【拉致問題】蓮池薫さん生出演!”北朝鮮拉致”その狙いと解決への道 ゲスト:蓮池薫(北朝鮮による拉致被害者・新潟産業大学特任教授)MC:近野宏明 上野愛奈 インサイドOUT BS11 10月20日

23年前の10月15 日おさんと妻野子さん、千村安さんと妻野吹恵さん、そしてひさんの 5人が家族との再開を果たした。 これに先立つ9月、小泉総理は北朝鮮を 電撃訪問。北朝鮮側は首脳会談の直前に 日本政府が確認を求めていた行方不明者の 安倍について5人生存8人死亡と回答し 女位の葬機は日本人拉致の事実を初めて 認め謝罪した。 は国常化省の開始などを盛り込んだ日 ぴょン宣言に長し、日関係は改善するかに 見えたが、その後拉致問題解決の交渉は 暗証に乗り上げる。 政府がこれまでに認定している17人の 拉致被害者のうち12人は未だに帰国の 実現どころか暗期さえも分かっていない。 各ミサイル開発を続ける北朝鮮は日本政府による首脳怪談への呼びかけにこれまで応じる姿勢を見せていない。 北朝鮮が拉チを認めてから 23 年。拉チ被害者の親は次々とこの世を去っている。 2020年に横田恵さんの父しさんが 今年2 月には有本子さんの父明さんが亡くなり、親世代は横田恵さんの母崎さんだけになった。 もうこれ以上待てません。もうこれ以上私たちを苦しめないでください。 こうした中、今年5月さんは1冊の本を 出版した日本人拉致。その中には今まで 語ってこなかった北朝鮮での生々しい やり取りなどが綴られている。今この本を 出版したのはなぜか?その思いを伺う。 ここからは北朝鮮拉致問題についてお伝え していきます。では改めまして今夜の ゲストをご紹介します。北朝鮮による拉致 被害者で新潟産業大学特教授の初池かさん です。八池さんは大学在学中の1978年 に新潟県で拉致をされ、24年間北朝鮮で の生活を余儀なくされた後、2002年に 帰国を果たされました。 今日は北朝鮮での体験や拉致チ問題の解決に向けたお考えなどをじっくり伺っていきたいと思います。池さん今夜はよろしくお願いいたします。 どうぞよろしくお願いします。 よろしくお願いします。 私は、え、報道記者生活 30年なんですけども、その間、え、もう 2002 年のその帰告の際には夕方のニュースのキャスターをやってましたので、もうスタジオでもうあの羽田の映像を見てもう報道フロアがね、 ええ、 ド嫁めきですよね。本当に帰ってこられたんだと。 うん。 今この映像、 この映像ですね。もうそこからもうでも 23 年で、え、この間さんが初めてあの韓国の小説を翻訳された時にも 1回取材させていただいてそ、そして 8年前ですね、2017 年には柏崎新潟県柏崎のそのままさに拉チの現場に あの一緒にの出向いていただいてそこでもお話聞いてるんですけども生出演でテレビでこのようにお話をされるのは今回は 2回目ということですね。 はい。そうです。 はい。今日はこの険になった、あの心持ちてらどんな気持ちで大険になったんでしょうか? そうですね。あの、やはり拉チ問題がなかなかこう進展しない中、ま、風とは言いたくはないんですけども、 ちょっと関心、え、 を高める必要もあるかなと。 うん。 あ、そのためにはあらゆる機会を利用してですね、 はい。 え、私の思いであったり、また私の経験であったりを多くの方に伝えたいなという思いからで、え、 今回、ま、お声がけもあって、え、さ、出演させていただきました。ありがとうございます。 はい。 このVTR でも説明あの紹介ありましたけど、こちらの本ですね。 え、日本人拉というこの本を今年お出しになって、これもやはり同じように、ま、風華という言葉使いたくないというお話ではありましたけども、やっぱり関心の低下になんとか 歯止めをかけて解決に導きたい。 そう、そうですね。 ただ、あの、ま、いつでもかけるというわけではなくてですね、ま、私なりに、 え、断片的な経験、つまり北朝鮮においてはそれがなぜそのようなことをやらなければならなかったかっていうのが全く教えられない中で はい。ええ え、私の経験っていうのが1 つに繋がってもいなかったんですね。 で、ま、帰ってきていんな方のお話を聞いたり、本読んだりする中で、また講演をする中で思い出すこともあったりする中で、あ、これなら [音楽] 1 つ繋がるなと。で、ま、これを皆さんに知っていただいてやっぱり風っていうか監視持っていただくにはその真実というものを知っていただくのが、まあ、 1 番大切でそれができるのはうん。私なのかなと いう自覚まして。 うん。うん。 え、この機会に書かせてもらったということです。 私ども、ま、今回改めてこの本読ませて いただいて、ま、確かにその直接の当事者 でしか書けない、知り得ない様々な情報も 入ってますし、それ非常にこう具体的な 内容である上にそこからさらにまた水論と いうかですね、様々なこの考察を巡らせて いると非常にあの読み応えのある本です けれども、この中で私もま、おそらく誰も が印象に残るかと思うのがこの言葉なん ですよ はい。にこの本の冒頭のに記されている 23 年前のその北朝鮮から日本へ帰告する直前にその北朝鮮のある人物から 日本に戻ったらそのまま日本で暮らすべきだよと うんうん 言われたという下りなんですけれどもこれまあお忘れになってる方ももしかしたらいいらっしゃるかもしれませんが初さんたちが日本に帰る時の最初の立付けとしてはこ これはあくまで一時帰国なんであって北朝鮮に戻るんだという前提での帰国だった。 だけどこういうことを言われた。うん。 北朝鮮の人から言われたと。この言葉をあの初めておそらく明かされたんだろうと思うんですがはい。 その背景はどういうことなんでしょうか? えっと、まずはですね、ま、私が 24 年間北朝鮮で、ま、暮らすで、え、それほどまでに私は思想的に染まってはいない、マインドコントロールされてはいないっていう思いはあったんですけども、え、 我知らず、知らず、ま、知らないうちにですね、もう北側の意図するこ [音楽] と帰国に関してもそうですけどもうん。それがま、当然のことかのように受け入れている自分がました。もちろんそれはもう自分の家族のことを考えたりした結果でもあるんですがこの花一言が はい。 何か自分の視野を広めてくれた。え、 あ、 自分は確かに帰ったら戻る必要のない人間だ。日本で暮らせる人間なのかなと。 いうことをまた思い出したって言いますかね。 え、そういう1つのきっかけで あったということと一方で北朝鮮にも普通にこのように考える人がいるんだと。 [音楽] うん。 うん。だから今北朝鮮がですね、ラチを認めておきながらも根拠のないま死亡と言って返さない。 え、ていうことがいかに不闘であるかっていうことを対象的に、 ま、ここで、え、皆さんに知っていただくそういう題材でもあるかなと思いましたね。な るほど。ま、あの、マインドコントロールはそれほど強いものではなかったと思いつも我知らずやっぱりあるかなり染められた部分があった。 でもそだとするとですね、その 北朝鮮に残されている形になるですね、お子さんたちですよね。この瞬間には あの幸子さんと奥様と 2 人で帰告したわけですから残していくっていうのはものすごい決断だと思うんですけどもそこは 怖くなかった。 うん。だから最初はですね、ま、あの日本に行って戻ってくるっていう前提 はい。ま、それが当然のことと私どもは 受け入れていたわけなんですね。ですが、 ま、日本に来てちょっとこういろんな話を 聞く中でやっぱりこう家族、日本に残され た家族の思いも分かりましたし、またあ、 そういう中で元々私には日本に残りたい。 そして子供たちも非常にこう環境の正直あまり良くない北朝鮮よりも日本で自分の夢を鼻ざかせていくような うん。 そういう期待って言いますかそういうのはあったんですけども北が果たして北朝鮮が子供を返せって言って返してくれるかどうかってここがま日本にとまるかこのまま帰るかのま 1番大事なポイントだったんです。 そこで踏ん切りがついたっていうか、あ、北は時間はかかっても改札は得ないだろうっていう、そういう私なりに、え、え、 判断が、 判断が できたっていうか、ま、もちろん方の話を聞きながら、あ、 ま、そういった中で子供にはちょっと申し訳ない濃いつも、まあ、それまで耐えてくれるだろうっていう期待を胸にそういう風に決断を し、海内に行ったら金山も最初は大変心配しながらうん。それは良くないって言われましたけども さらに、ま、もうちょここいい説得をして残ったと そういうまあ経緯がありますね。うん。 あの馳池さんがあの北朝鮮で枕暮らしをされていた時の様子っていうのを伺いたいんですが はい。 つまり北朝鮮って私たちも本当にどういうところなのか、ま、未知の国というような感じがしていまして、その中で拉チをされて生活をされた。 これまず、ま、ずっと監視家であったわけですよね。 えっとですね、こういうことなんですね。ま、後でお話が出るかもしれませんが、私からが拉致あのされた目的というとのがですね。 [音楽] はい。 え、私の考えではもう北朝鮮において秘密交工交作院として、え、要請をして、 ま、将来利用しようという意図だったと。 うん。 ということは我々は秘密工作品という扱いもちろんそこまでは行ってないとしてもその候補者みたいな感じで とするとこの北朝鮮社会ではまずそういう秘密要因であるという条件での生活環境が与えられるわけですよ。つまり外部から確されてる。 しかも我々は日本から拉チをしてきたのは旗めに触れてはいけないし、 逃げないように投しなきゃいけない。だから我々は 2030 の監視のもでうん。生活せざるを得なかった。 うん。 ていうことですね。はい。 その時のなんていうか気持ちなんですけれども、あの先日池さんのドラマも私も拝見しましたけれども、あの中でつまり北朝鮮での生活、その中で、え、ゆ池ゆさんを拉致した人物とのやり取りがあったりすると うん、 なんて言うんですか、そこでの生活と日本に戻るその強い思いを持ち続けられたのかどうかとかなんかその辺り非常に気になったんですがうん。 どういう心情だったっていうのは そうですね。 だから、あの、帰りたいって気持ちをえずありましたね。 ただ、ま、あの、これは最初からの思いなんですけども、このは犯罪大変、ま、残酷な犯罪、つまりチというものがですね。 はい。 で、北朝鮮がそういう犯罪を貸しながら連れてきたのに、じゃあ我々を解放する可能性はあるのかとか、 ま、冷静に考えた時に ないだろうなと。 そうですね。 しかも北朝鮮という国家体制を知れば知るほど絶対にこういうものを表に出すことはないだろうし結果は日本には知られないだろうし日本に変えるようなことは難しいんじゃないかっていう思いはどんどんどんどん強くなって 強くなっていか で一方でま子供結婚して子供が生まれるとまるべきものができるわけですよね。 はい。 ま、そういうものの中であまり借りたいって思うことで影響を与えたりうん。なんか危険な目にあったりするのも非常に省かれるっていうか、ま、そういう状況の中で自然と [音楽] うん。ま、この体制で順能しながら生きていくしかないのかなっていう思いにはなってきました。 ただどこかにはあったんです。 やっぱり日本っていう思いがあったというところですね。 うん。 あとその中であの日本拉被害者の方々との交流というのが生活の中であったという風にこの本の中でも書かれていましたが、ま、横田恵さんを始めそういった方々とどういうやり取りがあったんでしょうかね。 そうですね。 ま、そもそも、あの、彼らは致被害者を工作員、秘密工作員という形で連れてったもんですから、 [音楽] 秘密工作員っていうのは単独で、ま、教育をして育て上げないとお互いに秘密を知り合う、共有し合う人間が多い、多ければ多いほど危険なわけですよね。工作員っていうのは。 そういうことですから、ま、分散してくらすようになってた。つまり私もか内も当時はもう別々にされていたわけですね。 はい。ま、そういった中で、ま、だんだん こう後でお話すると思いますけど、目的が 変わってきた中で、え、千村さんと、一緒 に暮らす、う、地域を時期もあれば結婚さ れて家は別々なんですけど、同じ地域で 暮らす時期もあったし、その時には横組 さんもいらっしゃ、ま、5人が一緒に同じ 地区で暮らしたっていう時期が67 年ぐらい続いたっていうのはありましたね。 うん。そうすると、ま、あの、この本の中にもありましたけれども、横田さん、恵さんはこれ北朝鮮の主張では 1993 年の、ま、とある日に亡くなったんだという風に主張してるわけですけれども、 明らかにもう ハさんの実際、実生活からしてですね。 うん。 これ違うでしょう。 あ、違うわけです。 つまり北朝鮮側はそのいわゆる死亡確認書というもので病院が発行した正式の反抗の押された文書で、 え、93年3月13 日死亡って言われてたんですけども 明らかに我々は94年3月頃まで、 あ、隣同士で暮らしてと。 うん。だからこの一見を持ってしても 北朝鮮のこの今まだ安否の分からない方たちに対する主張というものが はい。 そうですね。北朝鮮が唯一亡くなったということの根拠として病院の証明書、反抗のされた病院 証明書を出してきたんですがそれが嘘だであるっていうことが明らかになったってことは全て彼らの言ってることの根拠がなくなったってことになりますね。 うん。ですね。 先ほどもご紹介しましたが、この春池さん は自身の体験と地見から拉致問題を 振り返る集体性とも言うべき著所日本人 拉致を発表されました。まずはこちらを ご覧ください。 8 年前池さんは報道ライブインサイドアウト の取材に対し一に前進しない拉致問題の 交渉について次のように嘆いていた。 なんでこんなに時間かからなきゃなんないんだと。日本政府がもちょっとこう努力が足りないのかなりかかるはずないだろうなっていう思いですよね。 そしてこの時さんは北朝鮮が2002年に 発表した拉致被害者8人が死亡したとする 報告を否定し、北朝鮮が洪水で流されたと して被害者の異骨の提出を拒んだことに 対しこう反論した。 つまり周りから見られないように結構林が うとしたところに配置されてます。 そこで流れるていう可能性はゼロです。それは何を見せるか生きてるというか可能性が高い。拉致被害者は厳重な監視に置かれており、異骨は洪水で流されたという北朝鮮の分は矛盾していると主張した。 [音楽] [音楽] 八池さんは著日本人拉致の中で北朝鮮の 拉致作戦についてとにかくまずはさって こいという拉致ありの計画だった。その 根底には独裁者の歪んだ前脳感があったと いう見解を示している。 さんから見て北朝鮮の目的は何だったのか 。そして拉チから得られた大将とは。 北朝鮮がですね、もう次々と行ってきた この拉致についてご自身の体験に基づい て池さんは明確な国家戦略は実はなかった んではないかという風に指摘されてるわけ ですけれども、さんは、ま、その北朝鮮で の生活の中でですね、その工作員としての 教育を、ま、無理やり施されてきたわけ ですけれども、具体的にはどういうことを 、どんな風に 当てわれたんでしょう。 えっとですね、我々がまずあのカップルでラッチされましたけども はい。一旦早々行く段階からすでに 2 人別々にされまして、その後私はあの数ヶ月後に村さんと 2 人、それから、え、うちの内はあの、ま、本み子さんと 2人、つまり同性 2人ずつにしたっていうことはですね、 2 人をペアにして政治軍事大学というスっぱい妖精学校に入れると いう 段階、準備段階だったんですね。 つまりそういう風に工作園への教育を受けさせようとしている段階に、ま、ちょっと色々だ、え、他の拉致被害者の [音楽] 脱出事件等があって、それは中止はされるわけなんです。 ただ当初の目的は明らかに工作員として自分たちの思想のを教え込めばあ自分たちの言う通りに動くよう になるという自信があったようですね。過ですよね。 え、ま、そういう中で、え、世界各国から はい。 え、若い女性を中心に、え、連れ去られていったと。 うん。うん。かなりの数だと思います。 うん。 それは、ま、工作員というとした目的の音で、 ま、連れていったんですが、ま、交作なんてそう簡単になれるもんでもないし、え、案の上そういう風ないろんな事件が起きて、え、放棄してしまうわけですね。 はい。はい。 そもそもがそういった曖昧な形で始まったものなのかなと。 うん。 そこにはやはり、え、トップの考えがあって、 え、で、そのトップの考えが変わったことによって、我々は工作員候補から外された、 ま、いわゆる工作員にならずに住んだと いうことが言えるのかなという風に思いますね。 うん。最初はとにかくその工作員として、ま、つまり、まあ、日本をはめとする各国への工作をやる要因としての期待をおそらく背負わされた。 [音楽] はい。はい。 で、それがうくかない。それ当たり前ですよね。祖国に対すると思います。 で、それはそうなった段階で今度はじゃあ次こうしましょうって言ったのがここにも書いてありましたけども語学の教育という そうですね。それはやはりこういう風に見られるわけですね。 あの、これはあの、大国爆事件犯人の金に さんの話なんですけども、いわゆるその外国人工作員が使えないという段階で即座にじゃあ国内の若い人を呼び込んで工作員に育てあげよう。 国内で要請しようと。 要請しよう。国際人で はい。 で、そういった中で大空級に務に犯人とかが、ま、選ばれたわけなんですが、そういう人たちが入ってた時にじゃあ語学教育は誰が担当させるか、 ま、こっちもいるけどため食わせてくのもったいないっていうかうん。ちょっと悔しいじゃないかということだったと思うんですね。 それで我々のところに、ま、そういうこう工作員、ま、男性もいるか、女性もいますが、来て、こ、我々がそれを教えると、 そういう風に繋がっていくものと私は考えております。 [音楽] あの、日本人から拉致された人たちが、ま、若い男女で女性も多かったと聞くんですけれども、それは何か意味があったんですか? はい。 やはり女性工作員というものが実は北朝鮮ではですね、意外に女性の秘密工作員が活躍をしていると [音楽] うん。 いうことなんですね。60年、70 年代でも韓国で、え、有名な工作員の女性で映画館にもされてますし うん。 そういったことを考えてやはりこう女性をお工作員に育てあげて [音楽] うん。 うん。要所要所大事なところに、え、送り込もうっていう思いはあったんだと思いますが、 ま、それが失敗に終わったということでしょうね。 うん。 で、その後は今度は、ま、工作員でもなく、ま、あるいはその学教育の はい。 のかかりからまた 違う役割を与えられるわけです。 そうですね。 あの、ま、日本語教育させられていたわけなんですけども、 1987年の11 月に大航空機爆事件が起きて、 その犯人の口から日本人拉致被害者から日本語ったって、ま、田口子さんのことなんですけども、 それが、ま、世界中に広まって大きな、まあ、ニュースになったと。ま、これを 当局は気にしたんでしょうね。 うん。 じゃあ同じようなことをやっていたら、また工作員がどこか行って捕まれば拉チー会社の話が出ていかねないという猶から、ま、我々はもう教育はストップと うん。 うん。だら、ま、じゃ、え、集団の中に入れてで、その集団の中での資料、資料使ったろな仕事をさせようっていうのが 88年89年あたりからうん。 うん。帰国までの間の仕事と、 あの、この時このキ士が教日をして、ま、事態が大きく動いたわけなんですが、 北朝鮮のこうした工作員が 話をするっていうのは これはどういう風に私たち理解したらいいという風に池さんは見てらっしゃいますか? うん。金の場合はですね、彼女は非常に、ま、同じ部署だんですよ。 [音楽] あったことはないですけども、すごくこう、ま、姿も美しい女性で、しかも相明で、え、成績もいいということで、非常に期待が高かった工作員思想的にも非常に堅実な女性って言われてたそうなんですが [音楽] はい。はい。 やはりその現実北朝鮮で教えられていた韓国とこが行ってみてみたとのあまりにもギャップにショックを受けたとていう話ですね。はい。 あ、 ま、それによって、え、や、教えられことは、ま、違いなんだっていう、そういうところから全てを話して、ま、いわゆる韓国で、え、まあ、その北朝鮮を、まの真実を伝える、そういう、立場に変わったということですね。 この池さんがこの 1 冊をまとめるにあたって、ま、様々なことを、ま、書物にも目を通され、それから経験の記憶を呼び覚ましながらこう、あの、綴られたという風にこう書いてあるんですけども、 本当に改めてこれ読んでみると先ほどおっしゃったその役自らに与えられた役割のこの変線遷などを見ても はい。 一環性というかですね。何のために拉致をして何をさせようとどんな目的だったのかってのが多池さんの分析ではこれはいかにも後付けというか うん。ま、完全な後付けではないかもしれませんけども、つまり先の先まで考えての拉チではなかったような気がするんですよ。 とにかく、ま、こういう目的で利用するからさん連れ込めということでラチを行った。はい。 やってみたら、ま、少なくてもすね、誰か脱走する、脱出するっていうのは想像できる範囲内のことなのにも関わらず、ま、行ってそれが起きたらもう一気にこう、ま、も、その仕様、我々の用途って言いますかねを変えてしまう。そういうのを見るとなんか長期的な視野に立ったその工作ではなかった。 うん。 でもとにかく連れてきたことで評価はされる。 ああ。 日本人なり外国人を無事拉致によって連れ込んだ。これこれだけでもまあ成果として評価されるっていう部分からするとまず拉チっていう風にも言えなくはないなって言えるわけ。そのままずラチありって言って言われてもですよ。 その本当のその日いやもう被害者はご本人の身からすればですよね。この歪んだ善脳感っていうあの独裁者の歪んだ善脳感のやったことなんだ。そこがまず発端なんだ。うん。 前脳感っていうのはやっぱりものすごくあの国にいて拘速されていたらばですよ。その重みってのはもう必死と感じるわけじゃないですか?そこはどうだったんですか? そうですね。私は北朝鮮にいる家庭におい てですね、やはりう、上からの指示によっ て拉致されたもんですから、変なあ、 結果にしたくないわけですよ。だからあの 丁寧に扱われたのは事実ですし、また我々 をもう成果がなくても頑張ってるみたいな ことで報告をしたりちゅうのは感じました 。うん。 それは言われてみれば我々にとっては非常に重にはなりますよね。 うん。うん。うん。 で、脳感っていうことから言いますと、 え、あの、 金ジョン委員長はですね、映画が大変好きで、しかし北朝鮮の映画のレベルが低いことですごくこう悩んでいて、それを解消するために、ま、韓国人の映画監督とその、ま、元夫婦さん、夫婦なんですけども、俳優さん、女優さんを拉致チ致したっていうのを見 [音楽] もうあ、なんかやりたいことがあれば うん。 やってしまう人なんだなっていうのは感じますね。 もうとんでもないことですよね。高校の いや、じゃそれで結果としてですよ。じゃあ北朝鮮が何を得たのかって話ですよね。目的もよくま、変遷していくし、 ま、あの実態としてじゃあその工作員うん。 うん。 ま、北朝鮮が勝手に期待したその成果なるものを あの東の皆さんがですね、ま、上げることも、ま、なかったということになると北朝鮮は一体 この一連のこの事件で何を得たのかって話になりますよね。 いや、私はもうマイナスしか得たものはなかったんじゃないかなと。 [音楽] まずはその最初がですね、やっぱりレバノン人たちの脱出による大きなせ国際的な避難を受けたっていうことから始まって、 ま、拉チがあ、ま、出れば出るほどですね。避難される。 うん。 で、我々の利用価値っていうのはどんどんくなっていく。ま、言ってみればプラスマイナスしてもはかにマイナスの方が大きかったし、それは今もその悪影響ってのは続いてぞ。 日本との国交成正常化できないっていうのも結局はラ拉チっていうのが大きな理由になってますのでうん。 やっぱりうん。先を見通せない非常に愚っていうのは愚かな、 [音楽] あ、行動だったなと。 それもまだ所持されてないっていうのはさらに愚かな こ行為ですね。帰告させてないってことはそう思います。 さんたち5人の帰国から23年。拉致被害 者の帰国は未だ1人も実現していない。 一時は横田恵さんの娘運ぎょんさん一家と 横田しさん酒産負妻による面会の実現や 拉致被害者の最調査などを盛り込んだ ストックホルム合意為など事態が動きつつ あった時期もあったのだが 弾道ミサイル発射など繰り返される北朝鮮 による挑発行為に対し 必要なのは対話ではない。圧力なんです。 当時の安倍総理は圧力強化の姿勢を示した。以降全身のないまま拉致チ問題は最重要課題とする安倍政権の方針は 最重要政権の石政権へと引き継がれた。 拉致問題は私どもの内閣の最重要課題であります。 そして明日消集される国会で総理使命が有力しされている自民党高一総裁も安倍政権の方針を継承すると見られる。 [音楽] あらゆる手段を通じて全ての被害者ね、一括帰国に向けて審を注いでまたいと思います。 今拉致チ問題を前に進めるためには何が必要なのか。 改めて拉地から47年、帰国から23 年が経ちましたが、池さん、この拉致チ問題が一向に進まない現状どんな風に見てらっしゃいますか? え、ま、もちろんですね、あの、ラチ問題が 2002 年動いた時に比べますと、今状況は核問題であったり、非常に厳しい、またハードルが非常に高くなったってのは事実なんですが、 ま、そういった 中でやはり日本政府がいかにあるかによって打開していかざるを得ない。そういうことだと思うんです。だ結果的に 23 年、え、動いてないっていうことですので、その辺はうん、新政権本当に心していただいて動かして欲しいなっていう思う。 一方、我々も、ま、後押しって言いますか、世論を盛り上げるために、え、やることはたくさんあるなっていう風に自覚してます。 今、あの、VTR の中でもですね、ま、歴代の総理が、ま、初心表明などですね、必ずあの言及するこの拉致チ問題の解決、そして、え、皆さんの 1 日も早い帰告ということがありますけども、ま、高一新政権、明日いよいよ発足する見通しではありますけれども、どんなその期待を寄せるところですか? えっと、やはりですね、今どういう状況なのかっていうことを正確に把握していただ 期待、つまり2018年の 米長首脳会談が行われた頃とはまた違ったあ、状況であるわけで、そういう状況に合わせた、ま、その戦略戦術というものをしっかりと立ち上げる、立ててですね、進めていただきたい要は私は 3つの要素しかないと思ってましてはい。 1つはその 圧力をかけるという意味で、ま、時間が ないということですね。ま、日本が時間が ないだけじゃなくて、北朝鮮もその横田組 さん、菅さん合わせることによって北朝鮮 に対する、ま、態度も変わるわけですよ。 はい。そういった意味では北朝鮮にも時間 がない。 今やるしかないっていうことでプレッシャーをかける一方でラチ会社を全員返すという条件で日本は何ができるか もっとこう北の意図を知るもそのためにはルートを通じて北の糸を知る必要もあるでしょうしそういった地密なまそのあとそれから決断が政府には求められるも一方でやっぱりアメリカっていう国朝鮮核の問題各保有国と して認められたいということでアメリカに目が向いていますので我々がアメリカと いわゆるそのうん合わせてですね、調整え政策においては寸分のその違いもないようにして うん。 北朝鮮が北アメリカを動かすには日本に対しても気を使わなきゃならないようにつまり日本の存在感をがま無視できないようにする必要があるのかなと。 うん。 3 つ目はやっぱり国民もその時間がないっていうことを、え、やはり、え、形で、え、メディアを通してでも北朝鮮にメッセージを送ってるということは北朝鮮は長期戦に入ってるかもしれませんけども、 あ、このままじゃ日本ではチ問題が風化することはない。 うん。 なら、まあ、今やるしかないっていう風に思わすことができる うん。 ということだと私は思います。 今くいくつかのこの3 つの観点っていうお話ありましたけれども、もう 1 個が観点になるのかどうかこの町所の中にですね、ま、さっきもあの紹介されましたけど、あの日本に戻ったらそのまま日本で暮らすべきだよっていう言葉があった。それから、ま、この何箇所かにですね、 本当にあの、ま、佐池さんがこの拘速されてる中での接点ですので、それを一般の姿勢の人々と言っていいかどうかは分かりませんがうん。うん。 ま、ヒエラルキーの中ではかなり下の方の 仮想の人たちとのやり取りの中でですね、 その北朝鮮のその知り合った人々のその 教遇に関してもですね、その同場的な目線 がこう伺える記述ってのが何かこうあった わけですけれども、初さんがその感じられ たその、ま、人々の、ま、ある種のうん、 人の心と言いましょうかですね。 あの、そういったものに何かこう働きかけるようなこと、これは拉致問題の解決に向けたヒントにはどうでしょう?なるものでしょうか?北の人たち、ま、あの、普通の方々、一般の方々と申し申し上げるとすると、そういう方々は全く子供家族のことを思い、え、そしてその自分の生活を思いという意味で、 [音楽] ええ、 普通の本当に日 日本人の普通の人と変わらない。だから私は北朝鮮という国はチをした上層部、またチ被害者を返さない上層部と国民とは別っこに考えてます。 うん。 ま、同じに見ることはできません。 だからこういう一般の人たちがいるってことは是非皆さんには知っていただきたいし、我々の運動もそういう意味でそういう人たちは、あ、最終的にはですね。うん。 [音楽] ま、色々ありますが、指示はしてくれる人たちだと思ってます。 [音楽] うん。うん。 ま、だからそういう人たちの立場っていうのは我々尊重しなきゃいけないし、 ええ、 その上でやっぱり北朝鮮の指導部に対して強いメージを送って考えを変えてもらう、変えさせていく。うん。 うん。 これが、ま、重要なのかなとは思いますね。 うん。 この拉致問題ね、若い世代に伝えていく ことが本当に重要なことなんですけれども 、ま、さんは大学でも共弁長く取って おられてですから、ま、私なんかより若い 世代の皆さんと接点多く持ってらっしゃっ たと思うんですが、ご自身の経験からです ね、何かこう若い人たちに深く伝えるため のヒントやコツというものはどんなことが あると思いますか?そうですね、私は、ま 、あの、 中学校等でも講演しますけども は やはりこの拉致問題の本質と言いますか、拉致の目的から始まって分かりやすく伝えるっていうのは非常に重要だなと。 1つの事件として、また1 つの歴史として正確に知っていただく感情を伝えるだけじゃなくて、 ええ、 と同時にですね、北朝鮮による拉致問題っていうのは、ま、若い人たちにとっても他人事ではないっていうことで、それは拉致されるとかそういう話じゃなくてうん。 あの、核の問題も日本国民には将来にわって重要なです。だから拉致チ問題を解決をして日関係改善してく。それを将来につがっていく。そういう意味では若い人たちにとっても非常に重要な問題であるということですね。ですから、私は一方で北朝鮮っていうがその拉問題は長期戦に出てきてるような気がして時間を伸ばそう、伸ばそう。 そうすれば風するだろうっていう考えがある中で若い人にも我々こうやって啓発をして若い人たちも受け入れてくれてんだよ。 だから今やるしかないんですよっていうことを伝えたいていうのは非常にま、若い人たちにも直接そのように お願いしてます。 あの、私からは拉致問題と報道という点についてちょっとお聞きしたいんですけれども、拉致問題ってこう事件が起きてからなかなか報道されるまでに時間がかかったりですとか本当の情報が何なのかっていうのがこう分からないような時期もあったかと思うんですけれども、馳池さんはこの日本の報道っていうのはどんな風にご覧になってますか? あの、やはり裏問題がここまで明るみに出たのはジャーナリストの方々の力が非常に大きかったと思います。 ただそれを広めることが非常に重要で拉致 問題を防ぐためにも必要だったし解決する ためにも必要だと思います。え、そのため にはあ、ある1時だけ、え、耐えず監視を 持って報道をしていただきたい。 また明日インサイドアウトがあります。 ありがとうございます。 ありがとうございます。 [音楽]

2002年10月15日は、北朝鮮による拉致被害者の蓮池薫さんら5人が帰国した日。それから23年、拉致問題は何らの進展を見ない状態で停滞したままの状態。蓮池薫さんは、新たな著書「日本人拉致」を出版。それは、拉致問題の”風化”への危機感からだった。拉致被害者も、その家族も高齢化が進み、日本政府認定被害者の父母で生存しているのは、横田めぐみさんの母早紀恵さんただ一人となった。帰国から23年、拉致被害者としての経験を経て大学で教壇に立つ様になった蓮池さん。「様々な資料に当る中で、拉致問題の全容が理解できる様になったのは、最近のこと」と語る。「まずはさらえ」という杜撰で人権無視の国家的犯罪。北朝鮮で工作員教育を強制された生々しい経験を踏まえ「拉致は完全に失敗だった」と断言。また横田めぐみさんなど被害者たちとの生活ぶりや今も残る拘束下の人々の暮らしを想像する。
ゲストは拉致被害者の蓮池薫さん。体験者ならではの生々しい証言を交えて、今改めて、北朝鮮拉致の犯罪性とその解決の道を探る。

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4 Comments

  1. 拉致された方々のご家族の悲しみ。返して欲しい。同じ日本人として、とても苦しんでます。特にめぐみさんは私の1つ年上。中学生として青春を謳歌出来た人生を返して欲しい。たまらなく涙が出ます。

  2. 北朝鮮🇰🇵は中国と同じで人質政策を取る国。それがどれだけ人権を無視してるか?認めたなら、全員返すべき!!何も考えず暮らしていた学生の頃の自分が許せないんです!!

  3. これは、日本の教育の罪でも有る。赤軍派が北朝鮮に亡命した時、何を教えて来たのか?歪曲教育日教組の罪も重い。あんな乱暴者を生み出したのだから。亡命した者が日本の事を教え、それが活かされた。日本全体で考えないといけない。犯罪者に責任を取らせ、絶対に全員を取り戻す気概で、国民一体となって、助ける術を考えるべき。

  4. 日本人に危害を加える犯罪国家なのに、信頼関係とか北朝鮮の国民のためとかなに言ってんだ?犯罪国に関係改善もあったもんじゃないだろ
    マジで日本の報道とは思えんな

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