南淵請安は国博士に選ばれなかった「高向玄理、旻」は抜擢

#歴史るべ
【📖もくじ📖】
00:00 ~ 南淵請安とは?
00:35 ~ 豪族「東漢氏」
02:09 ~ 隋と唐
05:45 ~ 塾
07:35 ~ 「大化の改新」前に亡くなる?

====================================
【💡この動画”ポイント”💡】
・南淵請安(みなみぶちの-しょうあん)は600年代後半の僧侶

・飛鳥川上流の稲渕に居住した渡来系の東漢氏(やまとのあやうじ)の一族。

・608年に高向玄理や僧旻らとともに隋へ留学

・640年に帰国

・「日本書紀」によると、中臣鎌足や中大兄皇子が南淵請安に儒教を学び、その行き帰りに蘇我氏打倒の策をこらしたとのエピソードが伝わっています

・しかし、南淵請安は大化改新政治に参画した形跡はなく、そのころまでには没していたと推定

・南淵請安は32年もの間、中国に留まり、隋・唐の興亡、唐の隆盛を直接見聞きした

・南淵請安をはじめとする留学生達がもたらした大陸の情報は、日本の人々にとって大いに刺激となり、中大兄皇子や中臣鎌足による政変にも結びついたはず

・明日香村の稲渕には、請安の墓と伝えられる塚がある。

2 Comments

  1. 南淵請安と中大兄皇子との問答集 「南淵書」帥升の項に、開化天皇が皇子の頃、朝鮮半島に渡り文字と暦を持ち帰ったとあります。

  2. 歴史を深い所まで知れて為になりました。
    ありがとうございます😊

Write A Comment