ITジャーナリスト 三上洋、御年60歳。ITの専門家として、ライター業やメディア出演、大学講師など精力的に活動している。そんな三上には今、“がんサバイバー”というもうひとつの顔があることをご存知だろうか。

 今年1月に、がん闘病中であることを公表。ステージ3Bという診断を受け、医者からは「5年以内に生きている確率は50%程度」との言葉もあった。人生初めての入院生活、手術や点滴、度重なる抗がん剤治療など、精神的にも肉体的にも追い込まれていた三上を支えたのは、アイドルグループ 乃木坂46だった。

 リアルサウンドでは、根治に向かって順調に治療が進み、現在では仕事にも復帰している三上にインタビュー。乃木坂46との出会いからファンになっていくまでの過程、闘病中にどのように助けられたのか、「私の命を救ってくれた曲」とまで語る「相対性理論に異議を唱える」への想いまで、熱すぎる“乃木坂46愛”を語ってもらった。(編集部)

偶然の出会いが変えた人生「まんまと5期オタになりました(笑)」

――乃木坂46のファンになったきっかけから教えてください。

三上洋(以下、三上):実はTikTokがきっかけなんですよ。2022年にロシアがウクライナに軍事侵攻したとき、どんなメディアの映像よりも現地の様子を(正確に)知ることができたのが、その場所にいる人たちが投稿するTikTok動画だったんです。でも、TikTokには「ユーザーの興味のないジャンルもタイムラインに表示する」という仕組みがありまして。そこで流れてきたのが、秋元真夏さんと白石麻衣さんのやり取りでした。それがバラエティとしてシンプルに面白かったので、見ちゃったんですよね。

――その段階では、おふたりのことは認識していたんですか?

三上:テレビで観たことがある程度で、乃木坂46のメンバーだということも知りませんでした。当時は、本当にアイドルに興味がなかったんです。でも、一度観たものだから、そこからはタイムラインに乃木坂46の動画がドバーッと流れるようになりまして。当時はデビュー10周年の日産スタジアム公演(『乃木坂46 10th YEAR BIRTHDAY LIVE』)が終わった時期で、公式からもいろいろと動画が出ていたり、ファンの方も熱心に投稿していたりしたので、観ているうちに「なんか、すげえなこいつら」と。気がついたらTikTokには、乃木坂46しか流れなくなっていました(笑)。

――たったひとつの動画をきっかけに、ファンへの第一歩を歩み始めたわけですね。そこからより深くハマっていく過程には何があったのでしょうか。

三上:ちょうどその時期の乃木坂46は、新たに加入した5期生を打ち出していくタームで。そこで、メンバー同士の関係性の面白さに気づいてしまったんですよね。メンバーを知れば知るほど、感動できるポイントも笑えるポイントも増えてくる。一つひとつの繋がりがストーリーになっていくことが非常に刺激的でした。乃木坂46には卒業と加入を繰り返すというグループのサイクルがあって、新しいメンバーが入ったらグループ全体としてその期を推していく。今は6期生がその時期ですよね。メンバーが一定ではないというところが、コンテンツという文脈においては面白いんだと思います。当時は5期生プッシュの時期だったので、まんまと5期オタになりました(笑)。

三上洋

――そのなかでも、中西アルノさんを推しメンにしていますよね。きっかけは何だったんですか?

三上:歌です。あの声はもう天性ですよね。あと私はバラエティが大好きなので。好きな理由としては歌が4割くらいで、6割はあのキャラクターですよね。どんくさNo.1と言われて、何かあると“雑魚ボイス”で叫ぶのにいつも笑わせてもらっています(笑)。今度の『Spicy Sessions -THE LIVE-』(中西がMCを務める番組『Spicy Sessions』による音楽ライブ/取材は10月中旬実施)もチケットが当たったので楽しみです。

――ライブといえば、59歳にして乃木坂46のライブデビューを飾った際のX(旧Twitter)投稿(※1)も話題になっていましたね。

三上:アーティストのライブに行くこと自体もほぼ初めてだったんですよ。もともと在宅だけで楽しむつもりだったんですが、“乃木オタ”の友人が「三上さん、ライブは行かないとダメだよ」って連れていってくれて。ステージからは遠い席だったんですが、めちゃくちゃ感激しました。そこから『スタ誕』のライブ(『超・乃木坂スター誕生!LIVE 24』)にも行き、今年の神宮(『乃木坂 46 真夏の全国ツアー2025』明治神宮野球場公演)にも行き、もうどっぷりです。

59歳初めての乃木坂ライブデビューである #真夏の全国ツアー2024 pic.twitter.com/51hQ7V6mJR

— 三上洋 (@mikamiyoh) July 21, 2024

――そんな乃木坂46ライフを満喫している最中、ご病気が見つかりました。

三上:私は元気だけが取り柄だったんです。25歳から59歳まで、一度も健康診断を受けていなかったんですが、風邪も数年に一度しか引かないし、入院もしたことがない。本当に病院とは無縁な人生だったんです。でも、2024年の春夏頃から円形脱毛症ができたり、膝に痛みが出てきた。しょうがないので10月頃に整形外科に行ったんですが「原因が分からない」と言われました。妻と子どももさすがに人間ドックへ行けと言うので、行ったんですよ。普通、人間ドックってその日は受診して帰るだけじゃないですか。僕の場合、先生から「待っててください」って言われたんです。

――ちょっと怖いですね。

三上:そうなんです。怖かったんですけど、そのときは大きな病気とは考えていなくて。30分くらい待ったあとに、腎臓に大きな影があることを告げられました。がんの可能性がある、と。それは検査当日だったので、数日後に出る詳細な検査結果を待ったら、肺にもうひとつ大きな影があることが分かりました。そこで紹介状をいただいて、大きな病院へ行ったところ、「ステージ4のがんの疑いがある」と知らされました。全くがんの知識のない私でも、ステージ4がどれだけ危険な状態であるかは知っているわけです。

――それを聞いたとき、どんな感情だったんでしょうか。

三上:今の状況とか余命だとか、そんな話を聞くこともできずに、ただただ茫然自失。何もできなくなってしまったんです。仕事だけは無理矢理モードを切り替えてやりましたが、それ以外は、本当にごはんを食べることぐらいしかできなかった。子どもの教育費用はどうするんだとか、残っている家のローンはどうするのかとか、そんな将来のことすらも考えることができないくらい完全なショック状態、錯乱状態で。

――ご家族も同じように辛かったと思います。

三上:やっぱりショックを受けていましたね。子どもたちは、そんな様子をあえて見せないように振る舞ってくれたんですが、そうしてくれていることが伝わってきてしまって……。それがすごく辛かったです。もちろん妻も大変な状態だったんですが、子どもたちも支えようとしてくれていました。ありがたかったですね。

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