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武田鉄矢今朝の三枚おろし 日本のお酒はスゴイ!※今すぐお酒が飲みたくなる話※

おはようございます武田哲也ですおはよう ございます水谷ですえというわけでついに 置いてしまったという感じでこれはもう今 もう必死になって読み込んでる最中はい これね日本というよりも大日本帝国が戦争 で負けたっていう失敗は一体その何故の 失敗だったのかっていうのをはい資料全部 集めて検討するというねこ軍略ものなん ですでねメンバーがすごくて都部涼一さん これ兄弟の政治学外交士の方防衛大学のえ 杉野義男さんそれから寺本さんえ吉谷さん ほ早稲田の組織学の方村井智秀さん東大の 軍事師金田新一常智大組織論の方野中次郎 キャリフォルニア代バークレイ高組織論 つまり日本軍の敗北をその防衛戦争組織論 政治論そういうものでもう1回振り返ろう という壮大なテーマですねこれはね俺も なんか昔ね夢中で読んだことがあったん ですよねはいこれちょっと問題のある言い 方かもしれませんがこの失敗の本質を読む 時にですねとにかく反戦とか平和憲法とか いっぱいあるかもしれませんが全部横に 置いといて典型的な組織論で割り切っては 戦争というものを 直した方が分かりやすいんじゃないかと はいその中で日本が負けた戦争を ピックアップしますけどもも全部負けてん ですけどあの日本はだから負けたんです けどその中でも有名な配線を俺ねこの失敗 の本質の中でねすっごくこれ気に入っ たっていうかねなるほどと思ったのは先の 対戦ねえある人は太平王戦争といいある人 は大東亜戦争と言っておりますがそのえ 戦争に関してですね日本は負けることに ついても失敗したのだっていうねへえ戦争 にはね負け方があるんだっていうほこの 失敗の本質というこの本はですね戦争を どう見るかというと戦争を最後の外交と 見るんですよ うんこんなことがあるそうで今年も間も なく終わってしまいますが大変気くさい 火薬の匂いのする本念だったし世界のあく からも火薬の匂いが漂ってきますが こういうことを改めて考えますとあれと こう少しこう思うことになるもちろんさの 対戦太平洋戦争大東亜戦争のことであり ますけども内容諸島において日本軍は25 の島に駐留し てる25の島を占領駐留してるんですね ええ米軍との戦争で米軍が上陸選挙したの が25のうちたった8つなんですあそんな 少ないんですか そう思うだろうんそのことがやっぱりその 振り返るべき戦争の内容なんだよなつまり 25の島に日本軍がいて米軍がその取っ

てった島ってたった8つしかないのようん たってやつしかないのになんで負けたんだ 思うよねはい不思議ですうんつまり戦争と いうのは8つ取られただけで負けちゃう ものなのようんこの失敗の本質っていう本 のその分析の仕方の面白さは日本軍が最後 まで守ってた島がいかに戦略的に無かちな 島だったかうん大事な島は全部取られて はいだから負け方に関しても失敗したので あるというね量より質ってことですか戦争 についてはねあそれはこのあの戦略論とか 戦術論とかいっぱい難しいのあるんですが でも私はなんかこういうことからしてもね あのもう2度と戦争は嫌だとかっていう メッセージの前にどんな風に嫌な戦争だっ たかっていうのをはっきりこの目で見ると いうのもこの 年重要になったのではないかなっていう風 に思うんですよねはいえこの失敗の本質と いう本はもう未だにあの売れ続けている本 でありまして新しい資料も加えてなんと 45釣りうん本年でだからなかなかの名所 なんですよねはいこう日本人が犯して しまった失敗っていうのが実はそのなんか ただ単に戦争だけではなくてね経済とか 文化の組み方にも実は日本人のというのが あるのではないかというねで明日からね野 モハの戦いこれを3枚に下ろしてみたいと 思いちょっとネタがでかいんで下ろせるか どうかでも極力頑張りますんでお付き合い のほどよろしくお願いいたします武田哲也 今朝の3枚おろし おはようございます武田哲也ですおはよう ございます水谷かですえ2012年本屋 さんに置いてあった本でありますが超入門 失敗の本質これは鈴木さんという慶王卒の 組織ビジネス論マーケティング コンサルタントおやりの方がま戦争と ビジネスの最前線を重ねてというま戦争 からビジネスを学ぼうとはい失敗の本質に 関してはこの本をも一度読み直したり 新しい資料であの戦いを再検討するなんて いう本が今年結構出ましたねはいでね 読み返すとねつくつく考えちゃうんね なんかね戦争についてねあ今回まな板の上 は日本の陸軍の大失敗でありましてノモハ 事件これかさんも首品でしたけどま我々に とってはもう記憶に遠いと言いますか私 ども戦後世代も知りませんしかさんなんか も世界史ではいちょっと名前ぐらい聞いた ことがそう日本酒で出てきたような気がし ますねモねメジェがについて演説しました ね知らないかえっとノモハの場所まで行っ てモンゴルの人たちとロシアの人たちを 合わしてえ日日本をやっつけたここが古川

上で我々は国際的な地位をここからの勝利 で勝ち得たのであるというねはいでもか さんやっぱね戦争の解釈って本当に政治だ ねうん俺改めても6冊ぐらい3枚にすた 読んでんのよ本ははいもう読む本ごとに 違ううん今年ですよメドベージェフがあの 野モンハンで日本軍をやっつけた戦勝記念 のパーティーをやったのなんでそんなこと やったとカさんいや俺もねそれはやっぱり ね買った戦争だからいりたいってのと日本 が確かにあんなバカな戦争やったからと 思ったんですけどもどうもそんだけじゃ ないというのが戦争の味方でねうんモハの 事件というのは陸軍が大失敗しただけでは なくてスターリンというやり手にもう散々 やっつけられたっていう外交でも負けた 失敗なんですよはいそのスターリンという のがヒットラーと手を組んだばっかりに ロシアの人の中にずっとわかりがあって 最初お前らヒトラーの仲間だったじゃねえ か日本と同じっていうね日本もヒトラの 仲間だったわけですから一緒にされて たまるかっていうのをメドベさんはどうで も言いたいだから北方領土返さないんです よ日本に勝った証拠って北方領土取ってる 以外ないんですようんということは戦争は もちろん日本反省しますよひどい戦争した んだだけど解釈に至ってはそう簡単に できるもんじゃないんですよはいこの辺が 難しいところでねで私の大好きな柴亮太郎 さんはこれを書こうとしてはっきり言って 失敗なさったんですよねえ失敗そうなん ですよそれはね資料を集めるのが難しいの と作戦指導に当たった人がね割と生き てらっしゃるんでまだね歴史として乾いて ないんですよはあの先の戦争は乾いてない んですようんだ非常に扱いにくいんですよ ねはい野モハ事件を振り返ってみましょう え時をどこから振り戻しかというと 1939年昭和14年5月9月での出来事 であります状況は日中戦争これも3年目を 迎えておりますもう泥沼ですね日本にとり ましてはで大日本帝国学校に関東軍という 軍隊を置きまして対中国対中に対して小 戦闘小さな戦闘を繰り返していたわけです ねで寄せばいいのに失敗の大一歩ですが この関東軍というその軍事専門に治安維持 などの大きな権限も丸投げしてたんですよ 日本の陸軍はそれで関東軍はここは全部俺 たちが任せてもらってるんだっていううれ があって東京にある大本の言うことを聞か なくなっちゃうんですよはいもうこれが 全てですねあの大東亜戦争のあの太平洋 戦争のびさはねで1番最初はもう同じ尖閣 と同じちっちゃな国境紛争だったんですよ

これは春川の北川というところにおいてえ わずか20名前後のソ連軍と日本軍の武力 衝突からものすごい勢で戦果が広がって いったというだから本当にちっちゃな日で 国境というのは一辺に全面戦争になって しまうところなんだということを覚えて おきましょうえそこの地点えにはですね第 23指団長小松原新太郎中将という人がい ましてえ歩兵第64連隊第1大体にえ出動 明示その直後に関東軍軍令部にこのことを 報告したこれに対して軍令部は相手が油断 した隙に突如襲えとでその相手が油断する まで待てと言って軍隊をとめたんですが もうこの命令自体が恐ろしくファジーなん ですようん中途半端な命令というのが いかに軍事衝突があった場合後に大変な 悲劇を真かの第一歩学校に記されたわけで ありますさあその悲劇の野モハ振り返り ましょう武田哲也今朝の3枚おろし おはようございます武田哲也ですおはよう ございます水谷かですま負けた戦争の話 ですしね暗い暗い戦争のえ話であります からもうカナさんが全然食いついてきませ んえ私もしまったとは思ってるです そんな元の本が難しそうな本だなと思って ちょっと自分のだなこれこれもう マネージャーにね調べてもらったのよこれ え何ですかそこれね軍隊の編成はあ1大体 とか1手段とかってあるんだけど何人か わかんないんですよそんなこと考えたこと もなかったですまあなほとんどな今自衛隊 関係者しかあのあれそんな単語出てこない だろうだけど頑張って勉強しようよはい やっぱ1番大事なことは素人がいかに勉強 するかだようんねうんそれもうもちろん反 原発ですよはいもあの反原発を2011年 からじゃなくてねなぜもっと前から始め られなかったのかっていうのはやっぱり 勉強してないからじゃないだって哲也さん すごい勉強されてましたもんねうんいいん だもいいはいあの本当乗らないと思います けどちょっと我慢して付き合ってください ねとにかくえ1939年え昭和14年考え てみれば私が生まれる10年前にこんな 恐ろしいことがあったたった10年でです よはいえ春川の北側の方野モ班とに呼んで おりますけどもそのエリアで大日本帝国の 兵隊さんとソ連の兵隊さんわずか20人 ばかりが接触し銃撃戦になったもう本当に ね小さな衝突だったそれが大戦火に広がっ ていくこの時に小松原慎太郎という中将は 歩兵64連隊第1大体に対して出動を命じ たんですが命じると同時にえその関東軍の 軍令部にそのことを報告しましたこれが5 月21日でこれに対して軍令部はソ連軍は

ぼーっとしてるんでこの程度ですよ言い方 はというのはこの当時日本の陸軍にあった のは前に1回勝ったことのあるソ連軍だ ねっていう思いがあるんですよ例の坂の上 の雲の記憶が忘れられないから舐め切っ ちゃってで向こうは必ず油断すっから油断 したらいきなり襲えっていう命令を出し てるところが現場 はそれじゃ済まないんですよその出動した 先でちょっと待てというのは上層部がぶれ てるんじゃないかで騒ぐんですはい上層部 はブれているということで翔平に示しが つかないっていうことを軍隊が言い始める んですはいでソレンはと言いますと スターリンという政治家がおりましてこの 人はね本当はあんまりやりたくなかったん ですへえここでの戦争はというのははこの 時にスターリンはヒットラーと中がうまく いってなかったんですようんスターリンが 恐れていたことはドイツと日本に挟みさ れるとら殺されると思ったんですはい外交 なんですよ初戦とかに日本は何にも知ら ないんですそのスターリンが何に怯えて いるかもで東京の大本の方は外務省を続い てですけどもソ連軍をあまり刺激しない ようにと関東軍に連絡を打つ小競り合いが 起こったのが5人日出動命令がえ5月の 23日2日後に出て1日後5月の24日に 東京の方の大本はソ連軍をあまりその刺激 するなとしかし5月の27日第23士団 山形隊は春ハガーの進撃を開始してるん ですもう全然下が言うこと聞いてないん ですその目的はというとその敵が油断する の待てがですねもう曖昧なんで適探索の ため戦闘部隊200名が春ハガを超えて しまうんですこれはもちろんその探索です よはいところがソ連軍はもう戦闘開始と見 ちゃったわけですうんすげえなこれ探索に 赴いた200名ハハガーはソ連軍と激突 200名全員死亡ですよえあそうなんです かうんへえ探索だったのにそんなもんそう なのよ俺たちからすると探索に行った つもりだけども戦場ってもう男の ヒステリー状態だからへえでスターリンは 何を考えてたと思うこの時 にここでやはトリックやるんですよ トリックうんうんそれがもう後々大問題に なるんですけどもあれやるんですよ独ソ 不信条約の締結をうんヒットラーと手を 結ぶんですはいそれからすごいことやるん ですスターリンは手を結んだ後ポーランド に攻め入ってヒットラー半分開けすんです うんで手を結んだ瞬間にスターリンは一変 に日本軍に襲いかかってくるんですもう 挟み撃ちにされることはありません

からなんと本当にこの200名は かわいそうに2日間で全員殺されたんです ねへえ争はにしますこの続また明日のの上 で武田哲也今朝の3枚 おしおはようございます武田哲也です おはようございます水谷かです1939年 昭和14年の5月21日日本軍はえソ連軍 と接触23日出動命令が出まして探索の ため5月の24日え山形対200名が探索 に入るんですがそれを進撃してきたと思っ たそれ君は反撃を開始しまして200名 全員が殺されてしまいますこれ本当に かわいそうなことにこの野モ班この接触し た戦闘地域は草1本生えてない大平原だっ たために隠れるところが全くなく万力で すり潰すように200名の兵隊さんは殺さ れたと言います31日のことになります その法を受けまして小松原はえ撤退を命令 しますが命令したとこで平原にはきている もが1人もいなかった小松原団長はすぐに ですもう兵隊さんでありますから当たり前 です敵討ちを決意しますさらに辻山房はえ ソ連に強く出よと主張いたしますこの辻 山房という方ですねはいもうめっちゃ強き ですねこの方はとにかくイギリスと 掛け合いとそしてソ連に関してはま本気で 戦争やるぞと言えと関東区のにせっつく わけです関東軍で自分たちの上層部に対し てそれでその関東軍がと戦争始まったタの ことになるんだからて辻さんに言うんです が辻さんはまた同じこと言いますブれてる じゃないかうんこれねブレるぶれないを 言い始めるとねもう拡大しかないんですな ええつまり戦闘開始を叫び始めますでこれ を聞きました東京の方の外務省は大手に なりますもうそういつでもそうであります 寺田正夫という大佐がおりましてこの人は え日恵えイギリスとの怪談でですねソレン に対してはちょっと大人しくしてくれと 言ってくれないかと言うんですがイギリス はもうソ連を横に置いといて日本は中国 から撤退しろというですね避難が集中する わけでありますねはい東京の方では野モハ 戦闘中止を仕切りに訴えるんです関東軍の 言うこと聞きません兵力とか軍事ってのは そんなもんですねコントロールが効かなく なったらもう暴走しかありません小松原と いう団長はこれ絶対に勝てると思ってるん ですね彼の考え方はこうですソ連の後方 基地ボルジャという基地がありますこれが 野モハからは750kmも後ろなんうん 750kmったら相当あるな相当あります よ東京がポイントだとすると岡山広島 ぐらい岡山広島ぐらいのところにしか基地 がないでもカナさんこれちょっと日本人に

はもうめっちゃくちゃ想像のつかない広大 差だよねはい関東軍の方はというとこの 野茂班という戦闘地域からわずか 200kmしか離れてない補給を考えても 先頭に入れば楽だというのが小松原の確信 だったわけですええところがね近代線なん ですよもうね500kmの差なんてあっと いう間に乗り越えられたんですねはいさあ ソ連軍の兵力今から読み上げますが皆さん 腰抜かさないでくださいよソ連軍兵力歩兵 1個団約9大体で1万人えそんなにいるん ですかが20から30訪問戦車2個旅団 200車両4000人の戦車隊が野班に 集中するんですはい飛行機3個旅団150 期6000人が攻めてくんですよ飛行機で 飛行機でそ勝てっこないじゃないですかで 小松原はソ連軍との戦闘は己れの23手段 よりも精鋭7手段であることを望み要求し たと理由は23手段は体感訓練ししてい ない年が多く実践は経験が少ないこれに 対して上田関東軍司令官は23団で戦えと 命じるわけですな自分の部隊で戦えと歩兵 え4大体これ4000人下方20も公平 500 人これが小松原に与えられてさっきのソ連 軍と戦うんですいや数が違いすぎますで それも体感訓練しか受けてないから致経験 がないんですその戦闘をやったことのない 第23手段を使えというわけですなこれが またね本当にすごいんですねこの間に 小松原という市団長が最も恐れていたのは 戦闘が始まる前にソ連軍が逃げてしまうん じゃないか えもうだ からその敵を怯えさせないために人数を 少ななくしようって絞り込んだって言う からどのくらい舐めていたか分かりますよ ねはいこの小松原の頭の中には幼いあの 日ロ戦争勝った時のわらべ歌があの流れて たんでしょうねさっさと逃げるはロシアの 兵隊心でもつくす日本兵みたいなはあなめ 切ってるんですねソ連軍は全く違うこの間 膨大な作戦取材を 700kmの川からモハに送り続けるん です全く知らないのは日本軍だけそれも えいさんだけという はい武田哲也今朝の3枚おろしおはよう ございます武田哲也ですおはようござい ます水谷かです野モハの戦いその戦いが どんな模様だったかというのざっお話し てる次第でありますがなめ切っております 大日本帝国関東軍でございます小松原団ソ 軍は全く違いますスターリンの名を受けた 非常に優秀な武漢がおりまして彼の作戦の も膨大な作戦材を野モハに徹底して送り

続ける何にもないまったいらな荒野だそう ですよここはねここに送られた軍用資材 歩兵弾薬1万8000T空爆弾薬6500 T燃料オイル1万5000T食料4000 T貨物 1万500円2個団4万人空挺1個旅団 5000人戦車これが1個旅団で5000 人走行者ニコ旅団1万人狙撃歩兵歩兵通信 境給水7000人これらが700kmの 彼方から紛争地点へずっと流れ込んできて 120kmのところに身を潜めた ともう知っていたら大声で叫びたくなる ような悲劇がというねで現場はどうかと 言いますと辻三謀という人がいますこの人 は東京中央ですね陸軍の命令するところも 外務省の命令も一切聞きませんはあこの方 は1回あの叱られてるんですね大義を考え ざるは幕僚の資格なしって言ってこ叱ら れるんですがこの辻三が現地から異性の いい伝法を返します北辺のさは東軍に依頼 し安心せられた し北の方で我々が勝手に小さな戦争をやる んだと安心して見てなさいって上司に 打ち返しはいこの辻さんってもうこの他に もね日本の兵隊さんを巻き込んでね満単位 で人を殺した参謀です よこの人戦後生き残ってんですよええ国会 議員やってたんですよへえこれはあのもう しさんが罵倒する人ですねは小さいこと 言いますけどね俺だからこの野ハがなんと なく切ないんだけどね俺麺類で コマーシャルやってるじゃんいきなりです ねごめんはいあそこのなあの元の社長さん な俺を買ってくれたはいその社長さんはね この前線で戦ってた人なのよえうんだから 俺ねこうモハ語ってて200人とか言うと ねあの今やってる麺類のコマーシャルの 初代の会長さんの顔が浮かんでくるんだよ はいその課長さん社長さんはねここの 生き残りなのへえでね全然おっしゃらない けど1回だけね僕は武田君野モハの 生き残りだからっていえじゃその方はこの 辻っていう人のことはどう思っ てらっしゃるんでしょうねおしゃらなかっ たね一言もおっしゃらないだってあんだけ 長いお付き合いでゴルフ場の片隅で1回で おっしゃった 僕は野モンハンの生き残りだからいうはい それがいかにひどい参上かはお付き合いし たくないかもしれませんが聞てくださいね 戦争ってのは格のごとくあの万友振った人 たちによってもうどんどん拡大していき ますシビリアンコントロールコントロール が効かないと良原の日のごとく被害をえ 広げていきますやってまいります1939

年昭和14年6月の30日春川両岸に勝手 に第23団は視力を持って進出これもう わずか1万になるかならないかぐらいです よはいええでえ安岡中条戦車第3第4連帯 歩兵野方公平連隊もえ南からやってまいり ましてソ連軍を撃破しておりますこれが7 月の2日ですソ連軍は不思議なことに 大したこともないこの段から攻められます とどんどん退却してるんですねはいで何の ことないもうは本当にスターリンの思う壺 ですどんどん深みに入っていくんですよ つまり武器が隠してあるところまで どんどんそうか退却するソ連軍に釣られて 国境から深く影響し追跡この間主力23 手段と安岡戦車隊は伸び切った紐状となる とこの取り囲むと思って囲めると思って またさらに細くしてるんですねはいで わずか1日後の7月ソ連軍反撃開始この 攻撃によって神軍が負荷になり逆に日本軍 の背後になんとソ連軍は進んで放されてい たというそして総崩れとなって7月の7日 日本軍大撤退というはいえ日本軍は航空戦 者重が揃っていないゆえにえ損害は重ね られていくばかりさらに安岡戦車隊は関東 軍の命令によりこれ以上損害消耗のない よう戦線を離脱なんと人間を捨てて戦車 部隊はまっすぐ逃げ出したという参上で ございますはいこれが野モハのまだ序幕な んですよこの続また来週のまな板の上 でおはようございます武田哲也です おはようございます水谷かですえ日本軍の 先の対戦における失敗その本質の中に一体 何が潜んでいるのかとなぜ失敗したのかと いうそこを3枚に下ろしてるわけでござい ますが何せ膨大な選手の資料でございます ししかも歴史そのものはまだ生川きで ございますね関係者のこと悪口を大声で 言いたい方もいるんですがご親戚の方が 生きてらっしゃるかもしれないはい今悪口 長言ったのは小松原団長と辻参謀もう本 読んでて嫌いになりましたただあの日本と いう国はそういう松江の方まで気を使え ますがアメリカなんてすごいんですね負け た将軍って最高まで罵倒し続けられ死後も なをのしられるというのがねえさあえ野 モハ振り返りましょうか決て愉快な話で ありませんえもう日本兵が次々と殺されて いくというでもそういう貴重な命のために もこうもう1度なぞってなんか考え直して みましょうや1939年5月から始まった 紛争でありますがそれがえソ連と大日本帝 関東軍の接触で拡大します外交によって 英国を動かし催を頼む案もあったのですが 内閣がこ時総辞職しましてはいこんな大事 なその戦闘が起こってるのに内閣が掃除職

して政治が機能してないんですよ本当に この23手段は野モハに置き去りにされた というええこの中に私の知り合いのね麺類 の会社の社長さんの若き姿があったかと 思うとねそうですよね泣けちゃうやねこれ 後でも報告されるんですが鬼をして泣かし しるという苦戦だったということであり ますえほとんど放された23手段もう ほとんど 狙い打ち兵が一発ボーンと大砲を打ちます と打ったとこに100倍近い砲弾が数分後 に打ち返されてくるんだそうですはいそこ で歩兵の方から相がの声が戦場に満ちたと 言いますからも本当に散らかったろうと 思いますそして8月の20日早朝であり ますがソ連軍総攻撃開始第23手段これ 日本の方でありますよ攻撃兵力乏しくえ 戦線が伸び切っておりましてその隣の舞台 と6kmぐらい離れてるという大平原です しかも残光が浅くもう本当にのみのごく敵 の弾丸をんというで次々と各部隊は全滅し ソ連軍に命を奪われる関東軍は全滅を恐れ て戦線にやっです第7手段を投入します はい2戦目を救出したというはいこの中に 後にあの面の会社をやってるあの社長がい たんだと思うと泣けてきてねはいなんと 驚く中で存亡率え60から 70%これ一応決まっておりましてですね 国協定では30%が戦死000え勝した 場合は降参していいんですほうこれが ジュネーブ条約かな協定で決まってて 30%もうあれしたら敗北が認められ白旗 が上がった段階で打ってはいけないんです 日本兵は70%の支障率を誇りながらまだ 戦ったってことですよもう本当に気の毒 ですね大本営はもうこの関東軍に向かって 作戦中止を伝えますはいそのまた文面が 中途半端でしてね作戦中止と言えばいいの にえなるべく時給戦に持ち込めなんで馬鹿 なこと言ってんです時給戦どこじゃない もんでもうまったいらの平屋だから本当に こう狙い打ちなんですねはいでさらに死者 を積み重ねて9月の3日やっと戦闘中止を 命じるわけでありますそして外務省もソ連 に対しまして戦闘中傷申し込むというね ソ連赤軍はと言いますと春川東岸選挙赤旗 を立ててそこで進撃を止めそして9月の 15日モスクワが定戦協定を認めたという わけでありますなはいやっとえ重宝が止ん だというその間日本軍の戦者 76969071 計10万7364名はいこれ昭和41年 12月122日調べですうんでこれほどの 敗北でありながら大本は関東軍を叱ら なかったというこの勢いで大東亜戦争太平

洋戦争に入っていくわけでありますから うん本当に失敗の体制でというねちょっと 苦しい思い話でありますがお付き合いをと 願いつつ今日終わりたいと思います 武田哲也今朝の3枚 おしおはようございます武田哲也です おはようございます水谷です日本がなぜ 太平洋戦争大東亜戦争みたいな大失策を 犯したのかということに関しては平和を 愛するとかっていうことの前に組織論とし て考えた方がいいのかもしれないねあの皆 さんも勘弁してくださいねこれから しばらく失敗の本質に関してはあの日本軍 のもう負け戦の話ばっかりになりますでも ねあのずっとねたどっていくとねまたね すごい面白いことが見つかるんですよね はい日ロ戦争の時あの日ロ戦争を指導した 軍人さんたちにはこういうなめきったよう な態度ってないんですよねうんあはいその 小松原にしても辻参謀にしてもなめ切っ てるでしょはい日本見てください日戦争の 時前のロシアと戦った時広瀬てうんロシア 語が話せたんですから明治の男たちは良く てなんでこんなに明治育ちで対象の軍部を 引いた軍人さんたちは質が落ちちゃったの かそこも考えてみたすっごい不だと思わ ないかさんわずか20年か30年のこと ですよはいあの先週から悪口を言います辻 にしろ小松原にしろねあの陸軍士官学校と かっていう軍人さんが行く厳しい厳しい 教育機関での成績が抜群にいいんですよ あのね本当に戦場でむちゃくちゃやった 日本の兵隊さんたちね学校の成績がひどい 人1人もいないのよ えそれてあんなにバカなのよ うん戦場に出るとこれが明治の軍人さ違 真っ赤様だと思わね明治の軍人さんたって お家がみんな貧乏なお侍さんの子ばっかり だからはい勉強なんか6にしてないのでも 抜群なのよ戦場における度胸がお勉強と 違うんですね特にこんなこと言っちゃなん ですが戦場という場所における才能という のは学力では補えないんですよはい学力が あればあるほどダメになっちゃうっていう 軍人さんっていっぱいいるんですよねうん それをねトップから並べたところに日本の 軍隊の不幸があるんですよはいもうね ものすごい冷たい言い方するけどね戦争の 場合はね 叩き上げ戦争にだけ才能のある人っている うん戦争にだけうん普段はね本当に困った 人だけど戦場だけでは役に立つっていう人 がね特に男の中にいるのよああ典型あげ ましょうかはい高杉新作あ戦場だけなん ですか俺ね高杉って人はね平二に生まれ

てればねちょっとやっぱりねちょっとどう なってたかわかんないねそうですかねあの 人ぐらい困った人はいないねうんもう ほとんど言うことむちゃくちゃですよ彼ん ところには金王の趣旨の志願者がいっぱい 申し込んでくるわけじゃ高杉ちゃん私と私 も仲間に入れてくさってのがええそん時に 高杉が命じたテストの中で一番残酷なやつ そこまで思い詰めてるんだったら俺の前で 腹切れるだろうつって えそんなこと言われたって立腹を切らし たっていうんですからは高杉にっこり笑っ てお見事つったって言いますから狂気です よへえでもその男だからですよその高杉が わずか10か20ぐらいの手勢を引いて 長州の反論をひっくり返す時にクーデター を起こすんです古文は10人ぐらいしかい ないもう高杉が立ち上がるとそこに嵐が 巻き起こったってみが言ってますよここう いう人が戦ができる人なんですはいでね 学校の成績年とは戦争さしちゃだめねそう いう人いるでしょうなんかいやあもう今で もいますよ今でもいっぱい危険な人います よね勉強はできたけどみたいな人いっぱい 生きる力ない人とかぱそうそうそうそう そうあのそのことを失敗の本質の中ではね あの別の書で言っておりますだからあの 今回はこうこの本そのもの私が広げた本 そのものはま戦争とビジネスをこうあの つけてあるんですけども戦争ってのは やっぱり深く考えさせますよあもう2と嫌 だだけではなくてねなぜ嫌かっていうのを 我々はもう過剰書きで言わなければなら ないような時代に来てるんじゃないかなと 思いますでノモ班はえ水上これも作戦を こう指導して戦争をやらせた上でのもう陸 軍の大失策準備も全くせずに戦闘に入り 大本へとえ軍の命令は上下をひっくり返し たような大混乱関東軍の暴走これで ものすごいたくさの兵士を殺してしまった この暴走はなぜ起こったかと言と満州国 内政指導権が関東軍っていう軍隊に与え られていたから軍事のみではなくて行政 まで軍部が口を出して だけそしてもう1つ敵を舐めるっていう 習慣があったんですはいちょっとこんな 言い方して申し訳ございませんねあの気 悪くなさらないでくださいね中国の方後に なってえ小端え俊郎中将という方がこれ 叱りつけてますね辻以下の関東軍をねその 中には弱な中国人を相手にしている ばっかりに関東軍はどんどん戦が下手に なったという怒鳴り声なんでありますあの 全然質的にソ連軍って違うんですよ近代化 されていてちょっとこの辺りから具体的

はい失敗の本質に明日から迫ろうと思い ますお付き合 ください武田哲也今朝の3枚 おしおはようございます武田哲也です おはようございます水谷かですえ1939 年昭和14年5月から9月までえ起こり ました陸軍の大出作野モハ事件もうこれ 秘密にされたんですよほとんど新聞に乗っ てないはあもうだからメディアの底なしで ないですよねただしまあ今の残っている 資料の中にはやっぱり相当危機感を持った 人もいたようでありましてまこの人たちが きっと頭のいい方なんでありましょうな 尾端俊郎中将はえ関東軍に対して第23 手段は多面の風色あり内容充実せず上下に 高原冷食あり即応の準備を書くと罵倒した と言いますはいえずり申しまして近代線と はもうソビエトが見せたのと同であります 物量で言います物量と補給この2つの側面 を全く無視した日本の陸軍はこの後も無視 し続けるわけでありますけどもねあまりの 敗北ゆえに秘密にされたということでこの 教訓は大東亜戦争に活かされることは なかったということであります支配する 期間としてこう人民を導いたりなんかする 期間として関東軍は優れた一面も持ってい たそれは事実しかし新しい局面局面が 変わったりなんかすると組織自体が ものすごく脆くなるもろくなって磁界作用 自分で壊れやすい組織であったとはいなぜ 磁界作用を起こすかというといいこと ばっかり聞きたがるからですよいいことも 悪いことも聞くというオープンマインドを 持ってないと組織というのは壊れていくん ですねそしてかさんもう1つ野フンが教え てくれた重大な教訓でありますが1つの 組織が2つの仕事をしてはいけない軍と いうのはまさしくそうでこれはあの国境戦 を守るための守備隊だったんでありますが 国が東京の政府がその満州の行政も任せた たんですよはいここにはもうね裁判所も あれば警察署もあるんだけど全部関東軍が 代理をするっつんで自分たちの王国だと 思い始めたというそれだから1つの組織に 2つ以上の仕事をさしてはいけないとはい 1つの組織に2つの仕事をさせたがるのが 日本の組織力の悪いところだというねうん こっからいきなり話は飛びますがこの本の 著者はこの野モハの失敗を福島原発に持っ てきてらっしゃるんですなはいで原発の 安全と地方の福祉を重ねるなっていうそう すると住んでる人はやってもらってるから 多少の言葉で点々てになるだろうとだから 原発の安全と地方福祉っていうのを別の 仕事市の方がやって原発の近くに住む人に

関しては別の人はやっぱ危ないですよって 言い続ける知恵はなかったのかなかったん 我々は平気だったん東京電力に福祉も何も かも任せててから住んでる人たちも東京 電力関係の仕事をなさっているんでえ不安 はどうしても口にしにくいというような つまり1つの組織に2つの事をさせた ばっかりに避難訓練とかそれからま いわゆるあの放射能を立ちスピスピーディ ですねあいうを生かして放射から逃げ るって避難作業が原発作業員の前じゃでき にくいというようなこれは逆の目で言うと 野モハの関東軍と同じではないかとはい 贅沢かもしんないが1つの組織に2つの ことをさせてはいけませんとうん自分でも そんな風に思いますよねあの1つのことで 2つのことをできるっていうことをうん ばたなんかしちゃいけないなとそれから 中央とですね現場とあの物事考える本部 ですなそこの疎通がうまくいかないもう 原発も典型的でしたねやっぱ吉田所長と 本店の人の怒鳴り合いなんか見ますとなん だと思いましたねあれこそまさしく野モハ だったですよねそれから首相と原発所長の 対立これがまさしく野門犯でありましたえ 冷静沈着な吉田所長もあまりの投じられ方 にやってらんねっていうような不良の言葉 を使いになったというな伝説が残っており ますけどもはいでも吉田さんがやっぱり 絶対に逃げ出さずにしっかりやって くださったからね野モハまでの悲劇なんか 全然ねそのはか手前であのあれですけどで もシステムとして考えますとねシステムと して考えますと首相と原発の所長を会話さ せること自体が誤りなんですようんですよ はい組織ってそういうもんなんですよ直接 話させればいいってもんじゃないんですよ うんそのことはやっぱり忘れてはいけない ことなんじゃないかなはいやっぱ膨大な 死者の数とかって聞くとねあのなんか 気持ちが少し暗くなるかもしれませんが あのやっぱりこう負けた戦争とはいえ学ぶ 気になるとすごくいい勉強になると思い ませんはいここでもう1つね 明日あっと 驚くひっくり返しがもう前も言ってこの 太平洋戦争とか大東亜戦争っていうのは まだ生川機なんで資料が全部出揃ってない んです柴亮太郎さんがもうボロ負けだった この戦争を行かせなかった日本人に最後は ものすごく恨みを抱いてらしてはいでも柴 さんはこの時手元に持ってた資料はソ連側 はほとんど被害を受けなかったという資料 なんですけどこれがひっくり返るんですよ えうんそうそううんその顔で明日の放送を

待っててくださいねこの鈴木また明日の真 の上ではい 武田哲也今朝の3枚おろしおはようござい ます武田哲也ですおはようございます水谷 かです遠いとい昔のことでありますけども その後の日本の大東亜戦争に大きな影を 落としたというノモンハン事件について 昨日奇妙な話をしたでしょはい柴小太郎さ んってね後半は野モハを描きたくて描き たくてでもうまくいかないんですねでねま 僕の知ってる範ですよ僕の知ってる範囲 ないですけどもあのねノモハの実態この 負け戦の実態と死だ翔平の無念が知りたく てねいろんな方にお話を聞くんですけど 結局一番なんか柴小太郎さんを悩ましたの は前線で命がけで戦った兵隊さんから話を 聞いた後それを命令した方がまだ生き てらっしゃるんでその方とも話をしたら下 の人が許せないって泣き出しちゃってうん え下の人がああの命じられた人があ分かる あの作戦本部の安全なところにいた人と 前線で友人がバッタバックブレストフリー 終わってなくてはいそれであの私の証言は 使わないでくれってあいつとあったならっ ていう へえうん深根が深いんですねそれそうだよ やっぱりねやっぱあるんだよみん皆さん 黙ってらっしゃるけどああのあの作戦3房 から殺されたんだとかねうんそんな無念の 思いがねそれからえっとこの全体の関東軍 のトップにいらした瀬島竜三というねこの 方覚えてらっしゃいますロッキード事件で 丸紅にかなんかにお務めで軍人さんだった んですがその後は勝者にお勤めこの人とも 対談するんですがええあの私の感想ですが やっぱり大喧嘩になったみたいその場で ですかうんへえしさんにも燃えたげるもの があったんだろうねしさんもね戦車に乗っ てらした兵隊さんなんですよ若い時ははい だから戦車乗りの人の気持ちがもう一体 ぐらい分かるんだろうね関島さん島さんで ねやっぱりなんかちゃんと関東軍の上層部 としての発言をなさったんでしょうがで そん時に日本の兵隊さんは1万7000人 以上も戦勝の方がいらっしゃるのにソ連軍 はねもう1000人もいないというような ことで野モハンを書こうとなさってたん ですががさんはいまた新資料ですけどもえ ソ連赤軍のモンハン報告がつい最近公開さ れたんです私どもはずっと完全に軍勝利と 思い込んでおりましたけどもはいなんと ソ連軍の戦士戦勝者は1万8000人え 日本軍とほぼ同じ被害を出してるんです はいということはですね ええあのボロボロにやっつけられた23軍

の人たちはほとんど相打ちの格好で死んで いったってことですよそれぐらい彼ら は戦線で風船したんですよしかもそのノモ ハの指揮をした第一軍司令官のジェイコブ という人はスターリンに対して戦後の報告 をしてるんですがジェイコ敵の対象は日本 軍についてどう語ったかと言いますと日本 陸軍の高級症候は皆無能ですですが貸間 一般の兵は頑強で実にノモハでは勇敢で ありまし たもう本当敵の方が分かってるじゃんって いう切ないねで今でもま野モンハンは大 あの敗北とされてるんですがゴルバー チョフ以降の資料解放によって見受け られる資料によれば実はスターリンも結構 のモンハンではハラハラしたでもう1つ です接近戦においておそらく日本兵は昭和 の10年代において世界最強の力を持って た銃撃戦では物量で負けてしまいますよで も接近の発狂戦はいつまり刀で切り合いと いうような戦闘になった場合 は世界最強だったんではないかと へえ名誉のために言っておきますけどもえ 第23手段これはま取り残されてもう本当 にあのモ叩きのように殺されたと言います が絶対に弱い軍隊ではなかったとうんで彼 らは相打ちの格好で戦車の前に飛び出して いったっていう繰り返し言っときますが 前線最前線は接近戦においてここまで有毛 をかんであって敗北を決定したのは上層部 ですからねうんこのやっぱり日本の上層部 のそのいわゆる点取り主義その叩き上げで はない脆弱者っていうのは我々はその なんかやっぱ欠点として持ってるんだなと はいなんかそのことはこう肝に命じておく 必要があるのではないかなという風に思い ますほらこうやって考えるとなんとなくお 亡くなりになった1万数千の方にも少し 何かご努力に報いたようなね短い番組では ございますがそんな思いでえその失敗を 振り返っていきたいと思いますいよいよ 明日は結論でございますのモンハンのお 付き合い ください武田哲也今朝の3枚おしおはよう ございます武田哲ですおはようございます 谷ですえモハについて語った週間でござい ましたねはい変わった番組だよ ねそうですねねえ君も大変だねいやいやで も哲也さんがおっしゃったようにこうやっ て哲さんが語ることでセチで亡くなった方 はね少しはうんなんかこう沈めることが できるのかなっていう気がしますモハ なんてやっぱ知らねえもんね教わってない からねでも中国全土で盛り上がった半日で もなんか見ておりますとあの光教事件とか

ね六高共事件ねはいうんそんなのをまた 中国の方はすごくしっかり覚えてるわけで えその何十年のその日日にそうそうそう そううんだからそういう意味では知らない では済まされないところに来てるのでは ないかなという風に思いますでもだからと いって中国のデモ隊がやったことは少しも 指から先もいいことだとは思いませんはい え中国の方聞いてらっしゃったらごめん なさいねこれは日本の欠点でもありますん であえてこんな資料を取り上げてみました 日中戦争でのことでありますけども日本の あの戦闘機が中国側に与えた損害はい撃墜 103期1年間でね約地上爆破163期 日本側の被害0 へえこれでもうお分かりだと思いますが 日中戦争時における日本のゼ戦の パイロットたちの力量というのははい ナンバーワンですふもう本当にすごいん ですええ日本のゼロ戦乗りってはい中国機 を250期10ヶ月間でバは撃墜しといて 自分のところの被害はゼロですよ うんこれはうれるよねいや優秀だったん ですねであの野モハにおいてもそうであり ますね資料の改定があるんですけど やっぱり もうモグたきのようにすりつぶしれて殺さ れたと思ってた第23師団の人たちは 相打ちでことごとくソ連兵赤軍に向かって いってるんですだからある意味では野 モンハンは日本が古テパにやられたという よりもどちらかというと伊島の匂いのする 戦いなんですようんはいところがこの白票 戦に強いっていうのとそれから0戦の パイロットの腕前がいいというこれで 負けるんです日本はええなんでですか 不思議だろ うんそれを別の機会に追求していこうか別 の機会にうんこの2つの接近線と空中線1 対1の空中線が得意だというのを振り回し てるうちに破れていき ますなんで破れたか知りたいでしょはい ここに日本の失敗の本質があるんですね はいこの何々が得意だから日本はこれで いいんだと思った瞬間それで負けていくん ですなうんこれはコリアに負けた白物家電 なんかが典型的ですよねはいでも頑張ろう ね はい今度の失敗の本質でその日本の欠点を 補うべき方策をまた発表しますんであはい うん白物家電で安いやつは今コリアに負け てるでしょうえでもそういう意味で やっぱり先の対戦をあの大東亜戦争を下に してなんかこう発想の戦いをねはいうん 一部ご紹介しましょうかあの日本にも非常

に優れた方がいてえ堀映像という散歩この 人はもうものすごく優秀な人で割り切り方 がすごいの近代線で勝敗を決定するのは鉄 うん鉄の消費量が大体勝敗を決めるって ほうだ向こうが鉄を1T使うんだったら こっち側が2T使えば勝てるっていううん それが近代線だつんでその鉄の消費量で 戦線を指導したっていううん戦車とか鉄砲 ってことですかそうそうだね鉄を集中的に 使うことがその勝敗を分けるというはい ここで1番大事なことはね堀さんが言い たいことは 指標新しい目標を打ち立てる新しい目標を 設定するそれが勝利を変えていくんですよ さっきの話しとこうかはい日本のゼロ戦は どっこの飛行機にも負けませんもう アメリカのグラマンなんかちょちょいの ちょいもうイギリスなんかも日本の パイロットにかかればこれが条件があるん ですはい1対1だったら負けないんですよ うんそれぐらい腕がいいんですアメリカ何 考えたと思う3対1を考えるんですよ ああ悔しいなるほど つまりルールを変更するんですようん オリンピックでも何でも競技でもんでもの 向こうだもんねそうですねそうすると価値 観が変わるんですよはいそれについていく かいけないかなんですよ国際館で戦う時は うんはいそうやって考えていくと新しい 戦い方がビジネスの方では思い浮かぶかも しんないというなんか悔しいな悔しいよな なんかなでもこの番組だけはせめて戦争の 反省もしますが悔しいとも言ってあげたい なはい300万人もの人が死んだんだもの な反省しますだけじゃ嫌だはいこうねちの ね思いを込めまた新しい日本の国際官のね ライバルたちとの戦い方についても アイデアが浮かぶようなそんな3枚よ夢み ありますお付き合いください ませ前後のソ連軍と日本軍の武力衝突から ものすごい勢いで戦火が広がっていったと いうだから本当にちっちゃな日で国境と いうのは一変に全面戦争になってしまう ところなんだということを覚えておき ましょうえそこの地点えにはですね第23 士団長小松原新太郎中将という人がいまし てえ歩兵第64連隊第1大体にえ出動 明示その直後に関東軍軍令部にこのことを 報告したこれに対して軍令部は相手が油断 した隙に序襲えとでその相手が油断する まで待てと言って軍隊をとめたんですが もうこの命令自体が恐ろしくファジーなん ですようん中途半端な命令というのが いかに軍事衝突があった場合後に大変な 悲劇を招くかの第一歩学校に記されたわけ

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もなんか見ておりますとあの六高教事件と かね共事件ねうんそんなのをまた中国の方 はすごくしっかり覚えてるわけでその何十 年のその日日にそうそうそうそううんだ からそういう意味では知らないでは済まさ れないところに来てるのでないかなという に思いますでもはいだからといって中国の デ隊がやったことは少しも指から先もいい ことだとは思いませんはいえ中国の方聞い てらっしゃったらごめんなさいねこれは 日本の欠点でもありますんであえてこんな 資料を取り上げてみました日中戦争での ことでありますけども日本のあの戦闘機が 中国側に与えた損害はい撃墜103期1 年間でね約地上爆破163期日本側の被害 ゼ へえこれでもうお分かりだと思いますが 日中戦争時における日本のゼロ戦の パイロットたちの力量というのははい ナンバーワンですうんもう本当にすごいん ですええ日本の0戦のりってはい中国機を 250期10ヶ月間で爆きしといて自分の ところの被害はゼロですよ うんこれはうれるよねいや優秀だったん ですねであの野モハにおいてもそうであり ますね資料の改定があるんですけど やっぱりもうモグたきのようにすりつぶし れて殺されたと思ってた第23師団の人 たちは相打ちでことごとくソ連兵赤軍に 向かっていってるんですだからある意味で は野モンハンは日本が古テパにやられたと いうよりもどちらかというと伊島の匂いの する戦いなんですようんはいところがこの 白票戦に強いっていうのとそれから0戦の パイロットの腕前がいいというこれで 負けるんです日本はええなんでですか 不思議だろうんすごいんですねこの間に 小松原という市団長が最も恐れていたのは 戦闘が始まる前にソ連軍が逃げてしまうん じゃないかえもうだ からその敵を怯えさせないために人数を 少なくしようって絞り込んだって言うから どのくらい舐めていたか分かりますよね はいこの小松原の頭の中には幼いあの日ロ 戦争勝った時のわ歌があの流れてたん でしょうねさっさと逃げるはロシアの兵隊 日本兵みたいなはあなめ切ってるんですね ソレ軍は全く違うこの間膨大な作戦取材を 700kmの川のから野モハに送り続ける んです全く知らないのは日本軍だけそれも えいさんだけという はい武田哲也今朝の 3おはようございます武田ですおはよう ございます水谷ですの戦いその戦いが どんな模様だったかというのをざお話し

てる次第でありますがなめ切っております 大日本帝国関東軍でございます小松原師団 ソ連軍は全く違いますスターリンの名を 受けた非常に優秀な武漢がおりまして彼の 作戦の元膨大な作戦取材を野モハに徹底し て送り続ける何にもないまったいらな荒野 だそうですよここはねここに送られた軍用 資材兵弾薬1万8000T空爆弾薬 6500T燃料オイル1万5000T食料 4000T貨物 1万100万人空挺1個旅団5000人 戦車これが1個旅団で5000人走行者2 個旅団1万人狙撃歩兵歩兵通信架橋給水 7000人これらが700kmの金から 紛争地点へずっと流れ込んできて 120kmのところに身を潜めた ともう知っていたら大声で叫びたくなる ような悲劇がというねで現場はどうかと 言いますと辻参謀という人がいますこの人 は東京中央ですね陸軍の命令するところも 外務賞の命令も一切聞きませんはあこの方 は1回あのれてるんですね大義を考えざる は幕僚の資格なしって言ってこ叱られるん ですがこの辻参謀が現地から異性のいい 伝法を打ち返します北辺のさは東軍に依頼 し安心せられた し北の方で我々が勝手に小さな戦争その また文面が中途半端でしてね作戦中止と 言えばいいのにえなるべく自給戦に 持ち込めなんで馬鹿なこと言ってんです ああ急戦どこじゃないもねもうまったいら の平野だから本当にこう狙い打ちなんです ねはいでさらに死者を積み重ねて9月の3 日やっと戦闘中止を命じるわけであります そして外務省もソ連に対しまして戦闘中止 を申し込むというねソ連赤軍はと言います と春川東岸選挙赤旗を立ててそこで進撃を 止めそして9月の15日モスクワが定戦 協定を認めたというわけでありますなはい やっとえ重が止んだというその間日本軍の 戦者 796名戦勝8647名行方不明1021 名K 1万7000名はいこれ昭和41年12月 12日調べですうんでこれほどの敗北で ありながら大本は関東軍を叱らなかったと いう この勢いで大東亜戦争太平洋戦争に入って いくわけでありますからうん本当に失敗の 体制でというねちょっと苦しい思い話で ありますがお付き合いをと願いつつ今日 終わりたいと思い ます武田哲也今朝の3枚 おろしおはようございます武田哲也です おはようございます水谷です日本がなぜ

太平洋戦争大東亜戦争みたいな大失策を 犯したのかということに関しては 平和を愛するとかっていうことの前に組織 論として考えた方がいいのかもしれないね はいあの皆さんも勘弁してくださいねこれ からしばらく失敗の本質に関してはあの 日本軍のもう負けいくさの話ばっかりに なりますでもねあのずっとねたどっていく とねまたねすごい面白いことが見つかるん ですよねはい日代戦争の時あの日代戦争を 指導した軍人さんたちにはこういうなめ きったような態度ってないんですよねうん ああはいその小松原にしても辻井3房にし てもなめ切ってるでしょはい日本見て ください日ロ戦争の時前のロシアと戦った 時広瀬ってロシア語が話せたんですから 明治の男たちは良くてなんでこんなに明治 育ちで対象の軍部を引いた軍人さんたちは 質が落ちちゃったのかそこも考えてみた すっごい不思議だと思わないかさんわずか 20年か30年のことですよはいあの先週 から悪口を言います辻にしろ小松原にのね あの陸軍志間学校とかっていう軍人さんが 行く厳しい厳しい教育機関での成績が抜群 にいいんですよあねほんいや数が違いすぎ ますでそれも体感訓練しか受けてないから 実経験がないんですねそう戦闘やったこと ない第23手段を使えというわけですな これがまたね本当にすごいんですねこの間 に小松原という試団長が最も恐れていたの は戦闘が始まる前にソ連軍が逃げてしまう んじゃないか えもうだ からその敵を怯えさせないために人数を 少なくしようって絞り込んだっっていう から どのくらいなめていたか分かりますよね はいこの小松原の頭の中には幼いあの日ロ 戦争勝った時のわび歌があの流れてたん でしょうねさっさと逃げるはロシアの兵隊 でもつくす日本兵みたいなはあ舐め切っ てるんですねソレ軍は全く違うこの間膨大 な作戦取材を700kmの川からに送り 続けるんです全く知らないのは日本軍だけ それもえいさんだけという はい武田哲也今朝の3枚おしおはよう ございます武田哲也ですおはようござい ます水谷かです野モハの戦いその戦いが どんな模様だったかというのをざっお話し てる次第でありますがなめ切っております 大日本帝国関東軍でございます小松原師団 ソ連軍は全く違いますスターリンの名を 受けた非常に優秀な武漢がおりまして彼の 作戦の元膨大な作戦資材を野モハに徹底し て送り続ける何にもないまったいらな荒野

だそうですよここはねここに送られた軍用 資材包平弾薬1万8000T空爆弾薬 6500T燃料オイル1万5000T食料 4000T貨物 1万100万人空旅団5000人戦車これ が1個旅団で5000人走行者2個旅団 1万人狙撃歩兵歩兵通信境給水7000人 これらが700kmの彼方から紛争地点へ ずっと流れ込んできて120kmのところ に身を潜めた ともう知っていたら大声で叫びたくなる ような悲劇がというねでで現場はどうかと 言いますと辻参謀という人がいますこの人 は東京中央ですね陸軍の命令するところも 外務省の命令も一切聞きませんはあこの方 は1回あの叱られてるんですね大義を考え ざるは幕僚の資格なし上となるとこの 取り囲むと思って囲めると思ってまた さらに細くしてるんですねはいでわずか1 日の7月3日ソ連軍反撃開始この攻撃に よって新軍が負荷になり逆に日本軍の背後 になんとソ連軍は進んで放されていたと いうそして総崩れとなって7月の7日日本 軍大撤退というはいえ日本軍は航空戦者重 が揃っていないゆえにえ損害は重ねられて いくばかりさらに安岡戦車隊は関東軍の 命令によりこれ以上損害消耗のないよう 戦線を離脱なんと人間を捨てて戦車部隊は まっすぐ逃げ出したという参上でござい ますはいこれが野モハのまだ序幕なんです よこの次また来週のまの [音楽] [拍手] で [音楽] [拍手] [音楽] til

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