「戦後80年を問う」(14) 映画評論家 秦早穂子さん 2025.7.17
記者会見を始めます。今日は戦後80年を 等の第14回目です。え、映画評論家の旗 佐ほさんにお越しいただきました。え、皆 さんご存知と思いますが、え、簡単にご 経歴をご紹介したいと思います。え、 1931年東京渋谷の大生まれです。 1957年にパリに渡り、ジャックタチ 監督の僕のおじさんの買い付けに携われ ました。以降クロードシャブロル、 エリックロメールなどの作品に直価に触れ てこられました。ヌーベルクの誕生に 立ち合ったお1人と言えます。この フランスの新しいを日本に紹介したことや 1959年撮影中だった雀力オダール監督 のアブードスフルを世界で初めて買いつけ 、勝手に仕上がれという砲題をつけて フランスとほぼ同日の公開を実現させた ことなどは今や伝説的に語られています。 その後もルネクレネマン監督の太陽が いっぱい多くの名作映画の輸入を手掛け、 え、それだけでなくテレビフィルムや ファッションなどヨーロッパの文化空気を 日本に伝えてこられました。え、執筆活動 も活発に、え、行われ、あ、あの、携され ており、え、スクリーンモードと女優、 パリに生きる女たちなど多くの本を書きに なってらっしゃいます。え、中でもですね 、あの、影の部分、ま、これは比較的、え 、最近2012年ですけども出版された本 、え、この中ではですね、え、戦争中から 000配線後の怒りが私の中でなお火を 吹いていて、それを沈めるためには勉強 するより外国の現場で働く道はないかと 真剣に考えていたという術が、あの、記述 がございます。え、先中戦後の 体験、え、をされた方からお話を伺う今日 は貴重な機会だと考えております。え、 今日はですね、え、戦後80年に、え、 思うことをはさんからあの、お話し いただきたいと思います。あの、1つは さんが繰り返して、え、繰り返し今まで おっしゃられてきたのはですね、え、先中 戦後のご経験から人が植えることがあって はならないという、え、強い思いだと。 これが私の原点だということを重ねて、え、発言されていらっしゃいます。え、申し遅れました。司会は日本記者クラブ企画で事通信の小林があの担当いたします。それではさんお願いいたします。 [音楽] どうもこんにちは。 ま、私が今日こんな講演をするというよう なことはちょっと ば間違いなことですし、あの本当は控い たいところなんですけれども、もう私も 80年になってもうすぐいつ死ぬかわから ない時に1度ぐらいは私たちが過ごした あの時代の記憶の断編をお伝えできたら いいんじゃないかなていう風にふと思い ました。それは記憶の断編でございまして 子供の時のことですし、あの思い違いも あるでしょうし、あの思い込みもあると 思いますけれども何らかの 事実とそっから出てくる真実というものが あるんではないかと思います。私はさっき ご紹介預かりましたように1931年昭和 6年に生まれました。で、もう日本は あの毎週次編になって入っていて、それ から 日、日編と大平洋戦争、大東亜戦争、 大世界大臣、第2世界大くんです。 になるかであの戦争のであのそれはまた今この時代に最後の時代にこう [音楽] 201 世紀までの生きてきたいと思ってきて 見てみるとあの時代のなんか不穏な時代に どっかが全く似ってるわけじゃないし全然 違うんだけれどもどっかに似ってるような ことがあるような気がする。で、あの、重 の夏までの重になったばっかりの夏までの 、つまり日本の廃線までの記憶というのは ごく子供の時はやっぱり、ま、生まれた 環境も恵まれてはいましたし、あの、 もっと頻婦の差も激しかったし、日本は まだ 小さな国だったんだけれども、どんどん どんどんその 軍主になってくていう記憶はそのそういう ことじゃなくってその226事件の000 1900え昭和11年でしたかしらにあっ た大行の日のことをまよく覚えてるんです ね。それでそん時にあの私たちは鎌倉に その頃渋谷を離れて住んでおりました。ま 、健康上のこともあったんで。そしてそん 時に東京のうちあところと一切あの連絡が 取れなくなって大人たちが騒いでいました 。そしてその時に子供のこ言葉ではない 会原っていう言葉は 初めて覚えたんですね。でも何のことだか 分かりませんでした。ま、それが色々な ことになってって、でもその時会芸年の時 でもまだユ雅ヶ浜な浜辺では漁師さんたち が自び網なんか引いてそしてその ざ一杯のイワしが10,000だったって いうことを覚えてます。ま、そんなことや こんなことで、ま、それから私はその聖母 もマリア幼稚園というところからその教育 をやめてその目ジロの女子代の幼稚園の 試験に入って目ジに急に移ることになるん ですね。そしてそこでま、戦争がもっと 過裂になってきた。で、その 最初にそのせ、もうあんまり日付のこと ばっかり言うのは嫌なんですけれども、 日本はその 大東亜戦争になってその後期2600年と いうその大縮をやるわけです。それでその 歌もできたし、絵はきも出てみんな大騒ぎ してまだ紅白のお餅ちが食べられた時代 でした。 そしてそのそれと同時にそれもうちょっと 経つと 三国同盟ができて日毒遺産透明ができて その前後ですけれどもヒットラ有限とが 来るのを覚えてります。それでその 金髪で青い目をした青年少年たちが学校に やってきたのを覚えてます。で、もう 私たちはそろそろ運動なんかがなくて、 あの、運動靴の裏の ゴムの板が板みたいになってるんだけれど 、彼らはすごく川靴のいいのを履いてさと 歩いてた。それとそれに控いて次に最も私 の興味を引いた。忘れられないのは イタリアがあのレオナルドダヴィンチ店の 上野の池のでやったことを覚えてます。で 、夏の日でどんな服装をして私が行ったか それからまた1人でも行ったってその時に 覚えてるのは万能の天才っていう言葉を あの歌い文句にしてたんですね。で、 もちろん今から考えればそれはあの イタリアのプロパガンドでもあったろうし 、日本の政府のプロパカンドでもあった でしょう。ま、そういう共産でもとにかく その レオナルドダヴィンチって名前は知ってい たからモナリザが見れるかと思ったけど モナリザなかったわけですね。で、よく 考えてみれば後でモナリザはもうすでに フランスが持っていたわけですね。で、で もその全くレオナルドダヴィンチの知ら ないその科学者とか飛行機を発明するとか それから印刷を発明するとかっていう すごい天才がいる。今から考えると、あの 、レオナルドダヴィンチ村の展覧会を持っ てきたのかもしれないけれど、それは非常 に私に勘明を与えました。で、そという ことはその もう私たちは絶対に外国には行けないん じゃないかっていう外を見ることがもう できないじゃないかっていうことを子供心 にも予感したんだと思います。そういう ことを今言うとなんかこう嘘っぱちに 聞こえたり後付けになるんだろうけれども 子供っていうのはあのやっぱりどっかで サンシーブルに本当のことを思ってるわけ だけどあのなかなか大人には言わないと 思うんですね。してや戦争中に育った 私たちはあの決してあの非常になんて言う のかな反抗的じゃなくてこう盾の教育に ちゃんとあれしていて歴史をやるんでも とにかく歴代天皇の124代までの名前を 暗記するってのことがまず歴史の基本だ からなんかやっぱりこうずっと盾の思想で こう横に外れるっていうことはなかっ だけどそういう外れていく中にこういう こともあるんじゃないかな。こういうこと はでき に行ってはいけないっていう風にあの こうじ自粛していた部分がある。これは 女の子であるからっていうことじゃなくて 、男の子でも後に聞いてみると実は僕は あの時代は怖くってつまり戦争が怖いから 行きたくないと思ったけどそんなことは 言えないから黙ってたんだ。で、黙って ままにこう戦争が終わるわけですけれども 私たちの前の人たちは戦争に行ったわけ ですね。だからその ライトア戦争が始まった時の最初の12月 8日っていうのは本当にあのラジオが鳴っ た時に怖くて触れました。今私とても今皆 さんお話するのが怖くて触れてるんです けれどそれともちょっとは違うようなでも なんかすごい怖い感じがした。それでその 時に最も不思議に思ったのはあの神風特攻 隊とあの特殊先行艇の話でした。で、その 特殊先行艇の話の中で5隻の特殊先行艇が 新珠を攻撃して1隻ずつに2人乗っていて たんだけれど話なんだから5隻だから10 人のはずなのにある日のあれにはそのその なんて言うの?え、 9人の人が急に軍になってあの2階いう こう特身になってみんなになるわけですね 。で、その海軍の遺憾になるってことは とても明誉なことなんだけどでも私とすれ ば、ま、数学あんまり得意じゃないにして も 5人で5席だったら10人なのになぜ9人 なんだろうと思って。なんで9人なのって 言ったらみんな大人たちは黙ってるんです ね。で、これはあんまり言っちゃいけない 、聞いちゃいけないことなんじゃないかと 思ったんだけれども、その疑問はずっと 長く後を引いて本当のことを知るのはもう 本当につい最近のことだったんではない でしょうか。そんな風にあの不思議な事件 がいっぱいありました。で、ま、その、 考えてみれば1940 年の に大空がだんだん始まってきて、たった あの3月10日からの東京を見ても3月 10日、4月13日、5月25日ってま 色々ありましたけれども、だんだん空習が 激しくなってくってことは、あの、 身に染みて感じて私のうちも2度焼けまし たし、あの、神田にあった加作も焼けて、 もうと東京生まれですからどこにも行く とこがなくなっておばの親戚のおば一家と 山梨市のところで廃線を迎えます。で、 そん時にあの村の商屋さんのうちでラジオ がないからみんなが集まって、その終戦の 廃線の昭和天皇の言葉を初めて聞くんです けれども、あの天皇の声を聞くのは初めて でか高い声でよくわからなかったんですね 。で、みんなが、あ、これは天皇がまだ 戦争を続けてやるから頑張ってや れっていうことだなって言われた時に、ま 、父がそば、父はもう病気でしたからいや 違うとこれは日本は負けたんだ。負けて、 しかも無条件にな、幸福したんだと言っ たらそのみんながあんたはやっぱりスパイ だったんだなって言われてで私はその時に ちょむっとなって泣きながらスパイなんか じゃありませんって言って覚えてるのが その最初です。それでその渋 まとにかく私が1番今回ここへ来てお話し たいことはもう理屈じゃない。その記憶の 断片のある1つの中で1番大切な単純な ことを言いたいと思ったんです。それは 人間はさっきおっしゃったように植えちゃ いけないっていうことをめに染みたって ことです。それ私はそれまでにあのご飯を 食べる お腹が空いたっていうもお腹はみんな戦争 中すごく空いたし色々あったんだけれどお 弁当持って行かれない日もあったけれども それ以前はそんなにみんな困ってた生活を したわけじゃないのに橋1本にも歯ブらし 1本にも困るっていう生活やいろんな人の 生活があるってことを知ったってことも あるしその代々木のうちのおのうちに 焼け残ったおばのうちに転がり込んだ時に そのせ留を守っていたその一家がいたん ですね。それがある役者のあの雑役者の人 でした。私たちの世界とは全く違ったおじ さんで変屈なおじさんだったんだけど観点 流の字を書いたりしてとても面白い人だ。 ま、私はとても興味を持ってその人の書く ものを見てたんですけれどもで、そのおじ さんも時々芝居の切符なんかくれてたりし 、それでどういうわけか、そのいつも私と おじさんが2人いるんですね。父も母う してなんかま、みんな忙しかったんだろう と思うけれども、ある時 そのもう1人相方の有名な役者の女性が 使いに来るんですね。してその寒いのに マフラー1枚でこうあれ震えてでなんか私 はちょっとおじさんにお茶でもあげ ましょうかってこう なんとなくそう言ったらそうしてくれると ありがたいねって言ってお茶を出した。で 、そん時にふっと大床を見たらば、その 当時すごく流行ってた文化鍋ってパン薬が 居物のね、真ん中に穴が開いてて周りに こう粉ったってメリけ粉だけじゃないん ですね。いろんな粉の混ざったやつで みんな食べてそれ1切れ2切れ食べてた わけです。で、米は今お米騒動で騒いで ますけど、現米が多少 あの配給なってそれを現米を一生便に入れ てですね、棒でつっついてを取って少し ずつ食べてる。もう本当に2号3弱って いうあの1人2号3弱の権利があるから 米国通長ってのはものすごくパスポート 以上に大切な命の綱だったんだけど2号三 を配給になることはなかっ戦争中よりも 戦後の方がむしろ植えたと思う。として そのだから食べることに対してみんなあの 深刻だったしあの 夢中だったんですね。そしてそのだから その1や2のパンは大事だったんでみんな 数えて出したんだけどまそれなんかの 気持ちで私はふっとその人にあげあげ ちゃったわけですね。知った時に見たのは その青年がちゃんとこうしてた青年が あっていう間に食べちゃった。気が同時 みたいです。もう私びっくりしました。え 、こんな食べ方があるのか。 で、それであっただけどそん時に困ったな 。これは私はこういうことするとまずいん じゃない。つまり私は親にも言わないで こう1キ2キでのパを上げてま本を読むの は好きですからいろんなジャンバルジャン のパンが盗んだのもこういうことじゃない のかななんて思ったりしてまたその青年が もう1回ぐらい来たんですね。で、ま、 そん時に出さないわけにはいかなくなっ ちゃってるわけね。だから1回しちゃった ことはまたしなきゃいけないで、もう2回 目した時にはこれはもうまずいなと思った 。 ま、幸いにというか、それこそ幸いって 言葉今言っちゃいけないのかもしれない けど、そのおじさんはうをめっけて小岩の 方に聞こして、ま、そのおじさんと娘と その連れ合いっていうか、おばさんとは なんか面白い関係でこれは面白い人たち だったんだけどで、それっきり ま、青年は来なくなったわけですね。 そして年が開けてその明る年の3月の時の 朝に新聞を読んでたらば 大きな見出しである歌舞伎役者の一家がナ で殺されたっていう新聞。そしてその時に 驚いたのは12歳になるその3人らしい男 の妹も殺されてるという事件を知ったん じゃもうそん時になった時に もう父と母に私は自分がしたことを言わ ないわざえないと思って実はこの青年の この人を知ってるとあのおじさんの宮の おじさんとこへ来てた人だ。で、実はあの 焼いたパンをあげたことがある。2度あっ た。 でもち、ま、両親は厳しい人でしたから ものすごく叱られると思ったら全然叱ら ないで意外にま、そういう時はちゃんと 言えばいいんだと。言えばいいんだからっ て言ってた。で、本当にごめんなさい。 これからそういう風にしますって言った。 10分も経たないうちに刑事が2人やって きたんですね。して、あの、そのおじさん を尋ねてきたけど、もうおじさんはいない で、父と母が大体に出たけれど、大雪の 古日でその玄関のガラス度がこうガタガタ 音を立てて思いから、そっからこう雪が 吹き込もう刑事さんもそのさ、2人もその 連光とかなんか寒い靴がびしょびしょに なって、あの、じゃあもその青年は来ない でしょうって父が断ってると誰か知らない この人と会ってる人がいませんかって言わ れてだんだんにいや娘はこの人をに会った ことがあるったそのじゃお嬢さんに合わせ てくださいで私は呼ばれていくわけですが その玄関のま 曲上がり神 どのところにさそしたらそのもし来たらば 警察にああの、行ってくださいと。 で、そん時にどういう枠か私はすごく興奮 してたのか。興奮してったつもりはないん だけど いや、そんなことを警察には言いませんっ て言っちゃうんですね。どうしてだだって そうでしょう。2号3弱っていうのは みんながの権利なのにその人俳優の人役者 の人たちはその権利の米を鍵をかけて与え なかったって書いてあるじゃないですか。 で、そをする権利はないんじゃないかって いうなんか変な話になっちゃう。で父が娘 はとても興奮してますから引き取り ください。って言ってその終わったんです けれどもその後にしばらく経ってその人が 捕まってそして死刑を宣告されたっていう の か記事が出たんですね。で、私はもうその ことはすごく心に残って、 で、もうその人は死んじゃったもんだと 思ってずっと思ってて、ある時その本を 書く時にその編集者の人がもう何年も経っ て いや調べたらばその青年はあの助かったん だ。 にはならなかったっていうことを聞いで びっくりするんで、しかもそれを助けたの はその 東大の先生で松田病院の委長さんだった 精神家のま、有名でそのお父さんそのお父 方のお父さんは、ま、これは本名出しても いいでしょうけど内村っていう、ま、有名 な宗教がプロテスタントの 方ですけれど、 その息子さんがそうした。で、その計らず もその息子さんの お嬢さんと私は同しクラスで時々その 食べることやなんかで喧嘩もしてたことが あるでと思ってあのお父さんがそんなこと をしたあの青年を助けたんだっていうこと を知ってもうそ非常にその長い長い年月で 1つの謎が溶けてあの行くんですけれども そん時に考えたのは、あの、 ま、 見たことと 報道されることと信じたことと それとも知らなかったことといろんなこと の事実と真実とがごっちゃになってあの 信じ歴史というものを作ってる部分がある んじゃないかなっていう風にあの考える ようになったし、それはもうごく 最近もそういうことがございますし、あの 歴史のことも色々 あの 、ま、歴史なんか関係ないって言えばそう なんだけれども、 やっぱりこれは1番大事なところだし、私 の原点だったし、それからやっぱり人間は 打ちゃいけないっていうその怒りっていう ものがあの 私を今まで支えてきてまさかこんなになく 生きてるとは思わないけれどそれは確か です。で、じゃあなぜその、 ま、そういう風で私は子供の頃には歴、 歴史をやりたいと思ったってこともあるし 、それから絵も書きたいと思ってたことも あったけれども、もううちもどんどん疲弊 して、あの、ダめ何もかもなくして、あの 、 行った時に私はやっぱりもう1 日本の外に出てどっか日本ってものを見て みたいなと思ったことは事実でそれがまず そのきっかけになったのは戦後になって まああの戦争中は映画っていうものは見 られなかったわけですね外国映画でその 戦後になってあのアメリカ映画が見る時に アメリカ映画っていうのは春の女局って いうデアナダービーの映画とそれから キュウリ夫人っていうのが初めてだったと 思うんだけれどもそれに引き換えてアメリ えフランス映画は美女と野獣と比練とそれ から もうちょっと後に悪魔が夜来るとかって いう戦争中と戦後にすぐにできた映画が ある。で、その映画っていうのが日本の 戦争中の映画とは違って、あの、 ま、フランス映画の場合はこう動画を撮っ たりいろんなしてそのカムフラージし ながら一種の抵抗精神をがあるんだって いうことが発見されてきて、あ、こういう 抵抗の仕方もあるんだなと思う。ところが 日本でその後その抵抗精神っていうあれが 出てくるとそれがその抵抗の精神っていう か抵抗した英雄っていう風になってきて なんかこう全部 こう 読みやすい 納得しやすい盾の思想になってるような気 がしてそうかなっていう風に疑問を持った わけです。全てがやっぱり疑問になっ ちゃうわけですね。 で、実際において私はその映画館映画会社 に入りたいと思ったわけ。で、その前には あの図書館に入りたいと思ったらば、ま、 働きたいと思ったわけです。それもすごく 子供っていうかまだ若くて関連的だから そういうことをそれでしかもすぐ実行した いってわがままで世間知らずだ。で、ま、 とにかくその映画会社に入るわけ。その 映画会社ってのは日本はまだせ、戦争、 あの、 占領の日本なんですね。だから外国映画 っていうのはここは大事なとこ。これは1 つの外国映画の歴史であるんだけど、あの 、日本の映画人っていうのは全てあの先前 に活躍し、戦争地に活躍したレッド パーディーになるわけ。それから外国映画 はあの一刻一社1個1つの国が1つの会社 でやる。で、それはあのその国の例えば イタリア映画ならイタイタリア映画の人が 会社をあれして がトップになる。それからそのフランス ならフランス人がトップになる。で、 フランス人の場合は ユダの人たちでその戦争中はあの軽井沢に 欲留されてた3人の人たちがあ、その トップになるんですね。でもそれたちは 映画の人たちじゃなくて、あのビジネスの いわゆる勝者の人たちで、そういう人たち と日本人の全く映画じゃない人たちがこう 作っていってイギリスでそのクォーター性 がありますから、あの割り当てがあって そのあの本数だけしかやれない。そして しかもお金もあの 、あの3万ドルっていう3万ドルっていう のがえっとその当時のお金だと1ドル 360円で細かい話ですけども税金を 入れると400円 だからそれが1番の値段でそれ以上は買え ないっていうような非常な制限の中であの 映画が入ってくるわけですね。 で、私はそのフランス映画のあの フランス映画輸出入組や日本事務所セフ っていうところに入ります。最初のあの 文芸部長が大家翔平さんだったんですね。 だけど大家さんはその後あの、ま、 戦争から書ってその字幕なんかやってらし たんだけど、ま、それは食べるためにね。 だけどあの不気を書くために、ま、小林秀 のを借りて、あの、不良を書いたっていう んだけど、その次に末松正ていう画家が 入ってくるわけ。で、その人は戦争前に あのダンサーとして踊りカとして行く。 あの、 モダン、モダンダンスのだ、踊り手として 行くんだけど、戦争中にその捕まって、 あの、連合、連合軍にそれでそこでその プリゾンにいる間に絵掛けにな るっていうんで、セ後は非常にその一時 モテ生やされたあの絵描きさんていうか、 そういう人たちでちょっとこう、毛軽色の 変わった中に入ってったけど、私は全然 仕事は与えられません。だ、とにかく みんな一応フランス語ができるとか女の人 もフランス語ができるとかタイプができる とかでも 映画はみんな全然だけど私は何じゃあ着お 着みになったかつとお着みでもないんです ね。 そこが不思議なとこで日本だったらお客み の役があるんだろうけどフランス人の会社 っていうのはお組みのために女の人を 女の子は雇わないだけど仕事を与えないっ ていう感じででなんで私が入れたの かしらって後で聞いたら意地の悪い女の人 あなたもう1人とってもいい人がいたけど その人はうんと美人だったけどあんまり 美人だからあなたにあなたの方は美美人 じゃないから入れたのよって言われて、あ 、なるほど。美人じゃないのも得なんだ なって思ったことがそういう時代だったん ですけれども、だから映画を見 るっていうことなんか全然できなかった。 だけどとにかく ま、いろんなもの 資料はあるからそれを眺めてたり、その頃 あの、あの、フィルムは飛行機では来ませ んでした。120本ずつぐらい船で来るん ですね。で、それを全部東方に見せて東方 が選ぶそういう時代で、そん中でこう だんだんにいいものもあれば悪いものも あって、あの でそれがそのそれから日本が占領が終わっ てからレッドパージの人たちが帰ってきて 、いろんな映画会社ができてきて、それで まだ制限があるからっていう時にその 外部の変化もあれば内部からの崩壊もあり 、それが戦後のま、映画にの1つの い歴史の一部だろうと思う。あんまり みんなその話は知らないし、そういう話 するとそんな退屈な話は嫌なんだって おっしゃるから、ま、これでやめときます けれども、でもとても大事な時期だった わけ で、で、私はもうその さっき言ったようにもう ここではダメだろうし、あの、1度は出て きたいと思って、ま、外国、あの、ヨーロ 、アメリに行くのはちょっと嫌だったから ヨーロッパに行って、ま、とにかく 1度は見てら、見ておいでっては言われた 。つまり日本想像してるものとは違うよっ てことで、その何を見てこいって言われた のは、ま、親にも言われたのは宗教の問題 。つまり砂漠で生まれた3つの宗教、人種 の問題。これは日本で学んでることとは 違うし、それがどれだけ分かるかどうか わかんないけど、見ておいでて全然それは 分からなかったけれども、 ちょうどその頃にフランス映画はだんだん に内部から昔のつまり日本人が好きな ジュリアンジュビエのペルモコア じゃない。他の動きが出てくる。 ルネクレルのパリサイのあれじゃないもの が動きが出てくる。その いわゆる中堅派が 出てきて、またもっと若い人が出てくる。 ちょうど私たちの1930年代から20年 代の後半の監督たちが出てくるっていう 時代にあの 巡り合わせるんですね。で、その、これは 1つのチャンスだったんで、あの、 1度は私は、あの、その会社からやめて いったのにもか、やめれた時に、あの、お 金が足りないから、あの、退職金をくださ いって言ったら、退職資金の制度はないっ て言われてびっくりするんだ。でも とにかくもう出かける用意をしちゃった から出かけちゃうんだけど後からその 新しい会社の女の日本の住約さんがあの やってきて1度はちゃんと帰ってきて整理 した方がいいっていうので私もう1度帰る んですね。時はすごく悩むんだけども、 つまりそんな その頃にはまだ何、あの安い切符もない からあのエコノミークラスでも49万も 払うのにそんなお金なんか払いこないし どうすればいいかと思いながらもう1度 書ってつまり あのただ長く単にいるだけではダメなん だっていう考え方行くんなら行っても何回 1回してやってもいいくらいそういう 新しい方もあるんだっていうこととそう いう感じであの 日本へ帰ってくるんですね。その時にその 前にその僕のおじさんとかそれから シャブロールの新し、え、つきセルジュっ ていう新しい動きが出て、これはなんか やっぱり動きがあるよねっていうことで 帰ってきたと。そして、ま、そこで日本の 会社の中の動きがどんどん変わってきた時 に、あの、もう重約両方の重約でやってる 時代じゃなくて、ま、若い子のあれを力を 必要とするその方があの経済的だし っていうようなことがありまして、ま、 じゃああんたが行くかっていうことになっ て、それで突っさに行くっていうことに なっちゃうん。ま、そこはもう大変なあれ でみんなも驚いたし、私も驚いたんだ けれども、 つまりそれは単に経済的な問題と映画を 選択するということは簡単にフランス人は 考えてたってことですね。そのうち やっぱり勝者だからそのフランス人って いうのは不思議に研修性を作るってことは あったから香水の会社は香水のあの交量の ことをあれするとかっていうようなことと かそういう感じでそのあの映画の選択でも 映画の選択っていうのはそういうその技術 やそのなんかこうノーハウじゃないわけだ からそれちょっと分からないんだけど フランス人はそこが嫌なわけねそのなんだ か分からないものに投資するのだから投資 はもうしたくないっていうんでもう 閉めようとした時にま、その 映画を私は見ていて、ま、 その最初何べもたくさんの映画を見ました けれ その ま、そのゴダールのその勝手に仕上が れって映画を発見してそのもうそれを見た 時にあ、これはやっぱり私たちの時代の 映画なんだなっていうことがその本質的に もそうだけどあの技術的にもそうだし全然 違う。あの、まず編集が違うってこと。 カメラが違うってことでそれはまあそれを 吸ったもんだしながらでももうでも とにかくもう時間がないからもう クォーターがの権利が切れちゃうからでも これも題名もその勝手に決めちゃいけない んだけどこれにしましょうって言ってやっ たのはでもその後で決めて20分で決めた んですから怖かったですけれど できた時は本当に怖かった。え、こ、 やっぱり思ったよりすごい映画できちゃっ て、これはもうちょっとやばいなと思って 本当にそん時は1人であのカフェに入って なんか武道士飲んでちょっと 呆然ともしたしでも興奮もしたんですね。 で、そん時にあの ゴダールも興奮してましたね。で見てたら 、あの、割とすごくツンとした しけたような男が真っ赤な顔してこ好調し てた。あ、この人も今日は変わったんだな と思う。だけど、もうその映画ができ ちゃった時に私が感じたことはゴダールも 私もみんなそこにいた人たちも いるんだけど 映画はもう1人立ちしていく言っちゃっ たって感じ。これ不思議な感覚なんだけど 自分たちと関係がない。ま、もちろん私 なんか何も作ってるわけじゃない。関係 ないけど、こう そういうもんなんだっていうことをかで そのことがとても大事なことでもあるん だっていうこと。それことを伝えたいって ことを思ったんだけど、ま、なかなかそれ は東方やうちの会社の人たちには理解でき なかったと思う。で、その代名が下品だ から書いてくれって何べも言われて、これ は下品な題名ではないんだと。こう いろんな意味があるんだよってことを言っ てこれをこしてた次にこのベルモンドって いうやつはこんな嫌汚いような男は売れ ないんだからこんなのやんのはだかあんた はさん男を見る目がないんだてそれはない んだよこれは新しい俳優なんだしこの演技 は新しいんだもうそれはパリとあの向こう とのあの東京とのあれで大喧嘩化したこと があります。で、その、それが、ま、パリ から送られてった時に、じゃ、私はパリに いますからで、どういう風になったんだっ て言ったらば、みんな反応はどっ た?映画秘評か?誰が見た?で、で、どう 言ったかって言ったんだけど、そ、みんな ぐジュぐジュ言っての後で聞いたら、なん か私のあの会話は全部録音されてて重約が 聞いてるから本当のことが言えないって いうんです。 だけど、その飯島正しさんと上草陣一は どうだったって聞いた。したらあの2人は 激勝したって言うんですね。あ、2人が いいって言うんならそれでやりなさい。 つまり ここで言いたいのは別に私飯島さんも 、ま、個人的に知らないわけではないけど も偉いおじさんたちであの なんて言うのかな。ただやっぱり彼らは 自分の目で見る目は見よう。見てるわけね 。じゃあ他の人見てないかって言うと大変 失礼だけど、なかなか自分の目で見てる人 ってね、いないんですよ。どんなものでも 絵でも私はそう思う。やっぱり1番大事な のは間違っても自分の目で見 るってことだと思う。で、日本がやっぱり 弱いってのは1人の人が言うと温度取ると 全部そっち行くわけです。日本戦争中 みんなそうだったし、それが戦後も続い てると思う。で、それは私すっごく粉砕し たかったのね。だけど、あの2人がこう、 こういう点でいいっていうなら、それは ある程度本当なとこを当たってるわけだっ たらそれでそこを行きなさいって、行き なさいって言うか、それをあの頼りにし なさいっていうとおかしいけどやっぱり 見る人はいるわけだからで後でこうみんな がくっついてくるっていうのはその 違う力よね。でもそれはとても大事なこと だったと思います。でもその後で アンドレマルが言うように映画っていうの は2面星があるってことですね。それは 確かでその 芸術性かそれとも娯楽性かでこれがいつも うまくはいかない別々なもんなんですよね 。で、で、だから工業的にやるにはそれが こっちをやりながら娯楽も探しながらも 経済的にあれをしながらこう前に前に少し ずつ進むっていうことがどんなに大切か、 ま、困難なことかってことは分かる。 分かるんだけども、ま、それで私は次にそ したらば結局この20分で探しやったって ことはなかなかそのなかったことなんで 秋っていうそのプロデューサーが電話して きて20分であるそのプランソって映画が あるけど見ないかっていうでそれはもう他 の会社が取ってるからいらないよったら いや誰も契約してないってまそこは ゴタゴタしててそれで、み、20分で見る んだけどね。でもそれはもうすごくこう海 の場面でいい場面なんだ。で、それがま、 太陽がいっぱいっていう題目をつけるんだ けどで、ま、太陽がいっぱいなんて おかしいじゃないかっていう意見もあって 、太陽は1つなのになんでいっぱいなん だっていう。で、ま、そう言われて、でも その対応がいっぱいっていうその表現が その必要なんだっていうもなんかすごい 見解になるんだけど、とにかくその題名1 つであの価値が変わる時代なんで、今 みたいな時代とはちょっとそれでそれがま 、 ネクレマンの映画だったんだけれど、ま、 私は映画としては良くはないと思った。 ただあの時代のある若者の表現ではあると いうことは分かる。つまり勝手に仕上がれ のミシェルポアカールのようなあの骨折し たっていうかそなんかこうグダラダラした 男女の子とごちょごちょベッドの中でして て殺人もしてるようなんじゃなくって こっちも殺人をするんだけれどなんかもう こうもっとこうギラギラして欲望だけが 固まってるようなんての方が分かりやすい んだっていうことは思ったし まそれであ でもルネクレマンの映画としては私は1番 いい映画は本当は鉄道の戦いっていうその レジスタンスの映画はやっぱり素晴らしい だけやっぱあだと思ってました。で、そう いう風にただ私の話になるとなんかいつも 勝手に仕上がれと太陽がいっぱいで やり込められて嫌な思いをするんです けれども別にその そういうことじゃないことなのになって 思う。やっぱりこう みんながそれぞれに思ってるものをなんか こう映画の中で表現しようとする。映画で もいいし、ま、絵でもいいし、文章でも いいし、何でもいいけど、そういうこと 、大人たちが教えてくれたことを そうじゃなかったんだっていうこと、何が どうだったんだっていうなことを、ま、 未だに探してはいるんだけれども、ま、 そういう意味ではその、ま、ヌーベルバー グっていうのを話すっていうことも1つな んでしょうけども、あの、 さっきも話してたんですけれども、 ジャックドミーという人とアネスバルダの 話をしてて、 あの、 幸福っていう映画を私が褒めた時に、ま、 これ亡くなった方では遠藤修作さんが こんな映画を褒めてなんだって怒られた ことがどっかの新聞 で、それ私も確かによくわかる。つまり それはその 幸福な夫婦があに夫に新しい女ができて そのことでお 自分の尿房にそのことを言うとあ、ま、 その尿房がその2人でセックスした後に あの自殺してしまうっていうすごく過酷な 不思議な映画なんだけどそういう感って いうのはやっぱり遠藤さんや男の人たちや その当時の人に分かりにくかった。でも そういうことっていうのはありう るっていうことと そしてその アネスバルダをめっけてきたのお素敵だと 思ったジャックミってのは年の若い監督な んだけどその彼がそのじゃアネスバルダが その 演出家の人との間に子供がいてその子供は 巫女の母だったわけですね。その人を引き 、その娘を引き取って自分の子供として アネスバルンだと結婚するって生殺は あんまりその当時は知らなかったんだけど 、あの一部の人しかそんなことは言わない し、日本みたいにだけれども、それが土台 になってあのローラになり、それからそれ が土台になってそのカテリンの支援の シェルブルの雨傘になったと思う。つまり やっぱりその生きてる自分が生きてること と映画との間にある種の密接なものがああ るってことも本当な。で、それがヌーベル バーグとは言わないけど、それはそういう ことが土台になって実際に身を身をさ、 そこにさらしてですね、その巫女にだって 困ってる女を困ってをそのチェルブールの ではその若い娘がアルジェリアの戦争に 行く青年と愛して一晩のことで子供ができ てそれが世間定が悪いというんで、 金持ちの息男が助けて結婚するっていう話 。そこでまた戦争が終わってかなんかで 青年があっとその女が再開するってその 全部がオペあのミュージカルでだからそう 一種のメロドラマですよね。 で、でも別れていくっていうとこで終わる だけど、そこには本当に自分たちがした ことのあれがあるし、そこにもう1つある のはカテリンズヌーブもその結局 ロジェバリムっていう男の人とくっついて 子供が生まれてそれがもう世間で ものすごく私もそこんとこにいたけどあの そこの時代にいたけどすごくその 妊娠ということと中絶ということが大問題 になったのは60年代でそれはその日本で はそんなことは問題にならなかったし あったんだろうけどもそんなことは隠して たんだろうと思う。 それだけどもでもやっぱりカトリックの 教会の力も強いしなんたる娘だっていう ようなことになってソース感になって しかもカテリンドヌーブは ドロジェバディムに捨てられてですね、ま 、的に言えばバディムはジェンホンダに 行っちゃってアメリカ行っちゃうでほら見 たこらって言った時にこの映画の企画を ズミがするというとまちょっと話がうまく なり過ぎちゃうんだけれども、でもまあ 実際はそうですよね。で、そのことを前に 勝テリンズムが来た時にその話をちょっと したもすごくカットだって怒ってたけどで も後で冷静になったらうんて言って黙って たけどそれほどみんな辛い 時代ね。それでそのお金のある人は あの、ま、自分がお金があるか相手がお金 があれば水旅行に行かせるわけですね。 妊娠した人を。そして水種で打体さして 帰ってくる。だけどお金のない男と女の 場合に妊娠しちゃった場合打体はできない 。じゃどうするんだ?打体すると潜りで 危ないっていう危険でみんな私もしました 。出しもしましたっていうその有名な女の 人たちが社員したのね。その事件っていう のはものすごくそれが今そういうベースが ある国の中の映画っていうのはこうエロガ ではないってしかも綺麗ごとにはなんか ミュージカルで言ってるからそう日本は 綺麗ごとに取ってるわけ綺麗ごとに悲しい 映画だからそのカヌでその映画ができて こう公開になった時に そこに集まった人たちはみんな反対だっ たりなんかするんだけど、みんな自分の 意見はなかなか言わない。でもその最後に 見終わった時にもう私も含め私も はま、前からそういう思想があるのは 例えば小説だとロマンローラーの見せ られる魂でやっぱ巫女の母になっていく 主人公があるけどそん時小さい時にそんな の男の人の理想主義のなんか嫌だわ。 そんなのはと思ってたのだけど私そん時で もやっぱりそういう妊娠してこうでその 1人で生きていくなんてとってもできない わと思ってた。だけど映画を見た時に 私自身も中で感動してああはっと気がつい たような肩の苦いそれが妊娠してあの打体 しないで運んだからいいってんじゃない。 そういうことじゃなくて、ああ、こういう 生き方ね。これも生き方ねって、これが 絶対とは言わないけど、だ、そん時に みんなが一斉に立って拍手したのね。その 拍手した時に映画にも拍手したけれど、 おそらくカテリンドヌーブっていう女の、 その生意きな女の子の生き方に対しても 含めてうん。まあそうだよなていう風なさ 何とも言えない賛同というかあの さ 共感 そのあれが一瞬になったあの映画はねあの 単にそのミュージカルでミシェルグランの 映画だけじゃなくってやっぱりある深い ものつまり深いものっていうよりは真実な もんがそれはやっぱ監督がそういうことの 目にあったっていうか、そういう女の人を 自分の妻とする。妻としてまた自分も生き ていくって、次にその妻も生きていくって いうようなことをね、みんながこう理解し 合うっていうようなことがその一瞬にあっ た、あれは素晴らしい 一瞬でしたね。で、そういうものも、ま、 やっぱりヌーベルバーグだと思う。だから ヌーベルバーグっていうのはやっぱり それぞれが自分たちがそれぞれに体験する もの。いつの時代でも自分の中にあるのが ヌーベルバーグだと私は思まその偉い 秘評化たちのあのあれでこうなってって いう歴史も大切なんですけれどもやっぱり 1人1人が自分の中で生きて自分の目で 見ることがやっぱり大切だっていうのは今 の時代がまたあの時代のようにちょびっ とってかとても怪しい時代になって るっていうこ を痛に感じてるからです。ま、やりますか? 八が生きてる姿をご存知なんですよね。そのことちょっとご紹介。 それは私の小さい時の記憶でして、 あの、今渋谷開発になってて、その私の うちもあのアパートもおぼロなんだけど、 温出されてるんですよね。本出されてる けどまだ5年かかるかなんかわかんない けどどうするどうする言われて で私はそこでの渋谷の赤十時で生まれたん ですけど600目にも足らないその未熟時 であの引き帰るみたいな汚い子であの親は 抱くのも嫌だったって言ってるんですけど それでその渋谷は今そうですけどあの時代 は渋谷ってのは、あの、 豊玉軍って言ったんだと思うんですね。 それでそのいわゆるその日本橋とか有楽町 の辺りのあの人たちがあのその後の電園 長歩と同じなんだけど別荘だった。です。 だからそこで生まれたんだけど、 ま、それはとてもいい記憶の中にあって、 そん中にいつもその写真が今日も探したん だけどないんだけど、ま、私も整理は8校 と私が映ってる写真があるのね。その8校 っていうのが、ま、 あの銅像の8校じゃないわけ。あんなに りしくないの 汚い耳のあの耳の垂れさがデっとこうやっ てねいつもそのこうあの渋谷の駅なんか 想像つけ渋谷の駅は木造建てですからね。 あの当時今なんか想像もつきませんよ。だ から私は今渋谷なんてくともうね、昔の あれがスライドしちゃって、今どこにいる んだか自分が分からないだって。渋谷の駅 から同原坂を見ると同原坂の上が見えたん だからその同原坂のあの渋谷の元にその 汚い黄色い犬が出っといてこれが八校で これがその上野先生っていう先生のあれな もう上の先生はなくなったと思うんだけど まだそこにおいるんだけどま性でいるんだ よっていう話なんだけどまそんなことは 子供分からない。ただ分かったことは汚い 黄色い犬。それだけどちゃんと中実に来て いるっていうこと。それからなぜ死んだ かってこと。死んだことも知ってるのは それは結局その近所に焼き鳥屋がい てかわいそうだから焼き鳥の肉をあげた。 それが解剖したらば焼き鳥の骨とあの骨が あの竹串が刺さってた。だから絶対に犬に 鶏の肉とかあの牛の肉と豚はいいって言う んですけど鳥の骨はいけないって言うんだ 竹とは食べさしちゃいけないってことを 教わったのね。でその時にあそういう忠実 な犬もいるんだなと思っていつでも私の うちはいつも犬がたくさんいていろんな 世界中の犬がいたわけですよ。それでその ま、変なそれ個人的な話なんだけど、ま、 その頃はフィルムを取ったりするのが好き な父親がいて、ついにそのか チャペックとかあのなんとかの ダーシェンカの し、翻訳もしたどころか写真映画まで撮っ ちゃったわけ。それがもうすごい下手な 映画でね、私もそれは私はよく分かってる わけ。生きだから。で、その池袋の映画館 で行った見てて、まあ才能ないなちゅうと 思ったわけだけど、 ど、どんな監督だってね、犬だけの映画 ってのは難しいと思うのね。で、それが その何もで、その ダーシンカってあのワイヤヘアドの部屋の 映画を撮るっていうのは大変だったと思う んだけど、ま、呑気なことだからなん、 なんかやっぱりすごく こう思うことがあってそんなことにやって たんだろうけど、ま、そん時からあの才能 のない人はやっぱりあんまりいろんなもの に手出さない方がいいなっていう風にもう その私 もそうなんだからっていう風に思って思ってなんかこう地道になんか働いてでも地道に働くこともできないし才能もないしっていうのがこの慣れの果てです。あの [音楽] はい。教えてください。 あの、えっとですね、え、まず先中戦後の怒りっていうのはこれを先中、あ、先中からですね、戦後の怒りっていうのはこれ、あの、前にあの記者会見で中達也さんもおっしゃったんですけども、大人が言うことがその [音楽] 180 度変わったと。ま、そういうこともあるんでしょうか? あ、もちろんですよ。 それはもうえずそうじゃないですか。だからさっきから言ってるように嘘ついてるわけだもん。 つまり 10人いた人がなんで9人になったの? その9人の1人は捕虜になったから出せ なかったわけでしょ。でもどうやって特殊 先行点で行った人が保になったのか未だに よくわからないんだけどになったわけ でしょ。で、それも最近なってその旧軍の 中のその10人目がその銅像の中に加え られたのはつい最近の話よね。 だから私が子供の時におかしいな。どうして 10人のはずなのに9人なの?9 人なのって言ったのがそういう嘘はいっぱいあったわけよ。で、それがやっぱりね、絶対不審感ですし。 分かります。それはあの、その時にですね、あの不審感を持ったのは、え、はさんはめ、え、誤解に言えばですね。 [音楽] 誤解を恐れずに言えば共容のある人たちだったからですか?それとも一般的に若者はみんなそう思ってましたか? ま、ある意味ではその、ま、そういう言い方嫌だけど そう多少はね。 うん。 つまりね、やっぱりみんな 1億一なんですよ。 うん。うん。それはね、もう本当にね、今 ゴタゴタ言ってる人たちはいいなと思うよ ね。幸福だと思うわ。あの時にそんな ごタゴタは言ってられない。つまりすぐ 引っ張られちゃうんだから。で、子供も あのなんかこれ危ない変な人がだなと思っ ね。親にも。うん。なかなか本当のことは だんだん言えなくなってきたん。それは 本当。うん。で、それやっぱりね、 ものすごくね、重要なことなの。だってね 、今 学校でそのな何とかするなんてだったら 私たちの時代はもう男女 驚愕じゃないし、全てが学生も変わって いくわけじゃない。神とか生、あの、小 学校の頃だって、あの、男の子と女の子が 別れてるわけ。だけど男の子があの悪い ことをすると、ま、往復ビンタを暮らせん のは当たり前 先生がね。そしてもっとひどいのは女の子 の教室に男の子を連れてきて立たせるのよ ね。これは私すごい残酷だと思う。で、 そのことについて私が後年あの聞くと 男の子はみんなそんなの知らないっていう のが頑張るのよ。認めたくないんだと思う 。それからやっぱり小学校はその新学校だ からそのあの効立でもその寄宿してる人、 気流の人とその地元の人がいる。そうする とまず私もそれ分かったんだけど持って くるお弁当が違う。おかずが。 それからあのはっきり言って学力も違う。 でもね、そのことについてね、後年 同窓会をやった時にその、そのひどい目に あった人が男の子がすごく言ったのね。誰 1人聞いてなかった。それはすごいね、 残酷な話でみんな聞けばって言っても誰も ね、無視してるの。 やっぱりね、あの差別ってね、もっと 起こっていいと思うのね。 そんなね、今な、何て言っていいかわかんないけどね。やっぱりね、ものすごくあの時代には嫌ですね。あ、 でもね、すぐななりうる体質ですよね。 うん。 なぜなら日本の人ってね、オリンピックでも 1番じゃないと嫌なわけね。何でも 1 番なのね。そんなにいいじゃないですか。 2番ぐらいでも3番でも 私はやっぱりその人がいっぱいいた方が バランスが取れると思うの。でも日本は1 番が好きなのよ。で1番になっちゃったら ね落ちるしかないんだね。 で、それは私やばい精神だと思う。危ない 精神だと思う。多様性が大事だってこと ですよね。多様性が大事だってことです。 性っていうかバランスっていうかんな人がいるっていうこととそう多様性でもあるしバランスでもあり うん。 それから何でも1番1 番っていうねやっぱりそのなんかこう私借り合わせと盾の盾の精神っていうのはすごくあると思う。 うん。もう 1つ教えてください。 あの、の部分の中の記述で私はすごくあの印象に残ったのはパリの夜空に星なんて [音楽] 1 つも輝いていなかったと。パリの夜空に星なんて 1つも輝いていなかった。つまり自分が 27歳から28 歳になっていく時のことを、ま、象徴的に書かれてるんだと思うんですけど、 あの、当時海外で働くこと、それから女性が働くことについてはどんな思い? [音楽] あ、それはまずね、 ま、映画し、それこそ映画的に言えばね、映画できたのはなんか私なんかもやっぱりフランスからだと思ってた し、そうなんだけれども、ま、日本も もちろんそうですし、うちの、うちの親戚 でもみんなうちでもそうだけど女の女優さ になるっていうのは別ですよ。でも女優さ になるってことでさえも戦前はやっぱり 癒しい仕事に思われてた。これは確か今は ね、やっぱりそういうことはないでしょ。 だけど映画会社なんかに行くってそれで 女優でもなければ着みでもなけならいる だけのっていうようなことっていうのはぶ ま軽別ですよね。それでその まずま私たちの時代までも結局ほとんどの 女の子はお嫁めに行くだから1人お嫁に 行けば一斉にやめるんつまり私も言ってき ます。嘘なんですよね。今は本当にそんな ことなくてお嫁に行かないでふんぞり書い て奪ってる方がいいくらいでしょ。でも そう言うとその時代錯誤で怒られるけど 本当に楽になったと思うのね。だけどパリ に行ったらねまあよくおの様お母様たちは お許しになったわね。映画が映画の会社 なんか しかもそのなんかすごくやこしいその宣伝 するわけじゃない。なんかチョイスするっ たって想像もつかない。しかもなんか 追っかないようなおじさんやおばさんとか お金の話とかまそれは私なんかはそういう ことは一切させないでただ選べっていう風 にされてるんだけどでもそれは絶対に守れ ないでこうあえこの映画をやりたいと私が 唯一に言った言葉は あのもう報告はね書かないことにした つまりその筋を書いてこうして俺がいいん だなったってね。映画に興味な人に分かり りっこないんだし。だからあの問題外問題 外ともう秘書の役の女のまた問題外で みんなだんだん危ない。この女の子ね、 こんな問題外なんである日パッと書くとね 効果があるわけと思うわけ。それでなんか 良さそうに思う。それ何も嘘ついてはめ てるわけじゃない。 本当だから言ってるわけだからそういう風にしたんだけどもうでもその映画のことをやるってことはもう全然向こうでは認められなかった。 うん。 ただ私はその映画だからっていうんじゃなくてこの日本のエリートがあのヨーロッパやアメリカに行ってドイツでも何でもいいけどみんな何年もその勉強して偉いみんな人たちがいますよね。 明治から夏目創石から盛り外でそういう人 たちの伝統がいっぱいあるわけだけどそん 中でそうじゃなくってただジャバラの エレベーターのこうやってやって何でも なく生きるっていうことも1つの生き方 じゃないか。それが自分をにふさわしく 自分を探せることじゃないかって、ま、 それもちょっと文学的すぎかもしれない けど、ま、そういうことをあの真剣に思っ たわけね。それがなんかなんだってこと じゃないの。ただそれをやってみ るってことが必要だってこと。でもそん中 で選ん見たことってのはプロそこで宗教の 違いなんていうことも分かった。つまり 女教あの部屋の中で秘書がいて秘書の人 たちがいっぱいいるわけだけど こっちはプロテスタントっちはカトリック で喧嘩するわけよね。ま、まともには喧嘩 しないけどお互いが根に持ってるから なんかとっと喧嘩するわけ。それはその 宗教の問題。あそこのうちにあんなに子供 がいんなカトリックのせいよねとか私あれ はやりすぎよねとかね。 し何がなんだかも分からないけど本当にすごいだけどそういう中で具体的にああいうことかこういうことかってことが具体的に分かったことは私にとっては良かったと私はあまりもやっぱりこう観念的な子だったんですね。やっぱ頭でっかしなすごく保守的でしたね。あのフランスは。それでやっぱりうん。 あの 、男の人の世界をね、 つまり何が男の人の世界って今は多少友で か違うけど60年代の過ぎても 経済は全部男が握ってる。結婚しててもね 。 だって日本の人は、あの、私は結婚もしたことないし、そういうことわかんないけど、あの、給料もらったらば銀行に入ってくんでしょ。そうすると奥さんが出す権利もあるんじゃない? ま、それどうかちょっと分かります。 だけど向こうは絶対出してないからね。 ああ。 それからまず小切っても切れないし座も持てない。 うん。ま、それからだんだん持つように なるんですけど、だから友達の奥さんがい て、その奥さ、旦那はそのどっかのいい 会社の獣約で、ま、奥さん愛してるから もう小切っ手の口座、あの、チェック、 小切っ手帳を与えたわけ。そしたらば もうやめたよっていうのね、私もううちの 尿房にはやらない。全然分かってない。 もうただサインしちゃれば出てくると思っ てっけどね。全然そのお金はどっから出て んだって。そう。ああ、なるほどな。 そして私うちあのもうそう100円停止 ってのは流行ったことがあるでしょ。あれ 何年だか忘れ。あの日本で今100円停止 っての流行ってんの知ってるってきでどう いうことだって。あの奥さんが朝100円 停止にあげるのよ。 もうさん、そういう話はね、尿房の前でし ないでください。だ、その奥さんの方は、 え、聞かしてよってこう言わでそんな風に つまり日本の夫人雑誌であ、フランスの とこ素敵よね。あの、一緒に買門ついてっ てとか。そう、そう、そうでもあるん だろうけど、お金握っててめ、そのに勝手 には使わせないためのお金、あの、ついて いってるわけですね。だからある、全く そうじゃない。その割と知的で冷静でいる 男の人がいて、あの、あなたのうちはどう なのって聞いたら、その人は結婚してない わけ。お母さんが立派なお母さんでうちは ね、あの、特殊なんですよ。うちのね、 母親すごく立派な母親でね、だから母親 コンプレックスなんだけど、だから父親が すっごく信用してて、うちの母に全て 沸かした。これはもうレアケース。 絶対に男は握ったら尿房なんか渡すない。 で、それで結局その本質は こな間だもある映画から話したんだけど男 は はよりは女の方が本当は強いから渡したら 最後だっていうこともあるんだっていう。 だからなかなかにねその日本の夫婦人雑誌 や女性士で思ってるような そういうあのあれっていうのはないわけ ですね。 で、そういう面でよく見てるといっぱいいろんな映画があって面白いんだけど、そネグレートされてますね、日本では。 そうです。あの、そろそろ皆さんから質問ってよろしいですか? [音楽] はい。 えっと、ま、じゃ、とりあえず一旦これではさんのあのお話はあの終わりました。ありがとうございました。で、こっから質問を受けします。会場で質問のある方は挙種をお願いします。私が指名しますので、お近くのマイクを使ってお名前とご所属をおっしゃってから質問してください。 [音楽] オンラインで参加されてる方は、え、いつ ものように私にあのメッセージでお送り いただくか、それともご自分で話したい方 は、あの挙のボタンを押してください。 あの指名します。 はい。え、ということで、え、会場の皆 さん、あ、えっとですね、とりあえずお2 人じゃ前にはい。 え、個人会員の川北です。ま、たに渡って 面白い話をありがとうございました。あの 、ま、いくつも聞きたい話あるんですけど 、ま、あの、2つだけに絞ります。まず ですね、あの、 え、勝手に仕上がれの後に太陽がいっぱい を買いつけられたということですが、え、 ただですね、はさんはこのルネクレマンの 映画としてあまり良くないという風に おっしゃったんですね。哲ロの戦いは 良かったと。ま、確かに鉄の戦いは クレマンのデビュー作で、え、素晴らしい 作品ですが、太陽がいっぱいもですね、 クレマンがそれ以降色々積み重ねてきた、 え、技術をですね、最大限に発揮した 素晴らしい作品じゃないかと私は思って ますが、ま、それあの評価いいんです けれども、この一般にはこの太陽が一杯は ヌーベルバーグ世代よる1つ前の世代で あるクレマンがヌーベルバーグ世代に対し てね、出した挑戦 だという風に、え、言われてると思うんですが、この挑戦は成功したのかどうかということですね。 1つ。 それは日本の説ですよね。 そうです。日本の説です。 そしてあのフランスでは成功しませんでした。 なるほど。わかりました。 それだからっていうわけじゃないけど、あの、別にものすごい悪い映画だとは言ってないです。 あれは、あの、つまりそれはすごく面白い 話テーマなんだけど、 その はっきり言って多少当たったのはに馬鹿げ て当たったのは日本、それから多少当たっ たのはアメリカ、フランスはゼロ0って わけじゃないけど極忘れられた。 つまりああいうその青年ちょっと綺麗なっていうかアランドロン日本人にとってはすごい綺麗な男の子だけどフランス人にとってはくる男の子の男なんですよね。つまりその辺のガルソンのスタイルなの でああいうその確かに私もずっといつもあのあの人をさ最初の時察して目はすごく綺麗よね。 だけど、ま、ただその1番良かったのは彼 は他の人より理屈はなくってただ成功し たかったわけ。どん底から。だから あらゆる悪いこともしたわけでその後する わけでしょう。今アランドロンのこと プラスは言いませんよね。危ないと思う。 チャックしてると思う。なるほどで日本 だけがそでもそういう勘違いっていうかで もあのが好きな国民なのよね。 だけど、あのパトルシアハイスミスのあの映画っていうのはあの筋書きってのはなかなか良かっただろうと思う。だけどそう。 え、私はこれはもう好みだから。 ええ、 あの、ルネクレマンが鉄ロの戦いでその鉄道員のレジスタンスのあれをして、あのみたにその 1 匹の肺がこうハずってそれを見ながら殺されていくあの鉄道員の人たちのあの描写アンリアル感のカメラだったと思うけどやっぱりすごく胸たれましたね。 分かりました。じゃあ、あの、2 つ目の質問です。あの、ま、ゴタール、あの、ヌーベバーグで例えばゴタールの他にですね、アニエスバルダとジャックドミの名前を出されましたが うん。 あの、ゴダールは、ま、いわゆるウ派内者は海派ですよね。で、一方そのローベルバーガにはもう [音楽] 1 つさ、専務サガ派というのがあって、ま、中心になったのはアランネですよね。ま、ジャックドミアバルダも、ま、そのグループなんでしょうけどね。 で、私自身はあのウ派内者海派よりも遮派の方が好きなんですよ。ま、具体的に言うとレネが好きなんですが、あのはさんはレネをどのように評価されてるんでしょうか? [音楽] [音楽] あ、私も例ネ好きですよね。 具体的にはどの作品でしょうか?例えば 24 時間の常事か、あるいは去年マリエンバートでか、あるいはそれ以上の作品なのか。 [音楽] そう、やっぱり広島もナムルっていうのもいいし、うん。 それからあのマリエンバードもいいと思うな。 あと悪くはないけどやっぱりちょっと敵すぎるよと思いますよね。 そうですね。ちょっと何回過ぎましたね。で、しかもあれうん。 あの脚本家のルムグリエとレネの間で 2 人が本当にあったのか合ってないのかのこの意見の違いがあったということですね。 [音楽] 意見の違いがあるぐらいだから観客はま、そますわからないですよね。そうですね。なるほど。いや、よくわかりました。はい。 はい。すいません。 はい。 ではどうぞ。 私はあの、あのなんて言うのかな?今日わざとっていうかごく難しい話はやめてこう面白くおかしくもないんですけど、あんまりみんながしない話をしようと思う。 [音楽] つまり具体的に論理じゃなくってもう 1つ 1人1 人が考えるようっていうことを言いたかっただけでもごく単純な話すいません。 いや、よくわかりました。 1人1人が自分ので考える見る。 うん。それがヌーベルバーグだって言いたい。ちょっと乱暴だけど。 そうですね。いいや。よくわかりました。 それでですね、質問はですね、まず、えっと、私の後輩の記者で、え、が石君というのはこの前コラム書いて [音楽] まして、 で、その、 石さんね、こないだ定年対策な、 え、あの、コラム読まれました。 え、 あ、彼が最後にコラムを書きましてね。 で、レジェンドのその努力というタイトルで [音楽] ちょっと聞こえないんだ私。 レジェンド レジェンドのレジェンドのはさんのことを言ってるんですけど、 あれはもう え、おかしい。 おかしい。 うん。なんじゃないもん。 え、 あ、そんなんじゃないもん。違うんですか ?あのコラムでつまりなんかパタン化の 戒しめということしか書いてないんで、私 はちょっと、ま、短いコラムだけで不満が あったんですけどね。本当にはさんが 目指してる、あの、これは短い映画表を 書いてるけども、文章のパタン化を戒しめ てるのは表面的な話だろうと思うんですね 。やっぱり映画のその映画のなんていうか な映画師ある社会的な位置付けていうのを こう出そうと思ってこう力が入ってるよう な風に私は読んでたけどえどうなん でしょうかその 映画表を書く時の努力というそこを まず伺いたい まそれはいつも私は探して うん 発見はできないし毎回変わるべき だと思うけれど ううん。 あの、私はね。 うん。 ただやっぱりああいうクラをやると恐ろしいのは確かにパターン化することは事実。 うん。 それでその方が分かりやすいってことも事実だし、 読む方もその方が納得する。 でもそれじゃあダメなんだっていうことを思ってんだけど、ま、私にはそのそういう各ことのそみんな皆さんのようなクロトじゃないからうまくいかないのね。 もう1つだけ。あの、ま、ずっとお話伺っ てると子供の時から戦争反戦というものに ついてずっとこう思いを満たしていて、で 、映画の中でもそういう反戦の映画って いうものをかなり取り上げるか、あるいは 自分で好みを持ってこの映画がいいという ようなものがあるのかないのか。 ご自分のこのこれまで映画を見てきた中でですね、好きな作戦を聞きたいところだけども、反戦という観点で映画を選択するとするとどんなものがありますでしょうか? [音楽] 反線の映画。 うん。 ちょっと私そ今もそのことで考えてんだ。 ちょっと表しもないんだけど、あの子供の頃に見たね、映画で、それは自分その時にえっと 43年ぐらいだから 11 歳かちょっとぐらいの時にあの、ま、その頃 1 人で行かれないかお手伝いと一緒に行って新宿で見た映画にあの木下啓介の陸軍を見た。 うん。うん。うん。 それでその前後にあの海軍も見たんだ。 うん。海軍ね。 で、その正直に言って陸軍の方が記憶に残ったわけ。 うん。 っていうのはそん時にそう思わなかったんだけども映画をか映画を見て最後のとこにあの長い真の中に田中の [音楽] あの追っていく子供を追っていく息子を送っていくとこのありますね。 ありますね。 そしてその前にその歴史があるじゃないですか。その一家のでその追ってって出てきたらば うん。 これ不思議な感覚でずっと覚えてたんだけど、私の映画ってのはそういうんだけど、新宿の駅にいっぱいを愛国夫人会の人たちが助けかけて 1000人張りを頼んでるわけ。うん。 [音楽] つまりずっとずっと戦争が映画の中も外に出てもずっと続いて自分の中にもあるわけね。 [音楽] あれを配戦というのか、あれを戦争というのか、それはそのままずっとあの、それが不思議なことにこうそうする人みんなに割られんだけど勝手に仕上がりに続いてくわけよ。 うん。 で、全然違う映画だけど、なんかその、それは 1 つの技術とあのカット割りとか映画のこともあるんだろうけど、全く違うのに、あの、勝手にしがれを見てそのままシャンゼリに出てくると その映画の通りにあの、ヘラルドリブルの Tシャツ来た女の子がいっぱい歩いて うん。 今見た中の中からずっと続いていく。 うん。 それは配線と配線と配線ではないんだけど なんかがそこに続いてるものはあ るっていうのは私にとってはあいうものが 続くもの配線ってのは人間がずっと続いて 持ってなきゃいけないのに人間はやっぱり 戦争しなければ生きていけないんじゃない かっていうそういう疑問と恐れとそういう ものがあるんです。うん。 で、口先ではみんな言うけど うん。 本当かな?経済のことだったら今もそうだと思うけど色々見えてきてるじゃない?今の時代こそまた見えてきてるじゃないと思うんですよね。 そ、お答えにならないと思うけれどでも私の中では配線っていうのは うん。 反戦。 うん。反戦 はそうそういうどこの映画にもあると思う。 うん。 どの映画にあるってのもちょっと言い方があれだけど 反省で自流に逆あみたいなものですかね。うん。 分かりました。 あの、長くなっちゃったんで、え、 5以外に好きな監督作品っていうのは 1つ2つあげるってす、 私好きなのはね、あの、もすごくわかんないけどやっぱフェリーニが好きですね。ニ あれはやっぱり天才なんだと思う。 [音楽] うん。 で、やっぱり、あ、あの、 あれはやっぱ60年にドルチェビービー ターって出した時にやっぱりあの20世紀 予告したと思いますね。 あの、これ20世紀のこれからの今に至る まで 分かりました。ありがとうございます。 すいません。うん。 大丈夫ですか?うん。大丈夫そうなので、あの、もし、あ、まだ、あの、質問ある方いらっしゃいます。 あ、ではですね、ちょっと私からもう 1 つ、あの、本の、え、の部分の最後ですね、最後のでこんな風に、あの、書かれてます。あの、自由とは責任を持つこと、自由は高くことを身持った。 [音楽] え、初詮小さな命、小さな存在だからこそ 生きる力をつけたい。これで終わってるん ですけども、この特に最後のだからこそ力 生きる力をつけたい。 で、なんか、あの、今の若い人にもね、あの、通じるメッセージのようにも受け取れるんですけども、いかがですか? [音楽] そんな若い人にメッセージを言うようなあれじゃないけど、実際にはいて、あの、私が働きたいとか家を出たいとか、あの、映画の中に入りたいとかって言ったようなことは勝手に行ったことはすごく私に高 ものについたですね。 うん。 それでやっぱりうん。そういう意味ではいわゆる独な意味では成功はしない人生でしたね。 うん。 だからどうやって死んでいくのか分からない。 うん。 でもま、それでもそういう風に選んでしまったっていうのはなんかがあるんじゃないかな。 [音楽] うん。 そうですか。 だからなんとも分かりました。 うん。ただやっぱり はい。 その身になんないと分からないし、はっきり言って今の若い人は私たちの時代よりは恵まれてると思う。 うん。 恵まれてる家に恵まれてないかもしれない。 で、そのことはみんながそれぞれ生きて知ることなんだろうと思う。 ああ、 思いますね。 それぞれ知る権利もあるってことですよね。それぞれがあの、そう、そう、そう。 あの、いいか悪いか別にして知る権利があると。 分かりました。ありがとうございました。え、皆さんよろしいですね。では記者会見を終わります。今日はありがとうございました。 どうも失礼します。 [拍手]
