声優として、そして一人の宮城県人として。第一線で活躍を続ける山寺宏一さんが、故郷への想いを語ります。
【写真を見る】声優・山寺宏一さん 故郷・宮城への熱い想いと震災15年への誓い 〜念願の仙台公演で語る地元愛、学生時代のtbc夜勤バイト秘話も!〜
久しぶりとなる宮城での「声優口演」を前に、まもなく東日本大震災から15年で思うこと、そして今なお持ち続ける地元への愛情、さらには学生時代の意外なアルバイト経験まで、多岐にわたるお話を伺いました。
■20年続く公演、念願の仙台開催
――今回、久しぶりに宮城県で「声優口演」が開催されることになりました。今のお気持ちはいかがでしょうか。
山寺宏一さん
「仙台でやれるということを本当に嬉しく思います。気合が入っております」
そう語る山寺さん。この公演は、約20年前に羽佐間道夫さんと野沢雅子さんの2人で始まったもの。山寺さんもすぐに参加し、長きにわたり携わってきました。
山寺宏一さん
「宮城県では、震災後に復興チャリティーとして山元町や亘理町、多賀城市、塩釜市で開催したことがありました。仙台ではやっていなかったんです」
2013年に実現した復興チャリティー公演。当時とは状況も異なり、今回は東京から始まるツアーの一環としての開催となります。
■あの日から15年、忘れてはいけないという想い
――まもなく東日本大震災から15年を迎えます。
山寺宏一さん
「当時は東京のスタジオで収録をしていました。確かディズニー作品関係の収録だったと思いますが、大きく揺れまして。古いビルだったので、すぐに避難してくださいと。外に出たらさらに大きく揺れていて、当初、これは震源地は東京だろうと思いました」
しかし、その後の報道で震源地が宮城だと知り、ぞっとしたと言います。「これは大変なことになってしまった、と感じたことを今でも忘れないですね」と当時を振り返ります。
すぐに実家へ連絡したものの「けがなし」という4文字の返信があったきり、しばらく連絡が取れなくなってしまいました。
山寺宏一さん
「帰りたかったんですけど、なかなか帰れず。初めて帰ったのは2週間後でした。仙台にいる友人から、石巻のある避難所で物資が滞ってしまっていると連絡が来たんです。東京で仕事をしている仲間に声をかけて、トラックで色々なものを積んで行きました」
