新潟市を拠点に活動するアイドルグループ「NGT48」の喜多花恵。彼女は今、来年3月に予定されている東京マラソンの完走を目指して、練習を始めた。運動経験ゼロ、仕事もない。崖っぷちに立たされる彼女が42.195kmに挑む理由とは――。
NGT48の劇場公演に出演する喜多さん(Flora提供)マスクをするとき以外は……
私は、私のことが嫌いだ。
目も、鼻も、口も、もっとかわいくなりたい。ステージに立つ前や撮影前、入念にメイクを重ねる。周りの子は手短にすませるその作業も、私にとっては命がけだ。朝にレッスンやリハーサルがある時なんて、もっとひどい。関係者以外、誰に見られるわけでもないから、周りのメンバーがノーメイクで集まる中、私だけメイクが欠かせない。というより、マスクをするとき以外、私は常にメイクをしている。
NGT48に加入したのは、2022年6月。大学入学後、すぐのことだった。中学時代の成績は良く、地元・神奈川の進学校に進んでから、新型コロナウイルスが流行した。高校3年になる頃には、学校に行く機会もあったのだけれど、私は不登校になっていた。人が集まる場所に行くと、おなかが痛くなる。この頃には寝ているか、病院に行っているかの日々。遅刻したり、早退したりを繰り返しながら、卒業に足るだけの出席日数をなんとか確保した。
アイドルになろうと思った
アイドルになりたいと思ったのは、中学生の時だった。初めて買ったCDは、乃木坂46さんのアルバム。テレビで、スマホの向こう側で、輝く彼女たちに希望を見いだしていた。楽曲を聴いたり、イベントに参加したりするたびに、その笑顔のまぶしさに勇気づけられた。好き、という気持ちはやがて憧れに変わり、いつしか「こうなりたい」という気持ちを持つようになっていた。
NGT48加入前の喜多さん(Flora提供)
一向に体調は良くならなかったけれど、進学校に通っていたこともあり、なんとなく大学には進むのだろうなと思っていた。でも、一方で、アイドルへの憧れがどうしようもないほど大きくなっていた。同級生たちが受験勉強に取り組む中、私はアイドルのオーディションを人知れず受けまくっていた。乃木坂46、AKB48、NMB48、SKE48………。唯一合格したのがNGT48だ。それは、2022年4月のことだった。
中学まで成績優秀で、高校も進学校。登校できない時期もあったけれど、なんとか大学に進学した直後のことだった。受験や大学生活のために必要な費用も全て支払った後、「アイドルになる。大学を辞める」と一人娘に伝えられた両親がどう思ったのか、想像に難くない。「アイドルになったって、学歴や職歴や資格を得られるわけではない。そんなことをして何が残るんだ」と父から言われた。アイドルになって3年ほどたつが、父はいまだにアイドルとしての私を見にきたことがない。
中学時代の喜多さん。家族旅行での一枚(Flora提供)
憧れのアイドルになってからも、うまくいかないことが多かった。ダンスはいつもワンテンポ遅れ、歌もうまく歌えなかった。レッスンでは先生に指導されても、「何ができない」のかも分からないことばかりだったけれど、後からレッスンの動画を見てみるとひどいありさまだった。
同期がステージに立つ姿を何度も見送った。大事なステージのリハーサルの前に、漠然と怖さが募って、現場から失踪してしまうこともあった。「20歳までに正規メンバーになれなかったら辞める」と交わした両親との約束も「他の子が大学を卒業する22歳まで待ってほしい」と頭を下げて活動を続けてきた。研究生から正規メンバーに上がったのは、オーディションに合格してから2年以上たった24年末。私は、21歳になっていた。
レッスン中の喜多さん(Flora提供)
憧れたアイドルの世界は、私にはあまりに厳しかった。グループのスケジュールを見て、ある日、母はこんなことを言った。「なんで花恵は呼ばれないの?」
作った「特技」とちっぽけな「成功体験」
公式プロフィルにある「円周率100桁暗唱」も、何か話題づくりのために必死になって“つくった”特技で、仕事につながったことはない。そんな私を見かねてか、事務所のスタッフの方から「何かしたいことないの?」と聞かれたときに、私はとっさに「フルマラソンに挑戦したいです」と答えた。
私の数少ない成功体験の一つに「長距離走」がある。小学生の時のシャトルランや持久走でクラスの中で順位が上の方だったとか、高校の時のレベル別の持久走大会で4クラスあるうちの上から二つ目のクラスで走ることができたとか、そんな、ちっぽけなもの。でも、私にとっては大切な思い出だった。それに母の趣味がランニングで、「いつかは一緒に走りたいね」なんて話したことがある、というのもある。
ランニングに向けて準備運動をする喜多さん(Flora提供)
それでも、聞かれたから答えた――にすぎない、「フルマラソン」という言葉は一人歩きした。事務所の方に売り込んでいただいて、今年4月から新潟県内のスポーツ紙で連載を持つことになった。でも、4、5月は忙しくてあまりトレーニングできなかった。この時期にシングル曲「希望列車」の選抜メンバーの発表があったのだけれど、ここにも選ばれず……。気持ちがボロボロの中、連載2回目の取材の時には、早くも心は折れており、この時には「本当にフルマラソン」という気持ちも揺れ動いていた。しかも、私のそんな気持ちとは関係なく、この連載もスポーツ紙の休載とともに9月で終わってしまった。
これは、変身までの物語
そんな宙ぶらりんの状況の中、11月にドナルド・マクドナルド・ハウス支援のチャリティーランイベントが地元・神奈川で行われた。NGT48のメンバー7人で参加した1周1・2キロのコースを3時間リレー方式で走るというものだった。それなりに練習をしてきたからか、一気に2周を走っても体力的には余裕があったし、楽しかった。
仕事でつらいことがあったり、軽く「フルマラソン」という言葉を軽く口にしてしまったり。心の中に積み重なっていた「やらなきゃいけない」「できない」というネガティブな感情を横に置いて、目の前の「走る」ということに没頭すると、自然と心が軽くなった。「好き」とか「得意」じゃなくても、「楽しい」という気持ちを感じることは決して悪いことじゃないと思えた。
そんな様子を見てくれていた事務所のスタッフが、「東京マラソン」への挑戦を後押ししてくれた。毎年、出場倍率が高い大会だけれど、今回ドナルド・マクドナルド・ハウス支援のチャリティーランナーとして日本マクドナルドさんのサポートもあり出場できることになった。
NGT48のメンバーと参加したチャリティーランニングイベント。喜多さんは右から3人目(Flora提供)
学校にも行けないこともあった、運動もできなかった、仕事だってうまくいっていない。そんな私が東京マラソンを完走できたら、少しでも誰かの背中を押すことができるかもしれない。そして、何より、もう自分のことを嫌っていられるほど、いつまでも幼いままでいるわけにはいかない。とっさに口をついて出た「フルマラソン」も、「本当」にしてしまえば、何かが変わるかもしれない。弱い自分に決別して、新しい自分に変身したい。「やりたいです」。私はそう告げて、その時から週5回のトレーニングを始めた。
私は、私のことが嫌いだ。だけど、この先はそう言ってもいられない。東京マラソンで、私は自分の人生を変えるのだ。これは、私が「変身」を遂げるための物語だ。
第1話「It’s still raining. but I’m still running.」
(構成・デジタル編集部 古和康行)
プロフィル
喜多花恵(きた・はなえ)
2003年9月9日、神奈川県出身。2022年6月にNGT48の3期生として加入。正規メンバー昇格は24年12月。趣味は「アイドル鑑賞」「メイクの研究」など。
あわせて読みたい
