ダイアン・キートンがUS版『VOGUE』に登場したのは1970年代。『スリーパー』(1973)や『ゴッドファーザー』(1972)での彼女のパフォーマンスが高く評価されたのが最初だったが、彼女が「アメリカ映画界の女性スーパースペシャルスター」として大々的に取り上げられたのは、『アニー・ホール』(1977)と『ミスター・グッドバーを探して』(1977)が公開された後のことだった。
US版『VOGUE』は1977年12月号で彼女をアカデミー賞の主演女優候補にふさわしい俳優として紹介していたが、その予想は的中した。キートンは1978年の授賞式で、ジョルジオ アルマーニ(GIORGIO ARMANI)のルックに身を包み、襟もとに淡いピンクのブローチをつけて受賞者スピーチをした。
彼女はリッツォーリ社から出版した自著『Fashion First』のなかで、このルックについて次のように振り返っている。「ジョルジオは、私のブレザーとレイヤースタイルへの愛を称えつつ、私がスカートが大好きだったことを思い出させてくれました。でも私が選んだソックスは、ちょっと80年代風すぎたかもしれません」
そのルックはもちろん、『アニー・ホール』で彼女が纏ったスタイルに呼応するもので、それは60年代後半に新しいファッションを求めていた女性たちの支持を集めた。そんなスタイルの鍵となったのは、ヴィンテージだ。映画の衣装デザイナー、ルース・モーリーは、US版『VOGUE』の1978年8月号で「『アニー・ホール』のスタイルが登場する以前から、古着屋の服の人気は巷に広まっていた」と述べている。
キートン自身もまた、60年代初頭からリサイクルショップのグッドウィルに通い、10代の頃はLAの支店を「サンクチュアリ」と呼んでいたという。彼女は自著『Fashion First』で「母は妹のドリーと私に、最高のものを探し出し、必要であればリメイクすることを教えてくれた」と当時を振り返っている。「誰かのいらないものが、私たちの完璧な宝物になったんですよね。家に帰ると、(買った服で)コーデを考えながら、いつまたグッドウィルに行こうかと話したものです」。彼女独自のファッションセンスは、この頃から磨かれていたのだろう。
2025年10月11日(現地時間)にこの世を去ったキートンを偲び、彼女が歩んだスタイリッシュな人生を写真で振り返りたい。
