【F1ボーイズ特別対談/特別編4 】後藤 治(元ホンダF1総監督) × 津川哲夫 ⚫︎第4部 セナとプロストの違いとは?
【F1ボーイズ特別対談/特別編1 】後藤 治(元ホンダF1総監督) × 津川哲夫 ⚫︎第1部https://youtu.be/oqaTw_gf9ic
【F1ボーイズ特別対談/特別編2 】後藤 治(元ホンダF1総監督) × 津川哲夫 ⚫︎第2部
【F1ボーイズ特別対談/特別編3 】後藤 治(元ホンダF1総監督) × 津川哲夫 ⚫︎第3部
⚫︎後藤 治
F1の世界でマクラーレンやフェラーリ、ザウバーといった主要チームで活躍。特にホンダ第2期F1参戦時にはホンダF1の総監督であった。1994年からはフェラーリでのV10エンジン開発責任者として知られており、このエンジンは1996年のF310に搭載された。
長年のF1キャリアを終えた後、自身の会社Geo Technology SAを設立し、技術コンサルタントとして現在も活動を続けています。
F1大好きおじいちゃんこと津川 哲夫がF1レースを熱く楽しく好きに語ります!
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27 Comments
プロストこそ理論派というイメージありますけど実際はそうでもないのね。
セナが85年の会談で「ロータスがいい」と言った話ですが櫻井さんによれば「ウィリアムズには僕は合わない気がする」とも言っていたそうですね。
セナはF-1に乗る前にウィリアムズのテスト走行もしてるので、そこで直感的に何かを感じていたのかもしれないですね。そしてそれが後日悲しい結果になるわけですが…
友人の息子さんは当時後藤さんに憧れて航空高専に進学しました😊
セナとマクラーレンは1987年に向けて交渉したが失敗。それでマクラーレンはヨハンソンとスポット契約したと言われています。
それ以前から熱心にホンダと交渉していたセナ。マクラーレンも同様にホンダと交渉。この頃からセナとホンダエンジンが移籍の鍵となります。
一方のプロストはマクラーレンとガチガチの関係。この時点で誰もその関係が崩れるとは思っていなかった。これもセナとホンダの影響で崩壊します。
いかにホンダとセナの影響が大きかったか分かりますね。経験と記憶のプロストは頭の中だけでセッティングができたと言われています。
ホンダにとってはじっくりデータを見てエンジニアと話し合うセナが時代に則していてありがたく、何でも瞬時に判断してしまうプロストは厄介だったと思いますね。
89開幕ブラジルテストMP4/5は素性はアンダー強めだった、とも言えるのかな?重たいホンダV10とのマッチングもあるのか🤔
懐かしい話ですね!後藤さんは20年振りですが、老けましたね?ありがとうございました。
一番近くでセナ、プロと関わっていたからこそ話せる話しなんですよね。まだ若くて伸び盛りのセナとベテランのプロスト、それはヒリヒリしていたでしょうね。
ブラジルテストが楽しみだった。と。
なるほど
昔、後藤さんが監督の時にサイン貰った記憶が有り、その時にアイルトンが勝つよと言われたら事思い出しました。その時はシケインでぶつかると言う最後でしたが!
面白かったです!! 内容のある程度は、著書やオートスポーツ、RONに載ってます!!
セナは、当時から、残業しているメカニックと夜遅くまで、残っていたという記事を読んだし、プロフェッサーではないって、コメもあるが、動画にある通り、的確にタイムを上げられるマシン作り!=十分プロフェッサーだよ!!
最終的にはセナがウィリアムズ・ホンダには乗らず、マクラーレン・ホンダに行ったから、もし彼が早くロータスを出ていたらって思いますよね。😊
セナがいくらやってもフロントのアンダーが改善さなくて、次にプロストが来てリヤのセッティングを少しいじったらフロントのアンダーが直ったって話を聞いた事がある。
フロントのフラップ角度のくだり、現代でこそ路面状況もカウル剛性も格段に上がったから風洞の数値と実走が近似値になっているけど、
当時は『路面はバンピー』『カウルは剛性不足』な時代だったから、実走で発生するピッチングやヨーイングなどに因るカウル形状の変化も甚大で、
それに因り発生した気流の乱れが風洞と解離し過ぎていたけど、
ハイテク重視な『エアトン』はデータを過信した結果解消出来ず、アナログな経験則重視のプロストは『足りないモノは足りない』と主張した事で解消したと言う二人の違い、
こうした『こぼれ話』のような事から力学に興味関心を抱く人が増えれば、モータースポーツが活性化すると思います。
津川さん、後藤さん
懐かしくも貴重なお話しありがとうございます♪
津川さんもそうだけど後藤さんも年取ったな、そうだよな、
もう36年前だもんだな
はじめまして❗(*´∀`)♪
後藤さんお元気なようで何よりですし、日本人、いえアジアの人で最初で(スクーデリア・フェラーリ)🏎️🐎でエンジニアでご活躍されて現地イタリアの人からも尊敬されてまして本当にスゴイ方ですし、もう幻になってしまいましたが(1994年)のフェラーリでの後藤さんとセナとのコンビをメッチャ見てみたかったです❗
プロストは超天才。セナ(やシューマッハ)は超秀才だと思っています。超天才と戦う為にとにかく勉強する。(∪^ω^)
津川さんが途中で仰っているように、プロストは「理屈では分かっていても、エンジンやクルマを痛めつけつような事はしたくなかった。」とインタビューで言っていた覚えがあります。
86年からのウィリアムズでのセナの可能性もあったんですね(∪^ω^)
少し前にたまたま89年の前半戦のセナとプロストの車載をyoutubeで見つけて「プロストはやけにシフトするの早いな」
って思ってたので良いタイミングで謎が解けました!
プロストの経験値だけで理詰めとは真逆。90年フェラーリで逃したワールドチャンピオンはまさに経験が足を引っ張りマンセルが復活してしまうきっかけを作ってしまいました😅
ジェラール・ドゥカルージュは私自身が子供の頃リジェ(と言うよりはジャック・ラフィットの)ファンだったので雑誌などでよく見かけた存在でしたので「カッコいいし、あのリジェJS11をデザインしたんだからまじめで有能な人」と思っていました。「昼間っから酒を飲んでいた」と言うお話は笑っちゃいました。でもかつてホンダは自前(ローラの協力はあった)のクルマでF1をやるとき、ロータスというかチャップマンとひと悶着あったのに、良くまた、ロータスと組みましたよね。まあ、第一期からかなり時間が立っていましたものね。
10代でセナプロを見ていた頃はプロストが嫌なオッサンに見えました。
しかし自分も50才過ぎるとプロストの苛立ちや自己を守りたい心理。才能ある若者への嫉妬。当時のプロフェッサーの気持ちも理解できるようになりました。
後藤はプロスト嫌いだからなあ、なにげにプロストのことディスってるなぁ。
津川さんが多少フォローしているが…
フランスグランプリでは頑張って予選でも勝ってましたよ。
ブラジルテストでのフロントウィングの件は当時オートスポーツなどで読みました。プロストはセナが解決できないアンダーステアを取り敢えず改善できた。ノーズの取り付け強度不足って事でしたね。1988年のスペインやポルトガルでプロストはターボの悪燃費をショートシフト高ブーストで対処したのにセナもホンダも解決できずプロストのデータを読み解いてセナに伝授。シーズン終盤のタイトル争いに間に合った。とプロストには色々お世話になったわけですね
よく言われてる様に、プロストも若い頃は速さで押すタイプたったが、ルノー時代にチャンピオンを獲り損ね、その後マクラーレンに移籍した時ラウダがチームメートだった事で(ついでにマクラーレン移籍初年度にもチャンピオン獲り損ねてる)、その影響の為かレーススタイルが変わったと、
常にガチでいつも優勝狙いで走るより、無理をしないで確実に上位でゴールしポイントを積み重ねる方向に変化した。
(野球のピッチャーが若い頃は速球でグイグイ押してたのが中堅ベテランになるに従って、球の緩急や変化球を巧みに使い、コースや配球といった投球術で勝負するスタイルに変わってくみたいに)
当時はマシントラブル、ターボエンジンのトラブルも多く完走率も低かったから、ある程度マージンを残すプロストのドライビングスタイルも理にかなってたのかも(実際、85年86年は連続チャンピオン)だが、89年ターボ禁止でNAになってその経験値が仇になったってことですかね
当時は、現場責任者として「エンジン贔屓」発言には振り回され、ストレスフルな日々を送っていたものと推測
現在、穏やかに?淡々と語っていられるのは時間の経過によるものなのだろうか
セナプロ時代の貴重な裏話、しかも技術面のお話を聴けました。ありがとうございます。