「私、閉経した」と公言できている人は案外少ないかもしれません。なんだか堂々と宣言できないのが閉経。なぜ私たちは「閉経」を完全にポジティブに語ることができずにいるのでしょうか。

 

関連記事『「上がっちゃった」に隠された、女性たちの閉経に対する本音とは』に続き、『年齢革命 閉経からが人生だ!』(齋藤 薫/文藝春秋刊)で、齋藤さんがつづっている女性の身体や生き方についてのお話を伺いました。私たちが、閉経後も充実した毎日を送るためには、自身の身体の変化をどう受け止めていけばいいのか、のヒントになるはず。

 

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閉経すると女じゃなくなるという言説の噓!

―――閉経しているかいないかで、女性自身が自らを「女性」として語るかどうかの判断材料にしているようなフシがあると思うのですが、これについてはどうお感じになっていますか?

 

「私も一応、女の端くれですし」とか「これでもまだ女をやっているので」といちいち言い訳する人っていますよね。それも未だ生き続ける「閉経後は女でなくなる」という言説のせいだと思うんです。

少なくとも平成の半ばくらいまで、更年期を過ぎたら、つまり閉経したら「もう現役の女ではない」的な言い方がされていました。何をもって現役の女と言うのか、そこも不明だけれど、ともかく女じゃなくなるという強迫観念を抱えながら更年期を迎える時代は、つい最近まで続いていました。

 

閉経とは、卵巣機能が役割を終え、生理が永久に停止した状態を指す。確かに生殖機能は失っているけれど、それを女でなくなると表現するなどもちろんひどい偏見。ただ非常に長い間それは社会の常識だったんです。

と言うのも閉経年齢より平均寿命の方が短かったりした時代は長く、昭和中期、例えば昭和22年の女性の平均寿命は約53歳で、この頃ようやく閉経年齢を超えるような寿命を獲得したわけで、正直〝女性であるもないもなかった〞と言っていい。従って生殖能力を終えてからのわずかな余命を、女性たちが自ら「女の機能を終えてホッとした」と言ったかもしれない。

 

 

―――昭和の女性と令和の女性。寿命の差こそあれ、閉経についての偏見ともいえる捉え方が根強く残っているんですね。

その後、飛躍的に寿命が延びてもその概念だけが取り残されてしまったということなのでしょう。それどころか今、日本の人口の50%以上が50歳を過ぎているんです。女性の2人に1人は、閉経している時代。しかし周りを見てほしい。閉経を迎えても何ら変わらない、ますますキラキラ元気な女性たち自身が、女でなくなる説を120%否定する。少なくとも閉経と女でなくなることに関連はないんです。実際、〝その先〞は崖になってると思いきや、行ってみたら、いやいや全然大地はつながっていたという肩透かしを感じた。確かに閉経はしたけれど、別に何も変わらない。むしろ煩わしさが消え、私などは閉経前よりもはるかに肌の状態が良くなったほど。

 

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