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執筆者:加藤英俊(週刊粧業 社長兼主幹)

 化粧品の処方開発は長らく、研究者の経験と勘に頼るしかなかった。どの成分をどの濃度で組み合わせるか、その判断は熟練者の頭の中にある暗黙知であり、体系化も加速化も難しかった。コーセーはその構造に、正面から手を入れた。

 グローバル市場調査会社ミンテルが選出する「Mintel Most Innovative 2026」で、コーセーはアジア地域の美容・化粧品部門の受賞商品に選ばれた。対象となったのは、2025年5月16日発売の「コスメデコルテ AQ 毛穴美容液オイル」。ミンテルが最も評価したのは、世界で初めて量子コンピュータを化粧品処方の設計に活用したアプローチだ。

 角栓は長年にわたって多くの消費者を悩ませながら、有効な解決策が示されてこなかった領域だ。既存のアプローチは、物理的な摩擦で引き抜くか一時的に吸着させるかにとどまり、角栓そのものを化学的に崩すという方向には進んでいなかった。根本的なアプローチの欠如の背景には、角栓を溶かし崩すために最適な成分と配合量の組み合わせを特定する手段がなかったという現実がある。

 同社が着目したのは溶解度パラメータ、すなわち物質の溶けやすさを定量化した指標だ。人間の研究者が生涯をかけても検証しきれない1000億通り以上の成分の組み合わせを、量子コンピュータはわずかな時間で計算し、最適処方を導き出した。毛穴の奥に固着した角栓の構造を、精密に設計された処方が化学的に崩していく。ミンテルが評価したのは新奇性ではなく、課題に対して解決策が明確に対応している点だ。

 コーセーが量子コンピュータの応用研究に着手したのは2019年だ。「英知と感性を融合し、独自の美しい価値と文化を創造する」という企業理念のもと、6年近くかけて育てた技術を、同社の看板ラインである「コスメデコルテ AQ」に搭載した。容量40mLで希望小売価格1万1000円のプレステージ品として市場に投入するという判断は、技術の証明を研究室の外で問うことを意味した。

 発売後の新客獲得数はコスメデコルテのスキンケア商品として過去最高を記録。発売から約6カ月で出荷数量は年間計画比250%を超え、2026年3月時点でメディアから49冠のベストコスメを受賞した。「なぜ効くのか」に答えられる製品の強さが、数字に表れた格好だ。

 処方開発における量子コンピュータの活用は、角栓ケアを超えた広がりを持つ。溶解度パラメータという設計思想は、スキンケアのあらゆる処方課題に転用できる汎用性を持つ。開発の精度とスピードが同時に上がるとき、処方の良し悪しを経験年数で測ることはできなくなる。

 勘と経験に依存してきた処方開発が計算科学へと移行するとすれば、コーセーの今回の一手はその起点として記憶されるだろう。

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