Search for:



朗読を楽しむ 永井荷風「摘録 断腸亭日乗」昭和11年

朗読を 楽しむ長い 花風敵6団長帝 日常昭和 11 1936 年昭和11年祭治兵士正月起筆 花風三神年 58正月 元日晴れて風静かなり午後八風太郎 来るその後内省自局に出勤すると いうひほならんとする頃車に乗りて雑子が 墓地にむ 先行及び小泉八雲鳴島流北岩瀬王将の墓を 廃しマポ目次の新坂よりおに いず陸軍兵器子の崖になお呪目あり高層 生成 たり外貨の老を歩むに今なお昔の井のも 多く大抵は板にて蓋をなしたりされど往年 身覚えたる大流はすでに埋められて後 なし口山に登る坂の麓に今宮神社の車田 神楽堂残り たり車田の甲子に石板釣りの選挙宿世の紙 を張りたり 殺風景もまた花 し電車道を横断し音通り西側の裏道を歩み しがここにも昔流れ至るドブ川は埋められ て後もなしたまたま不動坂の方へ登り行く 小道の左側に石橋の欄間の残り樽を 見い出し たり火はににくれ た電柱につけたるほかにて桜橋と国世し 文字を読み得 たりこの石橋の左側は人家の間の路地より 直になんとやら言うフルデラの門前にいで それより関口の公園に続く なり江戸川橋の上にたみて乗り合い自動 車目代駅新橋間の北を 待つ江戸川の流れも今は不潔にて何の趣き もなき高居となりたれど夜になりてあたり くけるば水星早々たるを聞く のみこの水星を聞けば我が糸中頃のことも 自ら思い出されて懐かしき心地 す新橋停車場裏にて車よりおり主旨金兵に 入り塗装3倍を傾け遊を食して家に 帰るとか英国皇子アルコックの江戸大在木 を 読む 去年大晦の万遊新聞に市ヶ谷富久町刑務所 校内にて明治30年来死刑に処せられし 大集の生命出 たり左に生録 す明治30年より昭和10年まで40年間 に仕置きになり しも

人なりと いう野口 小詩人野口姉さ娘向こ電力切り取り 犯人高徳 修水約9時 抹消石井 吉大森砂風お 大米 竜鎌倉編天の天を多くせし 悪草山田 県管理なし米所すべを 殺しトランクに入れおきたる 犯人難波大輔 約5時 抹消2行弱 切り取り約30時 真勝吹上 佐太郎杉山 健太郎約3次 真勝黒水会 会長木田陸軍商工の娘をして殺したる もの ビスケ 強盗ラガ 木所陰暦12月7 日正月初2 曇り文香弱々昼も夜の ごしコンボ銀座に 赴きキベルに一差して帰る 正月5日晴れて風 なし朝11時過ぎ中央高論者島中市の招き に応じて海楽園に 赴く玄関にて靴を脱げば廊下広くして花 寒し中央高論者にてはモカ雑誌会にて流行 する記をなさんがため衣案理科の西及びよ 招きしなりされど格のごとき文学営業の ために招かしなれば談話に興味来らず審査 もまた味なし3時過ぎ家に 帰る夜放虫に借す 1月13 日ば埋葬の日なれば午後1時家をいで車に 乗る一昨昨日車にて通り過ぎ市心外の道は 白金の道にはあら ず白金猿町より五反田駅に至る新しき道 なるに心づきたり 下大崎電車停留場の辺りより東南の方に 一体の森林を 望む主にこれは勝って島津公爵亭のあし あたりなる べし明治356年頃防雨古山アーの西と共 に佐波先生が高南町の信教といし とき定先生の案内にて袖ヶの田舎道を 歩み島津の屋敷の森を望みて紅葉を称せし こと ありきまた夏の指にはホタを取りに来たり

しこと ありアシの気分 あり当時の風景は今すでに なく世と共に遊びし人々は皆よさ れりゃば府を切り開きし道ありて小カレ お花に覆われしうち諸々に ありわの家に至るに信者230名 集まり牧村 を彩にしてすでに賛美を 歌う午後3時旧者を夜中墓地に 送るよ勝って天竜院にてみたしわし付けの 文房今はこの夜中墓地内に移されその石も また新たにせられ たりそは次の今年 和津先行杯佐藤 市安西5年8月15 日足 裕子花風 曰村上陳旧戦墓名に友とあるはこれなる べし分球2年11月23日 和津松次郎元治元年8月13 日わ俊三郎 明治俊三郎の母は初めよりこの墓地にあし が今は取り除かれ裕子松次郎と連盟の石に 取り替えられ たり天竜院にありし古母には法をを告たり しに今は皆俗名になされ たり古き石はいかがせしやおしむ べしこの日3時過ぎてより空曇りしが風 なく温か にて早々の人々を換気に苦しまざるを得 たり1月19日日曜日晴れ 換気のため大所の水道円環破裂す電話にて 水道局へ修繕を頼みしが興風多忙なりとて 来るべき様子も なし東京日日新聞脱法銀行院女房殺しの 記事に門の城を かけるまた鍵を下ろすという語あり 果実岡鬼太郎君の団に近年新聞の記事中鍵 と情との差別を明らかにしたるもの ほとんどなしとのことなりしが誠にその 通り なり城は下ろすもの鍵はかけるというが 東京の言葉なる べし晩食の後銀座キベルに赴く途上杉の 教授先行女子に 会うクア主人そのとも王家無き氏が世の ために天国せられしい責任参加を 送る工場射するにあまり ありこの夜スカンやや緩やか なりラガ 書この木戸や女の刺されて冬の月という区 は確か企画の銀と覚え たり1月22日山場1は西向きの窓にしり しCの子たちのことにおき博を求め朝の内

より まで動かず作りしものごとく枝に泊まり たり子は今日初めて心づきしにはあら ずいつの頃よりとも知らず玄関の空曇りし 日に 限りおりふし見るところ なり大久保町の庭にも年々寒式1話の鳩の きことは確か20年前の日記に印をき たり20年前の我がは誠に寂しもなり けりされどその頃には大外先生も未だ柵を 変えたまわず日々往来するとには天護ア あり雑誌作りて文字ををぶ楽しみ名を失わ れ ざり20年後の今日は時世も代わり語る べきとも なくなりおいと病との日々身に迫るをゆる のみこの日薄く晴れて空曇りしが夜に至り て星影さえ たり銀座見越しに行き食料品を あがい チミキベルに立ち寄ればいつもの諸子あり 介護に時の移るを忘れ例のごとく夜半家に 帰る1月30日晴れて風 激し巨頭召使いたる下女 松江西洋選択屋朝日新聞その他自分用にて あないたる酒屋のものなどその感情を 支払わず行方不明となりしため朝のうより 台所へ感情を取りにくるもの34人 ありその中ご服屋も ありえという女我が家にほとんど2ヶ月 ほどいたりしが糸取りて去る時世に向いて は定めの給料以外別にゆすりがましことを 言わず水仕事に持ち寄るゴムの手袋と白き 活木とを忘れ生しほどなれば金銭の欲なく ただしだらなく大だなる女なるがごし 貸したものも最速せぬ代わり借りたものも 忘れて返さぬというような万事無責任なる 行いをなすのは女のみならず知識ある男子 にも随分多く見るところなり西洋人には 少なく死人にも少なくこれは日本人特徴の 1つなる べし10年来のことを改装して手切れ金を 取らずにさし 女まずこの松江1人なる べしつれづれなるあまり夜が貴重以来 馴染みを重ねたる女を左に列挙 すし数字 首相 1 勝柳橋芸者にて世と知り合いになりて後間 もなく受けおい死のめかけとなり向島 引き船通りに囲われいたり明治41年の 頃 2倉田 よ浜町不動神道の

師匠明治42年の正月より11月頃まで 馴染み染めたり大倉省管理の 娘 3よの 孝新橋新沖 富松明治42年夏より翌年9月頃 までこの女のことは夜が随筆冬の生えに かきたればここに税せ ず 4内田 屋新橋友や 八明治43年10月より大正4年まで1時 手を切り大正去年頃半年ばかり焼け ぼっくい 対象11年頃より全く関係 なし新潟寿司屋の 娘 5米田 美新橋 花や成やか不明の 抱え芸名失念 セリ大正4年12月み50000円に 親元見受けジプ日本橋上島町大く なり大正5年正月より8月 まで浅草大地がに囲いおし 後神楽坂寺内に松園という待ち合いを営ま せおくこと3ヶ月ばかりにて手を 切る震災後玉のいに店を出せし よし 6中村 ふさ初め 神楽坂照武蔵の抱え芸名年セリ大正5年 12月みか300円にて親本見をなす一時 新富町亀大へ預けおき大正6年中大久保の 家にて召使いたり大正7年中四谷花昔へ 預け おく大正8年中築地2丁目30番地の家 にて女中代わりに召使い たり大正年以後実施と共に四谷にて 中原武蔵という芸者屋を営みよりがいつの 頃には発狂し松沢病院にて死亡せりという よこれを聞きしは昭和6年頃 なりジプ洋服ひ 市野中 素直大正14年赤坂新町に恋いきたる女 はめ神田西町に住める師匠なり茅ヶ崎農家 の 娘今村 さえ新富町金かし富吉何がしの身の 女虎の門女学校卒業生なりと いう一時初夏高林5法のめかけという 大正12年震災後10月より翌年11月 まであの家に置きたり当時25 歳 13関根

歌浩町富士見町川岸や抱え 鈴龍昭和2年9 月1000円にて 見受けいくら8万兆に囲い起きたる後昭和 3年4月頃より藤見町にて待ち合い行くよ という店を出させてやりたり昭和6年手を 切る日記につまびらかなればここに記さ ずジップ上の 桜木町会事務 員 12清本 秀生はめ清本 梅吉内でし大正11年頃おりおり出会い たる女なり本名 執念大阪商人の 娘1白 銀子本名田村 智子大正年頃たまたま出会う陸軍中条田村 のまるまるまる 山女 15黒沢君本名中山 新市内所書の待ち合いに出入りする 師匠昭和8年くれより9年中毎月50円 にて34回出会いたり明治42年 生まれ北平交渉諸行の 娘渡辺美本名 不明渋谷宮下町に住み夫婦2人連れにて 待ち合いに来たりひをを見せる昭和年くれ より10年秋まで毎月50円をやり おりおり出合い至る女 なり年 24この他臨時のものをあるに いずラガ木所9大竹 富大 より翌年7月まで江戸坂下に囲いきたる 師匠10古田 久銀座大雅 女給大生15年 中14山路3 皇神楽坂新板芸 3本 昭和5年8月1000円にて見受け同年 12月四谷追分張へ預けをきたり昭和6年 9月手を切る松戸町コリアの 娘2月4日朝10時頃より雪降りきり夜に いるも止まず 大風吹き起り夜10時頃伝統消滅す雪明り に裏窓より赤坂編を望みみるも週や一点の 東映 なしこの日節分 なりふと思い出せしこ あり節分の日大行にて車も通せず歩行する こともあわざりし話 かってシハの女師匠しかという老婆より 聞きしことあり明治167年の頃の

ことなる べし翌朝出入り口の天戸を開けんとせしも 雪積もりて容易に開けることあわざりしと いう2月5日晴れ白保銀座食堂に この日有国に至るも道路の雪を取り捨て たるところなきため電車の通行まれなるに 乗り合い自動車もことごとく満員にてこれ また乗るべからす円卓の人世いつもより 23倍高く なれる昨夜芝居見物の客は歌舞伎座はめ 伊豆子もさき廊下等に宿泊接しと いうこの日 立春2月6日晴れ乾期やや緩やかなり終日 読書夜もまた家に あり明月山折を 照らす2月7日曇りて雪少しく降りしが 暮れ方に止む 2月8日正午の頃より雪降り来ること しばらくにして雨と なる2月14日晴れて風静かなりこの頃 新聞の市場におりおり相沢中佐軍法会議 審判の記事 あり1行今 抹消以下官 法相沢は去年陸軍省内にてその上官某中条 を切りしもの なり新聞の記事はその以上ほ最も必要なる ところを取り去り読んでも読まずとも良き ようなことのみを書きたるなりされど記事 に寄りてみるに相沢の思想行動はの人とは 思われず全然爆発の老師なり当然寺英国 公使官を襲いあるいは赤羽がしにヒュース 拳を暗殺接し老師と異なるもの なし西洋にも政治に関しふして大統領を 殺せしもの少なからずしかれども日本の 老師とは根本において異なるところあり 要は昭和67年来の世上を見てキリスト教 の文明と受教の文明との創意を知ることを 得 たり老師は震動を口にすれどもその行動は 授業の誤解より起こりきたれるところ 多しそはともあれ日本現代の過は政党の 腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき ことの参じ なり政党の腐敗も軍人の暴行もこれを 要するに一般国民の自覚に乏しに起因する なり個人の覚醒せざるがために起こること なりしかり思考して個人の覚醒は将来に おいてもこれは到底望むべからざること なる べし以下6行 抹消2月24 日昨夜晴れ渡りし空再び曇りて風また さむし午後いたずらに眠りを むさぼる国銀座に浮かんとせが顔を洗うが

面倒にて家にとまり遊の後物かかんと机に 向いしがなんということもなく筆とるにも のく去年の西など読み返していたずらに世 をふかし たりローランとはまに格のごとき生活を 言うなる べし芸術の制作欲は肉欲と同じ のし肉欲老年に及びて白々となるに従い 芸術の欲もまた冷めゆくは当然のことなら んよ去年の67月頃より色欲頓したること を感じ出し たりその頃渡辺美と呼べる245の女に 月々50円与えおきがこのの女4にまれ なる婦にてその情婦と共に我が家にも来 たりまた夜が指定する待ち合いにも夫婦 にて出かけひを演じて見せしことも度々 なりき初めのほど山は 物珍しく幼を挑発せられることありしが それにも飽きていつか会うことも たり去月24日のよ我が家に連れきたりし 女とは身の上話の哀れなるにやや興味を 引きしがこれおそらくは我が生涯にて京中 の快楽を欲しいままに接し最後の女なる べし色欲磨し尽くせば人の最後は遠から ざるなり よりてここに終焉の時のことを記しをかん と す 1よしする時葬式無用なり死体は普通の 自動車に乗せ直に仮装場に送り骨は疲労に 及ばず母石混流また無用 なり新聞紙に死亡広告などを出すこと 元より 無用1葬式不執行の こと理由はお見越しのごとき霊宮自動車を 好まずまた神性の増加ことに鳩などつけ たる花を嫌うため なり1ヨガ財産は フランスデミゴールに寄付したしその 手続きはただいまのところ不明 なり夜がえは日本の法律にて背景すること を得ずゆえに与しする時家督相続人指定の 医書なければ法律上余が最新の欠者に 定まるなり世は世が最も 結束者が世の心出しをじ世が遺産の全部を あげてフランスのアカデミーに寄付せられ んことを恋願う なり 1世は日本の文学者を嫌うこと打の ごと 1夜が死後において世の著作及び著書に 関することは一切これを 親友この間約6時 切り取りの処置に一任 す

1ヨが死後において世の全集及びその他の 著作が中央高論者のごときバカバカし広告 文を出す書店より発行せられることを辱と 思うもの なり 1世は三菱銀行本店に定期預金として金 2万5000円を所有せりこの金を持って 著作全集を印刷し同行の死に配布した死と 思う なり世もすでにちんちんとしてふけ渡り 至れ ば医書の草案もこれにて 止む2月26 日朝9時頃より肺のごき細かく雪振りきり みるみるうちに積もりゆく なり午後2時頃疑わし電話をかけき たりこの間約4時末 以下業 保軍人以上保警視長を襲い同時に朝日新聞 社日日新聞社を襲撃したり各省大臣感謝 及び三井邸宅等には兵士出動して護衛を なすラジオの放送も中止セルベと ホズ外へののほりはただふりしきる雪に 埋もれ平日よりも物事なく豆腐屋のラパの 声のみ物哀れに聞こえる のみ死中相場の光景を見に行きたくは思え ど高折と換気等を恐れ門をいで ず風呂たきて よす 森夫大北東門 前町 158文化村市場 通り9時頃新聞豪快 以岡田斎藤殺され高橋重傷鈴木次長また重 世 む2月27 日曇りて風花 寒し午後市中の光景を民と門をいず東国 門前に憲兵34名 立つ同寺坂を下り谷町通りにて車に 乗る池より虎の門のあたり八馬リリとして 歩行 す海軍省及び裁判所警視長と皆門を閉じ 兵卒これを守れ に桜田その他内ぐへは人を入れず堀端は 見物人と なす銀座終わり町四辻にも兵し立ちたり 朝日新聞社は昨朝9時頃襲撃せられたる よしなれど人地にはこれなし印刷機会を 壊されしのみなりと いう銀座通りの人で平日よりも 多し電車自動車通行自由なり三越にて相を わがない喫茶キベルに至る言わす人々の話 にいて岡田斎藤らの虐殺セられ市光景の 大略及び王道軍人の同性を知り得たり

この間約1行 抹消歌川竹下小田野三師と30件堀がしの 牛肉店末広に至り晩餐を なす杉の教女子遅れてきり 返す男大いに今沿8時過ぎ外に出るに 銀座通りの 読みUFの人でいよいよ賑やか なり顔馴染みの外傷一両人に 遭う山下橋より内幸長を 歩む業 神行道大阪ビル皆新部軍の駐屯所となる 田村町四辻に兵士機関中を据えたり甲府 より北市兵士なりと いう議会の周囲を一回り接しがこの間約6 時真勝以下業法さして白きことなく以上 八馬のぞろぞろと歩める のみ虎の門語りの商店平日は夜10時前に 戸を閉ざすに宵は人で賑やかなるため皆 とかを転じたればコンピラの縁日の ごと同校の諸子と別れて歩みて霊南坂を 登るに米国大使館外に数名の兵あり人を スカす富豪御神の問題に兵士また数命休息 するを見 たり無事家に帰れば11時 なりこの日新聞史には暴動の記事 なし2月28 日将来雪また振りたる午後銀座に 赴く霞ヶ関日比谷虎の門あたり一体に 通行止めなり反軍は工事中の擬似道を本影 となせる よし雪は4時頃に至りて 止む喫茶キベルに計し白保歌川町乗り換え の電車にて るとかマルクオルランド小説カリエール エルザを 読む瞬間なお了承 たり2月29日 曇り朝小山書店主人電話にてモアセ らる午後門をいずるに一兵 表通り止め なり裏道崖にタス町にいで柳のだだと呼ぶ 石段を登り中の蝶を過ぎ飯倉片町に いず電車自動車なければ歩みて神谷町より 宇川町を過ぎ銀座に 至り左 に 行こう4時過ぎより四一体通行自由となる 次の教授と金兵主点に 反す反軍基準の方ありまた岡田支との法 あり伝法通信者社員宮崎市より氾濫の報を 聞く夜12時 家に 帰るえ3月初 192月8日 日曜日この間11行弱真勝3行弱切り取り

以下業官 法この日寒ければ家をいでず林10歳の 谷口少々を再読す以上 夜また雪降り出せしがしばらくにして止む 夜回りの表義町長とし て文香さらに弱 たり3月2日晴氏が風はし他散歩日本橋前 書店にて新着のを見る銀座に反してたちに 帰る3月10日 晴れ風下痢終日家にありふ人アンドレ ペレルソールち日本日夜の木を4日本人の 微傷につきて 曰くもし日本人にして微傷の習慣を失い たりとせんかその願望は野蛮祖母実に移動 べきなるものとなるべし両顎の突き出せし その顔よりカレなる微傷の光の消えうる時 貪欲的なる歯の突き出すこと陰鬱にして 不安なる目の輝くことのみ目立ちて見る なりこれと同じく日本の都市より寺院の 美感を取り去りななば残るものはワオと 歯医者通い途上の木27ページ 云々これ平常世の見るところと一致 せり3月15日晴れ後辰 来談浅草公園 散歩小竹座筋向に国際劇場建築上とかき たる板囲いでき たりこの夜日曜日のゆにや人で帯び ただしくひ工事にも読み立ち続き たり雷門の辺りに佇みて往復する乗り合い 自動車の乗客を見るに銀座新橋方面へ帰り 行く人は 少なく東橋方向へ行く車はいずれも満員 なり地下鉄道に乗るに銀座に至るまで乗客 数ふるばかり なり浅草公園の景況押して知る べし3月18日 晴れ早朝より大工雄之助きたり勝手口土台 の給配したを修繕 す変器株も大正8年の間に建造したるもの なればすでに17年を経たり近所の娘の今 は子持ちになりてやに物界に行くものも あり裏隣の大国寺の娘もこの頃はいかに 接しや家におら ず市人の様子も全く知らの間に変わりゆく なりこの間2行今決し以下業官 法昔一つばの中学校にて度々喧嘩したる 寺内10一は軍人反乱号陸軍大臣となり 自由を制圧戦闘す以上 ほ我が作りしえは土台腐りて我が身はまた 追いくんと す嘆き悲しむも今はせかも なし午後竹下君来談文学雑誌を発行すべし という愛携えて銀座に行きしき新道のう屋 吹き抜けに上がり ハスキベルに消息して

帰る風にわかに 寒し3月19日晴れ東国銀座松屋店内古本 転売会に行く場所文春を得 たりチシキベルに立ち寄るに本君があり 今朝憲兵に寝みを襲われその本部に連れて 行かれインドの死とサバロある氏のこ有 範囲に尽きて尋問せられしよしを 語るさしは軍人暴動のことりしこ国次探偵 の権を受け憲兵隊本部に地せられ今なお面 なり3月20日晴れ終日 読書東国金邸に反し銀座を歩みて 帰る3月21日 悲願角のつき朝より不でし春に濡れておつ ウイスの声絶え ず急行を上昇すること 半日東国三作戦と思いしがふ肌しければ家 に とまるとか馬笑文集を 読むふう10時頃に至りて止む窓を開きて みるに雲の間に星かけいで人長の香り流れ きたるを覚え 4月10日新聞の脱法には連日血こと ばかり なり昨9日の新聞には小学校の教員その友 の家にてある女をみめ妻にせと言いより死 が娘承知せざれば教員は直に女の親元に 赴きけいが同じく断られ たり教員は警視庁人事相談係りのもに至り 相談接しにこれまた思うように行か ずついに殺を起こし激悪担当を持ち娘の家 に乱入接しところ娘は幸い外出中にて教員 は家人の訴えによりその場にて捉えられ たりと いう乱暴残忍実にこれより花式は なし現代の日本人は自分の気になること ありまた自分の思うようにならぬことあれ ば直に狂気を振って人を殺し己れもしする ことを名誉となせるが ごとしこの間産業今抹消以下教官 法果実陸軍省内にて中佐何がしのその上官 をさせしがごときことに皇子の別あれど これを要するに己れの思い通りにゆかぬを 行りしがためならずや以上 ほ人生のこともし大償となくその思になる もならば精神の収容は無用のことなり昔屈 は要行動理子が首を殺さず主婦を残して べらの鬼となり きこの間一行逆 抹消以下業官 法現代日本人の暴悪残忍なるは真に恐る べし以上ほ 今朝の新聞には市内のある銀行の支配人 にて年すでに50を超えたるが借金に 苦しみその妻とその子34人をしの旅の 道連れとなせし記事

ありこの間1行弱抹消以下業官 保法人の残任いよいよ 甚だしくその作るとところを知らず以上 ほこの世はさながら地獄のごとくになれり この日 曇り風寒きこと幻の ごと4月17日晴れて風あり一米長表通り の王家ぷぷとして 散る午後本一堂の主人来り夜が走行の古き もをこう一昨年の冬かきたる冬の生えの 走行を与えしに金15円を置きてさりぬ古 現行の断片50両になるとは実に意外と いう べしこの日中夜家に あり4月18日曇り風あり早朝腹痛下痢2 階終日直中に あり夜薄がゆを する4月19日 日曜日晴れて虫やきこと夏のごと下痢闇 たれば午後惣を求めんとて銀座に 行くのとオルが ごとしクパン屋に消息して 帰る室内あまりに虫ければ白保庭に立ちて 空を仰ぐ運気うつぼたる様成華の ごと忽然 バンガ34は泣き連れて正方に飛びを 見るよカラスの声を聞きしは確か昭和5年 の夏牛込に遊びし時にして平成これを聞く ことなければ珍しくまま記して美貌と なすとかカピ士数書を 読む6月16日曇りて風花霊 なり保佐藤春吉きる三笠書房出版花風読本 のことに尽きて なり夜銀座に行き藤アイスに反す木とまた 雨玉井見物の 木初めて玉のいの路地を歩みたりしは昭和 7年の 正月堀切り次の法水路堤防を歩みし帰り道 なりその時には道不安内にてどの辺が1部 やら2部やら法学さらに分からざりしが 先月来しばしば散歩し美貌のため略図を 作り置き たり路地打ちの消化はうに入りてみれば外 にて見るよりは案外清潔なり バスへの小待ち合いと同じぐらいの汚さ なり西洋寝台をきたる家少なからず2階へ 水道を引きたる家もありまた浴室を設け たるところも あり1時間5円をいせば女は客と共に入浴 するというただしこれは最も効果の 波は1時間3円ちょんの間は1円より2円 までなり路地におでん屋多くありここに 立ち寄り話を聞けばどの家の何何という女 はサービスが良いとか悪いとかいうことを 知るに便

なり7丁目48番地高橋子というは 生まれつき乱にてで若いお客は驚いて 逃げ出す なり7丁目73番地田中方ゆかりというは 先月亀戸より住替えに来たりし女にて8 専門 なり7丁目57番 地千里と方千恵子というは泣く評判あり 極鳥の名人なり7丁目54番地工藤片太子 は芸者風の美人にて部屋に鏡を2枚かけ おき覗かせる仕掛けをなすただし覗き量 2円の よし警察にて券売をなすひどりは月曜日が 1部火曜日が2部水曜日が3部という順序 なり券売所は玉井市場そば昭和病院にて 行う入院患者大抵100人以上 あり女の総数は155600人 なり入院料1日1円 なり女は抱えと言わず出方さんという東北 の生まれのものをし越後の女も 多し前particularは3年にて 1000円が通り相場なり半年ぐらいの 短期にて2300万の女も 多しこの土地にて店を出すには組合へ加入 金1000円を納め権利を買う なりされど一時にまとまりたる大金を出し て権利を買うよりも 毎月金3円ずつを主または権利所有の名義 人に納める方が特なり寝台その他一歳の 造作付にて家賃の代わりに毎日3円ずつを 治るなりその他聞くところ多 けれど略してさ ずラガ 木所 内神され6月無より78日白平明人及び 長浦町 首相東西寺経題玉井稲荷の縁日は毎月2日 と20日となりこの縁日の夜は客足少なき 故たちは貧乏いりという なりラガ 首相毎日3円ずつ出すというは家一件の ことにあらず自前で稼ぐ女が張り店の窓1 つを狩る場合のことなり家の主人に毎日 3円ずつ渡し前がりはせず自由に稼ぐこと を売る規約ありと いう 7月3 日空は朝より曇りしいままなれど今日は どうやら雨は古るまじきように思われたれ ば夕飯前に家を いで行くところもなければ浅草公園に 行く伝法院裏門外より池のほりに並びたる 露店の中人のことさら多く集まるものは 八つ目うなぎのけやきと生命判断の察し 売るところ

なり木馬官のほりに洋服きたる男演説を なし人を集るを歩み寄りて聞け ばかってこの公園にてジャンヌダルクと あせし不良 少女今は丸の内の会社にタイピストとなり ヨ帝国ホテルに客を えみ月々1000円ありの稼ぎを なりこの女新聞記者を買収するがゆえ謙虚 セラルルもそのこと未だ一度も新聞市場に いしことなしと噛みつくような調子聞に 絶えざれば何か印刷物を売りつける様子 なれどそこまでは見届けずしてのほりの ベンチに腰かけ ていこうバナナの川と紙屑散らばりたるは 東京中伊豆子の公園にも見るところ なり活動小屋の絵板を一見し電車にて銀座 に至り銀座食堂に反して 帰る夕刊新聞に相沢中佐死刑の記事 あり7月4日 曇り大外全集ラケ殿の広告文を岩波書店に 郵送 す古本や一進道きりて切々の探索を 求む7月11日晴れ後に 曇り朝のうち京橋大八銀行に行き車にて 帰る5個岡崎栄え 来訪夜キベルに 赴く雨降り出したれば高橋国と車を共にし て 帰る流行り歌 忘れちゃ嫌よと題するもの蓄音期円盤販売 禁止また右の歌歌う時は巡査注意するよし 喫茶店の女より歌の文句を聞くにはは平凡 なるもの なり月が鏡であった なら恋しあなたのおかげをヨと映して みようものこんな気持ちでいる私ねえ忘れ ちゃ嫌よ忘れないで ね昼は幻夜は 夢あなたばかりにこの胸の熱い父をが騒ぐ のよこんな気持ちでいる 私ねえ忘れちゃいやよ忘れないで ね淡い夢なら消えましょに焦れこれれた恋 の日がなんで消えましょう消されましょう ねえ忘れちゃ嫌よ忘れないで ね7月12日日曜日 曇りためな春水の人情本数種を読むけだし 大年一毒接しもなり 晩食後雲重く風絶え直書花しければ万歩 銀座に行きキベルに さす高橋国 きる杉の教授本市と新橋際なるこまこの 酒場に立ち寄りて 帰る真につかんとする時にわかにうを 聞くラガ 首相反軍歯間代々木原にて死刑執行の方

いず7月20日 曇り初期やや忍びやすくなれ り今日より24日まで舞を転倒を金 らる晩食の後門をいずるに街灯をすでに 消され黄色の制服きるもの手ま常NIを 携え34人ずつ1組になり人家の2階など にとか見る時は大声に明るいぞ明るいぞと 呼び立て なり電車にて浅草に それより円卓を雇い玉のいを見歩き銀座に いず劇場活動小屋は8時頃に門を閉ざし たりと いう以下1行弱 真勝 あやに常事暴動を起こすもの流言 仕切りなり 以上教官 法8月15日 晴れ秋風ささ たり初めて放しの泣を 聞く夜木Warを 歩む今橋西側に花火の模し あり見るもをオルガごと この夜ベルリンオリンピックの 放送12時頃より12時半に 至る銀座通りのカフェ及び喫茶店これが ため伊豆子も客 王師8月16日日曜日 曇り終日風あり増 さらす国 1時間ばかりにて 止む銀座藤屋に 反す進行 大雨8月17日曇りて風なし午後 こめ夜初めてコの泣を 聞く8月18日晴れて 涼しい午後改社員売り記者来訪いずれも 現行の最速なり夜銀座に 反す秋風肌に 死8月19日 改正両9月の後年終日 爆笑夜銀座食堂に 反す地温期点の前に男女移出 し 流行り歌とんがらがっちゃだめよまた日本 良い国など言うを慶長す歩みて京橋より 電車に乗りて 帰る総の中性昨夜にすればさらに 多し9月初7 晴れのうちすでに歌90°の暑さなり夜 住田公園を 歩む芝生腰かけ池のほりなど所を選ばず ほとんどラタに等し不天才なるみの男 大の字なりに王がするを 見るこれ不良の無宿人にはあらず散歩の人

ならずはは近郊の若いものなる べし女を連れ歩むものまた少なから ずおよそ東京市内の公園は夏になれば伊豆 子もみな角のごとく紙屑とバナナの川との 散らばりたるが中に汚れたるシャツ1枚の 男の王が睡眠するを見る なりことばを 渡り乗り合い自動車にて玉のいに 至る今年34月の頃よりこの町の様を観察 戦と思い立ちておりより来り見るうちに ふと 一軒休むに便宜なる家を見い出し得 たりこの家には女1人いるのみにて抱主 らしきもの姿も見えず家も初めのことには いりしが1人2人と出がわりして今は誰も おら ず女は元須崎の暴の将棋なし よし年は24号上州編のなりあれど丸顔 にて目は大きく口元しまりたる 料こんなところで稼がずととるほど なりあまりしく祝儀をねだらず万事応用な ところあれば大きのおいらんなしというも まんざら嘘にてはあらざる べしよはこの道の女には心安くなる方法を よく知りたれば問う時には必ず雷門あたり にて手がき土産物を 携え行く なりこの夜世は絵花の茶の間に座り長日に 寄りかかりてタバコ食らし女は三口の小に 座りたるままなじりと糸のれを隔てて離す うち女は立ちまち通りがかりの客を 呼び止め2階へ案内し たり茶の間は火を消したれば上がり口より は見えざる なりしばらくして女は折りきたり外出だ からあなたよがなければ1時間留守をして くださいと言いながら着物脱ぎ捨てタスの 引き出しより何やらまがい物の証の人へ 取り出して着替え始める ゆえ一体どこへ行くのだと問えばどこだか はわからないけれど多分向こうの待ち合い か縁宿だろう1時間外出は15円よお客 ほど気の知れないものは ないあなたなら10円に負けるから今度 連れて行ってよというさえ呼吸 せわしく半帯閉めながら2階へ上がりて客 と共に織りきたるをそっと伺いみる に白ズボに黒服の 男町のコア金道ならずば会社の集金人など によく見る顔立ち なり女は上板の下より新聞紙に包みし造り を出し一足先に出てください左側にポスト があるからとてそっと我が方を振り向き目 にて留守を頼みいいとして出き ぬ1時間とはいえどことによれば2時間

過ぎるかもしれぬ臨時の留守番さすがの我 も少しく途方にくれ柱時計打ちなればまだ くじ打ったばかりなるにやや安心して腰を 据え退屈紛れにタス戸棚などの中を調べて みたり 女は十時打つと間もなく思いの他に早く 帰りきたり ぬ行った先の様子を問うに向島の待ち合い へ連れて行かれしが初めより手はずがして あった様子にて覗きの相手に使われしもの らしくひょっとすると写真に移されたかも しれ ない通りがかりの初回で綺麗に15円出す とはあんまり気前が良すぎると思いました と語り ながら女は帯の間より紙幣を 取り出し伝統の明りに透かして審議を 確かめし後猫板の上に作りつけし銭箱の中 に入れ たり早や11時近くなりたればまた来るよ とて我は外にいで ぬ留守中に隠しこの屋の間取り佐の ごとラガ 首相女のなつまびらかなら ず自分では秋たの生まれなりと言えどこれ またつまびらかならず上州下立の役になり しことあるが 今年9月みか [音楽] 記入9月8日 晴れ残暑さらに知りとかず夜金兵に ハス9月9日 晴れ今年の暑さは夜のふに連れてますます 華々しくなるなり 今夜もまた10時頃より風耐えて虫厚く 眠り がしただ虫の声のみ代言に秋のふけゆくを 知らし も9月19 日将来週 少々午後雨やめば立ち 無し東国銀座食堂に反す ハモの松たけ虫を出す味すこぶる よし電車にて向島秋場神社前終点に至り それより宇宙徒歩玉井に行きいつもの家を 問う横浜茶屋にいりという女1人新たに 加わり たり雨降り ず路地のうち人の足音絶え家の中にてかの なく声耳立つ のみ長日囲みて女2人の身の上話を聞きて 10時過ぎに 帰る9月20日 日曜日今にも大雨降りきらんとするかと 思われながら暗く曇りし空よりは怪しげ

なる風の折りより吹き落ちるのみにて雨は 降らずいつもより早くひれ始め たり他家を出ておわり町富アイス店に 反す日曜日にて外場ざと花しければ電車 にてこいもまた玉のいの女を 大 この町を背景となす小説の不安ようやく なるを得 たり週注ぎきること数 回11時前宇宙家に 帰るラガ 首相ただし9月21日の乱外にあるべき もの木刀 団 気候9月21 日就任 比比午後読売新聞記者来訪3時次宇宙昼間 の玉のいを観察線とでいつもの家を 行う女は新たに立派なる霧の重ねダンスと クの茶名をあがい下座敷に据え起きたる ところ40歳ばかりになる家主と2人にて ありを掃除しい たり家主は許可地外に居住する なり女はタスが90円茶棚が 70円抱え主より前がりして出物を買い たるなりという 6時過ぎ女は上に行くとて世のカエルを 送り6鳥目角にて別れ ぬ銀座食堂に遊を食し8時家に 帰る雨止まず虫の声仕切り なり とか小説気候 9月22日 晴れ午後日高君来談他また玉井に 行く東武電車玉井駐車場の西側に樹木うそ たる別所のごとき人構えあるお見その方に 歩みを 運ぶ人に問うに銀行の別荘なりと いう京成電車元玉のい停車場はいつの頃 よりか電車の運転を中止しすでに線路と共 に待合所の建物をも取り払いたれば線路 敷地の土手にすきおし蹴り待合所の祖籍 プラットフォームに登る石の階段ののみ ざとの中にそびえ立ちたる様上妻の後の ごと子供の遊ぶ姿の見えたれば石団をの森 セメント敷のプラットフォーム後に所立 するに正法にはかの安田別荘の林限界を さえぎり空には高く78日頃の突き浮かび 土手の下の南方に立派なる屋敷2 3元石の兵をつねたりこれ噂に聞きしい玉 のい消化主人の住宅にて玉のい御殿と呼ば れるものなる べし土手を降りて細道を横断すれば線路後 にそいたる色町にいず いつもの家に消息し日暮れ果てしこ去りて

銀座に ハス帰宅後小説執筆午前3時に 至る9月23 日去7月頃朝日新聞社の記者防日高君を 返して の気候をめしこと ありその時は曖昧の返事をなしおきしに いよいよ来月中旬より石膏入用のよし申し きしゆえ病に託して辞退し たりよは菊間をはめとして分断に敵大きに なれば石膏新聞に連載せか劇の声一時に 沸き起こり必ず警中止の役に遭う べしよはまた年齢民衆一般の趣味及び社会 の情勢を 伺い今は石工を公表すべき時代にあらずと 思える なり保持銀座に赴き神を利し浅草公園を 過ぎて に消し再び銀座に戻り遊を食して家に 帰るこの日 終9月24日秋晴れの空限りなく よしのく萩集海道その他の家ことごとく剣 をきそう 午前執筆午後 読書夜は半月の光住み渡りたれば東部電車 にて堀切りに至り万歩玉のいを過ぎて 帰る乱外 木所増税に監視セロン 然9月25日改正運営 なし午後佐藤監視中央高論者 来る9月30日午後より 春小説執筆白保に 至るこいは15屋 なり空を見るに美雲月を 混む電車にて雷門に至り水辺を歩むうちに 雲去りて両親と なる白ひげの滝 に消息し12時頃 帰宅今夜もふるに従い月食ますます きよし去年は中州月 なし 10月初198月16 日風なく空 曇る終日 執筆夜銀座にいで食料品をあがい玉のいに 行きいつもの家に 行こう途上電車向島終点に花電車の停留 するに 会う見るものと なす施設電車25年の記念なりと いう10時半 帰宅東日また 執筆10月初 2将来雨 ひ午後執筆一用にして立ちまち国典教に

遊ぶ東国終わり町に反してキベルの諸子と 東京サボに登りて看護時を 移す夜半すぎ大風北というその頃に氏が風 未だ起らず満中世の食し樽を聞く のみ森先祖君の書に 接す10月初3 土曜日野の豪 やず午後1時頃より北星の風吹き正氏が4 時頃より空次第に晴れ夕日3千 たり日暮れての門をいずるに18夜の名月 屋上にあり藤見町の貴き親に遊を食して 帰るつ 寒とか 執筆10月4日日曜日晴れ午後 執筆幸いにして訪問者来らず 白保を食さとて銀座に 行く日曜日にてざと 離しさって木刀老seeの女を 問う木と車にて大川端を すぐ半月本所の騎士に あり1つ目のやけ花け なり10時過ぎ帰宅 風つゆ霊 なり引き やよさの歌の月明かり 10月5日庭のハギまだ散ら ず昼のうより虫の声盛ん なり小説の公王ようやく 進む夕して後銀座にて買い物をなし玉のい に立ち寄りて 帰るやき冷やかになりて賢所の夜のごとき 勇気も今は消ましたれ ばかの女の家を大もこいを限りにせかなど 思い患うことを仕切り なりとかまた 執筆1時過ぎ真に つくラガ 首相渋谷にて芸者と巡査の上司 あり10月6日空曇りて萩の葉さえ動かぬ 静かなる日 なりでトランとする時日高君朝日新聞記者 防と愛携えてき たる談は1時間 ばかり家にあらばまたもや訪問記者の来週 をこるべしと 思い走行洋傘を携え浅草に 行く白髭橋を渡り木星を おの一直線に広く道路を 作りもっかセメントの工事中 なり右浸る古き土手も所々に残りたれど 呪目なければ夕間を早期することわ ず木骨は高き道路の下に押しつぶされた ごとくになりて形代の空地には23日前の 老子なを去らず沼のようになれ り秘訣も見ることあわざればライロを

歩み白髭橋東販より形成バスに乗りて玉 のいなるいつもの家を おの日は早くくれ たり家には三のようなる曲げ有し112歳 の女新たに来たりまた雇いババも来たり 茶の間にて遊を食しい たり主人も来たりたればこの土地の話聞き て7時頃車にて銀座に行き銀座食堂に反し てアブに 帰る10月7 日秋雲 昨日の ご終日 執筆命名して木刀気団と なす夜9時過ぎ銀座に行きキベルに休み 夜半に帰る再び執筆赤月2時に 至るせや ちんちん中世雨のごと 乱外 木所と地府日日新聞市場にて国語の浄化を 解く名論なれど行われがきもの なり10月8日晴れて風静かなり終日机に 向かう遊の後 散歩 銀座に一して 帰る10月9日晴天美風 ありやき花霊なり執筆例の ごと10月10日晴れまた曇り走行執筆4 児 なし風つゆことに霊 なり 10月11日日曜日曇りて静かなり朝より 木刀気団の走行を作る他庭にいでて落ち葉 を 炊く10月12日 曇り午後三菱銀行堀留3話銀行に行く けだし大阪防石会社株金払い込みのため なり土橋病院に立ち寄りて 帰る東国河野という人来しが面談を避けし に佐野ごとき文言をとめて 去る突然お伺いいたしまして教ですが滋賀 県よりを開始この発にて是非琵琶長浜祭り にご招待いたしたき胸申しきりましたので ご都合はいかがかと存じましたが 云々突然来訪して人を田舎に連れゆかんと するは心得がき ことなり進行の日本人のなすところ恐る べき なりの寺島町に行く木と 雨10月13日野の風雨就実山氏が白保に 及び風船富に衰え雨もまた小ぶりと なる銀座富士アス店に反して帰る執筆例の 後年10月14日 シバレの空ぬぐがごとし赤とぼの飛ぶを 見る走行執筆さらに産まず他庭にいで羽の

落ち葉を 炊くリカの柿るる光玉をつらねが ごとし晩食の後一水冷めて後また走行に筆 を取る 10月15日晴れて後に曇る午後 執筆夜また玉のいを 歩む形成電車線路後の空地に薬を売るもの あり古し分子を束ねて頭の上に縛り付け火 を転じ火傷の薬の高能を 解く新聞紙は水にて示しあるにや燃ゆるか と思ううちきることを56回その旅に薬を 売りつける なりこの夜15日にて路地の中遊客ざと す11時帰宅また机に 向かう10月16日高潤 そのち短編小説集女体を 送る晴れて風なければ午後また落ち葉を 抱く執筆例の 後年夜9時過ぎ銀座富士に 反しキベルをよぎりて 帰る10月17日晴れ終日 執筆夜9時銀座より北東に行き11時頃 帰宅直書夏の ご10月18日 日曜日曇りて暮れ方より雨となる執筆例の 後年10月19日雨振り切りて終日止まず この日中夜家をいでず北東団 執筆10月20日一作屋より降り続きたる 雨暮れ方に至りて初めて 春夕日3千たり木刀の友教名を失せ ず夜また行て霊の家を 音帰宅後 執筆赤月2時に 至る10月21日 晴れ新刊脈脈 たり鑑定の美は今年はその枝という枝に ことごとく花をつけ たり午後 一子されば日はすでにほなり晩食の後執筆 2用いでて サボに さす杉の市男郎に 遭う風つゆ花れ なり銀座浦通りの看板 に大阪 料理大阪料理と書くべきものカカの謝り など を 見る否定の図とあるべきよ図つに濁点と ナタルは写真画法の解説 なり許さずあるいはみずつ濁点などかき たる なり日本語及び文字の行末はいかになり ゆくに や10月22日晴れて風礼なり改造者中央

高論読売新聞いずれも人を使わして石膏を 求む何の心なるを知らず終日 執筆夜また木刀に遊び木と芝口の金兵に 反す10月23日晴れ 午後辰来りてフランス人美合の絵本及び 春水の人情本数部を 示す夜クア主人に招か れ吉行の [音楽] 旅亭小瀧 のたなが 咲丸花 名所懐 中みためな春水 咲娘太兵器操り はけ曲がり三神ち松亭金水穂 10月24日晴れ終日 執筆夜銀座富士に反しキベルに消息して 帰る10月25日日曜日晴れてだなり 落ち葉を 炊く木刀団の走行 なる夜10日頃の半 なり銀座キベルをよぎりて 帰るラガ 首相木刀団 学校10月26日午後より時々週あり走行 を転作す夜キベルに 赴く安藤に託して新規を あう金104円 なり10月27日晴れて風 あり落ちは即す たり夜13夜の月よし木刀を満保して夜半 に 帰る10月28日 晴れ経夫君来訪石膏木頭団を朝日新聞夕刊 市場に掲載することと なす午後辰来る夜京家君正員の役 ありその屋敷に赴き夜半に 帰る11月初2今年は 就将話しかし上にやいず子も蒼葉を見る ことをおしと いう変器感蒼然のプラター小より 色づき道断の歯赤くなりぬリカの柿の歯は 見頃 なり5号木刀予た 執筆晩餐号京ジアにて落をあない玉に至り 第1部のある家を 問うこの間約11時 真勝以下業官 保明日天皇陛下某所へ教皇のよし以上 ほ今夜玉井の路には隅々まで刑事入り込み 随時女の家に来たりて客を取りしぶるはず なりこの間約3行抹消以下業官 法陛下5外出の前夜は死士その 他類似の教官玉亀戸吉原等に一泊し未にち

がなればその世は必ず剣あるよし女の語る ところなり以上ほ木と銀座のキベルに 行こう高橋国太郎した江本武洋の電を作る と いう11月無晴れて風なし植や 来たる北東予 執筆夜キベル をの先行女子 あり11月7日立島の日なり雨降りて 寒し午後読売新聞記者きる執筆例の 後年雨晩に 春11月8日日曜日曇りて 暮らし執筆半日また春水の柵出世娘を 読む新書対抗期の人命に女の名を当てはめ たるもの なり夜木刀を歩み夜半に 帰る11月27日午後よりは 就実病に あり春水門人春がの作雪の梅を通読 すラガ 首相日本政府ドイツと同盟を 結ぶ11月28日 改正病半ば 午後土橋に行くホルモン注射を なす南千住行きのバス北上乗りて浅草公園 に 至る歩みて東橋のほりに至るに満月対岸の 屋上に現れボアぼぼとして水を 混む玉を歩みて後再び東橋にいで地下鉄 にて銀座に至り晩餐を銀座食堂に きす西銀座加藤桜谷にていつもの諸子に 会う12月9 日晴れ渡りて風なし年末に至り新聞記者 出版証人等の来訪するもの大かららんこと を 恐れ昼飯を食して後直に写真機を携え亀戸 に 至り大島町羅寺前大通りを歩み白保銀座に いで富士評価店に反して早く家に 帰る12月10日今日もよく晴れて風なく 期春の 年午前 読書春水人情 本午後写真機を携え浅草公園に 行く観音道すぐ後方噴水の前方に初夏桃瀬 現行の日食3参線分の石あに心づき たり文化12年の日付なり 噴水の後報に王こじ福知先生の 日吉川県制線分 ありいずれも今日まで心ざりしものなり 保持土橋病院に立ち寄り駐車8回目銀座に 反して 帰る12月30 晴れ東北の風 強し午後土橋の病院に行き駐車をなし

乗り合いバスにて小川に 至る万法中川大橋を渡りその辺りの風景を 写真に 移す小川草屋という気仙乗り場に178の 田舎娘神を桃割れにゆい清掃して桟バに 立ち船のくを 待つ主に浦安ありの魚家の娘の東京にいで 工場に雇われたるが親の病気を見舞わんと するにはあら んしらずは大島町あたりの貧の娘の近在に 行きて釈とならんとするなるべし 五橋の大通りに至りて乗り合いバスを待つ に若き食香風の男その妻らしき女にこわせ 2人とも大なる風呂敷包を 携え美行きの車の来るを 待つ全てこの辺りの外場の様銀座とは 異なりて何ともつかず物哀れにて常味 ふかし東国終わり町に至り桜谷にて広瀬 女子に 会う宮崎万邦の西きたれば共に鳥や気仙に 登りて遊を 食す帰宅の後春水の三日月お染を読む 切り水の光景を描写したる 一生最も妙 なり

永井荷風「断腸亭日乗」昭和11年の朗読動画です。
2・26事件等社会的動きも多く、また玉ノ井に取材して濹東奇譚を完成させた年でもあります。1時間53分です。

Write A Comment