【日本のネギ文化を知る!】 歴史の生き証人「本澤先生」が業界の裏話しを交えて、葱の品種や栽培環境の変化について詳しくお話しします♪ たねのハシモトミヤ
えっと新年第1発目に配信をしてですね こう皆さんにですねま新たなこの学びの 気持ちでこう配信したいという考えであり ますので是非よろしくお願いしますはい はいよろしくお願いし [音楽] ますたねちゃん始まりますえ 2024年え種の橋本チャンネル今までと 少し内容を変えまして 今年はネギの長ねぎの流れ品種の流れ栽培 の 流れ等々につきましてえ紐解いていきたい と思います今この業界でもえ50年前から の流れを知ってるのは多分私だけになっ ちゃってますからえそういう責任を持って いろんな流れを説明したいと思いますえ このネギ類は中国西部からやってきたん ですけども下北型あと中国の中部地区の 家中型え南の方のカ型って大きく分かれ ます下北型寒いとこんで作ってるネギ太 ネギ軍って言うんですけどもこちらにつき ましてはえ冬場寒いところあるいは積雪 地帯いうとこにえ入ってきております日本 ではこれらを軍という風に分類しており ますえ青森には南部島え福島辺りになると アルネ関東地方の群馬では下田ネギそれと 石川県に行って金沢ふ本当に寒くなると 下種に代表されるように地上部はほとんど からしてしまって1番大切な成長点泥の中 だけを残すのがこの加賀群下北型のネギに なりますそれに対して西の方に入ってきた カナ型はえ日本に渡って苦情ネギ九条軍 って言われるようになっておりますどうし ても西の方はま温度も高いし高度も比較的 浅いっていうことでどちらかというと緑の 葉っぱを食べるハギ群ハギ型のネギで苦情 群が九条が代表されますので九条軍って いう風になりますあともう1つのタイプ 家中型こちらにつきましてはえ関東地方を 中心に広く分布してましてま関東地方でも 1番まネギを多く作っている地帯であるえ 千住え千住軍今でも時々千住ネギを作り たいとか千住ネギを作ってくださいって ありますけどもこの辺が中心になって各 品種が分化しております今日は特にえその 千住軍について紐解いていきたいと思い ます50年前ですね今から50年前ぐらい は千住軍の中で群馬にあったと思うんです けども石倉最終組合っていう石倉 ネギがあの一般的に作られてましたし埼玉 県の越ヶ谷から川の反対側の松戸ありには 越ヶ谷系のネギとかえ松戸の矢切ネギって のもあったように聞いております残念 ながらどこまで現物を見たかっていうと うん定かではございませんただ越ヶ谷の
ネギっていうのはその頃ほとんど自家採取 だったんですねだから越ヶ谷で作ってて私 が作ったとすると腰がの夏ねぎ本沢系って いうのがえ作ってあったりっていうのはで もう1個のネギの産地である千葉県こちら にはもう確かその当時も緊張ネギですね この辺については後でもう少し詳しくお 話したいと思うんですけども緊張ネギ スラっと細くて綺麗な今でも私はネギの 女王様つったら緊張ネギじゃないかなって ぐらいすとして綺麗なネギだったんですえ それがですねえ今から40年前ぐらいです かね昭和で行くとやっぱり60年代ぐらい に50年代後半から60年代ぐらいになり ますと大きな徳能岡さんが作った品種これ が結構頻繁に使われるようになりました 以前50年前っていうのはねよくう農家 さんに行くとネギの種屋種屋から13年に 1回買えばいいんだよあとはうをこう残し といてそれから種取って自分で使えばいい んだよっつったとこにですねえ埼玉県の 越ヶ谷え実際に鈴木さんえという方の 要するに越ヶ谷ネギの鈴木系ここをですね え渋会社武蔵野渋園さんが権利を買って世 に広めたのが吉倉ネ元倉ネです 東京の金町にいらっしゃいましたえ長谷 さんが育成したのが先ほども名前出ました けども緊張ネギだったりそれまでは坊主の 出が遅い奥ネギだったりあるいは坊主が出 ないあの坊主知らずネギを使って4月5月 これらはもう分裂ネギ1本植えとくと5本 から10本なるような分裂ネギを奥ねぎ だったり坊主シずとして使ってたところに 完全な一本ネギで奥ねぎと同じように坊主 の出の遅い超越これは画期的な品質だった んですねこれが後々今で盛に作られてる バチネギのバチ一本ネギの大元になったん じゃないかなと思いますえもう1個忘れ ちゃいけないのが埼玉北部深谷地区ですね 西田さんが育成した冬ネギのえ西田ネギ これはうん一部が2本ぐらいに分裂する タイプでこの当時の深柳っていうのは大半 が泥ネギで出荷されてたのでま綺麗な一本 ネじゃなくてもよかったえ確かえ西田の 育成は西田正一さんでその息子さんが作っ たのが高太郎ネギこれも秋から冬にかけて えかなり埼玉県を中心に全国的に広まった んじゃないかなそれらの西田高太郎 ネギあるいはえ元倉吉倉あと近長ネギそれ とプラス万系の超越ネギが1990年 ぐらいから2000年にかけ て開化してきたんじゃないかなと思います でこの頃の栽培っていうのは畑に種を巻い て苗を作って苗を大きい小さいを選別し ながら手で植えるっていうスタイルが中心
だったですねだから畑に巻く時も10R あたりの内を作るために2dl200cc のでえ当然裸の種ですよねこれを2感です からいやもっとかな3つぐらい 巻く一感が約3万流ですので10万流 ぐらいの種を畑に巻いてあげてそれを適当 な時期に大きさ太い細いとか分けて植え るっていうスタイルその時時は全部手で 植えてましたからネギ植えて畑の田って いうぐらい腰を負けてきつい作業だった ですねそれなんで10Rを定職するのに どうでしょう7人からちょっと手かける人 は10人ぐらいの労力をかけて植えてた ように思います私が時田病の大研究農場で 実際にネギの育種栽培した時 もまあ我々どっちかて植えるのも効率悪く て下手くそだったから15人ぐらいかけ てJRの作付けをしたっての今でも覚えて ますで栽培の方はですね実際には平成の2 年3年ぐらい からこう いうペーパー ポットを使ってのちびのえ行病プラスその 2年後になると今度はチェーンポットって いう こういうものを使っても栽培が始まって ますでここで何が変わったかって言う と種を巻いてまびきとか内線別をしないん ですよねそこで脚光を浴びたのがそれより ちょっと前に出てたF1のネギ種が固定主 の先ほどの吉倉元から比べると3倍ぐらい の値段しかもきっちり種を巻くために ペレット称してこ丸めてあるんでよりそう 値段は高くなりましたF1のネギが出てき て固定主の吉倉 元倉他に変わってだんだん増えてき たそのF1ネギは実はですね1番最初に世 に出したのは我が時田病でほとんど名前は 知られてないですけども氷の川って書いて 川っていう品種ですちょっと特性的には 西田ネギに似た感じですね何本か分裂する 冬鳥のネギでこれは今で話すと特にまネギ の育をやった方分かるんですけど もネギのF1を取るためには花粉が出てこ ない優勢不ってのを作んなくちゃいけない んですけどもまGMSって言われてる角型 さあの優勢不なんで1番多くできたとして も次の年花咲かせと花粉が出ないのが1に 対して花粉が出るのが1だこの花粉が出る やつを抜きしてて花粉が出ない株だけ残し て次の年に種取るっていう猛烈 な手間と時間がかかる品書だったですいや 売れなくて良かったですねこれ売れたら もう本当に時期になると夜も寝ないで仕事 しなくちゃいけないような状態だったん
です62年63年ぐらいになと本当の意味 の本格的なF14人1番最初に出したの やっぱり滝井さんが1番早かったと思 ホワイトタワーっていう今あんまり聞か なくなっちゃいましたねこれはさっきの 氷川なんかと違って 100%100%優勢不 の系統を作ってそこにお父さんをかけ るっていうことで本格的なF1と言われて ますでもこの頃昭和の2年え62年63年 ってまだまださっきご紹介したこういう ペーパーポットとかましてこうチェーン ポットなんかがなかったんで従来と同じ ように畑に大量の種を巻いていいものを選 ぶっていうスタイルだったんですねそう するとなかなか種の値段もネックになって 一気にF1の利用っていうのはなんなかっ たそこにもう種を巻いたら選別なしで植え られますまとめて植えますまこのまとめ 植えってのは実は新潟県が発症で10cm に4本まとめて植えますあるいは最大試験 所さんの報告だと20cmに8本まで まとめて植えてもネギの品質には問題あり ませんよそれとちょうどこういうペーパー ポットが組み合わさっ てここに4流5流巻いてまとめて植えて あげる今までは1mに35本から40本1 本ずつ植えてたのが15cmとか12cm にまとめて植えられるこれは本当に助かり ましたねその2年後になると今度はぱり君 ていう道具を使ってのこのチェンポット 栽培まこのペーパーボットの方がウル時間 がちょっと正確じゃないかもわかんない けども1日から1日半ぐらいで終わったの に対してこのチェンポットの方は条件に よっても違いますけども10植えるのに 半日もあれば簡単にうわっちゃうしかも内 の選別内取りっていう時間がなくていいん で非常にに植えるって意味では助かったと 思いますあと大きもっとあ 違う場面での流れっていうのがえ出荷調整 昔はそれこそ越ヶ谷なんかで皆さん作って た時は首元をこう荒縄で絞ってあの技術は 素晴らしかったですね1か所あの縛ること によって束にして出荷してたでこの頃って 綺麗であれば葉っぱの枚数が4枚でも5枚 でもついてたような記憶がありますまた もっと面白いのは夏ねぎをみんなこう水槽 を作っといて洗ったっていう時代なんです よね今はネギ水で洗ったら次の日には腐っ ちゃうからとてもそんなことはしないわけ ですけどもそういう時代だったんです昭和 リグと50年代の後半ぐらいになってくと 一部の生産地でダンボール出荷ってのが 始まったんです
ね正義ダンボールの高さが13cm ぐらい確か始まったのやっぱり千葉県 あたりがあ早かったように思うんですけど もさっきも言ったネギの女王様緊張ネギが 中心ですから葉っぱピッと立ってるし ちょっと葉っぱ細いんですよねそれを詰め てたように思います そこにもう少し多収性の元倉ネギって結構 太るネギですね鈴さん育成のやつこれは 馬力回って太くなる一方では緑の葉っぱが 太すぎるんでこの頃から品種によっては 葉っぱ3枚残しっていうのが言われるよう になってき ます箱が塞がなくなっちゃったんですね そんなこんなしてる時その頃でもやっぱり 弾頭ってのがあったんですかねすごい太B ってのができるようになそれを少しでも 有利販売しようってことで始まったのが 結束太いネギと細いネギをこう重ねること によって人いくらちょっと手はかかります けども有利販売しようあるいはさらにその 頃になるとえネギの野菜の販売が両反転に なったんでどちらかというと重量詰めだっ たネギがが本数詰めよく今でも言われます けどl45本とかね2L30本とかって いう本数詰めに変わったのもこの頃になる んじゃないかとでそういう頃が始まるまで はえ栽培現場でのネギの病気って言えば 赤さび病と黒板病とベト病ちょっと順番 違いますけどねベトが先に出てその3つを 抑えればいいいいっていうぐらい今でも 覚えてますねやっぱり昭和 50年代中盤ぐらいかなアチジオっていう 北海道産教が作った松のなんかの病気に 効くえ殺菌剤商品名がアチジオンなんだ けどこれをかければ赤さび怖くないある日 突然ですね販売中止になっちゃったんです ねもう偉いこっちゃっていうことで探した んだけどもその後出てこなかったですね ちょっとその後にまたいい殺菌剤が出て 現行のあの ストロビストとかに繋がってますただ一方 ではいい殺菌剤が出たんですけども近頃 ですとボトリチスの白飯病とかはがれ病 から来る大食反問症収穫時期11月12月 ぐらいになると葉っぱのこの真ん中の方の 葉っぱは黄色くなっちゃうとか去年の夏は 暑かったですよねえ何年かに1度は霊化が あって霊化の年て秋口になると賞金格 腐敗確か昭和天皇様がえ体調を崩したって いう昭和 63年の夏っていうのはものすごく温度 低かったんですね夏が昭和64年の時には え賞金核腐敗っってのが大発生しました外 がみんな黒いブツブツができて割れちゃう
ということで真ん中の新竹をですね アスパラガスにたに売ったっていう記憶が ありますね1ケースやっぱりその当時で 5000円7000円それでもネギが出て こない確かえ茨城県はその頃も三葉も結構 産地だったんで駅の立ち食いそばの役が ネギから三葉に変わったっていうのを記憶 にあるぐらい小金格腐敗が問題になったと しで昨年は夏が暑かったんでその辺の問題 非常に少ないですけども令下の年はそう いう小金格ただ昔から昭和50年ぐらい からずっと続けて問題だったのがくされ金 一旦発病させると5年から7年発生が続 くっていうネギネトっての癌に当たる病気 です ねこれは今でも特にえ産地になるとネギを 作ってるとこんだと今でも大問題になって ますまおりに触れてこの辺はどう防除する かまた触れたいと思うんですけどもそんな 栽培の流れがありました で3地になるとやはり連作障害っていう 意味での胃腸病とかその他の病気も出て ますねでそういうことでえチェーンポット とかペーパーポットを使ったまと上って いう時代がやってくるとちょっと今 まで日陰っていうかそれほど目立たなかっ たF1品種一本ネギっていうのが出てきて 先ほどはえ滝石さんのホワイトタワーって いうのがありましたけどもちょっと流れを 変えたのがえ坂田の種の夏奥義おそらく これもさっきはかえ氷川の時で話したよう な GMSユフをこう分離させてそこに使って たんじゃないかな種が取れ ないいくら評価が良くてもるがいってこと で当初坂の種さんも相当攻められたんじゃ ない かで本格的に坂田の種の瀕死が動くように なったの は夏木2号3号そのちょっと時間を置いて 4号なんかが多いとで同時に不儀シリーズ も出たように思いますすごかったです夏木 2号に風が吹いても葉っぱが折れないね 審査会やった時に誰が見てもすぐ分かるあ あれ夏木だなそれを聞いてた新酒に来てた 市場の方が言ってたのがあんな硬いネギ なんか世に出したらネギ食う人がいなく なっちゃうぞな言ったんですけども胃に 反してやっぱりどんなに暑い時でもどんな にま台風来たら多少倒されたり折だりし ますけどやっぱり作りやすさっていうこと でいぺに今まで主力だっ た吉倉元倉にとって変わったんじゃないか なと思いますその後各社がそれぞれ自慢の F1品種ちょっと時日はあの売り遅れ
ちゃったかもわかんないですねあのネギ タイプ分裂タイプのハ川っていうのは私の 実は最後の作品なんですけども出た途端に 超越を元にしたと思われる一本系のバチ ネギが出てはかもう駆逐されちゃいました 坂田さんはさっき言った通りえ夏木の2号 3号4号でちょっと遅れて夏扇木パワー冬 奥義の方も確か2号か最低3号はあって今 でも北海道でのハウス栽培では3作られて ます ね滝さんはちょっとあれですね残念ながら なかなか一本ネギっていう意味ではあ入っ てきてないんじゃないかなと思います 北海道なんか行くとやっぱり滝井さん強い ですねだけどもこの関東地については あんまり実績がないのが現状かなとつい 最近も栃木の産地に行ったら結構いいの出 てるよっていう番号が紹介されてましたで その後え横浜植さんの隆勝っていうネギが 平成 の56年の頃ですかねこれやっぱり夏越し 性がいいっていうことでいぺに広がった ように記憶しておりますえ元に戻ります けども番中系の一本ネギを扉を開いたのは 固定主の超越ですけどもその後出てきたの が坂田の種の春奥義ではその後初夏奥義初 奥義2号っていう風に続いております春 奥義からちょっと 遅れるところで供給が始まったのが東北の 種のハミで東北さんも羽緑2号とか ちょっとタイプ違いますけど羽入って格好 でいくつか品質を出してるいうのがえ今の 動きじゃないかなとさすがに各社ですね今 になるとF品種ってのが自慢のF1品種を 出していてえ若北市病ですとえタガの轟き とかね大地の響きとかあるいは森の金でま 坂田さんは夏木シリーズの中で夏奥義 パワーとかあるいは冬奥義もなんか新しい の出したっていう風に聞いておりますうん 滝井さんはちょっと伸びが硬いけども収穫 期間の幅の長い名月 え共和死病さんは法山シリーズで夏の法山 秋の法山冬の法山あと確か番中系の花の 法山なんかも出てるように思いますという ことで各社が自慢のが出てるっていうのが 今の状況になっていますが昨年の夏は さすがに暑すぎてらんなかったっていうの が現状じゃないかなと思います今年第1回 目の橋本チャンネルではえ棚の流れを中心 に栽培の変化出荷形態の変化なんかについ てえ述べさせていただきましたあちょっと 忘れちゃったけど病気の変遷なんかもあり ました ねというところでえ今回第1回目は終了さ せていただき
ます橋本チャンネルいつもご視聴誠に ありがとうございますチャンネル登録と高 評価をよろしくお願いし [音楽] ます
現在、ネギの育種の流れを知る「5人のうちの1人」である本澤先生が、日本のネギの文化について、詳しく解説していきます。
◆関連動画 【本澤先生が解決!】気象変動の影響で、困難になって来たネギ栽培! 長きにわたり培った経験値でお悩みを解消いたします
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