加藤紀子さんと中島早貴さんの話を盗み聞き・・・ TOKYO SPEAKEASYラジオ
同じ事務所とはいえ はい。 さきちゃんとは会うのはもうすごい久しぶり。 調べたところ7年ぶりでしょ。 え、調べたところ7 年前はな、どこでやってた? えっと、前YouTube の番組のタイニータイニーにゲストで出演させていただいて、でもその時もほぼほぼ始めまし そうなんだよね。 で、でしたよね。ちゃんとしかハロプロジェクトの中のキュートというグループに中島ちゃんがいては ありがとうございます。 それで、えっと、何回かハロープロジェクトのコンサートの司会をしたことがあったんだよね。 その時にグループの1 人としてお見かけしてることは ああ、 あった。 なるほど。 だけど、もちろん名前も知ってるしだけど、こうこういう風にお話するとか いや、それで言うとは引っ込み事案だったので ええ、 人と喋るっていうのをあんましたことがなかった。 多分目があったことないと思う。 そうだと思います。本当にごめんなさい。 いや、若かったしね。やることいっぱいあるしね。 ねえ。いやあ、もう本当に全部この事務所で育ってるので オーディションにったのが8 歳の時だったのでもうずっとお世話なってただいま 31歳でございます ね。調べたところ31 歳だと思って大きくなったなと。 そうです。大人になってしまいました。気がついたらですね。 で、えっと、8 歳から活動を始めてに入ったのが何歳? えっと、中学生の時でした。中学 1年生。 それ誰かに憧れてこのハロープロジェクトなのかアイドルになろうと思ったってこと? えっと、元々のきっかけが、えっと、ハロープロジェクトキッズオーディションっていうものが、えっと、関東限定のオーディションだったんですけど、 えっと、新聞にドーンと乗っていて、で、その時、えっと、おばあちゃんちにちょうど集まっていて、いこがオーディション受けたいっていうその新聞の切れ橋を持ってきたんですよ。 へえ。 で、うち中島家県家の方は、あ、やってみたらっていう感じだったんですけど、おばあちゃんが、え、みんなで一緒にオーディション受ければいいじゃん。で、いこも 2人姉妹で中島県も 3 姉妹なので、みんなでオーディション受ければいいじゃんっておばあちゃんの一言で私も、えっと、オーディションの紙書いて送っていう 感じだったので、そのおばあちゃんの一言がなければここにいなかったです。 だけどそのい子たちはどうなったの? あ、書類で落ちちゃいましたね。あ、それすごい辛いね。 どう?え、なんか私だけ受かったっていうこと即伝えたの?それともじわじわ じわ。伝えたんですかね。私も当時の記憶があんまりなくって。 怖い。 そうなんですよ。けどい子もすごく応援もしてくれたし、私自身引っ込み事案だったからオーディションに行くことがあんま好きじゃなかったんですね。 うん。うん。 えっと、両だったり、えっと、もう親戚一に応援引っ張り出されてってんですか、 オーディション会場を連れてってもらって で、なぜか受かってしまっていう感じで。 ええ、じゃあみんなの期待をそしって 行くって感じだったのかな。 どうなんですかね。 農の家族なので農の娘がそんな芸能会なんて芸能会ってどんなところていう ええ 感じだったので最終オーディション受ける前に事務所の方からえ本当に娘さんうちでお預かりしても大丈夫ですかっていうのがえっと親に連絡があったんですけどうちのお母さんがちょっと待ってくださいって言って 1 回考えますて言ってんそりそうだ そうすぐオッケー言わずに一旦また親戚一 って話あって、じゃあチャレンジしてみようかというので、 ええ、 私はその知らなかったんですけど、 そういうラ話を最近聞いて へえ。そんな女の子がステージに立つようになんて武道館とかまで行っちゃって はい。 ね。 ねえ、 すごいね。 いや、けど本当にハロープロジェクトに入ってなければこの性格でもなかったし、もう 全部そこで挨拶含めハロープロジェクトって全部教えていただいたので入ってなかったらどういう性格で育ってたのかなとか。 だね。 でもさ、そんな女の子が 1回活動休止して 次はじゃあ海外のステージに向かおうっていうのは自分の意思でしょ? 自分の意思でした。 それ決断決断っていうか思い描いたのはどれ何年ぐらい前というか何歳ぐらいの時 えっと元々海外っていうのにざっくり憧れてて英語喋れるようになりたいなっていう風に思ってたんですけど、ま、から仕事してて、ま、言い訳なんですけどうん。 えっと、ずっと、え、仕事と学校と両立していて うん。 やっぱりお勉強よりもステージに立ってた方が楽しくて、 そ、そうだよね。 お勉強はもう全然してこなかったんです。 うん。うん。うん。 で、それでもう何も勉強もできなくてでもバカで楽しいからいいよねっていう人生だったんですけどうん。 やっぱもうちょっと何か学びたいなって思い始めたのが 2019 年とかですかね。えっと、キトのグループが 2017年に解散してその 1項は女優として活とそうだった。 させていただいたんですけど、そんな中でふつふつとなんか学びが欲しいなというので女優活動もしていたけど うん。 何かもっとガラっと ちょっと刺激が欲しいと思った時に、 えっと、事務所の方に相談したら行っておいでって言ってもらえたので。うん。 ええ、そこから。 そう、そう。なんかその時担当してたマネージャーが一緒だったのかな。それでなんかさきちゃんがえっと色々環境問題のことも考えてる。ていうの言ってて。 うん。 で、なんかでも海外で勉強したいとも言ってる。 で、私もすごい前にしたことがあって、そういう気持ちはなんとなくわかるし、 なんか行動をアクション なんかしたいっていう うん、 世代でもあるよなと思ってて、どうなるのかなと思ってたらコロナがあったんだよね。 うん。そうなんです ね。それでなんか足止めをちょっと食らってもかしいだろうなと思ってた。 そう、そう。 なかなか行けなくて、もう最初から本当はニュージーランドに行きたかったんですけど、やっぱニュージーランドコロナの規制がすごい厳しかったので、なかなか開けてくれず うん。うん。うん。 で、ずっと待ってても仕方ないからということで最初にハワイの方に半年間留学させてもらったんです。 そう、そうだった。 絶対そのままハワイにいると思ってたもん。本当に出た。ハワイの方が楽しいイメージが勝手にあって、まあ、何度か言ったこともあってはい。 そう。 だからアイでそのままなんか住むんじゃないって思ってたんだけど仕切り直して入ジを選んだのはどうして? えっとジを選んだというかニュージーランドに留学してみたらっていうのを事務所の方に提案していただいてで行く場所を調べたすごい野高かな場所で自然が大好きなのであここ絶対いいって思ったのが最初でえっと 1 回リハーサルみたいな感じでこうチェックしに行ったりとかホストファミリーの方とかに挨拶とか対面と かそういうのはなく なかったですね。えっと、ニュージーランドにはえっと前元メンバーの萩原ま衣ちゃんも留学してたので、ま衣ちゃんが留学してる最中に遊びに行ったことは 10 日間だけあったんですけど、あ、で、その時にちょっとその場所の雰囲気とかを知れたっていうのも大きかったのかしら。 うん。へえ。 そうですね。けどホストファミリーが誰になるかとかは、ま、向こうに行ってから決めようねという感じで。 へえ。 え、あ、なんかそういうじゃあなんかこうやってくださる方がいらっしゃってお手伝いしてくださってみたいな。 そう、そうですね。えっと、語学校の、えっと、校長先生がそれぞれホームステー先を終わり当てるんですけど、 ええ、そういうシステムなんだ。 そうなんです。ひとまずはその校長先生のお家でお世話になっていて すごい。 へえ。 それから誰か私に会う人がいないかなということで探してくれて、 ええ。 それまでは英語勉強したりとかその行く前の準備とかは えっとモチベーションあったんですけどやっぱりあの 小さい頃から勉強してこなかったからどうやって勉強したらいいかも分からなかったんですよね。 へえ。 で、それこそハワイ留学した時にえっとクラスメートがもう 5人しかいなくて全員日本人 ああ、なるほど。 だったんですけどその時に、ま、英語も本当ゼロだったので先生が言ったスパイダーもう全然理解できなくって。 ええ、じゃあもう中学とか高校とかの時も本当に脳興味だった。 脳興味でしたね。 ええ。歌詞は覚えられんのにね。振りけとかね。だからもう本当申し訳ないんですけど、歌詞の中にちょっと英語が一番あったりするじゃないですか。それも意味も理解しないで。 大学の事実。そう 本当に申し訳ないです。それで語学校で勉強してるうちに、あ、これってこういう意味だったんだっていうのを知って 本当に申し訳ないなと。ま、そうよね。そう、 そうなんですよ。そうなのか。 ていう人生を歩んできてしまったんで、その海外経験というのは うん。 なんだろう。 今までずっと芸能界をやらせてもらって、その時すでにもう 15 年ぐらい芸能界に携わってたんですけど、それ以外のことをしたことがなかったので、 あ、私って何もできないんだなっていうのは改めて身にしみて感じて なんか手に職をつけたいなって思い始めたりとかなんかもうちょっと世界で通用するもう本当にそれこそバイト経験とかもやったことなかったですしなんかそういうのをチャレンジしたいなと思ってジーランドではカフェ員とあと日本人のツアーガ で、少しだけ追したりっていう経験もさせてもらって インスタで見てました。 あ、ありがとうございます。 ありがとうございます。 なんかやっぱりこのお仕事だけだと、ま、どの方もそうだと思うけど、その違うドアが見えないというか、だからそこの先にどんな人がいて、どんな環境があるとかもわからないし、 やっぱ芸能界っていう特殊なある意味特殊でグループ活動とかだとお友達とかもなかなかできなかったりとか そうなんです。 遊びに行く場所とも制限されてる年頃だったりとか だからなかなか気づけなかったことも多かったんだろうね。うん。そうですね。 本当に恵まれて恵まれすぎちゃった。あ、そうだね。あの、すごく守ってくれる大人がいっぱいから、 あの、危険が1つもなかったし、 だから外でどんな音が鳴ってるかなんて聞こえないし、わからないし。 わからなかったですね。 どうだった?だったらこうニュージーとかに行って違う環境に身を送ってうん。 最初寝れた? 寝れました。 寝れたんだ。すげえな。 意外とどこでも溶け込めるタイプで すごいな。なんか私は 2000年前にえっと 28歳の時に はい。フランス語を覚えたくってでお仕事 1 回休もうって決めて行って自分の意思で行ってでホームステイ 3ヶ月間 えっとパリからちょっと車じゃ電車で 3 時間ぐらい行ったところでさせてもらったんだけど もう日本ではフランス語の勉強一瞬ったんだけど 語学校行くお金があったら旅費にした方がいいやと思ってあ 銃も数えられないうちに行っちゃって なるほど だからこんにちはもお休み もこれくださいもちゃんと言えずにホームステージだったから最初の 2週間ぐらい本当眠れなくて うん。ああ、そうだったんですね。 で、その時代は今みたいにネットの環境も電話回線で全然繋がらないしか スマホなんてもないから すぐにこう物を誰かに届けられる意思が伝えられるっていう環境じゃなくて そうですよね。 本当に帰りたいって一緒思った。 え、その時ホームステー先席はどうやって選ばれたんです? 私はえっと毎年何回か行ってて であここの町にパリに住めるかな。 そんな言語わかんないとこに詰めるわけがないっていうのを何回か繰り返して で、そこであのお友達になった日本人の方がえっとそのノルマンディ地方にえっと僕もお世話になった家族がいるよってじゃ 1回のり子会ってみるって言って 会いに行ってお話ししてくれたら結構恒例の方方々方だったんだけど うちでよかったらどうぞ3 ヶ月って言ってくれてそのオーディションがあって 1回日本戻って仕事整理してたんだ けど本当に私もフランス語話せないで両親その方々も日本語わからない英語もまならないコミュニケーションはちっちゃな事称 1個で ひえ これはスプーンとスプーンだと思ってたらスプーンじゃないんだよね。フランス語だと いえって何ですかみたいな。 あ、全然わからないです。 だからもう両方ともわーってなって 申し訳ないけど1 ヶ月でステはもう打ち切りねって言われて そうなんですね。 家どこ行けばいいの?ちゃう。 イエわおってなって、またこう知らない方々の日本人のあのガイドブックとか 見ながら はい。 どうすればいいんだって言ってお友達とかえっとなんとかパリの はい 人知らない画家の人の家を借りて ああ 住むでもそこもなんか 1 ヶ月ぐらいでとかまず最初すごい引っ越しとかをして そうなんですね 寝る寝るとか今日どこで寝れるかっていうのをまならないまま時間だけが過ぎてってで 1回こう日本に3 ヶ月で帰ったら日本ってさすぐ でしょとか言われるでしょ。 あ、そうなんです。それそうですよね。あのプレッシャーがね。 そうなんです。それきっかけで私 YouTube始めたんですよ。 やっぱ帰ってくるとどれぐらい喋れんのって言われるから喋れないんだよっていう家庭を見せたくって YouTubeをあのえ、 えっとなんて言うですかのチャンネルを立ち上げていただいて今これぐらい成長してます。こんな失敗しましたっていうのを全部共有したいなと思ってそうなんです。 YouTube チャンネル始めさせてもらいました。 結局はえっとトータルでどれぐらいの期間行ってたんだっけ? えっと3 年ちょっと行かせてもらいました。 2021年の えっと12月24日に飛び立ってう ん。クリスマス クリスマスイブ クリスマスイブの夜に日本飛び立ってハワイに着いたらまた 2021年の12月24 日また同じクリスマスイーブを 1人で過ごすみたいな ことをやってましたね。 ホームシックならなかった? ならなかったんですよね。 じゃ、合ってたんだね、本当に。 私1人好きで うん。うん。うん。 意外ともう大自然がそこにあってくれればもうそれだけで うーん。 十分というか3 セットライズ見れるだけでそれだけで十分っていう。 あ、そっか。そっか 感じ。 へえ。 でしたけどでも本当にそれこそインターネットがあるのでもう英語も分からないことあったらもう今となったらチャット GPTでも全部聞けるし。 本当だよね。 そう。いや、も辞1 冊でこう全部調べてた方のお話聞くといやもう本当にすばすっごいなと思って なんか本当にそうでもちろんスマホあったけどこんなに調べたりする機能もないし うん すごい大変だった 1個買えなかった そうですねえ でこうパン屋さんでわってレジで並んでて このアジアの女の子の言ってること誰かわかるっていうのをもうま パン祭りみたいにこうみんながこう言ってくれて しいだけなんでうんだけど、じゃ、あの、あのパンのことじゃない、この子言ってんのみたいなので、なんとか変えた時の味ね。 もうこうやって私は1つずつ覚えていくし はい。 やっぱ日本ってコンビニもあって、えっと、言葉を 出さずとも買い物ができる。 はい。 だからすごいなんか日本ってすごい国だなと思って。 いやあ、本当ですよね。 うん。 でもそれで言うと私もクレジットカードでピッピッピって何でもできちゃう。今の時代だね。聞かせて。 そうなんです。 時代だったからもうお買い物とかもう自分でピッやれば小銭がどれがどれっていうのも覚えなくても変えちゃう し、 えっと例えばその後にま、とりあえずバックいるかいらないか聞かれるんですけど、それを大体このなんて言うんですか?流れを覚えてれば過ごせるっていうのを途中で味しめてしまって そうか。 全然違う。 そうです。そうですよね。 私はそのパリがフランからユロに変わる時代でもあって うん。 あ、そうなんですね。 そう。だからお金のコインも変わる、札も変わる、またなんかその価値も変わる、 換算の仕方も変わる。 え、そうなんですか。 そう、そう。だから1 フランが、えっと、その当時いくらだったのかな? うん。 いくらだったのがユロになると 1ユロいくらになるのでワイン今までは 5フランで帰ってたのが3 ユロになるみたいな。 うん。あ、え、そんなに違うんですね。 なんかね、大きく時代が変わった時があったんですよ。その時にいて ああ、そうなんです。 そう。 わお。すごい経験されてます。 そう。それで、ま、大統領が変わるとか、ま、ストが起きるとか だからもう学校に行くのも色々こうルートを色々考えないといけないし ああ。あ、 で、えっと、日本人のお友達極力作らないようにと思っていて、で、私は午前中だけ学校 4 時間行って、で、帰ってきてお昼ご飯で食べたりしてから近くのカフェで宿題をする。で、カフェで宿題をするとそこにはたくさんのフランス人の方がいるから分からないといっぱい先生がいて教えてくれるみたいなっこういろんな方に手伝ってもらって。 ええ、すごい。え、その初めましての方にもすいませんって。 そう、そう、そう。 シルブレーって言って、これ、これは何ですか?みたいな。わあって言われるからわかんなくってゆっくり話してくださいって言うんだけど、大体みんないい方だから結果こう答え教えてくれちゃって うん。うん。なるほど。 違う。私はなぜこれが女性名詞なのか、なぜ男性名詞なのかが知りたいんだけど、て言うと、もうそんなの僕たちは生まり、生まれた時から うん。 もうやってるからちいち考えたことがないみたいな。 うん。ああ、なるほど。でも言われますよね、ネイティブの方に。 そう、そう。 だからあ、なんかまだまだ本当に手ブできちゃったな、私っていうのを何度も何度もこう泣きそうになって心折れながらうん。 過ごしましたけど、 え、またフランス留学、フランスに留学行きたいっていうのはどういうきっかけだったんですか? 1 番最初は 小学校6年生の学級文庫に 水瓶座なあなた、あなたの先生はフランス人ですって書いてあって、それを素直に信じたんだよね。 あ、そうなんですね。で、でもずっと覚えてたってことです。 覚えてた。覚えてた。 それで、ま、えっと、三重県から状況して歌になって色々やっていく中で、えっと、 1960 年代のフランス音楽のことが大好きにあって、 で、そこを色々 調べたり歌、あの、聞いたりしていくうちに、 あ、パリって私好きかも と思って何度かこう旅行に行ったりとかしてて、 で、その中でやっぱフランス音楽、フランス映画が好きで、えっと、インタビューとかする時にそのみんななんでこうなんですかって質問して もめちゃくちゃ長く相手が話してくださるのに通訳されるとめっちゃ短くなる。 はい。ああ、なるほど。 なんかない。そういうの あります。 そのなんか何をはしゃったのかがすごい気になって うん。 だったら自分で直接話したいなっていうので、その 28 歳の時に うん。 あの仕事を休んでフランスに留学行きたいんですけどうん。 て、ま、事務所の会長に伝えたら はい。 うん。いいんじゃんって言われて、 あ、そうだったんですね。 止めてくれると思うじゃない。 あ、そうですよね。めちゃくちゃ忙しい時期でしたもんね。またすごい働いてたから。 うん。 あ、なんかでもダメて言われていけなかったっていう未来だろうなと思ったらめちゃめちゃ背中押されてええてこっちが一緒に戸惑って行くしかなくなったみたいな形でま、行ったってのはきっかけだったんだけど。 そうだからフランスの音楽とか文化がすごい好きで街並とか うん。 そこではまっちゃったって感じだったかな。 いや、すごいですね。うん。 だってまたフランス語ってそれこそ男性名詞、女性名刺があるっていうの本当意味わからないですよね。 そう。だからあの1 年目は本当にちゃんと話せなくってフランス人の友達も本当に少なくてうん。うん。 で、えっと今から私は昨日の話をします。 はい。 て言って過去系をまだ覚えてないから ああ、なるほど。 私先に昨日の話をします。 うん。 私は食べるご飯をだからそっちで役してくださいみたいな感じで、それを付き合ってくれるフランス人の友達が 2人できて3人できて ああ、すごいっ ていうので、ま、ちょっとずつこう広がって 2 年目にやっとフランス語で夢が見れるようになったっていう。 いや、やっぱりストイックですね。なり、 ストックなのかな? いや、すごいです。自らそこの輪に飛び込んでいくっていうのが いや、やりたくない。 いやいやいや、すごいです。本当に。 それこそ何も話せないで帰る方が悔しいし あ。え、ちなみに期間は決まっていたんですか? 決まってなくて。 えっと、結果2年になったんだけど、 ま、1年いてまだ何にも喋れない 2 歳ぐらいの子かな。文章量としてと思って、もう 1年いたいですって言って、 で、もう1 年行かせてもらって学校に通ってって感じで。 ほお。 そう。で、さすがに 3年目とか行くと帰れないな。 と思って ああ、土地が好きすぎてですか? いや、えっとね、もうそこでずっと勉強しているわけにもいかないし、もうそろそろ仕事も日本に帰ってやりたいなっていうのも普通とこう芽えてきてて、このままいるともう私は 3年5年でフランス住んじゃう からいや、それはもう私の人生の計画としては 1回休憩だと思って、 あの、そう 出会った人たちがあの人の 60 年で活躍したボビーラポアントという詩人の方が歌ってるアルバムがあってそれをカバーすると でじゃあのリ子歌ってみるって言われてその 1960 年代が大好きでフランスが好きになった私が 60 年代の歌手の人の曲を自力でカバーをしてそのリースを見てリレコーデさん店頭並んでるのを見てあもうこれいいや帰ろう て言ってすごい。 そう。帰ってきたの。 なるほど。 そう、そう、そう。だから語学がすっごく堪能になって帰ってきたっていうよりかはやりたいことやったのでもう 1 回こう帰るきっかけが見つかったなみたいな感じで。 けどもう本当にそれが1 番ですよね。もうこれやり切ったらあ、私もここに学びはここでで終わりましたっていう自分の中でね、 1 回こうけじめがつくっていうか、まだまだ本当にそっから勉強したかったらすればいいし でもま、そろそろ本当に日本に帰って仕事したいな。 なていうのも投げたら、ま、いいんじゃない?そろそろ帰ってきてもって言ってくれる。ま、うちの事務所いい事務所じゃない?本当にお世話になっております。 そう、そう。だからかなって感じだったけど、きさんはちゃんと語学校にも通って うん。はい。 えっと、まず半年ハワイの学校 で、その後ニュージーが、えっと、コロナの後きましたっていう時に、え、学校 1年 通って、 その後一旦日本に戻って、今度はキングホリデビザ ああ、その話も知りたい。 を申請して、もう30 歳ギリギリの取得だったんですけど、ワーキングホリデイビザを日本に帰ってきて通って、その後、え、引き続き、え、ニュージーランドでバイトしてた、えっと、ツアーガイドの仕事と、えっと、カフェテの仕事をそのまま、えっと、引き継ぎで、 じゃ、もう学校1年しか行かなかっ。 それだけでその何も英語えっと英語も分からないまんま行った女の子はなんとなく吸収できちゃった。日常会話ができるとか。 日常会話は大丈夫です。 ま、スーパーはもう別にP でできるじゃん。 あ、そうなんですか。 あ、そうか。でもツアガイドもその環境とか場所のことを勉強しておけばお客さんは日本人の方だから。 あ、そうですね。で、たまにそのお客さん日本人の方が質問がある時は私が通訳して えっとさんとかそうですね。 うん。うん。 え、羊のりするとかにしてそれをまた伝えるっていうのをしてたんですけどでも なんかなんとなくできた うん ですよね。その時は。 ま、その、えっと、観光農業だったんですけど、観光農業のスタッフさんとたってもすごいハッピーで優しくて、で、韓国の方とか中国の方とか同じ立場の方もいらっしゃったんで、これどうやって答えたっていうのも みんなの中で話し合えたっていうのもすごい心強かったですし、やっぱみんな英語をセカンドランゲージとしてま見に来てるっていうのですごい気持ちを分かってくれて、で、すごいその職場がいやすかったんですけど、そこにもなんかちょっと学びがなくなってきちゃったかもなっていうので すごいわがままなんですけど、 アップじゃない。 あのなんですかね。やっぱ毎日同じことしてるっていうのができないみたいでは 小さい頃から一応そのアイドル活動だったんですけど歌たりレコーディングしたりラジオ出させてもらったりテレビ出たりとかいろんなことさせてもらったので毎日違うスケジュールをやってくっていうのがすごい自分の中で新鮮で楽しかったんですよね。けどやっぱ毎日同じ時間に同じ場所に行って同じことをするっていうのがどうしてもできなくってそうですね。 あの、ボスに相談したら、あ、いいよみたいな、もうさっきがもうやりきったなっていうところで、違うことしたらって軽く言ってくれて、あ、じゃあそうするねって。でも帰ってきたかったらいつ戻ってきてねって言ってくださってその観光農業のお仕事を 1回終わりにして うん。その後にウーフィングっていう 何? えっと、ワールドワイドポチニティズオンオーガニックファームズっていう略なんですけど、ウーフっていうのが世界中ありまして、農家さんのお家に泊まらせていただいて、えっと、畑作業を手伝う代わりに宿台と食事台は無料で提供してもらうっていうサービスが、 ええ、やりたい。 そうですね。 めちゃくちゃ楽しかったです。 ええ。 それ自分でノックしてここでやらせてくださいって言えるの。 えっと、ウーフィングのサイトがありまして、そこのサイト上でコンタクトを取って、何日から何日までステイさせてもらいますかっていう風に送って、で、いいよって書いてきたら、えっと、そこのお家にステイさせてもらうんですけども、本当ニュージーランドはもう上から下までほぼほぼリストに乗ってぐらい、えっと、農家さんがいろんなところでオーガニックファームでウーフィングに参加してるって方が多かったので うん。 なんだろう。 私的にはその農業経験しつつでもニュージーランドも旅できるし、こんなに便なことあるって。 へえ。 いう うん。 どのお手伝いをその時は? その時はえっといろんな方がいいたんですけど基本的にはお野菜 を畑耕す作業とかあと雑草抜き。ま、ほぼほぼ雑草抜きでしたね。 それで言うと実家がね、あの、農業やってらっしゃるからきっとこれはこういうヒントありますよみたいなありつつ いや、でもえっとあんまり、え、実家の農そうですね、してこなかったんで。 そうだよね。 そうなんですよ。 そうか。じゃ、すごい新鮮に草取りもできたんです。 で、めちゃくちゃ楽しかったです。めちゃくちゃ気持ちいいですね。 気持ちいいの。そうなの?そうなんですよ。あれ意外とはまるんですよ。草取るのってね。 夢中になってもうなんで、こんな気持ちよく抜けるもんかという。 そう。で、しかも結構スクワットしてるから運動にもなるしね。その日すごい気持ちよく寝れるんだよね。 そうです。はい。 へえ。 ね。朝日も浴びてもうすごい気持ちよくって。 ええ、じゃあその時はまたそのお世話になってるお家の人たちと英語でこう色々やり取りしてまた知らない世界を知るみたいな。 そう。はい。 知らない世界し、やっぱりその語学校とは違うセカンドランギアか本当のネイティブのしかも農家さんでおばあちゃんおじいちゃんのわっていう感じの英語を聞くのが初めてだったんで本当聞き取れなくって でーランドでも少し なんて言うんですかイントネーションがやっぱ北と南で変わるので うんもう田舎に行けば行くほど聞き取れなかったけど うん もうファッションで うんうんうんうん こうやってこういう意味とか へ のもう本とパフパッションで会話してました。 へえ。じゃ、そういうのをウーフィ、 ウーフィングを何箇所かこじゃあってみたいな。 そうですね。経営6 か所行かせてもらって、でもやっぱそれぞれの農家さんでスタイルが違くってで、ニュージーランドすごい素敵だなと思ったのがやっぱ羊がいっぱいいる国なので、えっと、畑の土やっぱ乾燥しちゃうじゃないですか。その上に、畑の土の上に羊の毛を置いて雑草が生えないよう。 にプラス保湿しとくっていう なので畑がもう本当雪降ったかのようにすごい可いそうなんです。 すごい可愛らしくて、 それ見てるだけでもあ、いい心地いいなって思いながら生活してました。 え、だ、なんか、だからインスタ見ててなんかすごい景色のいいところに色々行っていて はい。 私はもう勝手に勉強しに行ってると思ってるからどういう過ごし方をしているのかしら、この子はと思ってたのね。だ、そういう移動とかいろんな体験をしながら 生きたい英語を聞きつ 虹を浴びるみたいな。はい。 最高の過ごし方だね。 そうなんですね。めちゃくちゃ楽しく 生活てて、そのウーフィング最中もいろんな、え、出会いがありましたし、元々ニュージーランドのロトルアっていう北島にある町で過ごしてたんですけど、そこのホストファミリーがすごくよくしてくれて、えっと、何か嫌なことあったら帰ってきていいからね、つでもって言ってくれる、帰って来れる場所もあったので、もう本当に出会いに感謝、ご縁に感謝 うん。 で、 うん。 ニュージーランド楽しく生活できたし、こうやって日本戻ってきてはゲの活動私戻ってこれる場所ありますかってやっぱドキドキだったんですけど事務所の方にお会いしたらお帰りって受け止めてくれて 何したいどうするっていうのをすごい聞いてくださったのでなんかもう私って本当に恵まれてるなと思ってもう泣けちゃうぐらい なんか本当このご縁に感謝しつつこれからも丁寧に生きていきたいなって ええでもなんかそういう時間を経 した人ってやっぱりなんか1個 うん。 なんだろうな。見えない武器持ったみたいな。 なんか、ま、帰れる場所も見つかってるし、新しいお友達もできてるし、新しい家族もできてるし、 また自分がこう自信になってるから なんかちょっとしたことも怖くないというか。うんうん。そうです。 今まできっとその芸能活動しかしてなかったら気づけなかったこと はあるんだろうなと思って。うん。 あの、私もフランス語を勉強したからと言って、それを仕事に役立てようとは思ってなくて、ただその 30 歳以降の自分を見た時に何も持ってないなて思ったのが 1個あって うん。うん。うん。 例えば自分が家族持った時になんか仕事だけしてきたっていう振り返りより 1個なんか通訳ができるかもな。うん。 友達と旅行行ったり家族と行った時になんかできることがあるよなっていう方が良かったなっていうのと。 ああ、 あとあの行けなかったとか行かなかったっていう後悔を持つ人生はやだなと思ったの。 わかります。 そうだから 1 回ここで立ち止まって、ま、会わなかったら帰ってくればいいからうん。 うん。 行ってみようと思って行って結果もう帰ってきた時の方が帰ってきてからのが長いんだけど、ま、 20年ぐらい経つのかな。うん。 うん。 でもやっぱりその後悔がない ていうのはすごく自分にとって良かったなと思うし。 今薬前の勉強やっても 1 個の言葉全然覚えられないのね。 うん。薬前用語。 そう。4 文字熟語みたいなのが全然覚えられないんだけどでもこれフランス語の時もそうだったよなとかっていう脳があの覚える脳というか 学習する脳がちゃんとこう ああん時のコツコだった。 だから辞書1 回赤線引いといて、またその単語調べ、前も調べてるじゃん、私何やってんのっていうなんか自分をこうなんか怒るじゃないけど知った激例をして覚えてったんだっていう あの頃のようにみたいな思いがあって、その今の薬前もすごい楽しい。 うん。素晴らしいですね。本当にでも本当に その留学行く前後悔したくないなっていう気持ちで私も留学行ったんですけど帰ってきてよりもう人生後悔したくないって。うん。 より思うようになって何でも今からスタートできるし何でもこうやって朝起きて寝てあ、今日 1 日だラダだラ過ごしちゃったなの中にもしっかり学びはあるんだなっていう振り返り をできるようになったっていうのはうん もうすごい人生の中で大きな学びだったし うん いやもう本当に留学行けてよかったなって 思います そうかでもさに便利な時代じゃんスマホでこう訳してくれたりとか は 便利だった。やっぱりそういうのって めちゃくちゃ便利でしたし、今ももう本当チャット GPTが私の英語の先生です。 へえ。そっか。 チャットGPT で会話できるし、意外と早口なんですよ。 あ、そうなんだ。 そうなんです。 か聞き取るのも集中しないと聞き取れないのでチャット GBT 内で会話もできるし、えっと、その自分が喋った単語、 あ、単語っていうか、その文章が ちゃんとえっと見れるようになっているので、あ、自分のこの発音聞き取ってもらえなかったなっていうのも後々チェックできたりとかもするので、すごい勉強に へえ。 もう本当に勉強の仕方が違うっていうか時代本当に自本当になんかそのインターネットでラジオ当時やっててダイエル回線でもすごく聞き取りにくい時代だったんだけど やって日本でやってて でえっとパリの自宅で辞をあの録音のとこに置いてではい MDに取って おお で2週間に1 回郵便局に行って送るっていうもう本当にそうい いう時代だったんです。データとかが見えない何かで送れる時代じゃなかったんです。 なるほど。 そうだからあそこの便局はでもストがやってるから働かないってことはいついけんのかなこれみたいな。 ああ、届きましたよっていう連絡もなんか ネットネットに繋いで はい。1 時間だけ繋ごう。電話に。で、絶対理解してもらえないと思うんだけど、この説明者。 あの、電話に1 時間繋いで立ち上げてる時にやり取りをして、 で、もうそろそろ1 時間経つから電話台かかっちゃうから落としますみたいな感じで、 あ、 フロッピー届、MD届きましたとか。 はあ。 で、またそれをレコード屋さんに行ってレコード色々買ってフナックに行って買って、それで自分地で聞いて、この曲をラジオでかけたいから、これまた CDと、あの、MD 送るみたいな、ものすごい船瓶でやり取りしてたというか。 空ももちろん飛行機でも送ってたけど、もうデータとかがない時代だったし。そう。羨ましい。 そうですね。え、その機材とかもフランスで現地購入だったんです。 いや、それは東京のうちから持ってって。 なるほど。なるほど。そう、 そう。 え、そうですよね。 うん。 それで言うと自分で郵便さん以行こう家族に何か送ろうってしないと郵便局にを尋ねるっていう経験も得れないぐらいもう全部写真もすぐスマホで送れるし。 そうだよね。 手紙、手紙というか、もう文章でテストでテストでそうだよね。 もう元気だよ。次ここ行くよっていうの。 今の時代だな。 ていうのも家族も今最近こんな感じだよっていうのもすぐ それ逆にファンの方にもね、シェアできるしね。同時にね。だから行っちゃって寂しいみたいな方もでもさきちゃんこんなに楽しんでるんだったら安心だねみたいな情報はすぐ共有できるもんね。 うん。そうですね。 うん。いや、それこそYouTube とかもアップされる前日に送ってもそう、私がもうギリギリになっちゃった時で申し訳ないんですけど、アップロードされる前日にスタッフさんにお送りして、え、修正入れてもらって翌日あげてもらうっていうこともスムーズに へえ。 できた。ただニュージーランドやっぱり田舎のところは電波がないので そういう時は焦りますね。うん。 もう どうやってサバイバルしたらいいのか分からないんですよ。だからもうネットになりすぎちゃって。 はい。そうか。 そうだよね。 焦っちゃいますね。 すごいもネットとかも本当にもう辞書が左ポッケでそなんかメトロとかスリの人も多くって ああ、そうな でポッキにこうこそっと手入れて持っていかれるんだけどそれ事称と思うもけばいいよそれ事称でもちっちゃいのを日本で買ってきたやつ そうですよね て思いながらそういうこともあったりとかで え辞書を盗まれちゃった後って日本語とフランス語の辞書って向こうで売ってるんですか? か、高いけどね。 あ、なるほど。 あの、大きいのは持ってて、学校に行く時用の持ってて、でもこうなんかいざとなった時のためのポケットにつも入れてたんだけど、 そう、またあれを買うのか高かったんだよなみたいなので、ま、買い直したりはしつつ そうですよね。いや、すごいわ。 食事は 食事は基本ホストファミリーが作ってくれたのとウーフィング最中ものかさんのお家回ってフレッシュな野菜いただいて。 1 個もうめちゃくちゃワイルドな農家さんの家にお邪魔した時に、えっと、家庭 3 円のはあえ、なんてか刃物類がすぐそこにあったんで、えっと、娘さんたちがピッカしてそれを食事にサラダ作ってくれたんですけど、その葉っぱの裏になめくじいました。 ああ、お薬使ってないからね。 そうですね。で、その時にあ、ニュージーランドだなって思っちゃいましたね。 この大自然とめくじいても、ま、気にしないみたいな、ま、そのまま洗いもせずそのまま食べちゃおうぜみたいなのが そうワイルドだなと思って。 なめくじは良くないって言うけどね。 あ、そうなんですね。 そう、そう、そう。なめくじ張った後の葉っぱはあの捨てなさいっていうのはうん。 あら、 あるから。ま、でも言わさなかったです ね。そう、そういうことなんだね。和食を振る舞ったりとか、そのちっちゃい時からお仕事してたからそのお料理を作ることとかさ、そういうのはやってきてたの。 はい。 あ、お料理作るのは好きなんですけど、でもレシピ見ないと作れないタイプなんですけど。うん。 えっと、何かお世話になってたロトルアのホストファミリーには何回か和食 うん。うん。 例えばどういうの作ったの? 和食と言いますか、えっと、チキン南番。 ああ、 やっぱりニュージーランドの人たち甘いのが好きなので、ちょっと甘い系のものを作って、チキンナンとあとチューカとか作りましたかね。 うーん。うん。 よだれみたいなやつとが好きだ。 あ、チキン好きなんですよ。あんま食べなくてチキン食べてポークもたまにっていう家族でだったんですけど、えっとマザーがえっとお味噌があんま得意じゃなくって 1回味噌スープ作った時に 飲めないんだよねって言われてしまい。 そう。それきっかけに うん。 なんか私が、えっと、好きなご飯を作るっていうよりもホストファミリーが好きなご飯を、えっと、ホストファミリーもレシピ見て作るタイプだったんで、レシピ本がレシピ本がいっぱいあったので、 じゃ、今日このメニュー私が作るねって言って、その本から作ってました。で、その本見ると私も英語の勉強になったので、 そういうのをやってたりして。でもオーガニックのものたくさんね、日本よりもあるから うん。 楽しそうだよね。なんか やっぱり当たり前に プラスチック使いたくないっていうマインドがみんなあるので、それは居心地本当に良かったなとうん ね。 思いますね。 うん。そうか。なんか私の場合は 1人暮らしがほとんどだったから、 あの、自分で食べるものは自分で作んなくちゃいけないしで、時々学校の、えっと、クラスメートが集まる会とかをうちとかでやると、持ち寄りだったりとか、 あの、おにぎりが食べたいんだ。 ああ。 で、なんでこのは黒いんだ?何からできてるんだ? はい。 気持ちが悪い。でも、でもなんかアニメか何かでおにぎりを食べる人がいて で、おにぎりっていうの知ってるからなんか食べてみたかった。あ、こんな味なんだっていうのでこうコミュニケーションができたりとか、あ、 この素材にこういう風な疑問を持つんだなとかっていうこととかの考え方、私が当たり前だと思ってた。 うん。うん。 日本の職文をあ、こんなに謎に思うんだなとか日本人のお友達 2人でうちでご飯を食べてて うん。 あのヒジとか乾燥物ってやっぱりすごく貴重で 私と友達にとっては和食なんてすごくご馳そう。 うん。うん。うん。 やったね。今日ヒジ炊いちゃったよみたいな。 ご飯と何かて言ったらな んでこんななんか何食べてんのみたいな すごいかわいそうな目で見られていやいや私たちっても素晴らしい食事なんだけど今日よかったら食べてくノーノーメルシーみたいな ああもったなみたいな感じだったりとかあの すごくこう 近くに日本食をやってらっしゃる方がいて のりちゃんお米ね余ったから持ってくって言ってくださって冷凍しといて 前に出して で、えっと、電子レンジもないお部屋だったからお家帰ってきてそれを痛めて あのピラフにするとか はいはい なんかこう東京にいるとどこに行ったもすぐ食べ物が変えたり うんですよね 日本東京は特にまたね便利な 24 時間行ってるお店も多いから困ることなんかなかったし うんうん ずっと働いてる時は曲のお弁当に育てられたぐらい 本当に曲のお弁当たくさん食べてたから食べることで ね、そんなに意識しなかったけど、あ、自分のためにこうやって調理しないと食べられないんだ。うん。うん。 とかで、フランスは土日スーパーが閉まることが多くて あ、そうなんですか。 そう。だからこうコンビニみたいに逸だって何かが買えるわけではないから金曜日までにお水も買っとかないとないから。うん。う、危ない とか。なるほど。 そう。色々なんかその生き生きていくための うん。 なんか色々こう考えるようになれたのもすごく自分の中の変化で うん。はあ。 そう、そう。だから東京に行って仕事してたらマネージャーさんが何かやってくれる。 送り迎えとか。 そうです。はい。 なんか 新幹線のチケットとか。 そう、そう。それを自分でできない人になりたくなかったというか。 分かります。でもこんなに並ぶのかと言葉できないと何にもできないのかっていう自分にが解することも多くて うん。 なんかそのがっかりもがっかりなんだけど嫌じゃないっていうか。 分かります。めちゃくちゃ分かります。 なんだろうね。 すっごいいい刺激で私はこれが経験し たかったんだって思いました。やっぱり ちっちゃい頃が芸能活動してるというか もう芸能活動が当たり前だしなんか初めて 会った方とかにえ芸能人なんでしょうも私 普段もう農家の娘なんですけどなんか 楽しい時もあればなんだかなんか 居心地違うなと思った時もあってけど ニュージーランドに行けばもう全く私知ら ないし もう30歳だったけどでもそれでもさっき 全然英語わかんないから教えてあげるね って言って、20 歳の子が英語教えてくれたりとかなんかそういう関係性がすごい新しい刺激でうん。うん。 なんか言葉同じく英語習ってる同士とか、えっと、ホストファミリーの娘さんとかなんかこう英語を通して何か新しいことを成し遂げるっていうのがすごく嬉しくて、あ、私これ 1 個今日これできたっていう学が毎日楽しかった。うん。うん。思いで なんとなくこう日本にいると気づけないけど海外に出るとそんなにジェネレーションのこととか うん。 あんまり意識しなくて済むっていうのは楽だよね。 楽でしたね。 うん。 いや、うん。 楽だったからこそ日本帰ってきて、あ、私 31歳なんだって。 ああ、またね、年齢のことを気に意識させるからね、色々とね、よくも悪くも はい。 うん。でも、でもやっぱり自分の中にこう誇りが持てるっていうのはすごく成長だよね。 うん。 そうですね。 嫌なことにはならなかった一度もなんか 何回かはありました。 うん。 もちろんそのなんですか、ホストファミリーの親戚一の集まり会とかクリスマスパーティーとか一緒に参加した時とかは やっぱみんながわーって話したりすると聞き取れなかったりとか笑いたいんだけどこれで会ってるって思ったりとかあ、 あとクリスマス会なんでなんかジョークのカードゲームみたいのをやるんですけどなくってこれって笑っていいのっていうところだったりとかま、それ含め楽しかったんですけど けどなんかあ ああ、全然まだ英語力足りないな。集まり会に参加できるほどじゃないなっていう思いもん。 うん。 したし、なんだかんだホームシックも何回かはありました。 シティックというかメンタルのもう揚げ下げが激しくって あ、 なんか頑張って新しい刺激で私が痛いからニュージーランドの家族ラインのやり取りとか見てるとあ、なんか家族が恋しいなとか私こにいてまだ学びあんのかなって 自問自 そうですねぐるぐるしちゃったりでもやっぱりここにいたいからいるんだっていうの もそのニュージーランドの大自然見てぼトしながら うん。 あ、やっぱここが好きだなって思って うん。 過ごしてます。 なんかその文化の違いとか環境の違いにはってなることもあるし うん。 結局私はパリにいても日本人でこの人たちの仲間にはちゃんとは入れないのかもしれないっていう時にすごい孤独を感じて はい。 私はここで何をやってるんだろうって思うんだけど、あ、でも、ま、それを選んできてるしうん。 ま、そんなことを投げたとって何も解決しないから家帰って宿題しようみたいなことをなんか背中をこう自分でこう撫でてあげて 励ましてあげてみたいな 感じかなって思ってた。 うん。そ、 そう。 でも本当になんかでも帰ってきて逆に日本ってすごい素敵だなって思えるようになったのも 1個の成長。 うん。本当ですね。 日本人って本当に優しいんだなって改めて気遣いというか表なし精神っていうのがうん。 ニュージーランドのもうラフな感じのま、これやっとけば大丈夫だよっていうのも大好きだったんですけど日本人本当に丁寧だな。こういう書産みたいな学びも日本帰ってきたからしっかりしたいなって 思いましたね。これから楽しみだね。 はい。 どんな大人になるんだろうね。でも今度ニュージーから日本にいらっしゃった方お手伝いできたりとかさ。 あ、したいんですね。 色々できるもんね。 うん。楽しみです。ホストファミリーまた日本に来てくれないかなとか思ったりする とかさもファンイベントとかでまたそういうことができたりとか 農場体験でとか色々できるんじゃない。 そうですね。 そういう中島先が見たいです。 ありがとうございます。頑張ります。 そう。うん。加藤さん1 つお知らせがありまして、あの、初めての私のファンミーティングみたいなことをやらせていただくことになって 30 何年やってるのに直接そういうことお会いするあんまなくてうん。あ、そうだったんですね。 そうでタイトルを加藤のり子大反盛会 大会いうのを 2025を11月15日の土曜日の えっと夕方に 3 現在にやるカフェでやろうと思ってます。 詳細はあのInstagram とかホームページを見ていただけたらなんですけど、 またなぜ今イベントファミティングをしようと思ったんですか? ずっとね、今年どっかでやるって言ってたのに。 あ、そうなんですね。 やってないと思って。それも含めて反省なんですけどミミーティングですなのでもでも本当になんか そういろんな人と会って喋ってこう 生きてることをシェアしたい。 うん。 かな。 わかります。 でもなんか今日本当あえて良かった。 いや、こちらこそです。本当にありがとうございました。 仲良くしてください。 こちらそですね。
加藤紀子さんと中島早貴さんの話を盗み聞き・・・ TOKYO SPEAKEASYラジオ
禁酒法の時代に、こっそりひそかに経営していたBAR『SPEAKEASY』。
東京の街にも、そんなひそかなバーが、まだあった。
それは、とある小さな本屋の奥の部屋に存在する。名前は『TOKYO SPEAKEASY』。
ここには、名だたる俳優・女優・アーティスト・政治家、また起業家・メディアプロデューサーなどのスゴい方たちが訪れ、「ここでしか語れない」様々な話を繰り広げている。
どうやら、あの秋元康が、このバーに彼らを招待しているらしい。
今日のお客は誰なのか?そしてどんな話をするのか…?
