できていたことができなくなる。それは残念ながら誰もが避けられないことではない。加齢によってできていたいことができなくなったり、けがや病気になってしまったり……。
しかしそれでも「努力することで多少できるようになる」のと、そうでないのは大きく異なる。
意識はとてもはっきりしているのに体が動かなくなっていき、できなくなっていく自分を目の当たりにせざるをえなくなる病気がALS(筋萎縮性側索硬化症)だ。研究は進んでいるとはいえ、明確な治療法がなく、進行を遅らせることしかない難病なのだ。
ニャンちゅうの声を30年つとめ、「ちびまる子ちゃん」や「スクライド」などのアニメはもちろん、舞台でも役者として活躍してきた津久井教生さんは、2019年3月に突然派手に転倒した。なんだか歩きにくいと感じ、検査入院の末、9月にALSだと告知された。

それから6年半、2022年11月にニャンちゅうの声を羽多野渉さんにバトンタッチしたことを発表したのち、津久井さんは気管切開して声を失いながらも、発信をし続けている。
4月27日に発売となった津久井さんのエッセイ『ALSと笑顔で生きる。 声を失った声優の「工夫ファクトリー」』は、そんな津久井さんが、体の異変を感じてからのことを赤裸々につづった一冊だ。最初は手でタイピングし、手が動かなくなったら割り箸を口にくわえて一文字ずつ打ち、最後は視線入力で書き上げた。60万字の原稿を大幅に編集して作っている。

元フジテレビアナウンサーの渡邊渚さんは、まさに声の仕事をしていた。そして自身の意図しないところでPTSDを患ってしまい、仕事を続けることができなくなった。そんな渡邊さんはどのように本書を読んだのだろうか。
自分がなったら……
現代の医学をもってしても、治すことの難しい筋萎縮性側索硬化症、ALS。
この病気の存在を知った時、誰もが一度は「自分がなったら……と想像するだろう。
感覚はあるのに筋肉が動かなくなり、数年で呼吸器や寝たきりになってしまう進行性の難病で、確立した治療法もない。
闘うことすらできないのだ。
自分が罹患したら、これからできるはずだったことに嘆き、絶望的な気持ちをどこにどうぶつけていいかもわからず、涙が止まらない日々を過ごすだろう。
しかしこの本の中には、明確に「泣いた」という表現を使ったところが2箇所しかなかった。
また、病に嘆いたり落ち込んだりするシーンも少ない。
徐々に身体の自由を失っていく病との日々の中で、なぜこんなにも前向きに生きていられるのだろう。
その疑問を抱えながらも最後まで読むと、なんとなく、あたたかさを持って知ることができる。
ニャンちゅうは同級生みんなが知ってるような存在
言わずもがな、著者の津久井教生さんは、NHK Eテレ「ニャンちゅう」をはじめ、数々の作品で声優として活躍してきた。
私も子どもの頃よく見ていて、ニャンちゅうは同級生みんな知っている、生活に溶け込む存在だった。
本書では、ニャンちゅうの声が生まれるまでの軌跡やオーディションについても裏話も語られていて、声優の世界を覗き見させてもらっているような気分になれた。

津久井さんがまるでナレーションをつけているように感じるほど、その場の情景が浮かんでくるような文章で、ところどころ、ニャンちゅうの声が聞こえてくる気がする。
声優養成機関の講師もされていたため、本の中には、声優としての発声の基本や表現についての話もある。
数年前までアナウンサーだった私にとっても、もっと早く知りたかった!と思ったことや、なるほど〜!と納得したところが多々あった。
例えば、「演技力」と「表現力」の違いについての章は、声を仕事にしたいと思っている人にはぜひ読んで欲しいし、他にも津久井さんならではの視点もあり読み応えがある。
役に合わせて、身体を作っていくのも印象的だった。
例えば、絶叫するシーンがある役の時は、体重を意図的に増やすなど、まさに声に照準を合わせた生活だ。
声優という仕事上、自分の身体と常に向き合いコントロールしていたから、ALSの進行による身体の違和感を察知し、細かく言語化できたのだろう。
身体が動かなくなっていく過程は、罹患した本人でないとわからない感覚的な部分まで詳細に語られている。
