2022年、その2年前にリリースされた楽曲「死ぬのがいいわ」がタイのTikTokユーザーの投稿でバズったのをきっかけに、アジア圏を中心にグローバルな人気を獲得している藤井風。先月リリースしたサードアルバム『Prema』は全編英語詞であるものの、それまでの楽曲はすべて日本語の歌詞だ。なぜ藤井風の楽曲は言語の壁を越えて愛されるのか。
『スピッツ論―「分裂」するポップ・ミュージック』の著者で、国内外の幅広い音楽の動向をわかりやすく伝えるYouTubeチャンネル「てけしゅん音楽情報」の「しゅん」としても活動する批評家の伏見瞬さんに、その背景について分析してもらった。
※以下、伏見さんによる寄稿。
先日、私が出演したトークイベントで藤井風『Prema』の話になった際、共演者で文芸評論家の三宅香帆さんが「文芸界隈で藤井風が話題になることはあまりなく、むしろMrs. GREEN APPLEの話題になることが多い」という旨の発言をしていました。隣にいた私はとっさに「それは藤井風がメタファーを使わない歌手だからでは?」と返していました。正確な発言の記録ではありませんが、おおよそこのようなやりとりがありました。そして、とっさの発言とはいえ「メタファーのなさ」は、藤井風の特徴を言い当てた言葉に我ながら思えるのです。
今回は作詞家としての藤井風の資質を、日本のトップミュージシャンと比較しながら考えていきます。
「文学的」な米津玄師とMrs. GREEN APPLEとの違い
藤井風は「何なんw」(2019年)でデビューして以来、シンガー、パフォーマー、ピアニスト、作曲家としてだけでなく、作詞家としても評価されてきた人です。故郷の岡山弁を取り入れた言語感覚を、R&Bのノリに自然と溶け合わせられる卓越した歌と言葉の使い手として、賞賛されてきました。しかし、彼の言葉はいわゆる「文学的」な表現ではありません。ここでいう「文学的」というのは、小説や詩であれば当然のように出てくる隠喩表現やイメージの飛躍を歌詞の中で用いている、くらいの意味です。
今のJ-POPシーンを名実共に代表しているミュージシャンは米津玄師、Mrs. GREEN APPLE、そして藤井風の3組だと私は考えていますが、前者2組は「文学的」な表現を駆使する音楽家です。
米津玄師であれば、「IRIS OUT」の「頸動脈からアイラブユーが吹き出てアイリスアウト」という歌詞。実際に頸動脈から吹き出る液体は血液ですが、「濃厚で、命にかかわるほど深刻な感情」を表現するために、「アイラブユー」を血液にたとえている。「アイリスアウト」という映画用語を使っていることも、メタファー(隠喩)の一種です。
Mrs. GREEN APPLEであれば、「クスシキ」のサビにおける「『愛してる』と『ごめんね』の差ってまるで月と太陽ね」という歌詞。月が太陽なしには輝かないように、「ごめんね」と謝ることができなければ「愛してる」も伝わらない。コミュニケーションにおける言葉の難しさを、星の関係に置き換えて表現しています。
米津もミセスも、典型的な日本語表現にはないメタファーや言葉の組み合わせで、新鮮なイメージを演出している。それを歌のリズムの中に、巧みに溶け込ませている。文芸好きの方が「この歌詞が凄い!」と反応しやすいのは、こうした歌詞の構築法だと言えます。言いかえれば、解釈や考察の余地があります。
