【レッツゴーヤング】サンデーズ松田聖子田原俊彦卒業・オープニング曲「ムーンライト・カーニバル」サンデーズ熱唱!1981年名場面!

まだ歌手デビュー前だった「田原俊彦」とデビュー直後だった「松田聖子」が「サンデーズ」としての活動を卒業!
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レッツゴーヤングのオープニングテーマは「ムーンライト・カーニバル」(1979年度-1985年度オープニングテーマ…作詞:森雪之丞、作曲:平尾昌
晃)

サンデーズ:
1980年度の加入メンバー:
TBSの3年B組金八先生で人気を博した歌手デビュー前の田原俊彦と、歌手デビュー直後の松田聖子が番組内外で活躍してトップアイドルに。
1979年度 – 1980年度:
結成後初の大幅メンバー変更が行われ、1979年度はメンバー10人という大所帯でスタートした。第1期メンバーからは1977年度の結成当初最年少だった川﨑、1978年度に追加メンバーとして加入した渋谷・倉田の3名が継続して出演した。

番組概要:
『レッツゴーヤング』は、1974年4月7日から1986年4月13日までNHK総合テレビジョンで毎週日曜 18:00 – 18:40に放送されていた若者向けの音楽番組である。略称「レッツヤン」。

「ムーンライト・カーニバル」(1979年度-1985年度オープニングテーマ…作詞:森雪之丞、作曲:平尾昌晃)太川陽介の歌ったフルコーラス版が1979年に発売され(オープニングに使われているのは2番だが、番組で歌われたものとは一部歌詞が異なる)、2007年に発売された『太川陽介ゴールデン☆ベスト』に収録されている。

概要
人気番組だった『ステージ101』の後番組として、1974年4月7日に放送開始。収録はNHKホールやCT-101スタジオで行われていた。
毎週当時の人気アイドル歌手が大挙出演し、歌やトークを繰り広げた。出演したアイドルが当時のヒット曲以外にも、自身のアルバム収録曲などを披露していた。

サンデーズ:
ずうとるびが降板した1977年度以降、番組のオリジナル・グループとして結成され、以降1 – 2年ごとの代替わりを繰り返しながらグループとしては番組終了まで存続した。「ヤングヒットソング」のコーナー等では、個々のメンバーが持ち歌を披露するステージを他のメンバーがバックのコーラスやダンスなどで盛り上げる場面も見られた。「第31回NHK紅白歌合戦」(1980年)では当時司会だった石野真子の「ハートで勝負」のバックダンサーをサンデーズのメンバーが務めている。

メンバーからは田原俊彦・松田聖子の2大スターを始めとして後年人気声優となった日髙のり子・佐久間レイ、今日でいうバラエティータレントの趨りともいえる「がけっぷちトリオ」の坂上とし恵・浜田朱里(および日高)など、幅広い分野の人気タレントを生み出した点に特徴がある。サンデーズに最も長く在籍したのは(卒業後も司会として番組に出演し続けた太川陽介を除けば)結成時の1977年度から1982年度前半期に至る5年半の間メンバーとして出演した川﨑麻世であり、1978年度から1980年度までの3年間出演した渋谷哲平・倉田まり子がそれに次ぐ。

1977年度 – 1978年度
この期の最初は男性5組(6人)のグループとして出発し、キャンディーズが降板した1977年度後半期以降は女性3人が参加して男女混成となった。「ヤングヒットソング」としてメンバーが自分の新曲を披露するコーナーも作られた( – 1982年度前半期まで)。1978年度には最初のメンバー変更が行われ、狩人が司会に昇格し、未都と香坂が卒業。新たに渋谷と倉田が加入し、この2人に川﨑を含めた3人が次の1979年度 – 1980年度期も続投することとなった。結成時以来のメンバーだった太川は1978年度限りでサンデーズを卒業した後も司会→メイン司会として番組終了時まで出演し、『レッツゴーヤング』を代表する顔となった。
太川陽介(ヤングヒットソング :『Lui-Lui』)
川﨑麻世(ヤングヒットソング :『暗くなるまで待って』)
未都由(1977年度)
黒沢浩
狩人(1977年度)(ヤングヒットソング :『あずさ2号』)
渋谷哲平(1978年度 – )(ヤングヒットソング :『Deep (ディープ)』)
香坂みゆき(1977年度後半期)(ヤングヒットソング:『青春舗道』)
五十嵐夕紀(1977年度後半期 – 1978年度)(ヤングヒットソング:『ワル! (泣くのはおよし)』)
天馬ルミ子(1977年度後半期 – 1978年度)(ヤングヒットソング :『教えてください、神様』)
倉田まり子(1978年度 – )(ヤングヒットソング :『グラジュエイション』)

1979年度 – 1980年度
結成後初の大幅メンバー変更が行われ、1979年度はメンバー10人という大所帯でスタートした。第1期メンバーからは1977年度の結成当初最年少だった川﨑、1978年度に追加メンバーとして加入した渋谷・倉田の3名が継続して出演した。1977年度の2人組デュオである狩人に続いて、1979年度には3人組グループのフラッシュのメンバーが3人揃って加入しているが、1年で卒業。これを最後にグループでのサンデーズへの加入は行われなかった。同じく1979年度に出演した越は、新人アイドルが多数を占める歴代のサンデーズメンバーとしては異色の本格派シンガーソングライターとして活動していた。翌1980年度の加入メンバーの中では、TBSの3年B組金八先生で人気を博した歌手デビュー前の田原と、歌手デビュー直後の松田が番組内外で活躍してトップアイドルとなり、2人はサンデーズ卒業後の1981年度にメイン司会に昇格した太川と共に司会を務めた。
川﨑麻世
渋谷哲平
山崎誠(ヤングヒットソング :『ジャギー・ガールNo.1』)
水上卓(1979年度)(ヤングヒットソング :『時はうつりて』)
田原俊彦(1980年度)(ヤングヒットソング :『哀愁でいと』)
藤慎一郎(1980年度)(ヤングヒットソング :『$1,000,000Kiss』)
フラッシュ(結城純、江里奈譲、五十嵐良)(1979年度)(ヤングヒットソング :『電光石火』)
倉田まり子
佐藤恵利(ヤングヒットソング :『ラブ・スケッチ』)
越美晴(現・コシミハル)(1979年度)(ヤングヒットソング :『マイ・ブルー・サマー』)
松田聖子(1980年度)(ヤングヒットソング :『Eighteen』
浜田朱里(1980年度)(ヤングヒットソング :『さよなら好き』)
1981年度 – 1982年度上半期
川﨑以外のメンバーが総入れ替えとなり、結成以来のメンバーとしてただ1人残った川﨑は「リーダー」としてサンデーズを率いる存在になった。また、1982年度の秋改編で番組の大幅リニューアルが行われた関係で、この期と次の期は1年半での代替わりとなっている。

川﨑麻世
堤大二郎(ヤングヒットソング :『燃えてパッション』)
新田純一(ヤングヒットソング :『Hop Step 愛』)
ひかる一平(ヤングヒットソング :『ハートがCRY CRY』)
山田晃士
川島恵(ヤングヒットソング :『ミスター不思議』)
坂上とし恵(現・野々村俊恵)(ヤングヒットソング :『き・い・て My Love』)
沢村美奈子(ヤングヒットソング :『インスピレーション』)
田口トモ子
日髙のり子(ヤングヒットソング :『もう一度・ブラックコーヒー』)

1982年度下半期 – 1983年度
川﨑の卒業などメンバーは総入れ替えになり、ほぼ無名の新人(当時)のみで構成されるメンバーとなった。この期から個々のメンバーの新曲を取り上げる「ヤングヒットソング」に代わり、メンバー全員で番組のみで歌われるオリジナルソングを歌うコーナー「レッツヤンオリジナル」がスタート。メンバーの1名がメインボーカルを担当する形でフィーチャーされる形式となった。1982年度はサンデーズの育成企画として小林亜星が講師を務める「亜星音楽教室」というコーナーが存在した。
植草克秀
今井信(今井まこと)
湯川友晴(1983年5月)[注 22]
小出広美(1983年9月25日放送を最後に卒業)
横田早苗
佐久間レイ[注 23]
橋本清美
山本誉子
山口健次(1983年5月22日放送から加入 )

1984年度 – 1985年度
再びメンバーが総入れ替えになり、当時新人のメンバーで構成。サンデーズでの活動がデビューとなり、現在も俳優やタレントとして活躍しているメンバーが多い[注 24]。前の期から引き続き「レッツヤンオリジナル」のコーナーが継続されたが、この代ではメンバーのソロ曲披露が復活した他、サンデーズメンバーに加えて司会の太川・石川によるオリジナルデュエット曲や石川のシングル曲も「レッツヤンオリジナル」の枠で披露された。
中村成幸(現・繁之)
麻見和也(1984年度)
矢吹薫(1984年度)
山本陽一
大沢樹生(1985年度)
保坂尚輝(現・保阪尚希)(1985年度)
新井由美子
太田貴子
高橋美枝
千葉湖吹美(1984年度)
長山洋子(1985年度)
成清加奈子(1984年度)
山口由佳乃 (現・鈴木釉佳之)(1984年度)

(Wikipediaより引用)

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