【「あの戦争」総括と国家観】いま日本に必要な総括 櫻井よしこ×辻田真佐憲2025/9/29放送<後編>

こちらの吹き出し見てみてもですね、石総理ですとか安倍本総理もあの戦争という風に発言をしているわけなんですね。辻田さんの著書のタイトルもあの戦争という風になってるわけです。あの戦争というものを具体的な名前にしなかったの。なんぜなんですでしょうか? これはすごい難しい問題で、ま、もう皆さんご存知の通りですね、当時日米対日米あの米戦争に関しては大東亜戦争という風に呼ばれていましたと。 で、日本が廃戦した後、GHQが乗り込ん でいて、公文書でこの大東亜戦争と言葉を 使うなということになってですね、ま、 代わりにアメリカ側の故障である太平洋 戦争というのが、ま、普及することになっ たわけなんですね。で、ただその太平洋 戦争という言い方に対してもまたいろんな 批判がある。1つはやはりアジアを忘れ てるという主張ですよね。実際多くの犠牲 が出たのはアジアだし、日本軍も大量に アジアに行っていたわけです。ですから 太平洋戦争って言ってしまうと、あかも海 の上でアメリカと日本が海軍だけが戦って たかのようなイメージを持ってしまうと。 だからアジア太平洋戦争という風にアジア をくっつけた言い方をしたりとかですね。 あるいは時間で見て満州時から大東亜戦争 までの期間を、ま、足掛け15年という ことで、ま、15年戦争と言ったりとか、 ま、いろんな呼び方が提唱されているん ですけれども、なかなか定まっていないっ ていうのが1つ。あともう1 つはいわゆるさの対戦とかあの戦争って言った時スタートがどこなのかって問題なんですね。 実はいわゆる新湾攻撃半島上陸で大東亜戦争始まったわけですけれどもあのでも我々が今さっきのえの犠牲者 310万人って言った時のしてる日は 1941年の12月ではないんですね。 うん。 ここではないと。むしろですね、この 1937年の7 月ですね、路教事件、ま、日中戦争の始まり、ま、当時編と呼ばれてたものですけれども、これ以降の犠牲者が実は 310 万人で、我々は先の対戦って言ってる中でですね、え、おずと日中戦争とこの大東亜戦争ってのくっつけて考えてるってことなんですよ。で、この 2 つの戦争を総合した名称が実はないわけです。 ですから我々はあの戦争とか先の対戦という表現を使わざるを得ない状態になっているという、ま、こういった事情があって未だに名称が定まってないということだと思いますね。うん。ここからのそのじゃあどこどこからをそのあの戦争という風に言うのかっていうのは日本の言論空間の中では統一した見解が今あるのかどうかってここはいかがですか? ないですね。あの、先ほど15年戦争って 言い方をしましたけれども、これは、ま、 どちらかというと左波系の人たちがよく 唱える主張で、ま、ここで言いますと、 1931年の9月に事っていうのがあり ます。で、これ以降をですね、足掛け15 年と数えて、ま、15年戦争という言い方 をしていてですね、これは日本が一貫して 大陸侵略をしようとしていた戦争だという 、ま、歴史館が背景にある味方なんですね 。ただこれも批判がありまして、満州自変 っていうのは低戦協定が実は日中両軍の間 で1933年に結ばれていましてですね。 で、それからあの路教事件までの話って いうのは平和な期間があるわけです。だ、 それをまとめて1つの戦争と呼ぶのは無理 があるんじゃないかっていうような指摘が あるわけですよね。でも実質的に日本は ずっと侵略しようとしてたんだみたいな 解釈に基づいて15年と呼んでる。 しかしそういう解釈をして戦争の始まりっていうのを遡ることができるのだとすればじゃあもっと遡れるんじゃないかっていう指摘もあってそれがまあ 100 年戦争って言い方なんですけれどもこれはあの文芸表化の林ふという人がですね後に大東亜戦争皇帝論という本を書きましてで結局あの戦争っていうのは近代日本が欧米列教に反撃するためだったんだとつまりはこの島で平和に暮らしていたのにま欧米連教船が来てしま で、近代化しざるを得なかった。その過程 で日進戦争、日路戦争があり、様々な戦争 があって最終的に大東亜戦争になって しまったと。で、その全体の過程で捉える べきなんだという考え方で、ま、林ふは、 え、大東亜戦争だけではなくて全体で まとめては100年戦争と言い方をしては どうかというように提唱したという風に ですね、え、日本の論においても右であの 戦争を巡ってかなり歴史感が違っていると いう現状があります。うん。桜井さんさん のお話にもありました。 あの戦争なんとなくこうぼやっとみんな先の対戦とかあの戦争とか言うわけですけれども名前が定まっていない現状 うん。 統一した見解が国内にないという状況の状況どうご覧になってますか? やっぱりね、あの日本国がその配戦をして、ま、 GHにその選挙されましたね。 その時にも全て悪いという意思をその 植えつけられて、そのまともにやっぱり 自分たちの即をですね、あの見る、良い 意味においても悪い意味においても分析 するということができてこなかったん だろうという風に思いますね。だから私は いつもこの1941年からのことは大東亜 戦争と言います。それはなぜならばそれが 最もこのニュートラルな名前だからですよ ね。ちゃんと閣議決定されて日本政府は これを大東亜戦争と呼ぶという風に言っ てるわけですから、それは極めて ニュートラルな形で私は使っています。で もそれを言うとですね、ま、この頃はそう でもなくなったような気配があるんです けども、例えば10年前大東亜戦争って いうとですね、なんかすごくこう、あの、 右翼の驚しい あの論客のようにあの言われていたんです ね。でも大東亜戦争というのが日本国政府 の命名した戦争の名前なのであって、それ をあの配線してその占量軍によってですね 、これは使ってはいけませんということで 、ま、いろんなその、ま、言、言論空間が ですね、制限されたわけですね。その1つ の言葉がこれだったわけですね。だが、私 はきちんと日本人として大東亜戦争という 言葉は使うべきだという風に思って使って きましたね。お話を伺ってきましたように 日本の国内では、ま、あの戦争についての 一般的な統一された見解というのがないと いうことなんですけれども、辻田さんは秀 が外有した大東亜共栄を自身で辿どれまし て、各国の歴史博物館を巡ってきたという ことなんですよね。で、東南アジアで は一体あの戦争がどう総括されているのか ということを辻田さんにお話伺っていき たいと思うんです。辻田さんお願いします 。はい。え、今見ていただいてるのがです ね、実はあの東場秀樹が戦治中に外有優を しているんですね。これあまり知られて ないと思います。つまりまさに大東亜戦争 のさ中である1943年ちょうど日本が ですね、有利だった頃からだんだん不利に なっている時期です。で、その時期にです ね、東場は4回にわって、ま、当時大東と 言われてた地域っていうのをこのように ですね、飛行機で、え、巡っているわけ ですね。で、その現地の首脳だったり、 リーダーと、ま、会見したり、あるいは 日本軍の視殺をしたりということをやって いた。で、この年は山本磯元帥がですね、 え、風ビルト島南太平洋王の風ビルト上空 で激墜されて亡くなったりもしています。 大変危険だったわけですけれども、え、 その危険を帰り見ずにですね、え、この ような外交をしていて、で、このルート上 を辿ってですね、ま、この場の外交、 大東亜外交をその今の東南アジアの国々が どのように見ているのか、あるいは日本の 戦争というのをどのように表現してるの かっていうのを比較するとですね、日本の 考え方もちょっと俯瞰的に見れるんじゃ ないかなと思いまして。 で、特に、ま、中国と韓国に関しては我々、ま、ニュースでよく見てると思うんですが、東南アジアの国々って意外と知らないと思うんですよね。ですので、ま、今回、え、辿どってみて皆さんにご紹介できればなと思ってます。 はい。ではまず 1 つ目なんですけれども、シンガポールですか? そうですね。え、こちらですね、シンガポールの、え、ディスカバリーセンターという建物ですね。 ま、国防省がやっている宣伝施設なんですけれども、そこでシンガポールの歴史というのをですね、ま、こういった映像等を通じて紹介するという形、ま、シンガポール徴平性がありますから、国民に対してその必要性を訴えるというような意味もあるんですが、シンガポールはイギリスを長く植民地でしたと。じゃあイギリスのことをですね、足様に書いてて許せないと言ってるのかと。 そうではなくてこのラッフルズ低督、ま、 イギリ、あの、シンガポールの建 、彼はですね、むしろこういう明るい、ま 、これちょっと音はなりませんが、え、 明るいBGMとですね、え、こう、こう いうちょっとかっこよげというかですね、 英雄であるかのように描いているわけなん ですね。で、シンガポール移民社会です から、基本的にこうラッフルズが来て イギリスの植民地になってから、今の シンガポール国民の祖先たちが渡ってき てると。だから彼のことを否定してしまう と自分たちの否定につがってしまうわけな んですね。だからシンガポールにおいては ラッフルズっていうのは極めて肯定的に 描かれているということがあります。 しかしじゃあ一方で日本軍はどう描かれ てるかってことなんですね。 で、それがちょっと次の19 番なんですけれども、日本軍のコーナーになりますとですね、ま、途端に部屋が真っ暗になりまして、これ映像なんですけれども、え、現地の人をですね、日本軍がこう刃物で首を落とそうとしているという映像が円々遠とこう流れてる わけなんです。つまり日本がシンガポールを占領したのはほんの数年ですけれども、これはですね、え、ま、駅するところがないっていうんですかね。 現地にいた様々な民族的な廃棄を抱えて いる移民たちにとってみんな共通の苦しみ の体験であるということで2度とこういう ことがないために国防に力を入れましょう というような文脈で日本のことをすごく ネガティブに書いているというのがある。 ちなみにこの映像次はえ、ちょうど首に刀 が降りる瞬間でこういう血が飛び散ったか な。結構驚しい子供も来るような施設なん ですけれどもこのような映像が流れている ということなんですね。で、これは先ほど 言ったように事実がどうではなくて、その 国としてどういうような物語を出すかって ことだと思うんです。シンガポールにおい てはイギリスラッフルズのことを肯定して 移民社会を肯定しましょう。で、移民で いろんな背景がいるけれども共通の負の 体験は日本の占領時代ですよね。あの時代 を繰り返さないために国防に力を入れ ましょうになってるっていうことなんです ね。で、反対にもう1つインドネシアの例 を紹介したいんですけれども、え、こちら です ですね、え、ジャカルタの中心部に独立広場というのがありまして、その中心に国家記念党という、ま、あの、モニュメントがあります。 で、この、え、ま、そこ下の部分にですね、え、国立歴史博物館っていうのがありまして、え、ここに大量のジオラマが展示されていて、それでインドネシアの歴史というのを紹介しているわけなんですけれども、ここでも確かに日本に占領された時代の強制労働とかの話のジオラマはあります。 しかし圧倒的多くがオランダの話です。 オランダがいかにインドネシア人を侵略し たか、多くの人たちを苦しめたかで、それ に対して現地の人が反撃したかという 私たちが聞いたことないようななんとかの 戦い、なんとかの戦い、なんとかの戦いと いうジオラマがひたすらあるわけなんです ね。で、え、オランダはインドネシアに 対するもうというのは凄まじいものがあっ たわけです。オランダは小さな国です けれども、ちょっとそのナポレオン戦争と か第一次世界大戦とかで国土が後輩すると もうおら、あの、インドネシアから いろんな集を繰り返してですね、地獄の 経済を復興させるということを繰り返して いたわけです。だからインドネシアにおい てはですね、日本の確かに占量もいいこと ではなかった。しかしオランダの植民地と いうのはそれとは比較にならないぐらい ひどいものであったと。こういう歴史感を 打ち立てているわけですね。これはまさに シンガポールと、え、インドネシアでは 日本の扱い方が全然違うということなん です。これも先ほど言ったように インドネシアはこれは国民の物語にするん だと。事実関係をベースにしつつどこに力 を置くかというのが歴史ですから インドネシアはこういう国民の物語で行く ぞということをまさに首都の中心部で展示 しているということなんですね。一点を 伺いたいのは先ほどのシンガポールの日本 に対しての展示かなり残虐性をこう 打ち出してるように見えたんですけれども かと言って今のシンガポールからそういっ たその戦事の植民地支配に対しての 恨みたいなものを日本に対して感じないん ですけれどもそこの背景はどうな そうですね外務省があの東南アジア地域で 世論調をやっていて対日感定の調査をして います。で南アジアまほぼ日本に対しては 8割9割ぐらい新日的な感情を持ってい ます。 まあ、シンガポールはすごくビジネスライクなところですから、今の日本とは仲良くやっていきましょうということですよね。ただ国のその国防とかの必要性を訴える時に持ってくるものとしてやはり日本の統治時代の話になってくるということなんですね。 桜井さん、どうご覧になりますか? 今おっしゃったようにね、やっぱり今のその政府がですね、どのような形で自分の国をこれから、ま、その、あの、統治していこうかと、どっち方向に進んだらいいのかということがすごく大きな基礎としてあると思うんですね。今お話伺いながら私はインドのね、このような戦争博物館と韓国のことをちょっと思い浮かべていたんです。で、え、それから、ま、台湾ですね。 で、日本はその、あの、ある意味韓国の方 にものすごいその投資をしたわけですね。 それはもう植民地というよりも統合して 自分の国としてその扱ったわけですから、 まず子供たちの教育をして大学を作りと いう風にやって、ま、台湾にも同じように やりましたけども、台湾はものすごく新日 的なその博物館を作ってる。韓国はもう 見るもおましいような博物館ですよね。 そしてインドに行った時に私すごく驚いた んですけども、インドがやっぱりその自分 たちの独立というものはね、日本軍が戦っ てくれたからだという、ま、日路戦争で まずその勇気を得てそれからあの大東亜 戦争でね、ま、破れはしたけれども自分 たちは勇気を得たんだということで日本に 対してものすごくいい感じのあの展示をし てますよね。 で、それはやっぱり自分たちがこれからどの国と退治してどういう風に生きていくのかという現在の政治的な基盤というものがすごく大きく影響してるんじゃないかなという風に思いましたね。 辻田さんは 著所の中で日本で国営の戦争博物館を作るべきだという風に主張されているわけですけれども、桜井さんはいかがですか?日本でも国営の戦争博物館作るべきだという風にお考えになりますか? あの、あの、私はあった方がいいと思うんですけれども、その時に注意をしなければならないのはですね、やっぱり日本独自の立場を打ち出すっていうことをしなければいけないと思うんですね。 今、あの、あの、ご報告にあったように、 その国によってね、あり方が全然違うん ですよ。だからその国がどういう風な スタンスでこれから未来にどういう風に 向かっていくかということが大きな基盤 です。だから私たちの国がきちんと日本国 の即籍というものを見て日本国にどのよう な理屈があったのか、どのような理由が あったのか、そして垂らざるところは何 だったのかということをやっぱり考え なきゃいけない。そこでちょっとお話がね 、広がるかもしれないんですけれども、 柳田邦男夫さん、民族学者がですね、 すごくいいこと言ってるんですね。この 私たちの国は今ここに来ている日本人だけ で作ってるのではないと。その過去のね、 もう膨大な数の日本人がもう土に戻った人 たちがこの地で生きてきたのであってその 人たちの価値観であるとかその感じ方と いうものをね引き継がなければならないし そして同時に過去だけではなくてこれから 未来に育戦万人というねもう本当にあの 多くの多くの日本人がこれからもこの地で 生きていくわけですから 過去と未来と両を見つめて本当に日本民族 の辿どってきた道、日本民族のしたことは 何かということをその書かなければなら ない。だからそれ今の私たちのね勝手な 考え方で基本的なことをその大きく ねじまげたり、え、してはいけない。 もちろんそれは希望を持つなということで はないんですよ。もちろん私たちは多くの その希望未来に持ってですね、あの進んで いくべきだと思いますけれども、柳田 邦男尾さんなんかの本を読むとですね、あ 、本当に私たちは今生きてることを大事に しながらも今生きてるこの価値観が全てで はないんだという謙虚さをね持ってやら なければいけないという風に思いますね。 その意味ではだから戦争博物館を作るという意味においてもですね、そこのところの視点をどういう風に担保するかということは大事だと思いますね。 辻田さん、あの、ま、日本でのその歴史博物館的なものっていうと、ま、パッと思いつくのは例えば安国神社にある優秀官とかですね。 ま、あとは桜の方にも民族、歴史民族博物 館とかありますけども、その例えばあの 安国神社の優秀感、ま、これかなりその 味方によっては1つの味方に相当偏ってん じゃないかって見方をする人もいるんです けれども、そういったものをその国立の 博物的なものに、ま、ある意味、ま、消化 させるということです。 そういった可能性っていうのはどういう風に考えてますか? まず首都にですね、どこの国も必ず国立の戦争博物館、もしくはそれにする近大子の博物館っていうのは絶対と言っていいほどあるんですよね。これどこの国行っても大体そうです。日本だけですよ。東京にそういう施設がないと。で、今桜の千葉の桜には確かに国立歴史民族学博物があるんですがで近代の展示があるんですがものすごく少ないんですね。もう本当にちょっとした展示しかない。 そうで、特に今の我々につがる近代の展示の部分をより便利な東京の中心部に作って、それが例えば公外学の学生とかあるは大人がね、自分たちは何者なのかを知るたびにそこに見に行くという、こういうことが他の国で当たり前に行われてるわけです。で、当然それはその国の歴史なわけですよね。その国、我が国はこういう風にして世界を見てますよと。で、他国は別の見え方してるわけです。でも日本はこういう見方してますよということをす場所ってのは絶対あるわけです。 で、当然こういうものがあって光るべきで、じゃあ安国の優秀感はどうなのかということなんですけれども、かつてはですね、戦前は安国神社自体が国の施設でしたから、優秀間も当然国が管理していた。ま、あれは国立の軍事博物館のような意味があったわけですけれども、今はやはり一 宗教法人が管理してるわけです。それを国が手を出すってことは当然慎しまなければいけないとは思いますよね。ですから別っこに作るべきだと思います。 うん。 桜井さん、この優秀感を、ま、博物館的な意味合いでどういう風に考ですか? あのね、私はあの優にもさにも何回か行きましたけどもおっしゃるように桜は本当にこう規模が小さいんですよ。そして何と言っても遠いですよね。ちょっとばかりね。で、あの優感は私はそれなりに意味があると思うんですけども、あの優秀感でさ、もう非常に小さいですよ。あの、なんて言うの?他の国の博物館に比べるとね。 [音楽] だからもっとその大きくしてそもそも私はその優秀感と共にね、ま、安国神社はやっぱりあの国がきちんと完了すべきだという風な立場で考えてますので優感もその国有にしていいと思いますけども、もっとこの展示の場所 はい。 それからを広くしなければ場所によってこの展示する内容がすごくこう縮小されてしまいますのでね、あの私はもっともっと大規模なものをあの作っていいんじゃないかという風に思ってますね。 あとその展示するそのものの時期についても例えばどこからどこまでの期間を歴史を区切って展示するのかっていう問題もあると思うんですけどもこれ辺り辻田さんどういう風に考えますか?うん。 やはり明治心ま爆末明治心ぐらいからでいいと思います。 それがいわ日本においては近代子と言われてるわけですから、ま、それまでは日本は、ま、先ほども申し上げましたけれども、ま、時給足でね、平和に暮らしていた中に急遽近代化をせざるを得なかったという歴史ですよね。そこからまず始めて、で、現代に至るまでの我々の歩みをそこでしっかり書くということ。で、他国の歴史博物館スパンでやってますから、この範囲で私はやるべきだと思いますね。 地方に行くとね、あの、ま、県立とかその私立という意味でいろんな博物館がその地域地域の歴史を形づくる感じでありますよね。そこに取り豊かで、あの、私は素晴らしいものだと思うんですね。 だからそういったものと、ま、国立であるというのはその、ま、近大子だけでいいのかどうかって私はもっとこう古代子も含めてですね、日本の歴史って本当に豊かで素晴らしいですから、そんなこともあの考えていいんじゃないかという風に思いますけどもね。 お2人にお伺いしたいと思います。 100年後、200 年後の日本を見据えて日本は今どのような国家感を打ち出すべきなのか、辻田さんいかがですか? 私はね、65点って数字が好きでですね。 はい。屈すぎとあり点はかろうと。で、 65 ぐらいのある種の緩い国っていうのがいいと思うんですね。 で、これは緩いと言っても何でも適当で いいってわけではなくて、日本は近くに 巨大な中華文明があり、近代以降は いち早く西洋文明を取り入れたんだけれど も、日本語っていうのを構造を失ってい ないし、言語もローマ化されていないし、 何かこう頑固なところは異様に頑固なわけ ですよね。でも同時に他国のいろんな文化 文明を受け入れるという許さも持ち合わせ ていると。だから、ま、65ぐらいは時刻 のものを守り、35は外から取り入れ るっていうようなね、ま、そういった国が 日本のなんかあの良さと言いますかね、 ここまで文明を築づいてきた1つの生きる 知恵だったんかなと思っていまして、私は この65点の態度っていうのをすごく今後 の日本は大事すべきじゃないかなと思って ます。 はその歴史だったり起きた事実に対しての解釈の仕方にある程度の触れ幅というかそういったものがあってもいいんじゃないかってそういうことですか? それもありますし、ま、先ほど言った反省すべき点はやはりちょっと入れるべきだと思うんですよね。基本でいいんです。日本の国の歴史博物館なんですから。でもそこに間違ったこととか反省すべき点は多少入れましょうよってことなんですね。そういったことを含めて 65 点の態度は私はすごく大事だと思ってます。 桜井さんはいかがですか?どんな国家を今持つべきですか? 私はね、100年、200 年後日本はやっぱりね、あの日本国のその、ま、国柄ですね、国柄というものを守っていくのが 1番いいという風に思ってんです。 じゃ、日本の国柄って何だろうと思ったら 全然古くなくって古臭くなくって例えば 明治初年の5課条のご門それにつがる17 条の憲法こういうとなんか17条の憲法 って7世紀じゃないの604年じゃないの 古いわねって思う方もいらっしゃると思う んですけどもそれが17何百年も続いて5 課条のご門になってその課条のご門という のは私はね日本国は同議大国として中国と も違いますよとアメリカとも違いますよと 。そして日本ってやっぱり歴史がずっと 連面と継続してる国なんですね。こうその ま、あのぶつ切りになっていない。 そのことを考える時にね、この素晴らしい 価値観というものを私たちは国際社会に 甘ねく通用するものであると信じてそうだ と思うんですけども、それを掲げてご 過課剰のご専門をですね、あの掲げていく 。これは基本は何かと言うとですね、 やっぱり人間を大事にするということです 。で、私これとアメリカの独立宣言とか フランスの人権宣言比べて研究したんです けれどもね、アメリカやフランスは、ま、 添付人権説で神から、ま、人権みんな もらって生まれながらに平等でしょうと 言うんですけども、私たちはそんなこと とくの昔にね、アメリカ1776年ですか 、18世紀ですよね。私たちはもう7世紀 所党604年からそのことをずっと統治の 基本にしてきた国なんです。だからそこの ところに誇りを持てばですね、これからの 長い歴史もきちんとその同技国家として 中国ともアメリカとも違う本当に人間を 大事にする国家としてあの世界にああ、ま 、存在感を示すことができると思いますね 。 辻さんは今の桜井さんのお話になった国家どうご覧お聞きになりましたか? いや、今日ね、意見が違うところもたあったんですけれども、この日本という国をどう評価するっていう姿勢に関しては私は結構共通する点もあったのかなと思います。つまり、つまりなんかこう日本って言うとこうね、孤立してここだけが大事じゃなくて結構柔軟だってことなんですね。ものを取り入れつも自分たちの確信は捨てない。 ちゃんとそれを未来に向かって継承するっていうね。 ま、保守ってよく何かを守ってるからこう古臭くて頑固みたいなイメージがあるかもしれませんが、そんなことなくて自分の重要な価値観を大事にしながらそれを守るために色々変えていくっていうタイトだと思うんですよね。 日本はね、ま、その新党の国だった。 その新党の国がね、仏教を受け入れたんですよ。そして今もう国民の生活の基盤になってますよね。 新党と仏教でキリスト教がね、その イスラム教を受け入れるもしくはその反対 っていうのは、ま、あまり考えられない わけですよね。だから私たちはものすごく 観葉な文化というか価値観を持った民族だ という風に思います。だから65 点とおっしゃったけども、私はもう 65点はもうはるかにクリアして 35以上の40とか50 ぐらいもね受け入れているのではないか国に対する自信を失っているから受け入れる部分がどんどん多くなっているんではないか。さっき私柳邦男尾さんの話をしましたけれどもね。柳田邦夫男尾男さんが言ってるのもそこに通するんですよ。 私たちの国度はいく100億人の方々が 作ったものですよと。これから未来の行く 100億人の方々もそれを生きるんですよ と。だからこの瞬間歴史で生きてるこの 断面で主人公である私たちがね勝手に変え てはいけません。のところはちゃんとその お守りなさいとご課条のご専門の1番最後 のところはですね、世界に知識を求め 大いに後期を真規すべすというものです。 世界に知識を求めなさいと、世界には日本 よりも優れたものがたくさんありますよと こっていけませんけれども、大いに後期を すべきしというのは皇室を中心とする我が 国のこの伝統的な価値観というものを失わ ないようにしなさい。 あなたがあなた自身であることの根本を失ってはダめですよっていうことだけども大いに開きなさいというものものすごく私はね国際主義的であるしそして日本的であるという風に思いますね。 先ほど辻田さんからはその保守という言葉も出ました。今その保守ってよく気やすく使ってしまうんですけれども今本当に自民党総裁なんかも見ていても定義がすごく難しい言葉だなという風に感じているんですよね。 桜井さんが定義する保守って何ですか? 保守ってね、あの関な人が保守だとか色々言ってますけれどもね、保守というのは本当は観葉だけれどものすごくしっかりした真の強いものなんです。杉田さんおっしゃったようにね、大事なことはやっぱり守り通すんですよ。でも守り通さ なくても良くて私たちのものよりもっといいものが必ずあるんです。 日本がベストではないわけですから、 ベストの部分はあるけどもベストでない 部分もあるわけだからそれは受け入れて そしてさらに自分を高め、周囲を高める ことにつなげなさい。その自分が受け入れ ても自分が崩れるような弱い人であっては いけませんよと。あなたはあなたなんです というところが星だと思いますね。視聴者 の方からこんなメールを頂いています。お 2人に伺いたいメール広島県の30代の 男性の方からいただきました。私は第二次 世界大戦の反省ができていません。その時 に日本が他国にどんなことをしたのか教育 を受けることがなかったことも要因の1つ と思います。しかし中国や韓国などには 根強い半日感情があることも事実です。 私たち日本人は何をもにどのように反省 すればいいのでしょうかというメール桜井 さんいかがでしょうか?反省すればいいと いうなるほど。その私はね、やっぱり反省 するにしても事実を知らないと正しい反省 ってできないんですよね。ですから、ま、 その反省するかどうするかは、ま、お任せ しますけども、やっぱりいろんな本をお 読みになることだという風に思うんです。 ま、学校で全く教えていないのが本当 そもそも間違いなんですけれどもね、 やっぱり私たちの周りにはものすごく多く の情報がありますから、この戦争について ね、あの、どういう風に考えたらいいの かっていう目でこう見るといろんな書物が あると思うんです。それをまず読むという ことと、それから日本国が本当にこういう 戦争をするのかなという、ま、いろんな その現設がありますから、日本国の本質を 知るということにおいてはね、やっぱり 乞食とか日本初期とかのね、あの、古典を あの、読むっていうことがとっても大事だ という風に思います。ま、それから江戸 時代の人が書いたこととかね、近代日本の その明治の初めに例えばその伊藤博文が どんな思いで憲法を作ったのかとか 井上がったのかとかであの自分の できる範囲の中で本を読むことを私はお 勧めしたいという風に思います。 ありがとうございます。 辻田さんはいかがでしょうか? そうですね、私は本、私も本お勧めしようと思ってたんですが、ちょっと角度を変えまして、ま、あの、日本国内だと博物館とか見ると、ま、やっぱり日本の右だ左だみたいな議論に引きずられがちなところがあるので、あえて海外行ってみといいんじゃないでしょうかね。今日紹介したような東南アジアの国でもいいです。どこの国も自分のある種の物語っていうの博物館で打ち出してるわけです。日本でこれやるとすぐ歴史修正主義とかね、間違ってるとか言われちゃうんだけれども、それ世界 標準ですよってこと。行けばすぐ分かる わけですよね。で、その国にはその国の 見え方で、ま、日本を批判していたり、 肯定したりいたりするところがありますと 。で、それをまず言ってみる。もちろんお 勉強だけで行くと辛いと思いますよ。何人 観光で行っていいんだけれども、観光で 行った時に1箇所でも2箇所でも博物館と かにちょっと寄ってみる。なんか図販とか 写真集を買ってみる。で、持って帰って くるってことですよね。で、それで終わり にするんじゃなくて、そこで知ったワード とかをネットで検索してみるとか、今だっ たら動画もたくさんありますから、 いろんな動画とかも左もいろんなもの見る ことが大事、自分の頭で考えることが大事 ですから、そうやって自分なりに考える、 そのきっかけとして観光とか実際の指跡を 巡るっていうのは有力なんじゃないかなと 思いますね。今日本が示すべき姿勢という テーマでご提言をいただきます。では 辻田さんお願いします。はい。え、私は ですね、先ほどもちょっと申し上げたん ですけれども、この65点の態度っていう のがすごく大事なんじゃないかなと思い ます。ま、今とにかくネガティブなね、 否定的なことばっかり探してくるっ ていうのが、ま、横行してるんですけれど も、いいところを肯定しようよってこと ですよね。もちろん直すべきとこは直さ なきゃいけないけれども、自分たち あるいは自分たちの国のいいところをまず 肯定するところからスタート。でもそっ から無理に100点とか目指して、ま、 こうギスギスするよりもそこそこで点を 取って、ま、試験でもそうです。大学受験 もそうですけど100点取ろうが65点 だろうが合格ですからね。65点でそこ はこう遊びに行ったり友達作ったりそう いったことが大事とかあの国の形のあり方 を考えてもそうでそこ緩い状態を肯定 しようの私が申し上げたいことですね。 ありがとうございます。では続いて桜井 さんお願いします。 私はこれ勇気と同儀ということを書いたん ですけども、あのこの議論の中でも出まし たけれども、今国際社会って本当に バラバラになってるんですね。ま、国際 社会ということを1つのあの塊として 論ずることが難しくなっていて、そして さっきも言いましたけれども各国々が生存 本能というものを覚醒させていて、何とし てでも自分たちはその生き残らなければ いけない。ウクライナのゼレンスキーさん の事例も言いましたね。その自分たちを 守ってくれるのは武器であって、そのあの 協定でも何でもないんだと。そういった時 に日本はこういう風にして国際社会作り ましょう。それはやっぱり同技なんですよ と。人間を大事にし、そしてま、法律が あれば法律を守るという同と。それと同時 に私たちは日本人として今まで戦後まもの を言わないできましたね。なんか言っては いけないんじゃな。遠慮してきたけれども 、もう本当に私たちが声を出していいん ですと。私たちが言ってることは間違い ないのであるから歴史を踏まえて日本人の 誇りを踏まえて勇気を持って言いましょう ということです。 [音楽] [音楽]

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25 Comments

  1. 博物館より先にやることがあるでしょ。
    第三者委員会で、WGIPというヒトラーより本を焼いた人類史上最大の歴史捏造プログラムでなにが行われたのか、そしてその影響を可能な限り客観的に判断すること。これは歴史を精査する以前にすべきこと。歴史が自然科学の分野に属していたら、まずみんながみんなそうする。科学者が興味あるのは真実だけだから。
    それをしない異常さにまず気づくべき。自然科学だったら、そんな論文読まれもしないし、学者は相手にもされない。
    真実がベースになければ、どんな大きな博物館だろうが意味はない。ないほうがいいくらい。
    この辻田という先生は、それをしようとしないので信用できない。学問的、いやそれ以前に、人間的な誠実性に欠けると思う。

  2. 長野さん。❤❤❤
    メインキャスター
    出演増えて嬉しい🎵😍🎵

    可愛らしい顔に
    癒される。❤😂😅🎉

  3. どの国も客観的に事実がどうだったかよりも現在の国のスタンスや未来の国益の為の教育、プロパガンダなんだよな。
    そもそも戦争は多面的なので善悪の二元論で語れるものではないからな。

  4. ご年齢を考えれば仕方ないのかもしれないけど、櫻井さんって「リアリズム」を言う割に情緒的な「観念論」が多いんだよなぁ

    経済的国益(軍事・外交力の源泉)を考えれば、最大の貿易相手国である中国を軽視できないし、迷惑だろうとなんだろうと引っ越せない隣人と対話チャネルを持つことは安全保障上の常識で、外交を単純な勝ち負けや敵味方に分けてしまったら、日米関係はおろかどんどん国際社会の信用を失って国益を損なうよ

  5. 国立の戦争博物館ねぇ。自主外交ができない現時点の日本がそんなもん立てても自国の歴史観を堂々と展示する能力は無いと思うけど。

  6. 桜井さんは「本を読め」と言うが、トンデモ本を読むと逆に曲がった歴史観になるから注意が必要!

  7. すげぇな、ちょっと前はこんな話できなかったよ笑笑

  8. 辻田さんは基本はリベラルなんでしょうが、冷戦崩壊後にアップデートできた方ですよね。

  9. めちゃくちゃいい内容だったし、日本人は満州事変以降の近現代史をもっと学ぶべきですね。

  10. 戦争は終わった後に結局誰が儲かったのかを見て、その視点、視座から振り返ると見えてくるものがあるし、その視点、視座から現在の世界を見てみると見えてくるものがある。

  11. 日本で国営博物館を作るのは良い。
    終戦後に日本が、戦争を反省して中国やアジア各国に援助したことも展示したら公平です。
    明治の開国1860年から、昭和の高度成長1980年までで歴史は完結する。

  12. 桜井さんは過去の幾百億人の日本人と未来の幾百億人の日本人と今の1億人の日本人を水平で見ておられるんだなあと思う。一方で「巨人の肩の上に立つ」のような歴史の積み重ねを重視する進歩思想もある。過去の一票よりも現代そして未来の一票のほうが重いという考え方はリベラル的な発想なんだという学びがあった。

  13. プライムニュース最近良くなったね。いい議論でした。この調子だとフジは、生き残れるかもしれませんよ。😮
    桜井さん強すぎるけど納得。辻田さんも、ある意味分かるし頑張ったね。
    何れにしても、石破は最悪で、これを継承する人は絶対ダメ。

  14. 辻田さんの意見は、過去を肯定した上で、誤りは直視して前に進もう。これこそ保守的スタンス。
    過去を全肯定したら、前に進めない。過去に戻るだけ。これは復古主義。
    過去を全否定し新秩序の権力を求めたら、革命思想。中国になる。

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