1月12日、久保木修己氏の救国、救世の歩み。明日、台湾総統選挙。麻生太郎氏が中国の力による現状変更を批判。
はい皆さんえこんばんはあ令和6年の1月 12日金曜日ですねえ昨日はあま旧統一 協会の会長を30年 えなされていた久木幼市のことを話しまし たけどもえちょっと間違いがありましたね 1931年生まれで当時 会席台湾ま中華民国の相当にあった時が 1971年なんですねそうしますと ちょうど40歳の時だったということに なりますま40歳にしてかなり貫禄のある 方というんですかねえ 190658年 にま統一協会っていうのは西川マサ市に よって えこにいわゆる選挙に入ってきたでしょう けどもえ韓国では1950年日本は 1958年ですねそして1964年に宗教 法人として公認されたという時にま初代の 会長だったということになるわけなんです でその初代の会長があ久木小氏ということ でまこういったお顔をされてる方なんです ねはいこれはあの統一協会のホームページ に出てたんですけどもまこの隣におられる 方が久木哲子氏哲子さんという方でえこの 方をま家庭をですねほとんど振り返らずに ま入居されたとこの入居されたのは 1950あ62年になってますねですから わずか2年ぐらいでえ統一協会の会長に なられたということなんでまとんでもない まあなんと言うんですかあの いわゆる品があったということなのか西川 正氏がまさに後継者にふさわしい人として ま選んだと言んですかねまもちろん 韓国における分線名競争の許可も得て でしょうけどもいずれにしてもそういう ことでその後ですねもうすでに 1969年190064年になって6年後 ですねえ パポえパチヒ韓国の大統領に1970年に お会いされてますねまこの時ですらあ39 歳になるんですかねま堂々たるこのカプ って言うんですかまその前にこういった 写真がありますねま1から本当にああこの え久保きさがリアカを引いてるんですねま 都一協会っていうのは1番最初にはですね こういった配信回収というのをやりながら ま経済の基盤を固めていくというまその 率先してそそう1からこうにやられてた方 だということですねはいでまその当時どの くらいの数がいたか全国に分かりません けどおそらく100名とか200名ぐらい だったと思うんですけどその中のですね 特に西川サ氏はえ救いの正体というところ で行ってるんですけどもえ庭の 日教組いませんえ庭の日教師に会うという
ことはですねこのこの前にですね1番最初 に えいわゆる小山義和という方がいまして この方は あこのいわゆるあのなんとか伝動されたと いうかまもう立証構成界の 青年部長って言んですかねま青年部長だっ たんですよねでえものすごい仏教の年と 同時にですね大変な著作本を読む方でまあ ま原理研究会の会長を1960年代にされ てるんですけどその時はマルクスヘーゲル ヤスパースを統一する統一級原理なんて いうことでですねえそういう原見のまお 祭り和田大学の早稲田なんかにあるとま そういったことを掲げてえ宗教と過を統一 する統一原理とかですねマルクスヘーゲル ヤスパースを統一するとかですねま要する に仏教とですから元々が立証生界ですねま 釈尊の教えとイエスキリストの教えまそう いったことをにものすごい深く勉強されて た方でこの方がですねまず最初に西川正市 に出会ってですねまその間に誰かいると 思うんですけどもえそういう方でま要する に感動してそしてえ立生界の青年え会長に もかわらずほとんどなんか行方不明になっ てしまって一体どこに行ったんだというな 感じになってですねそうするとまどっかの 愛東でですね小山和氏が激しくういわゆる ロボ伝動というんですかね伝動してるん ですねえま日連証人があ勝ってその鎌倉 幕府に対してロボでもって激しくその迫っ ていったような感じでですねま あま訴えてる人がいたんですねそれを見た 久木おしがですねあどうしたんだ小はここ にいるじゃないかということで聞いた時に とんでもない教えに出会ったんだという ところでですねま あま小山が言うんだからというかま当時 立証高世界の秘書室長にの会長の筆頭秘書 室長ですねえです からまそういうことで えま山年の代表ですからねまそういうこと で小市のまあ伝動されるというか西川市に あってそこで話を聞いた時にまあ非常に わずかな小人数にも関わらずですねその 西川市の迫力に負けたというんですかね すごいそしてその後いろんなまた聞きに 行った時にですねま非常に貧しいその 食べ物と言んですかねままパンの耳を食べ てるっていうんですかねまそういうのを パンパンでまあ大体イスラエルよなものを まなんというかもただでもらってきてって いうんですかそういうものを食べながら 天下国家を延々とこの語り合ってる青年 たちを見てまショックを受けたっていうん
ですかねえ立証高世界ねそういうものが もうなくなってきてるっていうんですかね アルメでえ当時立証交際がも大成功して 100万人ぐらいのシトがいたんですけど もえ非常にその大きな建物を建てるような 状況の中でですねこれでいいのかという またあの久木幼っていう方は立証構成会は ですね当時総括学会に対してえま総会学会 っていうのがもうどんどん急速に伸びて いくわけですねそれに対して総学会を撲滅 するとかいうようなことで立証構成会と 成長の家ま当時その成長のは谷口正総裁 ですけどもまこの方の元にですねえ村上 正国という国会議員後にえその前に 玉和夫というですね国会議員が成長のから 国会議員が出るというねまそういう状態で あったわけですよまそういうことで久保は 師長ですからそういういわゆる反総学会と いうとにですねや村上邦ともま親しかった というかそういうことで共闘してたという そういう関係であったんですねまですから 非常に政治識の高くてえ久保清氏はあ いわゆる統一協会じゃなくて立証公生会 から将来参議議員に出るというようなこと が噂されてた人物なんですまですからそう いうレベルの非常に国家的なあるいはそう 意識の高いレベルにありますから伝動され て1962年に伝動されてもう2年後には 快調になるという元々そういうある面で すごい出来上がった方っていうんですかね そしてま原理を聞いてそしてまいろんな ことを見るとまなんか祈としていく時にえ 当した時に霊的体験をして日本のモになれ というようなことになったようなんですね え日本のモになるだというようなま山の方 の上に行って当した時に何か霊的になって えモーセも日本のモーセになれと言われた のかというなことを書いてありましたま そういうなことでえ非常にそういうことで ま1964年から6年後にはですねえパ チヒ大統領と会そして1970年9月8日 にはですねこういった世界反響大会の ワクルという世界反響大会の責任者として えこれを取り仕切る日本武道官でえ 取り仕切るということがありましたそして その後ですねえちょうど1年後に国連で アルバニアが中華人民共和国中京が要する に正式な あ正式な国であるあるべきだで国連に入る べきだということで国連上人時国に元々 中華民国あったわけですけどもそこを 追い出されてそしてえ中華人民教中京が 常任理事国になるということが起きたん ですねそれそうであっちゃいけないんじゃ ないかということでえ久義氏がですね岸
信助氏と非常に信仰がありましたから岸信 氏の新相を預かってそしてえ岸信助氏の 代理で えこの小海石相当にあったというまこの時 にちょうど40歳ということなんですね はいでまそういうことですがあこういう中 で えここに出てきてます ねえこういう風に騎士信助氏と文線名ご祭 ですね左右にそしてえ横 に1番ですかこれは久おで隣におられる方 がま韓国の後に教会長ですかね責任者だっ たま日本名では金英っていうことでこの方 が教理論を作ったリ総権という方ですねま こういうにしてえ非常に1973年のです ねえ時に統一協会の本部に信助氏が訪ねて きてるということですねまここのようにし てもし岸信氏の新相をですねえいわゆる 国連常理時国安全保障理事会から外れてで もいいから中華民国として独立したらどう かとでその独立それで1つの国連の加盟国 になったらどうかということを小会席相当 に言ったんですけどもまそれをなかなか 受けられなかったというまそういったこと なんですねえ明日いよいよ台湾でえ相当 選挙がありますで え10日にはですね1月10日にはですね アメリカに麻生太郎氏が言ってえ台湾は 絶対にその武力的な中国の力によって え統一されることは絶対に許さないていう なことで講演をしてるわけですねまこれが こういうアメリカに行ってるわけですこの 2日2日か3日前にですねそうにして麻司 ははあこういうことを言ってるま麻司と 言えばですね吉田茂氏の孫さんなんです けどもえま戦後の政治は吉田路線というの とそれからま あ本当はあれですね吉田路線ではなくてえ ま吉田路線によって経済延長になって防衛 をまアメリカにたりするというようなこと になってきたわけですけど今回の ウクライナ情勢を見ても自分の国を自分で 守れないっていうことになると結局ぐらい な自身が武器がもう本当に足りないそう いうことでアメリカに要請するしかし アメリカではバイデンがいるのでえ バイデン政権がもうトランプ政権の方が 優位なもんですから予算が通らない大体 9兆円ぐらいの予算が通らないですから 非常に厳しい状況になってきてるわけです けどこれは単なるウクライナは自分の自分 で自分の国を守れないってことの現状をを 我々は日本人として見てるわけですねそう すると日本人はアメリカが助けられなけれ ばウクライナも負けてしまうかもしれない
それと同じようにですね日本人自身が自立 した防衛力あ憲法改正などをしてしっかり と台湾と手を組んで台湾有事が日本友二で あるとま例え台湾は中華民国という形で 独立していなくてもですね本来は要するに こういう台湾という国は気いの地と言って ですね大陸全体から見るとですねその 要するに遺って言うんですかねま要するに え中華民族の韓民族からしたら全然レベル の低いとこでそんなものを支合する気もな いって言うんですかねええそれからそう いうことを言うとするならばかて真の国は 要するに台湾はあそういうとこにありませ ん台湾は真の元にあったでしょうけども まあ日清戦争の後に 結局この日本は台湾を統治できたわけです ねでこういうところでま海路宣言の中にね え会席は出てるんですね回路宣言これは あのフランクリンルーズベルトとえそれ から あえフランクリンルーズベルトチャーチル と会席ですねこういうにして改宣言をある 1943年に日ぐらい談してるんですね そしてえこれからどうするかという時にえ そろそろ ベトナムなんかはあベトナムなんかとかあ もうえもらったらどうかとこの戦争終わっ た後にですねそうすると哨会席じゃなくて ま小会席ですねその当時小会席断った後ん ですねそもそもベトナムというのは完全に 真の続行だったわけですねいわゆる下の 韓民族から下の国だから本来ならえ ベトナムを支配しようとした1979年に ね1度中戦争でまそういうよなことがあっ たわけですから今台湾を有事だ自分の国だ 武力でも投資進んだと言ってんですけど そういうことから言えば要するにこの ベトナムなんかを襲わなきゃいけないって いうかえ統一しなきゃいけないまそういう には論理になってくるわけですねでも結局 ベトナムはフランスが関係してましたから フランスにおじけづいてえま会いらないっ て言ったわけですねま1番近くあった台湾 に最終的に負けて逃げてきたという状態な んですけどもまいずにしてもこの歴史的な 非常に大事な時ですね明日まそういうな ことであの国民党の元ま国民台湾の相当 だった人ですねバ英久という人がですね この人が昨日かなんかに集金平を信用し なければならないと集金平を信用して全然 大丈夫だと一国2制度で十分やれるんだと いうなことでねまこういったことを国民党 のいわゆる前の相当だった人が言うことに よってですねま非常にこれが野党の校と いう国民党の候補者にとって不利な発言と
いうのか状況としては非常にまずいって いうことでえ消しに一気に走ってるわけ ですねこの高遊戯ってうん消しに走ってん ですいやそんなもう売影の言ってることは 違いま違うと我々はあた台湾は台湾として 中国の中 に一国に制度どややらないんだということ 秘しに走ってるまどういうに結果がなるの か非常に大変な状況なんですけどもまそう いうことでえ明日の台湾の相当選挙とまま あちょっとえ久おのことがあ ちょっと説明不足だったのでお話しさせて いただきましたはいどうもありがとう ございまし た
自民・麻生太郎副総裁「台湾の軍事統一は許されず」 中国との対話呼びかけ 米講演
1/11(木) 8:35配信
麻生太郎氏(春名中撮影)
【ワシントン=坂本一之】自民党の麻生太郎副総裁は10日、米ワシントンで講演し、中国の習近平政権が武力行使による台湾統一を選択肢としていることを指摘して「軍事的統一は許されない」と述べた。「中国との対話継続を諦めてはいけない」と米国などと協力して自制を促す考えを示した。米国に環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への復帰を求めた。
麻生氏は講演で、「現実主義」に基づき中国の台湾侵攻を抑止する国際的な取り組みを米国などと進める一方で、「中国と台湾のハイレベルな政治対話」を通して地域の安定の維持を図ることも訴えた。
「中国が大国として国際秩序の安定に責任を持つよう説得しなければならない」とし、日中韓や東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)の枠組み活用も提案した。
国際秩序の安定に向けて「グローバルサウス」と呼ばれる新興・途上国との連携を強化し、民主主義陣営への取り込みを図っていくべきだとした。
TPPはトランプ前政権が離脱したが、麻生氏は英国が新たに参加したことに触れ、米国が復帰すれば「その規模は世界経済の約4割に達する」と指摘。さらに韓国も参加すれば、参加国や地域を巡る「安全保障と経済が表裏一体となる」と述べた。
また、中朝露など「日米両国が直面する脅威は増大しており、日米同盟に基づく幅広い連携や協力がますます重要になっている」と主張。米英豪の安全保障枠組み「AUKUS(オーカス)」への日本の参加を改めて提案した。インド太平洋地域における「安全保障協力体制の構築」も視野に入れるべきだと語った。日米が「相互に信頼し合った関係」を強化し、国際秩序の安定に貢献していくことを呼び掛けた。
講演は米シンクタンク「米国大統領制兼議会制研究所(CSPC)」が主催し、米議会内の施設で行われた。
1931年2月3日、中華民国安東県(現:中華人民共和国遼寧省丹東市)で父・仙蔵と母・よしの長男として誕生。仙蔵(1902年7月 – 没年不明)は千葉県香取郡津宮村出身で、京城商業善隣学校(現:善隣インターネット高等学校)を卒業後、朝鮮銀行を経て、西安商工公会参事・満州興業銀行西安支店支配人代理を歴任[3]。戦後は立正佼成会の唐津支部長をつとめ、のち佼成会の外部企業である立花産業の取締役になった[4]。母も立正佼成会の支部長[4]。
1945年、終戦にともない引き揚げ。慶應義塾中等部では野球部に所属、甲子園にも出場。慶應義塾大学に在学中、立正佼成会に入会、庭野日敬会長(当時)の秘書を務める[5]。宗教活動に専念するため、大学は4年生で中退した[6]。
1962年、立正佼成会を去り、世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合)に入教。このとき、立正佼成会の庭野日敬会長(当時)の指示で統一教会の教えを学んでいた青年部50名ほどが統一教会に転じた[7]。
1964年7月15日、日本統一教会の初代会長に就任[8]。
1968年2月22日、統一教会の合同結婚式(430組 ソウル市民会館)に日本人として初めて参加。既に結婚していた哲子夫人と既成祝福を受ける[注 2]。同年4月1日、国際勝共連合が設立[9]。初代会長に就任。
1970年9月2日、久保木は、岸信介の自筆の推薦文をしたため、韓国の朴正煕大統領と青瓦台の大統領官邸で会見。同月に開催される「世界反共連盟(現・世界自由民主連盟)世界大会」への韓国の代表団派遣を依頼した[10]。
同年9月20日、世界反共連盟世界大会が日本武道館で開催。岸が大会推進委員長を務め、久保木は議長を務めた。また、大会責任者を国際勝共連合の事務総長の阿部正寿が務めた[11][12][13]。韓国からは李応俊、李根、崔徳新らが参加した[10]。
1971年5月14日、中華民国(台湾)の総統、蔣介石と会談。ローマ教皇パウロ6世と会談。
1973年、全国124カ所で「救国の予言」と題して講演。同年4月8日、渋谷区の統一教会本部で久保木は元首相の岸信介を信者に紹介。岸は講演を行った[14]。同年11月23日、文鮮明、韓鶴子夫妻、教団幹部の李相軒、金栄輝らは渋谷区の統一教会本部を訪問。文と岸信介は長時間にわたり会談した[15]。久保木も同席した。
1989年7月4日、文鮮明は韓国で行った説教で「国会内で教会をつくる」「自民党の安倍派などを中心にして、久保木を中心に、超党派的に原理教育をした議員たちを結成し、その数を徐々に増やしていかないといけない」と述べた[16][17][18][19]。
1998年5月、脳梗塞で倒れる[1]。同年12月13日、死去。67歳没。
2004年12月、7回忌にあたって遺稿集『美しい国 日本の使命』が出版される。
