徹子の部屋 内容:〜報道一筋40年…意外な素顔〜安藤優子さんが今日のゲストです。 出演:安藤優子
[音楽] このお邪魔な女の子が成長し道の顔に安藤ゆ子さんです。どうぞ入りください。 [音楽] ありがとうございます。 大学生の頃スカートでこの世界に入りキャスターそして女性ジャーナリストとして [音楽] 40 年後活躍です。どうもよくやってくださいます。おいください。 [音楽] どうもしばらくとしております。 え、40 年近く報道の現場にいらっしゃったんですけども、 あの、毎日の生放送からはちょっと一旦休憩中のいます。 はい。今はあの毎日の生放送からはある意味、え、解き放たれて 全然違う時間軸の中でやはり生活しています。 毎日同じところに決められた時間に行くっていう生活って [音楽] 必ず時間にこう制限というかお尻があるわけですね。何をしていても次は何分前までに何時何分までにこのことを終わらせて何時何分までにスタジオに入るとかっていうずっとそういう逆算人生だったんで時間の それから解放されたっていうのはとても楽気分は楽になりました。 そうでしょうね。縛りもないですもんね。 はい。 大学の先生もやってらっしゃる。 はい。ま、あの、名古屋の杉山女楽園大学という女子大やってるんですけれども うん。ま、インスタを始めたらば 反響にびっくりして はい。 特にお洋服が注目されたということで。 そうなんですね。あの、私あの SNS ってやったことがなくあったんですけども。 あ、素敵な、素敵な色のお洋服。 え、 これミニスカートなんですよ。 本当だわね。 はい。 でもお見しきれだからいいと思う。い、 やばい。これの写真を出した時にはやっぱりちょっと反響が大きすぎてびっくりしました。 えっと、へえ、身くのみたいな。 [笑い] でも可愛い。 これは黄色いコートなんですけど、やはりあの報道をやってる時はどうしてもダークスーツとか うん。 それからはい。 そういうものが多かったので、え、アンドさんって黄色とか着るんですかとか、 さっきの赤いのピンク着るんですかとか、赤いの着るんですかとかっていう、ま、とにかく皆さんこうびっくりマークみたいな 感じのあの反響を寄せてくださって あ、これなんかすごい。 これはジ数で私普通にジ履くんですけど、 え、安藤さんデム履くんだみたいな 言われるんです。 なるほど。 はい。 でも服好きはお母様ゆりなんですって。 そうなんです。 あの、うちの母は、あの、多少の人間なんですけれども うん。 あの、やっぱり戦争のさ中に女学校行って、 で、それが過ぎてから、えっと、要塞の学校、ドレスメーキングというあの、学校に行って予習った [音楽] 人なんですね。ですから基本はファッションが大好きで、お洋服が大好きで、またすごいおしゃれ だったんですね。 ちっちゃい時にから生地屋さんによく連れてってくれたん。 ええ。 はい。で、自由に記事とか選ばせてくれ。 あ、そう。 で、その記事を持ってって下手屋さんに、えっと、ワンピースとかを作ってもらうっていうことをやってて。 うん。あら、可愛いわね、あなた。これ、 これバレの発表会です。もうなんかお恥ずかしいんですけど、これも母の手作りの衣装。 あ、そうなの。 なんかバレやってらっしゃるって感じ随分可いいわなった。 すごい。ありがとうございます。これ雨降りのあの模様をこう踊るみたいな練習でこれは母が作った振り付けのメモなんです。 すごい。 もう必死ですよね。 うん。お母様 母親が お優しい。うん。 は、あれです。うん。 その発表会を見に来てくれた方に、 ええ、 お配りした なんて言うんですか?お礼の島ってんですか? 好きで物ってんですかね? 好きで物。うん。 え、私当時する親っているんですかね?これは裕子って書いてあるアヒルの格好したピックなんです。うん。そんなの。ええ、面白い。 [笑い] でも今でも撮ってあって、 あの、私今でもこれ使って。 本当にえ。 はい。もう大体650 年ぐらい前のものです。 すごいわね。よく取っておきになったわね。 はい。 でもお母様何事にも一生懸命なごで はい。 お料理なんかでもとても丁寧だったんですね。 はい。もやしの髭取るんですよ。 ええ。もやしのあの細い髭。 はい。 そうか。 で、あの、やっぱりある程度お手伝いができるようになるとそういうめんどくさいことは全部子供の役になんで 母割と母だったので母親が大所に立ってるとそばに行ってそれじっと見て見てると手伝えって言われるんでそれをやってなんとなく門前の小僧で母のお料理をすごく学びました。 うん。うん。そうですか。 だからあのアドさんお料理上手。 えっとね、上手っていうか適当なんですけど好きなんです。お料理することが。 あ、そう。そうそ。うん。見るからに。これ何ですか?手前は 白菜を丸ごと素定して上から肉お肉の肉味噌ソースをかけてあるんです。 白菜の丸ごステケーキ。 美味しそうね。 美味しいです。 美味しい。美味しそう。はい。あっという間に白菜半カブぐらい 1人で食べられます。本当すごい。 はい。 これはですね、マカロニー。シェルの格好したマカロニー。 マカロン。あ、そうか。マカロニー。 これは うん。 手前は これは春巻きです。これね、冷蔵庫整理の日で 私こういうあの冷蔵庫の中にある材料で小バチも作るのが大好きなんです。 あ、そうなの?うん。いいわね、それね。 本当ですか?もういつ呼んでいただいても 残ってるもので、 残りもでこち物を作る。その中工夫する瞬間が すごい楽しい。 で、これはあの手巻き寿司で残った材料を次の日色々こうアレンジして、 あの、ちょっとにもこって 手前のお魚は何ですか? 手前のですね、余った白身魚と、えっと、昆布とえっと貝われを一緒にポン酢で会えたものですね。 こういうちょっと船型の容器に入れたりとかして、に入れたりとかして、 え、遊ぶのが大好き。 あの、私食器集めるのが大好きで、 コ谷とか、あと小とかうん。すごいう が大好きなんですね。で、つも使っているロイヤルコペンハーゲンっていうお皿があるんですけどはい。青いはい。青の であれがある日こうかけてしまったので私金に出したんです。京都まで。 うん。 で、あの、ちゃんと手をかけてき麗にロイヤルコペンツ継ぎしてくださって、そうしたら次の日もうね、食機に入ってて金が取れてたって。 それちょっと無理な。 さあ、犯人は誰でしょうってことになりますよね。 ええ。 はい。はい。 どうなってたんですか? それはあの同居してる夫でございます。 あ、そうだったんだ。 はい。はい。 やっぱりその頃はまだまだうに対して理解を示してくれていなくては器だろ。食器荒に入れてもいいだろうっていう感じで入ってたんだと思うんだ。 うん。 でもやってくださったとこまでは良かったんだよね。 そうですね。でも私きっと心が狭いんで。そのは結構根に持ってるかもしれないです。 ちょっとでも旦那さんの盛り付け方はあなたはちょっと不満を言う。 ああ、もう、えっと、作ってくれるのはすごいいいんですね。作るの、作ってくださるの 大好きで作ってくれ。うん。 で、盛ろうとする時に 1 番手前にあるお皿を選ぶんですよ。 わかる、 分かります。 お料理に会うとかじゃないのね。 じゃない。1 番手前に手の届くとこにあるものを使うっていう そのなんかそこまでやったんだったらなんでその先 1歩行ってくれないのかなって でえっとまい加減にやっぱりもるわけですよだからこういうのはやっぱり中かに持って美味しそうに興奮して言ってこのツアじゃダメだとかってダメ出ししてたら最近は自分で出してきたツでこのツでどうって聞 きく。それいいじゃない。一応大伺いを立ててくれるようになったので。 うん。そう。すごいじゃない? うん。そうですね。2歩ぐらい。 だって作ってくださるだけでもすごいのに。 はい。分かりました。 それをあなたあのでどうってお皿をあなたに見せるっていうそ相当な進法だと思います。 はい。もう作ってもらったらじゃあ何にもられても そう 文句言わ 文句は言わ言えない。 でも最近盛り付けでちょっと張り合うようになってきて すごいわね。 もうこれでどうだ?これうちのあのどうやった テーブルなんですけど なんかあのタコのカルパッチを作ってこれなんですけど これ私まだソベート連邦だった時代にしょっちゅ主取材に行ってる時に買ってきたお皿なんですけどうん そこに このタコのカルパッチョが盛られてて うん まあまあなんか感じよくオリーブオイルとこのお皿が調和してて えすごいなんだん腕を上げてるな よくいいんじゃない人も私 いいですか ねいいじゃなオッケーですか? オッケーです。いいじゃありません。 なんか、ま、あの、ソビエト連邦時代のお皿に、ま、タコの柚が乗った。 いいと思います。 安藤さんはどっかのアナウンサーからこの世界にお入りになったと思ってる方が割と多いんじゃないかと思うんだけど。 そうですね。 ずっと、あの、ま、フジテレビも長かったので、フジテレビのアナウンス室の多分あいつはきっとおつだよって思てたと思うんですけど。 そうではなくて、もう学生時代にこのテレビ朝日の報道番組のアシスタントをさせていただいたのが本当の縁かけて、 この世界に入ったので、 あの、そこそれ以降ずっとフリーランスです。 あ、そうなんだ。はい。 うん。 これはあのポーランドから生中継を入れている時です。これもテレビ朝日の今世界はという番組なんですけれども、 まだポーランドが東側諸国でうん。 あの、ものは配給性でっていうとてもまだまだ皆さん暮らしが大変だった頃ででも街に出てインタビューをすると市民の方に何が今欲しいですかって聞くとその物質的な答は一切帰ってこないんですよ。 うん。 皆さんね、行く同に平和が欲しい。で、そしたらばそのなんかもう平和ボケしてる日本から行ったものチラチラしてる大学生の私はもう大ショックを受ける。 そうね。うん。 で、あ、そっか。 この地球には私みたいなヘラヘラした日族っていうんじゃなくて、こうやって常に隣獄から侵略の浮き目に合ってきた人たちが平和が欲しいって言ってるんだってことに気がついた時に ちょっとだけ私こういう機会を与えられてあ本当は感謝しなくちゃいけないって気づいたのがこのポーランドだったいことです。 でもお母様は報道の仕事には本当反対だったんだ。 あのなんか私結構硬い字張ってて、あの女だからできないって言われたくないので戦争でも紛争でも何でもかんでも災害の現場でもとにかく仕事断らないでどこにでも 現地はあの参りました。黒柳さんもね、よく南民キャンプとか訪れてらっしゃいますけどうん。 で、その時に自分用のこう防弾長期とかパッキングしてるんですよ。 そうすると母がそれ見てなんであんたが行くのって ね。な んであんたが行くのって。 そんなのも木村太郎さんに行ってもらいなさいとかって 言ったりとかしてました。はい。だからそれくらい私には普通に可らしく人生やって欲しいって。 ピンクのパジャマが置いた。 がのとに行くともうつもダークスーツとかあの着てるわけじゃないですか。それで戦場に行って変なあのボ弾直期つけて走り回ってんの見て もう実家に帰るとピンクのねぐりジェとか置いたんですよ。 [笑い] すごい。 あの、普通の可愛らしい女子に戻ってほしいっていう母の壮大な願望が込められてて、 なんかもう私も全然 落ち着かなくて眠れませんでした。 それ来てピンクででもお母様の介護も 経験なって はい。そうですね。母はそうですね。 70 過ぎてしばらくしてぐらいからちょっとね、老人性打つみたいな感じになったんですね。 はい。うん。 それまでとにかくさっきもあの申し上げた通りお料理好き、旅行好き、友達大好き。うん。 えっと、もう おしれも大好き、 おしゃれも大好き、ヨガも行く、ジムにも行っちゃうみたいな、何でもかんでも国心がものすごなんですね。うん。 そんな母がやっぱりある1 つどこにも行きたくないと。 うん。 何にやんのもあれもやらない。これもやらない。あれもこれも全部オクになって うん。で、あれ1 つにその父と暮らしていってマンションのベランダからなんかもう飛び降りてやるみたいなことを言ったことがあって うん。 で、なんか父と喧嘩したわけでもなんでもないのに あ、そう。 突然そういうこう不安とか怒りの感情が湧いてきてそういう言動に走った。 うん。うん。 で、最初はだから父が全部そういうことをカバーしてたんですよ。 なるほど。 でもそうなんです。 父が病気になって入院して半年の東病で亡くなったんですけれども、 その間にやっぱり母は 1 人ぼっちを経験して、もうどんどんどんどんやっぱ認知小学してったっていう。 あ、そう。 はい。でした。 お父さん大変でしたね。 そうですね。 あの、父って家事なんてやったことないし、 もう全然家庭のことなんて帰り見ないみたいな 対象の父みたいな感じだったんですけども、 母がちょっとやっぱりおかしくなってきたなっていう頃からは全部お買い物にも母を車に乗せ連れてって で、朝ご飯はトーストを焼いって父が、あの、母のは、え、ミルクティー、自分にはレモンティー入れてっていうの全部父が支度をするっていう すごはい。 もう私たち見て同地っていう。 そうよね。 それまで絶対なさらなかった方がね。 はい。で、もう父が母の小遣いのように一生懸命面倒を見ってで母ができなくなったことを全部父がカバーしてたんで、あの私たち兄弟はあんまり気づ うん。気づかなかった。 かなかったんですね。 気づいていても気づかない。ふりしてたのかもしれないんですけども。 うん。 でも、ま、お父様やってくださるだろうぐらいに思って思ってたんじゃないですね。 ただ父がなくなってからやっぱり 2年間は母頑張って1 人暮らしをしたんですけども私たちも姉は平日担当で私は金曜日に応援屋が終わったらば母んとこに行って でご飯作って土日いてで帰ってくるっていう感じだったんですけどやっぱり体力的にも続かない うん シーンに詰まってきてやっぱり身内だと そのだんだん母が元の母じゃなくなってく姿みたいなものを盗むどんど 受け入れがくなって、そうするとこう母が何度も何度も一生懸命ご飯作るってる時にゆ子ゆ子って呼ばれたりすると頭では分かってるんだけどもうちょっと黙ってってくれないみたいになってしまった時に それはそれでものすごい自分自身も母傷つけてしまうっていう そこでだんだんヘルパーさんやめさせちゃうとかでそれだけお料理に好きな人だったので台所に全然水知らの他 が入るっていうことに対してものすごい反発をしたのですね。 私がここまで磨き上げて綺麗に守ってきた台所になんであなたは無断で入ったうちの冷続を開けるのみたいになっちゃってどんどんヘルパーさんをやめさせちゃう ですよ。そうでもしょうがないっていうことで施設に入ってもらうことにしました。 で、もうこんなに苦労して育てて、あなたたちからこんな集中を受ける、あの、言われはないって言われて うん。 あ、兄弟私も含めて罵倒されました。 あ、そう。 うん。うん。最初、 ま、母様にしてみるとそうでしょうね。 うん。でも結局その母があの高齢者施設に入ってから 1番の助けは第 3者のそこにいる介護師さんだったり あ、そう。 バヘルパーさんだったりする方たちが うん。 あの、やっぱり母を客観的にすごい見てくださって、母の人生を努力してくださったんですよ。 うん。あ、そう。 だから、あの、裕子さんなるべくたくさん若い頃のお写真とか昔のお写真とかいっぱい持ってきてくださいって言われて、いっぱいアルバム持ってって うん。 で、施設の方たちがあの時間のある時はそれを母と一緒に見ながら母の人生がどんな人生だったかを 一緒に共有してくださった。うん。うん。 これ、あの、実はですね、母が古典を開いた時の写真なんですけども、 なんで 絵なんですよ。あ、 臨床美術というものに出って、 この床美術というのは意思のこう 回層療法なんですね。 だからこういうお花を目の前にしてお花を描くのではなくって花にまつわる母の思い出とかを一緒に語り合いながら最後の 10 分ぐらいでその目の前にあるものを書くっていう。うん。うん。 だからお花だったらお花。ま、母書いたアンスリームっていう花があるんですけど、母がこれなんですけどはい。大好きで お上手。うん。 はい。母はこの絵を描いた時にえっと初めてよくできたって言ったんです。で、それまで母はそうやって 自分は旅行が好きだったのご飯も食べるのも大好き、友達と会うのも好き、おしべりするのも大好きっていうその全てのできることをどんどん奪われてしまったんですね。 認知症で、それが母のやっぱり怒りの正体で、 まあね、 自己否定だったんですよ。でもこの絵を描いた時によくできたって言って自己肯定をした。 うん。うん。 そこから母のやっぱりこのホームでの生活っていうのは一ぺ あ、そう。 はい。がものすごく穏やかになって多分母のそういう自己否定の嵐みたいなものがそこで [音楽] 1つこう収まった。だと思うんですね。 安藤さんのお洋服とかお料理とか そういうものが本になって。 あ、そうなんです。あのインスタがきっかけで今回の宝島から アンドの今もずっと好きなものっていううん。いいわね。 あの写真を中心にしたあの本語出させていただいたんですけど全部自分の私服でコーディネートした。 あ、そうなんので おすすめはミニですね。 はい。 あの、ミニスカートはなんかおましいんですけど、私大人の人でも年が行ってても見に行ってどんどん来ていいと思うんですよ。足の見せ方みたいなのもあるじゃないですか。 あんま生々しいとちょっとね、良くないと思うんですけども、これはちょっとしたあのメッシュのストッキングが入ってるんですけども、 もう年齢だからとか今更とかってほそ枠にはめないで もうバンバン着ていいんじゃ。 うん。 バンバン切られれば皆さんだってでもそういう心がけはあのちょっと履いてみようかなってね、 思ったりする考えを持つっていうのはね、 きっといいと思いますよ。 はい。で、周りの方もなんかそれ走たないとか言わないでうわあ、自由度も楽しそうって取ってくれたらすごいおしゃれが楽しい。 そりそうでしょね。 うん。と思います。 でもあの現在は愛見のりんご。 はい。はい。はい。りんごちゃん。 あ、りんごです。 可愛いって。 え、一応当時だったので柚ずの。 あ、そう。柚ずの風呂入って。あら、あんならで。 これはリモートで仕事してると一応援してくれてるのかもしれない。 これお腹出してもうゆ々ゆとしてんのね。 はい。これはあのクリスマスの時にトナくつけてんですけど 本当に もうやられ放題ですね。こ かわいそう。 犬は でもすごくいい相棒です。 そう。 はい。毎朝1時間半とか一緒に歩くん。 うん。あ、そうなん。そりゃいいわね。 はい。あの、私にとっては大切なトレーナーでも そうね。そう。 そういう風なのがないと歩くっていう気にもなかなかね。そうですね。 うん。思わないですものね。 ま、これからも丁寧なクラチを頑張って。 そうですね。 あ、旦那様のお話を聞くの忘れた。 あ、大丈夫です。あの、あの、時間また、あの、旦那ネタをじゃ、仕込んでまいりますんで、 お願いいたします。 ありがとうございました。 どうも。 哲子の部屋は寺で過去の放送会を配信中。 無料見逃し配信はアマティーバーで [音楽] TellmethatI’mnever gnamakeit.Theywant metodosomethingthat couldmakesense.They whenIkeepdreaming. I’llbefamous.Idon’t giveafuck [音楽] お お [音楽] お [音楽] TherewasadaythatI prayforyou. [音楽] Ifeelgood.Youlook greatIlikeyou.I can’twait.Ifirst timeIfirstyousofine I’msolate.Yousip wineIdrinkwastimeto myplaceIfeelmy heart. SocchmeifIfall [音楽] all [音楽] Welikethesametrall intheblack fallingfastdon’t rememberlife [音楽] Ifeelgood [音楽] if maketopr [音楽] dosomethingdoIget whatIwantnothingI lovefacebuthI’mnot blIswitchnevermissI alwaysstayupdon’t letseeyoubitch alwayshavestaytough thislifeofyouain easyitwasiltobebut makespersonaltr onyourshouldersWe ain’toutheremoving rocks.Weouthere movingbordersnow.We ain’tgettingpostr outheremaking postersandweain’t gotnothingtohide.We moveforwardlike soldiers.Youbetter wakeupforthepayup. Don’tmakelovetothe gamebro.Fuckthegame [音楽] tellmenever [音楽] trying todo agoodjobdon’twakeup everymorningmakea goodimpressionon yourdon’tdoanything dowhenyoumakemoney makeyou Fuckthat.DowhatIdo fromthatincludesyou totellmehowtolive anditslikenobody rightsofigureoutsu that Ineedwhateverthe hellcouldmakeme happyandIdon’tthink youhaveawhatcould thatbetheytellme thatI’mnevergnamake it.Theywantmetodo something Idon’t make [音楽] a levelisstrfulIthink isentialgrindisall Idon’tthinkyou contr [音楽] [拍手] [音楽] thatshit andifyougetthefuck out IwonregitIwillightI getitbackoneday fromenIlearnsomedam Ihaveno J makewant [音楽]
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出演:安藤優子
