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平良川伝道所 主日礼拝 2023年12月31日 『三位一体の神』 林利行牧師

お祈りを捧げます目を閉じ神戸をれて ください恵深い天の父なる神様今日も あなた様を我が父と呼びその子である 私たちの祈りを聞きてくださる父なる神様 あなたのこされた幸いを思いつつあなたの 前に祈りを捧げます今日12月31日 大晦日の日を迎えました2023年を 振り返り私たちの歩みが私の生き様が 私たち1人1人の生きるというこの力が 私たちの祈りでしたそして悔い改めでした 生きるゆに悔いえめの祈りを捧げまた 生かされている喜びを感謝し今日という この日を迎えることができたのは本当に あなたのただ恵みであったことを思います あなたの慈しみと恵みはにることがないと いうあなたの約束の上に今日私たちは大晦 を迎えることができましたあなたの見舞に 心から感謝をいたしますそして私たちの 関わりを交わりを私たちの家族をあなたが 支えてくださったことを覚えて感謝を いたします感謝につきないこの思いを あなたの見舞に捧げ礼拝の恵みに預かり 今日もあなた様からの御言葉をいただき 私たちをもう明日新しい信念を迎えるこの 時にあなたの御言葉によって作り替え られることを願いますどうぞ神のこされた 喜びを感謝して新しい年に目覚めそして あなたがこの私のたち1人1人の上に何を 成し遂げてくださるか父の思いを伺いつつ 信念を迎える幸いを得させてくださいこの 1年本当に全世界においてはもう痛ましい でき事が絶なく続いておりますそして 悲しむ出来事が私たちの身近の中に私たち を知らないところで起こっています自なる 神様のその心の痛みは私たち本当に想像も 絶するようなあなたの叫び声が聞こえて くることを思いますどうぞ三国をきらす たへ天の見がこの地上に成し遂げて くださいますようにお願いをいたします そして人々に真の平和を実現させて くださるようにお願いをいたしますそれと 共に私たちの思いを御国に引き上げて くださってこの地上を生きながらにして 御国を歩む幸いを得さしてくださるように お願いよいたします今日の朝もあなたの 御言葉を語るどうぞ下を消してただ父の見 だけが語られるように説教者の心を守り 支えてくださるようにお願いをいたします 平川伝動所に壊あるものの中に山を中に いる方々がいらっしゃいますあるいは 来ようとしながらも来ることのできないさ 本当にえこうして私たち導かれてる幸いを 思いますが来よとしても来れない方々が いらっしゃることも思いますどうぞ平川 伝動省につる1人1人をあなたが守り支え

その祈りを導きどうかこの伝動書そして このYouTubeを視聴されるお1人お 1人にあなたの恵みが豊かに注がれます ようにお願いをいたします一言の祈りを イエスキリストの皆によってお祈りいたし ますあ あ聖書をお読みいたします今長はヨハネに よる福音書1 章1節から18節まで新約聖書の163 ページを開き ください新約聖書163 ページヨハネによる福音書1 章1節から18節までの御言葉 ですお読みしますヨハネによる福音章1章 1節 から初めに言葉があった言葉は神と共に あった言葉は神であったこの言葉は初めに 神と共にあった万物は言葉によってなった なったもので言葉によらずになったものは 何1つなかった言葉のうちに命があった命 は人間を照らす光であった光は暗闇の中で 輝いている暗闇は光を理解しなかった 神から使わされた1人の人がいたその名は ヨハネで ある彼は証をするために来た光について 証しをするためまた全ての人が彼によって 信じるようになるためである彼は光では なく光について証しをするために来たその 光は誠の光で世に来て全ての人を照らすの である言葉は世にあった世は言葉によって なったがなったが世は言葉を認めなかった 言葉は自分の民のところへ来たが民は 受け入れなかったしかし言葉は自分を 受け入れた人その名を信じる人々には神の ことなる資格を与えたこの人々は地によっ てではなく肉の欲によってではなく人の欲 によってでもなく神によって生まれたので ある言葉は肉となって私たちの間に宿られ た私たちはその栄光を見たそれは父の 独り子しての栄光であって恵みと心理とに 満ちていたヨハネはこの方について証しを し声を張り上げていった私の後から来 られる方は私より優れている私よりも先に おられたからであると私が言ったのはこの 方のことである私たちは皆この方の道 溢れる豊かさの中から恵みの上にさらに 恵みを受けた立法はモーセを通して与え られたが恵みと心理はイエスキリストを 通して現れたからである未だかつて神を見 たものはいない父の懐にいる独り子である 神この方が神を示されたのである以上 です え今長は3味一体の神と題して御言葉を 取り付かせていただき ますここでも何度もお話をさしてえさせて

いただきましたけどもえ私自らがなぜ教会 に導かれそして聖書の御言葉をたどって いくその心理に目覚めていくそのプロセス を経ていくかというのは永遠の命という 課題でしたここにいる人全員 必ず召されるっていうことは自分の身に やってくるんですもう私は小学生の時から え ま母親 のお父さん私にとっては祖母にあたる 祖父母もそうですけども え亡くなっていく現実を子供の頃から見て ました え亡くなる召されるというのはやがて私の この私の上にも必ず来る問題はその召され た後に何が来るかということなったんです 何が来る かそれがまた球道に至るきっかけにもなっ たんですいろんな方々に学校の先生や両親 やまた関わりのある方々からもう子供の頃 からですよ友達にもそうですお前死んだら どこに行くか分かるかえ友達はまともに 答えられないですよそんな分かるわけない だろうええなんで林君はそんなことを考え てるんだていやいつ死ぬかわからんさ てえ不安じゃないかって言ってねそんな こと考えるからねえ君は頭おかしくなって しまうんだてもっと楽しめって言うんです よ楽しめられないですよ自分が死ぬって いうこの現実は必ず来るんですからそして 生まれるには順番があっても召されるには 順番がないん ですこの現実を突き詰められるんですよ 本当に えそれがまた教会に導かれてヨハネの3の 16の御言葉に出会います神はその独り子 をとうほどにこの世を愛したまりそれは 巫女イエスキリストがを信じるものが1人 として滅びることなく永遠の命をえためな りっていうねあ永遠の命っていうものが あるんだっていうこの永遠の命という言葉 に出会ったのが教会を通してなんです永遠 の命っていうものえそれが洗礼を受ける きっかけにもなって洗礼に導かれましたよ しかしね永遠の命を得てるっていう実感が ないんですよえ永遠の命を得てるっていう えでえ役員さんもう何十年も進行生活をし ているえ大阪日本橋協会の方々にですねえ もう母親は教育者でもあったもんですから え前も言いましたようにねは一生の恥ね 聞くは一時の恥ですよね聞かぬは一生の恥 だよだから分からないことがあったら何で も率直に聞いた方がいいよっていうこう いう母親の言葉を聞いてたらえ大阪日本橋 協会のね信仰者の信仰生活が長い人にね

何々さん本当に召されたら天国へあなた 行けるんですかねもう追い先近いねこの人 ね見てたらええはいだからあの天国行ける んですかって聞いたらねやっぱはっきり 教えてくれたんですよそんなものは分から んて死んでみないとわからん よあの死んでからじゃ遅くないですかねえ ではっきり教えてくれたんですよあそうか 分からんのかえねで牧師にも聞いたんです よ掃除のその山崎光夫先生先生本当に召さ れたら自分天国行けるかどうかわからん けどもていう話をしたらねまそれを者とし ての課題にしてねえそしてそれをあなたの この問題義としての問題としての心の中で それを抱いてたら信仰生活励めるでしょね それを課題としなさいっていう風に言われ てどっちかと分からないまさすが木介的な 配慮ですよねあ牧者が言う言葉はそう木介 的配慮ですよね先生はそれには答えてくれ なかったんですよえそれを君の課題として え同生活頑張りななよあるいはこれからも 信仰者として求めていきなさいよっていう 言葉で私の心を整えてくれたんですよえで 牧師になりましたえ24歳でしたえあるで 新学校でも6年間惑いましたえもう随分前 ですけどまここでも話しましたけど五藤し さんていう教会清水草教会っていう教会が 私の主任地だったんですけど24歳で教会 の牧師となってある時五藤しさんというえ もう65歳を過ぎてですねえリタイアされ て仕事をねでそしてうん滅多にこのごとし さんは教会に来るっていう個人的にこの 牧師に面談するために来るっていうこと なかった人なんですよほとんどまた言葉も 喋る人じゃなかったんです奥さんは熱心な クリスチャンだったんですけどご主人も 戦略を受けたけどもぐっとこう教会に距離 を分けてただ礼拝の日の礼拝にま奥様に 連れられてくるというようなそういうご 主人だったんですよでしさんがね後藤しぶ さんが突然教会にやってきてね早先生話が ありますあ分かりました何ですか早先生は ね若いからお尋ねしたいんですねでどう いうことですか先生私死んだらね天国へ 行けるでしょうかって言うん ですやっぱりね年配の先生にこんな失礼な 質問できないからね林先生は若いから教え ていただけませんかと言われた時に私は 自分の心に嘘つけないんですよしぶさんに ね私は言ったんですはっきり言うと私も実 は分からんですよて林先生も分からないん ですかで林牧師も分からんないですかそう なんです本当に分からんのですよって言っ たらこのしぶさんがねああ良かったって 言っ

てよかったって先生が分からんかったら 自分も分からんですよそれでね本当にもう しさん祈らしてくださいって言ってねもう 本当にね2人でねもうあの時涙ながらでし た本当に死んだら天国へ行けるんですか 教えてくださいというねもう心の叫び みたいな祈りをね2人で捧げてねそれから ですよなおもっと新学校で6年も学んだの にねその確信がないんですよや今度はね藤 さんの姿に習ってね牧師という立場が与え られましたからねいろんな集会に行ったん ですよね大伝動者と呼ばれる何々先生 いろんなこの集会に行ってねあるいは 大きな大きな教会見事な教会ですよえ礼拝 人数がもう何百人もこういう先生は ちゃんと分かってるだろう てねえどれだけの葬儀をあげて いらっしゃるだろうかと思いながらねえ その先生にもうお名前は言いませんえ言っ てねえあの立に行ったんですよま牧師と いうことですからから会ってくださったん ですよ電話をしてお互いあのアポイント 取ってね何月何日に行きますからって言っ たら分かりましたと言って行きましてえお 忙しい先生ですから信徒の方も何十人何百 人もいらっしゃる方ですからねえこんな 若造のね質問に答えるにも忙しい先生 捕まえたら申し訳ないので短い時間でいい ですから先生教えてください先生担当直人 に言いますけども本当に召されたら天国へ 行けるでしょうかかと言ってえその先生に 聞いたんですよまともの返事を返してくれ た先生は1人もいなかったし1人もです まともに答えてくれる先生いなかったん ですよまそういう意味でははぐらかさ はぐらはぐらかされたですね君はね永遠の 球道者なんだよって牧師になっても永遠に 球道者旧道者であるといことでいいんじゃ ないかっていうわけですよえいい言葉です よいい言葉ですけど答えがないですよ ええずっと永遠に球道するんですかて言っ てえま最初言われた山崎先生の答えの似て ますよねえそれを課題にしてっていうああ だから大きな教会あるいは大伝動者と言わ れるこの人たちにも永遠の命っていうもの の明確な答えがないんだろうなっていう ことは私ははっきりしましたこれでまこれ で私はないと思ったんですよねこれで 私は召されてね天国へ行けるという確の ないままね自分自らの葬儀を迎えることは できないと思って ねそういう前置きをしながら聖書の御言葉 を少し振り返りながら語りたいんですまず マタイの13章を開いて ください新約聖書の26ページですいくつ

か開いていきますけどもマタによる福章 13章の34 節新約聖書の26 ページマタによる福音章13章の34節 新約聖書の26ページをお開き ください マタによる福音章13章の34節イエスは これらのことをみなたいを用いて群衆に 語られたいを用いないでは何も語られ なかったそれは予言者を通して言われ言わ れていたことが実現するためであった私は 口を開いてたいを持ち天地創造の時から 隠されていたことを告げるっていうね隠さ れてるんです実はこの永遠の命ということ については隠されているんですねこの1節 の御言葉予言者この予言者は誰を指すん です かエゼキエル ですこれはエゼキエル市の17章に記され てる言葉なんですけども予言者を通して 言われていた事柄が実現するためすなわち 私は口を開いてたいを持ち天地創造の時 から隠されていたことを告げる予言者が 語ることは実はその本質は隠されてるん です隠されているんですよ えなぜ隠されているかというとこのマタの 福音書の13章に答えが書いているんです けど も13章の続けて36節をお読しますけど もそれからイエスは群衆を後に残して家に お入りになったすると弟子たちがそばに 寄ってきて畑の毒麦の例えを説明して くださいと言ったイエスはお答えになった 良い種を巻くものは人の子畑は世界良い種 は三国のコ毒麦は悪いもののコである毒麦 を巻いた敵は悪魔だって言ってるんです畑 はこの世界この世界にね毒麦と良い麦 そして良い種そして毒麦があるっていう わけ ですそしてこの毒麦を巻いたのはサタン だって言うんですねなぜ隠されているか父 の思いはなぜ隠されてるかというとね サタンが多いんですこの地上はサタン をサタンが支配する世界なんですでサタン というのはねこのこのサタンという言葉を 日本語で分かりやすく説明すると訴える もっていう意味なんです 訴える訴えるものていう言葉がサタンに なるんです 何を訴えるか自分が正しいっていうことを 訴えるん です自分の思い自分の考えというのは誰 よりも 正しいね自分の思い自分から思いから 発する言葉というのは何よりも正しいと

いうこの自己中心な心の中に働くものが サタンなんですそうだよ君の考えは正しい よ君の考えが正しいと主張する時に相手を 否定するん です教会の中でもなんで一致が保てないん ですか声の大きい人あるいは熱心に信仰 生活をする人が発言し自分の思い自分の 言葉が正しいという風にするん です礼拝説教礼拝報酬しなさい捧げなさい 奉仕しなさいなさいなさいと言って自分は やってきた自分はここまでやってきたって いうその自不信自分という思いを自己主張 し始めた時に教会はもう分裂してしまうん です よ ね今あちらこちらで戦争起こってるでしょ 戦争の原因って何ですかはっきりしてる じゃないですか自分が正しいっていうこと を主張してるからこの正しさが戦争まで 至るわけですよ1人の人の正しさが国を 巻き込ん で目を追いたくなるほどの凄まじい勢いで 人と人とが命と命の奪い合いをしてるわけ ですよ原因は何ですか1人の人の正しさな んですねその正しさを持っている時には 国々を巻き込んで生さというものが起こっ てしまうんですだから上に立つものの正し さっていうのは恐ろしいです よその権力権威を振りかざして自分の正し さを自己主張してそして多くの人の命を やめていくんです よですから自分の自己主張する時にそれは 戦にまで発展していく恐ろしい思いという ものを自己主張というものが持ってるん です よ イエスキリストの生涯を見てごらんなさい ただの1度でも自己主張なさるお方じゃ ない です十字の件を伏す時にもご自分ご自分が もし自己視すればねピラトは許すという 方向に立ってたん ですピラトはイエスキリストを許したかっ たんです彼らのユダヤ人たちの策略によっ て捕まえられた方であるということは ペテロも知ってたんですよ知ってたんだ けどもイエスキリストは一切自己主張し なかったですよ そのままを受け入れて11時間にかかって 父を帰らを許してください彼らは何をして いるのか分からないでいるのですっていう ね自分の思いを全く父なる神様に委ねてた んです よですからサタンていうのは自己主張する その自分の正しさの中に生きる人の中に

働いてですからねほとんどのクリスチャン がこの自己主張というものから解放され ないと永遠の三国というものには至らない ん ですそして毒麦を巻いた敵は悪魔借入れは 世の終わりのことで借り入れるものは天使 たちであるだから毒麦が集められて火で 焼かれるように世の終わりにもそうなるの だっていうんですよ世の終わりにもそう なるんだって言うんですねで私は1度1度 だ1度だけではないんですけど時という ものの厳しさを当たりにしたことがあるん ですで茨城県の勝田市というところで北海 伝動をさせていただいた時のことなんです 今でもあの時の光景が目を潰れば本当に 浮かんでくるえ映像のように開かれてくる 思いがあるんですでこの茨城県のこの春田 笹野教会っていうえ旧春田市今は日中市と 言うんですけどもえこのカタの笹野教会は この交差点の十字路のちょっとした角地の ところにあったんですねでこの十次路で 時々それは小さな大きな含めて交通事故が あるんです よで深夜の11時に点滅信号に変わるん ですけどもある時バーンという大きな音が したんです交通事故だろうなっていうこと がすぐ分かりましたで飛び出していってえ でそしてえ横転している1台の車とえ そして橋の方にえその衝撃のすごさを 感じるわけですけどえ飛び出した車ま2台 の車を見てるわけです見たわけですけども その1台の車は横転してたんですよえで すぐに近所の人たちと連携して救急車を そしてえパトカをエシに電話してですね 手続きだけはしたんですけどもその5分 10分というね救急車が届く来るまでの 時間がなんと長いことかと思うわけですよ ええでその横転している女手的にはシート ベルトをしていなかった若い女性がそこに いてですねうん近所の人たちともうこれは ね救急隊が待ってる来るにはもう待てない とにかくこの女性をこの助手席からね 引きずり出さないとねえ大変なことになっ てしまうという危機感で集まって来た人 たちはみんなでその横転した車を元に戻し てそして除石から女性をま引きずり出した わけですよみんなでえでその表情を見て びっっくりねその表情はもう同行が拡大し てえ見たものはもう本当にえ命の危険に さらされている女性であるということは 分かったんですけど私たちどうすることも できないです よその女性の傍でですね車を運転していた まどういう交換経か分かりませんけどご 友人な方でしょう年配の男性の方がですね

その女性の前で泣き崩れてです よご両親に何を言っていいかわからないっ てご両親になんて言っていいかわからな いって言ってもう泣き崩れてるんですよ 本当になめの言葉ないですよその時思い ましたこの時を5秒でも前に怒らすこと できないんですよわずか1秒でもし1秒 ですよね怒らすことができたらこの事故は 回避できた え運転者の内心があったのか不注意があっ たのか起こってしまったこの事故もう 取り返しつかないですよその時に分かった 私自身は時というものは 厳しい厳しいんですもう元に戻れないん ですこの元に戻れないっというこの現実 あるのは現実だけなんですこの厳しい現実 だけがあるんですそしたら皆さんホビの 世界に行ってごらん なさいホビというこの現実はもう取り返し のつかない世界に入っていくんです よですから召された後自分はどこに行く だろうかというこの魂の叫びはね生きてる 間に答えをもらわないと召されないですよ ないですよそして滅びの世界に行って ここにも書いてあるよう に燃える路の燃え下がる路の中に投げ込ま せるのであるっていうねその中に自分が 入っていくとなった時には厳しい世界が 待って いるこういうことを牧は言わないんですよ 皆さん神様の祝福を受けてそして天国家 ってそんな天国家なんて書いてないのに またその牧先生はそんなことを思ってもい ないのにあの先生ですらま名前を言います けど言いませんけどあの先生ですら永遠の 命の確信がなかったん です本当に えなぜならば天地想像の時から隠されてい たことを告げるっていうね隠されている からなんですよこのね隠されれて るっていう1番の例がね例えばねマタイに よる福音書にあるんですけどもえマタの 福音書開いときましょうかねマタによる 福音書の7 章 はいマタによる福章7章の7節もう隠され てるんです よまに福音章7章の7節有名な御言葉です よ11ページ ですこれはルカの福音書にも記されてる 言葉なんですけどマタイによる福音書の7 章の7節求めなさいそうすれば与えられる 探しなさいそうすれば見つかる門を叩き なさいそうすれば開かれる誰でも求める ものは受け探すものは見つけ門を叩くもの

には開かれるっていうんですさあそして たら皆さんに訪ねます何を求めるんですか 何を探すんですか何を探しなさいと書いて ある門を叩きなさい と何を求めるんですか川端 さん書いてないですよイエス様を求め なさい探しなさい叩きなさいとか言わない ですよおっしゃってないですよ何を求める んですかそれでね一生懸命調べてみるん ですよほとんどの仲介者たちが神の国を 求めなさい永遠の命をめなさいこれにもう 特化しますけど永遠の命を求めなさいさあ それで求めて得られるものではないんです よ得られましたという人私見たことない です よ神の国を求めるんですよ永遠の命を 求めるんですよそしてあなたはその求めに 応じて与えられましたか探しましたか 見出しましたかと言って私に答えてくれた 人は誰1人いなかったんですよだから求め ても得られるものではないし探しても得 られるものではないんですそしたらイエス キリストは何を求め何を探せこれ隠され てるんですよ天地創造の時 から今私ははっきりと皆さんに確信を持っ て言い ます自信なる神様があなたを求めてるん です自信なる神様があなたを探しているん です父なる神様があなたの心にあなたの魂 に叩いているんです求めておられるお方は 父なる神様なんです探しておられるお方は 父なる神様なんですあなた自身をこの畑と いう全世界の中であなた1人を探して いらっしゃるんですでもねそれを隠してる んですなんで隠すんですかサタンから あなたを守るため にサタンの手口からあなたを守るために あえて毒麦の中にさらしているん です毒の中に隠してたらいいでしょ カモフラージュされるからねええそして その言葉をその思いを隠して求めておら えるのは父なる神様探しておらえるのは父 なる神様ね99匹をの腹に残してあなたと いう存在を見つけ出すために門を叩いて おられるのは自子御玉の神様なんですよ これは隠されていたんです永遠の時からね 戦争起こる時にね今でも戦争起り起こって ますよもし敵に本来ね戦争というものは敵 味方なんてないですっ てそうでしょ戦争というものは本来敵とか 見方とかないんですってウクライナの側 から見ればロシアが敵になるしロシアの側 から見ればウクライナが敵になるわけです よそうでしょどちらの側からで見るからで よって敵見方が発揮するわけですよ人同士

の立場から見ればお互いは人間なんですよ 人なんですよね もし相手に作戦計画が渡ったらどうなり ますその生さは負けてしまい ますもしこちらの手の内が相手に知られる ということになった時にはもうそれはその 戦は負け戦になってしまうんです天地創造 の時から隠されているあなたを守るために 敵サタンにその父なる神様のその思いその 1後イエスキリストをこの地上に送るまで に私たちのとろに携えてくださったこの命 を奪われないためにサタンの手から私たち を守るために私たちを隠してるわけですね その手のうが見れないように分からない ようにカモフラージュさせてサタンから 私たちを守ってくださってるわけです よそれが隠された父なる神様の思いなん です1つの1本の良い麦を損なわないため に父なる神様は私たちにこの毒麦の中に さらしておいてねそしてやがて訪れの日 滅びの日に毒麦は全部焼かれるんです よまず毒麦から焼かれるんですよなぜです か毒麦が多すぎる から多すぎるから焼かれるんですよ私は 良かった本当に見つけていただいて父なる 神様が私を求めてくださっているあなたの ありのままを受け入れて我が子よと語って くださってそしてまるで世界にあなた1人 かしかいないかのように愛するのが父の愛 なんです よそういう前置きをして少し長かったん ですがヨハネの1章に入っていき ますヨハネの福音書1章1 節初めに言葉があった言葉は神と共にあっ た言葉は神であったこの言葉は初めに神と 共にあったとというこの1章の1節2節を 全く新しく皆さんにお伝えしたいんです この言葉っていう言葉はホロゴスていう ギリシャ語でロゴスていう言葉が記され てるんですけども え時に違和感を感じる人が何人もいるん ですこの言葉という感じを見てなぜですか 歯がない からね日本語の中には言葉って言う時には 歯がない感じはないんですええですから なんでここに歯がないのっていうねそう いう質問をきちっと答えていかなきゃなら ないですまず日本語の言葉のなぜはって いう言葉が使われてるかというとえこの 言葉の派というのはこういう日本語の表現 があるんです言葉というものを葉っぱに 例えてその歯からね昨日この歯がですよえ 切れて枯れて地に押したらどうなります元 にその歯は戻ります か絶対戻らないでしょもう戻すこともでき

ないじゃないですかこれを日本語で漢字で 言葉っていうね言葉というものは一旦離れ たら言ったその言葉というものは責任が 伴うそして責任が伴わない伴わない言葉は 下に落ちてかれるしか ないそれがこの言葉という日本語の漢字が 記してるんですそしたら神の言葉はなぜ 葉っぱがないか分かりますか神の言葉が地 に落ちて れてしまうということはありえないんです よ神の言葉が一旦発せられたら神の言葉は 即実行なん です人間の言葉と神の言葉はここが全く 本質が違うん ですでそういうこと分からないでね簡単に 神の言葉に言葉を葉っぱという風に書いて しまうそういう現実があるんですよ全く神 の言葉分かってないです神の言葉が一旦 語られたら神の言葉は実現しかないです です地に落ちてそして枯れてしまう言葉 なんて神の言葉には1つもない ですそれをこの言葉という感じが私たちに ほロゴスという言葉を伝えてるんですはめ に言葉があったというこれ宗法に少し 書かしてもらいましたけどもこのはめに 言葉というのはこの言葉は父なる神と理解 して ください父なる神言葉は神と共にあったと いうこの言葉は精霊 ですねそうですなる神と共にあったのが 精霊なる神ですそして言葉は神であっ たって言うんです言葉こそが神なんですで この言葉は初めに神と共にあったという この2節のこの言葉はイエスキリストです ね私たちのこの 父子三たっていうこの三味一体のこの関係 の根本は私たち家族の根本なんですなぜ この国際家族年っていう年がありました けども1つの1つの家族は父がいて母がい て子がいるっていうこの父そしてお母さん 母子というものの原型はこの3味一体の 関係の中に見ることができるわけですえ そうでしょ ええで父がいて母がいてそして子が存在 するんですどんなに立派な女性であっても どんなに立派な男性であってもこの男性が 女性が頑張って新しい命を生み出すていう ことはできないんですねですからねヘブル 語を学んだ時に素晴らしいなと思うのは父 なる神様っていう勝を表す時には全て男性 名詞なん です神は男性名詞なんですしかしこの精霊 を表す皆さんヘブル語でよく聞いたと思う んですよルーハーっていう生っていうね このの息っていう言葉が精霊という言葉に

なるんですよ霊という言葉になるんですよ でイエス様は息をこあ履いてっていうこの 平安があるようにて息を吹きかけてていう フーっていうこのプネウマーっていう言葉 ですねルハーがプネウマていう言葉になる んですけどもびっくりしますよ女性名詞え 女性名詞なんですよもちろん私たち人間に 見る機能的な男性女性じゃないですよ機能 的な男性女性ではないですよでも聖書はハ ていう言葉が出た時には母なる 精霊だから父がいて男性がいてそして女性 すなわち母がいてこなるイエスキリストが 存在するんですよ父こ三たというのは現代 でいう父母子というこの家族の最も基本的 な構成を三一体が表すわけ ですですから初めに言葉があったこれは父 なる神言葉は神と共にああったっていう この言葉は父なる神と共におられた御言葉 なるご精霊そして言葉こそが神なんです2 節この言葉は初めに神と共にあったて初め から神と共にあったというのはイエス キリストなんです万物は言葉によってなっ たなったもので言葉によらずになったもの は何1つなかった言葉のうちに命があった 命は人間を照らす光であった光は闇の中で 輝いている暗闇は光を理解しなかったと いうこの父子三玉をねヨハネの1章が記し てるわけです よご理解いただけましたかえ従来の進学的 な考え方にはならないんですよ言葉が全部 イエスキリストっていう風にしてしまうと 父子見たもの3味一体が証しされないん です よ父なる神そしてこの父なる神と共におら れたご精霊そしてその初めからおられた この知見の中におられたイエスキリスト父 こう見たを明かししているのがヨハネの1 章の言葉ホロゴスなんですよで神から 使わされた1人の人がいたその名はヨハネ である彼は証しするために来た光について 証しをするためまた全ての人が彼によって 信じるようになるためである彼は光では なく光について証しするために来たその光 は誠の光で世に来て全ての人を照らすので ある言葉は世にあった言葉はえ世は言葉に よってなったが要は言葉を認めなかったと あるんです言葉は自分の民のところへ来た が民は受け入れなかったっていうんです 言葉は自分のためにね言葉は自分の言葉と いうのはことなるキリストイエスキリスト はこの地上に自分のたのところイスラエル に来られたんですけど も世は言葉を認めなかったこれはイエ イスラエルのことを察しているんじゃない かというそういう仲介者がいるんですね

しかし私はもう1つそこにこの世は認め なかったというのはクリスチャンであると いうことも理解できるわけです クリスチャンクリスチャンがイエス キリストを受け入れてない ですクリスチャンがイエスキリストを 受け入れてませ ん言葉は自分の民のところへ来たが民は すなわちクリスチャンはと言ってもいい 間違いではありません本当に確信を持って 話をでき ます受け入れなかったしかし言葉は自分を 受け入れた人いや私はイエス様を信じまし たよ ねしかし言葉は自分を受け入れた人その名 を信じるその名を信じる私はイエス様 イエス様という名を信じてますよっていう ねえそのことを理解できてないですよ名を 信じるっていうのは名名は体を表すって いう言葉があるでしょね体があるから名が あるん ですイエスキリストの本当のの 姿イエスキリストのあのままの姿が名前に なるわけです体があってこそ体があって こそ体を理解してからこそなというものが あるんです ええ皆さんね覚えてみてください子供が 生まれた時にその子に名を与えますよね これ前も話ししたことがありますけど名を 与えますよねえその名というのは名前と いうのは親がこうなもらいたいこういう子 に育ってもらいたいそしてば祈りです よ祈りを込めてここに命をえごめんなさい 名を命名するでしょそれはこうなって もらいたいというその名が太陽を表してる わけですよねえ私も3人の子供にそれぞれ 名前をえ妻と相談して祈りながらえ名前を 与えましたよそれは親がこうなもらいたい という思いを込めてその思いが名前になる わけですよですからまず言葉ありきていう のはまず思いありきなんですよこうなって もらいたいという思いを何込めてこうなっ てもらいたいという願いが祈りが親の思い が実現するそのことを願いながら名前を 与えるわけでしょだからイエスキリストと いう事の名を信じる人たていうのはその 信じるなその直っていうのは本当にイエス キリストが神の子であるっていう対を持っ てるわけ です名前が先行するのではないんですあ イエス様の名前を信じてるからえ自分は 救われてるんだ自分はその名を信じる人々 はっていうその名の中に加えられているん だというのはとんでもない間違いでそして はそのイエス様の実態をあなたは知ってい

ますかイエス様の実態は神の子なんです 父子見たの天地創造の時から父子見たもの 神なんですそして父子見たものイエス キリストは天の父なる神様を我が父と呼び その子であるねえこないだも集会でえ いろんな集会でもそうなんですイエス様が ヨハネの不書でもそうですけども神様 なんて祈ったことは1度もないんです1度 もです よいつもお父さんて祈ってるんですよ えお父さんパテールっていうアッバーって いう言葉ねお父さんというこの思いで祈っ てるっていうのはその子であるっていう 意識の現われ でしょそうでしょそしてこととされてこと という身分でイエスキリストはお父さんと いう風に呼んでるわけですよでもそれに 比べ私たちどうですかお父さんと呼んで ます か神様ですよどの神様です かねイエスキリストが示してくられた神様 はあなたのお父さんなんですえその お父さんであるということを知らないです だからイエス様を信じてることにはなら ないんですもしあなたが本当にイエス様の その対対を示してイエスキリストと同じく お父さんと呼べるならばあなたも神の子 ですだから何を祈ろうかなんていうのは その言葉で悩む必要ないです何を祈ろうか じゃなくてどのに立って祈るかが大事な ことなんです神のことされてお父さん と祈るその時に天の父なる神様は我が子の 祈りには耳を傾けるん です本当 にですから信じるっていうことはこの関係 のことを表してるわけなんですね天の父 なる神様が我が父その子であるというこの 関係を表す言葉が信じるっていう言葉なん です私は武道の木あなた方はそので枝で あるというこの未につがる枝私たちはここ に父子三玉のマジの中に永遠の命がある わけですこの知を見たもの3民一体の関係 から外れてね信仰者として立派に生きて いく何にもつがってなかったら命なんて ないんですって永遠の命とは全くあの 切り離されているんですってどんな熱心も どんなに私たちが持ってる情熱も父子三玉 の間の中にいなけれは永遠の命なんてない んですってこの関係にだけ命があるわけ ですからその関係の中に入れられるという ことが永遠の命を得られるっていうことな んですそしたらそのために何をすればいい んですか簡単なことです自己主張をやめて しまいなさいっていうんです家族関係の中 でも振り返ってみてくださいよ子供が自己

主張したらどうなります親が自己主張し たらどうなります関係はあなたの自己視聴 者によって破れてしまうんですそしてその 関係を修復するということは大変なこと ですサタンはそのことを一番喜ぶんです サタンの技は関係を壊すために自己中心な 思いを人に与えて関係を壊してそして永遠 の滅びへと導くん ですだからイエスキリスト がこの地上の生涯を最後まで神の恩として 神の巫女としてて歩まれたのは自己主張を 一切しないということだったんです精霊 なる神様が自己主張します かあのマリアにあなたは間もなく女の子を 宿しあごめんなさいこの女性であるこの マリアにあなたは間もなく男の子を宿し ますその名をイエスの名付けなさいって 言ったでしょえそしたらマリアはただお 言葉通り好みになりますようにとその時 精霊がマリアと1つになったんですよお 言葉通り好みになりますようにあなたの 思いがそのままこの私の上に実現します ようにと言って全く委ねたでしょマリアは 一言でも自己主張しました か自己主張なんて一切しないですよだから そういう人のうちに関係を持ちやすいのが 父子みたの交わりなんですよ父なる神様は あなたを私をねロボットのには作ってない ですマリアがお言葉通り好みになります員 と言った時に精霊が1つとなって1人後 イエスキリストをその身に宿すということ をこの奇跡を印しをマリアが実現したわけ です よ教会の交わりを損なうものは自己主張 ですもうそれは昔から今もそうですそして 教会がこんなにも疲弊したのは自己主張を して来たからですなんと虚しい教会生活で あったかと思いますよ私たち平川伝統省は もう自己主張やめましょうこの 思見の交りに行きたいと思うならばしかし 言葉は自分を受け入れた人すなわち繋がっ た人その名を信じる人々のは神のことなる 資格を与えたってんですそうです資格が 与えられたんですもうこの資格を与えられ たということこれ以上の資格はないです これ以上の喜びはない ですその人々はこの人々は地によってでは なく肉の欲によってではなく人の欲によっ てでもなくあなたは神によって生まれた ものです神によって父子御玉の真の中に 生かされている私たちはこの3一体の神に よって生まれた1人1人なんです言葉は肉 となって私たちの間にやられた私たちは その栄光を見たそれは父の人としての栄光 であって恵みと心理とに満ちていたって

いうんですねこのヨハネの福音書を理した ヨハネはイエスキリストと3年半に 及ぶその皇障害を共にしたヨハネでした その3年半で見たヨハネの目ヨハネの目 から見たイエスキリストの目このギリシャ 語を正しく訳すとヨハネは私たちはこの方 の本性を見たというそういう訳し方にして もらいたいんです本性を見たんです大体ね 3年半も一緒に生活したらねその人の人隣 って分かりますよそうでしょええヨハネが 見たイエスキリストの生涯十字架そして蘇 に至るまでイエスキリストの本性を見 たっていうんですその本性とは何ですか恵 と心理とに満ちていたって いう恵と攻撃聖書は誠に満ちていたって 言うん ですねそれはイエスキリストのご自身の対 を表す言葉なんですよ自己主張は全く なさらなかったっていう ですもし皆さんが永遠の命に行きたいと思 ならば自己主張を捨てることです本当に もし皆さんが神の国に生きるという神の国 新しく生まれ変わるということを神の子に 生まれ変わりたいと願うならば自己主張を もうやめてしまうことです本当に私は聖書 は譲れませんよ神の言葉は譲れませんよ神 の言葉だけは譲れませんよでも自分の思い 自分の言葉は命に関係がなければもう自己 主張しないですよええ 神の国の方が私にとっては実現そっちの方 が大切なんですよこの地上で英語映画を 生活したソロモンですらもね野の花一輪に も語ってなかったですねだからこの地上 っていうのは限りがあるこの地上の中で今 ならはっきり言えるね永遠の命とはどこに ありますかあなたを見つけてくださった父 なる神様に永遠の命があるんですあのまま のあなたを見つけてくださった父なる神様 は永遠の命をを与えたいと願ってるお方な んです与えたいと願ってるお方だから ありがとうございますお言葉通り好みに なりますようにそれだけで十分それ以上何 が必要ですかその言葉その心をそのまま 受け止めるだけじゃないですか信仰という のは私たちからうちから出てきた思いじゃ ないんですよそうでしょ永遠の命を与え たい神はその独り子をたうほどにこのよう を愛してくださったこの独りを与えるほど までにあなたを愛してる1人後の命と イエスキリストの命とあなたの命を比べた 時に父の神様は同じだっ た昨日もね3人のお子様を3人のお子様を 持つ方にねこんな話したんですよ3人の 子供をね生み育ててきたお父さんお母さん は3人が揃って1人なんです

よそうでしょ ええ3人が揃って1人なんですよ5人子供 がいてたたら5人揃って1人の子供なん ですよ1人もかけてはならないんですよだ からイエスキリストを送ってくださった父 なる神様の思いは1人後イエスキリストを 長景としてあなたがそこにいなければ神の この姿にならないんです よ自分みたいなものなんでそんなに髭し ない方がいいですよどんなに父なる神様が あなたを愛しているか1人後の命を犠牲に してまでもあなたを受け入れたかった あなたに命を与えたかった永遠の命を与え たかったという思いがねすすぐ聖書を読ん で分かってきたわけですよそしたらマリア のごとくお言葉とおりこみになりますよう に父の思いがこの私の上に実現しましょう 実現してくださいという父の思いに委ねる ことだけ が私たちが永遠の命を得るその導きじゃ ないですか与えたいと思っておられる方と 受けたいという思い人が本当に1つとなっ てお言葉通り好みになりますようにという 時に神は光をあれえて言った時に光があっ たんですそうでしょ光をあれって言った時 に神の言葉が実現したんですそしたら永遠 の命を与えたいというものがお言葉通り このになりますいうようにと言った時にね 永遠の命が実現するん です神の言葉が初めて実現するんですだ から何かしない方がいいです何かをするっ ていうことが永遠の命の条件とは全くこと が違うねあなたのそのありのままを 受け入れてえここでも何度も語っています 今日はちょっと長めに語ってしまいました けども本当にこの父子の愛を皆さんにお 伝えしたいんですよ旧約聖書においても 新約聖書においてもご自身があなたにご 自身の愛を示す時だけはねあなた方なんて 言わないんです よただ1人のあなたに だけこの愛を向けてるんです よ そしたら今は私はもうあもういつ召されて も大丈夫永遠の命に迎えてくださる父の国 へ帰っていく子ですからお父さんの国に 帰っていくんです天の国はクリスチャンと いう国じゃないですえ神のことされた父 なる神様の国が天国です神の国ですイエス 様はそのようにおっしゃられたんですえ イエス様の思いが私たちの上に現するため にはイエス様の言葉が自分の言葉になっ たらいいんです1つのことで言うとイエス キリストはお父さんて女んだから私たちも お父さんと呼べばいいだけですそしたら

イエスキリストと1つになるんです言葉を 返して1つの関係に実現な1つの関係が 実現するんですですからもう私の祈りは もうお父さんお父さん以外祈らないですよ 本当に神様神様って言われるとどこの神様 ですかて言いたくなるぐらいえ神様がもう 乱用されてますいろんな書籍やいろんな 月刊誌やそしてなんとか神法というその 言葉にも神様神様ばっかりなんですあ きっとこの書いてる人たちは神様のこと 知らないんだろうなと本当に神様のことを 知らないからねここに書いてあるように 言葉は自分の民のところへ来たが民は 受け入れなかった人なんですよこの民は 受け入れなかったというのはクリスチャン のこと言ってるんですよ神様が全く分かっ てないんですよそして神様という言葉を 羅列して羅列ですよそれが信仰者としての 生き様だという時にああこの方は神を本当 に知らないからね神様っていう言葉になっ てるんです よその現実を否めませんいえ平川の伝動所 の皆さんYouTubeを聞いてる皆さん 新しい年を明日迎えます新しい年こそもう 1度新しく生まれ変わって神のことされて 本当に私たちの意識は お父さんと言いましょう よお父さんとねこのお父さんが父が神です 父以外に神はいませんえそしてこの命を 自らの命として永遠の命の中に生きてね 自子見たの間の中に新しく生まれ変わって 永遠の命に生きる幸いを得させていただき たいと思いますお祈りを捧げます 恵深い天の父なる神様イエスキリストは この命を与えるために父とこ御玉の間の中 からご自身をこの地上にお生まれになって そして命の大切さ永遠の命を生きるこの父 見の交わの中に招くためにイエスキリスト はこの地上に来てくださいましたどうぞ命 を与えたいという父なる神様の思いが今日 1人1人の上にお言葉通り好みになります ようにそして天のの父なる神様を我が父と 呼びイエスキリストを我が兄弟と呼び本当 に父子御玉の交わの中に追いかされてきた 今年でしたまた新しい年もこの交わの中 から私たちを決して話すことなくあなたの 思いは変わらずどうぞ自己中心的なこの 思いをあなたの前に食い改め常に食い改め あなたの見の中で私たちを整えてください イエスキリストの皆によってお祈りします メン JA

聖書 ヨハネによる福音書1章1節~18節

ご視聴ありがとうございます。

「神の子ミニストリー」とは、散らされている神の子たちを集めるための働きです。
おもに日本基督(キリスト)教団 平良川伝道所での説教集です。
おもな説教者は、林 利行牧師です。

チャンネル登録、および、評価もよろしくお願いします。

▼神の子ミニストリーのYouTubeチャンネルhttps://www.youtube.com/channel/UCyu3iSUPuVv6pac56zQ2cjQ

▼天空の架け橋 ラファエル 故人をみなで偲び、癒される場所
https://skybridge.kyoukai.jp/
(*まだ作成中の部分があります。)

▼神の子ミニストリーの経緯(林利行牧師の証への直接リンク)
https://skybridge.kyoukai.jp/wp-content/uploads/2022/12/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%B5%8C%E7%B7%AF.pdf

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