佐々木 敦さんの新刊『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』を読みました。
普段はあまり批判的なこと、攻撃的な内容にとられかねないことを発信しないよう心がけているのですが、さすがにこれは書こうと思います。
この内容、このレベルの言説が「日本文化を世界で売る方法」というタイトルで書店に並び、なんとなく受け入れられていく状況を放置するわけにはいかない。それは健全なカルチャー批評の「場」を醸成していくために有用ではない。そう思います。
■何がこの本の問題か
まず『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』はどういう本か。出版社による紹介にはこうあります。
戦後、日本の文化は海外での成功を夢見てきた。音楽や映画、文学、演劇の世界で、世界的な知名度を得ている作家や作品はあるものの、日本カルチャー全体が「輸出商品」として盛り上がっているとは言い難い。
日本文化が全世界的に流行する日は来るのだろうか。そのための条件とは一体なにか。K-POPの成功に学ぶ戦略、英語という壁、外から見出される「日本らしさ」、そしてローカル性と普遍性のせめぎ合い――。さまざまなフィールドで作品批評をしてきた著者が、音楽アーティストのNewJeansやXG、作家の村上春樹や多和田葉子、映画監督の濱口竜介や是枝裕和、劇作家・演出家の岡田利規らによる国内外の作品を通して、「日本製=メイド・イン・ジャパン」のカルチャーの行き先とその可能性を問い直す。グローバル市場を見据えるビジネスパーソンにも示唆に富む一冊。
PR TIMESより
序章では、こう問題設定がなされています。
本書は、日本の芸術や文化、サブカルチャーの「海外進出」の可能性について、あれこれ考えてみようという内容です。
(中略)
「ニッポンの文化」はいかにして「輸出商品」たりうるか、それが本書のテーマです。
『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』序章より
本書にも書かれているように、佐々木敦さんは、これまでの著作『ニッポンの思想』、『ニッポンの音楽』、『ニッポンの文学』で、1970年代から2010年代までの思想、音楽、文学について論じてきました。そのへんの素人ではなく早稲田大学でも教鞭をとるカルチャー批評の専門家です。
その三冊に共通するのは、そもそも「ニッポンの文化」とは「輸入文化」として発展してきた、という論点です。アメリカやヨーロッパの新しい潮流をどう取り入れ、どう日本に翻案するか。海の向こうで生まれた文化を日本にどうやって移植するか。そういう発想で文化が育まれてきた。はっぴいえんどの登場から論を進めた『ニッポンの音楽』はまさにその物語を書いた一冊でした。
しかし、そういう「輸入文化の時代」は終焉を迎えつつある。「洋楽離れ」の状況が象徴するように、ドメスティックなカルチャーが主流となり、海の向こうで生まれた文化をどう取り入れ、どう根付かせるかという発想に興味が持たれなくなっている。そういう現状のもとで、「輸出文化の時代」となりつつある日本のカルチャーの可能性を探ろう、というのが本書です。
その現状認識には、僕も異論ありません。音楽だけでなく、映画もそう。海外作品の国内での動員が目に見えて落ちつつある一方で『鬼滅の刃』を筆頭にアニメのグローバルなヒット作が次々と生まれている2020年代の状況も、まさに「輸出文化の時代」として位置づけることができると思います。
ただ、本書にはアニメ・マンガ・ゲームについては一切書かれていません。その理由については序章でこう説明されている。
アニメ、マンガ、ゲームを経済やIPの視点から扱った書物はすでに数多く出ており、なかば常識になっている事実の確認に終始してしまいそうなのと、ならばそれよりももう少しニッチな分野の可能性を探っていく方が面白いし意義があると思うからです。ここには筆者である私がアニメとゲームに詳しくない(マンガは割と読む方ですがメジャーな作品のことはあまり知らない)という個人的な事情もあるのですが。
『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』序章より
この本は「日本文化を世界で売る方法」というサブタイトルです。帯には「アニメ、漫画の次は?」と大書されています。そういう本にアニメのこともマンガのことも一切触れられていないというのには、拍子抜けする読者もいるでしょう。でも、詳しくないならしょうがない。あまり知らないなら無理して論じなくてもいい。「タイトル詐欺では?」と感じる人もいるとは思いますが、そこは不問とします。
何がこの本の問題か。
佐々木敦さんが「詳しい」はずの音楽の領域で、間違った認識と浅薄な批評の数々が頻出することにあります。
そして後述しますが、本書のロジックの核に関わる事象があるのに、それについては何一つ書かれていないということです。
■YOASOBIについて
まず首を傾げざるを得ないのがYOASOBIに関しての記述です。
YOASOBIはどこまで行くのか、これからの動きに注目したいところですが、やはり次は「アイドル」のようなタイアップ(世界的なバズのきっかけが『【推しの子】』─世界各国の配信サイトで超人気コンテンツになっています─という日本のアニメ=ジャパニメーションの力であったことは疑いを入れません)抜きにして何ができるか、ということではないかと思います。もちろんタイアップが悪いわけではないのですが、個人的にはYOASOBIが所属するソニーミュージックはアニメのタイアップに頼り過ぎだとも思います。現在の日本の音楽市場ではそれくらいしか必勝法がないのも事実なのですが。
もうひとつの注目点は、YOASOBIが今後、オリジナルの英語曲を出すかどうか、です。私は出すのではないかと思っていますが、楽曲のオリジナリティやクオリティとはまったく別次元において、それがどんな結果を導き出すか、「アイドル」くらい売れるのかどうか、とても気になります。
『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』第三章より
そもそも、YOASOBIは「小説を音楽にするユニット」です。アニメ主題歌として書き下ろされたものも、そうでないものも、彼らの楽曲には基本的に「原作小説」が存在します。つまり、monogatary.comから始まった彼らのユニットとしての設計思想の根幹そのものに、メディアミックスやタイアップの発想があります。
「ソニーミュージックはアニメのタイアップに頼りすぎ」「現在の日本の音楽市場ではそれくらいしか必勝法がない」というのは印象論にすぎるなあとは思いますが、それについてはまあいいでしょう。
問題は「次はタイアップ抜きにして何ができるか」「オリジナルの英語曲を出すかどうか」という問いの立て方です。これはYOASOBIのアイデンティティと表現の本質を全く理解していない、と言わざるを得ない。
「オリジナルの英語曲」というフレーズを最大限好意的に解釈するならば、『はじめての』で彼らが試みたような、「アニメなど既にあるIPではなく、YOASOBIサイドが企画し発信する原作小説にもとづいた楽曲」と捉えることもできるでしょう。
ただ、そうならば、そう書くべきです。実際、本書の中には柚木麻子『BUTTER』がイギリスでヒットするなど海外での日本文学の市場拡大について触れた章もあります。だとするならば、たとえば「柚木麻子の新作小説の翻訳版の刊行と共に、そのスピンオフ的な掌編を英訳先行で公開し、それを原作にした英語曲をYOASOBIがリリース、イギリスの書店を巻き込んで展開する」というような試みとして「問い」を立てるべきでしょう。それが実現したらどんな結果を導き出すか、という話だったらとてもワクワクします。
■新しい学校のリーダーズについて
新しい学校のリーダーズについての記述も、踏み込むポイントがズレていると感じます。
なぜATARASHII GAKKO!は海外でも人気を博したのでしょうか? もちろんその答えはひとつではありません。しかし、ここで特に挙げておきたいのは、セーラー服という特殊効果です。
『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』第四章より
本書にはこうあります。そして、その「制服」という特徴からアバンギャルディについての考察に接続します。ノスタルジーやアナクロニズムという観点から80年代のアングラ演劇や暗黒舞踏との共通点を見出します。
ユニークな視点だとは思います。でも、問題は、新しい学校のリーダーズの海外人気について結局「セーラー服を着ている」以上のことを語っていない、ということです。まず指摘すべきはパフォーマンスの熱量でしょう。88risingが発信するアジアのカルチャーシーンのコミュニティにJ-POPが合流したことも踏まえるべきでしょう。何より音楽性について掘り下げるべきでしょう。昭和歌謡リバイバルの「オトナブルー」が日本でバイラルヒットしている同時期に、マーチングバンドを引用した「Tokyo Calling」が海外のステージでキラーチューンになっていった経緯について論じるのも面白そうです。なぜならマーチングバンドはアメリカの大学を象徴する文化であるから。そこに「新しい学校」としての批評性を見出す論点もあり得ると思います。
■XGについて
XGについての指摘もピントが合っていないと感じます。
XGがしばしば批判されるのは、繰り返しになりますが、K-POPの手法を用いつつ韓国語では歌わないことです。メンバーは韓国で長期間のレッスンを受けており、音楽番組やインタビューでは韓国語を流暢に話しています(むしろ英語の方が不得手で、ネイティヴ並みに話せるのはMAYAだけのようです)。私は以前から、一部の根強い批判をかわすためにも、一曲くらいは韓国語で曲を出したり、韓国語ヴァージョンをやってもいいのではないかと思っているのですが、頑ななまでに(?)そうしようとはしない。しかし韓国で活動はしているわけで、快く思わない人がいても無理からぬことだと思えてしまいます。
『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』第三章より
本書にはこうあります。たしかにXGのデビュー当初の2022年から2023年、韓国のK-POPファンの一部を中心に「韓国語で歌わない」ことに対しての批判はありました。しかしK-POPでもJ-POPでもない「X-POP」というジャンルを提唱してスタートしたそもそものXGのコンセプトや、プロデューサーのSIMONが当初から抱えていた「海外”進出”ではなく最初からグローバルを見据えて活動する」というビジョン、そしてそれを成功に結びつけたキャリアを考えるならば、「一部の根強い批判をかわすために韓国語で曲を出す」という提案がいかに筋違いなものかはわかるのではないかと思います。
■K-POPのグローバル戦略について
本書ではJ-POPだけでなく、K-POPについてもたっぷりと論じられています。特に「第四世代」の女性アイドルグループについては、固有名詞も沢山出てきますし、些末なエピソードについてもたびたび触れられている。しかし「K-POPがなぜ海外進出に成功したのか」という戦略を論じる部分では重大な時代認識の錯誤があります。本文にはこうあります。
2020年代から始まった「K-POP第四世代」の波(現在はすでに「第五世代」に入っています)は、それ以前に国際的な大成功を収めていたBTS、BLACKPINK、BIGBANGなどのグローバル戦略を踏まえつつ、より洗練された方法論をもって、韓国以外の国々で猛威を振るっています。
『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』第二章より
そもそもなぜ、K-POPは世界を目指すのか。いや、音楽だけではなく、周知のように、映画、ドラマ、文学などといった他のジャンルでも韓国文化のグローバルな躍進は著しい。日本でも過去に何度も「韓流ブーム」がありましたが、東京の新大久保に行ってみると平日でも昔の原宿の竹下通りを彷彿させるほどの人混みで、特に若い世代に韓国カルチャーは今や完全に根付いている感があります。なぜ韓国文化は「外」に向かうのか? それはまず何よりも、国が小さいからです。韓国の人口は約5156万人(2023年、韓国統計庁による)。日本の約半分です。経済発展のためには、文化産業に限らず輸出を重視せざるを得ません。また、日本と同じく韓国でも人口減少が急速に進んでいます(最近は「非婚」ブームも社会問題化しています)。ポップミュージックは2010年代以降、サブスクリプション(サブスク、定額ストリーミングサービス)が消費のベースになったこともあり、利益を上げ続けるには国内だけでは到底足りない。そこでグローバル戦略が火急の課題として要請されてきたというわけです。すでにBTSとBLACKPINKという直近の成功モデルが存在したということも大きかったと思います。
『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』第二章より
K-POPの海外進出のモチベーションに「韓国の人口が少なかったから」という理由を見出すのは定番のロジックです。しかしそれにつなげて「2010年代のストリーミング普及によって国内だけで利益を上げられなくなったからグローバル戦略が火急の課題となった」「すでにBTSとBLACKPINKという直近の成功モデルが存在したということも大きかった」――とあるのは、正直「?」となってしまいました。ここの時系列はめちゃくちゃです。
BIGBANGとBTSとBLACKPINKを一括りにしているのも、かなり雑な認識です。ちゃんと整理するならば、韓国文化が「外」に向かった端緒は、まず2000年代にBoAや東方神起やBIGBANGが成し遂げた「日本市場へのローカライズ」です。これがいわゆる「韓流ブーム」。この時点で韓国の音楽業界には「違法ダウンロードなどにより国内だけで利益を上げられなくなった」という問題がありました。
そして2010年代初頭にはKARAや少女時代が躍進します。これが日本では「第二次韓流ブーム」と言われましたが、その頃、韓国の音楽業界は次の一手を打っていました。ヨーロッパのコライトキャンプでグローバルなポップミュージックのシーンを支える第一線のクリエイターを掴み、楽曲制作の現場を押さえることでアメリカの音楽業界をハックするという試みです。それがどんなものであったかはヒロイズムさんの以下のような証言があります。
K-POPが成功した理由は、国を挙げてベットしたからだと思います。10年以上かけて、ようやく今の地位まで辿り着いたのですが、実はヨーロッパから始まっていたように感じます。そこで作家やプロデューサー陣を巻き込んで士気を高めたのが、最初の勝ちのポイントだったと思います。
どの国のキャンプにも韓国のレーベルのA&Rが来ていて、K-POPの曲を集めていたんです。フィンランドのSong Castleというキャンプでは、「これから韓国の新しいボーイズグループがデビューします」ってプレゼンしてたんですよ。資料とともに大きなスクリーンでダンスビデオを見せられたんですけど、それが完璧で、予算もあり、まとまったお金がもらえるということで、プロデューサーたちが「これに向けて書くぞ!」となった。それが、その後アメリカに伝わったんです。
<インタビュー>ヒロイズム(her0ism)が語る、名だたるアーティストの楽曲が生まれる現場のリアルと「J-POPのグローバル化」に向けて
こうした取り組みが基盤になり、それがBLACKPINKの躍進と後の世代の成功に広がった。そういう認識はおさえておくポイントだと思います。
■BTSについて
カルチャー批評なのだから産業論的なことは踏まえなくてもいい、という向きもあるでしょう。しかしBTSとBLACKPINKの成功モデルを一括りにしているのも疑問だし、続くBTSについての記述もかなり問題含みです。
よく思うことですが、K‒POPのこのような事情はイギリスに似ています。英国も大きな国ではありません(2022年の統計で人口6760万人)。同じ言語を話すアメリカという巨大な国があるものの、ポップミュージックも国内消費だけでは覚束ない。ビートルズという不世出の人気者が出現したことによって、イギリスの音楽は成功モードを学んだ。新人バンド(など)がデビューする際、国内で音楽ジャーナリズムとともにメディアハイプを惹き起こし、すぐさま海外に打って出るという方式です(もともと海賊国家ですからお手の物です)。イギリスにとってのビートルズが、韓国にとってはBTSだったということです。
『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』第二章より
この記述からは、BTSがビートルズのように「デビューする際、国内で音楽ジャーナリズムとともにメディアハイプを惹き起こし、すぐさま海外に打って出るという方式」で成功を掴んだように読み取れます。
これは全く認識が違う、と僕は思います。BTSのデビューは2013年。当時の所属はまだ中小規模の芸能事務所だったBig Hit Entertainmentです。大手事務所の新人グループと違ってメディアの露出も少ない。しかし当初からメンバーが楽曲制作に携わり、そのメッセージ性が浸透したことで徐々にファンダムが形成されていった。
そしてYouTubeとSNSを通してそのファンダムをヨーロッパとアメリカに拡張していった。それが可視化されたのが2016年のアルバム『WINGS』が全米アルバムチャートで初登場26位にランクインしたこと。アメリカのメディアで彼らが大々的に取り上げられた契機は2017年のAmerican Music Awards(AMA)のパフォーマンスで、それもソーシャルメディアで醸成された熱量がきっかけです。BTSに関してはメディアが仕掛けたのではなく、世界中のファンダムが作り出した熱狂を「追認」した、というのが正しい認識でしょう。
■細野晴臣について
で、ここまでいろいろと問題点を指摘してきたのですが、実は本書の最大の瑕疵は「書かれていること」ではなく「書かれていないこと」にあると思います。
YMOのかつての海外進出についてしっかりと紙幅を取って書かれている一方で、2010年代以降の細野晴臣の海外での受容について、全く触れられていないのです。
最初のソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』では基本的に「英米のロックの日本(語)化」を試みていた細野は「トロピカル三部作」において、その名の通り、熱帯地方(ハワイや沖縄など)の音楽を下敷きにしたエキゾチック(その種の音楽は「エキゾチカ」とも呼ばれました)なサウンドを追求しました。
『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』第二章より
本書の中では『HOSONO HOUSE』についてもちゃんと触れられています。しかしそれがマック・デマルコを筆頭に現在の北米でインディ・シーンに活躍しているミュージシャンにどう影響を与えているかについては、全く語られていない。細野晴臣が2019年にアメリカツアーを行い大盛況をもって迎えられたことも、ヴァンパイア・ウィークエンドが『Father of the Bride』収録の「2021」で1984年にリリースした『花に水』収録の「TALKING」をサンプリングしていることも、何一つ触れられていない。
2020年代以降のシティ・ポップ・リバイバルについての論評も全く存在しません。
唯一それらしき記述があるのが、以下のくだりです。
全世界的に巻き起こったヴァイナル/アナログ盤リイシューのブーム――これ自体、サブスクに至った音楽のデジタル・データ化の流れからの揺り戻しです――も相俟って、たとえば大貫妙子の過去の名作アルバムのLPを求めてわざわざ来日した音楽マニアの外国人が地上波のテレビ番組で取り上げられたり、海外のレーベルから知る人ぞ知る日本の音楽家の「幻のアルバム」がヴァイナル・リイシューされることが相次いだりもしました。この一種の「流行」は現在も続いています。
『メイド・イン・ジャパン 日本文化を世界で売る方法』第二章より
正直、この描写からは、2019年頃のテレビの情報番組的な取り上げられ方から認識が何一つアップデートされていない、と感じてしまいます。アニメとゲームのことをよく知らないというのは仕方ないですが、『ニッポンの音楽』の著者である佐々木敦さんがこうしたリアルタイムの事象に「詳しくない」のは致命的だと感じます。
なぜなら、この潮流は「かつて”輸入文化”だった70年代や80年代の日本の音楽が、いま”輸出商品”として再発見されている」という、本書で展開しているロジックの根幹に関わる事象なのですから。YOASOBIやBTSについて浅薄なことを書くよりも、これこそが掘り下げるべき批評の対象だと思います。
■告知
というわけで最後に告知。
12/28(日)18:00〜 渋谷LOFT9にて、 宇野維正さんとのトークイベント《ポップカルチャー事件簿「2025年徹底総括&2026年大展望」編》やります。
僕なりに、もっと説得力のある「日本文化を世界で売る方法」についての話も持っていくつもりですので、よろしければ是非会場、もしくは配信にてどうぞ。
