徹子の部屋 内容:「31歳で金メダル!競技人生を支えた家族に感謝」出演:小平奈緒

さあ、最後のカーブを回ってエルバルはも悪くない。リードしっかりタイムは古代ラス [拍手] [音楽] 36秒9オリンピックレコード。う わ、スピードスケートのレジアンド小田さんがお客様です。どうぞ。こちらによしてくださいました。これはないです。 [音楽] どうも。あの 4 度のオリンピックにご必要になって、去年現役だったそうですけども、ま、とにかく金メダル取りになっておめでとうございます。 ありがとうございます。 で、現在は弾学の特人協調してらっしゃる。でも随分若く見えるからちょっと先生じゃ見えないでしょ。 そうですね。心配のあの教授ですけど、あの頑張って学生たちと学びを共にしてます。 そうですか。えっと、長野県出身の36歳 、日本女子スピードスケート市場初の5輪 金メダリスト。措置5輪の時は27歳でし たが、その時はメダルを逃したんですが、 噴気してぴょんちゃんの時は31歳で金を おになりました。え、その時の映像、 ぴょんちゃんのごの時の映像をちょっと見 ていただきます。 ラデちょっと少しときましたが [拍手] さの100です。ここからです。 100の通過 すごい。10 秒26 行けます。これ大丈夫です。 エルバ早いタムです。さあ、バックスレート伸びている。低い。 大きなスケーティングです。伸びるスケーティング。 大きいカーブに入っていく日本のこさあ、最後のカーブを回ってエルバルはも悪くないリード。 [拍手] [音楽] あ、すごい。はしっかり。 ああ、は古代ラス 36秒9オリンピックレコード。 おめでとうございました。素敵。 青時どんな感じでしたか? そうですね。 あの、それまで世界でを重ねていたんですけれども、あの、負けていなくて、ここで負けたらどうしようっていう気持ちも少し持ちながら、ただ、あの、自分のベストを尽くせたので、あの、すごく、あの、集中が全部そこに注がれたオリンピックだったなっていう風に思います。あ、 よかった。 このスピードスケットっていうのはどういう競技なんですか? えっと、そうですね、あの、名前の通り、あの、ま、この道具を使うんですけど、あの、スケートで、あの、 400m のスケートリンクをどれだけ早く滑れるかっていう競技になります。 で、あの、ま、フィギュアスケートと違って、フィギュアスケートは大体スケートの刃が 3mmから4mm あるんですけど、スピードスケートっていうのはこの 1mmの歯の上に乗ってみたい はい。あの、スピードを出します。 すごい。 はい。 あとはそうですね、あとはこういったユニフォームあの風の抵抗が少なくなるようにこんな感じのユニフォームを ぎゅギゅっとです。 あのすごく生地も薄くて空気が極力少なくなるようにあのカッティングとかもされていて もうピチピチです やっています。はい。 すごい。 もう終わった後朝でびしょびしょ。 あ、そうですね。あ、結構汗が来ますけど、あの、屋外で滑る時は寒いですね、これ。 1枚だとやっぱり 外だとね。 はい。 そうです。 そうなんです。 はい。 どうもありがとうございましたと。持ってきていただいて。 はい。 滑る時にはどこに 1番力を入れる? そうですね。ま、全身ですね。あの、 うん。 ま、私た、あの、選手がこう氷に力を伝えるっていう方も大事なんですけど、うまく力を使え、伝えると氷から力が帰ってくるっていう両方のこう力の関係でうまくこう推進力につがってるんですよね。 うん。どんなところが魅力ですか?やってらって。 そうですね。やっぱり自分の足で時速約 60km ぐらい、あの、車と同じぐらいのスピードで滑れるっていうところがあの、スピードスケートの魅力かなっていう風に思います。 相当早いですよね。 そうですね。 去年10 月に現役を引退なさいましたけど生活に変化はあります? そうですね。現役時代はやっぱりドーピング検査っていうのがあったので居所情報毎日この 1 時間はここにいますよっていう居所情報を出さなくてはいけなくてその 1 時間枠を結構朝にしていたことが多かったんですけど はえ あのま突然来るんですねって えいきなり来るの いきなり来るんです。いきなり来るんで、 あの、こうやっぱりそのドーピング検査を 受けることっていうのはアスリートの責務 なので、それを必ず受けなきゃいけないっ ていうどっか意識があるんでしょうね。 あの、朝そのドーピング検査が来ていない のに空耳でピンポンっていう風になってる ような気がして起きちゃうことが何度も あったんですけど、現凶を終えてその心配 がなくなったのでうん。あの、朝 起きる時間までちゃんとなりました。 っていうゆっくりしてるですよ。 そうですね。 なるほどね。もう夜更かしも朝坊も好きなだけっていう感じ。今は いやでもあのしっかり体調を整えてお仕事しなければならないので。 あ、そう。 それはしっかりあの管理しています。 そうです。 はい。 でもあのお食事に気を使わなくて今はいい。 あ、そうですね。 アスリートの時は食材をこう選んでいたんですけれども、それがあの、ま、好きに好きなように食べられるようにはなったんですけど、ただあの体調がそれで崩れてしまっては本末店倒なので あ、 はい。あの、時々こう現役時代に食べたかった例えばお焼きだとかあの、そういうものを頂いています。はい。 うん。 現役の時はそういじれなかった。 そうですね。 あの、パンとかそういうものを、あの、あまり食べないようにしていて、パンをさ、 1 番最初に食べた時に、あの、咀嚼感覚が分からなくて、あの、パンを、パンがふわふわなので思いっきりほっぺタの内側を噛んでしまったことがありました。 あら、かわいそう。 あ、そう。 はい。 でもやっぱり美味しかったですか? 美味しかったですね。はい。 インターナシャルって言った時にご家族はどんな風におっしゃいました? そうですね。あの小さな頃からやっぱり両親共にあの自分の進む道は自分で決めなさいっていう風にあの言われてきたので あの特に反対されることもなく あの最後までしっかりやりきって次のステージに移れるといいねっていう風に背中をあの押してくれましたよ。 はい。 あの、引退を決意なさった時はどんなんでした? そうですね、ここまで長くやってきたので少し寂しさも感じたんですけれども、でもあの、次の人生をやっぱりスケートだけで終わらせたくないっていう気持ちがあったので、あの、人生彩取り豊かに生きていきたいなって思った時に、あ、今この次のステップに進もうっていう強い気持ちを持ってました。 なるほどね。 でもどっかこうあの体が自由になったような感じはありませんでした。そうですね。ただスケートもすごく面白くてここまで続けてきたので、あの燃い尽きるってことはなくて むしろはあのこのワクワクした気持ちを次のステージで生かしたいなっていう風に思って やってきました。はい。 3 姉妹の末で はい。3歳からスケットお始めになった。 はい。 初めの頃はどんな感じでしたか? 初めの時はあの姉が 2人いて4歳と5 歳離れているんですけどあのそうですね。 可愛い。 あの、ま、姉たちが最初にスケートクラブ に入っていて、で、年が離れているので、 あの、1番年下のを家に1人で置いて湧く わけにはないって考えた両親が、あの、 スケートを履かせてスケートリンクに置い ておけば遠くにはないだろう が、え、はい。きっかけでした。で、その 履いてみてそこったりして転んだりだろ あるけど、それをどんなでした?やらそう ですね。 あの、周りでビュンビュンビュンビュンかっこよく滑ってるお兄さんとかお姉さんたちがいたので、あ、私も早くああいう風に滑りたいなっていう気持ちでやってました。 そう。じゃ、やっぱりそのちっちゃい時からでもあの靴履いたらやっぱりちょっと滑ってみようって思う。 そうですね。 あ、すごい。 もう遊びから始まりましたね。 そうですか。 でもね、すごいわね。後、何歳ぐらいから本式に そうです やるようになりました。1 番最初に出た大会は保育園だったんです。 保育園のエンジのぶ100m っていうのに最初に出たんですけど。 ええ、これ上がった。 そうです。1番上にいるんですけど、 あのゴールの先にペロペロキャンディを持ったあの役の人が立っていてで 1 番にゴールをすれば好きな味のペロペロキャンディが選べるよっていうことで頑張って滑って 1番取ったんですけどうん。 あの普段家では3 姉妹の滑っこなので好きな味の雨を選べなかったんですよね。 だからスケートで頑張れば好きな味のペロペロキャンディが選べるっていうことで。 で、この時は好きな味選べました。ました。 何選んだの? えっと、青りんゴだったと思うんですけど。 そう。 はい。はい。黄緑色の雨でした。 あ、そうですか。でも良かったです。 はい。 あの、幼少期のスケット滑ってらっしゃる映像がありますので、ちょっとご覧ください。 はい。 わ、何歳? これでも3、3 歳。 そのぐらいでしたね。3 歳ぐらいだと思います。 あら、 頑張ってますね。 すごい頑張ってる。頑張ってる。 これは小学校に入ってからですね。 あ、そう。 はい。 コーナー切ってますね。 ちょっと大きくなりました。 私も多分初めてか久しぶりに見ましたね。はい。 [音楽] どんな子供だったの?あの頃は? ああ、小さな頃はとにかく恥ずかしがり屋でしたね。 うん。 あの、本当に人と話すのがとても苦手でこんなにあの、哲子さんとお話できるタイプではなかったんですけれども、 あの、いろんな人に関わっていただいて、あの、自分の意見をはっきり言えるようになりました。 残そうですか。 本格的に練習を始めたのは何歳ぐらい? そうですね、小学生の時は本格的なコーチにはついてなかったので、中学校ぐらいでからですかね。 あ、そうですか。 はい。でもお父様がそうやってあのお送り迎いしてくださったの? そうですね。 父があの小学校の時はコーチの代わりをしていて、あの大会があったりすると送り迎いしてその時に ま、お金が純宅にあったわけではないので高速道路を使った記憶がないんです。 あ、 で毎回こう下道を走って道 であの父がある時ガソリンスタンドに入ってガソリンを入れ終わった時にあのなおダッシュボードのところにノートがあるから今から言う数字を書いてっていう風に言うんです。 そうすると、あの、ま、走行距離とどれだけガソリンが入って、どれだけ、え、お金がかかったかっていうのをそのノートに書くっていうのが私の役目だったんですね。 うん。 で、ま、父とか母はあの、お金がかかってるんだから頑張んなさいっていうことは言わないで、あの、関節的に、あの、あなたを支えているよっていうことを気づかせてくれたのが、あの、父だったかなっていう風に思います。 はい。 そう。あ、これはみんなで3 人兄弟とご両親とね。 でもお母様はリンクで仕事をしてらっしゃんで。 そう。あ、そうですね。母はあのスケートリンクの受付でパートをしていて、受付からリンクをこう覗いて、あ、なおが滑っているなっていうような感じで はい。見守ってくれてました。 でもお母様はダメっていう言葉はなく使わないようにしてらしたんですね。 あ、そうなんです。あの、ある時私が小学校の大会で表彰台に登れなかった時があったんですね。 で、あの、やっぱり表彰台に常に登ってい られるように頑張っていたので、すごく 悔しくて表彰式に行かなかったことがあっ たんです。で、その時に母が あの表彰式を準備してくれている役員の人 たちだったりだとか、あとは表彰式を待っ ているあの競い合った仲間たちの気持ちが 想像できないのに叱ってくれたんです。 その表彰式行かなきゃダめじゃないじゃなくて人の気持ちを考えなさいっていうことをあの言ってくれてそれが本当に私が 1 番初めにこう人の気持ちを想像するってどういうことなのかっていうのをあの学んだきっかけになりました。 なるほどね。 はい。 なかなか人の気持ちをそこまで思えないものね、普通はね。 そうですね。 自分が悔しいから表彰式に行かないっていう風になっちゃうんじゃなくて、 あの、自分の周りの人たちはどうなのかなっていうところを、あの、考えるっていうきっかけになりましたね。はい。 じゃあ、金メダル踊りになった時は家族はどうでした? そうですね、あの、実は金メダルを取ってメダルを見せられたのが、あの、いろんなところへ挨拶周りに行った 1番最後だったんだ。 あ、そうなの?1 番最初にメダルを首にかけてあげられなかったんですよね。 でかけてあげたんです。そしたらあの本当に 3月か4 月に入ってからなんですけどオリンピック自体は 2月にあって うん。 で、最後にあの、ま、メダルかけてあげるの 1 番最後になっちゃってごめんねって言ったら家族なんて最後でいいのよって言ってくれて あら。 はい。 そう。 はい。それが本当の家族だなっていう風に思いましたね。 はい。 そうでもお優しいわね。 はい。 そうですか。 はい。 でもそういう白立てがあったので。 そうですね。いつもこう信じて見守ってくれていたっていうのが家族だったのかなっていう風に思います。 なるほどね。はい。 現在は講会を週に 23回やってらっしゃるそうですけど、 あの、運動は何かしてらっしゃいます? 運動は1日やっぱり30 分はしっかり汗を書くような運動を取り入れたいと思って、それは毎日続けてます。 例えばどんなの? 例えばあの、室内で自転車を超えだりだとか、あの、今ちょうど自転車を点検中っていうのもありまして、 あの、外にランニングしにしてます。 あ、そう。あ、すごい。 あ、そうなんです。 現役中はこうやって自転車であの坂をかけ上がったりするトレーニングをかなりたくさんやってました。 これ随分もやなのんとこ痛いでしょ、これ。 そうですね。痛いです ね。 はい。 なんか現役時代のトレーニングの映像があるそうですのでちょっと見せていただきます。 これはなった。 そうです。はい。 うわあ。 辛そう。 ここは大体表mちょっとあるところなので。 1000m はい。 すごい。 普通に走らないでスケットの格好で走るので なるほどね。 かなりきついです。 でも疲れてないふりしてます。 あ、そうなん。 はい。 でも辛い練習ニコニコするタイプだったんです。 でもあ、そうなの?わざと。 はい。 ニコニコしながらするっていうのは相当大変でしょ。 え、でもその方があの自分が追い込まれないんですよね。 あ、そうなの? やっぱり自分で前向きに追い込んでトレーニングしたいて思った時にやっぱり自分がワクワクしてやらないと うん。 あの、その先にこうスケットに繋がってるんだっていう気持ちを載せられないので。 あ、そう。 はい。常にこうニコニコしてましたね。ま、スケートを通していろんなことを学んだそうですけど はい。やっぱりこう自分の体を知ること だったり、スケティング技術のことに知る ことだったり、あの、知るを楽しむって いうことに、あの、私はすごく興味を持っ てやってこれたので、それがやっぱり現役 をこう長く続けられた理由になったのか なっていう風に思います。 あの、措置5輪では表彰台に届かなかった 。その後オランダで2 年間練習なったそうですけどは その時はどんな気持ちでした? そうですね。あのその時はもう競技力を向上させようと思ってオランダに行ったのではなくてあのせっかくスケートやってるんだったらあのスケートが文化として寝付いている国で暮らしてみたいってまず思ったんです。 あ、そう。 それで行ってみて、あの、いつも日本でやってた時の環境とガラっと変わったので、あの、ま、そこに 1 人でな何とかしなきゃいけないっていう状況に身を置いたことで、自分という人間が育っていったような気がします。 [音楽] あ、そう。 はい。 良かったね、随分ね。 そうですね。 あの、合わない食材とかがやっぱりあったんですけど、あの、行ってみてこう自分でこうなんとか前に進まなきゃあの言葉もそうだったんです。オランダゴ そうですよね。 はい。あの、オランダ人は英語とても得意なんですけど、やっぱり母国語がオランダ語なので暮らしているとそのオランダ語が雑音にしか聞こえないっていう状況がとってもストレスで はい。で、最初は行って約 6 ヶ月ぐらいでオランダ大体理解できるようになりましました。はい。 そう。すごい。 ただあのオランダ子語が分かってもオランダ子が喋れない。その言葉が出てこないっていう時があったんです。 あ、そう。 なんでかって言うと、あの、私の中に意見がなかったっていうのがあるんですね。 そう。 やっぱり日本で暮らしていると何でもかんでもこう指示されることに対して答えるっていうことが多かったんですけど、やっぱりなおはどうしたいって言われた時に 私はどうしたい、私はこういう未来を描きたいっていうところを言葉にできなかったんです。言葉は分かるんですけど、自分の意見をこう意見を 言い出せなくて、それがもう自分の中でショックで、 あ、そう。 はい。 そこからあの自分はこうしたいっていう気持ちを育てていこうっていう風に思って自分を持てるようになっていきました。うん。なるほどね。 はい。 ご両親がオランダにいらしたこともあるんでして? あ、そうですね。1 年目にあの両親オランダに応援に来てくれて あうん。 で、ま、父は最初にオランダに行った時に 、あの、すぐメールを送れて、父の日送っ たんで、そのお礼にメールをくれて、あの 、そこに、あの、なお人生は神様がくれた 時間だから、あの、思う存分使えていう風 に書いてくれて、で、本当は1年で帰って くるつもりだったんです。はい。 でも父が、あの、そうやって言ってくれたので結局 2年間 聞くことができて、 あ、そう、 あの、2 年間本当に思う存分、あの、自分という人間と向き合うことができました。 うん。 はい。 今母の新州大学で特教授をしてらっしゃる。 はい。そうですね。 あの、事業をいくつか持たせていただいて、あの、現役時代からその地元のアイザー病院に所属をしていて病院の職員として活動している傍にこう母でのあの特人教授もやらせていただいています。はい。 生徒いっぱいいます。 そうですね。あの、学生たち、ま、いっぱいいて、あの、すごくうん、鍛えられてますね。 [笑い] そうでしょうね。はい。 でも生徒たはあなたがあいう風にすごい滑ったりなんかすごいの見るとすごいってみんな言うでしょ。 そうですね。あの事業が終わってからお手紙を書いてくれる子たちも ええ、 あの、ま、私の存在がその新州大学を選ぶきっかけになったっていう風に言ってくれる学生も あ、そう。 ああ、なんかこうやって人のこう人生に影響を与えられている影響を届けられているっていうのはなんかすごくいいなっていう風に思いましたね。 そうですよね。 はい。 大体どんなことを教えてしたの? 今はあのキャリア形成っていうあのどういう風に自分のキャリアを気づいていくかっていうところで私の経験からうん。 え、お話できることを伝えているんですけど、あの、来年度以降からは健康科学のあの、事業も担当するので、それもあの、勉強中です。 はい。 健康科学。 はい。 なるほどね。今後やってみたいことって何かあります? そうですね。 ま、私は結構あの、地元の人に支えられてここまで来たので、あの、地元の皆さんとこう関わり合いながら何かこう学びの場というか、学びをこう共有できる場所を作っていけるといいなっていう風に考えています。 [音楽] うん。あと自分で練習する時間もあります。 そうですね。あの、スケートはなかなかもう滑れなくなってしまったんですけど、あの、時間的に うん。 はい。 でもあの運動も続けていきたいなっていう風に たまにはやりたい。 はい。 でもたまけてやりたいと思う時あるでしょ。 そうですね。そういう時はスケートグッズ持ってリンクに行きたいなっていう風に思います。 そうですか。ま、それからウィンタースポーツに挑戦したいんですって。 そうですね。あのスキーとかもやってみたいなっていう風に思います。 どうもありがとうございました。 ありがとうございました。 哲コの部屋はテラサで過去の放送会を配信 中。無料見逃の逃した配信は [音楽]

徹子の部屋 動画 9月23日

内容:「31歳で金メダル!競技人生を支えた家族に感謝」

出演:小平奈緒

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