「ハイヒールを履いて歩いてみたい」宮﨑香蓮が知る被爆者の人生~後編~【被爆78年 NO MORE…#4】#戦争の記憶
シリーズでお伝えしている『被爆78年 NO MORE…』
女優・宮崎香蓮さんが知る被爆者の人生・後編です。長崎県島原市出身の女優・宮崎香蓮さんが昨年に続き、長崎で被爆者を取材しました。
戦後、被爆者の心と生活を支えた『被爆者の店』を通して宮崎さんが感じたこととは──。
宮崎香蓮さんは、被爆者の松谷英子さん(81)を訪ねました。
※宮崎の「崎」の漢字 正しくは「大」が「立」前編
「不自由な右手で自分の爪を…」宮﨑香蓮が知る被爆者の人生~前編~【被爆78年 NO MORE…#3】(2023年8月3日 配信)宮崎香蓮さん:「こんにちは、お邪魔します」松谷さんは、3歳で被爆した時、瓦が頭を直撃し、脳を損傷。
その影響で右半身は麻痺しています。松谷英子さん:「いじめにあいました。歩く姿を後ろから真似するんですよ」松谷さんが高校を卒業後に就職したのが『被爆者の店』でした。『被爆者の店』は、1957年、体の不調や差別、貧困などに悩む被爆者のための仕事先としてつくられた店です。松谷さんは、会計事務員として40年近く働きました。この日、宮崎さんと松谷さんは『被爆者の店』があった場所に今年オープンした『ブルー・ブロンズ・ストア』を訪ねました。助け合ってこれたから勤め続けることができた宮崎香蓮さん:「こんにちは。昔こちらで働かれてた、はい」松谷英子さん:「わーきれいになってるね。おしゃれですねー」待ち合わせていたのは、松谷さんの長年の友人、横山照子さん。
かつて『被爆者の店』を運営していた被爆者団体・長崎被災協の副会長です。被爆者の店にまつわる資料を見せてくれました。昭和61~62年ごろの元帳です。
手書きの元帳には、商品名が書かれた大量の仕訳用のタグが整然と貼られています。宮崎香蓮さん:「(元帳を) 松谷さんがつけられてたってお聞きしたんですけど」
「数字が全部おんなじ!」右手が不自由ななか珠算2級を取得
松谷さんが担当していた『元帳』は、『被爆者の店』で扱っていたみやげ物はもちろん、光熱費や人件費など全てのお金の流れを記した帳簿です。宮崎香蓮さん:「数字が全部おんなじ。揃ってる!」横山照子さん:「(松谷さんは)被爆者の店のね、会計の総元締めだから」
宮崎香蓮さん:「総元締め!」将来の助けになればと中学生の時、そろばんを始めた松谷さん。右手が不自由でも素早く伝票計算できるよう努力を重ね、珠算検定二級を取得。
仕事にも活きました。松谷英子さん:「うわー、なつかしいね」
この店がなかったら私はどうなっていたか…
昭和40年代に、年間5千体以上売れたこともあった人気の『マリヤ人形』は、被爆者たちが手作りしていたそうです。宮崎香蓮さん:「お店の雰囲気みたいなのってどんな感じでしたか?」横山照子さん:
「みんな一緒になってね、この店を盛り上げようという気持ちで、みんなかかってたと思います」松谷英子さん:
「この被爆者の店がなかったら、私は今どうなってたやろか?って。被爆者の店は、みんなが助け合って来られたから、これまで勤められたんだなってそれは本当に感謝してます」
松谷さんの人生を大きく動かしたのが、『松谷訴訟』の名で知られる原爆症認定裁判です。原爆症認定制度は、国が『原爆の放射線が原因の病気やけが』と認めれば、医療手当を受けられる制度で、松谷さんは過去に2度、申請したものの国は却下しました。
ハイヒールを履いて歩いてみたい
原爆によって失ったものの多さが、松谷さんに裁判で国と闘う決意をさせました。松谷英子さん(当時46歳):「高い靴も履いて歩いてみたいし」
記者:「ハイヒールですか?」
松谷英子さん(当時46歳):「はい。結婚もできない体になってしまいましたのでね」宮崎香蓮さん:「心細かったり、不安みたいなものは?」松谷英子さん:
「もうね、心細さよりもね、もうどうしても原爆のためにこういう体になったのを認めてほしいと、それ一本でしたね」
宮崎香蓮さん:「強かった」裁判は一審から最高裁まで全て松谷さんが勝訴。12年にも及んだ裁判を支援した人は9千人にのぼり、公正な判決を求める署名は100万筆を超えました。松谷英子さん:
「ほんと全国の皆さんのご支援のお陰。それはもう今でも感謝してます」『被爆者の店』のかたちは変わっても多くの被爆者を支えた『被爆者の店』は1998年から外部の業者に引き継がれましたが、その業者は3年前に新型コロナのあおりで撤退。被爆者たちは新たな店がオープンするのを待ち望んでいました。ブルーブロンズストア 吉田佳代子さん:
「覗きに来てくださった(被爆者の)方に『本当に良かった』って言って頂けたり。この場所を大事にされてる方がいっぱいいらっしゃるんだなっていう」かつてここに「被爆者の店」があったこと、
苦しみを背負った「被爆者たちの力」になっていたこと、
かたちは変わっても、店の存在は、被爆者の支えにつながっています。宮崎香蓮さん:
「すごくね、大切な場所なんだなというのが本当に今日よくわかりました」
「核兵器がなくなったらタイムカプセル開けよう」中を見ぬまま多くの仲間が…
被爆50年の時に仲間と建てた記念碑です。
中には核兵器廃絶への願いを込めたタイムカプセルが収められています。核兵器がこの世からなくなった時に開けようと約束した仲間の多くは、この世を去りました。宮崎香蓮さん:
「未来へ平和をつないでほしいっていうのはやっぱりとっても重たい言葉だなというのを改めて感じましたし、本当に私たちがこれからの世代の私たちが、その思いっていうのを強く忘れずに持ち続けていかなきゃいけないんだなって本当に改めてきょう感じさせてもらいました。本当にありがとうございました」宮崎香蓮さんが知った被爆者の人生。松谷さんたちの言葉は、平和をつないでいく勇気を与え続けます。前編
「不自由な右手で自分の爪を…」宮﨑香蓮が知る被爆者の人生~前編~【被爆78年 NO MORE…#3】(2023年8月3日 配信)
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https://newsdig.tbs.co.jp/articles/nbc/644422
