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オンコロライブ2026のアウェアネス・アンバサダーを務める月埜みみさん(煌めき☆アンフォレント)が、がんサバイバーの“生きる力”に迫るインタビューシリーズ。第2回目のゲストは、長年にわたりテレビの第一線で活躍し、オンコロライブでも総合司会としてイベントを支えてきたフリーアナウンサー・笠井信輔さんです。

2019年、突然告げられた悪性リンパ腫の診断。治療による過酷な副作用、仕事への葛藤、そして「伝える仕事」への再起。看護師として日々患者と向き合ってきた月埜みみさんが、医療者として、そして一人の表現者として、笠井さんの闘病の日々と、その先にあった想いを丁寧に聞いていきます。

がんになっても、人生は続く。再び人前に立つまでの道のりは、多くの患者さん、そして支える人たちへのメッセージでもあります。

インタビュイー:笠井信輔さん(フリーアナウンサー/悪性リンパ腫サバイバー/オンコロライブ総合司会)
インタビュアー:月埜みみ(オンコロライブ2026 アウェアネス・アンバサダー)
アナウンサーとしてのキャリアと働き方
月埜みみ(以下、月埜):私は看護師をやりながらアイドル活動をしていて、がん患者さんと関わる機会があり、今、私にできることはないかと思ってこの活動を始めました。

笠井さんは、アナウンサーとしてこれまでどのような道を歩んでこられましたか?

笠井信輔(以下、笠井)さん:新人の時からワイドショー、情報番組、報道番組といった生番組をずっと担当してきました。そのため、録画よりも生放送のアドリブや臨機応変な対応に慣れてしまっています。

月埜:フジテレビでの情報番組「とくダネ!」は、誰もが知る番組で、毎日が臨機応変な対応だったんですね。長年「伝える仕事」をされる中で、大切にしてきた信念は何でしょうか?

笠井さん:正確に情報を伝えることはもちろん、伝える側として「喜怒哀楽を失わないように、人間らしく伝えること」を若い時から意識していました。

月埜:私たちは仕事上の笠井さんは知っていますが、仕事を離れた時の笠井さんは、周りからどんな方だと言われますか?

笠井さん:声が大きい、前向きで行動力があると言われますが、熱意が強すぎて厄介だとも言われます(笑)。仕事とプライベートの切り替えができず、おっちょこちょいで失敗も多いので、家族からは「60歳を超えているんだからしっかりしてください」とよく言われます。

月埜:そうなんですね(笑)。今も毎日忙しくされていると思いますが、看護師の立場からの質問です。忙しい現役時代に健康管理で意識されたことはありますか?

笠井さん:意識していたことは、ほとんどなかったです。健康診断の結果が良かったので自分は健康体だと思っていました。ワイドショーのリポーターをしている頃は、月に3日くらいしか休みがなく、残業が250時間を超えることもありましたが、仕事が好きだったのでガムシャラに働いていました。

以前、歯茎から血が出て、歯医者を受診した際に「働きすぎで歯茎が腐っている」と言われたので、少し仕事をセーブしなければいけないと思った時もありましたが、やらなければいけないこと、伝えなければいけないことがたくさんあったので、仕事を続けました。結果、がんになってしまったのは当然のことだったのかなという感じはします。「とくダネ!」を20年担当していた時は、平均睡眠時間が3〜4時間でした。

月埜:それだけ仕事が好きで、熱中できるということは、幸せなことでもありますよね?

笠井さん:幸せなことですね。月埜さんの看護師の仕事も知りたいです。

月埜:私は、看護師の仕事は向いているなと感じています。夜勤が続くこともありますが、私も睡眠時間が短いほうなので、あまり苦じゃないです。

笠井さん:「あまり苦じゃない」、ここが落とし穴なんですよ。周りが喜んでくれるのがエネルギーになって、無理が無理じゃなくなってしまう、感覚が麻痺してしまうんですよね。月埜さんも気をつけてくださいね。

「とくダネ!」総合司会:故 小倉智明氏との写真

東日本大震災の現地取材の写真
発病から診断まで
月埜:病気について伺わせて下さい。体調の異変に気づいたきっかけは何だったのですか?

笠井さん:排尿障害です。頻尿なのにトイレに行っても尿が出ず、痛みもありました。一緒に働いていた小倉智昭さんが膀胱がんになっていて、同じような生活を20年間しているので、直感的に「自分も同じ病気になった」と思い、すぐに小倉さんに相談して検査に行きました。すぐに病院へ行き、膀胱がんではなく、悪性リンパ腫と診断されました。

月埜:身近にがんになった方がいると相談できますよね。

笠井さん:自分もそうであったように、今、私の元には、がんについての相談がたくさん届くので、電話でお話を聞くようにしています。

月埜:検査の結果、悪性リンパ腫と告げられた瞬間、どんな思いでしたか?

笠井さん:第一に「がんじゃないって言ったじゃないか」と思いました。3つ目の病院でがんだと診断されたのですが、最初の2つの病院では「前立腺肥大」と診断されていたんです。2つ目の病院で、前立腺肥大の治療が始まったのですが、治療しても改善せず、体の色々な部位に痛みが出て来たので、3つ目の病院の腫瘍内科に行き、ようやくがんだと分かりました。診断まで約4か月かかりました。

その後、セカンドオピニオンを受けて、4つ目の病院で主治医になってもらったのですが、「悪性リンパ腫は血液検査では分かりにくいため、最初の診断が間違っていたわけではない」と言われましたが、フリーになってわずか2か月というタイミングでがんの診断を受けたので、ショックでした。入院宣告には「終わったな」と絶望しかありませんでした。
闘病生活:副作用とSNS発信
月埜:診断の結果、治療に入り、抗がん剤治療や副作用の中で、特につらかったことは何でしたか?

笠井さん:一番辛かったのは「倦怠感」です。ステージ4だったので、大量の抗がん剤で治療を行いました。大量の抗がん剤を投与したことにより、肺のダメージが大きく、外泊ができなかったので、部屋にこもりきりでした。次の抗がん剤を投与する3日前くらいは元気でいられるのですが、抗がん剤投与後は、また副作用の倦怠感や睡眠不足に襲われ、気分も落ち込むことが続き、ベッドでよく泣いていました。

月埜:血液のがんは大量の抗がん剤を使用するので、大変だったことは想像できます。倦怠感がつらくて、ずっとベッドで寝ている時間が多かったのですか?

笠井さん:そうですね。抗がん剤投与後1週間~10日はつらいので寝ていることが多かったですが、こんな毎日では「生きている価値がない」と思いました。自分は30年間ほとんど毎日、スタジオで情報発信をしてきたので、「伝えること」が日常でした。当事者として今の状況を発信しなければと思い、ベッドに寝ながらほぼ毎日ブログやInstagramへの投稿を続けました。フォロワーからの応援コメントや、「自分もがんです、一緒に頑張りましょう」という声が励みになりました。

月埜:闘病時からの笠井さんの投稿が多くの方の励みになっていたと思います。「伝えること」って大事ですね。

笠井さん:「伝えること」は、自分の生き方の中で中心部分にあるので、入院しても続けていました。SNSがない時代にがんになっていたら、絶望していたと思います。入院して、活動が制限されている中でも、SNSを通じて外と繋がれることに救われました。SNSはかつて「闇」だと思っていましたが、がんになってからは「光」だと感じました。

闘病中も更新を続けた笠井さんのブログ
医療者との関わり・リハビリ
月埜:医師や看護師の関わりで、心の支えになった言葉や行動はありましたか?

笠井さん:ステージ4と診断され落ち込んでいる時に、主治医の先生からの「令和の医療ではステージ4は手遅れという診断ではありません。笠井さんのがん種と、抗がん剤が合えば乗り越えられます。私たちも、合う抗がん剤を選びますので、笠井さんも頑張ってください」という言葉に救われました。昭和の感覚だと「ステージ4=末期がん」と思いがちですが、今は諦めてはいけない時代なのだと思いました。

コロナ禍で面会制限がある中、看護師さんやリハビリの先生とのコミュニケーションが心の支えでした。

月埜:「自分が病気になってないからあなたには分からない」と、自分の世界に入り込んでしまう患者さんもいますが、そういった患者さんの心を開くためにも、私自身、患者さんとコミュニケーションを取ることは、とても大切にしています。

笠井さん:月埜さんはアイドル活動もしているから、患者さんに元気を与えることは得意ですか?

月埜:そうですね。これも看護師の経験で培ったものだと思っています。

4か月入院生活をしていたと思いますが、仕事ができなくなった時、アナウンサーとしてどんな恐怖がありましたか?

笠井さん:ムーンフェイスになったり、痩せたり、こんな状態だと、テレビにはもう復帰できないのではないかという恐怖がありました。抗がん剤の副作用で気持ち悪くて食べられませんでしたが、1食3時間~4時間かけて、頑張って食べていました。

1番つらかったことは、食べている最中に次の食事が運ばれてくることでした。味覚障害もひどかったので、味がしない、おいしく感じないので、食べることが大変でした。

大量の抗がん剤を投与していましたが、吐き気止めが効いたので、1度も吐いたことはありませんでした。副作用に対する薬が増えているおかげで、がんの治療が乗り越えやすくなっているんだと思います。

月埜:嘔吐はとても辛い副作用なので、お薬が効いて良かったと思います。そんな辛い治療の中、「もう戻れないかもしれない」と感じた瞬間はありましたか?

笠井さん:最初は、自分では死ぬと思っていましたが、先生の「乗り越えられますから」の言葉が支えになりました。

僕の場合、脳に転移しやすいがんで、通常の治療法では治らないと言われていました。1回目の抗がん剤が終わるまでは、死ぬと思っていました。頻尿なのに尿が出なかったのですが、1回目の抗がん剤で排尿障害が一気に改善し、腰の痛みも半減しました。僕は、骨盤が原発だったのですが、そこのがんが一気に縮小しました。「抗がん剤って効くんだ」と思った瞬間でした。1回目の抗がん剤で希望を持つことができたので、頑張ろうという気持ちになりました。

月埜:抗がん剤は合う、合わない、効く、効かない、最初は怖いですよね。同時に、普通への生活を取り戻すため、リハビリや復帰までの過程で、ご自身を支えたものは何でしたか?

笠井さん:リハビリがすごく重要だということを感じました。入院2か月経った頃、検査で、10段くらいの階段を歩くことになりましたが、2か月寝たきりに近い状態でいたので、手すりにしがみついていないと階段が降りられなくなってしまっていました。入院していた部屋はバリアフリーでしたが、そこは普通に歩けていたので、びっくりしました。

そこから、毎日リハビリをするようになりました。理学療法士や作業療法士の先生と毎日1時間、他愛もない話をしながらリハビリをするのが楽しくて、ストレス解消になりました。長期入院患者にとってリハビリは、体の機能回復だけでなく心のケアとしても重要だと感じました。

月埜:どんなに若い方でも、1日寝たきりだと筋力が落ちて大変だと思います。

入院治療中なかなか食事が進まなかった様子

奥様(ますみさん)お見舞いの様子
入院生活の工夫:食事と看護師への感謝
月埜:看護師として伺いますが、治療中・回復期の生活で工夫されたことはありますか?

笠井さん:味覚障害で味がしなかったので、調味料を揃えて味を濃くしたり、「病院食にこだわらない」ようにしていました。先生から「火が通っていれば何を食べてもいい」と言われていたので、好きなペヤングを食べたりしていました。私がペヤングを完食したと看護師さんに伝えると、拍手して褒めてくれたのが嬉しかったですね。

食事をして胃や腸に刺激を与えることが、生きる力につながるということを実感しました。体重が減ると体力がなくなり、抗がん剤や治療に耐える力がなくなってくるので、食べることはとても重要だと感じました。がん患者さんは、栄養のバランスは気にせず、好きなもの、食べられるものを食べたいだけ、食べられる時に食べることが大事だと、がん専門の先生も仰っていました。

月埜:本当にその通りだと思います。病院食にこだわらず、自分が食べられるものを食べることが大事だと思います。

笠井さん:がんの闘病においては「病院食にこだわらずに、食べられるものを食べる」ことが体力維持に繋がると実感しました。

月埜:患者になって初めて気づいた、医療現場の姿はありましたか?

笠井さん:看護師さんたちの知識の深さです。夜中に具合が悪くなった時、医師の処方の中から適切な薬を選んでくれたり、がんや副作用についても非常に詳しかったですね。夜中は、医師がいなくても、看護師さんがいれば安心だと思ったほどです。

また、抗がん剤が効いて排尿ができるようになった時、失敗してしまった私に対して看護師さんが「よかったですね、排尿の調子が戻ってきたんですね」と褒めてくれました。個人の病状を理解し、一人の人間として向き合ってくれていることに感動しましたし、とても感謝しています。そこから、看護師さんのことは名前で呼ぶようになりました。

月埜:私も病気だけを見るというより、患者さんの背景などを見て看護することを大事にしています。患者さんにそう思っても貰えるのは嬉しいことです。


現在と未来へのメッセージ
月埜:今は、お元気に仕事をされていると思いますが、再発への不安とは、どのように向き合っていますか?

笠井さん:当初はとても不安でした。今は「半年ごとの検診でいい」と言われていますが、再発が怖いので3か月に1回通院しています。再発するのは仕方がないとしても、早期発見できれば通院治療で済むので、危機管理として3か月に1回は通院するようにしています。

月埜:お仕事とは別に、小児がん・AYA世代のがん・臨床試験啓発のためのチャリティーライブ:オンコロライブの総合司会にも協力されていますよね。この取り組みに、どんな意味を感じていますか?

笠井さん:とても良いイベントに参加させてもらっていると思っています。オンコロライブは、アイドルやアーティストの皆さんのライブの間にがんの啓発セッションがあり、がんのことをよく知らない人にも伝えることができる今までにない形式のイベントです。とても貴重なイベントなので、私も長く続けていきたいなと思っています。

月埜:音楽を通じて、届けられるものはいっぱいあると思うので、私も頑張っていきたいです。

笠井さん:月埜さんがアウェアネス・アンバサダーに就任してくれて、本当に感謝していますよ。

月埜:ご一緒できることを嬉しく思います。これから頑張っていきます。

最後に、同じようにがんと向き合う方、そして若い世代へ伝えたい言葉をお願いします。

笠井さん:がんになってショックを受けるのは当然ですが、今は「女性は2人に1人ががんになる時代、男性は3人に2人ががんになる時代」です。そして、がんは死と向き合うだけでなく、帰って来られる時代になっています。

がんになって良かったとは全く思いませんが、「がんになったから得たこと」はたくさんあります。月埜さんに会えたのもそうです。マイナスの面ばかり見ず、その先にあるプラスに目を向けてがんと向き合っていくと、新たな人生を歩むことができます。絶望の中にいるかもしれませんが、その先に必ず光はあると希望を持って治療にあたっていただきたいです。

Remember Girls Power !!(オンコロライブ)2025 day1出演者との集合写真

【インタビュー後記/月埜みみ】
笠井さんのお話を伺い、「伝えること」がどれほど人の支えになり、生きる力になるのかを改めて感じました。

看護師として患者さんと向き合う中で、不安や孤独を抱えながら治療に臨む方が多いことを日々実感しています。そんな中で、笠井さんがご自身の闘病を言葉にし、発信し続けてこられたことは、多くの方にとって大きな希望になっているのだと思います。

そして、がん啓発とエンターテインメントを結びつけたオンコロライブという場で、長く総合司会として活動されてきた笠井さんの存在は、「がんの話題を、特別なものではなく、誰にとっても身近なものとして届ける」大きな力になっていると感じました。

私自身、アウェアネス・アンバサダーとしてこの活動に関わらせていただく中で、笠井さんのように“伝える力”を持つ方とご一緒できることを、とても心強く、そして心から楽しみにしています。

このインタビューが、今治療と向き合っている方や支えるご家族、そしてオンコロライブを通じてがんのことを知る多くの方にとって、「ひとりではない」と感じられるきっかけになれば嬉しいです。

【笠井信輔さん情報】
笠井信輔さんameblo:https://ameblo.jp/shinsuke-kasai/
笠井信輔さんInstagram :https://www.instagram.com/shinsuke.kasai/?hl=ja

【Remember Girl‘s Power !!(オンコロライブ)2026】
現役看護師アイドルがアウェアネス・アンバサダーを務めるRemember Girl‘s Power !!(オンコロライブ)2026は、例年通り、豊島区との共催で、2026年9月17日(木)、18日(金)、19日(土)、20日(日)の4日間に渡り池袋西口公園野外劇場 グローバルリングシアターにて開催します。詳細情報は、公式ホームページや公式SNSを参照ください。
オンコロライブ2025ダイジェスト動画:https://www.youtube.com/watch?v=wc0lxrPdwE0
オンコロライブ2026 HP(予定):https://oncolo.jp/rgp/2026/
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