PROFILE: 森下公則
PROFILE: PROFILE:(もりした・きみのり)広島県出身。アパレルメーカーにてチーフデザイナーとして数々のブランドを手がける。2003年、自身のブランド「キミノリ モリシタ」をスタート。東京コレクションで発表し、その後07年からパリファッションウィークでランウェイショーを発表。09年1月、アパレルメーカーを退社後、新会社kiminori morishita garments labを設立。新ブランド「08サーカス」の10年春夏コレクションをパリで発表。25年、D2Cファッションブランド「ソージュ」からブランド初のコラボレーションライン“ソージュ ケー”を発表 PHOTO : KOJI SHIMAMURA
今秋、東京メンズデザイナーの重鎮の一人であり、「08サーカス(08 SIRCUS)を手掛ける森下公則デザイナーが話題を振りまいた。自身の名を冠した「キミノリ モリシタ(KIMINORI MORISHITA)」の再始動、D2Cブランド「ソージュ(SOÉJU)」のメンズライン“ソージュ ケー”デザイナーの就任、「東京ファッションアワード 2026」の受賞。パリコレクションでのショー開催から「ユニクロ(UNIQLO)」とのコラボレーションまでも経験する森下デザイナーに、再始動の理由や40年を経て大きく変化したファッション業界、服作りの哲学を聞いた。
大衆性と手仕事が“強い服”を作る
WWD:なぜ今のタイミングで「キミノリ モリシタ」の再始動を決めたのか。
森下公則デザイナー(以下、森下):すごくかしこまった理由はなく、自分が本当に好きなモノを作りたいと思ったから、というのが率直なところだ。すでに業界に入って40年、前職でデザイナーとしてデビューし、独立してからは20年以上経っている。デザイナー人生の賞味期限に思いを馳せたとき、自分の過去の作風が恋しいと思った。
16年に「キミノリ モリシタ」を再始動した当時は、テーマありきのいわば“3人称”のモノづくりをしていた。たとえば「落ちぶれた貴族」という架空の人物を立てて、その人物がどんな服を選ぶかという視点で作る、というふうに。
今は自分が最初に好きだった加工に焦点を当てた作風を復活させている。これが自分の中で一番腑に落ちる好きな世界観だと、作りながら改めて感じた。
WWD:その世界観はどのようなものか。
森下:華やかな空間など特定の場でしか着られない服は好きではなく、ある種の大衆性があるようなものだ。あくまでも日常にちゃんと溶け込めることを大事にしている。
服の迫力や強さは、職人が本当に気合で作ったり加工したりといったプロセスから生まれる。ただ縫ってきれいに仕上がったというよりも、一手間二手間加えることで服の魅力が増すようなモノを“強い服”だと思っている。それは大衆性とは相反する部分もあるが、両方を内包している服がずっと好きだ。
何十年間もトレンドを経験し、パリコレクションでも発表し、「ユニクロ」とのコラボも実施した。両極端な場からファッションを見てきた中で結局自分が一番好きなのは加工だと、自然な流れで立ち返った。
「中にいながら横で見ていた」
ファッション業界の40年の変化

PHOTO : KOJI SHIMAMURA
WWD:今のファッション業界をどう見ているか。
森下:僕が業界に入った頃、80年代のファッションのあり方と40年経った今とではまったく違う。
当時のファッションは憧れや華やかな世界で、多くの人にとっては遠い存在だった。特にショーで発表されるような服は高価で「誰がいつ着るんだろう」と思うような服ばかり。情報も一方通行で、そういった服は雑誌で見るもので、街で着ている人なんてほとんどいなかった。
でも、今はもうずいぶん身近になっていて、むしろファッション業界の方から大衆に近づいてきている気さえする。昔はファッションがもっと特別で上のほうに属していたのが、今は目線が同じか少し下くらいになっていて。それは、社会の中でファッションの優先順位が下がったとも言えるかもしれない。
ファッションと一口に表現しても様々に捉え方があるが、いわゆる“上の方”──トレンドを引っ張るモードの世界もどんどん一般化してきている。それはストリートカルチャーの流れを取り入れているというよりファッションという存在そのものが変わっているという感覚に近い。
昔はブランドの服やバッグを持つのは限られた層だった。同様に、デザイナーズブランドの服もある階層の人だけが着るものだった。けれど今はそれでは商売が成り立たない。ブランドもスポンサーや事業拡大の中で、より多くのお客さんを取り込まなければならなくなっている。
だから、高い場所から眺めているだけでは成り立たない。市場を広げるには、ストリートに降りていく必要があるし、人種やカルチャーの垣根も越えていかなきゃいけない。今はファッション業界そのものがどんどん開かれたものになっていると感じる。昔は近づきたくても近づけない世界だったのに、今はもう違う。
WWD:森下デザイナーにとってこの業界の変化は“良いこと”か?
森下:良い悪いという評価はなく、通過点だと捉えている。僕は最初のころからずっとその過渡期の中にいながら感じ、横で見ていた。
ファッション業界は良いものを安く作るために生産地を地球上で安くできる場所にどんどん移していった。結果として平均化が進み、全体の水準は上がったけれど、同時に高いものを買える人とそうでない人の分断も進んだ。
価値を評価しない人たちも増えてきている。デザイナーとしてそういう状況はあまり好ましくない。本当はファッションの立ち位置がもっと中心に戻ってきてほしいと思っている。でも、人間の精神的な成長や内面の成熟というものがある限り、外見だけが発展していくことは難しい。ファッションの役割も、30年、40年前とは大きく変わってきている。
今は楽しくデザインすれば良いという時代ではない。どうしていくべきかをデザイナーが真剣に考えなければならない時代だと思う。
WWD:再始動の背景には、ファッションの大衆性と価値をつなぐ意図もあった?
森下:そういう気持ちもあったのかもしれない。ただ、狙ってやったというよりも、やっぱり「自分が作りたいものを作りたい」という自然な気持ちの芽生えが大きい。
20年前、東京コレクションに参加していた頃は、バイヤーやジャーナリストの目を気にしながら「毎回新しいものをあるレベル以上で発表しなければいけない」という使命感の中でやっていた。
“作る”ということは幸か不幸か、作りっぱなしで終わることはなく手放しにできない。作るからには、長く大切にされるものを作らなければいけない。だから少し価格が高くなっても、ちゃんと一手間、二手間を加えて、自分が納得するまで仕上げたい。手を加えることで完成度が上がりより良いものになるなら、そこは惜しまない。モノづくりのスタンスが当時と今では大きく変わったと思う。
消えゆく技術と変わらないこだわり

PHOTO : KOJI SHIMAMURA
WWD:再始動する「キミノリ モリシタ」での服づくりはどんなものか。
森下:技術や製法などはそんなに変わっていない。とはいえ、工場が閉鎖されていたり職人が引退されていたり、今は制約が多い。当時使っていた染料や薬品も排水規制などで使えなくなっている。そんな中でどうやってもう一度あの服を作り直すか、沢山議論を重ねた。
が、奇跡的に岡山の染工場で、当時のスタッフが20年を経て部長になっていて技術を再現することができた。倉庫には03、04年ごろの染色サンプルが残っていて、その中から当時のレシピを抜き出して再現した。ただ、当時あった“シェービング”というデニム加工の技術、電動たわしで擦り経年変化を表現する職人はもういなかった。今は、レーザーでデニムを照射するスタイル。襟の周りや袖、身頃など、全体を少しずつ擦っていくことで、経年変化のような風合いが出る。あの白っぽく枯れた感じは、手の仕事じゃないと出ない。
今回、実際に関わった産地は3カ所。岡山が染め、富山が織り、レーザーや色落としは愛知。どれも日本の技術が詰まった場所だが、工場数の減少をまざまざと痛感した。20年前は山形から九州まで全部まわって現場を見てきたが、今の年齢になると新しい産地を探すのも難しい。昔のつながりを頼って、「今どこで何ができるか」を聞き回りながら紹介してもらうしかない。
WWD:2025-26年秋冬コレクションで特に注目してほしいアイテムは?
森下:ファーのアウターに自分のやりたいことが詰まっている。鍵となっているのが“腐ったカーキ”と昔から呼んでいる風合い。この色には、木が朽ちていくような枯れる寸前の美しさがある。
最初に薄いベージュで染めて黒で二度染めしている。黒の染料が繊維の奥まで入り、洗っても完全には落ちない。その粒子が残ってくすんだりパッカリングの縫い代に溜まったりする。それが朽ちたような独特の風合いを生む。ボタンやファスナーも同色でまとめて、主張しすぎず、全体として自然に馴染むようにしている。
レザー部分はインドで作り、色落としは愛知。裏地のファーもインド製で、同色に仕上げている。この絶妙なムラ感は2回染めることでしか出せない。ナイロンやポリエステルは本来ムラを出さないために高温高圧で染めるのがセオリーだが、あえて手染めにすることで個体差を残している。
WWD:3ブランドの同時進行は大変?
森下:不安や大変さは特に感じていない。昔は「キミノリ モリシタ」は、年に2回、パリと東京でそれぞれショーをしており、毎回40体以上のルックを出していた。今はデジタルが中心なこともあり、その作業量は昔に比べたら雲泥の差がある。
「キミノリ モリシタ」は“一人称”、「08サーカス」は“二人称”、「ソージュ」は“三人称”で思考を切り分けている。「キミノリ モリシタ」は自分の好きなモノを、「サーカス」はスタッフとともに考えて、「ソージュ」は相手先との共同開発が前提。思考的には意外とクリアだ。

2025-26年秋冬コレクション PHOTO : KOJI SHIMAMURA
「ユニクロ」や「ソージュ」
違う畑の同業者から得るもの
WWD:改めて、”ソージュ ケー”のデザイナー就任が決まった経緯を教えてほしい。
森下:「ソージュ」はシンプルでベーシックな服を展開するD2Cブランドだ。今年、創業から5~6年の節目に「ファッション感度のあるメンズラインが欲しい」という社内の声が高まり、立ち上げの話が進んだ。
ただ、ベースはあくまで「ソージュ」のため、尖って高額で一部にしか届かない服ではなく、日常でリアルに着られて、かつ感度の高い人にも刺さるちょうど良い着地点を探したいという相談があり、そこから話をいただいた。
WWD:「ソージュ」には以前から関心があった?
森下:ネットニュースで、青山周辺にオフィスがあるD2Cのブランドが売れているということは知っていた。けれど、それが「ソージュ」だとは知らず、なぜそんなことができるのかと不思議に思っていた。
僕はもともと良いモノを作れば売れるというモノ主体の考えだが、「ソージュ」はまず仕組みがあって服はそのレールに乗せる。話を聞き、「その確固とした仕組みにしっかりとした商品が乗れば、それは売れるよね」と納得した。
WWD:D2Cブランドでかつ仕組み前提のモノづくり。価格や加工の制約もある中で抵抗はあった?
森下:全くない。これは「ユニクロ」の経験があるからだと思う。
「ユニクロ」のモノづくりは初期と今でまったく違う。今はクリエイターの力を引き出す体制を内包し、量と質、大衆性と企業性を両立する設計がなされている。そこで、仕組みの中でどうクリエーションを設計するかを学んだし、管理側の思考も理解できた。だから、「ソージュ」の話を受けた時も、企業力や仕組みで新しい先駆を起こそうとする姿勢にひかれた。
WWD:実際はどうだった?
森下:まず驚いたのはセールをしないこと。消化率99.8%と最初に聞いて、正直嘘だと思った。もちろん店舗がないという前提があるが、僕らが小売りをやっていた時代は、プロパー70%で優秀、最終ディスカウントで90%まで持っていく、在庫が残れば悪。在庫を回して最終的に100%消化に持っていく感覚だったので、継続してそれを達成している聞き、驚きと同時に強く興味をひかれた。
作るモノについては、代表から「奇をてらった服ではなく、できればずっと定番で同じ品番を長く作りたい」と聞いて、それなら僕のやりたいことだし、できると思った。
“ソージュ ケー”の“スーパー140メルトンバルマカーンコート”(5万9400円) PHOTO : KOJI SHIMAMURA
“ソージュ ケー”の“スーパー140メルトンバルマカーンコート”(5万9400円) PHOTO : KOJI SHIMAMURA
“ソージュ ケー”の“TAION / ステンカラーダウンコート”(2万9700円) PHOTO : KOJI SHIMAMURAPHOTO : KOJI SHIMAMURA
“ソージュ ケー”の“パラシュートパンツ”(2万3100円) PHOTO : KOJI SHIMAMURAPHOTO : KOJI SHIMAMURA
“ソージュ ケー”の“ブザムシャツ”(1万7600円) PHOTO : KOJI SHIMAMURAPHOTO : KOJI SHIMAMURA
WWD:“ソージュ ケー”はオールジェンダーコレクション。ユニセックスの服作りはメンズ基軸で大きく作って女性も着ることができる、という作り方が多いが、パタンナー出身としての工夫は?
森下:たとえば、バルマカーンコートはオートクチュールの製法であえて最初に生地を伸ばした一枚縫いに近い製法だ。手法としてはドルマンスリーブ的で一枚布の発想で、これは本来ウィメンズの手法にあたる。
メンズの服は基本的に輪郭をきっちりカットして構築していくが、ウィメンズは布が落ちる前提で作る。その落ちる感覚をメンズに取り入れることで、女性が着ても違和感がなく、男性が着ても構築的に見える。背中や脇をつなげるようなパターン構成で、布の動きが体型の違いを吸収してくれるようにした
要は、シルエットとサイズ感のバランスにある。女性が着たときに少し良い違和感がある。馴染みきらないけど着心地が良く、どこか可愛い。そのアンバランスなバランス感にこそ“今っぽさ”があると思う。
とはいえ、基本はメンズの服。現実的に、女性の服を男性が着る文化はまだ一般化していない。でも、男性の服を女性が着ることは成立している。その成立点をサイズ・見え方・仕立ての工夫で成立させたいと考えた。僕は、心臓をえぐるような強烈さではなく、「普通なんだけどすごく良いよね」と思ってもらえる服を目指している。日常に馴染みながらも、ほんの少しズレがあるライン。
結果的に、打ち出しとしてはメンズが理にかなう。でも、実際に出来上がった服を見た女性たちが「これ、私も着たい」と自然に思ってくれたので、最終的にはオールジェンダーとしてのポジションを取ることにした。ジェンダーレスというより、誰でも自然に着られる服という包括性を目指している。
経済的な壁、成長を強いられるプレッシャー
「それでもショーはデザイナーを成長させる」

PHOTO : KOJI SHIMAMURA
WWD:9月には「東京ファッションアワード」を受賞した。
森下:東京のアワードは若手支援の色が強いと認識していたので、「60過ぎてますけど良いんですか?」と確認した。たまたまキャリアの長い人間が対象になっただけかもしれないけれど、「キミノリ モリシタ」の再開と「サーカス」も含めて、今の動きを評価してもらえたのだと捉えている。
WWD:アワードの特典にはショーサポートも含まれる。
森下:ショーを開催するかは置いといて、ファッションショーはそこでしか生まれないエネルギーがでる。「ギアが変わらないならショーをやる意味がない」と言うデザイナーもいるほどだ。
あそこにかける情熱とエネルギーは恐ろしいほど爆発的。トレンドが動くほどの影響を持つ時もあるし、皆真剣にデザインしているから意義はすごくある。ほとんどのデザイナーができるなら続けたいはず、僕もそうだ。
今の若いデザイナーは、ショーをやる意味に答えが出ないまま、インスタレーションや展示会に流れることがある。できない理由は経済的な壁が大きいのと、能力が枯渇したら継続できない場合もある。ショーの発表はダイレクトに評価に直結するからリスクもある。無視され続ければ評価は下がる。
ずっとトップを走り続ける人は稀で、奇跡みたいな存在。だいたいは入れ替わり立ち替わり。トレンドとともに変化していく。
それでも、ショーはデザイナーを成長させる。全然違う、本当に面白い。本来は服を広めて見てもらう場だけれど、デザイナーの自己満足も正直ある。「俺の作ったものを見てくれ。売れる売れないじゃなく、アートとして見てくれ」という人もいる。それでもそれをビジネスに結びつけられたらもっとすごい。やり方は人それぞれだけど、やっている人とやっていない人では、情熱も成長速度も違う。
WWD:なぜそんなに違いが出るのか。
森下:それは、恐怖があるから。面白いし楽しいのに怖いので、頭はこんがらがる。それでも、良いものができれば快感がある。褒められれば嬉しいし、貶されれば腹が立つ。高圧釜の中に自分がいるような感じ。それが楽しい。

PHOTO : KOJI SHIMAMURA
WWD:森下デザイナーが「動き始めた」と感じている業界人も多い。
森下:基本的に僕は能動的に計画して動くタイプじゃない。楽しいことがあればピュアに反応する。基本的に流されっぱなしで、流木みたいに流されてきて今がある。
そもそもデザイナーになろうと思ってなったわけではない。大学に入って普通のサラリーマンになるつもりだったが、二浪を経て、最初は興味がなかったファッションの専門学校に入った。入ってみたら、楽しかった。パターンが好きで「一生パタンナーで良いや」と思っていたら、デザインをすることになり、今度は「ショーをやれ」と言われ、東京だけのつもりがパリもやることになった。
若い人に「適当に流された結果です」なんて言うとげんなりさせてしまうから言わないけれど、当時パリに行った頃、日本人のメンズデザイナーは指で数えられるくらいだった。だから、1本の蜘蛛の糸に当たったようなもの。それでも、その都度、目の前のことは一生懸命やってきた。
気づいたら自分の名前がついていて、「ユニクロ」から「一緒にやらないか」と言われ、やっていたらジル・サンダーさんに「ちょっと来なさいよ」と声をかけられて手伝うことに。今度は「ソージュ」が来てくれて、「じゃあやります」と。
計算はしていない。今後も目の前の面白いことに実直に向き合うだけ。ただ、今は一つ会社を作って社員がいる。そこの責任は感じている。
