですがありましたらいかがでしょう か っと あ さオンライン のすいませんちょっと待ち ください あはいあどうぞお願いし ます ください ミすいませんあの手を上げてる方あの ミュートを解除していただけます かQ&Aに変えていただけますか あるいは ちょっと 難しいはいもしあればそのまま発言して いただければと思うんです か お前えあの聞いちゃった佐藤さんしようか ミュートになって ますミュート消し て あら えそれではですねあのちょっとまた時間も ありますので明日またあのお願いできれば と思いますので申し訳ないんですけれども お願いできればという風に思い ますすいませんあのちょっと不手がござい ましてそれでは本日はあのこの辺にしたい と思います明日の予定ですが10時開催と いうことでございますのでえまたあのお 願いできればという風に思います明日10 時からえ北方会主から問うということで ございます
2023年12月9日ー10日に開催されたシンポジウム「〈日本〉史をひらく Opening up “Japanese” history」のZoom動画(12月9日)
