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立野記代との「JBエンジェルス」で人気を博した元女子プロレスラー・山崎五紀さん(59歳)。全日本女子プロレスでスポットライトを浴びた裏側にあった、壮絶な人生を聞いた。《NumberWebインタビュー全3回の最終回/第1回、第2回も公開中です》

 同期の立野記代と結成したJBエンジェルスで、世界最大のプロレス団体である米国WWF(現、WWE)のロングサーキットに帯同したのは21歳のとき。

 87年にはマディソン・スクエア・ガーデン、通称・MSGのリングに立ち、翌88年にはWWF世界女子タッグ王座を獲得。日本人女子プロレスラーとして初の快挙を、ダブルで達成した。

 26歳からの結婚生活は、アメリカ。

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 二男一女の子どもはすでに社会人となり、来年1月には還暦(60歳)になる。

 現在は、ドキュメンタリー作品の撮影中である山崎に、米国生活と壮絶な出産、近況を聞いた。

◆◆◆

27歳で経験した流産、その後の子宮外妊娠も…

――アメリカの生活はいかがでしたか。

山崎 1年たたないぐらいのころに、27歳あたりで妊娠したんですけど、流産しちゃって……。2回目は子宮外妊娠で、そのとき、「多くは産めないかもね」って先生から言われたんですね。あのときが、いちばんショックだったかな。アメリカに渡って、すぐのことだったからね。私はそれまでずっと、プロレスをやってたからだっていう後悔は絶対にしないって決めてたんだけど、2回目も妊娠できなかったときに初めて、「これってプロレスのせいかな?」って思っちゃった。生理のときには主人から、「タンポンは使わないほうがいいよ」とか言われて。

――タンポンが不妊につながることはないでしょうけど……。

山崎 わかんないじゃないですか。不安だし、知識もないから。結局、3人、難産で産んだんですけどね。(長女の)瑠夏(るか)のときは、陣痛がはじまって59時間もかかってるんですよ。

――2日以上ですか。

山崎 あっちの病院は、子宮口が10センチ開かないと置いてくれないんで、5回目も帰されそうになって、そのたびに主人が電話して、の繰り返し。微弱陣痛だったんですね。私、お尻のちょうど中間あたりぐらいを、骨折したことがあって。

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