Photo: Yulia Petrova/Getty Images
私は昔から厚化粧だった。学生時代は唇にまでハイカバーのファンデーションを塗り、たっぷりのマスカラでまつげがクモの足のように固まっていた。まぶた全体には、アイライナーの翼が広がっていたほど。最近はリリー=ローズ・デップ風の90年代風メイクで、リップライナーをたっぷり使い、ウォーターラインには茶色のアイライナーを引いている。
そんな私にとって、身支度をする時間は世界でいちばん好きな時間だ。でも、自分がメイク依存症ではないかと気になってしまう出来事があった。それは、友だちのホームパーティーに行く予定だったある夜のこと。二日酔いでかなり怠けていたけど、彼女たちと仲良くなって日も短いので、そのグループに顔を出したかった。気分じゃないとはいえ、歩いて20分ほどの距離だし、少しだけ飲んで帰ろうかな……。そう思って立ち上がろうとしたとき、これから始まるメイク行程が重くのしかかった。シェーディングやコントゥアリングをぼかす作業、毛穴に染み込むファンデーションのベタつき。面倒くさくて仕方なく、また座り直して毛布にくるまり、TikTok動画を寝るまで眺めていた。
翌日、なんだか惨めな気持ちになった。外出をやめたのは、すっぴんを見られたくなかったから? まさか、虚栄心が社交生活の妨げになるなんて。ノーメイクに対するこの不安がいったいどこから来たのか考えてみたら、多分、ずっとあったんだと思う。大学時代、男友だちが「美人で有名な学科の子をジムで見かけたけど、すっぴんでほとんど誰だか分からなかった」と話していたのを思い出す。すっぴんで出勤したときに、「体調悪いの?」と聞かれたこともあった。
時々、何もしていない自分の顔を見ても、「顔」と認識できない──ただのベージュのスポンジみたいな球体で、どこが始まりでどこが終わりなのか判別できなくなる。家に気になる人が泊まりに来たときは、マスカラと眉の周りを慎重に拭きとって少しだけメイクを残すし、顔の大半を覆うアイマスクには安心感を覚える。でも、こんなふうに素の自分に自信を持てない自分も、メイク依存で行動が制限されるのも嫌だ。そこで私は、1週間すっぴんで過ごし、どうなるか実験してみることにした。
1日目・2日目
ジムとカフェでのリモートワーク以外に予定がなかったから、この2日は簡単だった。そもそも、ジムもカフェもメイクが必要な場所ではない。でも心なしか、ノーメイクだと人からの注目が減って、少し目立たなくなると感じた。ある意味解放感があるけれど、自分の存在が忘れられているのではないかと不安にもなった。人に見られずして、自分がここに存在しているとどれだけ自信をもって言えるのだろう。